「鎌倉殿の13人」の最終回で、家康が「吾妻鏡」を愛読しているシ―ンが登場した。
この「吾妻鏡」は、原本は散逸していたが、家康が全国に写本ハンタ―を派遣して集めてきたものを編集し、家康自ら一冊にまとめたものだ。
このような例は多い。
中国、三国志時代の英雄にして、魏の大将軍兼丞相だった曹操が、孫氏が書いた兵法を整理体系化したものが、現在まで伝わる「孫氏の兵法」だ。
実戦で活用して、その効力を証明した曹操が解説を書いているので、説得力がある。
家康もそのことを知っていたのかもしれない。
彼の師の大原雪斎は、京都の名刹で優秀な学僧として名を馳せていた。
当然、大原雪斎も「孫氏の兵法」や司馬遷の「史記」は読んでいたので、その話を家康にしたはずだ。
家康が勉強家だったことは、彼のイメ-ジからして、あまり知られていない。
家康は、当時としては、本草学=薬草学の大家だった。
薬草に関する書籍を読み漁り 、自分で集めた薬草をブレンドして、自分専用の漢方薬を作っていた。
駿府には専用の薬草畑があり、それが駿府に薬草学が定着した起源でもある。
さらに明治以降も、その伝統が続き、県立薬科大学をへて県立大学薬学部へと発展した。
家康が勉強家だったのは、人質時代に、今川氏の軍師だった大原雪斎から英才教育を受けたことが関係している。
雪斎が家康に教え込んだのは、凡人は「書籍」を読むことで、先人の知恵を身につける事が出来るという教訓だ。
三大英傑、信長、秀吉、家康の内で読書家と言う点では家康が随一だ。
信長や秀吉は読書よりも、むしろ耳学問が好きで、専門家から話を聞いた。
家康も専門家に講義をさせることを、よくやった。
やはり座学は質疑応答が出来るのが、長所だ。