就活解禁日というのが昔はあって、解禁当日は東京丸の内の多数の本社ビルの前に、リクル-トスーツに身を包んだ学生が長い列をなした。
大企業には1社で数千人もの学生が殺到し、100名の採用数を考えると絶望的な気分になったものだった。
ところが確かに数千人はいたはずの学生が、選考が進む2,3日の内にあっという間にいなくなった。
面接もかなり周到に厳密な選考が行われていたのに、どうやってあの膨大な学生を裁いたのか不思議でしょうがなかった。
後日、担当の人事課長に聞いたところ、初日に記入してもらった個人シ-トの大学名で10分の1に絞って、後は大学別に面接をしたのだと解った。
絞り込んだ大学名は、早稲田慶応と旧帝大だけだった。
では消えた9割のその他大学生は、一体どこに消えたのか??その謎はTBSドラマの「ふぞろいの林檎たち」を観て分かった。
9割の学生は、中小規模の企業や、ほとんど零細企業と呼ばれる膨大な数の会社に、分散して就職していったのである。
大卒初任給は大企業も零細企業も最初は横並びだが、生涯賃金は驚くほどの差が着く。
当時でも金融系大企業や巨大商社では20代の後半で、1千万円以上の年収があった。
福利厚生も格段に差があり、新婚の社員は家賃十数万円の新築マンションに月額500円程度(5千円ではない)の家賃で入居出来た。
零細企業にはそのような厚遇は無い。
一流大卒だからと言って、必ずしも仕事が出来るわけではない。
東大京大卒でも早慶卒でも使えない学生はごまんといる。
だが、今も昔も同じ学歴カーストがあるのはなぜか?
1つには「同じ境遇を勝ち抜いてきた戦友意識」だろう。
あのクソ難しい数学や英語の問題と格闘して、なんとか難関大学に受かってきた。
特に地方の公立進学校は、東京ほど所得格差も激しくなく、似たりよったり家庭環境から高校受験に合格して進学校に入った。
公立進学校に入ったはいいが、今度は数学や英語がクソ難しくて定期テストや学力テストでは、さんざんの点数だ。
なんとか勉強法を見出して、入試問題と格闘し、異常な入試倍率を突破してきた。
塾長が受けた入試での最高倍率は50倍だった。
当時はそれ以上の倍率もゴロゴロあって、まさに狂気の受験地獄であった。
今は倍率はそれほどではないが、難関校を目指す高校生の皮膚感覚としては、似たようなもんだろう。
私を採用した人事課長は酒の席で、こう言った。
「お前を採用した本当の理由は、お前が俺と同じ静高卒だったからさ。」
彼は後にその巨大金融機関の社長になったが、新卒採用の時点から自分の腹心となってくれる若手を選抜していたのである。
その後の彼との酒の席での会話は決まって、マラソン大会での苦しい練習の記憶、英語と国語特に古典の膨大な課題ノルマ、異常に低い数学テストの平均点、平均点1桁の数学難問、学力テストで張り出される番付け表の順位、行方不明になった同級生のその後の消息、シンナ-自殺した級友、入試範囲を受験までに終えない静高教師の怠慢、75分授業中に睡魔と闘った日々、浪人率6割以上の悲惨な合格率、など苦しい記憶の話題ばかりだった。
「選ばれた林檎たち」にも、それなりに悪戦苦闘の過去があったのである。