ノーマルビュー

還暦老人生徒指導を語る

著者: tommyjhon
2024年3月18日 05:50
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、時間が空いたけれど、教員人生を振り返るの記。


 下田南高校定時制教員を3年やったのち、縁あって静岡県立沼津商業高校へ転勤することになった。結果的に、沼商には3年間しか在籍せず、しかも、副担任→3年担任→1年担任と、途切れ途切れの仕事になったので、それほどの思い入れもないまま去ることになった。現在の学校で当時の生徒だった子が母親となって、その子供とは3年間過ごしたのが救いだ。
 3年目に突如、政治決着のような形で転勤したので、誰からも祝福されなかった。クラスの生徒はそのまま残し、残った教員からは白い目で見られた(と感じた)。離任式後の送別会も笑うことはできずに(逃げるように)去って行った。転勤した理由は次回になるだろうが、惜しまれない転勤は二度としたくない、と決意したし、転勤は内緒でしてはいけないとも思った。事実、その後の転勤は明快に“転勤します!!!!”と振舞った。


 沼商で勤務していた頃、嵐のように平和な学校を襲ったのが、ルーズソックス旋風である。 
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 今となってよく考えると、なぜこんな反機能的な靴下が流行したのかよくわからない。しかし、平成の始まりのころは圧倒的に女子高生の心をつかんでいた。しかも、ルーズソックスには短いスカートがつきものなので、女子の“タンスカ”も同時流行だった。


 そして、教員と高校生の、服装指導追いかけっこが延々と続くことになっていった。
当時、服装指導(生徒指導)が、しっかりできる先生は(先生内部の評価として)「いい先生」であって。違反の服装をしている生徒を、ほったらかしにしているとダメ教員とされた。
「生徒の指導もできないで、何が先生だ・・・・・・・」という悪口・陰口がどこからも聞こえてきた。
ご想像通り、ワタシは生徒指導も服装指導も好きではない。そもそも生徒を型にはめることも好きではないし、生徒が教員の指導で心を入れ替えることはない、と思っている。


 ワタシの服装指導基準で言えば、その服装が、「似合っているか否か」「お洒落か否か」「TPOに沿っているかどうか」が服装の規準であって、制服の着こなしがキレイだったらそれでいいと思う。ルーズソックスで言えば、この靴下は、人間の美しい曲線の一つであるふくらはぎからくるぶしのラインを隠すので、美しいラインを持っている女性にはむしろマイナスである。との結論である。


 このような信条なので、服装指導などやりたくもない。この当時、同じことを思っていた教員は多くいたと思う。服装指導をしている理由は、先輩教員に怒られたくないし、陰口をたたかれたくもないからであって、服装を指導すれば生徒が成長するとは微塵も思っていなかった。
しかも「服装の乱れは心の乱れ」などという、厄介なキャッチコピーで学校が飾り付けられていた。
 そもそも若者の心はいつも乱れているものであって、服装が乱れている生徒は、自分の内面の心の乱れを素直に表出している“いい生徒”である。形だけにこだわって人間を決めつけるものではない、と思うのが普通の人間だと(内面では)反発していた。
この服装指導に何しては、もちろん賛否両論があり、当時、服装指導に教員生命を賭けているようなオーラを醸し出している先生も少なからずいた。そして、その先生の心は純粋であったと思う。とにかく制服をしっかり着用させるのだ、という信念に盾突くことは出来ない。加えて、服装指導をしっかりしている先生って、本当に教員らしい。この立派さを否定できるものでもない。でも、教員になった当時から抱いていた違和感は、今でもなくなることがない。
 こんな生活をしている(自分の気持ちとは裏腹に生徒を押さえつけるような指導)と、体の変調をきたしてしまうぞと感じた時でもあった。


 今の生徒たちは本当に大人しくなり、服装の乱れとかで指導をされる生徒は極端に減った。学校の偏差値レベルの話ではない、(昔は、荒れているという評判がたった)頭のデキの悪い学校から、多少勉強が出来る学校のすべてで、生徒は大人しくなった。これは極論だが、生徒が大人しくなったのと日本が衰退していく流れは一致している。他にも思い当たる節がある。今の生徒たちは、運転免許をとることにさほど関心を示さなくなった。バイクにも乗りたくないらしい。様々なことに対する欲望の塊(異性と付き合いたいとか、スピードを追求したいとか、金持ちになりたいとか・・・・)であるはずの若者はどことなく大人しくなった。


 教員が、生徒を型にはめる指導をくりかえしたばかりに、こんな日本になってしまったとはいえないか????(あくまでも還暦老人の回顧録ね)
今、生徒の中には、「社会福祉」について勉強したいと思う子供たちが一定数存在し、その類の分野を学ぶ学部・学科も存在するのだけど、こういう生徒や学部学科があることすら違和感を覚えてしまう(他に興味はないのかよ?)。
 いやいやながら生徒指導をする時代を懐かしむわけではないが、生徒をとことん従順にさせた日本の教育には賛成できない。



 別に当時の沼商を否定するわけではない。そういう時代だったのだ。
次回は、逃げるように転勤した顛末について話します。




新高2重要 4時から4Fで数列導入教材 7時から2Fで青チャ対応問題

2024年3月15日 22:09
4時から4Fで数列の導入教材です。
ここから本番。
7時から2Fで数列の青チャ対応問題です。
今年は数列を早めに進めて「確率変数 確率分布」にすぐに入ります。
学校の数学授業はさらに加速化します。
理系生だけのクラスになるので、平均点もアップしてクラスの雰囲気が一変する。
いよいよ理系クラスのスタ-トです。

今年の静高受験は数学で差が着いた可能性 合格者は数学で高得点

2024年3月15日 17:21
今年の静岡県入試問題は理科が簡単だったので、数学だけで差が着いた可能性が高い。
静高の受験生は、数学の得点が例年よりも低かった可能性がある。
静附生には数学20点台の受験生も相当数いるかもしれない。
2次関数が去年と同様に新傾向で、問題の意図が掴めない生徒がいた。
資料と統計は独立した大問となり、確率も例年のような基本問題ではなかった。
さらに円の証明問題は図形の合同、相似との融合問題ではなかったので、お手上げの生徒が多かった。
難易度が極端に上がったわけではないが、平均点はかなり下がったはずだ。
静高入学後、新課程でますます負担が大きくなった高校数学についていくために、やはり中学の段階からの準備がますます必要となる。
新課程の大学入試では共通テストに「情報と科学」(通称は情報)が必須科目として加わる。
これで文系科目と理系科目の配点が500点ずつと同じになる。
さらに数学ⅡBCでは数学Cに従来数Ⅲの範囲だった「複素数平面」と「2次曲線」が加わって負担が大きくなる。
理系生と文系生の区別を撤廃する方向に、舵を切ったと見て、対応しなければならない。

静高入試 島附中が静附中を逆転 静附中42名<島附中46名

2024年3月15日 16:43
以前のブログでその可能性を予言していたが、とうとう今年、静高合格者数で島附中が静附中を上回った。
静附中は62名受験して42名合格、島附中は50名受験して46名合格だ。
静附中は3年連続して不合格者が20名である。
不合格者数が多すぎる。
一昨年、昨年と20名の大量不合格者を出したので、今年は受験者数を絞ったが、不合格数が受験者の3分の1となった。
この傾向は一過性かどうかまだ不明だが、おそらく今後も同じような合格者数で推移するだろう。
原因は明白である。
いまさら分析する必要もないが、以後ブログで説明する。

教育コングロマリットB社

著者: tommyjhon
2024年3月15日 05:40
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommy センセです。

ということで、好評につき連載中の自伝っぽい文章を棚に上げて、昨日の慰労会報告。
社内にも読者が多いとのことなので、公開で御礼<m(__)m>


定年の慰労会をしてくれたのは、日本一の教育コングロマリットであり、“シマジロウから墓場まで”で日本人の教育を厚かましいまでに世話をするBネッセ社の歴代担当者さん達。
計3人の方が、本拠地名古屋(支社)からわざわざ富士に駆けつけてくれた。
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ここまで準備してくれて本当にありがとうございました。


 時々、Bネッセ社のことを学校で「癒着」と表現されるけど、ワタシにとっては、よき戦略パートナーであって、よき戦友。友達(戦友)なんだから、自民党安倍派のような裏でドロドロとしたやりとりは絶対にない。
 いつも、担当者殿と、このデータは使えるのか使えないのか、この教材は使えるのか使えないのか、それだけをディスカッションしていた。戦略パートナーなんだから、勝てる武器になるものはすぐにいただく。


 使えないと判断したら使わない。
ワタシは、B社のクラッシーという総合ITシステムを使えないと判断して導入しなかった。GTECという英語能力検定も“少し危険”と判断して使わなかった。(どちらも正しいと思う)


 使えそうだと思うと使う。
B社の面々には、今後教材として伸びそうなのは、オープンチャット機能だよ。さりげなくアドバイスした。
 年の差は30歳以上もある奴らだけど、友情によって結びついているのさ。  



今のB社にそれほど文句はないが、あえて言わせてもらうのなら、未だに教育営業担当は男ばかり。男女共同参画社会とはかけ離れている職場でもありました。某ライバルRクルート社のスタディサプリの担当は、大谷翔平の奥さんばりの美人。
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・・・・このままいくと負けるよ。
ワタシは再任用で、某●●●高校に来年お世話になることが決まったので、「そこんところヨロシク」


















附属中3重要 中3クラスは予定通り静高全員合格です。 おめでとうございます。

2024年3月14日 16:28
中3クラスは予定通り全員が静高を受験して、全員が合格です。
試験当日の自己採点で、全員が想定ボーダ-ラインを楽々超えていたので全く心配していませんでした。
しかしながら、今年は例年に無く静岡附属中生には厳しい入試結果でした。
62人(63人?)が受験して、42名が合格でした。
ギリギリ40人台というのは過去最低レベルです。
公立中学からも優秀な生徒が受験していることが予想されます。
まずは、おめでとうございます。
静高の最初の1学期を乗り切るために、勉強方法を大きく切り替えます。
高校3年間はあっという間です。
だが、その後の人生は限りなく長い。
人生110年の時代なので、高卒後の90年以上を生き抜く必要があります。
その基礎は高3年間でまず築かれます。

還暦老人下田南校からの沼商時代を語る

著者: tommyjhon
2024年3月14日 05:37
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、ヒット数を見る限り“好評につき続編”。


 定時制勤務で始まった教員生活をなんとか全日制勤務に戻そうと定時制生活3年目迎えた。教員は最低3年は同じところで勤務しなければならない掟があるので、その最低年数はここでクリアできる。しかも、当時は大きな味方もいてくれて、彼女(今の奥さん)も、隣の学校で3年目を迎えていた。同時に転勤させてもらわないと結婚できない!!!!!と2人で訴えれば何とかなるだろう。


 そんな3年目に、「人生の師匠」ともいうべき偉大な人物が定時制の教頭として赴任してくる。
 故北山家麿先生だ。名前から察して欲しいが、伊豆半島東海岸のある神社の神主さん(兼職中)である。今、ワタシが勤務している伊豆中央高校から転勤でやってきた。最後の教員生活を伊豆中央高校で迎えるのも何かの縁だなあと感じている。故北山家麿先生には、結婚式の仲人(なこうど、昔は結婚式を挙げる場合は形式的にもお仲人さん夫妻を立てなければならなかった)もやってもらった。この北山センセ、部下の作った書類をほとんど見ない。教員とて官僚の端くれなので、いろいろな報告書の類を、ハンコとともに回して提出しなければならない。今までの教頭先生は、我々若手教員が作成した文書類に細かく目を通してハンコを押したけれど、北山先生は、完全にメクラ判(差別用語として禁止られていますが、文書の芸術性や伝統に配慮して使用を許可します)である。教員生活2,3年の若造が作る書類なんて、ミスが多いのは当たり前なのだけれど、北山先生はほとんど見ない。勇気を出して、「なぜですか」と問うと、
「俺が細かくチェックすると、若い奴が怠けるから、人間が育たないんだ。県教育委員会に謝るのは結局俺(教頭)だから、育てるためには見ない方がいいんだよ」と話してくれた。我々若造教員は、背中がゾクッとなり、背筋が伸びた。結果的に(人生様々なことがあって、教員として管理職にはなれなかったが)この姿勢が晩年のワタシを貫くことになった。教員って信用することが一番の仕事であって、その責任は、信用すると判断した自分にだけなんだ。
ただ、北山先生が書類を見ないのは、毎日が二日酔いだったことが原因かもしれない。


 今は、もう時効なので、話してもいいだろう。お酒が強かったワタシは、定時制勤務後北山先生に誘われることが多かった。同じ社会科の教員でしかも(ワタシも)生意気だから話題に事欠かなかったからだろう。当然、下田駅前で一杯飲むことになり、北山先生は電車に乗って伊東まで帰るのである。その内、幾度かは一緒に終電に同乗する。伊東の行きつけの寿司屋(スナックとかも)に行くのだ。どうせ次の日も午後から勤務なので、全然大丈夫。
 ある日、ある時、故北山先生が、伊東駅から自家用車で家に帰ると言い出した。もちろん、酔っぱらっている。どうやら次の日に自動車を使う予定があるらしい。「飲酒運転だから止めましょう」とワタシは先生を諭した。でも、先生は言うことを聞かない。諦めて先生の車に同乗して帰ることにするが、何と発車した直後から後ろをパトカーがついてくる。同じスピードでずっとついてくる。とうとう家の駐車場まで付いてきた。この場合、飲酒運転の北山先生は捕まるが、ワタシはどうなるのだろう?そんなみみっちいことを考えていたワタシは急に恥ずかしくなった。


 「北山先生ですね。伊東警察の〇〇ですね。●●高校の時にお世話になりました」「先生が事故を起さないように自宅までパトロールしておりました」「では、これで失礼します」と警察官は挨拶して去って行った。北山先生は「おおっ、ありがとさん」とだけ答えた。
そしてワタシは、こういう先生にワタシもなりたいと思ったが、こういう先生は二度と現れず、他の人は絶対にこういう先生になれない。と考え直した。
その後30数年、北山先生を超える管理職に最後まで出会うことはなかった。


 ということで、その3月にお目出度く私たちは2人そろって転勤を果たす。定時制という仕事場以外は楽しかった下田から離れることになった。
転勤先は、彼女(今の奥さん)が、県立富士高校で、ワタシが沼津商業高校だった。
県立富士高校というのは、ワタシの母校である。したがって、ここからちょっとややこしい人生も始まることになる。


 この富士高校という学校が、教員生活に相当な影を落とし、その数倍の光を当ててくれた学校であって、小学校時代にプールで遊び、中学校時代に文化祭に行き、現役高校生活を3年間過ごし、女房(ついに結婚したので)が2度の産休育休を含めて10年間過ごし、その後転勤した私が12年間過ごし、息子の一人が3年間過ごした学校である。
静岡県立富士高等学校 - Wikipedia
ワタシは、富士高校の看板部活である百人一首部の第12代目の部員であった。


 今回は、下田南高校から沼津商業に移る時の話なので、百人一首部(競技かるた)の話を除く。
沼津商業に転勤すると、そこでとんでもない人物と出会うことになる。今日の最後は、この思い出話。


Youtubeに張り付けたのは、あの富士高体操だ。このヴァージョンは、ワタシの親友、倉藤理大先生が編曲をし直して原盤を忠実に再現したものなので、昔、生徒としてテープの伸びきったバージョンで練習した世代には違和感があるかもしれない。ただし、この富士高体操の出だしは、富士高OBOGならば絶対に覚えているだろう。
「創作 斎藤正雄 作曲 望月桑太郎 全員 気を付け・・・・・・・」で始まる 最初の部分である。


 私が転勤した沼津商業に、サイトウマサオという体育の先生がいた。もうすぐ定年を迎えるベテラン先生だが、何となく私に優しくしてくれた。好好爺風の大人物でどの若手教員からも慕われており、宴会の中心人物だった。
転勤当初から、ある疑問を持っていた私は、ある日、そのことを勇気を出して聞いてみた。
 「サイトウマサオ先生って、あのサイトウマサオですか?」


「ああ、そうだよ。富士高体操は俺が作ったんだ。全部」「全部ですか????!!!!!」
「そうだ。若手教員だった俺は、体操作れって先輩に命令されて、全部作った」
「つまりあの、創作サイトウマサオ、作曲望月桑太郎のサイトウマサオですか」
「もちろん、そうだ」


 私が高校1年生から覚えこまされた富士高体操は、てっきり明治か大正時代の制作だと信じ込んでいた。(それくらいダサイ)。だから、斎藤正雄も望月桑太郎も、とうにこの世からいなく、どこかに色あせた肖像画があるだけだと勝手に思い込んでいた。
その斎藤正雄が、現実にその場にいる!!!!!!!
 教員生活でこれほど驚いたことは他にない。
某高校勤務時代某美人女性教員の朝帰りの現場に出くわした時でも、こんなに動揺しなかった。この時見たものは実物だが、サイトウマサオはマボロシだ。


 その後、斎藤正雄先生はご退職されたのだが、10数年後、ワタシが富士高校に転勤してこの情報を新聞部に流すと、堂々と新聞部が取材に出かけて、富士高関係者全員のマボロシを白日の下にさらすことになった。そして、その数年後、富士高富祭体育の部に斎藤正雄先生がサプライズで現れて、富士生が斎藤正雄先生の前で、その富士高体操を披露することになる。斎藤正雄先生は、涙を流されておられた。


今日は、下田南高校時代と沼津商業高校時代に出合った、お二人の傑物に関する話でした。
次回をお楽しみに。
 


















中1重要 数学「正負の乗除混合計算」は全員合格 英語は早くもスペルミス続出

2024年3月13日 11:26
数学の「正負の乗除混合計算」は。全員の正答率が高く合格である。
ただし、解答の速度には差があり、自宅での反復練習を繰り返そう!!
英語の「重要例文暗唱」で、早くもスペルミスが続出している。
スペルを書いて覚える回数が圧倒的に少ない。
1つの単語を書く回数は、数回でも数十回でもない、数百回は書かないと潜在意識の中に刻み込めない。
練習回数の桁を感違いしている。
「例文にSVCを入れる意味があるのか」という質問をした生徒がいるが、意味は大ありだ。
5つの基本文型のなかでは、SVCの第2文型を使うことが圧倒的に多い。
英文を書く時も、読む時も、SVCが8割以上である。
英文の基礎中の基礎なので、今こそ、これを完全にマスタ-する。
英語の学習が進むにつれてSの部分がどんどんと長くなっていくが、どこからどこまでがSであるか瞬時に判断できるようになれば、それだけで英文読解の練習の半分以上は終わったことになる。
SVCではS=Cであることを理解して暗唱しよう!!






過去が未来を決めるのではない。未来が過去を決めるのだ。

2024年3月13日 11:06
理論物理学者の佐治晴夫氏は述べている。
「全ての過去は書き換えられる。」
「未来が過去をつくる。」
普通は、過去と現在の延長上に未来があると考える。
未来において成功できないのは、過去において失敗をしたからと考える。
だが数学の世界では、理論的にその全く反対が成り立つ。
数学には、確率統計の分野で特に注目を浴びている「ベイズ統計」があり、これこそが「全ての未来を書き換えられる数学」である。
このブログでも何度か登場したベイズ確率で最も有名な問題「モンテイホール問題=3つの扉」は、ゲームの参加者の内、最初から正しい選択をした者より、最初に間違った選択をして、次に別の選択をした者の方が成功する確率が2倍高い。
ここでポイントになるのは「最初に間違った選択をした者のみ」にチャンスが与えられ、次に正しい選択をして2倍の確率で成功するという事だ。
「最終勝者となったゲームの参加者は、最初に失敗したからこそ、最後には成功した。」となる。
心理学の世界でも、アルフレッド・アドラ-は述べている。
「過去の経験が私達に何かの決定をしているのではなく、私たちが過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって自らの生を決定している。」
つまり「過去の意味づけを変えれば未来は変えられる」のである。
今年の大学入試はほぼ決着した。
今年も「高校入試は受かって当然、大学入試は落ちて当然」の原則通リになった。
志望校に受からなかった生徒は、その失敗に意味を与えなければならない。
意味を与えるためには、落胆し悲嘆にくれる日々を逃げてはいけない。
その悲嘆の時間のなかで、深く深く考え失敗の原因をしっかりと見つめ、方法を模索し戦略を立て、戦術を工夫する。
君たちを待っている輝かしい未来において、あの浪人時代こそ最も意味のある日々だったと思えることを祈っている。



還暦老人過去を語る。

著者: tommyjhon
2024年3月13日 05:50
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、定年まであと3週間となった日々をコソコソと過ごしている。今年度は3年生しか授業がなかったので、彼らが卒業した今は何も授業がない。したがって、何となく他の教員に悪い気がするので、コソコソと隠れるような日々である。今日は、事務室でいろいろな定年に関する書類を書くことになっている。例えば、退職金の振り込み請求用紙などだ。退職金とて請求をして指定口座を登録しなければ支払われることはない。


 それで、暇に任せて、23歳で静岡大学を卒業してそのまま教員となったあたりから、私の履歴を残しておこうと思う。明日もそうだが、今後“退職を祝う会”みたいなものが各地で開かれる予定である。(勝手に思っているだけで、具体化しているものは何もない。コロナ禍で、そのような催しを開く文化が消滅したことが悔しい。退職を祝う会が開かれるほどの人望がないことも要因の一つではある)
 そのいざという時に、会の幹事長が困らないようにこういう媒体に記録してあれば楽だろうと思う。


 教員になって2年目の正月、当時過ごしていた静岡県立下田南高校のすぐ近所に住んでいた私は、ある日の朝「学校の国旗掲揚台で半旗を揚げてくれ」と頼まれる。それまで、半旗という言葉さえ知らなかった。これが平成の始まりである。平成元年は1989年のことで、私はそこから逆算して1988年から1990年の3年間、静岡県立下田南高校の定時制の教員として働いていた。


 教員採用試験に合格し、先生になると決まっていた私は、「絶対に女子高に勤務してやる!!!!!」と妄想していた。教員採用試験に合格したので、その時点で就活はやめたが、その時代はバブル真っ盛りで、3社~4社ほど内定みたいなものを頂いていた。もしかすると証券会社勤務になっていたかもしれない。「ああ、良かった」。
3月の下旬になり、いよいよ静岡県教育委員会関係者(後から、教頭先生だとわかる)から電話を受け、静岡県伊豆地域の最南端、下田南高校に内定したので面接に来てくれと言われる。なんと、下田南高校は女子高ではないか!!!!!!!!! 人間、念ずれば思いは叶うのである。すぐに友達に電話してリサーチすると、下田南高校は普通科と商業科があり、普通科だけが女子高で商業科は男子生徒もいるとのことだった。「まっ、半分女子高だから満足」と喜びながら、東海道線を熱海駅で乗り換え、東海岸を鉄路で南下して南国の匂いがする下田の街に降り立った。


 下田南高校は、下田の街中にあり伊豆急下田駅から徒歩10分程度のところにある。進学校として有名で、且つ豆陽中学として明治12年からの歴史を誇る下田北高校(現、下田高校)は、蓮台寺駅という田舎にあるので、立地的には下田の中心の学校である。そこに星雲の志を抱いて一歩踏み込んだ私は、堂々と校長室に入り、少しばかり世間話をした。そして、「では、職員室に行きましょう」と誘われて向かった先は、今でいう印刷室みたいな北向きで暗くて肌寒い小さな部屋だった。普通、新任の教員が3月中に職員室に誘われることはない。スパイ小説を愛読していた私は、「職員室に行きましょう」と誘われた時点で疑問を感じるべきだったのだ。
 その倉庫みたいな部屋が、定時制の職員室だったのである。
ワタシは、下田南高校の定時制の社会科の教師として採用されたのだった。もちろん、1年目は担任ではなかったが、2年目に1年生の担任となり、3年目には3年の担任となった。この当時、日本の若者の最後の急増期で、静岡県にも新設の県立高校がバンバン建てられ、私立大学の偏差値もバンバン上昇していった頃だ。ワタシが担任となった1年生は、(定時制なのに、なんと)41人も新入生がいたのだ。なんと定時制の1クラスが41人(年は41歳の方がお一人で、あとは15歳)というだけで、私の心労を理解してほしい。それからの2年間は、日々の終わりに「今日は何もなかったね」と帰れることだけが楽しみだという生活をしていた。学校での唯一楽しみは、当時、野球部監督をしていたことだけだった。この悪党どさくれ野球団は、(欽ちゃんの番組で有名な)定時制の神宮大会(甲子園)を本気で狙っていた。ただし、選手層が薄く(当たり前だ)、主力がケガをすると一気に弱小球団になってしまい、神宮の夢がかなうことはなかった。もちろん、ワタシは野球経験者ではないし、ノックもできなかった。
 学校での楽しみがない代わりに、休日の楽しみはゴロゴロあった。日本一きれいな白砂の砂浜には歩いても行かれるし、当時のスーパースキーブームに乗じて、冬にはスキーばかりやっていた。海にも行けない、スキーもできない休日は、かならずどこかにドライブに行った。我が愛車は、トヨタのスカーレットKP71というスピード狂の入門車みたいな車で、そこそこの改造もしていた。
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正確ではないが、↑こんな車。


 ドライブや海やスキーに、飽きることなく付き合ってくれたのが今の奥さんである。当初は、ワタシと付き合うというよりは、海やスキーに付き合ってくれる人であったと思う。
今の奥さんには、妹が二人いて、この下田時代に初めてその妹たちに会った(要するに偵察)のだけれど、その妹たちは、お姉さんの彼氏(ワタシのこと)のことを早速実家に報告したらしい。後で聞いたのだが、その報告は、「良かったよ。心配しないでね。チビでデブだけどハゲではないよ」という慰めの言葉だった。


 この下田南高校は、今やない。病院とその駐車場に成り代わってしまった。
でも、下田の街並みや風景は、高校がなくなった以外は今でも変わらない。ワタシ達老夫婦は、今でも必ず夏に一度は下田に出かけて行って、24~25歳ころに遊んだビーチに行くことになっている。


 次回は、沼津商業時代の話ね。お楽しみに。 














再度 まじっすか新課程入試 共通テスト数学ⅡBCの負担増 

2024年3月12日 14:01
今年の新高3から始まる新課程入試共通テストでは、理系文系とも数学ⅠAと数学ⅡBCが必須となる。
時間は数学ⅡBCが70分と10分増えている。
大きな変化は数学Cが新たに加えらえたことだが、数学Cの内で「2次曲線」と「複素数平面」は去年までは数Ⅲの範囲だったので共通テスト範囲外だった。
いよいよ文系生も旧数Ⅲの内容が必修となった。
文系生はえらいこっちゃ、まじっすかという状態で、災難としか言えない。
だが、昔の高校生からすれば「ざまみろ!!」なのである。
以前は文系生も数Ⅲや物理化学は必修科目で、反対に理系生は倫理や政経、世界史、日本史も全て必修科目だった。
ゆとりバカ世代の大卒者に目に見えて理数音痴が増えたことや、AI時代に文系や理系の区別など言い訳にならない事態になったことが理由だ。
だが、理系生にとっても「複素数平面」は難易度が高く、つかみどころがない単元なので、文系生はさらに負担が大きい。
共通テスト数C範囲の中で、3題中2題の選択となるため定番のベクトル以外に数列か複素数平面、2次曲線の内の1題を選ぶことになる。
2次曲線は計算量が多いので時間を食うため不利だ。
すると数列か複素数平面の2択になる。
両方とも難易度が高いので「前門の虎、後門の狼」でさてどちらにしようか迷う。
理系は複素数平面の学習が高3の1学期学習になるため、共通テストまでの時間が短くてかえって有利のような気がする。
負担増といえば「情報」も共通テストの必修科目に加わる。
これで文系科目500点、理系科目500点の均等になる。
「情報」は新星生の得意科目だ。
校内テストで100点やクラス1位は当然と思っている生徒が多い。
さあ、いよいよ皆さんの時代だ。


新中2重要 乗法公式と因数分解は暗算力勝負

2024年3月12日 12:54
昨日は数学の乗法公式で点差が着いた。
乗法公式は、いちいち分配法則で展開する手間を省くための公式だから、暗算力勝負だ。
だから昨日は暗算が得意な生徒が最高点だった。
暗算力は訓練で身に着く。
昔はそろばん塾が各地にあったが、今は姿を消してしまった。
実は最強の計算力を持つ生徒は「そろばん塾」の経験者だ。
高速暗算力では公文式の上を行く。
そろばんを使えなくても、頭の中で数字を操作する訓練をしてみよう。
数学の得意な生徒は問題を解く前に、あらかじめ頭の中で計算をして「答えの見当=予想値」を出しておく。
すると筆算の途中で答えの予想値とずれると間違えている可能性が高いので、修正することが出来る。
この能力差は入試や高校数学で大きな違いをもたらす。


新高2 数学校内テスト90点の境目 

2024年3月12日 12:19
数学の学年末テストが返ってきましたが、90点以上とそれ以下との差が別れた。
今回の範囲が指数対数を含むので、難易度は高くない。
平均点もまあまあの高さだ。
90点以上を得点できる生徒は、例外なく全て「正確で速い計算力」の持ち主である。
「丁寧で正確」であっても遅ければ、時間以内に全問を回答できない。
そこが1つの壁になっている。
数学は校内テストも入試も「速さと正確さ競う競技」なので、その本質を自覚して訓練しなければ「競技力」は向上しない。
机の上に時計を置いて日々練習しよう!!
さらにストップウオッチを置いて、毎回のタイムを計測しながら練習をする。
競技には時間がつきものだ。
陸上も競泳も0.01秒の差でメダルが取れるか取れないか、メダルの色はどれかが決まる。
東大入試では合格最低点は0.0001点まで表示される。
550点満点で小数点以下4桁で合否が別れるなんて、なんという世界か!!!
日々1秒の勝負を意識して訓練しなければ、その壁、今そこにある壁は乗り越えられない。







新高1重要 数学平方完成は最大値最小値を求める最強の道具

2024年3月12日 12:02
最初の授業で毎年恒例の「平方完成」の訓練をやりました。
この平方完成は高3の最後の最後まで出てくる。
なぜなら関数の最大値最小値を求めるためのいくつかの方法の中で、最も頻繁に使う道具だからだ。
関数の最大値最小値も高3の最後まで延々と出てくる。
なぜなら「最大値最小値存在の定理」を全ての関数について、確かめるためだ。
なぜ「最大値最小値の定理」が重要であるかと言えばこれが「微分;平均値の定理の前提定理」だからだ。
この「平均値の定理」こそが、高校数学の最重要定理とされている。
高校数学は「微積分法」をマスタ-することを目標としている。
その他の分野も微積分法と繋がっている。
「平均値の定理」は実は、2次関数でも適応できる。
次回はそれを説明しよう。
山の頂上が見えていれば、ふもとからの長い道のりも苦にならない(はず)


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