ノーマルビュー

藤井智弘君 名古屋大学工学部合格おめでとうございます

2024年3月25日 18:48
藤井智弘君 名古屋大学工学部合格おめでとうございます。
当初の希望だった「化学生命工学」の研究の道に進めるのは、大変に恵まれたスタ-トです。
名古屋大学は工学部が中核に位置する大学です。
日本最大の工業都市名古屋は、先端科学技術が日進月歩で進化しています。
それに歩調を合わせて名古屋大学は、総合大学としては東大京大に肩を並べる日本3大国立大と呼べる地位を確保している。
ラグビ-部で鍛えた体と心で初志貫徹してください。
何よりも優秀なお父さんと優しいお母さんに、親孝行ができたことが第一です。
新星の同期生と、京都にある無料ホテル「ホテルクボシン」での再会を楽しもう!!
鴨川のほとりにある素敵なホテルです。


全ての賭博は最後に必ず損するように仕組まれている

2024年3月25日 16:21
大谷選手の通訳が賭博で作った多額の借金を、大谷選手が肩代わりして返済した問題で、マスコミが騒いでいる。
通訳の発言で1つ大きな間違いがある。
「自分にはギャンブルの才能がなかったので、多額の借金を作った。」と言う発言だ。
残念ながらギャンブルの才能のある人間など誰もいない。
なぜなら全ての賭博、ばくち、ギャンブルは最後には参加者=プレ-ヤ-が必ず損をするように入念に設計されているからだ。
賭博はそれを主催する胴元と、掛け金を払って参加するプレ-ヤ-で成り立っている。
胴元は自分が必ず儲かるように、仕組みを入念に作り上げる。
日本最大の賭博は「年末ジャンボ宝くじ」である。
1等賞金が7億円と言う巨額な博打だ。
胴元は表向きはメガバンクだが、裏で仕切っている黒幕は総務省、つまり日本政府だ。
全ての賭博で参加すべきか、すべきでないかを判断する明確な基準として「期待値」がある。
これは「未来の平均値」というべき数字で、賭博の参加料に対して見返りがいくらあるか計算する。
宝くじは1枚300円で販売するが、それに対する見返り=期待値は149.995円、つまり150円で掛け金のちょうど半分しか戻ってこない。
期待値は50%なので、全く割に合わない投資だ。
期待値が100%未満の賭博は損するので、やるべきではない。
ところがこの年末ジャンボ宝くじは、1ユニット2000万枚も販売するのにも関わらず売り切れる。
購買者は「結果のかたより」「事象の偏在」「確率のゆらぎ」に惑わされるからである。
誰かが特定の販売窓口で1等を当てたとか100枚買って2等1000万円と3等100万円を当てたと聞くと、自分も当たるのでないかと錯覚する。
ちなみに1等の当たる確率は0.00000005,2等は0.0000002、3等でも0.000002だ。
この驚異的に低い当選確率に追い打ちをかけるのが確率論でいう「大数の法則」である。
「結果のかたよりのいたずら」で、6等の3000円や7等の300円が当たった購買者は、次は100枚ではなく1000枚、2000枚と購入する金額を上げていく。
ところが購入枚数や購入回数を増やしていくと、大数の法則によってますます期待値に近づいていく。
待っているのは0.000002や0.0000002という絶望的な当選確率だ。
日本政府にとっては長期期間に渡って、大口枚数を買ってくれる国民は最高のカモなのである。
競馬や競輪なども期待値の計算は胴元によって入念に計算されていて、参加者は必ず損をするように仕組まれている。
1回や2回の「結果の偏り」「事象の偏在」「確率の揺らぎ」で万馬券や万車券を当てても、ギャンブル依存症の人間は生涯にわたって胴元によってしゃぶられ続ける。
ヘロインや覚せい剤の事を「シャブ」というのは、胴元によってしゃぶられるからである。

新中1重要 悔し涙を流した生徒は必ず伸びる!!

2024年3月25日 15:36
前回の授業で得点が他の生徒よりも少し下だったので、悔し涙を流した生徒がいた。
満足いかない結果に対して、素直に悔しさを表に出すのは、良いことだ。
中3生にいつも言っているのは「入試の合格発表で涙を流すなら、悔し涙ではなく嬉し涙を流そう。」
今年卒業した新星生は、全員が静高を受けて全員合格したので、悔し涙を流すことはなかった。
だが、静附中全体では62名受けて20名が不合格になっている。
新中1生は旧中3生と同じくらい潜在能力があるので、これから飛躍的に学力が伸びていくだろう。
他の生徒に負けたくないという闘争心を燃え立たせて競い合おう。
前回悔し涙を流した生徒は、必ず学力が伸びていく。
そのための秘訣は自宅での復習である。
ライバルが見ていないところでの練習が学力を伸ばしていく!!

還暦老人メンタルトレーニングを語る

著者: tommyjhon
2024年3月25日 11:04
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、好評連載中の教員人生を語るの記。


 元長泉高校かるた部で指導者人生をスタートしたワタシは、全国優勝できるチームを預かりながらも、全国大会の舞台で滑り続けていた。自嘲気味に「シルバーコレクター」と称したが、完全に自虐ネタである。競技者としてはそれほどでもないので、自らがお手本を見せることもできない。かるた競技は誰でもそれなりに強くなることは出来るとは思うが、一流選手になるためにはそれなりの才能が必要である。そんなことは高校1年生の時から身をもって体験していた。ワタシは長泉高校かるた部の強さ序列ではいつも6~7番手の選手だった。
 そこで、答えを“競技者として強くなる普遍的な方法”に求めた。より体格が必要である競技ではウエイトトレーニングなどが普遍的な方法である。パワーは格段に強くなる。晩年、野球部の(なんちゃって副部長)を務めたが、当時の監督は、「野球で全力疾走が必要なのは一試合15分」と割り切る徹底的な合理主義者であって、単純なランニングなど目もくれなかった。そう考えると、野球部の選手が校内マラソン大会で優勝するなど、完全な競技のミスマッチである。(大谷翔平に一番不釣り合いなのはマラソンだ)
 競技かるたは、筋力も体力もそれほど必要ではないので、普遍的な方法として縋りついたのが、“メンタルトレーニング”である。
2000年当時、世の中にメンタルトレーニングなる練習方法が一気にメジャーになっていった。その嚆矢になったのが、西田文郎著の『NO1理論』だと思う。
Amazon.co.jp: No.1理論 ―ビジネスで、スポーツで、受験で、成功してしまう脳をつくる「ブレイントレーニング」 eBook : 西田文郎: Kindleストア

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この西田文郎氏を始めとする指導グループがサンリという企業を起していた。
メンタルトレーニングなら株式会社サンリ (sanri.co.jp)

この本を読みこみ、友人に紹介をしてもらって、サンリの門を叩いた。(指導をうけるというよりも、講義を聴くだけ)


そして、このメンタルトレーニングを自己流に解釈し、自己流に伝えていった。
結果的に、長泉高校かるた部は、ワタシの監督時代に2度の全国優勝を果たす。しかし、メンタルトレーニング技術は、その要因の、ほんのちょっとだけ貢献した。それよりも、もっと大きくワタシの生き方に貢献してくれた。
今や、メンタルトレーニングは一つの業界を構成してスポーツ業界をはじめとする様々なところで、競技者(サラリーマンも)をサポートしてくれている。なんと、ワタシの教えた生徒から、プロのトレーナーも出現している。
(1) Facebook 宇佐美円香 さんという方だ。詳しくはFacebookで検索しね。彼女は富士高時代の生徒で長泉高校とは関係ないけれど、ここ2年くらい仕事でお世話になっている。彼女もこのブログの読者の一人なので、プロが読まれている場面で、(ブードゥー教かもしれない自己流)メンタルトレーニング論を書き連ねることは無理がある。

 ただし、少しは他の競技の指導者も高校教員には数多くいて多少は参考になるかもしれない。また、ワタシの行き方に大きく貢献してくれたとあるが、人間を一瞬にして「頼りになる人間」と「あてにならない人間」に振り分けできるのは、このトレーニングノウハウを逆手にとって身に着けているからだと思う。
例えば、「将来の夢は教員です。」と答えた奴に希望はない。教員という仕事は、夢を実現する手段の一つであって、教員になってからが本当の教師への道が始まるのだ。18歳の少年少女が22歳で実現できることを“夢”と語ってはいけない。
 メンタルトレーニングの第一歩は、目標設定なり達成手段なりを、正しく順序だてて明確に構成しなおすことである。大谷曼荼羅というのが流行語になったが、まさしくあの通りだ。
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 こうやって、今できることとできないことを明確にして、出来ることを出来るようにしてメンタルを強くしていくのである。
メンタルトレーニングでは、出来ないことを無理にやらせるのは“脳みその構造”(人間の精神の構造)として全くの逆効果である。何かに取り組前に、人間は知らず知らずのうちに守りに入ってしまい、体(身体)が脳をストップする前に脳(精神)が体を逆にストップさせてしまうのである。おそらく、この脳(精神)と身体の関係を上手に“出来る方向(達成可能な方向”に向けていくのがメンタルトレーニングの理論だ(と解釈している)。


 例をあげる。高校の運動部では、「インターハイ優勝」や「甲子園優勝」を目標として掲げるチームが多い。生徒がその気になっていない、その実力が備わっていないチームが目標を「インターハイ」などをしている時点で、生徒の誰も成長しない。だって成長する理由がないのだから。
監督や顧問の中で、“見栄で”とか、周りの手前上とかで、目標だけ大きくする方がおわれるが、そういう人間はワタシのカテゴリでは、信用できない人間だ。花巻東とか大阪桐蔭だったらその目標も理解できる。甲子園優勝などを掲げるチームは、目標そのものが“言い訳”になっていることがわからないのだろうか?
 
 したがって、(次の例)「お前たち、メンタルが弱いから、メンタルトレーニングを行う」というメンタルトレーニングの導入は、100%逆効果である。頭の構造を「メンタルが弱い」とレッテル貼りしてしまったら、頭(精神)の構造を作り変えるトレーニングをすることはできない。メンタルのトレーニングは、「知らず知らずのうちに鍛えられてくる」ものである。
 その辺にいるでしょ。「メンタルを鍛えろ」と訓示を垂れる人間が・・・・・信用できない人間NO2だよ。
メンタルは、出来ないことが出来るようになって初めて鍛えられるもの(次のタスクもできるようになると錯覚して、その次も・・・その次も・・・)である。「この子はメンタルがダメだから・・・・」という指導者は、「その子ができるようになる技術指導を出来ない」指導者なのだ。
先ほどの登場した宇佐美メンタルトレーナーを伊豆中央高校に招いだ時、一番初めに生徒にやらしていたのは、紙を指先で切る奥義だった。(本人からの指摘があり、本当は、紙で木を切る、でした。


一瞬、どの生徒も出来ないと思ったに違いない。紙ははさみで切るものであって、指で切るものではない。(ここも削除し、さすがに木は紙で切れるわけがないと信じている)しかし、やり方(体の動かし方)によっては切れるのである。「出来ないと思っていたことが出来るようになる」ことから始めるというのは、やはり鉄則なんだな。と20年来の勉強を後付けで証明してくれた。
 このことは、進路指導にも生きていて、「信頼できる奴」と「信頼できない奴」に分けることが簡単にできる。信頼できる奴は、「出来ないことを目標に立てたり、カッコいい目標をカッコよく言ったりする奴」であって、勉強が出来る奴は常に謙虚だ(つまり積み重ね)。


 これらのことから、ワタシは百人一首競技の指導を、「体の使い方、暗記の仕方」という技術指導だけにすることにした。何かが出来るようになれば次が出来るようになるのだ。そして、ワタシ自身は、メンタルトレーニングを(自分勝手に)卒業し、「身体の使い方」に興味が移っていく。(以降の連載をお楽しみに)


 肝心のメンタルトレーニングは、実は競技かるたの世界そのものが、メンタルを勝手に強くしているものだ、と気が付いていた。競技かるたの世界は、競技力の段階によってA級からB級・・・今やF級までにクラス分けしている。F級を卒業しなければE級に昇格できないし、E級を卒業しなければD級になれない・・・・ワタシトて実力でA級には到達した。その級に連動しているのが段位であって、4段以上を一般的にA級選手という。全日本かるた協会の主な収入源もその昇段料にある。
 したがって、A級で何度も優勝を繰り返す猛者たちは、メンタルがとてつもなく強い。もう、メンタルが強いから競技かるたが強くなったのかか、競技かるたが強いからメンタルが強くなったのか、全然考察できないくらいだ。
一般男性諸君「気が強い女」を探したければ、競技かるたの世界に行ってごらん!!!!(このブログの読者には、強豪のA級選手もいるから、文句がくるかもしれない。文句が来た途端、すぐ訂正の連絡をだします)
 ゼロから競技かるたを始めた選手は、A級選手くらいになることで、かなりのメンタルの持ち主となる(少しずつ、実現可能な目標をクリアしていて、自信をもって競技に臨む人間)これは、大阪桐蔭や花巻東のレギュラー選手にもいえることである。そこに上り詰めるだけで凄い。県内の強豪チームの選手が、甲子園に行って実力を発揮できないのは、このステップを上がっていけない典型だ。「県内で優勝」を目標にしている選手は、甲子園にでたとろで目標を失う。
 また、競技かるたは、高校生になって初めて取り組む競技である。(その当時は・・・今や漫画ちはやぶるのおかげで、この前提がくずれた)だから、その学校のs先輩が同じことをやって全国優勝したとなれば、同じことをすれば優勝レベルになるこては当たり前のこととして、次の選手の脳(精神)に植えつけられる。目標設定が楽な競技だ(だった)


 ここまでのことを本能的にやってのけたのが、高校のクラブ活動として競技かるたを育て上げ、その栗栖先生の元で、実際に全国優勝を実現してしまったのが、富士高校かるた部なのである。今から、60年前くらいのことだ。自分が指導者になってみて、メンタルトレーニングなどを勝手に解釈してみて、初めて理解できたことだ。
先生は、対戦相手のことは、強いとは一切言わず、「勝つのは少しかったるい相手だがチャンスがないわけではない」と言いながら選手を送り出していった。自分たちチームを「弱い」とは一切言わなかった。選手として負けても「経験だけの差」とか「運だけの差」と必ず評してくれた。
 長泉高校かるた部は、その栗栖先生が、初代顧問として作り上げた高校の部活動である。生徒たちは入部してすぐに、目標を「全国優勝」として掲げたことだろう。これは荒唐無稽のおとぎ話ではなく、実際にそうだから。(最初の出場は、準優勝だった)栗栖先生は、「ここで優勝したら他の高校に申し訳ない」と口にしていたが、優勝してもおかしくなかった。


 そうして、メンタルトレーニングを勝手に自分なりに(競技かるた風に)アレンジしたワタシは、大きなことに気づく。
全国優勝といっても、インターハイの100メートル競走ではなく、かるた競技の団体戦なのだ。それならば、彼らの到達目標は、案外低いところに設定できる。
かるた競技の団体戦というのは、5人が一斉に一対一の競技として対戦するので、3勝2敗でも勝は勝ちである。別に相手チームに5-0で勝つ必要はない。しかもしかも、この並び順(選手を当てるシステム)は、対戦の直前になってランダムに唐突に決まる。自分のチームは、1番手に●●、2番手に▽▽、3番の場所に◇◇と並び順を申告し、相手チームもおなじことをする。なので、主将(一番強い)と5将(一番弱い)が当たることもあれば、主将が主将とあたることもある。一難力の差が感じられる対戦は、主将VS主将、副将VS副将、三VS三、四VS四、五VS五、なのだが、この確率は、5の階乗、5×4×3×3×1しかない。つまり1/120しかない。逆に、主将VS5将、副将VS4将、三将VS主将、4将VS副将、5将VS三将(この並びが一番大逆転を起しやすい、ジャイアントキリング並び)だって、確率的にはありうるのだ。


 ならば、先ほどのメンタルトレーニングで述べた、「目標可能な到達目標」は、全国優勝ではなく、全国優勝にならぶ実力とすればいいだろう。しかもしかも、競技かるたの競技としての最大の特徴は、大接戦の最終形態が一枚VS一枚(通称イチイチ)になることだから、どんなに実力差があっても、二勝二敗最後はイチイチという展開になる。そうなれば50%の確率で勝つことができる。全国優勝は一番素晴らしい栄誉だが、全国優勝が目標ではなく、全国優勝を50%の確率まで引く出せるレベルが目標なのだ。
 この気づき以来、自分の指導する部活の目標を「全国選手権の決勝戦で、二勝二敗最後はイチイチ」のレベルまで引き下げた。
これで、相当楽になった。生徒も理解しやすかったと思う。
そして、たった全国で8校というレベルで始まった高校かるた競技世界は、ワタシが長泉高校を去るころから、勝つのはそれほど簡単ではないレベルに上がっていく。特に静岡県内の某高校の台頭がすさまじかった。


 他の競技にでも、同じことで、「強豪校と大接戦、あとは運」というのが、一番の(高校生らしい)到達レベルである。
そして、監督は、メンタルのことを絶対に勝因、敗因にしてはいけない。強いメンタルを作り出すのはこの技術が習得できているという自己の身体であって、メンタルの弱い競技者の出現は、その技術を習得させることが出来なかった指導者の技能と責任である。


 と、定年を迎えるまで書くに書けなかった部活動の指導について書いてみた。
簡単に言えば、「出来るようになる指導をしてくれる指導者」が一番素晴らしいのである。ワタシが出会ったリトルシニアの指導者や、長年静岡の県内中学の吹奏楽で指導してきたS山(読者よ)、自らも声楽家として活躍しているK藤、今のI豆中央の男子バレー部コーチのZさん、とかね。


 今日は、再任用ハーフで4月から採用されることになった、清水西高校に午後から出張でして、なんとブログの更新時刻は11:00!!!!






























 












































還暦老人連載企画に戻る

著者: tommyjhon
2024年3月24日 08:25
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 とうことで、伊豆中央高校の教員生活もあと1週間。ワタシは静岡県富士市出身富士市在住でありながら、教員キャリアとして、沼商3年、長泉8年、伊豆中央3年と、この伊豆半島の付け根付近で14年も過ごしたことになる。清水東にも8年在籍した。今度の異動では清水西となり、どうも富士富士宮地区に嫌われているようだ。静岡県民は、ワタシの通勤手当を負担してくれてましたが、そもそも通勤手当を多く出すような人事に問題ありだと思うがねぇ・・・・


 この伊豆半島の付け根付近でも、一番の思い出はやはり長泉高校である。
もうかん口令はひかれていないと思うので、暴露話をひとつ。
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静岡県立静岡がんセンター - Google マップ

 まずは、静岡県立しずおかがんセンターで、Googleマップを検索。その少し南に静岡県立長泉高校跡碑がある。そこから北に向かうと、スルガ銀行が中心となって開発した別荘地が広がり、中心にスルガ銀行本社ビルがある。この辺りを一般的には駿河平と呼んでいるが、静岡県の地方銀行の一つ、スルガ銀行の本拠地でもある。
 今から、23年前、(あとで、なぜ23年前と正確に覚えているのかがわかるのでお楽しみに)このスルガ銀行の本拠地である駿河平一帯を異様な数のパトカーがうろうろしていることがあった。もちろん、その入口でもある我が長泉高校の前にも数台のパトカーが警備に当たっていて、長泉高校の職員内では、Tommy君が一番の容疑者であると騒がしかった。(ワタシが潔白であることを証明できないのが辛い)

 その頃から、政財界の裏事情に詳しかったワタシは、(今でも正体を明かせない)消息筋から、「皇太子妃(当時)雅子様が、静岡県東部のとある病院で不妊治療を受けている」との情報を得た。皇太子妃、「雅子様」は下から読んでもマサコサマだ。お前ら気づいているか?
そして、雅子様の治療中の滞在が、この駿河平にあるスルガ銀行のVIPな迎賓館であると推測された。だから、パトカーの数が異様に多いのであろう。この過剰警備は、年に数回あったと記憶している。今春、愛子様が学習院大学を卒業された。超個人的に“喜びも一入(ひとしお)”


ということで、
まだまだ、思い出話は尽きませぬ。


ワタシに皇室系の興味を持たせた代表的な著作は、
ミカドの肖像(小学館文庫) (小学館文庫 い 7-2) | 猪瀬 直樹 |本 | 通販 | Amazon

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と、
天皇財閥
天皇財閥: 皇室による経済支配の構造 | 吉田 祐二 |本 | 通販 | Amazon

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天皇財閥: 皇室による経済支配の構造 | 吉田 祐二 |本 | 通販 | Amazon



の2つだ。
では、本日野暮用で静岡に出かけます。

還暦老人ホントに退職する

著者: tommyjhon
2024年3月22日 05:21
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで折からの出版業界不況で、ワタシ達静岡県民の年の楽しみだった、静岡新聞夕刊が廃止された。それにともなって、昨日の「静岡県教職員人事異動」もネット上のみで発表された。
静岡県教職員異動|あなたの静岡新聞 (at-s.com)



ご心配なく、ワタシの名前もしっかり出ています。
【教職員異動】静岡県教委・高校一般教職員|あなたの静岡新聞 (at-s.com)



スクショ
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 我々の同級生たちは、高校生人口急増期に採用されたので、もっと退職年齢の奴は一杯いるのだけれど、みんな定年延長でもう1年くらい頑張るのだろう。(退職)の数が案外少ない。


 ワタシは高校教員として、様々な学校でエネルギーを使い果たしたので、ここで退職。
これからは、月々の「携帯契約料、ガソリン代、電気代、おやつ代」などを稼ぐためだけに、再任用ハーフ教員として1年間契約で教員だけを続けます。
(給与は、ハーフではなくて、1/3とか1/4のレベル)


勤務校は、なんと!!!!!!!
清水西高校
ここだけの話、静岡大学時代に2回くらいデートしたことのある●●ちゃん(名前は忘れた)の母校です。確か彼女は弓道部だったはず。


静岡市清水区で全国的に一番有名な学校は、清水東高校(内田篤人の母校だからねえ)で、その次に有名なのが清水桜ケ丘(旧清水商業)高校で、その清水桜ケ丘高校の隣にあるのが、清水西高校です。
まっ、お暇ならば遊びに来てください。


この頃、一部のコアな読者から、
「離任までに、連載が終わらない」と心配されておりますが、その通り終わりません。
連載本編は、未だに長泉高校でして、これから富士高編、清水東編、伊豆中央編と続き、清水西編で合体するまでかなりの日数がかかります。
でも、お陰様で、ヒット数は確実に増え続け、ワタシのブログとしては「清原和博、覚せい剤で逮捕」のスクープ以来の好成績をあげています。


読者の皆様、清水西高校でも、よろしくお願いいたします。
(サレジオにいる●●君は挨拶に来いよ)


新中1重要 正負の四則混合計算の復習

2024年3月21日 12:02
前回の授業では正負の混合計算で差が着きました。
復習をしておこう。
次は文字式の計算に行きます。
算数と数学の違いで特に注意するのが「文字式の計算」です。
数学では大部分が文字式を使って計算する。
数学の応用分野である物理学では公式は全て文字式だ。
「文字式の計算」で特に重要なのが「等式の性質」を使った式の変形だ。
この文字式の変形が自由自在にできるかどうかで、ほとんど数学の能力が決まる。
「基礎からの青チャ中学1年」で予習しておこう!!

新中3重要 2次方程式の4大解法は全員が完璧だった

2024年3月21日 11:33
昨日の授業で1年前にやった「2次方程式の4大解法」の確認問題をやったが、全員が速さと正確さで完璧だった。
まったく計算力が落ちていない。
今年、静高に全員合格した先輩たちの1年前よりも計算力が高い。
附属中から62名が静高を受験して3分の1の20名が不合格だったが、合否を分けたのは数学の得点だ。
得点開示を待たないと詳細はわからないが、附中からの受験生の中には数学で20点台が相当数いた可能性がある。
来年も数学の問題傾向と難易度は変わらないと予想されので、今年の新中3年生も数学は前倒しで進もう。
夏期講習では数学は全範囲の実戦問題に入ります。
さらに春期講習ではフルセット過去問をやるので、数学では40点以上を目標に取り組もう!!

新高1重要 2変数関数の最大値最小値

2024年3月21日 11:22
昨日の授業で黒板に書いたが、xと「aまたはk」の2つの変数を持つ「2変数関数」の最大値最小値問題(青チャ例題84と85)では、重要な注意事項がある。
これらの問題ではaやkは定数であると問題文に書いてあるが、真っ赤な嘘だ。
aやkもxと同じ変数であり2変数関数と呼ばれる。
2つあるいは3つも変数があると処理しにくいので、変数aやkを「とりあえず」固定しておいて定数扱いし、変数xだけ動かして最大値最小値を求めるとする、と問題文には書かなければいけないが「数学界の常識」なのであえて説明していない。
高校1年生はまったくの初心者なので、問題文が嘘をついてだましているのと同じだ。
ただし賢い生徒は「定数なのに変化する1次式や2次式になるのは妙だな」と感じただろう。
入試問題や校内テストでは「最大値の最小値を求めよ」という奇妙な問いがその後に来たりするので、さらに混乱招くこととなる。
このテーマ「2変数関数の定数扱い」については、いずれ共通テストで「生徒と教師の対話問題」として登場すると予想している。





新高1重要 2次関数の「最大値最小値存在定理」

2024年3月21日 10:59
2次関数の最大値最小値を求める問題では、定義域に注意が必要だ。
定義域には以下の3つがある
①閉区間[a,b];両方の端点a,bを含む
②開区間 (a,b);両方の端点a,bとも含まない
③半閉区間(a,b];片方aだけ端点を含まない
このうち①は最大値最小値とも持つ。
②は頂点を含む範囲以外は最大値最小値を持たない。
③は含まない方の端点に対応する最大値最小値を持たない。
この区別は重要である。
なぜなら「最大値最小値存在定理」という重要定理があり、その前提条件が①だからだ。
この定理にはもう一つ前提条件がありそれはこの区間内で「連続関数」であることである。
つまり途中でグラフが切れていないことである。
ただし2次関数と3次関数に関しては無条件で「連続関数」であることが保証されている。
この「最大値最小値存在定理」は超重要定理の「平均値の定理」の前提定理となっている。
高1生が「2次関数の最大値最小値問題」を解くときは、③に注意して解答しよう。





  

還暦老人長泉高校かるた部を語る

著者: tommyjhon
2024年3月21日 05:39
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommyセンセです。

ということで、今回は長泉高校かるた部のお話。
今はなき、静岡県立長泉高校(静岡県立長泉高等学校 - Wikipedia)は、ワタシが赴任した時に、すでに高校かるた日本一の栄光に2回も輝いていた。
ネット上で詳細な記録がないので、ウィッキからのスクショ
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全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会 - Wikipedia

(実は、この大会の30年記念誌はワタシが作成していて、探せばどこかにあるのだけど、見つからない)


ワタシが赴任した最初の年は、1993年(平成5年)で、写真のように大井川高校が優勝し、我が長泉高校(玉沢、大島の代)は決勝で負けた。(全国大会のだよ)
そして、ここまで長泉高校を強くした嶋先生はこの年を最後に長泉高校を去り、(嶋先生の、そしてワタシの)母校、富士高校に転任していった。「ここからは、お前に任せたよ。ワタシは弱体化した母校富士高のかるた部に行くからね」というていで去って行った。
「まあ、不安がないこともないが、やるしかない」と長泉高校かるた部を率いることになった。スクショでもお分かりのとおり、この当時は、「静岡県が高校かるた王国」であって、静岡県で優勝していれば全国大会で勝つことが出来た。ライバルは、富士高、大井川高校で、この大井川高校を率いていたのが、名伯楽竹中先生だ。ワタシのライバルと言っていいが、年齢的には4歳上の方で、名門藤枝東高校から筑波大学を経て静岡県の教員になられた方である。百人一首かるた競技とは筑波大学時代にであったらしい。(体系的にもライバル関係にあった)、この後、静岡双葉高校や浜松北高校が台頭してくるが、それはもう少し先のことである。


 そして、ワタシが単独で率いた初年度も全国大会の決勝まで進出した。(田村・牛田・岩代などが中心選手)でも、またもや決勝で負けた。
次の年(山田瑞枝、村上あやねなどが中心選手)も、全国大会に行ったが、準決勝で大井川に負けた。
つまり、ワタシは勝てなかったのだ。
 そして次の年(1996年)は静岡県予選で負けた。予選を突破したのは嶋先生が新たに顧問となった富士高校で、その富士高校は全国大会でも圧勝した。
この世代は、ワタシが1年生から担任をした世代なのだが、かるた部員がほとんどおらず、朝日孝典君とリントンラスジン君だけが頼りになるという苦しい世代だった。
この頃、「シルバーコレクター」(銀メダル集め)と自嘲気味に言っていたが、人生で一番もがき苦しんだ時である。
 
 競技かるたは、伝統的なスポーツではない。競技かるたとしての正式なルールが確立されたから100年くらいしか経っておらず、その後も、全国各地に愛好者団体が出来るものの、全国的な認知はそれほどでもなかった。それを、ここまで有名にした一翼を、「全国高等学校かるた選手権大会」が担っていると思う。また、全国高等学校文化連盟に加入したことも大きな飛躍を遂げた要因の一つだ。この文化連盟に加盟したことで、インターハイのように全国各地で開催される“全国高等学校総合文化祭”(文化部のインターハイ)で必ず小倉百人一首かるた競技が開催されることになった。


 つまり、この全国大会の開催なければここまでの隆盛なかったことになるが、たかだかマイナー競技の一顧問であったワタシは、この2つの全国大会の主催者となっていく。今かるた部の指導を離れ、(部活指導者としては)ぐうたらな仕事しかしていないが、30代から40代にかけて、この小さな組織を様々なしがらみの中で事務局長として運営してきたことが、学校の中間管理職としての仕事に生きているのだと思う。


 長泉高校の時代には、静岡県高校かるた連盟(のちの静岡県高等学校文化連盟専門部)の事務局長になっていて、組織運営の難しさも学んでいった。
また、競技かるたの選手としてそれほど強くなかったので、どのように練習をすれば強くなるのか?も真剣に研究した。


誰も気が付いていないだろうが、このブログの書き方は、海老沢泰久という作家に似ている(似させている?)
 海老沢泰久 - Wikipedia

また、長泉高校時代、一気に日本のメジャースポーツとなったのがサッカーで、そのサッカーノンフィクションの第一人者は金子達仁だった。
金子達仁 - Wikipedia



 競技かるたといえど、競技に勝つという仕事はいかなるスポーツを超えて不変である。
紹介した2人の作品でワタシは勝つという方法を学んだ。広岡達郎とか、中島悟とか、川口能活とかの思考と思想は、どの競技でも普遍的にただしいのだ。


 長泉高校で苦杯をなめ続けていた時に、かるた部に新入生として入ってきたのが、一藤木さんを中心とする気が強い女学生達である。そして、この次の世代で富田君が入部してくる。この2つの最強世代(だって2連覇したのだよ)を育てたのが、全国大会にも行けなかった朝日先輩である。
一藤木さんの世代は、富士高校も強く(暁星高校や島根県益田高校も強かった)、全国大会には行ったものの優勝は難しいだろうと周囲からは見られていた。最大の心配は、外山という監督であって彼は日本一になったことがない。


 ところが、この長泉高校かるた部は、全国選手権の準々決勝で富士高校を破り、準決勝で暁星高校を破り、決勝で益田高校も破り、あっという間に優勝してしまった。
そして次の年も富田君や水野君を中心にまたもや優勝してしまった(準優勝は富士高校)。
あれほど、勝つことに飢えていたワタシと長泉高校かるた部は、なぜか、もう一度優勝旗を奪回していたのであった。
単純な理由は生徒に恵まれたことであって、この時は2世代にわたって超高校級の選手がそろったのだ。


 この絶頂期、だんだん競技かるた以外のことも忙しくなっていく。
次回は、長泉高校時代の部活以外の話です。(離任式までに連載が終わるかどうか心配になってきた)














附属小 インフル猛威 家庭内感染に注意!!

2024年3月20日 15:21
附属中静高で家庭内感染によるインフル患者が増えています。
附属小から上がってきているようで猛威を振るっています。
コロナ禍の時も附属小起源の感染が多かった。
附属小の責任者には伝染病感染予防の管理能力がない。
インフル隔離措置中の生徒が謝恩会に参加するのを止められないようでは、話にならない。
教室内ではマスクを義務づける措置を取ってもらいたい。

還暦老人最後の終業式

著者: tommyjhon
2024年3月20日 06:13
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、昨日が伊豆中央高校の3学期終業式。ワタシが小学校時代は3学期の終業式のことをわざわざ言葉を変えて、修了式と言っていた気がするが・・・・今はどんな時も終業式。
 お陰様で、何とかここまで辿り着くことができた。我が高の終業式では、最後に「三課長の話」なる儀式があって、教務課長・生徒課長・進路課長の順で講話をたれる。いつもは、(某F高後輩で野球部監督の)生徒課長が、いろいろな“有難い話”をいかにも生徒課長らしくお話しなさるので、ちょっと霞むのだが、今回はワタシが最後というので遠慮してくれて短く終わった。
 お陰様で、一番言いたいことを熱く語ることが出来たので、ここでご披露する。
(好評連載中の「還暦老人の教員人生は、一回休み)



以下、忠実に再現。


 今年の受験結果は、本当に素晴らしいものになりました。君たちの先輩方は本当に頑張ってくれました。結果としては、この時点(まだ、国公立の中期&後期が発表されていない)で、国公立大学の合格者61名、中には旧帝大名古屋大学の合格を勝ち取った生徒もいますし、筑波大学に合格した人もいます。(静大は10名でした)私立大学の結果も近年にない好成績で、主要大学は早稲田、東京理科、明治~関関同立、津田塾東女日女・・・と慶応、学習院、青学以外はほとんどの主要大学に合格しています。青学だけは苦手で合格できないので、陸上部長距離の生徒は来年ぜひ青学に合格して箱根を目指してください。(伊豆中央の部活で一番活躍しているのは陸上部でありインターハイの常連でもある。したがって、昨年、一昨年と筑波に推薦&AOで合格してはいるが、昨年の1名と今年の1名は一般受験である)


 こんなに素晴らしい受験結果が出たことには理由があります。主な要因は3でしょう。
①少子化で大学受験の生徒が減少し、少しずつ簡単になっていること。
②生徒が一生延命努力したこと、特に2月の学習量が格段に増えました。普通の進学校ならば2月なんてもう諦めてしまう時なのですが、生徒は、2月に数学と理科の実力がグッとアップしました。これが国公立理系の合格者を増やした直接の原因です。
③先生方も一緒に頑張ってくれたこと。今年の先生方は本当に様々な面で生徒と向き合い、受験校選びに付き合い、添削に付き合い、面談指導に付き合い、解答作成に付き合ってくれました。


 ワタシは、20数年、進学校でこんな仕事をしていて今年で定年です。いい気分で定年を迎えることができます。今年で定年なので、今まで数多くの受験生を送り出してきましたが、この送り出してきた生徒たちとは、どのような感情で付き合っているのかをお教えします。彼ら彼女らを「教え子」と呼べません。彼ら彼女らは「戦友」なんです。先生も受験生と一緒に戦ってきているのです。なので「戦友」。
毎年のことですが、3年生を担当すると次の年に1年生を担当します。そうすると先生方も一緒にバカになります。すぐに1年生を教えるレベルに戻ってしまうのですね。その1年生を教えるレベルから、君たちと同じように学問レベルが少しずつ上がってき、先生方も生徒に最適な教材を考え、その時期の生徒に最適な指導法を考え、最適な課題を考えて一緒に学問レベルを上げていくのです。だから、一緒に戦っていく「戦友」


 「戦友」って友達を裏切りません。戦場で友を裏切ったら、それは「死」を意味します。戦友って一緒に生き残るのです。
この終業式を迎えた2年生の皆さん、先生と一緒に仲間となって、戦友となって1年間を過ごしてください。1年生の皆さん、2年間を戦友とともに過ごしてください。


 僕(先生方)たちは、裏切らないよ。


<終了>


そして、(他の先生方から)いろいろなお世辞を頂きました。ありがとうございます。
生徒、先生方には、思いの全部を話したつもりなので、もう悔いはありません。最後に残っている離任式の話は、思いっきりくだらない話をして、思いっきりすべろうと思います。これもお楽しみに・・・・一般の方も離任式に来ていただいていいですよ。(28日の9:00頃からです)

還暦老人「かるた部顧問となった時」を語る

著者: tommyjhon
2024年3月19日 05:44
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、好評連載中の思い出を語るの記。
 ここからは、競技人口的にみると相当マイナーな競技である、「小倉百人一首かるた競技」(略して競技かるた、ただのかるた)に関する記述が多くなる。無関係な読者の方が圧倒的に多いかもしれないが、そもそもワタシがHP(ホームページ)を始め、途中からブログに移行しながらもかれこれ20年間もキーボードに文章を打ち込んでいるきっかけは、「全国の富士高かるた部のOBOG達に、現役部員の活躍を伝えたい」との一念であった。なのですべてが関連付けられるものであるから仕方がない。


 ワタシは富士高かるた部の第12代目の部員であって、当時の静岡県立富士高校かるた部は、名実ともに日本一のかるたクラブだった。昭和の時代、高校でかるた部なんて活動が全国的にそれほどあるわけでもなく、富士高の目標は、全国職域学生かるた選手権大会(職場のチームや大学生チームを相手にする団体戦の全国大会)であって、この大会に10回優勝していた。在学中に「全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会」なるものが設立され、大会運営するかるた会の重鎮たちは、この大会を「畳の上の甲子園」と位置づけようとしていた。今や、どの業界でも存在する“●●の甲子園”という名称の嚆矢となった大会でもある。この全国大会の第一回大会は私が高校1年の時に初めて開催されたが、その時の参加校はわずか8校、参加するだけで全国大会ベスト8だったのである。どれだけマイナー競技かお分かりだろう。結局、静岡県立富士高等学校はこの大会で初回から10連覇を果たすことになるのだが、この連覇を阻むのが、これから登場する(今はなき)静岡県立長泉高等学校だったのである。
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(ネットで拾った今は亡き長泉高校)


 さて、時計の針を逆戻りさせて初任高であった下田南高校3年目の3月に話を戻す。ワタシ達夫婦(この時はまだ結婚していないけど)は揃っての転勤を希望した。相方は養護教諭であって、高校では必ず1名いる保健室の先生である。どこにでも需要がありどこでも仕事が出来る。我々教員は、「部活動の指導がしたい」と考えて教員になる者が半数以上存在し、その部活を指導することが教員生活何よりも大事なことだった。今やこの比率がどんどん低下して、部活拒否の教員の方が多いくらいなのだが、ワタシが採用された時代はバブル真っ盛りで他の仕事もうじゃうじゃあり、初任給も数段高かった。ではなぜ高校教員なのか?この答えを部活抜きで探すのは困難である。高校に戻りたいのではなく、部活に戻りたかった。これから何回もでてくるが、富士高校百人一首部はそれほど魅力的であったのだ。


 ワタシは、当然、(実際は沼津商業なのだけれど)富士高校に転勤するものとばかり思っていた。その理由は、全国選手権連覇中とはいえ、当時富士高校は、創部から10年以上率いてくれた指導者(これが栗栖先生)が転勤されて以来、本格的に競技かるたを指導できる教員が母校に赴任していなかったからである。ワタシはもちろんそのことを自覚していた。したがって、うちの奥さん(当時はまだ婚約中?)が富士からそれほど遠くない場所であったら嬉しいなあ????と想像していた。
ワタシの先輩で、本格的に競技かるたを指導していたのは4つ先輩の嶋先輩(現、静岡県かるた協会会長・元某F宮西高校校長)だが、嶋先輩は一足早く、競技かるた部のある長泉高校で指導を始めていた。この長泉高校とは、静岡県東部地区の長泉町(現在は移住したい町のベスト10に輝く、三島駅近隣の町)に新設された高校で、恩師栗栖先生(もうイニシャルトークでは混乱してしまうので本名)が学校創設以来関わっていた高校である。栗栖先生がかかわるのならかるた部が出来るのは当たり前だ。栗栖先生の偉業は一冊の本にまとめられるべき多さであって、その一つが、「転勤された学校でかるた部を作りまくった」ことである。沼津市立高校・富士高校・沼津東高校・(元)長泉高校と創部しまくり、次の転勤で教頭先生になっていった。(ここからはさすがに無理)。
(元)長泉高校は、栗栖先生が創部され嶋先生が2代目顧問となっていたのである。


ところがだ、下田南からの転勤で、2人に渡された辞令は驚愕のものとなった。転勤するはずの富士高校の養護教諭に女房(まだ結婚していないけど)がなり、ワタシが沼津商業というのである。
「えっ?」
「あっ あっ そうなんだ」
結果的に奥さんの勤務校(沼商時代に結婚した)となった富士高校は、我が家においてもかけがえのない高校となり、長男は「養護の先生に初めての赤ちゃん!!!!!」という見出しで富士高新聞(これも有名、一時期私が顧問を務めたこともある)に載せてもらった。その後、彼は富士高校に進学することになる。この長男アロー君は、高校入学もしていないのに富士高の内情を良く知っているマセたガキに成長していった。次男殿も「養護の外山先生に2人目の赤ちゃん!!!!!!」となって富士高新聞に載せてもらった。次男殿は、我が家での会話で多くなった「八木話」(ワタシが富士高時代にともに勤務した、伝説の野球部監督にまつわる話)の影響を受けて高校野球で甲子園を目指すことになる。


 そしてワタシ。沼津商業時代、剣道部を任されていた。もともと他の部活(競技かるた以外)に興味のないワタシが、部活指導に熱がはいるわけなどなかった。しかも、長い経験がものをいう武道の世界である。部活には他の若手教員と比べて没頭できずにいた。剣道部の顧問といえど道着を着ることもなければ面や胴をつけることもなかった。当然、中学生を勧誘することもなく、中学から志望されることもなく、(昔はインターハイにも行っていたらしい)沼商剣道部は弱体化していった。沼商にワタシのいる場所はない。
 そんな悶々とした日々を送っていた3年目(3年とは移動できる最低期限で、3年たつと移動の対象になる)、嶋先生からは強烈なオファーをもらっていた。「長泉高校で一緒に顧問をやろう!!!!!!」
これは、ワタシにとって魅力的な誘いだ。だって、夫婦は同じ学校に勤務できないというルールがあり、その時点で競技かるたを指導できる学校は、沼津東か長泉高校しかなく、誘ってもらえるのは幸せの極致だったのだ。
3年目の冬、周りには黙って“転勤希望”を書いた。当時は20代の若手教員であって、1年生の担任をしていた自分を、周りの同業者たちは「転勤できるはずがない」と思っていただろう。ここでの転勤は裏切り行為である。ワタシもそんなことは無理だろう。転勤できるわけがないと確信していた。


 ところがだ、いざこの時期(本当に3月中旬の今の時期だ)に校長室に呼ばれ、「長泉高校に転勤だよ」と告げられる。
これは、相当な力学が働いたのであろう。噂には数々上がり、業界中枢部では当然のように行われ、ただし誰も存在を公的には認めていない、あの「人事上の力学」という作用に違いなかった。ワタシは、“引っ張られた”のだった。
後日、恩師栗栖先生(教育業界中枢の人になっている)からは、「あの時は、相当強引だったなあ」「K先生(当時のN高校校長)も思い切った手を打ったなあ」とだけ言われたことがある。


 そうして沼商を逃げるように飛び出し、念願の(かるた部のある)長泉高校に転勤する。しかも、先輩の嶋先生も一緒だ。一番いい形の若手指導者として迎え入れられた。新設の長泉高校は若手教員の数も多く、教員間のお付き合いも楽しかった。
さて、そんな形で競技かるたの世界に復活したワタシは、恒例の4月29日、さがみの大会A級にエントリーし、顧問としてだけでなく競技者としても復活する。別にそれほど強い競技者ではなかったが富士高かるた部出身者としてワタシの顔をしっている方は多かった。(なにせ、競技人口の少ない世界なので)
このさがみの大会の1回戦の相手が東村亜子さんだった(長泉高校OGで、長泉高校を2度目の全国優勝に導いた伝説の名選手)。これも何かの縁だなあ。


 さて、このさがみの大会で大きな出来事が起きる。
部活動にそれほど熱心でなかったワタシは、常に遊びのことばかり考えていた。得意はスキーを代表とするアウトドアで、スキーのオフシーズンには、マウンテンバイクも2台そろえ、カヌーも手に入れていた。
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マウンテンバイクはこのタイプ(ヤフオクの画像を拝借)見出しは)90年代のオールドタイプとあった。
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このカヌーも購入していた。


 長泉高校かるた部の引率第1回目、赴任してすぐのさがみの大会。生徒は三島駅から電車に乗り藤沢駅で小田急線に乗り換えて会場に向かう。ワタシは、住んでいた(富士高の教員住宅)場所から、このマウンテンバイクに乗って富士駅まで向かい、三島駅で生徒に合流した。
かるたの大会は勝ち続けると帰りが(異様に)遅くなり、その日も、富士駅に着いたのは11時ごろだった。
そして、駐輪場に行ったが、肝心のマウンテンバイクがない。チェーンをつけたはずなのにマウンテンバイクがない。交番の人は、盗難届を受け付けてくれながら「このタイプは人気がありますからねえ」と半ばあきらめ顔で淡々と盗難届を受け取った。


 こうして、かるた部の顧問生活に入るとともに、「お気楽レジャー教員」の夢を捨て去ることになる。
マウンテンバイク(15万くらいした)もそうだが、カヌー(30万円した)からも離れざるをえなかった。


そうして、家庭での子育てを無視した「部活だけの教員人生」が始まることになったのだ。


























































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