ノーマルビュー

入試直前期の嘘

2026年1月2日 19:48
入試直前期になると知ったかぶりの嘘が広まる。
その1つは
「入試直前期は新しい教材に手を出さずに、今まで使ってきた教材の反復に力を注ぐべきだ。」という嘘だ。
入試でパニックになってしくじるのは、決まって初見の問題が出たときである。
反復練習してきた問題とはかなり異なる傾向の初見問題は、ル―テイン作業としてサクサク解けない。
糸口がなかなか掴めないので、時間ばかりがかかってますます焦る。
受験生は、たまたま運悪く初見の問題が出たのだと勘違いする。
実はわざと仕組まれた初見の問題なのである。
難関大ほど「わざと新傾向の問題」をぶつけてくる。
受験生が想定外の事態にどう対処するのか、その突破力を試そうとしているのである。
突破力を着けるためには、次々と難易度の高い問題に挑戦する訓練を繰り返すことだ。
初見の難問に遭遇した時に、アドレナリンが沸騰してわくわくする状態を意識して自分で作り出す。
「さあ、出してみろよ、解けそうもないような初見の難問を!!」と声に出してみよう。
ある新星OBで、受験本番では自分の席の前後左右8人に圧を掛けて蹴落とせば、必ず受かると豪語していた生徒がいた。
確かに難関国立大では前期入試倍率が8倍を超えることはほとんどないので、効果的な方法だ。
自分が受ける大学学部よりも、1ランクか2ランク高いところの問題を、片っ端から解きまくる。
問題傾向が違うから意味がないなどという雑音は無視しよう!!
出題者は新作に詰まったときは、他大学の問題をよくパクルので、自分の受験校の赤本だけにしがみつかないことだ。
で、さっきの圧を掛けてライバルを蹴落とすと言っていた生徒は、現役で東工大に受かって今は、世界第2位の大手重機メ-カ-で遠隔操作のプログラミングに従事している。

 






林先生の「今でしょ!」は京都大仙院の尾関宗園師のパクリ

2026年1月1日 19:05
TS予備校の人気講師林先生の有名CM「今でしょ!」は、京都大仙院の名物和尚だった故尾関宗園師の名言をパックったものだ。
大仙院は中学高校生が修学旅行で立ち寄る名物スポットだったが、それは住職の尾関宗園師が子供たちの前でやる講和が大人気だったからだ。
子供たちの前で解りやすいお話をしてくれるのだが、講和の最後は必ず激を飛ばした言葉で締めくくっていた。
その言葉が新星の3Fに掲げてある。
次の言葉だ
「今こそ出発点」
人生とは毎日が訓練の場である
私自身の訓練の場である
失敗も出来る訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
私自身の将来は今この瞬間ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る

今の若者は説教されるのを嫌がるようだ。
「説教」とはもともとは仏教用語で、お釈迦様の言葉を人々の前で解りやすく説く講話のことだった。
それが転じて相手を非難するニュアンスが強くなり、上司や先輩が下の者に上から目線で一方的に押し付けるものと受け取られている。
尾関師の講話を今の若者はどう受けとるだろうか?
塾長が中学3年の修学旅行で講話を聴いた時、師は「一隅を照らせ」というお話をされた。
持ち場持ち場で、人として進むべき道を率先して示せ、という意味だと理解した。
「私自身の将来は今この瞬間ここにある 今ここで頑張らずにいつ頑張る」という言葉は若者を鼓舞する。
今は何者でもない自分が何者かになるためには、絶望と戦いながら今頑張る以外に道はない。


歴史 鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」の嘘 

2025年12月31日 10:32
鎌倉幕府の正史は「吾妻鏡」だが、これも嘘が多い。
特に軍勢の数は極端に盛っている大森杉男君だ。
源平合戦で平家追討軍に動員された軍勢は、中立的な立場で書かれた「明月記」によれは源範頼軍と源義経軍合わせて2千から3千程度だとされる。
吾妻鏡にはその20倍の6万と大幅に誇張されている。
承久の乱では20万の大軍が朝廷軍打倒のために攻めあがったと記されているが、実際は20分の1の1万程度が、東海道、中山道、北陸道の3ル-トでそれぞれ3千程度で上京したとみられる。
20万という数字がいかに大きいかというと、戦国時代に最大の動員兵力を誇った信長が19万程度だったことからも解る。
秀吉と家康も直属軍では18万が限界だった。
国家の正式記録の数字を盛るのは中国が伝統だ。
現代でも中国国家統計局が発表する数字は盛過ぎで、今年のGDP成長率は4%と発表しているが、定説の2.5%引きをすると1.5%となりほぼ成長していない。
だが、世界中から注目されている「中国の恐怖の不良債権額」は桁が違いすぎる。
不動産の不良債権総額は最低でも2000兆円、最高では2京円という天文学的な数字だ。

歴史 正史には嘘が多い 日本書紀と吾妻鏡 

2025年12月31日 10:01
国家や政府の歴史を示す正式の記録、正史には嘘が多い。
日本古代史の最大の正史である日本書紀には嘘が多い。
日本書紀は編纂を命じた天武天皇の偉大さを国の内外に示すために、腹心の藤原不比等の指揮のもと、中国人を雇って正規の中国語で書かれたものだ。
嘘のいくつかを上げると
①天智天皇を聖人君子としているが、実際は暗殺や謀略を駆使して、ライバルを次々と排除していった。
猜疑心が強く腹黒い人物だった。
②蘇我氏は天皇を凌ぐほどの力を持ち、横暴を極めたので「大化の改新クーデタ-」によって殺害したとあるが、蘇我氏は大和と朝鮮と唐の三国のバランスを取った協調外交に努めていた。
蘇我氏が滅んだことで、三国のバランスが崩れ「白村江の惨劇」に繋がった。
③「白村江の戦い」は朝鮮半島南部の任那国を植民地としていた大和朝廷が、それを唐新羅連合軍から守るために出兵したとあるが、そもそも任那日本府など存在せずでっち上げだった、あってもせいぜいが出先機関程度だった。
④壬申の乱で高野山を出た大海皇子=天武天皇に、彼を支持する豪族達が自然発生的に結集し、わずか数日で大軍となって大友皇子の大津宮を1日で陥落したとある。
しかしこれは事前に入念に練られたクーデタ-だった。

新中1 得点力は作文力で決まる まず書き始めよう!

2025年12月30日 11:10
附属中の校内テストの得点力は、ほぼ作文力で決まる。
校内テストの得点も評価点も上位者は、例外なく作文力が高い。
答案として理想的なスタイルは「演繹法」作文だが、中学生には難しい。
初めに結論を決めてから、起承転結で論理的に結論へと誘導していく。
演繹法は入試答案練習を本格的に始めてから、身に着ければよい。
書きやすいのは「帰納法」作文で、初めから結論が決まっていないので、書き始める前にあれこれ悩まずに始められる。
書いているうちに思いもかけない方向に展開したりしていくので、何よりも書いている本人が楽しい。
いわゆる随筆やエッセイの類がこれだ。
附中では授業の後に「追及の記録」という作文が課題として出される。
評点の大きなウエイトを占める。
これを「楽しかった」や「面白かった」程度の小学生感想で済ませる生徒もいれば、シッカリと考察を加えた小論文を仕上げる生徒もいる。
担当教師から「中身が薄い」と馬鹿にされる生徒は附小生が多い。
作文の中身が薄いのは「脳みそが薄い」つまり「書くべき知識がない」ためだ。
一つのテーマについていくつかの下調べをしてから書くことを薦める。
現在ネットやメデイアで発表される文章は、ほとんどがチャットGPTで下調べがされた上で公表される。
これを使うのも有効だが、附中生にはチャットGPTそのままを写す生徒がいて、すぐにばれる。
筋書きは自分で建ておいて、その中に組み入れる事実をチャットGPTからピックアップすればよい。


新中1は現中1をお手本にしよう

2025年12月30日 10:06
今の新星中1生は「何年かに一度の優秀な生徒」が集まっている。
学習態度がまじめでひたむきだ。
学力をつけるための基本的な態度が既に身に着いている。
附小上がりの生徒は、基本的な学習態度が身に着いていない事が多い。
そもそも附小教師は「学習態度」を身に着けさせることなど、最初から放棄している。
少なくとも
①教師が説明しているときは、私語をせずに聞くことに集中して記録を取る。
②渡された教材は時系列的=最新教材が一番上に来るように整理する。
③帰宅後は、授業内容をすかさず反復して覚えてしまう。
④翌日の授業内容は予習しておいて、常に授業の方向を自分が誘導するようにする。
これは公立中、附属中を問わず習慣化しないといけない。
中学入学後に身に着けることではなく、小学校中に身につけておきたい。
最初の1年で大きな差が着く。


静岡茶の次は呉服町雑居ビル

2025年12月28日 11:24
歴史的な大チャンスを前にして、それを掴めないでいるのは静岡茶だけではない。
ITブーム、AIブームの特徴は、新しく起業するスタ-トアップ企業が次々と生まれていることだ。
IT関連企業の多くは東京で起業する。
ところが東京はオフィスの家賃がめちゃ高い。
ITは作業が全てリモ-トでできるので、家賃が安い地方が有利だが、都心まで1時間前後でアクセス出来る場所がやはり有利だ。
その点で、静岡市はぎりぎりの距離にある。
駅近の呉服町通りは、絶好の立地にある。
1Fは商店が入っている雑居ビルも、2F以上は店舗の倉庫や空き部屋で活用されていない。
老朽ビルのためニーズがない。
ここに高層オフィイスビルを建設すれば、ITスタ-トアップ企業を誘致できる。
呉服町、七間町界隈は難波市長によれば「わくわく街」で、サラリ―マンにも人気がある。
呉服町の雑居ビルオーナ-は思い切って高層ビルに建て替えるべきだ。
しぶ銀と呼ばれる静銀も積極的に融資に応じるべきである。
駅前の静岡工科大ビルは人の流れも雰囲気も一気に変えた。
呉服町高層ビル群は、人口減少ストップの第一歩になるに違いない。

幕の内弁当の次は静岡茶と呉服町の老朽雑居ビル

2025年12月28日 10:59
進化できずに消滅するのは「静岡駅幕の内弁当」だけではない。
静岡茶もとうとう生産量日本一を鹿児島県に奪われた。
茹でガエル体質は、静岡商人に染みついている。
去年は緑茶生産の歴史的転換点となった。
世界中で抹茶の大ブ-ムが巻き起こり、品薄と価格高騰が発生した。
このところ何でもかんでも日本ブ-ムだが、緑茶の世界も日本ブ-ムに巻き込まれることとなった。
静岡茶は煎茶がほぼ全てで、抹茶生産の主体は玉露がブランドの京都府とその周辺の近畿地方だ。
さらに静岡茶の品種は煎茶用の「やぶきた」がほぼすべてを占めている。
生葉を加工する製法も煎茶と抹茶では大きく異なるので、製茶工場もすぐには設備転換できない。
この抹茶ブームもいつまで続くか保証の限りではないが、世界の需要に対応するためには、現在の10倍の生産量が必要だと言われている。
静岡商人の中で「さあ、大博打の始まりだ」と抹茶生産に全面転換する人物が出てくるかどうか、成岡さん、あなたの出番ですよ!!




中2重要 冬期講習「論述歴史問題」 御恩と奉公は「新恩給与」のおかげ

2025年12月28日 10:09
鎌倉幕府成立の最大のテーマは「御恩と奉公」による封建制の成立だ。
御恩は御家人たちが所有する領地の主有権を保証する「本領安堵」が主だった。
ところが平家を源氏の追討軍が滅ぼしたことで、平家一門とその御家人たちが所有していた領地や荘園が全て頼朝のものとなった。
その新たな領地500カ所を、頼朝は自分の御家人=家臣団に気前よく分配した。
これを「新恩給与」という。
軍役に参加したことで、新たなボ―ナスを手にしたことで御家人たちは、頼朝のもとで戦に参加する旨味を実感した。
これが「承久の乱」で生きてくる。
後鳥羽上皇の「北条義時追討の綸旨(命令)」に対して、北条政子は「亡き頼朝公の御恩」を御家人たちに訴えた。
この時、御家人たちは平家討伐の後のボーナスである「新恩給与」を思い出していた。
あの時は、平家討伐軍に加われずにボーナスがもらえなかった御家人も今度はこぞって参加し、京に攻めあがる内に幕府軍は何と20万もの大群に膨れ上がっていった。
結果は幕府軍の圧勝だった。
その後、後鳥羽上皇側の広大な荘園や上皇方に味方した御家人たちの所領3000か所は全て没収され、御家人たちに「新恩給与」として分配された。
この時、ボーナスの分配を取り仕切ったのが、北条氏の当主である義時であった。
御恩の差配は北条氏が取り仕切ることを御家人たちに示すことで、北条執権家が鎌倉幕府の実質的な支配者であると天下にも知らしめたのである。
だが、後々になってこの「新恩給与」が逆に幕府と御家人の首を絞める事ともなっていく。
「御恩と奉公」は契約によって成り立っている。
契約を守らないと、この関係は一気に崩壊する。

中2重要 日本史最大の謎の一つ 武士はどこから来たのか

2025年12月27日 11:05
教科書で語られる「武士の登場」の記述では、武士とは一体何者であり、どこから生まれたのか、その出自が全く曖昧でイマイチ、解らない。
教科書には「朝廷の役人の中に警護を専門とする役職があり、彼らが「地方の武装した農民」=独立自営農民との交流を通して組織化された武士団に発展していた。」とあるが全くの間違いだ。
教科書にも真っ赤な嘘は書いてある。
武士の持つ恐るべき実力は「圧倒的な戦闘能力」にあった。
その本質は「騎乗連射」「馬上速射」とよばれる技能だ。
疾走する馬にまたがり、矢を次々と放ち命中させる高度な技能だ。
当時、集団で「騎乗連射」の技能を持っていたのは蝦夷と呼ばれる東北の人々だった。
彼らが武士の登場とどう関係するのか、その謎解きのヒントは「浜島資料集」の中にも示されている。

中1&中2重要 浜島歴史資料集は宝の山

2025年12月27日 10:44
新星冬期講習論述問題は、学校で渡された浜島書店の歴史資料集をベースにしている。
この資料集は歴史学習のプロが編集したもので、いわば宝の山だ。
日本史に精通した指導者から見ると、よくぞここまで重要事項をコンパクトにまとめたという傑作だ。
図や表およびグラフを組合わせて、テーマ別に掘り下げた内容を解説してある。
特に経済問題の解説が優れている。
典型例は江戸時代の「堂島米市場(しじょう)」の流れ図だ。
江戸時代の経済基盤である米がどのように市場に供給され「現金化」されたか、一目瞭然だ。
ここに示された堂島のコメ市場が、市場経済によって米価が決まる仕組みを、全国レベルで決定した。
さらに驚くべきは現在の株式や国債などを売買する「証券市場」としても機能した。
「米券」なる証券の売買によって「コメ市場」が投機の場と化したのである。
米券は現物のコメとの交換を保証する証券でもあたっため、紙幣と金との交換を保証した「金本位制」になぞらえて「米本位制」とも呼ばれている。
このような重要なテ-マが詰め込まれた「浜島資料集」を隅から隅まで熟読して、歴史理解の達人を目指そう!!




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