昨日は期末テスト範囲の歴史重要事項について単語の意味を覚えてもらった。
これは歴史学習の第一歩だが、次はそれらの相互関係、因果関係について学ぶ必要がある。
古代日本における重要事件は、東アジアの超大国であった唐との関係が原因で次々と起こった。
①隋、唐の高句麗遠征→②遣隋使、遣唐使の派遣→③聖徳太子殺害→④大化の改新→⑤白村江の戦い→⑥唐の朝鮮派兵要請→⑦壬申の乱→⑧天武天皇文武天皇による律令国家の完成
である。
①まず隋と唐は、朝鮮半島北部の強国であった高句麗を3度にわたって攻めている。
中国は世界の中心であるという中華思想を、領土の拡張によって実現しようとしていた。
そのためには、漢民族とは異なる朝鮮族がすむ朝鮮半島をまず、支配下に治めようとした。
②当時の大和朝廷は、遣隋使、遣唐使の派遣によって中国の律令国家の強大さを目の当たりにして、軍事的な脅威を唐に抱くようになった。
高句麗の次は、同じ朝鮮半島の国である新羅や百済も唐の侵略対象になるに決まっている。
さらにその先は大和が侵略されるのは確実だ、と考えた。
③唐の軍事力に対抗するためには、天皇に軍事力を集中させて「唐を模範とする律令国家を建設」する目標を掲げた。
その中心にいたのが中大兄皇子である。彼は豪族たちが私軍を抱えて対立している豪族連合国家=大和朝廷のままでは、軍事強国唐に対抗できないと考えた。
だが、豪族連合のトップには蘇我氏が君臨していた。
中国とのもめ事を避けて従属外交を取りたい蘇我氏は、隋や唐に対して対等な立場に立ち、中国に従属など許すまじという強気な態度をとる聖徳太子を自殺に追い込み、殺害してしまった。
聖徳太子が実は殺されていたなんて、皆さん知らないでしょう!!
④聖徳太子を自らの理想としていた中大兄皇子が、今度はクーデタ-を起こして蘇我氏を殺害し、滅ぼす。
同時に「大化の改新の詔」を出して、公地公民制を推し進める。
土地も人民も公=天皇のものとなり、中大兄皇子はここで徴税権と徴兵権を一気に握る。
⑤おりしも朝鮮では唐と新羅の連合軍が百済と交戦中であり、百済から援軍要請を受けた中大兄皇子は、援軍を送る。
この時、大和の遠征軍は3つのルートに分かれたが有名な白村江で戦ったのは、今の岡山県吉備地方一帯の農民に一斉動員をかけて強制的に連れていかれた兵士たちだった。
これは、日本で初めて行われた国家による一斉動員=徴兵だった。
結果は知っての通りの大惨敗で、白村江(河口にある都市)の川の水は、死んだ大和兵の血で真っ赤に染まったと言われている。
⑥白村江の大惨敗で恩賞ももらえない豪族たちは、天智天皇=中大兄皇子に対する反発を強める。
天智天皇も、大和防衛第一主義に変更して、防衛施設の水域や山城を西日本一帯に建設する。
ところが今度は、新羅を滅ぼそうとする唐が大和に朝鮮派兵を要請してきた。
従わなければ大和を責めると唐に脅されて、やむなく天智天皇は朝鮮派兵を決断するが、ここで彼の命は尽きる。
天智天皇死後に後を継いだ息子の大友皇子は、反対勢力の豪族たちに担がれた大海人皇子=天武天皇が起こしたクーデタ-によって殺害される。
これが古代最大の内乱と呼ばれる壬申の乱である。
⑧ここから天智天皇の実の弟、しかも母親が同じ同母弟である天武天皇=大海人皇子と彼の孫の文武天皇によって律令国家は完成する。
ここまでの流れを抑えないと、古代大和国家から律令国家日本への移行過程は理解できない。
⑧によって名実ともに日本という国家が成立した。
日本という名称を歴史上はじめて使ったのは、天武天皇である。
それにしても天智天皇天武天皇という兄弟が、日本国家成立のために果たした功績は傑出したものであった。
次の大きな流れは律令国家から武士政権の誕生だ。