ノーマルビュー

政治家は疑う対象であって、信じるものではない。

著者: tommyjhon
2026年3月15日 05:49

🤖 AI Summary

トムシー氏は、日本の民主主義における政治家の信頼性について考察し、以下のような主張をしている:

1. 民主主義は政治家を信じるのではなく、疑いと監視に基づく制度であるべきだ。
2. 日本では与党政治家の言葉を無批判に信用する傾向があり、これが民主主義から遠ざける可能性がある。
3. 政治家を批判的に見ることや信頼しないことは重要であり、それ自体が民主主義の象徴であると強調している。

さらに、トマス・ジェファーソンも似たような主張をしており、政府に対する疑いは自由社会の根幹に据えている。最後に、自身はトランプ政権での経験から、政治家への過度な信頼が危険であると反省している。

これらの視点を通じて、トムシー氏は批判的思考や不信感を持つことの大切さを提唱している。
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommyセンセです。

ということで、本日(3月15日(日))は、藤枝でちょっとかるたの関連のお仕事。晴れて無職になって体調はいいですが、症状は現状維持。


さて、いつものようにX投稿を読みあさっていると、なんとも素敵な文章に遭遇。「我が意を得たり!!」なんで、ここでご紹介。
Xユーザーの樺島万里子 Mariko Kabashima@海外ニュース翻訳情報局さん: 「民主主義は、政治家を信じる制度ではない。 子供の頃から海外にいたせいか、 私はずっと 「政治家はウソをつくもの」 という前提で政治を見ている。 だから政治家の言葉は 必ず疑って検証する。 でも日本では、 特に与党の政治家を「偉い先生」と呼び、 「私たちのために働いてくれる」」 / X
<コピッペ>


民主主義は、政治家を信じる制度ではない。


子供の頃から海外にいたせいか、
私はずっと


「政治家はウソをつくもの」


という前提で政治を見ている。


だから政治家の言葉は
必ず疑って検証する。


でも日本では、
特に与党の政治家を「偉い先生」と呼び、


「私たちのために働いてくれる」


と本気で信じている人が、
まだ結構いるように見える。


正直、
そのほうが驚く。


民主主義は
政治家を信じる制度ではなく、


政治家を疑い、監視する制度のはずなのに。


それなのに
民主主義の原則に従って
政治家を疑う市民のほうが


「批判ばかりする人」
「左翼」
「反日」


とレッテルを貼られる。


むしろ逆だ。


政治家を疑わなくなった社会のほうが、
民主主義から遠い。

<コピッペ終了>


まさしく、この通り! ワタシも時々、「批判ばかり」と評されるが、ワタシが批判する対象は政治家だけである。
また、国会での野党連中の言動を見て「野党は批判ばかり」と、それこそ批判する人がいるが、政治家を信頼しきって任せきりにすることが、その国の凋落を推進していくのである。
 
かのトマス・ジェファーソン(民主主義史上、最高の政治家)も、同じことを言っている。
<コピッペ>
「(政府への)信頼は専制(政治)の(生みの)親である。」


「自由な政府は、信頼ではなく猜疑心に基づいて建国される 。」


政府とは、絶えず国民の権利と自由を奪おうとするものだ。だから国民は政府を信じてはならぬ。


疑いの目を持って政府のやることを見ていれば、物を言えば、自由で平和な国が作れるのだ。


         米国第3代大統領トマス・ジェファーソン
<コピッペ終了>



この1、2年、ワタシはトランプを信用しすぎた。と反省している。


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