ノーマルビュー

AI・量子共通基盤の研究開発を開始

著者: contributor
2025年8月5日 12:17

AI・量子共通基盤の研究開発を開始
~国内10機関が連携し、量子コンピューターの利用促進へ~

学校法人早稲田大学(所在地:東京都新宿区、理事長:田中愛治)は、2025年7月31日にNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)に採択された「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業(g5-3)量子コンピューターの産業化のためのミドルウェア開発」(注1)の取り組みにおいて、KDDI株式会社、株式会社KDDI総合研究所、株式会社セック、株式会社Jij、株式会社QunaSys、国立研究開発法人産業技術総合研究所、学校法人慶應義塾、国立大学法人大阪大学、学校法人芝浦工業大学とともに、AI・量子共通基盤の研究開発を実施します。
量子技術を巡る国際競争が激しさを増すなか、内閣府が掲げる「量子未来社会ビジョン」(注2)においても、量子技術の社会実装や産業化の強化が重要方針として示されています。本研究開発を通じて2027年度末までに、量子コンピューター利用の敷居を下げ、さまざまな産業分野で量子技術を手軽に活用できる技術を確立します。これにより、AIと量子コンピューターの計算資源を融合し、量子技術に関する専門的な知識がなくても利用できる「AI・量子共通基盤」の構築を目指します。
なお、早稲田大学の代表研究者は、理工学術院の戸川望(とがわ のぞむ)教授です。

<背景と課題>

・2019年のGoogleによる量子超越の発表以降(注3)、世界的に量子コンピューターの技術が進化し、主要IT企業が実機配備やクラウドサービスの提供を始めるなど量子コンピューターの産業化が加速しています。

・日本においても内閣府が「2030年までに量子技術の利用者を1,000万人、国内生産額を50兆円にする」を目標に掲げており、エネルギーや製造・物流、材料開発などの分野でのユースケース開拓に向けた取り組みが進められています。

・その中でも特に、量子コンピューターの利用者には高度な専門性が必要であることや、プロバイダーが量子コンピューターを安定的に運用する技術が未成熟であることなど、量子コンピューター市場の活性化に向けては多くの障壁があります。

■利用者が抱える課題

・現状、量子コンピューターの利用者は、量子情報や量子力学のような高度で専門的な量子技術の知識が必要です。量子コンピューター市場の活性化に向けて利用者を拡大するためには、専門的な知識を持たなくても直感的に利用できるプラットフォームが不可欠です。

・量子コンピューターには超伝導方式・中性原子方式・光方式など多様な方式が存在します。さまざまなクラウドサービスの中から、ユースケースに応じて適切な計算資源を選択することができる仕組みが必要です。

■プロバイダーが抱える課題

・量子ビットの状態が非常に不安定で、量子コンピューターを長時間にわたって安定稼働させることが困難であるため、安定的に運用する技術を成熟させる必要があります。

<本研究開発について>

■概要

量子コンピューターの産業利用加速に向け国内10機関で以下の2つの共同研究テーマに取り組みます。共同研究では、産業技術総合研究所の量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター(注4)に設置された量子・古典ハイブリッドコンピューティングのテストベッド(以下 ABCI-Q)を活用し、研究開発を推進していきます。

図1 本研究開発の概要図

(1)計算資源を最適に割り当てるミドルウエア技術の開発

量子コンピューターの機能が抽象化されたAPIや、量子技術の知識を学習した生成AIを導入した統合開発環境(以下 IDE)を構築し、利用者が専門的な知識を持たなくても利用できるプラットフォームを開発します。また、AI・量子共通基盤の利用者がアプリケーションを実行する際に最適な計算資源を自動的に割り当てるロードバランシング技術(注5)の開発にも取り組みます。

さらに、プラットフォーム上で開発したアプリケーションを多数の利用者へ提供するためのアプリケーションサービスプロバイダー(以下 ASP)を開発し、量子コンピューターの利用者拡大を促進させます。

(2)量子コンピューターの運用技術の開発

各量子コンピューターの運用に必要となるテレメトリデータの抽出と蓄積方法を開発し、量子コンピューターの運用技術を確立します。また、極低温冷凍機や制御装置といった周辺機器のテレメトリデータを基に障害検知・管理技術を確立します。

<本研究開発の推進体制について>

本研究開発は、KDDI株式会社と株式会社KDDI総合研究所がプロジェクト全体のマネジメント及び技術要件定義の統括を行い、産学官による研究チームで推進します。

この中で、早稲田大学は、研究開発テーマ「計算資源を最適に割り当てるミドルウエア技術の開発」のうちIDEプロトタイプのAPI開発を担当します。特に、最適化アプリケーションの高性能化に関するAPIの研究開発を行います。本研究開発を通して、通信分野をはじめ、量子コンピューターのユースケースの探索や創出に貢献します。

表1 参画する研究機関と役割

参画機関 役割
KDDI株式会社 ・プロジェクト全体の統括、および事業開発
・ASPの開発
株式会社KDDI総合研究所 ・プロジェクト全体の技術要件定義
・AI・量子資源を最適に割り当てる技術の実装
・量子プログラムを生成するAIモデルの開発
株式会社セック ・量子システムの障害検知技術および運用システムの開発
株式会社Jij ・最適化計算の精度推定技術等の開発
・IDEプロトタイプの開発
・最適化パッケージの実装
株式会社QunaSys ・化学計算の精度推定技術等の開発
・消費資源推定技術の開発
・化学計算パッケージ開発
国立研究開発法人産業技術総合研究所 ・ABCI-Q環境の提供、および環境に関する情報提供
・ジョブスケジューラの開発
学校法人早稲田大学 ・IDEプロトタイプのAPI開発
学校法人慶應義塾 ・IDEプロトタイプのAPI開発
国立大学法人大阪大学 ・量子システムの障害検知技術の開発
学校法人芝浦工業大学 ・量子プログラムを生成するAIモデルの開発

<研究者のコメント>

早稲田大学は、これまでもKDDI株式会社とKDDI総合研究所等と共同して、通信分野をはじめ、量子コンピューターのユースケースの探索や創出に取り組んできました。さらに具体的なユースケースのもと、最適化アプリケーションの高性能化に関して多くの要素技術を創出してきました。本研究開発では、これまでの研究開発成果を高度化するとともに、これらの成果を統合開発環境に組み込み、量子コンピューターのユースケース探索や拡大を通して、量子未来社会ビジョンの実現に貢献したいと思います。

<用語解説>

(注1)2025年3月26日「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業」に係る公募について
(注2)出典:2022年4月22日「量子未来社会ビジョン ~量子技術により目指すべき未来社会ビジョンとその実現に向けた戦略~」(内閣府 統合イノベーション戦略推進会議)
(注3)2019年のGoogleによる量子超越の発表
Quantum supremacy using a programmable superconducting processor | Nature
(注4)産総研:量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター
(注5)ここでのロードバランシングとは、多くのリクエストを複数の計算機に均等に分散させるだけではなく、利用者の要件や計算機の状態を加味し、アプリケーションの実行に最も適した計算機を選択する技術のこと。

<参考>

量子コンピューターに関する過去の報道発表
2025年2月27日ニュースリリース KDDI、KDDI総合研究所、Jij、QunaSys、早稲田大学、AI・量子共通基盤の構築に向けパートナーシップ締結

発酵ガスから化学原料へ

著者: contributor
2025年7月21日 16:51

発酵ガスから化学原料へ
~ほしいときにほしいだけ低温で~

ポイント

  • 食品廃棄物等の資源を発酵して得られる発酵ガス(バイオガス)はメタンと二酸化炭素の混合ガスであり、温暖化を引き起こす二大要因のガスである。
  • この2つから化学原料を作るうえで、従来の方法では炭素析出※1が多く、実用化が困難であったが、今回、世界で初めてメタンと二酸化炭素から化学原料(合成ガス)をほしいときにほしいだけ低温で産み出すことに成功した。
  • 従来の方法では、800℃程度の熱が必要だったが、今回開発した技術により、200℃以下で同等の性能を炭素析出なく得ることができた。

概要

 食品廃棄物やバイオマス系の資源を発酵して得られる発酵ガス(バイオガス)は、メタンと二酸化炭素が半分ずつ含まれています。メタンと二酸化炭素は、温暖化を引き起こす二大要因のガスでもあり、この2つから化学原料を作る方法は従来から知られていましたが、非常に高温を必要とし、かつ炭素の析出が多く、実用化が困難な方法でした。
早稲田大学理工学術院関根 泰(せきね やすし)教授とクラサスケミカル株式会社の研究グループは、世界で初めてメタンと二酸化炭素から化学原料(合成ガスと呼ばれ、大規模かつ工業的に製造・使用されており、燃料や化学品の源となる)を、ほしいときにほしいだけ低温で産み出すことに成功しました。従来の方法だと800℃程度の熱が必要でしたが、今回開発された技術だと200℃以下で同等の性能を得ることに成功しました。低温プロセスは加温の時間が短縮でき、かつ使用エネルギーも大幅に節約することができます。これまで課題であった炭素析出もほとんど起こらず、安定にエネルギー効率よく発酵ガス(バイオガス)から化学原料をオンデマンドで作ることのできる技術を誕生させることができました。
本研究成果は、2025年7月18日(金)に『ACS Catalysis』のオンライン版で公開されました。

図 左が今回発見したスムーズに進む方法、右が炭素(coke)で汚れやすい従来の方法

これまでの研究で分かっていたこと

 これまでメタンと二酸化炭素の反応(ドライリフォーミング)は800℃で進むことは知られていましたが、工業的要請によって反応器※2を小さくするために高圧にすると炭素が大量に発生してしまい、反応が継続できなくなります。二大温暖化ガスであるメタンと二酸化炭素を直接反応させて化学原料とすることは、夢の技術でしたが実用化は困難だと思われていました。

今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

 今回、独自に開発した触媒(1wt%Ru/La2Ce2O7担持触媒)を用いて、表面イオニクス※3(プロトンホッピング※4)を活かした高圧でのドライリフォーミングを検討しました。その結果、熱による触媒反応の平衡転化率の限界を大きく超え、非常に低い温度(従来は800℃、今回は200℃)において、高いCH4/CO2転化率※5、優れたH2/CO比※6、低い炭素析出と高い安定性を同時に実現することができました。この際に、表面イオニクスを介した低温での表面反応性種の被覆率の増加により、効果的かつ相乗的に性能を向上することが各種分光技術や計算化学などによって証明されました。

研究の波及効果や社会的影響

 バイオマス系や食品系の廃棄物の嫌気発酵(メタン発酵)によって得られるバイオガスは、これからのカーボンニュートラル時代に地産地消で得ることができる貴重な資源です。バイオガスを化学原料へほしいときにほしいだけ低温かつ安定的に転換できる技術は、今後、多様な用途、複数の地域での活用が期待できます。

課題、今後の展望

 今後も協働パートナーであるクラサスケミカル株式会社と、さらなる大型化・効率向上に向けて研究を重ね、実用化に向けて活動してまいります。

研究者からのコメント

 加圧で低温の環境において、炭素を作ることなく安定に発酵ガス(バイオガス)から化学原料(合成ガス)を産み出すことは、これまで絶対に不可能だと思われていましたが、それを覆すことができたのは大きな喜びです。これを活かして新たな化学反応の体系を協働先とともに築いていきたいと思います。

用語解説

※1 炭素析出
固体の触媒材料の上に「すす」のような炭素が積もってしまうこと。これが起こると、汚れとして触媒を劣化させ、反応を継続できなくなる。

※2 反応器
中に固体の触媒材料を詰め、ガスを流して反応させるための管。今回の場合、その触媒の周囲に電極が接触して電位をかけている。

※3 表面イオニクス
固体触媒の表面でイオンが動くこと。

※4 プロトンホッピング
水素イオン(プロトン:H+)が固体触媒表面で動くこと。

※5 CH4/CO2転化率
メタンならびに二酸化炭素がどれくらい反応したかを示す割合。

※6 H2/CO比
生成してくる合成ガス(水素と一酸化炭素の混合ガス)の中の水素と一酸化炭素の比率。この値は、次に合成ガスを用いる上で適度な値が望まれる。

論文情報

(7)論文情報

雑誌名:ACS Catalysis
論文名:Electrically assisted low-temperature dry reforming of methane suppressing carbon deposition under high-pressure conditions
執筆者名:Clarence Sampson1 Takumi Masuda1, Taisuke Horiguchi1, Saori Ichiguchi1, Hiroshi Sampei1, Hitoshi Matsubara2, Shintaro Itagaki2, Gen Inoue2, Yasushi Sekine1* *責任著者

1 Department of Applied Chemistry, Waseda University, 3-4-1, Okubo, Shinjuku,Tokyo 169-8555, Japan
2 Technology Development Department, Oita Complex, Crasus Chemical Inc., 2, Nakanosu, Oita-city 870-0189 Japan

掲載日時:2025年7月18日(金)
DOI: 10.1021/acscatal.5c03126
掲載URL:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acscatal.5c03126

研究助成

この研究の一部は文部科学省科研費(24KJ2090ならびに23K20034)ならびに環境省のプロジェクトの支援によって行われました。

多孔性結晶中のNaイオンの高速拡散機構を新たに提唱

著者: contributor
2025年7月2日 09:21

多孔性結晶中のNaイオンの高速拡散機構を新たに提唱
-次世代ナトリウムイオン電池の新規正極の開発を加速-

ポイント

  • Naイオン電池の有望な電極材料である多孔性結晶プルシアンブルー(PB)中のLi+・Na+・K+の拡散機構を、スーパーコンピュータを利用した高精度計算により解明。
  • Na+が室温以下で十分高速に拡散すること、PB結晶の動的な歪みの小ささがその拡散機構に寄与することを示唆。
  • Naイオン電池の開発や、室温以下で安定動作する電池の設計指針構築に貢献。

概要

東京科学大学(Science Tokyo) 総合研究院 化学生命科学研究所の館山佳尚教授、早稲田大学 先進理工学研究科の伊藤暖大学院生(博士後期課程3年)らは、スーパーコンピュータ「富岳」(用語1)を用いた高精度計算により、Naイオン(Na+)電池(用語2)の有望な電極材料であるプルシアンブルー(PB、用語3)結晶におけるNa+の拡散機構とPB結晶の動的な無歪み性が室温以下の高速拡散に重要であることを提唱しました。これは「大きい孔が拡散に有利」という典型的な考え方を書き換え、また開発競争が加速するNaイオン電池の正極材料(用語4)設計指針を飛躍的に前進させる成果です。
近年、資源制約フリー(用語5)なNaイオン電池の研究が著しく加速しており、電池性能を決定づける正極材料の性能向上は重要な課題となっています。その解決法の一つとしてPB正極の利用が注目を集めていますが、PB正極の充放電速度向上の鍵となるNa+拡散の観測・制御は難しく、PB正極の材料設計の課題となっていました。
本研究では、スーパーコンピュータ「富岳」等を利活用することで、温度効果も含めた高精度な原子レベルの計算、第一原理分子動力学計算(FPMD、用語6)を世界に先駆けて実行しました。その結果、Li+、Na+、K+の拡散特性の比較を通して、Na+が室温以下でも高い拡散係数を維持すること、その要因としてPB結晶の動的な無ひずみ性が重要であることを示しました。得られた知見は、一般の多孔性結晶内のイオン拡散の基礎学理に新たな視点を与えるものであると同時に、室温以下で優位に駆動するNaイオン電池の材料開発にも大きく貢献するものと言えます。

本研究の成果は、米国化学会が出版する学術雑誌「Journal of the American Chemical Society」のオンライン版に6月30日付(米国東部時間)で掲載されました。

背景

持続可能な社会の実現に向けて、再充電可能な電池は極めて重要な役割を果たしています。リチウム(Li)イオン電池はその中心的な技術として発展してきたものの、地球上のLi資源分布の偏りが課題とされています。一方、資源が均等に分布しているナトリウム(Na)はLiと化学的性質が似ているため、近年では、Liの代替金属としてNaを用いたNaイオン(Na+)電池の開発競争が激化しています。特に、Naイオン電池の性能を左右する正極(図1a)の候補材料の決定が主な競争課題であり、層状酸化物を用いた研究が主流となっています。一方、層状酸化物タイプの材料は界面の劣化・酸素発生等による電池性能の著しい低下を引き起こす課題があります。それを回避する解決法の一つとして、プルシアンブルー(PB)正極の利用が注目を集めています。
立方体構造を有する金属有機構造体(MOF、用語7)の一種であるPB(図1b)は良好な正極性能(高速充放電特性、長寿命)を示すとともに、製造・材料コストが低いことがとりわけ魅力となっています。一方、PB電極性能の向上に向けて世界中で研究開発が進められているものの、明確な材料設計指針は確立されていません。これは、実験研究の詳細な合成・観測条件によって、正極性能の評価にばらつきがあり、直接比較を困難にさせているためです。故に、正極性能評価の汎用的な指針となる、欠陥や不純物のない理想的な結晶中のNa+拡散機構は未解明な点が多いのが現状です。
本研究では、PB結晶中のNa+拡散機構を解明するべく、スーパーコンピュータ「富岳」等を用い、原子レベルの第一原理分子動力学計算(FPMD)を実施することで、Na+拡散メカニズムの全貌を明らかにしました。さらに、Na+と化学的性質が似ておりイオンサイズが異なるLi+、カリウムイオン(K+)(図1c)を用いた計算も実施することで、PB結晶中のNa+拡散機構の比較検討を行いました。本研究では、立方体構造が3方向に二つずつ並ぶ結晶構造(合計八つのケージ)を想定し(図1b)、その内部で各イオン(A+ = Li+、Na+、K+)が四つ含まれる場合のA+拡散機構を解明しました。室温以上(高温から室温)と低温極限(絶対零度)における拡散機構の解明には、それぞれFPMD計算と第一原理遷移状態計算(用語8)を用いました。二つの手法を駆使し、広い温度範囲(高温から低温極限)で、A+イオンサイズの違いに着目したNa+拡散機構の比較検討を行いました。

図1. (a)イオン二次電池の模式図。負極から正極へと、リチウムイオンなどのプラスの電荷を帯びたイオン(濃いピンク色の丸)が移動することで、電流が流れる。 (b)正極材料の一種であるプルシアンブルー(PB)結晶。(c)PB結晶の孔の中で拡散するA+(= Li+、Na+、K+)イオンとそのサイズの比。

研究成果

高精度FPMD計算を行い、Na+は室温付近でも高い自己拡散係数(用語9)を維持し、拡散に必要な活性化障壁(用語10)も低いことが分かりました(図2a)。一方、Li+は高温でよく拡散するものの、高い活性化障壁を乗り越える必要があり(図2a)、K+は高温と室温においても拡散しませんでした。この結果は、室温付近においてPB正極が優れたNa+伝導体であることを示しています。

図2. (a)第一原理分子動力学計算を用いて算出したLi+、Na+の27〜427℃の温度範囲における自己拡散係数(D*)とアレニウス式(用語11)に基づくプロットから得られた活性化障壁(EaMD)。(b)第一原理遷移状態計算を用いて算出した低温極限(絶対零度)におけるA+イオン(Li+、Na+、K+)の活性化障壁の表。

PB結晶の低温領域における優れたNa+拡散機構を解明すべく、第一原理遷移状態計算を行いました。結果、PB結晶中でNa+は面心からずれた偏位面心(off-FC)位置を最安定位置にとり(図3a)、この間の活性化障壁は低い(129 meV、図2b)ため、容易にNa+が拡散することが示されました。さらに、Na+が拡散する際、結晶構造が動的にひずまずに保たれることが、低い活性化障壁と室温以下でも高い自己拡散係数を実現する鍵であることが明らかになりました。
Li+とK+は、低温極限(絶対零度)でも、Na+より高い活性化障壁を有することが分かりました。イオンサイズが小さいLi+は面心位置(図3b)を最安定位置としており、この位置の間の活性化障壁は比較的高い値を示しています(332 meV(図2b))。これは、大きなPB結晶のケージの面がLi+側に引き寄せられるように大きくひずむ(図3d)ことで、高い活性化障壁と室温以下の低い自己拡散係数が実現することを示しています。一方、イオンサイズが大きいK+(図1c)は、非常に大きな活性化障壁(978 meV(図2b))を必要とすることが分かりました。なお、欠陥を有するPB結晶では、高温でのみK+が有限の自己拡散係数を示すことが分かり、K+は欠陥を含むPB結晶中でのみ拡散することを示しています。

図3. 2 × 2 × 2のPBケージ構造において、(a)四つのNa+イオンが偏位面心位置と(b)四つのLi+イオンが面心位置のみを占有する場合の安定配置。(c-d)Na+、Li+の拡散に伴う動的なPB結晶のひずみ。 Na+、Li+が面心位置にいる際の結晶構造ひずみ(矢印はひずみ方向)を示している。

Li+、K+と比較することで、PB結晶は室温以下でより高速充電が可能なNaイオン電池の正極材料であることが示唆されました。この優位性の要因として、結晶構造が動的にひずまずに保たれることが高Na+拡散機構の実現において重要であることが考えられます。一般的に、電池の劣化は正極材料のひずみや膨張によって引き起こされます。したがって、本研究結果は、Naイオン電池の正極材料として、PB結晶が低温〜室温で高速充電が可能であるだけでなく、長寿命化が期待できることを示唆していると言えるでしょう。

社会的インパクト

中国の電気自動車用電池メーカーなどが2025年4月、低温(約–40℃)で高速充電可能なNaイオン電池 “Naxtra”を発表し、Naイオン電池の実用化に向けた世界的な動きが加速しています。正極材料としてのPBは、長寿命・高エネルギー密度かつ低コスト化を実現しており、欧米のスタートアップ企業を中心に研究開発競争が激化しています。一方、合成条件や組成の違いにより、PBの正極材料としての機能にはばらつきがあり、その材料開発指針は未だ確立していません。
本研究では、原子レベルの計算で最も高精度な手法であるFPMD計算を採用し、A+拡散機構について系統的な理論化学研究を世界で初めて行いました。Li+、K+との比較を通じて、PBが室温以下で駆動するNaイオン電池正極材料として有望であることを明らかにしました。本成果はNaイオン電池開発に対して大きく貢献すると同時に、PBと類似した多孔性を持つMOF材料のA+拡散機構に関する基礎化学を大きく前進させ、電池や触媒をはじめ孔内のイオン伝導を活用した、放射性イオン吸着剤や化学センサー等への材料開発への波及効果も期待されます。

今後の展開

本研究により、欠陥や不純物のない理想的なPB結晶構造がNaイオン電池の正極材料として高い可能性を持つことを理論的に示しました。しかし現実には、欠陥のないPB正極の合成は難しく、実用材料では意図していない結晶構造の欠陥や水和水(結晶内に含まれる金属イオンと相互作用している水分子)などの不純物が電池性能を抑制する要因となっています。また、PB結晶は高温で有毒ガスを発生する可能性があるため、これらの抑制するための仕組みを、材料科学の観点から取り組むことが重要です。今後は、欠陥や水和水も含んだ実際の材料条件に近づけた研究に展開することで、蓄電技術の実用研究との接続を図ります。

付記

本研究は、科学技術振興機構(JST)GteX(革新的GX技術創出事業)「資源制約フリーなナトリウムイオン電池の開発」(JPMJGX23S4)、先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)「分散型国際ネットワークが実現する基盤蓄電技術革新とネットゼロ社会」(JPMJAP2313)、および戦略的創造研究推進事業CREST「分子結晶全固体電池の創製」(JPMJCR22O4)、日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP24KJ2098、JP24H02203)、文部科学省 スーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラム「物理-化学連携による持続的成長に向けた高機能・長寿命材料の探索・制御」(JPMXP1020230325)の支援を受けて行われました。本研究のシミュレーションは、東京工業大学(現 東京科学大学)のスーパーコンピュータ TSUBAME 4.0、物質・材料研究機構の材料数値シミュレータ、および理研のスーパーコンピュータ「富岳」を用いて実行しました。また文部科学省HPCIプログラム利用課題(課題番号:hp230153、hp230205、hp240224)の協力を受けました。

用語説明

(1) スーパーコンピュータ「富岳」:理化学研究所と富士通が共同開発した日本のスーパーコンピュータで、世界トップレベルの計算性能を誇る。材料開発や創薬、気候予測など、幅広い先端研究に活用されている。
(2) Naイオン(Na+)電池:リチウムの代わりにナトリウムイオンを使う電池で、リチウムよりも資源が豊富で安価なため、次世代の蓄電技術として期待されている。
(3) プルシアンブルー(PB):200年以上前から顔料などに使用されている鉄を含む青色の錯体化合物で、安価かつ合成が容易であり、近年はNaイオン電池の正極材料などの新たな用途が注目されている。高いエネルギー密度と優れた安定性を併せ持つことが特徴。
(4) 正極材料:電池の放電・充電時にイオンの出入りが起こる「正極側」の主要な構成物質であり、電池の性能(エネルギー密度、寿命、安全性など)を大きく左右する中核材料。
(5) 資源制約フリー:限られた希少資源に依存せず、地球上に広く存在する元素を活用することで、持続可能性と安定供給を実現するという考え方。
(6) 第一原理分子動力学計算(FPMD):経験パラメータを利用しない量子力学方程式に基づいて計算された力を用いて原子の時間発展を追跡する動力学シミュレーションで温度や動的挙動を考慮できる。実験に依らない高精度計算手法として近年広く利用されている。
(7) 金属有機構造体(MOF):金属イオンと有機配位子が結合して形成される多孔性材料。高い表面積と構造多様性を持ち、ガス吸着や触媒などに応用される。
(8) 第一原理遷移状態計算:経験パラメータを利用しない量子力学方程式に基づいて計算された力で、始状態と終状態の間で最もエネルギーを使わずに変化できる構造変化(反応経路)を求める計算手法。
(9) 自己拡散係数:粒子が外部の力を受けずに自身の熱運動によって移動する速さを示す係数。分子動力学計算などで評価され、リチウムイオン伝導性などの指標になる。
(10) 活性化障壁:化学反応や物質中のイオン移動が起こるために必要な最小限のエネルギー。値が低いほど反応や拡散が起こりやすく、電池性能にも大きく影響する。
(11) アレニウス式:拡散係数(D)の温度依存性(T)を表す近似式(D =D0exp(-Ea/RT))。Eaは活性化障壁、Rは気体定数。

論文情報

雑誌名:Journal of the American Chemical Society
論文名:Dissimilar Diffusion Mechanisms of Li+, Na+, and K+ Ions in Anhydrous Fe-Based Prussian Blue Cathode
執筆者名:Dan Ito, Seong-Hoon Jang, Hideo Ando, Toshiyuki Momma, Yoshitaka Tateyama
掲載予定日時(日本時間):2025年6月4日
DOI:10.1021/jacs.5c05274

研究者プロフィール

館山 佳尚(タテヤマ ヨシタカ) Yoshitaka TATEYAMA
東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 教授
研究分野:計算材料科学、物性理論、電気化学

伊藤 暖(イトウ ダン) Dan ITO
早稲田大学 先進理工学研究科 ナノ理工学専攻 博士後期課程3年
東京科学大学 物質理工学院 応用化学コース 特別研究学生
研究分野:計算材料科学、理論化学、固体イオニクス

ナノ多孔体の結晶性を制御する新たな合成方法を開発

著者: contributor
2025年7月2日 09:20

ナノ多孔体の結晶性を制御する新たな合成方法を開発
カーボンニュートラルの実現に資する触媒材料、エネルギー変換材料開発へ期待

ポイント

  • ナノスケールの細孔をもつ金属酸化物材料は、触媒や吸着・分離材、エネルギー材料など幅広い分野で応用・研究されており、なかでも、単一の大きな結晶に無数のナノ細孔が空いている”単結晶性ナノ多孔体”は単結晶とナノ多孔体の性質を兼ね備えるユニークな材料として注目されています。
  • 本研究では、合成の難しかった金属酸化物の”単結晶性ナノ多孔体”合成のブレークスルーとなりうる技術を開発しました。細孔を形成する鋳型としてナノ多孔体を用いて、金属塩化物を染みこませて蒸気としてナノ細孔中を拡散、気相輸送させて酸化することで鋳型内での結晶成長を実現しました。
  • 作製した酸化鉄ナノ多孔体は、一般的な微結晶からなるナノ多孔体に比べて触媒活性や熱安定性が向上していることを確認しました。

概要

早稲田大学理工学術院の松野 敬成(まつの たかみち)講師らは、酸化鉄ナノ多孔体※1 の結晶子サイズ※2を制御する新しい合成方法を開発しました。鋳型となる多孔体の内部で前駆体の塩化鉄を気相拡散※3させ、鋳型中で酸素と反応させることで結晶が成長し、”単結晶性ナノ多孔体※4”が得られることを見出しました。酸化鉄の一種であるα-Fe2O3について細孔構造・結晶子サイズを制御し、従来の微結晶からなるナノ多孔体よりもて触媒活性や熱安定性が高いことを確認しました。

本研究成果は、アメリカ化学会発行の学術誌「Chemistry of Materials」に2025年6月30日8:00 (EST)にオンライン公開されました。
論文名: Quasi-Single-Crystalline Inverse Opal α-Fe2O3 Prepared via Diffusion and Oxidation of FeCl3 Precursor in Nanospaces

キーワード
金属酸化物、ナノ多孔体、単結晶性ナノ多孔体、ナノ空間、鋳型、金属塩化物、気相輸送、酸化鉄

図 開発手法による単結晶性ナノ多孔体生成の様子

これまでの研究で分かっていたこと

金属酸化物ナノ多孔体は金属酸化物由来の機能と、ナノ細孔に由来する高比表面積・大細孔容積などの特徴を併せもっており、触媒や分離・吸着材、電極、エネルギー材料など多岐にわたって応用・研究されています。組成や細孔構造などの各種パラメーターの制御は物性・特性に相関するため、その制御は重要です。これまでに界面活性剤ミセル※5やシリカ、炭素などを鋳型として細孔構造を転写することで種々の金属酸化物ナノ多孔体が合成されてきました。その細孔壁は通常、数ナノメートル(nm)~十数nm程度の微結晶で構成されますが、数百nm~数マイクロメートル(μm、100万分の1メートル)の結晶にナノ細孔が空いた”単結晶性ナノ多孔体”では粒界の少ない単結晶の特徴を併せもち、太陽電池や触媒材料として優れた性能を示すことが知られています。しかし、このような”単結晶性ナノ多孔体”の合成は一般的に困難で、水熱反応※6や低融点の金属塩の熱分解などの方法によって限られた組成のみが報告されている状況でした。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、そのための手法

従来材料における制約は合成方法に起因するため、本研究では課題解決に向けて金属酸化物の組成・細孔構造・結晶子サイズの同時制御を実現する新しい方法を開発しました。今回は酸化鉄の一種であるα-Fe2O3に注目し、その細孔構造と結晶子サイズの同時制御を達成しました。地殻中に豊富に存在する鉄の酸化物は酸化還元触媒や電極材料などに広く用いられています。

α-Fe2O3ナノ多孔体の精密制御を実現するためには鋳型法※7が有効でした(図1)。球状シリカナノ粒子が集積した多孔体に前駆体水溶液を含浸・乾燥し、空気中で加熱することで酸化物を形成しました。その後、シリカを塩基性水溶液で溶解することで細孔構造の制御されたα-Fe2O3ナノ多孔体を得ました。

図1 α-Fe2O3ナノ多孔体の合成

前駆体に塩化鉄を用いたナノ多孔体は数百nm~数μm程度のサイズで、結晶方位が粒子全体で揃っていることが分かりました(図2)。一方で、これまで結晶子サイズの大きいナノ多孔体の合成に用いられてきた、融点の低い硝酸塩を用いた場合は数十nm程度の微結晶で細孔壁が構成されていました(図2)。硝酸塩は熱分解によって核形成・結晶成長が起きますが、塩化物は直接的な熱分解を起こさず酸素との反応により酸化物を形成するため、結晶性に大きな違いがみられたと考えられます。また、鋳型中で気相から塩化物が連続的に供給されることで結晶が成長したと考えられます。

図2 α-Fe2O3ナノ多孔体の透過型電子顕微鏡像とその制限視野電子回折(SAED)パターン※8
高速フーリエ変換(FFT)パターン※9。(左)塩化物前駆体から合成、(右)硝酸塩前駆体から合成。

単結晶性のナノ多孔体は微結晶からなる多孔体に比べて高い耐熱性を示しました。また光フェントン反応※10によるメチレンブルーの分解をモデル反応として触媒活性を比較したところ、比表面積が小さいにもかかわらず、単結晶性ナノ多孔体の方が2倍程度速く色素を分解することが分かりました。

これらの結果は単結晶性の細孔壁をもつナノ多孔体の有用性を示しています。

研究の波及効果や社会的影響

従来の方法では合成可能な”単結晶性ナノ多孔体”の組成に制限がありました。本研究では、前駆体となる塩化物を外部から供給するのではなく、元々鋳型の中に含浸しておき空気中で加熱・酸化するだけで鋳型内部での原料の拡散と連続供給による結晶成長が可能であることを見出しました。このような新しいナノ多孔体の精密合成は優れた特性をもつ金属酸化物ナノ多孔体の発掘に貢献し、ナノ多孔体が用いられる幅広い分野への波及効果が期待できます。

課題、今後の展望

今回の検討では鋳型中での塩化物の酸化によりα-Fe2O3の結晶子サイズの制御に成功し、一般的な微結晶からなるナノ多孔体との違いを明らかにしましたが、本手法が他の組成にどこまで適用できるかはまだ分かっていません。FeCl3以外の金属塩化物でも同様の反応過程を経て単結晶性の金属酸化物ナノ多孔体の合成が期待できるため、今後本手法で合成可能な組成を明らかにしていきます。同時に、鋳型内部における結晶成長メカニズムを明らかにし、無機合成化学の学理を深耕することも重要です。以上に加えて、応用評価を進め、カーボンニュートラルの実現に資する触媒材料、エネルギー変換材料への展開を目指します。

研究者からのコメント

ナノ多孔体を構成する組成・細孔構造・結晶性などのファクターと機能には密接な相関があり、設計の自由度が向上することで新しい応用展開や適用できる範囲の拡大が期待できます。所望のナノ多孔体を得るための合成化学は機能性材料を設計するうえで重要な基盤技術の1つであり、本手法によって新しい材料群の創出が期待されます。

用語解説

※1 ナノ多孔体
ナノメートル(10億分の1メートル)スケールの細孔をもつ物質。通常の緻密な物質とは異なり、高比表面積・大細孔容積を有するため、その特徴を活かして触媒や吸着・分離材、エネルギー材料など幅広い用途で利用される。

※2 結晶子サイズ
結晶性材料を構成するうちの、単一とみなせる結晶の大きさ。一般的なナノ多孔体の細孔壁はナノサイズの結晶の集合体であり、大きな結晶で構成されるナノ多孔体の合成は重要な課題の1つ。

※3 気相拡散
金属塩化物は比較的高い蒸気圧をもち、単独では熱分解による酸化物の形成が起こらないため、加熱することで気体として安定な状態で拡散する。本研究では鋳型に染みこませた金属塩化物が鋳型中を気体として拡散することで連続的に前駆体が供給され、金属酸化物の結晶が成長した。

※4 単結晶性ナノ多孔体
結晶性ナノ多孔体の中でも、単一の結晶中に多数のナノ細孔をもつナノ多孔体。通常の結晶性ナノ多孔体の細孔壁は微結晶から構成されるが、細孔壁が大きな結晶からなる場合は粒界が少ないため特徴的な物性を発現する。

※5 界面活性剤ミセル
両親媒性である界面活性剤分子が自発的に集合(自己組織化)することで形成されるナノ構造体。典型的には水中でミセル形成の臨界濃度以上になったとき、親水基を外側、疎水基を内側に向けて自己組織化し、球状・ロッド状・ラメラ・3次元構造など多様な集合構造をとる。

※6 水熱反応
水と前駆体を反応容器に密閉して加熱することで高温・高圧条件下で物質を合成する方法。

※7 鋳型法
有機分子や無機粒子などの鋳型と金属酸化物との複合体を作製し、鋳型のみを除去することで鋳型の形状を反映した金属酸化物ナノ多孔体を得る方法。無機粒子としてはシリカや炭素のナノ粒子、ナノ多孔体などが用いられる。

※8 制限視野電子回折(SAED)パターン
電子線の回折により原子スケールの周期性(結晶性)を確認することができる。今回のケースではスポットが観測されており、一つの多孔体粒子の中で結晶方位が揃っており単結晶的であると分かる。

※9 高速フーリエ変換(FFT)パターン
撮影画像をFFT変換した画像。今回のケースではナノスケールの周期性を反映しており、スポットが観測されたことから球状細孔の規則的な配列が確認された。

※10 光フェントン反応
過酸化水素と鉄イオンを含む水溶液にUV光を照射することでヒドロキシラジカルを発生させ、有機物を分解する反応。本研究では鉄イオンの代わりに酸化鉄ナノ多孔体を溶液中に分散させて、メチレンブルーの分解反応を行った。

論文情報

雑誌名:Chemistry of Materials
論文名:Quasi-Single-Crystalline Inverse Opal α-Fe2O3 Prepared via Diffusion and Oxidation of FeCl3 Precursor in Nanospaces
執筆者名(所属機関名):Daichi Oka, Kohei Takaoka, Atsushi Shimojima, Takamichi Matsuno* (Waseda University)
掲載日時(現地時間):2025年6月30日(月)8:00 (EST)
掲載日時(日本時間):2025年6月30日(月)21:00 (JST)
掲載URL:https://doi.org/10.1021/acs.chemmater.5c00155
DOI:10.1021/acs.chemmater.5c00155

研究助成

研究費名:JST創発的研究支援事業
研究課題名:微小な圧力を駆動力としたナノ多孔質圧電触媒の開拓(JPMJFR2224)
研究代表者名(所属機関名):松野敬成(早稲田大学)

2025年6月6日 次世代交通システム研究所長 森本教授が日本都市計画学会2024年度学会賞(石川賞)を受賞しました

著者: contributor
2025年6月16日 16:58

日本都市計画学会は2025年6月6日に2024年度学会賞を公表しました。学会賞のうち、都市計画に関する独創的または啓発的な業績により、都市計画の進歩、発展に顕著な貢献をした個人または団体を表彰対象とした石川賞に、次世代交通システム研究所長の森本教授他が選定されました。受賞名等は以下のとおりです。

2024年度日本都市計画学会 石川賞
作品名 宇都宮LRT導入における構想期からの官学民連携
受賞者 栃木県 福田 富一県知事
宇都宮市 佐藤 栄一市長
宇都宮大学 古池 弘隆名誉教授
早稲田大学 森本 章倫教授
市民団体「雷都レールとちぎ」 奥備 一彦代表
受賞理由
本業績は、日本初の全線新設LRT である宇都宮LRT の2023 年8 月の開業と、そこに至るまでの30 年にわたる官学民連携のプロジェクトである。宇都宮 LRT が開業してからは、予想を上回る利用者数、自動車利用の削減、沿線人口の増加等によるコンパクトシティへの貢献等により全国紙等でも取り上げられる交通まちづくりの顕著な成功事例と言える。
特に評価される点は、第一に、全線新設LRT を実現させたことそのものである。TOD 先進国と言われながらもモータリゼーションの進む日本、特にそれが顕著な北関東において、新たな公共交通オプションを実体として示した。自動車に依存した地方都市においても、公共交通とまちづくりの連携した取り組みにより、都心のにぎわいを取り戻し、市民の生活が変えうることは、欧州の事例では知られていたが、それを日本でも実証した本業績の価値は顕著である。第二に、30 年にわたるプロセス
を官学民連携で成し遂げた点である。その経緯からは幾度かの困難に遭ったことが窺われるが、常に官学民がそれぞれの役割を担いつつ連携して、30 年かけて宇都宮 LRT の実現に至っている。その実現に特に貢献したキーパーソンとされる候補者 5 名のうち、首長 2 名は一貫して LRT 導入を支え、学識2 名は長期的に専門家として支援し、市民団体代表は地元の導入に向けてのムーブメントの醸成に寄与してきた。
気候変動が喫緊の課題になっている世界の状況や、人口減少・少子高齢化が進む我が国の状況において、また、人中心の都市空間を実現するためにも、公共交通の充実とそのための新たな方策は不可欠である。本業績は、他都市に先んじてその取り組みを進め、実現し、さらなる展開を目指している啓発的な業績と言える。したがって、本業績は日本の都市計画の発展に顕著な貢献をしていると考えられ、日本都市計画学会石川賞に相応しいと判断した。

詳細はこちらからご確認いただけます。

キラル物質が示す光による電流生成機能を予言

著者: contributor
2025年6月9日 16:42

キラル物質が示す光による電流生成機能を予言
新しい光エレクトロニクス機能の開拓へ道

ポイント

  • 振動する電磁場であるレーザー光で物質中の電子を強く揺すると、その物質の新たな性質や機能を引き出せることが近年のレーザー技術の発展により少しずつ分かってきました。
  • 本研究では、キラルな結晶構造を持つコバルトとケイ素の化合物にレーザー 光を照射すると、その化合物中に指向性のある電流が生成される現象を理論計算により発見しました。またこの時に、照射した光の整数倍の周波数を持つ光が発生することも発見しました。
  • キラルな物質が示すこれらの興味深い現象を活用することで、光 による電流生成や電流のオン・オフ、電流方向のスイッチング、光信号から電気信号への変換、光信号の周波数変換など 、様々な新しい光エレクトロニクス機能の実現が期待できます。

概要

光照射により物質の性質や機能を自在に操ることは、物質科学におけるチャレンジングな課題ですが、レーザー技術の発展により、近年その研究は加速度的に進展しています。 今回、早稲田大学高等研究所大湊友也(おおみなとゆうや)講師と、同大学理工学術院望月維人(もちづきまさひと)教授は、キラルな結晶構造を持つ物質に光を照射すると、指向性のある電流が発生すると同時に、照射した光の整数倍の周波数を持つ光 が発生することを理論的に発見しました。この現象は、光による電流の生成やオン・オフ、電流方向のスイッチング、光信号から電気信号への変換、光信号の周波数変換など 、さまざまなエレクトロニクス技術への応用が期待できます。今回の発見は、キラルな物質が光エレクトロニクスデバイスの素材として高いポテンシャルを秘めていることを初めて明らかにした革新的な成果です。
本研究成果は、アメリカ物理学会発行のPhysical Review Research誌に2025年6月2日にオンラインで掲載されました。

図1 :左手と右手のように、鏡に写した像が元の像と重ならない構造を「キラルな構造」と呼ぶ。コバルトケイ素(CoSi)はキラルな結晶構造を持ち、[111]方向から結晶構造を観察すると、原子が螺旋状に配置されている。CoとSiで螺旋の巻き方が逆の構造になっている。キラルな結晶構造を持つ物質に光を照射して電子を励起すると、指向性のある電流が生成されるのと同時に、照射した光の整数倍の周波数を持つ光が発生する。光の強さと周波数を調整すると、電流のオン・オフや向きの切り替え、光信号から電気信号への変換、光信号の周波数変換など、さまざまな光エレクトロニクス機能を実現できる可能性がある。

キーワード:
レーザー光、円偏光、キラル結晶、コバルトケイ素(CoSi)、光電流生成、高次高調波発生、光エレクトロニクス機能

これまでの研究で分かっていたこと

光照射により物質中の電子を励起することで新しい物性現象や物質機能を引き出そうとする研究が、世界中の研究者を巻き込んで精力的に行われています。特に、近年のレーザー技術の発展は、そのような研究を大きく進展させました。
光を物性制御の手段として用いることの利点は、(1)高速の応答性、(2)摩耗フリーな非接触性、(3)共鳴励起 ※1を活用することによる省電力性、などが挙げられます。そのため、光による物性制御は、現象そのものに対する基礎科学的な興味に加え、技術応用上の観点からも多くの研究者の興味を集めています。
物質が示す最も有名な光誘起現象の一つに「光起電力効果」があります。これは、物質に光を照射することで電圧が生じ、電流が流れる現象です。例えば、シリコン半導体を使った太陽電池では、プラスの電気を帯びやすいp型半導体とマイナスの電気を帯びやすいn型半導体を張り合わせた接合デバイスに太陽光が照射されると電流が流れます。このような現象は、環境に優しく、安全でクリーンなエネルギー源として近年注目を集めています。
太陽電池で誘起される電流は、光の照射方向や偏光、強度に依らず、常に決まった方向に流れます。一方で、これらの光のパラメータを変えることで、電流のオン・オフや、電流の向きのスイッチングが実現できれば、双極性電源や、光-電気信号変換といったエレクトロニクス技術への応用の可能性が大きく広がります。しかし、そのような視点に立った研究はこれまでほとんどありませんでした。

今回の新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

そこで本研究では、照射する光の進行方向や偏光に依存した電流のオン・オフや、電流方向のスイッチングが実現できる可能性を理論的に探索することを目指しました。この目的を達成するために本研究では、結晶構造自体が方向性を持つ「キラル結晶物質」に着目しました。「キラル」という言葉は、左手と右手のように、鏡に映した像と元の像が互いに重ね合わせることのできない関係にある構造を表します。物質の中にはキラルな結晶構造をもつ「キラル結晶物質」があります。例えば、結晶を構成する原子が螺旋状に並んでいる物質は典型的なキラル結晶物質です。そのような物質中の原子の配列は必然的に空間的な「向き」を持つことになります。
このような「向き」を持つキラル結晶物質に光を照射することで、結晶の向きと光の向き(照射方向や偏光)の相対的な関係に依存した指向性を持つ応答が起こるのではないかと考えました。そこで、コバルト(Co)とケイ素(Si)という2種類の元素から構成され、B20型と呼ばれるキラルな結晶構造を持つCoSiという化合物に着目し、その光照射に対する応答を調べました。
具体的には、CoSiに円偏光レーザー光※2を照射したときに起こる現象を、時間周期的な外場である「光の振動電磁場」で駆動された系を記述するフロケ理論 ※3と呼ばれる理論手法を用いて、コンピュータによる数値計算を行うことで調べました。その結果、(1) 制御可能な光電流生成と、(2)照射した光の整数倍の周波数を持つ光が発生する現象(高次高調波発生※4)が起こることを理論的に発見しました。

まず(1)に関して、レーザー光の照射により発生する電流の大きさを3種類の周波数の光 について計算した結果を図2(左)のグラフに示します。横軸はレーザー光電場、縦軸は発生する電流の大きさです。今回の設定では、光の入射方向と同じ方向に電流が流れます。理論的な解析の結果、これはキラルな結晶構造に由来する特徴的な光応答の一つであり、左円偏光と右円偏光で電流の向きが反転することが分かりました。さらにグラフから、レーザー光の強度や周波数を変化させると、電流の向き(符号)が変化していることが読み取れます。これは、光の強度や周波数を変えることで、光により生成される電流の向きをスイッチングできることを意味しており、本研究で発見された重要な現象の一つです

図2:キラル結晶物質CoSiに光を照射することで生成される電流の計算結果。 入射方向と平行な電流が生成され、光の偏光や周波数、強度に依存して電流の流れる向き(符号)が変わる。

次に、照射したレーザー光の整数倍の周波数を持つ光が発生する現象に関する計算結果を示します(図3左図参照)。このような現象は高次高調波発生と呼ばれます。下図のグラフは、レーザー光の入射方向に対して、平行方向と垂直方向の高次高調波発生の強さを計算した結果です。照射したレーザー光の周波数に対して、どの整数倍の周波数を持つ光が発生するかを示しています。これらのグラフから、照射光の偶数倍の周波数を持つ光が照射光と垂直な方向に発生・伝播し、奇数倍の周波数を持つ光が平行な方向に発生・伝播していることが読み取れます。つまり、図3右図の概念図に示すように、整数倍の周波数の偶奇に応じた特定の方向に光が発生・伝播することが分かります。理論的な解析の結果、この現象もキラルな結晶構造に由来する光応答であることが分かりました。今回明らかにした重要な点は、放射される光に整数倍の周波数の偶奇に応じた指向性があることです。このことは、キラル結晶物質が光の周波数と進行方向を変換する素子として活用できることを示しています。 そのため、レーザー光の制御性向上という点で光エレクトロニクスの発展に貢献する画期的な現象です。

図3:レーザー光照射によって高次高調波発生 が起きる。整数の偶奇によって放射方向が異なる。

研究の波及効果や社会的影響

本研究は、キラルな物質で光を用いて電流を生成する原理および光の周波数と進行方向を変換する原理を理論的に発見したものであり、物質科学、光科学、エレクトロニクスの幅広い分野に影響を与えます。特に、CoSiという具体的な物質に対して新現象が現れる条件を理論的に提示したことにより、今回の理論予言検証を目指す実験研究や、他のキラル物質を対象とした光による電流生成現象の探索など、多くの関連研究 が発展していくと期待されます。例えば、CoSiと同様のキラルな結晶構造を持つMnSiやFeGe、あるいはキラルな分子結晶や金属有機構造体なども今後の研究対象として挙げられます。さらに、光によって電流を発生・制御する機能や、光の周波数変換を実現する性質は、光を用いた情報処理やエネルギー変換技術への応用展開を促進します。これにより、電子機器や通信技術の分野において、従来材料とは異なる動作原理に基づく新たな光機能デバイスの開発が期待されます。特に、キラルな構造に由来する指向性を活かすことで、光スイッチや光整流素子による低消費電力・高効率な次世代光エレクトロニクス技術の発展に貢献します。

課題、今後の展望

今回の研究で理論的に発見した「円偏光レーザー光を照射した際のキラル結晶における電流スイッチングと偶奇に応じた高次高調波発生の指向性」の観測を目指して、実証実験を行うことがこれから取り組むべき課題です。実証実験が行われる段階に入れば、実験データを参考にして理論の精密化を行い、それによってより正確に実験データを解釈できる、というサイクルで理論と実験が両輪となって研究が進展していくと考えられます。

研究者のコメント

今回の研究では、キラル結晶へのレーザー光照射によって、新しい光エレクトロニクス機能としての応用可能性を秘めた現象を発見しました。これは光を使って電子を自在に操るという大きな目標に向けて、円偏光レーザー光とキラルな構造の組み合わせが有効であることを示しています。今後も、「光」と「キラル」をキーワードとする研究者間の交流を促進する新現象を発見して、次世代の光技術開発に貢献したいです。

用語解説

※1 共鳴励起
外場の周波数(例えば光による振動電場)を、電子のエネルギー準位差で決まる固有の周波数に一致させて、効率的に電子を励起することです。

※2 円偏光レーザー光
円偏光を持ったレーザー光のことです。ここで「円偏光」とは、光の電場ベクトルが一定の振幅で左回り(左円偏光)または右回り(右円偏光)に回転しながら進行する特殊な偏光状態のことです。一方、レーザー光とは、単一波長で位相の揃った光(コヒーレント光)であり高い指向性を持ちます。

※3 フロケ理論
常微分方程式の周期解を扱うための数学の理論で、時間周期的な外場によって駆動された電子の運動を時間に依らない電子の運動に置き換えて解析することができます。

※4 高次高調波発生
もとの光の整数倍の周波数をもつ光を作り出す現象で、アト秒光パルス(2023年ノーベル物理学賞)でも重要な役割を果たしています。

論文情報

雑誌名:Physical Review Research
論文名:Theory of photocurrent and high-harmonic generation with chiral fermions
執筆者名(所属機関名):大湊友也*(早稲田大学高等研究所・講師)、望月維人(早稲田大学理工学術院先進理工学部応用物理学科・教授) *筆頭著者
掲載日時:2025年6月2日(月)
掲載URL:https://journals.aps.org/prresearch/abstract/10.1103/PhysRevResearch.7.023218
DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevResearch.7.023218

研究助成

研究費名:科研費 基盤研究(A)
研究課題名:スキルミオニクス創成に向けた基盤技術と材料の開拓
課題番号:JP20H00337
研究代表者名(所属機関名):望月維人(早稲田大学)

研究費名:学術変革領域研究(A) 『キメラ準粒子が切り拓く新物性科学』
研究課題名:キメラ準粒子の理論
課題番号:JP24H02231
研究代表者名(所属機関名):村上修一(東京大学)

研究費名:科研費 基盤研究(A)
研究課題名:スキルミオンが持つ新しい物質機能・物性現象の開拓とスキルミオニクスの創出
課題番号:JP25H00611
研究代表者名(所属機関名):望月維人(早稲田大学)

研究費名:科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業 CREST
領域名:トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出
研究課題名:Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出
課題番号:JPMJCR20T1
研究代表者名(所属機関名):于秀珍(国立研究開発法人理化学研究所)

南海トラフ地震による災害廃棄物量は7~28万トン、 処理には1.6年以上必要

著者: contributor
2025年6月9日 16:41

南海トラフ地震による災害廃棄物量は7~28万トン、
処理には1.6年以上必要

南海トラフ地震影響域の早期復興とレジリエンス強化を目指して

ポイント

  • 地震や津波による災害廃棄物の量と処理時間を、その処理・輸送に関わる複数のインフラシステムの被災状況を踏まえて、リスクアプローチに基づき推定する数理モデルを開発しました。
  • 南海トラフ地震・津波の発生を想定した三重県南部のシミュレーションでは、災害廃棄物量は約7万トンから28万トンと推定され、その処理に少なくとも1.6年を要することが分かりました。
  • 本研究により、将来の巨大災害に対する迅速な復旧活動や災害廃棄物処理のためには、複数のインフラシステム管理主体が連携して対策を講じる重要性が明らかになりました。

概要

災害廃棄物は、被災地の復旧や産業に深刻な影響を及ぼし、その処理速度は震災からの復興に要する時間、すなわちレジリエンス※1に直結します。南海トラフ地震では全国で約4.2億トン、東日本大震災の約21倍の災害廃棄物が発生すると推計されており、事前の合理的なマネジメント手法の確立が急務です。
早稲田大学理工学術院秋山充良(あきやまみつよし)教授、青木康貴(あおきこうき)博士、Bandung Institute of TechnologyのAbdul Kadir Alhamid博士、Lehigh University ATLSS CenterのDan M. Frangopol教授、および東北大学災害科学国際研究所の越村俊一(こしむらしゅんいち)教授の研究グループは共同で、地震と津波のマルチハザード※2により発生する災害廃棄物の量と処理時間を算定する数理手法を開発しました。本手法は、災害廃棄物対策の立案や沿岸地域のレジリエンス強化に貢献すると期待されます。

本研究成果はエルゼビア社が発行する国際学術誌「Reliability Engineering & System Safety」に2025年5月14日(水) (現地時間)にオンライン公開されました。
論文名:Resilience-based estimation of the disaster waste disposal time considering interdependencies between waste disposal and road network systems under seismic and tsunami hazards in coastal communities

キーワード:
レジリエンス、リスク、災害廃棄物、南海トラフ、地震、津波、マルチハザード、インフラシステム、橋梁・道路ネットワーク

図 本研究による災害廃棄物の量と処理時間を算定する数理手法の概要

これまでの研究で分かっていたこと

2011年の東日本大震災では、地震と津波によって約2,300万トンの災害廃棄物が発生し、その処理が復旧・復興の大きな障害となりました。このような経験から、災害廃棄物の迅速な処理が地域の早期復興、すなわちレジリエンス強化に不可欠であると認識されてきました。しかし、これまでの研究では、地震と津波のマルチハザードにより発生する災害廃棄物に焦点を充てたものは限られていました。さらに、廃棄物の処理・輸送に関わる複数のインフラシステム(例:廃棄物処理施設、橋梁・道路ネットワーク)の被災状況や相互依存性※3を考慮した研究は見られませんでした。そのため、南海トラフ地震の影響下にある沿岸地域およびインフラシステムの中で、災害廃棄物の処理に要する時間を精緻に評価するための定量的手法は、これまで確立されていませんでした。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、そのために新しく開発した手法

本研究では、地震および津波により被災した沿岸域における災害廃棄物の量とその処理に要する時間を、廃棄物の処理と輸送を担うインフラシステムの被災状況と、それらが復旧していく過程を考慮して推定する新たな数理手法を開発しました。提案手法では、廃棄物処理システムと道路ネットワークの性能の時空間的変化を定式化し、質量保存則および最小費用流原理※4に基づく動的解析により、両システムの相互依存性を考慮した災害廃棄物処理の動態評価を可能にしました。
さらに、地震・津波ハザードの強度、構造物の安全性と復旧に要する時間、災害廃棄物量、および仮設処理施設の性能の推定に関する不確かさやモデル誤差を全確率の定理※5に基づいて統合することで、確率論的に処理時間を推定します。これにより、南海トラフ地震・津波に起因する多様な被害シナリオを考慮しつつ、想定外の事象の発生を抑制した信頼性の高い予測が可能となります。
ケーススタディとして、南海トラフ地震・津波の発生を想定し、三重県の約6分の1の面積を占める東紀州地域に位置する仮想の廃棄物処理システムおよび橋梁・道路ネットワークを対象に提案手法を適用しました。その結果、対象地域で発生する災害廃棄物量は、30および70パーセンタイル※6において、それぞれ約7万トンと28万トンと推定され、その処理には少なくとも1.6年を要することが明らかになりました。

さらに、災害廃棄物処理に関わるパラメータ(既設処理施設の安全性、仮設処理施設の設置に要する時間および処理能力、道路網の交通容量)に対する感度解析※7を行い、図-1に示す結果を得ました。図-1は、道路ネットワーク上の橋梁の耐震性が高いおよび低い場合に、対象パラメータに乗ずる係数と、地震発生から500日後までに災害廃棄物の処理が完了する確率の関係を示しています。図-1より、同じ災害廃棄物対策を施した場合でもその効果は、橋梁の耐震性が高く震災後も車両が道路ネットワークを通行しやすいほど、高いことが分かります。この結果は、災害廃棄物処理のマネジメント手法を確立するためには、廃棄物処理システムおよび橋梁・道路ネットワークの管理者が連携して、震災前に対策を講じる必要性を示しています。

図-1 災害廃棄物処理に関わるパラメータの感度解析結果 (対象パラメータに乗ずる係数と災害廃棄物処理の完了確率の関係)

研究の波及効果や社会的影響

災害廃棄物は、その処理に膨大な時間、資本、労働力、および土地を要し、復興活動の大きな妨げとなります。本研究成果は、迅速な復興に貢献する災害廃棄物対策に資する情報を提供できます。
本研究では、構造物の損傷が災害廃棄物の発生、輸送、および処理に及ぼす影響に加えて、その推定の妥当性を定量化して災害廃棄物の処理期間を推定しました。これは、最悪な被害想定のみを対象とした多くの既往の検討や研究と比較して、より実践的かつ合理的な災害廃棄物マネジメントに貢献する可能性があります。

課題、今後の展望

本研究で得られた成果は、現時点で入手可能なデータおよび知見を活用し、また、多くの仮定の下で対象地域を数理モデル化したものです。本研究のさらなる高度化には、地震断層のモデルの設定や、災害廃棄物処理に関係するパラメータの定量化・精緻化などに関する継続した検討が不可欠です。
地震動・津波(マルチハザード)の影響を受ける広範な橋梁・道路ネットワークとその周辺にある一般家屋等の全ての構造物を含めた都市空間、および震災からの復興に伴う被害状況の時間変化をモデル化した本手法は、他の災害への応用も期待できます。例えば、地域のハザードの状況などを勘案しながら、優先的に取り組む対策(耐震補強か浸水対策か)の意思決定を助けるツールとなり得ます。

研究者のコメント

南海トラフ地震による地震動や津波は極めて強大であり、耐震補強の進捗が十分でない現状を鑑みると、多くの構造物が損壊することは避けらないといえます。そのため、構造物が破壊され、災害廃棄物が発生することを前提とした事前対策の必要性に着目して、本研究に取り組みました。本論文は早稲田大学、東北大学、Lehigh大学の国際共同研究の成果であり、災害廃棄物マネジメントに対する世界初の重要な貢献です。今後は計算機上の仮想空間に留まらず、実社会での応用に向けて研究を深化させていきます。

用語解説

※1 レジリエンス
地域やインフラシステムが有する、社会的混乱を最小限に留めながら復旧活動を実施し、災害の影響を緩和する能力を表す概念。
※2 マルチハザード
地震、津波、豪雨など、構造物やインフラシステムに影響を及ぼす多様な自然災害の総称。従来の耐震設計または浸水対策といった個別の対応を拡張し、複数の災害を総合的に考慮した構造設計を促す。
※3 相互依存性
複数のシステムや構成要素が互いに影響を及ぼし合う関係性。本研究では、例えば道路網が寸断されると災害廃棄物の輸送が困難となり、結果として廃棄物処理が遅れるように、廃棄物処理システムと道路ネットワークの性能が互いに影響を及ぼしながら、廃棄物処理の進捗を規定する。
※4 最小費用流原理
ネットワーク上で物資を運ぶ際に、輸送コストが最小となる効率的な流れを求めるための原則。
※5 全確率の定理
直接的に推定し難いある事象の発生確率を、それが生じる原因となる複数の排反事象の発生確率などを用いて算定するための規則。本研究では、災害廃棄物の処理時間に関わる確率が、構造物の損壊や廃棄物の量などの発生確率から求められる。
※6 パーセンタイル
データを小さい順に並べたときに、特定の値がデータ全体の中でどの位置にあるかを百分率で表したもの。リスクアプローチに特有の算定指標であり、例えば30パーセンタイルは、データを昇順に並べた際に、全体の30%の位置にある値を指す。
※7 感度解析
システムや数理モデルの出力に対して、各入力パラメータの変動がどの程度影響を与えるかを評価する手法。本研究では、災害廃棄物の処理時間に対して影響度の高い要因・対策を特定するために用いた。

論文情報

雑誌名:Reliability Engineering & System Safety
論文名:Resilience-based estimation of the disaster waste disposal time considering interdependencies between waste disposal and road network systems under seismic and tsunami hazards in coastal communities
執筆者名(所属機関名):青木康貴(早稲田大学)、秋山充良*(早稲田大学)、Abdul Kadir Alhamid(Bandung Institute of Technology)、Dan M. Frangopol(Lehigh University)、越村俊一(東北大学) *:責任著者
掲載日時(現地時間):2025年5月14日
掲載URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0951832025004430
DOI:https://doi.org/10.1016/j.ress.2025.111242

研究助成

研究費名:科学研究費助成事業(科研費)・基盤研究(A)
課題名:地球温暖化による荷重・作用の激甚化と橋梁・道路ネットワークのレジリエンス評価(23H00217)
代表者名(所属機関名):秋山充良(早稲田大学)

研究費名:科学研究費助成事業(科研費)・国際共同研究加速基金(海外連携研究)
課題名:ドローン撮影画像を用いた劣化橋梁の健全性診断のための機械学習モデルの構築(24KK0090)
研究代表者名(所属機関名):秋山充良(早稲田大学)

2025年度「NEDO先導研究プログラム」に早大から2件採択

著者: contributor
2025年6月4日 16:42

国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が公募する2025年度「NEDO先導研究プログラム/新技術先導研究プログラム[エネルギー・環境新技術先導研究プログラム][新産業・革新技術創出に向けた先導研究プログラム]」に、本学から申請した2件が採択されました。応募件数は84件、採択研究開発テーマは20件でした。

採択課題

エネルギー・環境新技術先導研究プログラム

由良 敬(理工学術院・教授)

【研究開発課題】合成生物学的手法を活用した資源自律経済の実現に資する研究開発

【テーマ名】AI酵素工学で実現するウレタン資源自律経済に向けた研究開発

【実施体制】早稲田大学、大阪工業大学、東京大学、理化学研究所、日産自動車株式会社、三菱ケミカル株式会社

新産業・革新技術創出に向けた先導研究プログラム

安藤 正浩(ナノ・ライフ創新研究機構・主任研究員(研究院准教授))

【研究開発課題】DBTL サイクルの高速化に資する非破壊計測基盤技術の開発

【テーマ名】ラマン振動分光による革新的代謝解析とDBTL高速化基盤の創出

【実施体制】早稲田大学、株式会社堀場製作所、株式会社島津製作所、ノボザイムズ ジャパン株式会社

 

NEDO先導研究プログラム/新技術先導研究プログラム

脱炭素社会の実現や新産業の創出に向けて、2040年以降(先導研究開始から15年以上先)の実用化・社会実装を見据えた革新的な技術シーズを発掘・育成し、国家プロジェクトを含む産学連携体制による共同研究等につなげていくことを目的として、先導研究を実施するものです。

早大ものづくりプログラムで大賞受賞! “みまもる”ロボットをゼロから設計

著者: contributor
2025年6月3日 14:07

「自走する作り手でありたい」「ものプロへの参加は大きな成功体験」

創造理工学部 4年 玉山 康次郎(たまやま・こうじろう)
創造理工学部 4年 片桐 萌音(かたぎり・もね)

西早稲田キャンパス61号館WASEDAものづくり工房にて。左から片桐さん、玉山さん

新しいことに挑戦し失敗からも学ぶ意欲、計画を立て着実に遂行する能力、困難に立ち向かう力を有する学生の育成を目的として、2012年から2018年まで毎年開催されていた「WASEDAものづくりプログラム 」(以下、ものプロ)。2024年6月に6年ぶりに復活し、ファイナリストに13チームが選ばれ、アイデアをカタチにするための独創的な「ものづくり」に挑みました。その中から最優秀ものづくり大賞に選ばれたのは、玉山康次郎さん、片桐萌音さん、林浩次郎さん(創造理工学部 4年)が製作した、ヒトを“みまもる”フクロウ型アニマトロニクス(※1)「Patr-Owl(パトロール)」。今回は、チームを代表して玉山さんと片桐さんに、大賞受賞までの過程や今後の展望について聞きました。

(※1)動物やキャラクターなどをあたかも生きているかのように表現したロボット。

――どのような経緯でものプロに出場したのでしょうか?

玉山:私たちは大学1年生の頃から早稲田大学ROBOSTEP (公認サークル)に所属し、ロボコンに参加するなど、ものづくりに取り組んできました。3年生になり、他に「作り手」として成長できる機会を探していた時に、ものづくり工房に貼ってあったチラシを見つけ、参加を決めたんです。その際に、片桐さんに声を掛けました。

――Patr-Owlを作ろうと思ったきっかけは何ですか?

玉山:私は以前から遊園地でよく目にするアニマトロニクスの和やかな感じが大好きでした。やる気が出ず、だらだらしてしまっていたときに、自分の家に和やかに見守ってくれるようなロボットがいたらやる気が出るのになあ、と思ったのがきっかけです。

片桐:誰かに見守られることでやる気が出るという現象には、観察者効果(※2)が関わっています。普段は娯楽・展示用に使われるアニマトロニクスと観察者効果を結び付けることができれば、「監視」ではなく恐怖感を与えない「みまもり」になるのではないかと考えたんです。みまもりということで、目が特徴的な動物であるフクロウ型のロボットPatr-Owlを作ることに決めました。

(※2)他者から監視されていると感じることで、その人の行動や言動が変化する現象。

ものプロ最終成果報告で発表したポスター(※クリックして拡大)

――Patr-Owlの仕組みや制作過程を教えてください。

片桐:Patr-Owlの帽子に内蔵されているカメラが人の顔を認識して、その方向に目や体を向けて「みまもる」という仕組みになっています。フクロウは首の関節が多く、その滑らかな動きをできるだけ再現するために、6関節あるアームの構造を考えました。

Patr-Owlが人のいる方向に体を向ける様子

人の顔がある方向に目を向ける様子

玉山:製作にあたっては、片桐さんが中身の機構を作る機械設計と外装やデザイン回り、私はPatr-Owlの動きを制御するプログラムや基板の設計を担当しました。本番までの準備時間が足りなかったため、3月頃からは同じサークルに所属する林さんにも急きょ助っ人として参加してもらい、主にカメラで人の顔を画像認識する部分を担当してもらいました。

全てゼロから製作した回路、基板、中身のアーム機構、外装。プレゼン資料から(※クリックして拡大)

――ものプロを通して、苦労したことや成長できたことはありますか?

片桐さんが外装を作っている様子。西早稲田キャンパス63号館にて

玉山:2024年9月から2025年3月までの期間で、機械設計から回路設計、制御、外装製作まで全てゼロから行うという作業量に加え、初めて挑戦する技術も多かったため、もともと2人でやりきるにはハードルが高かったと思います。加えて、2024年はお互いのスケジュールがなかなか合わないことも多く、授業期間が終わった1月末からは追い込み期間として毎日西早稲田キャンパス内のラウンジや研究室にこもって作業し、基板へのはんだ付けはWASEDAものづくり工房で行いました。

片桐:帰宅後も外装を作っていたので、最終発表の2日前くらいからは全く寝ていませんでした。Patr-Owlが満足に動いたのも発表の前日で…。本当に間に合って良かったですし、やり切った結果が大賞受賞だったので、かなりうれしかったです!

ロボット制作をギリギリまでこだわった上でやりきり、大賞をいただくという体験ができたのは、自分の成長につながったと感じています。これまで出場したロボコンではやりきれなかったと思うことや結果に悔しい思いをしたこともあったので、今回のものプロへの参加は大きな成功体験になりました。

玉山私は突き詰めるタイプで、何事も「根本を理解する」ことにこだわりがあります。この考えは、早く作れることの方が評価されがちなロボット競技において、「いらないこだわり」と周りから言われてしまうこともあり、ロボット製作への向き合い方について迷うこともありました。そんな中、短い期間で自分の方法をやり通し、チームとして納得のいくロボットで大賞をもらうことができ、とても満足しています。

取材中の様子。西早稲田キャンパス61号館302教室にて

――大学ではどのようなことを学んでいますか?

玉山所属している石井裕之教授の研究室ではロボットと生物について学んでいて、生物の仕組みをロボットに応用する研究を行っています。私は総合機械工学科に所属していますが、実際にモノを製作する授業が多い学科です。他の大学だと、1・2年生では大学数学や物理化学など理系の一般教養のみを学ぶことが大半だと思いますが、早稲田では1年生から機械工学の講義や多くの実習に取り組める専門科目があり、本当に強みだと感じます。

片桐:私は岩﨑清隆教授の研究室に所属しています。医療分野に機械工学を応用する、という異分野融合系の研究室で、東京女子医大との共同施設「早稲田大学先端生命医科学センター(TWIns)」で研究を行っています。現在は人間の循環器(主に心臓や血管)をチューブやポンプなどで模擬した流体シミュレーターを作製し、動物実験での再現が難しい心不全などの病態を模擬してさまざまな現象を評価する研究に取り組んでいます。

――最後に、今後の展望について教えてください。

玉山:学外の人にもPatr-Owlを知ってもらいたいので、秋に東京ビッグサイトで開催されるMaker Faire Tokyo 2025 に参加したいと考えています。それまでに、首をかしげる、羽を広げるといった実現しきれなかったフクロウの動きを実装したいです。

個人の展望としては、ひたすら自分のやりたいことに貪欲に取り組み、新しいものを生み出す「自走する作り手」でありたいと思っています。

片桐:学部の3年間はロボコンやものプロに参加するなどロボット製作に集中していましたが、これからは研究分野である医工学の分野を全力で学び、研究に取り組んでいこうと思います。しばらくはロボットの設計とは違ったことをすることになりますが、必ずつながってくると思うので、将来的にはそれまでの知識や経験を融合させて、新しい価値を創生していけたらいいなと思っています。

大賞受賞後、表彰状を手にチームで記念撮影。左から玉山さん、片桐さん、林さん

第900回

取材・文・撮影:早稲田ウィークリーレポーター(SJC学生スタッフ
人間科学部 3年 西村 凜花

【プロフィール】
玉山康次郎:埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校卒業。漫画のせりふを覚えるのが好きで、漫画からロボット作りの着想を得ることも多い。お勧めの漫画は『進撃の巨人』諫山創(講談社)、『バガボンド』井上雄彦(講談社)、『Dr.STONE』稲垣理一郎(集英社)。

片桐萌音:東京都出身。東京都立日比谷高等学校卒業。創作全般が好きで、ミニ推理小説を書くことも。最近はミュージック・プログラミング(GEC設置科目)を受講したのがきっかけで、作曲にもチャレンジ中。

たった1ステップで多環式分子を構築

著者: contributor
2025年6月3日 14:06

たった1ステップで多環式分子を構築
70年の難題を打破する「合成ショートカット」を開発

ポイント

  • 天然物や医薬品に含まれる「多環式構造※1」を、わずか1回の反応で合成することに成功しました。
  • 3種類の簡単な原料を組み合わせた「ワンポット合成※2」「多成分反応※3」によって、複雑な構造を効率的に構築できます。
  • 多環式構造の合成反応における不安定な中間体の「o-キノジメタン※4」を、その場で発生・活用する新手法を開発しました。
  • 合成化学や創薬、機能性材料など幅広い分野への応用が期待されます。

概要

天然物や薬に含まれる「多環式構造」を簡単に作ることは、有機化学の長年の課題でした。

早稲田大学理工学術院の山口潤一郎(やまぐちじゅんいちろう)教授の研究グループと名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)の武藤慶(むとうけい)特任准教授は、パラジウム触媒を用いて3種類の簡単な原料から、化学的に複雑な多環式構造を一挙に構築する新手法を開発しました。

鍵となるのは、70年前に報告されて以来、合成が困難だった「o-キノジメタン」という高反応性中間体を、反応の途中でその場で生成・即座に利用する新技術です。本手法により、従来法と比べて工程数と時間を大幅に削減できることが確認されました。

本研究成果は、Cell Press 社『Chem』のオンライン版に2025年6月2日(月)11:00(アメリカ東部夏時間)に掲載されました。
論文名:Facile Generation of ortho-Quinodimethanes Toward Polycyclic Compounds

キーワード:
多環式化合物、Diels–Alder反応、o-キノジメタン、触媒反応、パラジウム、ワンポット合成、多成分反応、医薬品、天然物合成、反応設計

図 多環式構造構築のイメージ

これまでの研究で分かっていたこと

多環式化合物は、天然物や医薬品に頻出する構造であり、その効率的な合成は長年にわたり有機合成化学の大きな目標とされてきました。中でも、「Diels–Alder反応※5」は、複雑な環状構造を一挙に構築できる非常に強力な手法として知られています。

この反応において、特に高反応性で有用な中間体の一つが「o-キノジメタン(ortho-quinodimethane: oQDM)」です。o-キノジメタンは非常に高い反応性をもち、多環式構造の合成に適しています。しかし、高反応性の裏返しで、非常に不安定であるため、反応中に一時的に発生させて即座に利用する必要があります。

従来、o-キノジメタンを発生させるには、特殊な前駆体の多段階合成や、高温、高エネルギー条件が必要であり、反応設計の自由度や応用展開に制約がありました。この課題は、1950年代にo-キノジメタンが初めて報告されて以来、約70年にわたり解決されていませんでした。

図1 多環式化合物とその生成方法の性質・課題

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法

本研究では、これまで困難とされていた「o-キノジメタン(oQDM)」を簡便にその場で生成し、高効率に多環式化合物へと変換する合成法の確立を目指しました。

本研究グループは、汎用的な「2-ビニルハロアレーン※6」「ジアゾ化合物※7」「マロン酸誘導体※8」の3種類の原料を用い、パラジウム触媒の働きにより一挙に反応させる「多成分反応(マルチコンポーネントリアクション)」を設計しました。

これは、1つのフラスコ内で複数の反応(図2の①から③)を順番に制御して行う、非常に効率的な合成手法です。まず、図中の①と②の反応が起こって、一時的に生成されるo-キノジメタンからDiels–Alder反応(③)が進み、最終的に複雑な多環式骨格をもつ分子が得られます。

本手法の特長は以下の通りです:

  • 複雑な前駆体を準備する必要がなく、工程数を大幅に削減可能。
  • 一回の操作で複数の炭素―炭素結合形成が進行するため、効率性が高い。
  • 得られた生成物は医薬品や材料の中間体として多様な変換に対応。

図2 開発手法

研究の波及効果や社会的影響

本研究で開発された手法は、複雑な多環式構造を1工程で効率よく構築できる点において、従来の合成化学の限界を打ち破る画期的な技術です。工程短縮により、創薬や機能性材料の開発にかかる時間やコストの大幅な削減が期待されます。

さらに、今回の技術は実際に、多環式構造をもつ女性ホルモン様天然物「エクイレニン」の合成にも応用できており、医薬品開発への応用可能性も明らかとなりました。

また、使用する原料の汎用性が高く、分子の多様性が容易に制御できることから、化合物ライブラリの構築や新規分子探索にも活用が期待されます。加えて、「多成分反応」「その場生成」「ワンポット合成」といったグリーンケミストリーの要素も兼ね備えており、環境負荷の少ない持続可能な化学としての意義も大きいと考えられます。

課題、今後の展望

今回の研究では、多環式構造を高収率かつ高選択的に構築する新しい合成手法を確立しましたが、課題も残されています。現時点では反応の立体選択性(特に不斉合成※9)に関してはまだ限定的であり、医薬品や機能性分子の精密合成に向けて、今後は「キラル触媒※10」の導入によるエナンチオ選択的反応の実現が求められます。

また、今回使用した化合物群は実験室スケールでの検証が中心であり、今後はスケールアップやフロー合成への応用を通じて、工業的な展開可能性の検証が重要になります。

将来的には、本手法をより汎用的な合成プラットフォームとして発展させ、創薬、材料開発、学術研究といった幅広い分野への貢献を目指します。

研究者のコメント

本研究は、「細胞内で繰り広げられる目に見えない挑戦」——過酷な環境下でも栄養を届け続ける仕組み——に光を当てました。ミオシンXIが栄養輸送の“指揮者”として働くことを解明したことで、作物が痩せた土地や気候変動下でも力を発揮する可能性が拓けます。

用語解説

※1 多環式構造
複数の環状構造が結合した分子構造のこと。多くの天然物や医薬品に含まれる基本骨格であり、合成が難しいことで知られる。

※2 ワンポット合成
複数の反応工程をひとつの容器で連続的に行う手法。工程短縮や廃棄物削減につながる。

※3 多成分反応
一般的に3つ以上の分子を反応させて1つの分子を合成する反応のこと。複数の分子がつながる位置の制御が必要なため、一般的に難しいことで知られる。

※4 o-キノジメタン(ortho-quinodimethane, oQDM)
非常に反応性が高い中間体で、多環式構造を作る上で重要な構成要素。安定性が低く、通常はその場で生成してすぐに使う。

※5 Diels–Alder反応
1930年代に発見された、有機分子同士をつなげて6員環を形成する代表的な化学反応。多環式化合物の合成に多用される。開発者のDiels博士とAlder博士はこの反応の功績により1950年ノーベル化学賞を受賞した。

※6 2-ビニルハロアレーン
芳香環にビニル基とハロゲンが結合した化合物。市販されているものもあり、取り扱いやすい。

※7 ジアゾ化合物
窒素を含む高エネルギーな化合物で、化学反応において炭素–炭素結合の形成などに使われる。

※8 マロン酸誘導体
炭素–炭素結合をつくる反応でよく使われる化合物群。反応性が高く、多くの有機反応で用いられる。

※9 不斉合成
右手・左手のような鏡像関係にある分子の片方を選択的に合成すること。

※10 キラル触媒
分子の立体構造(右手・左手のような鏡像関係)を識別して、特定の方向にだけ反応を促す触媒。

論文情報

雑誌名:Chem(Cell Press)
論文名:Facile Generation of ortho-Quinodimethanes Toward Polycyclic Compounds
執筆者名:Kazuya Inagaki(早稲田大学)、Yuna Onozawa(早稲田大学)、Yuki Fukuhara(早稲田大学)、Daisuke Yokogawa(東京大学)、Kei Muto*(名古屋大学ITbM)、Junichiro Yamaguchi*(早稲田大学)
掲載予定日時(現地時間):2025年6月2日
掲載予定日時(日本時間):2025年6月2日(予定)
掲載URL:https://doi.org/10.1016/j.chempr.2025.102615
DOI:10.1016/j.chempr.2025.102615

研究助成

研究費名: 日本学術振興会 科学研究費補助金(JSPS KAKENHI)
研究課題名: 結合交換反応の開発と機械学習最適化
研究代表者名: 山口潤一郎(早稲田大学)
助成番号: JP21H05213(Digi-TOS) 

研究費名: 日本学術振興会 科学研究費補助金(JSPS KAKENHI)
研究課題名: 触媒的かつ収束的なオルトキノジメタンの発生法と迅速多環式骨格構築
研究代表者名: 武藤慶(名古屋大学ITbM)
助成番号: JP24K01491

その他、JST ERATO JPMJER1901やCREST JPMJCR24T3も一部ご支援をいただきました。

小型軽量テラヘルツ帯アンテナサブシステムを開発し、飛行中の航空機と地上実験局との間で高速データ通信に成功

著者: contributor
2025年6月2日 12:34

小型軽量テラヘルツ帯アンテナサブシステムを開発し、
飛行中の航空機と地上実験局との間で高速データ通信に成功

国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(理事長:山川 宏、以下「JAXA」)研究開発部門センサ研究グループらと、学校法人早稲田大学(理事長:田中 愛治、以下「早稲田大学」)理工学術院の川西 哲也教授の研究グループは、高高度プラットフォーム(以下「HAPS」)1に搭載可能な小型軽量テラヘルツ帯2のアンテナサブシステム(通信用アンテナ、アンテナ追尾システム)および受信機を開発し、高度約3kmを飛行中の航空機に搭載して、アンテナを地上に向けて自動追尾させながら、地上と上空間の高速大容量通信(データ通信速度4Gbps)を実証しました(図1)。高速飛行中の航空機と地上実験局との間のデータ通信において、テラヘルツ帯の電波を用いた高速大容量通信に成功したのは今回が世界初3となります[1]- [6]。

図1 航空機と地上実験局間の通信実験イメージ ©JAXA/早稲田大学

本研究で得られた成果をもとに、HAPSと地上との通信の大容量化が実現出来れば、地上で使用されているネットワーク回線(LAN)レベルの高速通信を上空まで延伸させたように活用することが可能になり、大規模災害時の広域通信基地局、山間部や離島への高解像度の映像の伝送など、上空の通信網を使った多様なサービスの創出が期待されます[7]。

【開発・実験の詳細】

本研究では、92GHzから104GHzのテラヘルツ帯をカバーする高利得アンテナ(利得40dBi以上)を、新たに開発した宇宙用の高精度な複合材(CFRP4)にプラズマ溶射5の技術を応用して電磁波反射面を形成するとともに、飛行する航空機から地上実験局が位置する定点方向に自動的にビームを誤差0.2度以下で向け続けることが出来るアンテナ追尾機構を開発しました(以下、アンテナサブシステムという)。

本アンテナサブシステムは、将来のHAPS搭載を目指した試作装置であるため、航空機搭載品としての安全性を満たすとともに、-52℃~+40℃の温度範囲で動作するように設計しました。また、アンテナ追尾のための可動機構部を含めた高利得アンテナ部全体(図2、機体外搭載品)の重量は20kg以下になっています。

図2 実験用航空機に搭載されたテラヘルツ帯の高利得アンテナと追尾機構部 ©JAXA/早稲田大学

通信実験では、実験用航空機(ダイヤモンドエアサービス社が運用するビーチクラフト式200T型を使用)の機体下部にある既設のレドーム※6内にアンテナサブシステムを搭載し、アンテナ自動追尾制御装置、テラヘルツ帯の通信実験装置は航空機のキャビン内に搭載しました(図3)。搭載された高利得アンテナは、アンテナ背面に取り付けた全地球航法衛星システム(GNSS)※7の受信機と慣性航法システム(INS)※8からの情報に基づき、飛行中に逐次、アンテナの方向を地上実験局に対して指向誤差が0.2度以下になるように自動制御しました。

図3 実験用航空機のキャビン内に設置したテラヘルツ帯の通信実験システム ©JAXA/早稲田大学

今回の通信実験では、テラヘルツ帯の地上実験局(関宿滑空場千葉県野田市)用として1.2m口径のカセグレンアンテナを取り付けたアンテナ駆動架台を開発しました。地上実験局には、航空機のキャビンに搭載した通信実験装置と同じ構成となる通信実験装置を地上局アンテナと組合せて設置しました。本実験で使用した通信実験装置は、この実験に先行して地上で実施した長距離・大容量伝送実験(地上実証試験)[7]と同じものを使用しています。地上での伝送実験では、アンテナは固定されていましたが、本実験では、航空機の高度や姿勢変動の影響下で、高速で飛行する航空機から地上局を高精度に連続的に追尾させることが可能なアンテナ自動追尾制御装置の性能検証にも成功したことになります。

通信実験での周波数帯は95.375GHz~96.625GHz(中心周波数96GHz、帯域幅1.25GHz)とし、実験試験局の免許を取得し、地上実験局の空中線電力を約250mWに制限して通信試験を実施しました。

実験用航空機は地上実験局の北側2kmを東から西への方向の高度2,896mを直線飛行と旋回飛行させました。この場合、地上局と航空機の直線距離は最短で3.5kmとなります。なお、航空機の対地速度は300km/h前後でした。

図4設営されたテラヘルツ帯地上実験局の様子 ©JAXA/早稲田大学

地上実験局のアンテナは、パン・ティルト・ズームのリモート制御機能を持つPTZカメラ(方向とズームを遠隔制御出来るカメラ)を用いて、撮影された航空機が画像の中央に位置するように航空機を自動追尾撮影するともに、地上実験局アンテナのビーム方向をPTZカメラの視野方向と同調させるように制御して、地上実験局アンテナの航空機追尾を行いました。

本通信実験では航空機と地上実験局との間に速度変化があるため、ドップラー効果で周波数が変化し、かつ、薄雲の影響で減衰量も変化する状態下で、帯域幅1.25GHzに対応するシンボルレート1Gシンボル/秒の条件において、変調方式QPSKおよび16APSKによる変復調動作での確認を行い、伝送速度4Gbpsの達成を確認しました。

次世代移動通信システムBeyond5G/6G9システムにおいては、非地上系ネットワーク(NTN)10と地上間の大容量通信を行うフィーダリンク11の一部を、テラヘルツ帯を用いた高速通信が担うことが期待されています。我々の研究グループは、92.25GHz~103.75GHz間に帯域幅1.25GHz(4Gbps)の通信チャンネルを6チャンネル配分することで、伝送速度20Gbps以上のフィーダリンクを提案しています。テラヘルツ帯を用いることで、少雨時でも所要CN比12が小さくなるような変調方式を自動選択させ、2Gbpsx6チャンネルにより10Gbpsの伝送速度を可能としています。

今後は、同時並行で開発を進めていた空中線電力1Wの増幅器を活用し、距離20kmにおいて伝送速度20Gbpsの通信達成に向けて研究を進めるとともに、HAPS等に搭載してフィーダリンクの実証を目指します。

【研究プロジェクトについて】

本研究成果の一部は、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT(エヌアイシーティー) )の革新的情報通信技術研究開発委託研究(JPJ012368C00302およびJPJ012368C04901)、および科学技術振興機構の先端国際共同研究推進事業ASPIRE (JPMJAP2324)により実施したものです。

【各機関の主な役割】

JAXA:テラヘルツ帯の高利得アンテナサブシステムの開発
早稲田大学:テラヘルツ帯に対応した送受信機の開発

【用語解説】

※1 HAPS
High-Altitude Platform Stationの略称。高度約20km上空の成層圏を数日〜数か月の長期間に渡って無着陸で飛行できる無人航空機を指します。

※2 テラヘルツ帯
おおむね周波数100GHzから10THz(波長にして3mm-30μm)の電磁波領域を指す。下限については、2019年に米連邦通信委員会(Federal Communications Commission、FCC)が、新しい技術の開発やサービス展開に向けて、95GHzを超える周波数帯の利用に対する新ルールを発表していることから[3]、95GHz程度の周波数も含みます。

※3 世界初
地上と上空間の通信ではE帯(71GHzから86GHz)を使った通信実験例が最も高周波でした。今回の地上と上空間の通信実験では、W帯(95GHz)を利用して4Gbps以上の伝送速度を達成しており、テラヘルツ帯を含む周波数での地上と上空間の通信では世界初になります。

※4 CFRP
Carbon Fiber Reinforced Plastics(炭素繊維強化プラスチック)の略称。炭素繊維を樹脂(主にエポキシ樹脂)で固めた複合材料を指します。 軽くて強い、変形や熱膨張が少ない材料として、航空機、自動車などで使用されています。テラヘルツ帯の宇宙用アンテナでは広い温度範囲で形状の変形が少なくなるように、炭素繊維が一方向のものを繊維の方向を変えながら積層させて膨張や収縮が一様になるように製造し、さらに使用する樹脂の種類や炭素繊維の含有率を特別にチューニングしています。

※5 プラズマ溶射
プラズマアークを利用して溶かした金属材料を高速で基材に吹き付けて皮膜を形成させる技術のこと。

※6 レドーム
レドーム(radome)は、レーダなどのアンテナを格納し、風雨や太陽光から保護するためのカバーを指します。航空機用のレドームはアンテナを高速の気流から防御した上で機体の空気抵抗を小さくする形状をしています。レドームの素材には電波の透過率が高いグラスファイバーやポリテトラフルオロエチレン(PTFE)などの誘電体が用いられます。

※7 全地球航法衛星システム(GNSS)
Global Navigation Satellite System(全地球測位衛星システム)の略で、GPSを含む複数の人工衛星からの電波を利用して現在位置を計測するシステムを指します。

※8 慣性航法システム(INS)
INS (Inertial Navigation System : 慣性航法装置)は、慣性空間における運動加速度及び角速度を検出して、航空機 の現在位置と速度を計測する装置を指します。

※9 Beyond5G/6G
近年、普及が進む移動通信システムは第5世代(5G)とよばれています。これに対して、次世代システムのBeyond5Gでは第6世代(6G)の移動体通信システムでは、5Gと比べ、「10倍から100倍の大容量」、「1/10の低遅延」、「10倍の多数同時接続」、「1/100の低消費電力」の実現を目指しています。

※10 非地上系ネットワーク(NTN:Non-Terrestrial Network)
地上、海、空にある移動体間を多層的につなげる通信ネットワークシステムのことを指します。

※11 フィーダリンク
地上局をゲートウェイとして高度プラットフォームシステムなどの飛行体や衛星との間で通信を行う一対一の大容量通信回線のこと。

※12 CN比
通信における搬送波と雑音の強度比(キャリア対雑音比)で、信号の品質を示す指標のことで値が大きいほど良い品質となる。

【参考文献】

[1] HAPSモバイル、”世界初!HAPSモバイルとLoon、成層圏飛行中のLTE通信に成功 ~Sunglider のテストフライト中に、無線機を通してビデオ通話を実施~”、2020年10月、 https://www.softbank.jp/corp/set/data/news/press/group/pdf/press_20201008_02.pdf
https://www.softbank.jp/en/corp/set/data/news/press/group/pdf/press_20201008_02.pdf

[2] 国立研究開発法人情報通信研究機構、プレスリリース、”世界初、高度約4km上空から38GHz帯電波での5G通信の実証実験に成功”、2024年5月、https://www.nict.go.jp/press/2024/05/28-1.html

[3] NTT docomo、”ケニア上空の高度約20kmの成層圏を飛行するHAPSを介したスマートフォンへのデータ通信実証に成功”、2025年3月、https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/2025/03/03_00.html

[4] H. Kitanozono, J. Suzuki, Y. Kishiyama, Y. Hokazono, T. Sotoyama, M. Ouchi, R. Miura, and H. Tsuji, “Development of high altitude platform station backhaul system using 38GHz band frequency,” in 2021 IEEE VTS 17th Asia Pacific Wireless Communications Symposium (APWCS), Japan, 2021, pp. 1-5.

[5] G. Otsuru, H. Tsuji, R. Miura, J. Suzuki, and Y. Kishiyama, “Efficient antenna tracking algorithm for HAPS ground station in millimeter-wave,” in 2022 25th International Symposium on Wireless Personal Multimedia Communications (WPMC), Denmark, 2022, pp. 261-266.

[6] Q. Tang, A. Tiwari, I. del Portillo, M. Reed, H. Zhou, D Shmueli, G. Ristroph, S. Cashion, D. Zhang, J. Stewart, P. Bondalapati, Q. Qu, Y. Yan, B. Proctor, and H. Hemmati., “Demonstration of a 40Gbps bi-directional air-to-ground millimeter wave communication link,” in IEEE MTT-S International Microwave Symposium (IMS), 2019, pp. 746-749.

[7] 早稲田大学、宇宙航空研究開発機構、”テラヘルツ帯に対応した無線通信システムを試作し、95GHz帯を用いた長距離・大容量伝送に成功”、2025年3月、
https://www.jaxa.jp/press/2025/03/20250311-2_j.html

プロジェクト研究所ちょっとお邪魔します! ヒューマノイド研究所

著者: contributor
2025年5月29日 13:27

ヒトと社会の未来を想う深遠なるロボット工学の世界

なぜヒト型でなければならないのか。約60年前、故・加藤一郎教授によって研究が始められて以来、各界からの問いに応えるかのように進展を続けてきた日本発のヒューマノイド(人間型ロボット)開発。早稲田大学はその起点となり、産学の英知を交えながら世界の研究をリードしてきました。ヒューマノイド研究所所長の高西淳夫教授に振り返っていただきます。

◆早稲田が切り拓いてきた人間型ロボットの最前線

──早稲田大学はヒューマノイド(人間型ロボット)の研究で世界をリードしてきました。これまでの経緯についてご紹介ください。

高西淳夫(所長/理工学術院教授)

日本のロボット工学を切り拓いた故・加藤一郎教授によって、ヒューマノイドに関する最初の研究が早稲田大学で始まったのが1960年代の後半でした。学科横断の「WABOTプロジェクト」が70年に立ち上がり、73年には世界初のヒト型二足歩行ロボット「WABOT-1」が完成。84年になるとピアノを演奏する「WABOT-2」が登場して、翌年の「つくば科学万博」にも出展されました。この2体のロボットは今も西早稲田キャンパスの63号館に展示されています。

加藤先生の研究室で私が初めてロボット工学に触れたのは77年。理工学部の学生でした。それから大学院に進み、加藤先生のもとで研究を続けながら、新しい要素技術を織り込んだロボットシステムが次々に生まれる場に立ち合いました。ネットワークと接続可能な二足歩行ロボットの「WABIAN」や、人間の発声メカニズムを再現した発話ロボット「WT」、人間らしい情動を全身を使って表出する「KOBIAN」というように。

初期のヒューマノイドはもちろん、今の先端技術からすれば動きもぎこちなく稚拙なものでしたが、それでも世界に前例のない革新的な挑戦であったことは間違いありません。加藤先生は偉大な業績を遺して94年に逝去されましたが、私たちがその遺志を継ぎ、ヒューマノイドに関する多くの基盤技術と、それを支える有能な人材を数多く送り出してきました。ヒューマノイド研究所が発足したのは2000年4月。高度情報化社会における人間と機械の新しい関係を追究するその精神は、2020年にプロジェクト研究所として新たに発足した現在のヒューマノイド研究所にも綿々と受け継がれています。

1970年代以降、早稲田大学が起点となって多彩なヒューマノイドが次々に誕生。

──1960年代といえば、まさに「鉄腕アトム」の時代ですね。加藤先生はロボットが「人間型」であることにどんな意味を求めたのでしょうか。

当時の日本は高度経済成長期を迎え、製造業が勢いよく成長を始めた時期でした。エンジニアリングの技術が進展し、オートメーションによって工場の生産力はどんどん上がっていきました。おそらく製造業はこのまま伸びていく。では、その次を担う技術、応用できる分野は何だろう。そう考えたとき、加藤先生が着目したのがサービス産業だったといいます。

サービス業の担い手は人間です。その技術を開発するには、人間の身体の動かし方や五感の使い方といったものを工学的に解明する必要がありました。しかし、そのような先行研究は世界中のどこにもありません。ならば、自分たちで「ヒト」をつくってみよう。そんな発想が出発点になりました。

その頃、ヒトの手や腕の動きを代替するような産業ロボットはすでに出はじめていましたが、足や脚は未開発です。そこで、まず股関節や膝、足首などの動きを機械で再現し、次にそれを左右に並べて二足歩行の原型をつくる。さらにそこに上半身をつなげて全体を一つに統合する。そんな手順でヒューマノイドの研究が進んでいきました。

◆人間とロボットが共存する社会の到来に向けて

──身体の動きや情動についての研究がベースにあるということは、関連する課題やテーマも多岐にわたって広がりそうです。

そうですね。最初はサービス業での応用を念頭に始まった研究ですが、いろいろと追究していくと、ロボット工学の視点から人間そのものを理解することへと、アプローチの幅が広がっていきました。すると工学だけでなく、サイエンスの視点も必要になる。人間を科学するための道具としてのヒューマノイド。加藤先生がそんなふうにおっしゃっていたのを覚えています。先生はのちに、早稲田で人間科学部の創設にも携わりました。

そもそもヒューマノイドは、人間と同じような行動パターンを持ち、人間と同じ生活空間で作業をともにしながら違和感なく共存することを目標とするロボットです。家事や介護、スポーツ、エンターテインメントといった、日々の暮らしに密着した領域に広く役立つものでなければなりません。工学はもとより、生物学や心理学、医学、社会学など、人間に関わるあらゆる学問分野との連携が求められるのもそのためです。

──ホンダが2000年に発表した二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」の登場は、そんな未来を予感させるような出来事でした。

ヒューマノイドが社会に認知される一つのきっかけになりましたね。ホンダはそれ以前にも「P2」「P3」という試作版を発表して、世界の研究者から注目を浴びました。90年代にはそうした企業の開発も盛んになり、ソニーからも99年にペット型ロボットの「aibo(アイボ)」が出て、翌年にはヒューマノイドの「Qrio(キュリオ)」が発表されました。実はその開発過程で早稲田の研究チームにも声が掛かり、私もよく加藤研究室の先輩たちが働くソニーの研究所に通ったものです。そうした先見の明ある企業との共同研究は本当にありがたく、今思い出しても感謝の念に堪えません。

というのも、80年代ぐらいまではヒューマノイドに対する世界の目は厳しく、ヒト型の機械が現実社会の中に入っていく未来は考えられないといった見方が大勢でした。私も学生時代、なぜ役に立たないものを研究するのかと言われたほどです。二足歩行のロボットなんて必要ない、車輪とキャタピラを使えばいいだろうと。

ですが今、周知のようにヒューマノイドは世界中から注目され、米国や中国の資本が巨額を投じて開発を進めるようになりました。トレーニングやリハビリテーションの分野でも期待されています。「ロボカップ」をご存じですか? 自律移動型ロボットによる競技会で、2050年までにサッカーの世界チャンピオンチームと戦って勝つことを目標にしている活動です。そんな夢のような話も生まれるほど、いろいろな分野へと発想が広がってきています。

◆スポーツ、医療、農業など、限りなく広がるロボット活用の可能性

──高西先生ご自身はどのような研究を中心になさってきたのですか。

以下の2つの視点に沿って研究を進めてきました。
①ヒトの形態と機能を模したヒューマノイドを設計・製作し、これを用いて心身両面における人間の行為・行動や機能を再現することで、ヒトの工学モデルを構築する「ロボット工学的人間科学」
②その応用として医療・福祉・災害対応・教育支援など、人間に関わるロボットシステムに関する演繹的設計論の構築を目指す「人間モデル規範型ロボット工学」

ピッチング動作研究のために開発されたロボット上半身

具体的なテーマを細かくいえば枚挙にいとまがないのですが、わかりやすいところで挙げると、スポーツの訓練や医療教育、農作業支援などに関する研究開発があります。これらはプロジェクト研究所としてのここ5年間の活動テーマにも合致するものです。

まずスポーツ分野では、投擲や跳躍・走行、重量物の持ち上げといった基礎的な運動動作の再現を目指し、ヒューマノイドを用いて動きの大きさやスピードを変化させた実験を行っています。具体的には、ボールのピッチングを可能にするロボット上半身部の開発。腰のひねりを生かしつつ、肩の弾性や腕の振りを効果的に使って体幹部から手先へとエネルギーを伝達する投球の仕組みを再現しました。こうした研究はスポーツ科学の研究者と連携することにより、例えば大谷翔平選手のようなスーパーアスリートの養成にも生かせるでしょう。

日本ロボット学会からも高い評価を得た新生児蘇生法トレーニング・システム

医療分野では、臨床手技の実習に使える患者ロボットを開発し、熟練者の動作や知覚、意図するところを訓練者にフィードバックする方法について研究しています。ロボットによる症例の再現や、手技の評価にもつなげます。例えば、妊婦さんが分娩する際の緊急時に備えた新生児蘇生法というのがありますが、そのトレーニングシステムを開発し、日本ロボット学会から優秀講演賞(2020年度)と優秀研究賞(2021年度)をいただきました。

また、農業関連では太陽光発電に使うパネルの下が空洞になっていることに着目し、ロボットを活用してここで農作物をつくることで、緑化によるCO2吸収とエネルギー生産を両立させるプロジェクトを始めました。畑の畝に沿ってロボットを自律走行させたり、収穫物を認識して摘み取ったり、雑草を選り分けたりといった作業を可能にする技術の基礎研究を進めています。

──企業との共同研究で製品化され、実際に販売されているロボットもありますね。

京都科学によって製品化された縫合手技評価シミュレータ(画像提供:株式会社京都科学)

はい。医療教育用では特にそうした事例が多いですね。もともとは治療そのものに使える手術ロボットなどの開発を進めていて、その分野でも日本が世界に先駆けていたのですが、残念ながら今は欧米や中国に水をあけられているのが実状です。日本の場合はどうしても社会制度を整えるのが後追いになりがちですから、出発点はよくても社会に実装されるまでに時間がかかり、気がつけば海外に先を越されていたということがあるんですね。そこで、我々もある時点で教育用に舵を切りました。

最初に手掛けたのは、外科手術のための縫合手技評価シミュレータです。手術の後の縫合は針掛けと糸結びの連続ですが、熟練した外科医のようにできるまでには相応の訓練が必要です。医学生が自分で練習して評価も得られる機械があれば役立つだろうと、京都科学という医学・看護教育教材で知られる企業と一緒に開発しました。人間の皮膚を模した素材にセンサーを埋め込み、手技を実践しながら技能の度合いを計測・評価することができます。これは10年ほど前に製品化され、今も同社で販売しています。

テムザックが販売するデンタロイド(画像提供:株式会社テムザック)

歯学部生の実習用に開発したデンタロイドもあります。患者ロボットですね。音声認識機能を持たせ、指示に従って口を開けたり顔の向きを変えたりする。患者さんの咳き込みや、反射的に嘔吐しそうになる様子も再現可能なシミュレータです。こちらは昭和大学や工学院大学の協力も得て、オキノ工業ロボティクスという企業が持つ特許技術をもとにテムザック社によって製品化されました。

◆学術界、産業界で活躍するWASEDAの人とテクノロジー

──いろいろな研究者や専門家、企業との連携によって、ヒューマノイドの活躍の場が広がっているのですね。

そうですね。かつては散々な言われ方をした時期もありましたが、懸命に努力をして研究を続けていると、こうして声を掛けてくださる人たちが現れ、だんだんと仲間が増えていく。天上の加藤先生も満足しておられるんじゃないかな。苦労をともにしてきた方々とは今も年に何度か顔を合わせ、食事をしながら意見交換をしています。世の中の動きを見て、これからどんなロボットが求められていくのだろうかと。

──何か新しい展開を考えておられるのですか?

私自身は間もなくして定年を迎えたら研究室を閉めることになりますが、後に続く研究者がどんどん育ってきています。外国からここに来て学び、新しいことを始めた人も大勢います。中国とドイツの学生が卒業後に立ち上げた、LP-RESEARCHというベンチャー企業もその一つです。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)といった分野に用いるセンシングシステムを開発しています。今ここにいる林家宇(Lin, Jia-Yeu)さんは台湾から来ていて、人間型サキソフォン演奏ロボットなどの研究で博士号を取りました。今は創造理工学部の講師です。

こういう有能な若い世代が、それぞれの専門を生かして社会に役立つ新しい技術をつくっていってもらえたらうれしいですね。それには人間や社会に関する研究が欠かせません。そこで生まれた発見が、新しい機械の発想へとつながっていく。例えば、車椅子に代わる二足歩行ロボット椅子や、被災地で役立つ災害対応ロボットのように。そしてそれを実社会に組み込むための制度づくりを、行政が迅速に進めてくれることを望みます。

高西研究室から生まれた人間型サキソフォン演奏ロボットとともに。右からヒューマノイド研究を受け継ぐ理工学術院講師の林家宇さんと、修士課程2年生の國谷大樹さん。

寝具が睡眠中の暖かさに与える影響を定量化

著者: contributor
2025年5月29日 13:20

寝具が睡眠中の暖かさに与える影響を定量化
良質な睡眠を得る環境条件に新たな知見

ポイント

  • 良質な睡眠を得る方法を示すため、寝室の温熱環境と寝具の熱抵抗(保温性能)について定量的な測定・検証を実施しました。
  • 寝具の熱抵抗や周囲温度に応じた暖冷房の効果を部位ごとに求め、同じ着衣および掛布団の組み合わせでも寝姿勢や掛布団のかけ方によって皮膚温が異なることを定量的に明らかにしました。
  • 実験では、22.6℃の環境下で着衣や掛布団の種類およびかけ方の組み合わせにより8.5℃相当の調整が可能であることが分かりました。

概要

早稲田大学スマート社会技術融合研究機構 研究助手の秋元 瑞穂(あきもと みづほ)、同大学理工学術院教授の田辺 新一(たなべ しんいち)およびデンマーク工科大学の研究者らのグループは、寝具が睡眠中の暖かさに与える影響についてサーマルマネキンおよび人体モデルによる測定と検証を行いました。その結果、同じ着衣および掛布団の組み合わせでも、睡眠中の姿勢や掛布団のかけ方によって皮膚温が異なることが定量的に明らかとなり、良質な睡眠を得るための環境条件についての新たな知見が得られました。

本研究成果は、Elsevier社発行の国際学術誌『Building and Environment』(論文名:Effect of Bedding on Total Thermal Insulation in Different Sleeping Postures Measured with Thermal Manikin and Modelled with JOS-3)の2025年7月1日(火)発行号に掲載される予定で、オンライン版が2025年4月26日(土)に公開されました。

キーワード:
睡眠、寝具、暖かさ、サーマルマネキン、人体モデル、等価温度、姿勢

図 本研究で実施した実験条件の例
数値は、身体とマットレス・枕・掛布団の接触体表面積割合※1を示しています。マネキンの右肩を下にする側臥位の接触体表面積割合は、仰臥位と同等であると仮定し、括弧内に示しています。

これまでの研究で分かっていたこと

睡眠の質の低下は免疫力や日中のパフォーマンスに悪影響を及ぼすことが報告されており、良質な睡眠の確保は喫緊の課題となっています。寝床内環境※2は、良質な睡眠に必要とされる快適な温熱条件を確保する上で重要です。この寝床内環境を形成する要素には、周囲の温度や湿度、人体から発生する熱、そして寝具の保温性能が含まれます。

本研究では、サーマルマネキン※3による測定と、人体体温調節モデルJOS-3※4を用いたシミュレーションを通じて、これらの要素の相互関係を検討しました。

研究の方法と明らかになったこと

周囲温度、睡眠時の姿勢、着衣、掛布団の種類およびかけ方についてさまざまな組み合わせの影響を検討し、寝具の熱抵抗※5を調査しました。また、サーマルマネキンに基づく等価温度※6を算出することで、寝具の熱抵抗や周囲温度に応じた暖冷房の効果を示し、JOS-3モデルに基づく等価温度の算出により発汗の影響も考慮しました。さらに、寝具による全身および局所の熱的影響について、その結果を考察しました。

例えば、図1に示す通り、全身平均の熱抵抗は身体とマットレス・枕・掛布団の接触体表面積割合が高くなるほど上昇する傾向(図1赤枠内)が確認されました。部位ごとの比較では仰臥位において腰部 背面、頭頂部、首後部、左右の背部といったマットレス接触面で熱抵抗が大きくなる傾向がみられる一方で、より掛布団との接触面が大きい側臥位では全体的に熱抵抗があることがわかります。寝具の熱抵抗は全身一様ではないため、寝姿勢・着衣・掛布団の種類およびかけ方に応じた局所的な温熱環境の評価が重要であることを明らかにしました。

また、サーマルマネキンによる測定とJOS-3シミュレーションを用いて、発汗を伴わずに寝具だけでどれだけの暖かさの調整ができるかを検討しました(図2)。たとえば、22.6°Cの環境下において、1.10~2.16 cloの範囲(図2赤枠内)で着衣や掛布団の種類およびかけ方を調整することは、等価温度で14.5~23.0°Cに相当し、寝具だけで約8.5°Cの調整が可能であることが読み取れます。

図1:ブランケット使用時、周囲温度22.6°Cにおける裸体マネキンの寝具の熱抵抗の比較
仰臥位(上段)および側臥位(下段)、ならびに接触体表面積割合ごとの結果を示しています。
パジャマ、羽毛布団の組み合わせの結果についても同様の傾向が確認されました。

図2:JOS-3モデルに基づく発汗を考慮した等価温度の周囲温度別比較
基準条件は、仰臥位のサーマルマネキンがパジャマを着用し、ブランケットを使用(接触体表面積割合54.4%)した状態で、周囲温度が22.6°Cの場合です。

研究の波及効果や社会的影響

本研究の成果は、寝室の温熱環境と寝具の熱抵抗について定量的な測定を行い、その影響を明らかにしたことです。近年の気候変動による夜間の気温上昇を背景に、寝室環境におけるオーバーヒート対策は優先すべき課題です。睡眠中の暑熱ストレスのリスク評価にあたり、寝具の熱抵抗やその影響に関する知見は非常に実用性が高いといえます。

今後の展望

本研究グループでは実際の寝室での実態調査も行っており、これらの調査と本研究で得られた寝具の影響を組み合わせることが重要になると考えています。また、近年、高い吸湿性能をもつ繊維素材を含んだ寝具が開発されていることを踏まえると、今回使用したものとは異なる特性をもつマットレスや着衣、掛布団を用いたさらなる調査が必要です。水分含有量や相対湿度が寝具の断熱性に与える影響についても、より詳細な検討が期待されます。

今回の実験から得られたデータを用いて、より実際に近いシミュレーションモデルを作成するなどして、良質な睡眠に関してより幅広く研究を進めてまいります。

用語解説

※1 接触体表面積割合
掛布団のかかり具合を数値化するために提案された、仰臥位における全身の体表面積に対する身体とマットレス・枕・掛布団の接触体表面積割合を意味します。本研究では、着衣や掛布団に関する条件間の比較が目的であるため、パジャマの有無や寝姿勢の変化は接触体表面積割合に影響しないと仮定しています。

※2 寝床内環境
掛布団によって覆われた内側に形成される環境を意味します。

※3 サーマルマネキン
サーマルマネキンは衣服の熱抵抗測定のために作られた人体形状を有する発熱体であり、人間の着衣状態における衣服の温熱特性を再現させるためのダミーです。

※4 JOS-3(Joint system thermoregulation model)
早稲田大学田辺新一研究室グループにより開発された人体体温調節モデル。皮膚温、深部体温、発汗量などの人体の熱生理反応を、全身および17部位の局所においてシミュレーションするための数値モデルです。

※5 寝具の熱抵抗
皮膚表面から寝具の外表面までの熱抵抗を意味し、本研究においては着衣・マットレス・枕・掛布団による保温性能を意味します。特に衣服の熱抵抗値は着衣量と呼ばれ、クロ(clo)という単位で表されます。1 cloは男性の厚手のビジネススーツの衣服組み合わせに相当し、数値が大きいほど暖かいことを意味します。

※6 等価温度
人体からの発熱や人体形状を考慮した体感温度の指標。

論文情報

雑誌名:Building and Environment
論文名:Effect of bedding on total thermal insulation in different sleeping postures measured with thermal manikin and modelled with JOS-3
執筆者名(所属機関名):秋元 瑞穂*(早稲田大学)、篠田 純(デンマーク工科大学)、Mariya P. Bivolarova(デンマーク工科大学)、田辺 新一(早稲田大学)、Pawel Wargocki(デンマーク工科大学)
論文掲載予定日:2025年7月1日
掲載URL: https://doi.org/10.1016/j.buildenv.2025.113074
DOI:10.1016/j.buildenv.2025.113074

研究助成

研究費名:科研費 特別研究員奨励費22KJ2956
研究課題名:室内環境が良質な睡眠に与える影響に関する研究
研究代表者名(所属機関名):秋元瑞穂(早稲田大学)

研究費名:ASHRAE 1837-RP
研究課題名:The Effects of Ventilation in Sleeping Environments
研究代表者名(所属機関名):Pawel Wargocki(デンマーク工科大学)

令和7年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 受賞コメント

著者: contributor
2025年4月18日 15:53

このたび、早稲田大学の研究者6名が、科学技術分野で顕著な功績があったとして、「令和7年度 科学技術分野の文部科学大臣表彰」を受賞しました。

日本の科学技術の発展等に寄与する可能性の高い独創的な研究又は開発を行った者を表彰する「科学技術賞 研究部門」では、240件の応募から52件(69名)が選ばれ、人間科学学術院の浅川達人教授、政治経済学術院の齊藤有希子教授および多湖淳教授、理工学術院の辻川信二教授および森達哉教授が受賞しました。
また、青少年をはじめ広く国民の科学技術に関する関心及び理解の増進等に寄与し、又は地域において科学技術に関する知識の普及啓発等に寄与する活動を行った者を表彰する「科学技術賞 理解増進部門」では、26件の応募から9件(29名)が選ばれ、理工学術院の田中香津生主任研究員が受賞し、部門を代表して壇上で表彰を受けました。

令和7年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 早稲田大学受賞者

左から、森教授、田中主任研究員、浅川教授、辻川教授、齊藤教授

以下に、各受賞者のコメントを掲載いたします。

科学技術賞 研究部門

受賞業績:標本調査と社会地区分析の結合によるフードデザート問題研究
人間科学学術院 浅川 達人 教授

受賞コメント
この度は、文部科学大臣表彰・科学技術賞(研究部門)をいただきまして、誠に光栄に存じます。まずは、推薦および評価に関わってくださった全ての関係者のみなさまに謹んでお礼申し上げます。

本研究では、都市社会学研究と階級・階層研究を結びつけ、地理学や栄養学とも協働しつつフードデザート問題という社会問題の解決に向けて研究、提言して参りました。複眼的・学際的な研究を、アカデミズムに閉じることなく社会問題の解決に向けて取り組んできた点を評価していただけたものと、大変光栄に感じております。このような研究活動に取り組むことができたのも、都市社会学という自分の専門分野のみならず、他分野のみなさまから複数の共同研究プロジェクトにお誘いいただき、議論を交わす機会を与えていただいたからであり、これまでの共同研究に関わってくださった全てのみなさまに心より感謝申し上げます。今後も変わらぬご指導、ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

受賞業績:地理空間上の企業間ネットワークとマクロ経済変動の研究
政治経済学術院 齊藤 有希子 教授

受賞コメント
この度は、文部科学大臣表彰・科学技術賞(研究部門)を戴きまして、光栄に存じます。これまで、様々な形でサポートして下さった方々に感謝しております。

学生時代は物理学を学んでいましたが、自然科学と社会科学に共通して現れる普遍的現象に興味を持ちました。物理学において、ミクロな粒子の相互作用からマクロな特性が説明されるように、経済学においても、ミクロな企業間のネットワークからマクロ現象が説明されます。個々の企業がどのような意思決定のもと、ネットワークを構築し、利益を得るのか、地理空間との関係、波及のメカニズムを明らかにしてきました。

経済学は経世済民。これからも、「Cool heads but Warm hearts」で研究活動、教育活動に尽力したいと思います。

受賞業績:サーベイ実験の非欧米圏での実証と比較を通じた国際政治研究
政治経済学術院 多湖 淳 教授

受賞コメント
文部科学大臣表彰・科学技術賞(研究部門)を受賞することがかない、誠に光栄に存じます。2019年2月に「非覇権国の視点の導入を通じた国際政治学の科学的研究の拡張」という選定業績のもと、日本学術振興会賞を戴きましたが、今回の受賞テーマは特に国際政治学分野における実験手法の応用に関して評価をいただいた結果となります。2015年のBritish Journal of Political Science論文からはじまり、サーベイ実験の手法で書いてきた論文はすべて複数著者によるものです。共同研究を一緒に実施してくださった先生方・共著者のみなさんに厚く感謝の気持ちを申し上げます。今回の受賞を励みとしてさらに精進したいと思います。今後も変わらぬご指導、ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

受賞業績:宇宙の創世から現在の加速膨張に至る包括的な宇宙論の研究
理工学術院 辻川 信二 教授

受賞コメント
この度は、文部科学大臣賞・科学技術賞 (研究部門)をいただき、大変光栄に存じます。私の研究は、宇宙の創生から現在に至る進化を、相対性理論やそれを拡張した理論をもとに解明するものです。私が大学院生であった1990年代の後半から、超新星や宇宙背景輻射などの観測によって、宇宙初期と後期に起こったとされる2回の加速膨張の物理が検証できるようになってきました。私の研究は、宇宙初期のインフレーションと現在の加速膨張を引き起こす暗黒エネルギーの起源を、多様な観測データを用いて明らかにしようとするものです。国内外の多くの共同研究者の協力も得て、理論的に有効な模型の構築と観測データから模型に制限をつける数値コードの開発を行い、観測的に好まれる模型を選別することが可能になりました。今後も、重力波を始めとする様々な観測が進行中であり、理論と観測の双方から宇宙の創生と進化の謎を明らかにしていきたいと思います。今までご協力・ご助言をいただきました皆様に感謝申し上げるとともに、今後も変わらぬご指導を何卒よろしくお願いいたします。

受賞業績:能動的セキュリティ対策技術に関する研究
理工学術院 森 達哉 教授

受賞コメント
この度は、文部科学大臣表彰・科学技術賞(研究部門)を賜りまして、誠に光栄に存じます。学生時代、商用インターネットの黎明期を経験したことがきっかけで情報技術に強い関心を持つようになりました。そして、情報技術が普及・発展するとともに、これらの技術が必ずしも正当な目的にのみ使われるわけではないことに気づき、セキュリティ研究へと関心が向かいました。

当初は防御技術に焦点を当てていましたが、真に効果的な対策には「攻撃者の思考」を理解する必要があると考え、オフェンシブセキュリティの研究に取り組んでまいりました。この分野では、システムやサービスの脆弱性を科学的な方法論で検証し、根本的な対策技術を開発することが不可欠です。

人工知能や自動運転車など新興技術を対象としたオフェンシブセキュリティの研究で成果を上げることができたのは、多くの共同研究者と学生の協力あってこそです。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

科学技術賞 理解増進部門

受賞業績:中高生を対象とした素粒子探究活動の普及啓発
理工学術院 田中 香津生 主任研究員

受賞コメント
この度は、文部科学大臣表彰・科学技術賞(理解増進部門)を頂きまして誠に光栄です。

私は6歳ごろから素粒子に魅せられ、関連する本を読み漁りましたが、高校生になっても本を読む以外にできることがないことに悶々としておりました。その後、技術発展で手のひらサイズの素粒子検出器が作れるようになり、このような中高生に探究の機会を提供したいという思いから、素粒子検出器の貸与とオンラインによる探究サポートを始めました。

その後、コロナ禍で直接会ったことがない状況にもかかわらず、参加した中高生はさまざまな興味深い探究を生み出してくれました。この経験を通じ、検出器に加えて、オンラインを通した仲間や研究者とのつながりがあれば、これまで「本の中の世界」であった素粒子探究を中高生でも楽しめるようになると確信しました。

この取り組みは国内外の研究者によるご助力、大学生メンターの献身的なサポート、参加した中高生の想像を超える活力によって支えられてきました。この場をお借りして心より厚く御礼申し上げます。また、さらなる機会創出のため、これからも多くの方々にお力添えいただければ幸甚に存じます。

Ultrafast Multivalley Optical Switching in Germanium for High-Speed Computing and Communications

著者: contributor
2025年4月17日 17:04

Ultrafast Multivalley Optical Switching in Germanium for High-Speed Computing and Communications

Researchers demonstrate ultrafast transparency switching across multiple wavelengths using single laser excitation in germanium

Multicolored optical switching is essential for potential advancements in telecommunication and optical computing. However, most materials typically exhibit only single-colored optical nonlinearity under intense laser illumination. To address this, researchers have demonstrated that exciting the multivalley semiconductor germanium with a single-color pulse laser enables ultrafast transparency switching across multiple wavelengths. This breakthrough could drive the development of ultrafast optical switches for future multiband communication and optical computing.

Image title: Ultrafast optical switching in germanium across multiple wavelengths
Image caption: Researchers demonstrate ultrafast multivalley optical switching in germanium (Ge) using a single-color pulse laser. This breakthrough enables precise transparency control across multiple wavelengths, with potential applications in multiband communication and optical computing. The study also investigates intravalley and intervalley scattering processes within Ge’s multivalley.
Image credit: Professor Junjun Jia from Waseda University, Japan
License type: Original content
Usage restrictions: Cannot be reused without permission

Opaque materials can transmit light when excited by a high-intensity laser beam. This process, known as optical bleaching, induces a nonlinear effect that temporarily alters the properties of a material. Remarkably, when the laser is switched on and off at ultrahigh speeds, the effect can be dynamically controlled, opening new possibilities for advanced optical technologies.

Multicolored optical switching is an important phenomenon with potential applications in fields such as telecommunications and optical computing. However, most materials typically exhibit single-color optical nonlinearity under intense laser illumination, limiting their use in systems requiring multicolor or multiband switching capabilities. Currently, most optical switches are based on microelectromechanical systems, which require an electric voltage or current to operate, resulting in slow response times.

To address this gap, a group of researchers, led by Professor Junjun Jia from the Faculty of Science and Engineering at Waseda University, Japan, in collaboration with Professor Hui Ye and Dr. Hossam A. Almossalami from the College of Optical Science and Engineering at Zhejiang University, China, Professor Naoomi Yamada from the Department of Applied Chemistry at Chubu University, Japan, and Dr. Takashi Yagi from the National Institute of Advanced Industrial Science and Technology, Japan, investigated the multivalley optical switching phenomenon in germanium (Ge) films. They focused on how intense laser irradiation induces ultrafast optical switching across multiple wavelengths in Ge, a multivalley semiconductor. Their study demonstrated efficient multicolored optical switching using a single-color pulse laser, potentially overcoming the limitations of traditional single-color optical nonlinearities. Their research was published in Physical Review Applied on February 24, 2025.

By irradiating Ge with an intense pulse laser, the team achieved ultrafast switching between transparency and opacity across a wide wavelength range. Femtosecond time-resolved transient transmission measurements revealed ultrafast optical switching in both the Γ and L valleys, due to the existence of intravalley and intervalley scattering. “Our results confirm that intense laser irradiation in Ge films allows for ultrafast optical switching across multiple wavelengths, offering the possibility of controlling a material’s transparency and opening new doors for possible applications in optical communications, optical computing, and beyond,” explains Prof. Jia.

Such multivalley optical switching is found to strongly depend on the band structure of Ge. Experimental measurements suggest that the transient signal is highly dependent on the specific region of the band structure involved. For example, the transient transmission spectra reveal a split-off energy of 240 meV at the L high symmetric point. “Careful selection of probing energies, based on the band dispersion calculated with the HSE06 functional and spin-orbit coupling effects, allowed us to accurately capture the transient electronic occupation in both the Γ and L valleys,” says Prof. Jia. This allows the extraction of intervalley and intravalley scattering times in multivalley materials from transient measurements.

Overall, this study highlights the significant potential of Ge as a key material for advanced optical switching, with promising applications in high-speed data transmission and computing. By enabling control over transparency at multiple wavelengths using a single-color pulse laser, exciting possibilities open up for the development of ultrafast optical switches. “This finding is expected to address the growing demand for higher data rates and security in the face of increasing internet traffic, marking a key step forward in the advancement of ultrafast optical switching devices,” concludes Prof. Jia.

Reference

Authors: Junjun Jia1, Hossam A. Almossalami2, Hui Ye2, Naoomi Yamada3, Takashi Yagi4
Title of original paper: Multivalley optical switching in germanium
JournalPhysical Review Applied
DOI: 10.1103/PhysRevApplied.23.024060
Article Publication Date:24 February 2025
Affiliations:
1Global Center for Science and Engineering (GCSE), Faculty of Science and Engineering, Waseda University, Japan
2College of Optical Science and Engineering, Zhejiang University, China
3Department of Applied Chemistry, Chubu University, Japan
4National Metrology Institute of Japan (NMIJ), National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), Japan

About Professor Junjun Jia

Junjun Jia is a Professor at the Faculty of Science and Engineering, Waseda University, Japan. He earned his Ph.D. from the University of Tokyo in 2011. His research focuses on the design and fabrication of functional solid-state materials, as well as the development of solid-state devices, including solid-state thermal circuital elements, acoustic wave-based devices, and nonequilibrium electronic devices. His interests include nonlinear optics, non-equilibrium physics, and excited electronic/phonon structure in solids materials. Dr. Jia has published extensively in peer-reviewed journals such as Advanced Functional Materials, Physical Review B, Physical Review Applied. He has received several awards, including the Waseda e-Teaching Award in 2022. He is a member of various committees, including the Materials Research Society of Japan.

An Efficient Self-Assembly Process for Advanced Self-Healing Materials

著者: contributor
2025年4月17日 17:03

An Efficient Self-Assembly Process for Advanced Self-Healing Materials

The novel method produces multilayered self-healing films with enhanced durability compared to conventional materials for coatings and flexible electronics

Self-healing coatings are advanced materials that can repair damage, such as scratches and cracks on their own. Researchers from Waseda University have developed an efficient method for preparing self-healing films consisting of alternating layers of highly cross-linked organosiloxane and linear polydimethylsiloxane (PDMS). Their film is more durable than conventional self-healing PDMS materials, offering superior hardness and greater thermal stability while self-healing at mild temperatures, paving the way for stronger, more reliable, and easier-maintained self-healing materials.

Image title: Novel self-assembly approach for fabricating self-healing siloxane films
Image caption: Researchers at Waseda University developed a more efficient method to create self-healing films using organosiloxane and polydimethylsiloxane layers. The process involves depositing a precursor solution, forming a layered structure, and introducing silanolate groups for self-healing.
Image credit: Dr. Yoshiaki Miyamoto from Waseda University
License type: Original content
Usage restrictions: Cannot be reused without permission

Polysiloxane materials, such as polydimethylsiloxane (PDMS)-based elastomers, exhibit a self-healing capability by the introduction of silanolate (Si–O) groups. This ability stems from their dynamic siloxane (Si–O–Si) bonds, which can break and reform to repair damage. Their self-healing properties could make them valuable in applications like protective coatings for use in various fields, such as optics, electronics, and aerospace.

To improve the properties of PDMS-based materials, they have been combined with inorganic fillers such as nanoparticles or nanosheets. Generally, the introduction of nanosheets into polymers leads to the formation of a layered structure that exhibits superior thermal, mechanical, and gas barrier properties. Furthermore, improved crack healing ability of oriented films was reported. This improvement is attributed to polymer diffusion concentrated in the in-plane direction.

Researchers at Waseda University, Japan, have made significant progress in enhancing self-healing siloxane materials by developing a more efficient method for fabricating multilayered films. In a study published on January 6, 2025, in Volume 61, Issue 16, of the journal Chemical Communications, a team led by Professor Atsushi Shimojima, with Research Associate Yoshiaki Miyamoto and Assistant Professor Takamichi Matsuno, fabricated a composite film composed of highly cross-linked organosiloxane (silsesquioxane) and grafted PDMS layers using a self-assembly process.

“Replacing traditional materials with our self-healing material, which is less susceptible to deterioration and has high hardness, would be in high demand for maintenance-free and durable applications,” says Miyamoto, the lead author of the study.

The researchers began by depositing a solution containing 1,2-bis(triethoxysilyl)ethane, Pluronic P123 (a PEO–PPO–PEO triblock copolymer, where PEO stands for poly(ethylene oxide) and PPO stands for poly(propylene oxide)), and a PEO–PDMS–PEO block copolymer onto a silicon or glass substrate using spin-coating or drop-casting techniques. This process formed a thin film with a lamellar (layered) structure.

The film was then calcinated in air at 170 °C for 4 hours, resulting in the removal of the PEO and PPO blocks. This process left behind a multilayered structure composed of silsesquioxane and PDMS layers.

To impart self-healing properties to the film, Si–O groups were introduced. These groups promote rearrangement and reconnection of the siloxane (Si–O–Si) networks. To achieve this, the film was immersed in a solution of tetrahydrofuran, water, and potassium hydroxide (KOH). In this process, hydroxide ions (OH) from KOH removed protons (H+) from silanol (Si–OH) groups, converting them into Si–O ions. The final film could repair micrometer-scale cracks when heated to 80 °C at 40% relative humidity for 24 hours.

The film showed superior properties compared to conventional PDMS-based materials. The cross-linked organosiloxane layers provided greater rigidity and served as a barrier against the volatilization of cyclic siloxanes, addressing the limitations of traditional PDMS materials. While conventional self-healing PDMS elastomers have a hardness of 49 MPa, the final self-healing film exhibited a hardness of 1.50 GPa.

“This innovative multilayered design allows our material to be both harder and more heat-resistant than existing self-healing siloxane-based materials, paving the way for more durable and reliable applications,” says Miyamoto.

With its high hardness and self-healing properties, this material is well-suited for protective coatings, flexible electronics, and other applications that require long-lasting performance.

Reference

Title of original paper:Multilayered organosiloxane films with self-healing ability converted from block copolymer nanocomposites
DOI:10.1039/D4CC05804F
Journal:Chemical Communications
Article Publication Date:06 January 2025
Authors:Yoshiaki Miyamoto1, Takamichi Matsuno1,2,3 and Atsushi Shimojima1,2,3
Affiliations:
1Department of Applied Chemistry, Faculty of Science and Engineering, Waseda University, Japan
2Waseda Research Institute for Science and Engineering, Waseda University, Japan
3Kagami Memorial Research Institute for Materials Science and Technology, Waseda University, Japan

About Dr. Yoshiaki Miyamoto from Waseda University

Dr. Yoshiaki Miyamoto is a Research Associate at the School of Advanced Science and Engineering, working under the supervision of Professor Atsushi Shimojima. His research focuses on the relationship between material structure, composition, and self-healing properties, particularly within the realm of siloxane-based materials. He explores factors such as network flexibility, swelling behavior, and dynamic bond rearrangement. His research has produced publications demonstrating expertise in designing self-healing materials with improved mechanical properties and thermal and chemical stability. Dr. Miyamoto’s research contributes to the advancement of functional materials with potential applications in coatings, adhesives, and other areas where self-healing capabilities are crucial.

Machine Learning Unlocks Superior Performance in Light-Driven Organic Crystals

著者: contributor
2025年4月17日 17:02

Machine Learning Unlocks Superior Performance in Light-Driven Organic Crystals

LASSO regression and Bayesian optimization enhance crystal force output, advancing next-generation light-responsive actuator materials

Researchers have developed a machine learning workflow to optimize the output force of photo-actuated organic crystals. Using LASSO regression to identify key molecular substructures and Bayesian optimization for efficient sampling, they achieved a maximum blocking force of 37.0 mN—73 times more efficient than conventional methods. These findings could help develop remote-controlled actuators for medical devices and robotics, supporting applications such as minimally invasive surgery and precision drug delivery.

Image title: Discovering Novel Photo-Actuated Organic Crystals Through Machine Learning
Image caption: The proposed method is at least 73 times more efficient than conventional techniques and leads to crystals with a maximum blocking force of 37.0 mN.
Image credit: Takuya Taniguchi from Waseda University
License type: Original content
Usage restrictions: Cannot be reused without permission

Materials that convert external stimuli into mechanical motion, known as actuators, play a crucial role in robotics, medical devices, and other advanced applications. Among them, photomechanical crystals deform in response to light, making them promising for lightweight and remotely controllable actuation. Their performance depends on factors such as molecular structures, crystal properties, and experimental conditions.

A key performance indicator of these materials is the blocking force—the maximum force exerted when deformation is completely restricted. However, achieving high blocking forces remains challenging due to the complex interplay of crystal characteristics and testing conditions. Understanding and optimizing these factors is essential for expanding the potential applications of photomechanical crystals.

In a step toward optimizing the output force of photo-actuated organic crystals, researchers from Waseda University have leveraged machine learning techniques to enhance their performance. The study was led by Associate Professor Takuya Taniguchi from the Center for Data Science, along with Mr. Kazuki Ishizaki and Professor Toru Asahi, both from the Department of Advanced Science and Engineering, Graduate School of Advanced Science and Engineering at Waseda University. Their findings were published online in Digital Discovery on 20 March 2025.

“We noticed that machine learning simplifies the search for optimal molecules and experimental parameters,” says Dr. Taniguchi. “This inspired us to integrate data science techniques with synthetic chemistry, enabling us to rapidly identify new molecular designs and experimental approaches for achieving high-performance results.”

In this study, the team utilized two machine learning techniques: LASSO (least absolute shrinkage and selection operator) regression for molecular design and Bayesian optimization for selecting experimental conditions. The first step led to a material pool of salicylideneamine derivatives, while the second enabled efficient sampling from this pool for real-world force measurements. As a result, the team successfully maximized the blocking force, achieving up to 3.7 times greater force output compared to previously reported values and accomplishing this at least 73 times more efficiently than conventional trial-and-error method.

“Our research marks a significant breakthrough in photo-actuated organic crystals by systematically applying machine learning,” says Dr. Taniguchi. “By optimizing both molecular structures and experimental conditions, we have demonstrated the potential to dramatically enhance the performance of light-responsive materials.”

The proposed technology has broad implications for remote-controlled actuators, small-scale robotics, medical devices, and energy-efficient systems. Because photo-actuated crystals respond to light, they enable contactless and remote operation, making them ideal robotic components working in confined or sensitive environments. Their ability to generate force noninvasively with focused light could also be valuable for microsurgical tools and drug delivery mechanisms that require precise, remote actuation.

By leveraging a cleaner energy input—light irradiation—while maximizing mechanical output, these materials hold promise for eco-friendly manufacturing processes and devices aimed at reducing overall energy consumption. “Beyond improving force output, our approach paves the way for more sophisticated, miniaturized devices, from wearable technology to aerospace engineering and remote environmental monitoring,” Dr. Taniguchi adds.

In conclusion, this study highlights the power of a machine learning–driven strategy in accelerating the development of high-performance photo-actuated materials, bringing them one step closer to real-world applications and commercial viability.

Reference

Authors: Kazuki Ishizaki1, Toru Asahi1, and Takuya Taniguchi2
Title of original paper: Machine Learning-Driven Optimization of Output Force in Photo-Actuated Organic Crystals
Journal: Digital Discovery
DOI:10.1039/D4DD00380B
Article Publication Date:20 March 2025
Affiliations:
1Department of Advanced Science and Engineering, Graduate School of Advanced Science and Engineering, Waseda University
2Center for Data Science, Waseda University

About Associate Professor Takuya Taniguchi from Waseda University

Takuya Taniguchi is an Associate Professor at the Center for Data Science at Waseda University, Japan. He received a Doctor of Engineering degree from the Department of Advanced Science and Engineering, Graduate School of Advanced Science and Engineering, Waseda University, in 2019. His research areas of interest include structural organic chemistry, physical organic chemistry, organic functional materials, materials informatics, and materials science. His publications have received over 500 citations.

力学系の内部構造を解析する深層学習を開発

著者: contributor
2025年4月15日 12:43

力学系の内部構造を解析する深層学習を開発
~物理現象や複雑システムの理解や解析に期待~

ポイント

  • 様々な物理システムが絡み合った力学系を各要素に分割できる深層学習モデルを開発。
  • 各要素の特性と要素間の結合パターンの同定に成功。
  • 工学・自然科学分野における複雑システム解析の進展に期待。

概要

北海道大学大学院情報科学研究院の松原 崇教授、早稲田大学理工学術院の吉村浩明教授、神戸大学大学院理学研究科の谷口隆晴教授、大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程のコスロービアン・ラグミックアルマン氏らの研究グループは、機械系や電気系など様々な物理ドメインのシステムが結合した力学系*1を、高精度かつ統一的に表現できる新たな深層学習*2手法「ポアソン=ディラック ニューラルネットワーク(PoDiNNs)」を開発しました。従来の深層学習モデルは、解析力学の知見を用いることで、高精度に挙動をモデル化し、未来の変化を予測することに成功していました。しかし、主に(質点ばねで表現できるような)機械系の運動に特化しており、電気回路や油圧系といった他の物理ドメインへ拡張することが困難でした。また対象を一体的な力学系として扱うため、複数の要素が結合した大きな力学系(連成系)の学習が難しく、内部構造に対する理解や解釈を与えないという問題がありました。

研究グループが提案するPoDiNNsは、単一の力学系を、エネルギーを保持する素子、エネルギーを消費する素子、エネルギーを外部から与える素子に分割し、ディラック構造*3という数学的対象を用いてそれらの素子の結合系として力学系全体を表現します。そのため、データからの学習によって、それぞれの素子の特性と、力学系内部の結合パターンを同時に同定することができます。これにより、長期にわたる予測の安定性が向上するだけでなく、要素間の相互作用を可視化しやすくなるため、ロボット工学や電力制御、構造物の振動解析や回路設計など、多様な応用への可能性が広がります。本研究の成果は、物理法則に根ざした学習モデルの新たな方向性を示し、マルチフィジックス*4系の設計・制御・最適化など幅広い分野での発展が期待されます。

なお、本研究成果は、2025年4月24日(木)~28日(月)にシンガポールで開催される、国際会議International Conference on Learning Representationsにて発表される予定です。

深層学習を用いたシステムのモデル化において、これまで個別に研究されてきた冗長性や摩擦・外力などの様々な要素を統一的に扱えるほか、電気回路や油圧系、それらの組み合わせへと拡張。

背景

多くの物理現象やロボット、電気回路、化学反応などはすべて一種の力学系とみなすことができ、未知の力学系をデータからモデル化し、予測や制御に役立てるために、深層学習(ニューラルネットワーク)が用いられてきました。特に近年、常微分方程式*5で記述できるような力学系に対し、解析力学の知見を用いることで、エネルギー保存則などの物理法則を遵守できる手法が開発され、高精度に挙動をモデル化し、未来の変化を予測することに成功していました。しかし、既存の手法は主に質点ばねで表現できるような機械系の運動に特化しており、電気回路や油圧系といった他の物理ドメインへ拡張することが困難でした。また対象を一体的な力学系として扱うため、複数の要素が結合した大きな力学系の学習が難しく、学習ができても力学系の内部構造に対する理解や解釈を与えないという問題がありました。

研究手法

本研究では、深層学習にポアソン=ディラック形式という力学系の記述方法を導入しました(図1)。これは小さな力学系が複数結合した力学系である連成系について、それぞれの要素に分解し、エネルギーの流入出として要素間の結合を表現することで、連成系全体を記述する方法です。これを用いて、連成系を構成する各要素(ばね・質量・ダンパ・キャパシタ・インダクタ・抵抗・油圧タンクなど)と結合パターンに分解し、それぞれをニューラルネットワークや行列として学習できる手法PoDiNNsを開発しました。

研究成果

キラルな分子のエナンチオマー結晶とラセミ結晶とを比較して、結晶を構成する二量体の対称性の僅かな違いにより結晶構造の温度依存性の違いが引き起こされることを、単結晶X線構造解析によって実際に示した今回の成果は、物理化学・有機化学・固体化学といった化学の幅広い分野や結晶学において興味深く重要な例であり、将来的に分子結晶の構造と特性を議論する実験的および計算的アプローチにおいて有用な知見となることが期待されます。

また、キラルな化合物は薬理活性を示すことが多く、数多くのキラル医薬品が開発されています。かつてサリドマイドが世界規模での薬害を引き起こしたように、医薬品におけるキラリティの理解と制御は非常に重要であり、医薬品開発においては結晶形の違いから安定性や溶解性の違いが生じることから、その構造と物理化学的性質の理解と制御もまた重要です。キラル分子の結晶において分子環境の僅かな違いが結晶構造の温度依存性に影響することを示した今回の成果は、キラル医薬品の結晶化や品質確保にも有用な基礎的な知見となることが期待されます。

課題、今後の展望

PoDiNNsを様々なシミュレーションデータに適用し、連成系を構成する各要素の入出力特性と、結合パターンを個別に同定することで、力学系の内部構造をデータから明らかにできることを確認しました。これにより、従来の手法よりも高い精度で挙動を予測できることが示されました。特に、モータや油圧ピストンがあるような異なる物理ドメインをまたぐような要素についても、特性及び結合パターンを正確に同定することができ、マルチフィジックスな系を解釈可能な形で学習できる初の深層学習手法であることを示しました。その結果、システム内で実際に生じている力や電流や油液の流れが可視化でき、連成系の理解に貢献することが期待されます。

今後への期待

この手法は、ロボットや自動車といった多くの部品から構成されたシステムのシミュレーションや制御、リバースエンジニアリングへの応用が期待されます。また生物や社会システムのような人の手で設計されたわけではない対象についても、この手法を用いることで、高度な解析や深い理解に貢献する可能性があります。

謝辞

本研究はJST さきがけ(JPMJPR24TB、JPMJPR21C7)、JST CREST(JPMJCR1914、JPMJCR24Q5)、JST ASPIRE(JPMJAP2329)、JST ムーンショット型研究開発事業(JPMJMS2033-14)の受託とJSPS 科研費(JP24K15105)の助成を受けたものです。

用語解説

*1 力学系(dynamical system) … 入力や出力を持ち、内部の状態が時間的に変化するようなもの。様々な物理現象、社会現象、生物の代謝、ロボットの挙動などが力学系として解釈できる。

*2 深層学習(deep learning) … 比較的単純な演算を繰り返すことで複雑な関数を近似する機械学習のパラダイム。個別のモデルは歴史的な経緯からニューラルネットワークと呼ばれるが、生物の神経細胞(ニューロン)と直接的な関係はない。

*3 ディラック構造(Dirac structure) … 力学系の拘束を記述するための数学的枠組みであり、本研究では特にサブシステム同士の結合をエネルギーの流入出として記述するために用いている。

*4 マルチフィジックス(multiphysics) … 機械・電気・流体・熱など、異なる物理領域が相互に結合した力学系のこと。またその計算機シミュレーション。

*5 常微分方程式(ordinary differential equation) … 位置や速度といった点で表現できる状態の時間変化で力学系を記述する方法。流体のように、点ではなく空間的な広がりを持った状態の空間的変化を扱うと、偏微分方程式となる。

論文情報

論文名 Poisson-Dirac Neural Networks for Modeling Coupled Dynamical Systems across Domains(ドメインをまたいだ連成系をモデルかするためのポアソン=ディラックニューラルネットワーク)
著者名 コスロービアン ラズミックアルマン1、谷口隆晴2、吉村浩明3、松原 崇41大阪大学大学院基礎工学研究科、2神戸大学大学院理学研究科、3早稲田大学理工学術院、4北海道大学大学院情報科学研究院)
学会名 The Thirteenth International Conference on Learning Representations(ICLR2025・人工知能と機械学習の国際会議)
開催日 2025年4月24日(木)~28日(月)

参考図

図1.ディラック構造によって、様々な種類の要素が結合されている様子の模式図。この構造を仮定することで、システム全体を単純な個々の素子とそれらの結合に分割して学習できるため、大規模複雑なシステムでも少ないデータから学習することができる。

プロジェクト研究所ちょっとお邪魔します! 医学を基礎とするまちづくり研究所

著者: contributor
2025年4月10日 17:12

ひとも、まちも元気にする医学✕都市計画学のチカラ

 

超高齢・縮退社会を迎えた日本に活力を取り戻すため、医学と都市計画学の出会いから生まれた新しい学術領域MBT(Medical Based Town)。奈良県立医科大学と双子の研究所をつくり、「ひとも元気に、まちも元気に。」を掲げて取り組む実践研究の成果がすでに見え始めています。所長を務める後藤春彦教授を訪ねました。

 

◆人生100年時代の「まちづくり」を考える新しい学問

後藤 春彦(所長/理工学術院教授)

──医学を基礎とするまちづくり(MBT: Medical Based Town)」の概念についてお聞かせください。どのようなことを目指しておられますか。

「人体の健康」と「都市の持続性」の追求、またそのために必要な医学と都市計画学の交流をテーマとする研究で、奈良県立医科大学の細井裕司教授(理事長兼学長)による提唱をきっかけに生まれました。出発点は「住居医学」という、病気の予防や健康維持に役立つ住まいのあり方に関する研究ですが、この概念をさらに発展させ、まちづくりへと拡大させたものがMBTです。

2012年に都市計画の専門家を求める奈良県立医科大からのオファーを受け、早稲田大学との共同研究が始まりました。同じ名称の研究所が両者に置かれ、互いに「ひとも元気に、まちも元気に。」をスローガンに掲げて活動しています。本学ではその後、2015年に重点領域研究の一つに位置づけられ、2020年から総合研究機構に現在のプロジェクト研究所として加わりました。

──医学と都市計画はまったく違う領域のようにも感じますが、両者の結びつきにはどんな背景があるのでしょうか。

実は100年以上も前からある考え方で、明治・大正期の政界で活躍した後藤新平などはその先人の一人です。関東大震災後の東京復興を指揮した人物ですが、医師でもあった後藤は「生物学の原則」に従ったまちづくりを進めたといいます。また同じ頃、パトリック・ゲデスというスコットランドの学者も、生物学を基礎とする都市理論を提唱しました。都市の近代化が進んで人口が増えるにつれ、医療や健康との結びつきが必然的に求められるようになったのです。

現代的な事情でいえば、日本の場合、少子高齢化の問題が大きく関係しています。2023年度の国民医療費は約47.3兆円。国民総生産(GDP)のおよそ8%を占め、明らかに日本経済を圧迫しています。医療費が最も多いのは60〜70代ですから、この世代の健康度を高めれば医療費は下がるはずですが、すでに病気になっている人の診療費を抑えるのは容易なことではありません。であれば、その予備軍である40〜50代をターゲットに未病対策を進めることで、10年後、20年後の医療費を押さえ込めるのではないか。つまり、健康をテーマに都市環境を整えることで、未病の人たちの発症を抑えて、社会を元気にする。それが、私たちの研究の起点となった問題意識です。

◆「お互い様の健康感」でコミュニティ全体を元気に

──人々の健康と都市環境はそれだけ密接な関係にあるということですね。

後藤春彦教授作成

そうですね。この図を見てください(下図参照)。「いくつもの健康(感)」を表したもので、横軸の上側を「個人(ひとり)の健康」、下側を「社会集団(みんな)の健康」に分け、縦軸の左側を「客観」、右側を「主観」としたマトリックスです。このうち左側の客観的健康に含まれる身体的健康や精神的健康、社会的健康、公衆衛生といったものは、主に医学が担う領域です。

これに対して、例えば「今日は体が重い/だるい」などと感じるのは、右側の個人の主観的健康感に当たります。それらを束ねて多くの人の主観を集めていくと、コミュニティ全体の健康感につながる。この状態は主観から客観への間に位置するため「間主観」ともいえます。コミュニティに属する人たちが互いに支え合うことで、孤独や無縁社会といった現代的な問題も克服できるという意味で、私はこれを「お互い様の健康感」と名づけました。これら主観に関する部分は医学の領域から離れるので、病院では診てもらえない。だから、私たちが取り組む意義があるわけです。

実は、主観的健康感が高い人は生命予後が長い、つまり病気や手術の後でより長く生きられることが、これまでの研究で明らかになっています。WHO(世界保健機関)も最近、主観的健康感の重要性を指摘するようになりました。では、どうすればその主観的健康感を高められるのか。個人の場合、それは家や建築などの住環境を整えることに関係し、社会集団ではまちづくりと密接に関わってくると、私たちは考えています。

──そうしたMBTの考え方や研究はどのような広がりを見せていますか。

『医学を基礎とするまちづくり』(水曜社)

細井先生と私が共著で『医学を基礎とするまちづくり』(水曜社)と題する書籍を出版したのが、2014年1月でした。その翌年、日本医学会総会でも発表し、多くの方に関心を持っていただけたように思います。私自身、以前は都市計画のような学問が人体に関する領域に踏み込むことはないと思っていましたが、なるほど主観的健康感という捉え方からであればアプローチできるかもしれないと気づき、この研究に着手しました。

今、健康とまちづくりに関連する研究活動を概観すると、奈良県立医科大と早稲田大学のほかにも、東京大学の高齢社会総合研究機構や、筑波大学発ベンチャー企業のつくばウエルネスリサーチなどが進めている取り組みに目が止まります。どちらも高齢者を対象に将来の社会保障制度に貢献することを視野に入れ、前者では在宅医療や高齢者住宅を含む地域社会のあり方を、後者では誰もが「健幸」になれるSmart Wellness Cityのかたちについて研究しています。

このように医学と都市の関係性に今、多くの研究者が目を向け始めていることは確かです。最近よくいわれる「ウェルビーイング」を追求する社会の潮流が、これに拍車を掛けているようです。

◆古い「町並み」を生かして取り組む「町なか」医療

──具体的な取り組みについてお聞かせください。どのような研究活動を進めていますか。

奈良県立医科大と一緒に取り組んでいる「今井町アネックス」プロジェクトがあります。今井町というのは奈良県橿原市にある江戸期に栄えた古い町で、当時の風情を今に伝える町家が至るところに残り、重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。その近隣にある医科大の附属病院、そして近く建設が予定される同大の新しいキャンパス、この3つをつなぐ地域を舞台として、「まちなか医療」と「まちなみ景観」の整備を一体に進めようというプロジェクトです。

江戸時代の面影を残す今井町の町並み

東西に約600m、南北に約310mにわたる保存地区には、全部で約760戸の家があり、そのうち500戸ほどが伝統的建造物となっています。ただ、人口が減るにつれて空き家が目立ちはじめているものの、保存地区ですから勝手に壊したり建て替えたりすることができません。この町並みを何とかして生かしながら、医療・健康のまちとして再生することはできないか。そんな思いから活動が始まりました。

そこで考えたのが、医科大の機能の一部を伝統的な町並みの中に取り込み、病院と自宅の間に医療を介在させる仕組みです。中世の町ですから、道幅が狭く、車は入ることができません。それがかえって車いすの練習や歩行訓練などのリハビリに適している。回復期にある患者さんをこうした環境で受け入れたら、病院の廊下でやるよりよほど人間的な支援ができるのではないかと提案しました。

また、絵画療法や園芸療法、音楽療法、運動療法といったものを町なかに持ち込んだり、ケア付きの共同住宅や患者さんの家族の宿泊所、退院してから自宅に戻るまでの滞在型リハビリ施設をつくったり。こうした場所に空き家を有効活用するわけです。実際、改修した長屋に早稲田の学生が泊まり込み、市民向けに健康測定やワークショップを行うことも続けてきました。医科大では外国人研究者のためのゲストハウスをつくり、そこで医師の方々が市民のための健康相談を開いています。ほかにも、放課後の児童クラブや女性専用のシェアハウスなど、アイディアは尽きません。

壊れかけた空き家を改修して外国人研究者のためのゲストハウスに

◆農村から大都市郊外まで全国展開を目指した活動へ

──たいへん実証的で、実践的な研究ですね。社会的意義が認められて公的助成プログラムにも採択されています。

今井町アネックスは「持続可能な多世代共創社会のデザイン」に貢献するとして、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)に選ばれました。また、今井町とは別の研究で、農林水産政策科学研究委託事業の助成を受けています。「農村健康観光」によって6次産業を創出する取り組みです。

6次産業というのは、1次・2次・3次の各産業を掛け合わせるもので、一般には農工商の連携が知られています。食料をつくり、食品に加工して、飲食店で販売するというように。ですが、それに留まらず、農工医の連携も考えられる。生薬を栽培し、漢方薬に加工して、医療に活かすのです。そこからさらに広げると、

後藤春彦教授作成

漢方医療から園芸療法に結びつけ、医療観光へと発展させられる可能性も見えてきます。もっと言えば、農家レストランから農家民泊、医療観光への展開もあるでしょう。

私たちはここに着目し、3次産業の最も高次な部分に医療観光を置き、その成果を地域の景観づくりに還元しながら1次産業にもプラスの効果を戻せるような、農村における「6✕n次産業化」を提案しています。

これに基づき、奈良県の農村を散策しながら薬草を摘み、農作業を体験してランチを楽しみ、薬草に関するワークショップにも参加する薬草ツアーを企画しました。すると、参加者は農作業などで肉体的には疲れても健康状態はむしろ上向き、精神的疲労度が下がることが、2種類の医学的調査によって確認できました。客観的健康と主観的健康の両方に効果が見られたのです。このツアーにはガイド役の学生を付けているのですが、農村の暮らしの知恵をあれこれ学びながら散策することで健康感もより高まる効果を期待してのことです。

また、別の調査では主観的健康感と住んでいる環境などとの関係性を調べてみました。中心市街地や住宅地、商業地区、高齢者タウンなどまったくプロフィールの異なる7つの地区を対象に、それぞれ十数人の中高齢者に参加してもらい、「認知環境」「物理的環境」「世代」「性別」によって主観的健康感がどう変わるかを見たものです。

結果は面白いことに、世代や性別を問わず、どんな場所に住んでいるかも関係なく、たった一つ「認知環境」だけに主観的健康感との相関関係が認められました。つまり、自分が暮らすまちのことを詳しく知っている人ほど、主観的健康感が高いということです。まちづくりと医療・健康が結びつくことを示す証左の一つといえますね。

──物理的環境が問われないのであれば、全国のいろいろな地域で健康づくりを進めることができそうです。

そうですね。細井先生もまさにそのことを指摘されていて、「全国に約80もの医科大学があるのだから、今井町と同じことを全国でできるはず」とおっしゃっています。主観的健康感が高くなれば、生命予後が長くなることがわかっているのですから、健康寿命を延ばすためには主観的健康感が大切であり、それには自分の住む地域にもっと関心を持ってもらえるよう工夫しなくてはなりません。

そうした考えから私たちは、早稲田大学建築・まちづくりリサーチファクトリーとの連携で、首都圏郊外の住宅地を再生するプロジェクトも同時に進めています。都市が大きく成長した時代はもう過ぎて、郊外には空き地や空き家が目立つようになりました。中山間地域で進む過疎化や地方都市のシャッター通り商店街も大きな問題ですが、実は縮退する大都市圏郊外の問題が手つかずのまま残されている。これを何とかするために、埼玉県越谷市などを実証フィールドとして、「Interknitted Town」と名づけた市街地再編集ビジョンに基づく活動に取り組んでいるところです。

──Interknitとは「編み合わせる」という意味ですね。

はい。いろいろな「穴」が空き始めた郊外のまちに、必要な機能を編み込んでいく。先進的なスマートシティの創造が織機の世界だとすれば、我々は手編みの世界。これからも地道で実効性のある実証研究を続けていくつもりです。

❌