IC高校・ジジイ教員奮闘記
2021年4月16日 06:00
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、4/16(金)・・・・伊豆の国市の静岡県立IC高校で残り3年のジジイ教員生活を始めてやっと3週間がたった。
1)遠距離通勤
我が家からIC高校まで片道で38㎞くらいある。昨日の帰りは学校をでるのが19時になってしまったが、なんと58分くらいで自宅に到着した。道路が空いていればこんなものだろう。朝の通勤タイムは75分から90分の間で、毎日バラバラ。というのも、通勤ルートが無数にあってただ今模索中なのだ。富士市を抜ける方法が3種類、沼津市に入と国一バイパスから旧国一にルート変更するパターンが4種類くらい、沼津から伊豆の国市に向かう方法が3種類、IC高校まであと5分となった時点での選択肢が4つくらい。どの経路を選んでもしっくりこない。しかも、朝は必ずコンビニで寄り道する。各ルートにそれぞれテキトーなコンビニがるけれど、未だにベストマッチのコンビニが見つからない。ベストマッチコンビニの条件は、①駐車スペースが楽ちん②男性用トイレがある。③あまり混んでいなくてコーヒーがすぐ買える④ちょうど通勤ルートの中間にある、の4条件だ。これが以外と難しいのよね。
2)授業
これがスゲー大変、授業の種類が4つもある。しかもスタートがすべて違うので、別々の教材を用意しなければならない。これは教員生活で初体験だ。専門とする公民でも、1年生は“地球環境問題”からスタート、2年生は“政治分野(国家とは何か)”から、3年生は“経済分野(Aスミスやケインズから)”と全部違う、しかも、1年生の世界史Aは第一次世界大戦付近からの授業となっている(これを業界用語ではシラバスという。自分で勝手に決められないのよね)。この大変さは、英・国・数の教員には理解できないだろう。彼らは、基本的に担当学年が決まっていて、1年生ならば1年生の授業しか担当しない。
赴任1年目でもあるし、若い教員に「是非、センセの授業を参考にさせて下さい」などと“社交辞令”も飛ばされたので、あんまり楽ができない。残り3年しかない教員生活を「Tommyセンセはあてにならない」という評判の中で生きるのもいやだから、様々な授業スタイル(グループワーク、ペアワークなど)を使いながら頑張っている。
でも、なかなか30年間の授業スタイルは変えられないものだ。数年前から、パソコン持ち込み(Ipadではない)、プロジェクタ仕様、自作プリント仕様、でやっていてこの基本路線は変えられない。今年からはモバイルのWIFIを持ち込んでいる。静岡県の高校には、フリーWifiの仕組みがない(生徒が勝手に接続しても困るので)。なので、個人契約の端末を持ち込んでいる、これが便利だ。授業中でも、平気にFBやTwitterを使うことができる。10数年前、授業中にふと法人税のことがわからなくなってお友達の会計士に電話で聞いたことがあった。もうそんな必要もないな。
3)生徒
真面目で、いい生徒ばかりである。ここ数日は、生徒の緊張もほぐれてお互いに妙な気を遣わなくなった。ただし、学校生活はジョージマスクだから生徒の顔つきは判断できず、未だに誰一人として名前と顔が一致しない。木曜日に授業を初めて行った13HRでは、なんと前日の水曜日のお昼休みに「センセ、13HRの担当の者です、明日からの授業お願いします、今日はご挨拶に来ました」と教科担当がやってきた。前日に挨拶される経験をはじめてした。だけどね、前日に挨拶にきてもらっても何もしてもらうことがない。「授業で準備しておくのはなんですか?」とも聞かれたが、「内緒」と答えておいた。不誠実なのではない、ネタばらしが出来ないだけだ。
残り3年間の教員生活で一つの目標は、「生徒に対して、マウントポジションを作らない」ことである。エラそーにすれば普通に生徒が従う状況が加齢とともに可能になってきたが、理不尽なことでも「先生に言われたから行動する」という生徒には絶対に育てたくない。
前任校では、「従順な生徒に対してはマウントポジションをとり、生意気で扱いにくい生徒は適当に扱う」という担任を見て大嫌いになり、「生徒は全員好き」と公言する(見た目は怖そうな)先生に出会って、密かに敬愛していた。そんな先生になりたい。
4)授業以外の仕事
・・・朝の健康観察担当と掃除担当以外はあまりない。みんな気を遣ってくれて、右も左も分からない老教諭に仕事を頼まない。いいなあ、この気楽さは。
でも、一番の気楽さは、「判断しないこと」である。学年主任とか教務主任とか進路指導主任とかをやっていた時は、それこそ学校を動かすような重要な場面で即時に回答しなければならなかった。そして、その根拠をきっちり示す必要があった。大人だから、「判断すること」は案外簡単にできる。「判断しなければならない」とエラソーに言っても、どちらでもいい場面だってある。でも、判断した限りには論拠を示さねばならない。時に教務主任だった時には「根拠文書」が必要だった。
その職務から解放されて本当に楽ちんだ。
さあ、出勤します。