全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、スガ首相が「五輪に観客を入れることを表明した」らしい。
首相、五輪観客入り表明 上限1万人が「基本」 (msn.com)
国を挙げての大イベントであるから、スガ首相が判断を下すのは当然のことではあるが、ワタシはの記憶では、東京オリパラの開催を立候補したのは、「日本」ではなく、「東京都」である。オリンピックはある都市で開催され、「東京都」が開催地でもある。
これもワタシの記憶が確かならば、4月頃から、東京都知事の小池百合子は、開催の是非・観客の有無に関して一言も発言していない。小池百合子がTVで露出するのは、感染者数の発表と、例のフリップ芸の時だけだ。




ただ今は、「8時にはみんなかえる」・「職場からかえる」・「お店からかえる」・「寄り道せずかえる」・「ウチで気分をかえる」が継続中。
最後の「変える」で落ちをつけてなかなかお洒落だ。
しかし、これ以上でもこれ以下でもない。
小池百合子は、オリンピックの開催とか観客とかの話になると、主体的な発言を一切しない。
簡単に「組織委員会が決めること」と言うだけだ。
「船頭多くして船山に登る」の例えのとおり、決定すべき事柄に関して、多くの船頭が違う発言をすると大混乱を招く(消費税に関する立憲民主党のよう)から、発言を控えているのだろうが、そうであっても、やはり開催都市は“東京”であるから、小池百合子が決断を下すことがあってもいいのではないか。
ワタシは、「さすが、機を見るに敏な小池百合子だなあ」と感心した。
“世界で最も影響力のある女性10人”にも選出され、海外メディアでは“将来の首相候補”とも評される小池百合子は、
日本一に機を見るに敏な政治家 であり、
日本政界のスーパー渡り鳥である。
(ここからの記述はウィッキを参考しました。太文字はワタシ)
小池芸のスタートは、1979年から1985年まで、日本テレのトーク番組『竹村健一の世相講談』のキャスター。
1988年からは、テレ東の京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスター。
ここからは、政界渡り鳥の第一期。
1992年 日本新党の細川護煕のお誘いを受けて入党、そして1992年の参議院選挙で初当選。この当時の参院選挙は拘束比例代表式だったのだが、名簿順位は、なんと「日本新党の第2位」(つまり細川の次)という最初から当選を約束さえたものだった。
1993年 衆議院選挙で、鞍替え出馬し、衆議院議員初当選。
1994年、野党第一党となる新進党の結党に参加。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近となり、1997年の新進党解党後は小沢率いる自由党に参加。
1999年、自民党と自由党の連立(自自連立)に伴う小渕第2次改造内閣の発足に際して経済企画政務次官となり、第1次森内閣まで務める。
2000年の自由党分裂に際して小沢と決別して連立与党に残留、保守党結党に参加した。
2002年自由民主党に入党
2003年9月、第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣として初入閣。
そして、政界渡り鳥第2期は
2016年東京都知事選挙に立候補。「東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として無所属での出馬
2016年 9月、小池を支援する政治団体として『都民ファーストの会』が発足、自民党は離党。
2017年 東京都議会議員選挙においては小池が主催する政治塾『希望の塾』の塾生などを擁立。選挙の結果、都議会で小池系の勢力が過半数を占めた。都議選後、すぐに党の代表を辞任したため、選挙だけが目的の食い逃げと批判された。
希望の党
2017年9月 自らが代表となる新党「希望の党」の結成を発表。 第48回衆議院議員総選挙では民進党との合流を決断。
ところが、民進党と希望の党の中が、「排除します」発言で大混乱に落ちいり、立憲民主党が結党され、小池百合子の希望のが台失速し、後任代表の玉木雄一郎となって、国民民主党が2018年に誕生。
小池百合子の経歴には、政党名がなんと10個以上も登場する。
政界再編には必ず小池百合子が登場していくのだ。
バリバリの自民党の政治家で、環境大臣を勤めたときもある。
小沢一郎、前原誠司、枝野幸男・・・・多くの政治家が、小池百合子に振り回されたこともある。
政治家養成団体の政経塾を主催したこともある、
自ら立ち上げた、「希望の党」はあっという間になくした。
どうも、小池百合子の政治理念は、“看板を変える”ことにあるらしい。
政治責任とか、政治理念ではなく、「看板を変える」というフリップ芸こそが、彼女の政治家としての生き方なのだ。
今回も、このようにして、「開催地東京の知事としての五輪責任」を見事に振りほどいて、巧妙にスガ首相と組織委員会に責任の所在を付け替えた。
さすがだ、小池百合子。
生き方に関して敬服はするが、信用はしない。