1985年8月12日 日航ジャンボ機墜落事件
2021年8月12日 06:42
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、本日は8月12日。表題通り、1985年・日航ジャンボ機墜落事件の話。
あれから、38年が過ぎ。
日航ジャンボ機墜落事件の記事もどんどん少なくなってきている。執拗な追求を続けているのは、ワタシの知る限り、植草一秀氏だけになった。
日航123便音声記録隠蔽を許すな: 植草一秀の『知られざる真実』 (cocolog-nifty.com)
ワタシの“政治経済の先生”の原点が、この事件にあると言っても過言ではない。この流れを調べるまでは、「ただ教科書通りの記述を垂れ流すだけの」ボンクラ教員だったと思う。
日航ジャンボ機墜落事件にたどり着くきっかけは、1985年9月のプラザ合意である。このプラザ合意という経済事項は、「先進五カ国の首脳がNYのプラザホテルで、各国が協調して円高ドル安政策に誘導することに同意した」と教えられる。
しかし、ここで経済学習の常識から2つの点で大きく矛盾している。
その1) 需要と供給の関係で価格(相場)が自動調節される外国為替市場に、国家が堂々と介入することが許されるのか?
その2) しかも、円高に誘導するのだ。日本は当時、世界一の工業製品輸出大国だった。円高にするということは、日本製品の価格をつりあげることになる。なぜ、日本政府は、そんな自国の不利にしかならないことに合意するのか?
その3) しかも、円高に誘導すると、アメリカに置いてある日本資産(ドル建ての銀行預金など)は、日本円での価格が激減するのだが、それも含めての円高誘導なのか?
これらのギモンを解決できる、唯一の答えが、「日航ジャンボ機事件、口止め説」である。
日航ジャンボ機の事故は、日本側の何らかの失敗が作り出したモノで、第一発見者の米軍がその真相を知っていて、「口止め料」として、プラザ合意を持ちかけた。
と考えれば、実に辻褄(つじつま)が合う。
日本側の失策とは、ズバリ、自衛隊機の誤射だ。(当時は、再軍備に熱心な中曽根政権で、中曽根はアメリカ大統領のレーガンに、飼い猫のようにすり寄っていた)
プラザ合意のあと、円高不況に襲われるが、日本製造業はこの円高を1年で克服して景気は回復する。この景気回復をバブル経済とよぶが、バブル経済を作り出した原因は、政府&日銀が、景気拡大期に低金利政策(不況対策)をとり続けたことにある。好景気なのに低金利、これはバブルになるわな。
なぜ、「好景気なのに低金利?」
この理由は、1987年のブラックマンデーである。この時、アメリカの株価が大暴落し、アメリカの経済が後退しアメリカが低金利政策に転換した。もし、日本とアメリカで金利差が逆転していたら、どんどん資金が日本に還流して、アメリカが不況から立ち直れなくなる。そこで、日本は自国がバブル好景気になのに、低金利を放置した。
ほらね・・・・
“ジャパン アズ ナンバーワン ” と世界一の工業大国になった日本が、バブルに溺れてしまい、その荒療治で自国の金融システムを崩壊させてしまった、1980年代~1990年代の“日本崩壊”のきかっけが、すべて、1985年9月のプラザ合意だったのです。
以後、日本は、経済と軍事に関して、「アメリカのポチ」に成り下がっていくのです。
それ以前の自民党政権は、アメリカの属国とはいえ、面従腹背の抵抗をしていました。
面従腹背=うわべだけ上の者に従うふりをしているが、内心では従わないこと。 ▽「面従」は人の面前でだけ従うこと。 「腹」は心の中のこと。 「背」は背くこと。
これだけ、状況証拠は揃っているのです。あとは、「日航ジャンボ機墜落事件 口止め料説」の実証的事実さえあれば、この理解不能な1980年代~1990年代の経済政策が解るはずです。
そう言えば、
1990年代には「日米構造協議」などの高圧的な状況を作られましたけど、「口止め料」説に従えば納得できます。
そう言えば、
1990年に湾岸戦争が勃発して、日本が随分な悪者に仕立て上げられ、お金を巻き上げられましたが、「口止め料」説に従えば納得できます。
すべてが、38年前の今日、8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事件が始まりです。
では、
犠牲者の一人、坂本九さんの歌声を貼り付けて、追悼。