還暦老人の3年学年主任時代
2024年4月23日 05:49
全国の毒舌ファンの皆様 おはようざいます。Tommyセンセです。
ということで、還暦老人の振り返り記は、いよいよ3年の学年主任@富士高に突入する。
この高校は、地域トップの進学高であるので、どこの大学にどれくらいの生徒が進学していったかという数をいろいろな形で争うことになる。高校の実力を測る基準というのは存在しない。各高校を比較することにどれくらいの意味があるのか?という反論があることも承知している。ただ、他に「高校の力」を計る基準が存在しないので、比較好きの人間(すべてそうだ)どもは、直ぐに国公立大学進学者数とか、難関大進学者数とか、有名大進学者数とかで比較するのが好きになってしまうのだ。
保護者達からは、地方の国公立大学に進学して、首都圏の有名私立大学に進学した場合と比較してどれくらいのメリットがあるのか?と単に国公立大学進学者数を争うこのバカ狭い業界に対しての文句を言われる。
これには多くの反論がありとても列記しきれないのだが、教育に携わるものとしては、断然、国公立大学の方に合格することがいい。国公立大学進学という言葉から国公立大学合格という単語にさりげなく変えたのも少し意味がある。国公立大学に合格するためには、5教科7科目(今は8科目?)のすべてをしっかり勉強しなければならない。理系の学生は国語(特に古典)とかの文系科目が苦手な人が多いのだけれど、建前上、理系であっても国語が出来なければ上位国公立大学に進学できない。
文系は特にそうで、文系(数学が苦手)な生徒であっても数学が出来なければ上位の大学に合格できない。特に、文系の大学序列は露骨に個別大学試験の科目数となっている。東大文科の試験科目は、国・数・英・地歴2科目の5科目、次に偏差値が高いとされている一橋大学は国・数・英・社会の4科目、次に続く旧帝国大学(旧帝と略す)が国英数(もしくは地歴)の3科目、旧帝に次ぐ有名大学(千葉大など)も3科目、一般国立大学が国英の2科目、国公立の周辺大学では、1科目となっている。もちろん、個別試験の前段階で必ず受験する共通テスト(昔の名前はセンター試験、もう少し前は共通一次)は5教科7科目の全部を受験しなければならない。
そもそも、大学とは、スペシャリストを養成する場ではなく、ゼネラリストを育成する場なのである。
ゼネラリストとは?スペシャリストとの違いやメリット・デメリット|20代・第二新卒・既卒向け転職エージェントのマイナビジョブ20's (mynavi-job20s.jp)
<コピッペ、読み飛ばし可>
ゼネラリストとは、幅広い知識に精通した多角的な視点を持つ人材のことです。
英語の「general(ゼネラル)」が語源で、その意味は「全体的、全般的」と翻訳することができます。また、よりネイティブ的な発音に近い「ジェネラリスト」と呼称されることもあります。
主に人材登用などのビジネスシーンで用いられ、スペシャリストとの対比で俎上に挙げられることが多い用語です。
ゼネラリストってどういう人?3つの特徴
豊富な知識と多角的な視点
ゼネラリストと呼ばれる人材は、特定の分野に知識や経験が偏っているのではなく、幅広いスキルや知識を普遍的に備えている点に大きな特徴があります。
たとえば、過去に多様な職種や部署を経験し、豊富な分野の知識を有している人材は、典型的なゼネラリストと呼ぶことができるでしょう。
多様な知識と経験の裏付けによって、物事を多角的な視点で見ることに長けており、バランス感覚に優れた独自の意見を出すことができます。
客観的な判断力を有する
客観的な判断力を備えている点もゼネラリストに特徴的な能力です。
ゼネラリストは経理や人事、商品企画といったビジネスの幅広い分野の知識・経験に精通している人材です。そのため、特定の部署の意見や理屈に偏らず、客観的かつ公正な視野から意見や発言を出すことができます。
常に全体の利益を追求し、公平な立場で組織を見渡せることから、ゼネラリストは管理職や監督職として特に重宝される存在です。
臨機応変な対応力
組織運営において、不測の事態が生じることは決して珍しいことではありません。
病気や家族の不幸を理由に人材に欠員が出たり、社会情勢の変化によって以前の常識が通用しなくなったりなど、その都度臨機応変な対応力が求められます。
その点、ゼネラリストは知識や技能の幅が広いため、不測の事態に直面したときでも、過去の経験から最適解を導き出すことができます。
このように、さまざまな事態に備えて臨機応変な対応力を有している点もゼネラリストの特徴です。
<コピッペ終了>
この通り、普通科の学校というのは、ゼネラリストの育成するために存在する高校なので、多くの教科を勉強しなければならない!!!!!、そしてその多くの教科で結果を出さなければならない。というミッションが「普通科高校が誕生した時点」から存在する。なので、大学受験は、ゼネラリストとしての資質を選抜するのであれば、よりマルチな科目で高得点をとれる人材を選抜するシステムを作り上げるべきなのである。
その点でいえば、受験科目を国・英・社(地歴・公民)に絞って平気で大学を名乗る私立大学の方がダメ大学なのだ。今の所、私立大学で一番優秀なのは慶應大学であるけれど、慶應大学の受験科目は、文系なのに数学が必修であることなど、やはり理念的にも優秀である。現在の日本経済を牽引しているのは慶應経済の連中なんだが、それなりに納得はしている。
・・・・・このテーマって、くどくなるなあ。(反省)
とにかく、どことなく、進学高って「国公立大学(難関大学)の合格者数」を争う所という評判ばかり目立つのだけれど、もちろん、それだけではない。ただ、それ以外に比較する指標がなく、その指標が実際のところの(国家の)教育理念と合致していることをいいたいのである。
比較、比較といいますが、どこと比較しているのか。これも、反論は多数あれど、ワタシが一番信頼しているのは、ダイアモンドセレクトである。
そして、このダイヤモンドセレクトの特集として、全国「大学合格力」が発表されていることに、逆に注目してほしい。大学合格力に注目しているのは、あくまでも“大人達”である。子ども達には、それぞれの道があり、その生きる場所があるので、「大学合格力」によって子どもの人生が決まることはない。
自分の子ども達は、やはりそれぞれの道を選択し、長男と次男は全く違う高校生となった。したがって、高校を「大学合格力」だけで決めることには無理がある。もう一度言います、「大学合格力」のランキングは、あくまでも大人の話なのだ。
つまり、高校における「大学合格力」とはシステム論とかマネジメント能力とかいう大人の組織の問題であって、組織として、その高校がどのように築かれてきたのかが反映されていると思う(極論だけど)
学年主任という中間管理職となり、その後は、教務課長も進路課長も長く経験したけれど、これら教員中間管理職の仕事は、「組織力を高め、システムとして機能させる」ことである。まあ、教員クラスの担任みたいな感じだ。
さて次の話題。組織力としての教員団を率いることとなると、次は「目標設定」となる。
今や、この(正確には何という名前か知らない)マネジメントシステムは、静岡県下の公立高校にも上から目線で押しつけられていて、各学校には、学校経営計画書なる文書があり、この学校経営計画書に基づいて教員団が仕事をすることになっている。そして、「目標」がある。ところが、学校の経営目標って数値化することが出来ない。“いい学校”ってどういう学校なんだい???
数値科目標のために、学校満足度アンケートなんかが連発されて生徒に沢山お願いしているが、これは学校経営を数値化して可視化するだけの問題で、可視化したからその学校は上手くいっているわけでもない。
ただ、進学実績に関しては、数値目標が極めて設定しやすい。もう結果のすべてが数字だからである。(もちろん弊害もある)
進学実績(すでに数値化されている)でどのように数値目標とするか?一番の基準は、過去実績(しかも前年度実績)である。えてして進学高で学年主任を引き受ける場合、その直前の学年が、わりと低い数値であると気楽だ。逆に、前年の進学実績(すべて数値)がとってもいい成績だと、冷や汗がでてくるというものである。
ところが、同じ高校に同じ入学定員で毎年入学してくるとはいえども、その全員が過去の学年と同じ状況とは限らない。定員減などの外的要因がなければ大きく狂うことはないが、それでも微妙に違う。
その微妙な違いをしっかり認識して、進学に関する「目標設定」を上手にやることを手助けしてくれるのが、教育総合商社(教育コングロマリット)のベネッセさんである。次回はベネッセさんとの話になるのだが、昨日の月曜日、ベネッセさんは会議日であったはずだ。月曜日は岡山本社には幹部達があつまり、各支社には末端までの社員達があつまってミーティングを繰り返すことになっているらしい。このブログ、ベネッセさんの社員ミーティングで話題になったこともあると聞いている。同じ教育コングロマリット河合塾でも同じ事があったと耳にしている。
教育業者さん達は、このブログの重要なお客様(儲けていないけど)なのだ。
気合いをいれて続けます。次回をお楽しみに。