ノーマルビュー

Received — 2024年4月30日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東編2

著者: tommyjhon
2024年4月30日 06:42
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、やっと転勤した(日記上)。2013年春のことである。
その時に、一番先に連絡をくれたのは、八木監督である。八木監督はワタシのことを“腐れ縁”と表現する。


 最初の腐れ縁は富士高校で一緒に担任をもったことだ。そして、3年生まで持ち上がった。3年生の時はワタシが1組で八木監督が2組。朝のSHRで、八木監督は「詳しいことは1組に聞け」と指示していた。でも、2組の連中は1組の教室掃除をよく手伝ってくれていた。3年の時の球技大会は、男子がラグビーのクラスマッチである。抽選の結果、我が1組は初戦で八木監督率いる2組とあたることになった。この二つのクラスは朝練からずっと一緒に練習してきた仲間達で、決勝であたることを誓い合っていたのだった。球技大会直前のある日、朝、グラウンドで出てみるとこんな雨にも関わらず練習しているグループがある。もしやと思い駆けつけてみると、スクラムの隣で笛を吹いていたのは八木監督だった。
1組の生徒は、八木監督を尊敬していたのだが、大切な初戦でそのような緩い気持ちがでると勝負にならない。ワタシは、対戦が決まった途端に、八木監督を、生徒の前でも“八木!!!!!”と呼び捨てにした。(このあたりで二人の器量の深さが測定される)


 次の年から、ワタシは「センター試験に出る、カタカナ語&略語辞典」を冬休み前に生徒に配ることにした。自分として初めての「センター試験・公民」を担当してみて、「あっ、これはカタカナ語&略語の知識がモノをいうな」と思い、勇気を出して、10ページくらいのプリントを試作した。そして、その翌年、「センター試験・現代社会」において、ワタシのカタカナ語辞典から、20点ぐらいが出題された(ホントだよ)。特に、「エコマネー」(地域通貨の一種)という教科書には載っていない単語がでたことで、『カタカナ語辞典』の信頼度と口コミが一挙に高まり、「トミーぱみゅぱみゅ」とか「トミッキペディア」とか、「トミノミクス」とか名前に毎年腐心しながらの出版と配布を続けていた。これは、清水東高校の最晩年にWeb化され、永遠に残っている。
ア : トミッキルーペ (livedoor.blog)

(ア)から始まり、(ヲ)で終わるカタカナ語シリーズと(A)~(Z)で始まる略語シリーズがある。
A : トミッキルーペ (livedoor.blog)

お暇な皆さん。是非、連続で読んで下さい。頭が良くなりますよ。
 このシリーズは、かれこれ15年ほど続いたのだけれど、これだけで偉大な先生(これは八木センセではなくてワタシのこと)だということがわかる。
この『カタカナ語辞典』をワタシは出来上がる度に、八木先生に贈っていた。


八木先生は、富士高で生徒課長をしばらくやられた後、母校清水東高校に帰任していた。先生にとっては待望の母校復帰であり、清水東高校野球部としての最高の名監督を迎えたことになる。実は、清水東高校は、ゴールデングラブ賞8回の名手、山下大輔さんの母校であり、選抜甲子園大会と夏の甲子園にそれぞれ2度出場している野球の名門高校である。今や、阪神の最強クローザーとなった岩崎優選手の出身校でもあるのだ。
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(山下大輔さんが、たくさんあるゴールデングラブ賞の一つを母校に寄贈してくた時のニュース)


 そうやって、清水東高校に去ったあとも、冬が来ると電話くれて、「今年も楽しみにしているよ」と催促してくれた。八木先生には、結局、最後の号までお渡しすることになった。先生が、毎回毎回読んでくれたのかどうかは疑問である。性格と老眼ゆえ、きっと『カタカナ語辞典』本体は読んでいない。でも、ワタシには「親父が好きでね・・・・」とか「女房が読むから・・・」とか毎回言ってくれた。
八木監督がいたかこそ続いたともいえる。監督は、そういう人だ。


 八木監督は、その電話口でこう言った。(清水東に転勤する前にかかってきた一本の電話から話が進んでいない)
「おお、外山。よく来てくれたなあ。俺はオマエの母校で11年間尽くしてきたのだから、今度は、オマエが俺の母校で11年間働いてくれよ」と言ってくれた。
なぜ、八木監督は、ワタシの残りの任期が11年であることを知っていたのだろう? そうワタシは49歳になっていた。
そして、加えて、
「頼むよ、清水東を救ってくれ」ともおっしゃった。(この「救ってくれ」の訴えには直ぐに気づくことになる。)


 清水東に転勤するこは(自分にとって)目出度いことである。清水といっても我が家からは非常に近く、その気になれば20分で学校に行かれる。この転勤で一番困ったのは、部活動である。
 ワタシは根っからの文化系人間で、スポーツの指導をしたことがない。スポーツに関してブログでもいろいろ蘊蓄を書いてはいるが、実際にやったことはそれほどない。体育館球技にいたってはルールも知らない。百人一首の世界に入る前は柔道をやっていて黒帯もある。しかし、こんあ危険な武道にいまさら携わる気もない。もちろん、ミュージック系の部活もダメだ。ワタシには音感もリズム感もない。ましてや百人一首部の顧問を20年もやっていたので、普通の運動部や文化部の流儀もわからない。
 清水東で、何の顧問になるのだろう?と本当に心配していた。


 ここで、暗躍してくれたのが、たぶん監督であろう(あくまでも想像の域をでない)。
なんと、ワタシは野球部の顧問になっていた。副々々顧問で、なんと野球部は4人の顧問を抱えることになったのだ。しかも、誰も兼任していない。もちろん、他の2人には野球の指導歴がある。しかもしかも残りの2人はワタシより年下で、バリバリの働き盛りである。はっきりいって学校としては贅沢だ。しかも、転勤の年、ワタシは某S岡高校野球部のことに忙しく、土日は清水東高校どころの騒ぎではない(ごめんなさい)。おそらく、中途半端な転勤ホヤホヤのワタシをごり押しして、野球部顧問に入れたのが監督さんなのだろう。
 八木監督が、ワタシを顧問にしたかったのかどうかは判らない。そして、基本的にワタシは八木監督の指導には批判的でもあった(練習よりも座っている時間が長いとなね)。右も左も判らないワタシに居場所を与えてくれたのだろう。そして、その強引な顧問配置を認めさせたことも凄いと思う。
ワタシは、監督に救われた。


 結果、清水東1年目は、3年部副担任、野球部副々々顧問のお気楽生活となった。
次の波乱をお楽しみに・・・・・












 
Received — 2024年4月29日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東高校時代を語る

著者: tommyjhon
2024年4月29日 09:20
全国の毒舌ファンの皆様おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、息子の事情(その年の夏は熱くなるぞ!!!!!!)と、全国事務局を9年もやって辟易していたことと、ちょうど3年の学年主任の任務が終わったこと、などのタイミングが合って、堂々と転勤希望を書き、堂々と表明した。管理職との面談では転勤に関しての好感触を得ていた。管理職には上の事情をすべて伝えた。この時の校長は裏切るような人ではないし、自分は優先順位No1の功労者であると自負していた。管理職からは、「どうだい、地方の高校で3年くらい勤務してみる気はあるかい?」という不思議なお誘いをうけたこともあった。これは、望んで地方の学校に行った人間は、若手が多いその学校の中間管理職に就きながら3年間を過ごし、その任務が終わった暁には管理職(教頭)に昇格させるよ。という、いかにも公務員ぽい人事なんだろう。ワタシは、第一の理由である息子の事情によって、即座に断った。地方から草薙球場に毎回足を運ぶなんて面倒くさい。


 第2の理由は、自力で解決ししなければならない。要するに全国事務局長の後任探しだ。全国にも声かけて見たけれど誰も引き受け手がいない。(それはそうだろう。面倒くさいのだから)、そんな中、ワタシの富士高校百人一首部時代1代上、浜松北高校の加藤先生が引き受けてくれた。加藤先生も凄い先生で、浜松北高校にかるた部を創設し数年で全国選手権で優勝させてしまった。しかも、静岡県内で行われた、全国国民文化祭やねんりんぴっくなどのイベントも仕切り、県内事務局長もさらさらとやっていた。国語の先生でITにも通暁していて、公認読手の資格も得ているスーパーティーチャーである。ワタシは、加藤先生の一年後輩だから、困ったときはいつも甘えていた。
 その加藤先生が事務局長の仕事を引き受けてくれたので、一番重い肩の荷がおりた。しかし、その加藤先生も実は転勤で、かるた部のない磐田南高校に移るという。加藤先生は、そんなことを一言も口にせずに、ワタシのお願いを引き受けてくれたわけだ。百人一首競技かるた業界で、加藤先生は一番の恩人である。今でも加藤先生には甘えてしまう。(他の先生は、何かと理由をつけて引き受けてくれなかった)


 もう一つ、競技かるた業界には悩みがあった。富士高校百人一首部の後継顧問問題である。ワタシが育ったこの部活、栗栖先生が創部してから12年間は栗栖先生が指導して下さった。栗栖先生が去られた後も、富士高校は日本一の称号を10年間維持していた。しかし、その後は群雄割拠の時代となり、百人一首競技かるたの裾野も広がり、指導者がいないとなかなか強豪校のレベルは維持できなくなっていった。栗栖先生にとっても高校の指導者を育てるのは悲願だったと思う。そんな中で、富士高校百人一首部からは、嶋先生・加藤先生・飯田先生(長泉高校や沼津東高校を指導)、そしてワタシなどが高校の教員として戻ってきた。
 自分が富士高校百人一首部の顧問となってからも、全国優勝もしたいが、部活の顧問を作るのも大きな目標の一つであった。この当時、富士高のOGの一人が、筑波大学を経て静岡県西部地区で国語の教員をしていた。現顧問の稲葉絵美先生である。彼女が、スタンバイをしてる状況であったので、ワタシの転勤と同時か、一年遅れくらいのタイミングで富士高校に戻ってくれるだろうという状況にはなっていた。


 本日の最後の話題。この百人一首業界が全国で急激に人気をつかむようになったのは、漫画『ちはやぶる』が連載されたからである。我々のような昔からの業界人間でさえ、『ちはやぶる』人気にあやかった。
その漫画『ちはやぶる』には、ライバル高校が存在し、それは静岡県の藤崎高校だという。どう考えても、富士高校のことだ。
事実、アニメ化された時に、富士高がモデルであったことがアニメ内で証明されてしまう。
【聖地巡礼】ちはやふる-富士編- : 週末ひとり旅 (livedoor.jp)

↑このブログで検証してみる。
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藤崎高校の最寄り駅の絵、どう考えても、身延線竪堀駅じゃろ!!!!! 電車通学する富士高生が一日2回必ず見る風景である。
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富士高の正門とそっくり。まるで写真。
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正面から見る学校の全景も、まるで写真。


ところがだ、この本格的競技かるた漫画『ちはやぶる』連載当時、富士高校の顧問は、ワタクシ外山先生である。ここまで、富士高校に似せる(寄せる)のならば、当時の顧問はこのような先生でなければならない。
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藤崎高校のかるた部顧問が、こういうキャラクターだったら、漫画『ちはやぶる』は、日本だけでなく世界的な大ヒットになったはずなのだ。しかし、『ちはやぶる』の漫画では、
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こうなっていた。桜沢翠(みどり)先生だという。


ワタシは、百人一首の業界からやんわりと否定されていた。
業界から、「『ちはやぶる』にかるた業界の発展を託す以上、富士高校の顧問は若くて美人でなければ困るのだ」と言われていたのだろう。



そうか、これが引き際なのだ。


なみに、ワタシが転勤して一年後、待望の稲葉絵美先生が転勤されて富士高校顧問となった。ちなみに、彼女はこの様な先生である。
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(画像は、フェイスブックのプロフィールから拝借、本人公認の似顔絵だ)
さらば、富士高。


そして、転勤の内示があったその夜、元富士高校野球部監督で、今は母校清水東の監督をしていた、あの八木道政(あえて敬称略の呼び捨て)から、一本の電話がかかってる。転勤に関して、外部から一番早く電話をくれたのは、やはり八木先生だった。ワタシを野球部顧問として拾ってくれたのである。


 さて、いよいよ清水東高校編に移ります。








 


Received — 2024年4月28日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人テレビドラマのプロデューサーになる。

著者: tommyjhon
2024年4月28日 06:16
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、今回はワタシが富士高校で理数科担任をしていた、2007年~2008年にかけて、高校教員(しかも県立高校の)としてはありえない体験をした話。


とりあへず、台本。
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本物です。この前、終活の一環として書籍類を一括処分しましたが、その時に見つけた、今や宝物。
かるた小町 - Wikipedia

このドラマ、たかだか1話完結のドラマで、当時は「パンテーンドラマスペシャル」と称して、脚本家の発掘を主な目的としていたらしい。パンテーン(P&G社のシャンプーブランドだって)がメインスポンサーなので、髪の美しい若手女優さんが主役に選ばれていて、綾瀬はるかや新垣結衣も主役を務めたことがあるらしい。このドラマの主役は、夏帆さんと南沢奈央さん。
夏帆 | スターダストプロモーション (stardust.co.jp)  



PROFILE | Nao's Room - 南沢奈央OFFICIAL WEBSITE (naosway.net)



 ドラマのあらすじは、源平の戦い(富士川の合戦)から、800年の時を経て、富士のお宮(米の宮神社で実際にロケが行われた)で繰り広げられるかるた合戦に、かるたなんかに全然興味のない、小倉こまち(主役・夏帆)が塩崎ありさ(南沢奈央)と組んで出場して、勝利をを勝ち取るという単純なストーリー。
ただし、このドラマは、全編、富士&富士宮地区でロケが行われ、学校の風景はすべて、富士高で撮影された。


今、中古品のDVDが1000円くらいで発売されているので、欲しい方は↓
Amazon | P&Gパンテーンドラマスペシャル かるた小町 [DVD] -TVドラマ

でも、新垣結衣主演の方が、500円くらい高い!!!!!! 「なんてこった」
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 ことの始まりは、職員室にかかってきた静岡県庁からの一本の電話である。フジテレビの制作室から、ドラマの背景が富士川の合戦であるので、どこかドラマ作りに協力してくれる富士山のよく見える高校を紹介して欲しいとの要望がありましたが、富士高はどうですか?という主旨だった。
フジテレビ側は、富士高がかるた競技の名門であることも知らない様子だったとのこと(悔しい)。しかしながら、静岡県庁でたまたまその電話に応対した方の友人が富士高かるた部の出身(後で中村仁美さんと判明)なので、とりあへず富士高校に電話してみたとのことだった。


 富士高校側としては、この種の電話を誰が対応して良いかわからず、これもとりあへずかるた部の顧問(ワタシ)に繋いだ。こんな面白い話を断るハズがない。
とにかく前向きに考えると電話を切って、管理職連中には、「こういう話を断るわけにいかない」「光栄なことであり、むしろ、地域の進学高としての義務」とかなんとか理屈をつけて説得した。
 管理職の回答は、「生徒の教育活動に支障がない」というのがたった一つの条件で、それ以外は何もなかった。


 しかしながら、高校でドラマを作る限りは、その他にも規制があるらしく、富士高の制服を使ったものの、ネクタイはリボンに変えさせられた。主役達に制服を提供して貰うことになるのだけれど、この時は、かるた部のOG達の制服をちゃっかり借りた。また、放課後の部活動練習風景は、野球部の肖像権(なんと、野球部だけは肖像権が県高野連に所属すしているらしい)の関係で、野球のシーンが映り込まないような工夫が必要だった。
 
 早速、東京からロケハン(ロケ地ハンティング)が着て、富士高のロケ場所(柔道場・職員室・定番の屋上)などをくまなくまわった。富士高以外のロケ地もいろいろ調べてまわっていた。


 実は、このドラマの製作をきっかけに、NPOフィルムコミッション富士が正式に発足したのだ。
FCFUJI - フィルムコミッション富士 (fcfuji.com) 

このドラマ以来、富士フィルムコミッションさんのお仕事をちょっとだけお手伝いしたことがあるのだけれど、今や、全国有数のドラマロケ地として、フィルムコミッション富士は大活躍である。(皆さんもエキストラとして参加して下さいな)
日曜劇場『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』|TBSテレビ

これも全編富士市ロケ。


 富士高校内の撮影の責任者がワタシで、富士高以外のロケは、このフィルムコミッション富士が担当することになった。
富士高校で撮影されたのは、
①富士高野球部の炊き出し部屋(あのトタン屋根のボロい部屋、なぜか、撮影監督のお気に入りとなった)
②校舎の屋上(ドラマを見ていると、よく屋上のシーンが使われるが、理由は、他に誰も来ないという単純な理由からだ)
③職員室(いろんな先生にエキストラとしてでてもらった)
④正面玄関(このロケでは、時計を隠すが大変だった。実際の時刻が映されるとまずい)
⑤体育館の始業式風景。


 さあ、この体育館の始業式風景がヤバイ。とにかく全校生徒並のエキストラを集めなくてはいけない。しかも、高校生限定だ。ワタシ達が選んだのは、進研模試の日。休日なのに全員登校する模試のあとで、ロケをやってしまおうという魂胆だ。しかし、あくまでも希望者だけであるので強制は出来ない。ことあるごとに生徒にお願いして、進研模試の終了後に残ってもらうことにした。ありがとう、当時の現役生のみなさん、お陰様で無事に撮影することができました。
次に大変だったのが、夜、独りぼっちでたたずむ主役の撮影と、かるたの練習風景。
 独りぼっちで夜にトタン小屋にいる風景など簡単と思いきや、道路に隣接しいるがために、本番中に車の音が聞こえると撮り直しになってしまい、なんと深夜2時頃まで撮影が長引いた。体育館柔道場を借りての練習風景は、これも生徒が帰った後におこなったので、深夜になった。


 さあ、最後は、米の宮神社でのかるた合戦のロケである。ところがこの日、ワタシは横浜で大会があり、部活動の引率で富士市を離れなければならなかった。夜の10時頃、ロケ地に慌てて馳ずるとまだ、ロケは終わっておらず、最後の大団円には間に合った。


 てなことで、てんわやんわのロケが終わるのだが、教員としての仕事では味わえないスリリングな日々を経験した。教員って本当にのんびりした職業だと思う。忙しいと言っても相手は(大人とはくらべものにならないくらい)従順な生徒達である。授業が多少遅れても、一年間のどこかでリカバリーすればいいので、そんなに焦ることはない。困ったら定期テストの範囲を少なくすればいいだけの話である。
 ところがだ、ドラマ撮影で、一番の激務はタレントさんのスケジュール管理である。分刻みでスケジュールが組まれて、ワンシーンが撮影されていく。撮影が無駄になればギャラも増える。しかも、天気は素直に従ってくれない。今回は雨にはたたられなかったものの、極寒の1月~2月の撮影だった。女優さん達の防寒着を持って待機するADさんやマネージャーさんも大変だ。 これらの撮影スケジュールは、助監督が担当していた。助監督は2人くらいいて、いつも激論していた。テレビドラマの世界では、誰もが監督に憧れるものであるが、このクソ忙しくて責任の重い助監督時代を経ないと監督の地位には上がれないのだ。
 
 そういえば、かるたの指導としてお台場のフジテレビ本社にも一度出かけた。観光客(見学者)としてではなく、立派な関係者としてあのフジテレビ本社ビルに入っていくのは気持ちがいいものである。ただ、あのお台場本社は交通の便が悪く、タレントさん達からは評判がわるいらしい。一度行ったきりのワタシでさえそう思った。新橋からの道のりが面倒くさい。


 こういう外部との接触って、我々「井の中の蛙」状態の教員にとってはとても大切なことだと思う。
教員と教員、生徒と教員との関係さえこなせば、実際にはこまらないのだけれど、それだけでは人間的に豊かにはなれない。これは若い教員達への還暦老人からの大きなメッセージであるが、教員以外の仕事を垣間見るのは本当に大切だと思うよ。
 彼らTV業界の人達の、「即断、即決、即行動」のスピードは信じられないほど速かった。


今、再任用教員として、生徒に一番要求しているのは、「起立・礼・着席」のスピードである。
教員が授業教室に入る、生徒はチャイムがなるまで先生方を無視している。まるで、先生など存在しないかのように振る舞っている。チャイムがなると係の生徒が号令をかける。そうして、今度はクラスと生徒がやっと立つ。やっと全員立ち上がると、今度は、「気をつけ」(?)の号令をかける。やっとみんながしっかり背筋を伸ばして、やっと、「礼」の号令がかかり、その後も、気をつけの姿勢に戻ったのを確認して、「着席」の声がする。
 おいおい、こんなゆっくりに挨拶する業界など、学校以外にないよ。
どこのテレビドラマでも、上司が部屋に入ってきた途端に、部下は立ち上がり頭を下げるだろう。このスピードが大切なんだ。


 さあ、そろそろ、清水東高校時代の話にうつろう。 






 












Received — 2024年4月25日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人進路指導を語る

著者: tommyjhon
2024年4月25日 06:39
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

 ということで、本日は好評連載の「還暦老人教員時代を語る」シリーズ第●●弾


その前に、本年度より、再任用ハーフ教員となり、1ヶ月。
その現実報告
①給料は16万円くらい。(思ったより高かった)②月曜日休み、水・木が午前中の勤務(メッチャ楽、学校行事やHR活動に関わらなくて済む)③授業の教材作りは家で。④4月はタケノコ掘りとワラビ獲りに忙しかった。⑤退職金がまだ振り込まれていない(未確認かも)⑥家事を一杯している。(洗濯は当たり前、夕食作り)⑦煮物にチャレンジして高評価(タケノコとワラビの煮物、鳥レバーの甘辛煮)⑧砂糖・みりん・醤油は1:1:1であとは応用なんだ。・・・・・・と、ハーフ教員を満喫しているのさ。




 さて、連載企画では、富士高校3年学年主任となったとなっている。
結果を先にいうと、凄い合格実績だったんだ。
進路室だより2022.pdf (pref.shizuoka.jp) 某F高校の『進路室だより』は、ありがたくにも過去20年間の合格実績を掲載してくれていて、ワタシの学年は「平成25年」の数字です。(業界関係者はかなり驚く)

 この要因は、担当する先生方が素晴らしかった事に尽きる。何が素晴らしいって、①面接を毎日のようにやってくれたこと。(生徒の意識や様子がすぐにわかる)②学習時間(と内容)をよく把握してくれたこと。の2つである。
ワタシが理数科担任をしていたとき、よほどのことがなければ、平日の昼休みは「面接時間」だった。生徒の食前、と、食後の2つにわけて、毎日2人ずつと面談(中身は近況のおしゃべりだった時もある)していた。この学年団を牽引していたW先生は、朝の日直の御用聞き(死語?)と必ず毎日15分の面談タイムを設けていた(こういうところを尊敬している)。とにかく、生徒を把握するためには、生徒とよく話をしなければならない。たったこれだけだと思う。


 次の学校に転勤した後、年間行事予定表に「生徒面談」と書かれており、その時期にしか面談をやっていない先生がいて愕然とした。面談なんて毎日、エンドレスにつづいていくものだ。だいたい、どこの学校でも「生徒面談」が4月に行われることになっている。そして、授業が5分短縮となる。この5分短縮という時間割の本当の意味は、「部活動1年生勧誘&練習強化週間」であって、生徒にとって美味しい時期なのである。先生方に、「この時期だけ、生徒面談をしろ」という意味はない。ワタシは、「生徒面談期間」にしか面談をしない担任を信頼していない。


 そして、この好成績をあげる為に、学年主任としてやったことは、毎回のベネッセ模試をよく分析して、生徒の学力動向を完全把握することだった。
ベネッセの担当者さんは、ことあるごとに学校に来てくれる。進学指導に興味のない先生方は、“業者となんだか怪しい関係”とか、“生徒が業者の食い物にされている”と批判しているらしいが、全くお門違いの批判であると思う。ベネッセさんとの共同作業による生徒学力把握は、進路を実現する上で絶対の必要条件なのだ。ベネッセさんの学力把握インデックスにGTZという指標がある。初めて聞いたとき、これはとてつもない計算式を用いた高等情報処理技術であると勘違いしていた。それは、GTZという名前がいかにも高等情報処理っぽく聞こえたからだ。
 だから、GTZという言葉が、G(学習)T(到達)Z(ゾーン)だとわかった時には少しガッカリした。GTZは単純な累積分布でだったのだ。


「平均点ではなくて、累積分布」ということを富士高校の先輩進路課教員からよく言われた。よく、模試成績のデキを「クラス平均」とか「学年平均」とかで比較して「出来た!!!!!」、「出来ない(怒)」と一喜一憂する教員がいる(生徒も多い)。こういう教員もあまり信頼していない。生徒の進学のためには、度数分布こそが重要なのだ。


 度数分布の件は、最晩年の伊豆中央時代に、(先生にならばまだしも、)生徒に向かって、「それは、オーストラリアのおばちゃんだよ」と意味不明な発言をしてしまったことがある。
少し時代は飛ぶが、あらためにその「オーストラリアのおばちゃん」の意味を説明する。(女性蔑視の表現なので、このような差別発言に敏感な人はこれ以上読まないでください)
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オーストラリアのおばちゃんとは、↑の写真みたいな感じの人をいう。なぜオーストラリアかといえば、ワタシが行ったことのある唯一の外国だからである。
18歳以上の肥満率は67パーセント!オーストラリアの現状と国家肥満戦略 | 世界ウーマン | 世界で働く女性のためのポータルサイト (sekaiwoman.com)



度数分布とは、このおばちゃんを輪切りにすることである。


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このブログのために、わざわざ作った画像(↑)
これは、高校3年生の時(特に共通テスト後)に、進学面談でよく使う、志願者度数分布。A判定はだいたい合格する。ところがだ、A判定以外は、志望学部によって、度数分布が全然違う。募集人数の少ない教育学部などは、スリム型の度数分布になり、だたいが、上位判定で決着する(D判定やC判定からの逆転合格が少ない)逆に経済学部や工学部などは、B・C判定の数がパンパンに膨らんでいて、2次試験の結果如何においては、B~Dのゾーンで普通に逆転がある。
 要するに、オーストラリアのおばちゃんとは、この志望度数分布が、どのような形をしているかによって、合格までの道のりが大きく違うことをあらわした言葉なのである。


 そして、ベネッセの模試につけてある、GTZというのは、この度数分布早見表のことであって、この「オーストラリアのおばちゃん指数」に1年次から慣れ親しんでおくべきなのだ。
ただ、これはあまりにも女性蔑視表現なので、一般には、壺の形であらわしている。
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これを、ハクション大魔王型とよぶ。(SATBCは、まさしくベネッセGTZによる大分類)
模試成績でいうと、「上位層は、確実に東大に入れそうな人材がいるが、SからAの層が薄くて、成績下位者も多い状態」のことだ。



土器に喩えるとこうなる。↓
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ほらね、教員組織における模試の活用(フィードバック)って、平均点ではなく、度数分布だということがわかるでしょ。
お陰様で、富士高の学年主任時代に受け持った生徒達は、縄文時代の壺のような形をしていた。
もちろん、Sクラスはそれほど数が多くないが、Aクラスの層が異様に厚かった。
このような度数分布を持つ学年として、どのような進路指導がより生徒の進学を支えていくのかの答は、もう出ている。
A層を応援して、育て上げることなんだろうね。


こうやって、生徒の進学指導をしていくのである。


次回は、いよいよ、富士高時代最後のコーナー、「Tommyセンセ、テレビドラマを製作する」になります。
Received — 2024年4月23日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人の3年学年主任時代

著者: tommyjhon
2024年4月23日 05:49
全国の毒舌ファンの皆様 おはようざいます。Tommyセンセです。

ということで、還暦老人の振り返り記は、いよいよ3年の学年主任@富士高に突入する。
 この高校は、地域トップの進学高であるので、どこの大学にどれくらいの生徒が進学していったかという数をいろいろな形で争うことになる。高校の実力を測る基準というのは存在しない。各高校を比較することにどれくらいの意味があるのか?という反論があることも承知している。ただ、他に「高校の力」を計る基準が存在しないので、比較好きの人間(すべてそうだ)どもは、直ぐに国公立大学進学者数とか、難関大進学者数とか、有名大進学者数とかで比較するのが好きになってしまうのだ。


 保護者達からは、地方の国公立大学に進学して、首都圏の有名私立大学に進学した場合と比較してどれくらいのメリットがあるのか?と単に国公立大学進学者数を争うこのバカ狭い業界に対しての文句を言われる。
 これには多くの反論がありとても列記しきれないのだが、教育に携わるものとしては、断然、国公立大学の方に合格することがいい。国公立大学進学という言葉から国公立大学合格という単語にさりげなく変えたのも少し意味がある。国公立大学に合格するためには、5教科7科目(今は8科目?)のすべてをしっかり勉強しなければならない。理系の学生は国語(特に古典)とかの文系科目が苦手な人が多いのだけれど、建前上、理系であっても国語が出来なければ上位国公立大学に進学できない。
 文系は特にそうで、文系(数学が苦手)な生徒であっても数学が出来なければ上位の大学に合格できない。特に、文系の大学序列は露骨に個別大学試験の科目数となっている。東大文科の試験科目は、国・数・英・地歴2科目の5科目、次に偏差値が高いとされている一橋大学は国・数・英・社会の4科目、次に続く旧帝国大学(旧帝と略す)が国英数(もしくは地歴)の3科目、旧帝に次ぐ有名大学(千葉大など)も3科目、一般国立大学が国英の2科目、国公立の周辺大学では、1科目となっている。もちろん、個別試験の前段階で必ず受験する共通テスト(昔の名前はセンター試験、もう少し前は共通一次)は5教科7科目の全部を受験しなければならない。


 そもそも、大学とは、スペシャリストを養成する場ではなく、ゼネラリストを育成する場なのである。
 ゼネラリストとは?スペシャリストとの違いやメリット・デメリット|20代・第二新卒・既卒向け転職エージェントのマイナビジョブ20's (mynavi-job20s.jp)
 <コピッペ、読み飛ばし可>
ゼネラリストとは、幅広い知識に精通した多角的な視点を持つ人材のことです。
英語の「general(ゼネラル)」が語源で、その意味は「全体的、全般的」と翻訳することができます。また、よりネイティブ的な発音に近い「ジェネラリスト」と呼称されることもあります。

主に人材登用などのビジネスシーンで用いられ、スペシャリストとの対比で俎上に挙げられることが多い用語です。



ゼネラリストってどういう人?3つの特徴
豊富な知識と多角的な視点
ゼネラリストと呼ばれる人材は、特定の分野に知識や経験が偏っているのではなく、幅広いスキルや知識を普遍的に備えている点に大きな特徴があります。
たとえば、過去に多様な職種や部署を経験し、豊富な分野の知識を有している人材は、典型的なゼネラリストと呼ぶことができるでしょう。

多様な知識と経験の裏付けによって、物事を多角的な視点で見ることに長けており、バランス感覚に優れた独自の意見を出すことができます。

客観的な判断力を有する
客観的な判断力を備えている点もゼネラリストに特徴的な能力です。


ゼネラリストは経理や人事、商品企画といったビジネスの幅広い分野の知識・経験に精通している人材です。そのため、特定の部署の意見や理屈に偏らず、客観的かつ公正な視野から意見や発言を出すことができます。
常に全体の利益を追求し、公平な立場で組織を見渡せることから、ゼネラリストは管理職や監督職として特に重宝される存在です。

臨機応変な対応力
組織運営において、不測の事態が生じることは決して珍しいことではありません。


病気や家族の不幸を理由に人材に欠員が出たり、社会情勢の変化によって以前の常識が通用しなくなったりなど、その都度臨機応変な対応力が求められます。
その点、ゼネラリストは知識や技能の幅が広いため、不測の事態に直面したときでも、過去の経験から最適解を導き出すことができます。

このように、さまざまな事態に備えて臨機応変な対応力を有している点もゼネラリストの特徴です。


<コピッペ終了>


 この通り、普通科の学校というのは、ゼネラリストの育成するために存在する高校なので、多くの教科を勉強しなければならない!!!!!、そしてその多くの教科で結果を出さなければならない。というミッションが「普通科高校が誕生した時点」から存在する。なので、大学受験は、ゼネラリストとしての資質を選抜するのであれば、よりマルチな科目で高得点をとれる人材を選抜するシステムを作り上げるべきなのである。
 その点でいえば、受験科目を国・英・社(地歴・公民)に絞って平気で大学を名乗る私立大学の方がダメ大学なのだ。今の所、私立大学で一番優秀なのは慶應大学であるけれど、慶應大学の受験科目は、文系なのに数学が必修であることなど、やはり理念的にも優秀である。現在の日本経済を牽引しているのは慶應経済の連中なんだが、それなりに納得はしている。


・・・・・このテーマって、くどくなるなあ。(反省)


 とにかく、どことなく、進学高って「国公立大学(難関大学)の合格者数」を争う所という評判ばかり目立つのだけれど、もちろん、それだけではない。ただ、それ以外に比較する指標がなく、その指標が実際のところの(国家の)教育理念と合致していることをいいたいのである。


 比較、比較といいますが、どこと比較しているのか。これも、反論は多数あれど、ワタシが一番信頼しているのは、ダイアモンドセレクトである。
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他にこんな特集を組んでくれる雑誌は他にない。ワタシは2012年ころから定期購読している。


 そして、このダイヤモンドセレクトの特集として、全国「大学合格力」が発表されていることに、逆に注目してほしい。大学合格力に注目しているのは、あくまでも“大人達”である。子ども達には、それぞれの道があり、その生きる場所があるので、「大学合格力」によって子どもの人生が決まることはない。
自分の子ども達は、やはりそれぞれの道を選択し、長男と次男は全く違う高校生となった。したがって、高校を「大学合格力」だけで決めることには無理がある。もう一度言います、「大学合格力」のランキングは、あくまでも大人の話なのだ。


 つまり、高校における「大学合格力」とはシステム論とかマネジメント能力とかいう大人の組織の問題であって、組織として、その高校がどのように築かれてきたのかが反映されていると思う(極論だけど)


 学年主任という中間管理職となり、その後は、教務課長も進路課長も長く経験したけれど、これら教員中間管理職の仕事は、「組織力を高め、システムとして機能させる」ことである。まあ、教員クラスの担任みたいな感じだ。


 さて次の話題。組織力としての教員団を率いることとなると、次は「目標設定」となる。
今や、この(正確には何という名前か知らない)マネジメントシステムは、静岡県下の公立高校にも上から目線で押しつけられていて、各学校には、学校経営計画書なる文書があり、この学校経営計画書に基づいて教員団が仕事をすることになっている。そして、「目標」がある。ところが、学校の経営目標って数値化することが出来ない。“いい学校”ってどういう学校なんだい???
数値科目標のために、学校満足度アンケートなんかが連発されて生徒に沢山お願いしているが、これは学校経営を数値化して可視化するだけの問題で、可視化したからその学校は上手くいっているわけでもない。
 ただ、進学実績に関しては、数値目標が極めて設定しやすい。もう結果のすべてが数字だからである。(もちろん弊害もある)


 進学実績(すでに数値化されている)でどのように数値目標とするか?一番の基準は、過去実績(しかも前年度実績)である。えてして進学高で学年主任を引き受ける場合、その直前の学年が、わりと低い数値であると気楽だ。逆に、前年の進学実績(すべて数値)がとってもいい成績だと、冷や汗がでてくるというものである。
ところが、同じ高校に同じ入学定員で毎年入学してくるとはいえども、その全員が過去の学年と同じ状況とは限らない。定員減などの外的要因がなければ大きく狂うことはないが、それでも微妙に違う。
 その微妙な違いをしっかり認識して、進学に関する「目標設定」を上手にやることを手助けしてくれるのが、教育総合商社(教育コングロマリット)のベネッセさんである。次回はベネッセさんとの話になるのだが、昨日の月曜日、ベネッセさんは会議日であったはずだ。月曜日は岡山本社には幹部達があつまり、各支社には末端までの社員達があつまってミーティングを繰り返すことになっているらしい。このブログ、ベネッセさんの社員ミーティングで話題になったこともあると聞いている。同じ教育コングロマリット河合塾でも同じ事があったと耳にしている。
 教育業者さん達は、このブログの重要なお客様(儲けていないけど)なのだ。
気合いをいれて続けます。次回をお楽しみに。
Received — 2024年4月19日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人志賀高原の高原教室を語る

著者: tommyjhon
2024年4月19日 06:10
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、前回までの話で、2011年度の富士高高原教室は、志賀高原で行われることになった(学年主任的に言うと、行うことにした)。
1年限りの志賀高原であるし、観光協会・ホテルなどすべての方々が好意的で、「何でもやって下さい」というスタンスだったので、やりたいことをやった。中には、この無鉄砲すぎる行動をこころよくは思っていない教員もいたとは思うが、お目付役の教頭先生がすべてを大目に見てくれたので、有り難かった。
 
①まずは、もう出会いないかも知れない奇跡。
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 写真は、志賀高原から山一つ越えた、草津白根山付近の地図である。
ハイキングマップ | 万座温泉観光協会 (manzaonsen.gr.jp)

高原教室では、A隊、B隊とも共通コースとして、草津本白根山を目的地としてトレッキングに出向いた。この本白根山は、(高山植物の女王)コマクサの群生地として知られ、高原教室中の7月第3週はまさに、満開状態で、一面のコマクサ畑を見ることができた。
 
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溢れるほどの「コマクサ」の山 草津本白根山: 山と花の物語 (cocolog-nifty.com) (このサイトから拝借)

そして、このコマクサの大群生地は、もう二度と見られないかも知れない。
万座温泉・白根エリア | 嬬恋村役場 (vill.tsumagoi.gunma.jp)

2018年の噴火以来立ち入り禁止となっている。


②もしかすると、みなさんも見ることが出来るかも知れない絶景
 
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石の湯のゲンジボタルが乱舞してます! – 志賀高原 SDGs STUDYTOUR (shigakogen.jp)(ここから写真を拝借)


 7月の志賀高原には、ゲンジボタルが大量発生する場所がある。高原教室中に、この蛍の乱舞を見に行こうという話になった。当然ながら、旅行日程表にはなく思いつきである。ワタシ達は、待機しているバスの運転手さんに頭を下げ、もし、蛍がランデブーし始めたら生徒全員で見学に行くから運転して欲しいとお願いした。
しかし、現地の人の話によると、毎日蛍が飛び交うわけではなく、大量に蛍が飛ぶ日もあれば、全然飛ばない日もあるという。そこでワタシは、毎日偵察隊を派遣することにした。(蛍の住処とホテルの間は車で20分ほどかかる)こういう企画が大好きだったのが持田(あえて実名)先生で、こころよく偵察隊を引き受けてくれた。
滞在3日目かな?
先生からホテルに連絡が入り、「蛍が飛んでいる。しかも凄い数だ」と教えてくれた。ワタシ達は、ホテルの全館放送で疲れて寝ている生徒もたたき起こし、バス8台連ねて、蛍の集団行動を見に行った。若い人は知らないと思うけれど、蛍は動きが遅くて簡単に捕まえられる。だから、蛍を手のひらで光らせることもできるのだ。
生徒が300という大集団だったのに、蛍君達は我々に答えてその100倍くらいの数で舞ってくれた。


③もはや、絶対に出来ない、閉校式。
 ご存じの通り、志賀高原は1998年の長野オリンピック開催地である。長野オリンピックは、スケート競技が長野市内で行われスキーアルペン競技は白馬と志賀高原で行われた。例のスキージャンプの金メダルは白馬で行われたものである。スキーのアルペン競技は白馬村の八方尾根が日本で一番ふさわしいと思うのだが、基本的にアルペンスキーの大部分は、志賀高原で行われた。
 もう誰も覚えていないだろうが、スキーリゾートと言えばプリンスホテルである。
堤義明 - Wikipedia
1998年というのは、西武グループの全盛期で、日本のリゾート業界を牛耳っていたのが西武グループ(プリンスホテル)の堤義明である。そのプリンスホテルのスキーにおける本拠地が志賀高原である為、志賀高原にはオリンピック関連の様々な豪華設備投資が行われた。その残骸(遺産、インフラ)がこれで、
志賀高原総合会館98施設のご案内 - 志賀高原 SHIGA KOGEN National Park Official Site
ちょっと山の上の高原には不釣り合いな大きなホールである。
 
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 この大ホールを含めて会館すべてを24時間、しかも(志賀高原のホテル宿泊者だから)無料で貸してくれるという。前回のページで書いたが、富士高高原教室の最大イベント「閉校式」は、従来からキャンプファイアーとして行っていたので、天気には勝てず、泣く泣く断念してホテルの宴会場で御茶を濁すことも多かった。それを、このホールを使ってやることになった。そして、この施設の駐車場にはキャンプファイアーの施設もあり、そこを使ってもいいという。
 おいおい、閉校式は、完全な歌謡ショー、富士高2年生の大コンサートになるぞ。
ということで、各クラスのクラス演劇や有志達の出し物など、プログラムが満載となった。MCを努めてくれた2人のうち、一人が川島君である(かるた関係者諸君、今でも東京で活躍しているあの川島君だよ)、この舞台の最後は、それまでの高原教室の写真を大量に使ったスライドショーで生徒のピアノ伴奏とともにフィナーレを飾った。これが夜中の11時頃。
 計画では、閉校式は夜7時から9時ということになっていた。でも、プログラムを見るととてもその時間で終わらない。
「まっ、いいか。俺が謝ればいいことだ」と腹をくくって、閉校式はおしておしての時間延長を繰り返しながら進んでいった。舞台のプログラムが終わったのは11時を過ぎていたのであるが、ここから、キャンプファイアーが計画されていた。もちろん、キャンプファイアーもやった。
だって、キャンプファイアーにつきもののフォークダンスもしっかり練習してきたのさ。


 ということで、キャンプファイアーが無事終了し、生徒達がホテルに戻ったときには、25時を過ぎていた。夜中の1時まで騒ぎ続けたのだが、志賀高原なので誰からも苦情がこなかった。お目付役の教頭先生(加藤先生といい、富士高の先輩でおある)は、このことをその後、一度も公言しなかった。感謝感激m(_ _)m。
ワタシも、今初めて書いた。


 この頃の高校生は、大人しくて覇気がないといわれている。2011年富士高2年生は絶好調で、4泊5日の高原教室をエンジョイしまくった。たった10年違うだけで、なんでこんなに大人しくなってしまったのだろう。コロナとマスクは、若者の勇気と活気をすべて奪っていった。


 さて、この高原教室のフォークダンス。 学校での練習から、すべてを仕切ったのが久保田成美さんという生徒である。昔と違ってフォークダンスなどをやったことのない高校生達の練習で、彼女はバッサバッサと仕切り始め、最後の方では、彼女の一声で300人全員が一斉に動き踊り出すようになった。彼女は、ミュージカル俳優希望の生徒で、進路も某音楽大学のミュージカルコースに進んでいった。(富士高って勉強ばかりではないのよね)
このブログを書くために、しばらくぶりにこの名前で検索したら、今でもミュージカル(オペラ)の舞台で活躍しているらしい。
久保田成美(@kubota_narumi)さん / X (twitter.com) 

 学年主任冥利に尽きる!!!!!!!


この久保田成美さんの活躍ぶりを見て、ワタシは、絶対、彼女に卒業式の答辞やってもらおうと心に決めた(恥ずかしいから誰にも言わなかったけど)。
高原教室が終わると、富士高生活も折り返し点を過ぎ、いよいよ受験が頭によぎる時期に入っていく。
Received — 2024年4月18日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人学年主任2年目を語る、それは2011年のことです。

著者: tommyjhon
2024年4月18日 05:22
 全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 つい数時間前(まだ4月17日だった)に今度は四国で震度6弱の地震が起きた。大きな被害はない模様だ。震度6弱ではたいした被害がでないのだろう。能登半島では震度7だった。PCの前に座ってじっくり情報を集めているとX(旧Twitter)で東海地方というワードがトレンド入りしている。もう東海地震が起きるといわれ続けて半世紀になろうとしている。思い出せば、東海地方静岡県が直接の大きな被害にあったのは、ちょうど50年前の伊豆半島沖地震が直近だ。
伊豆半島沖地震 - Wikipedia

 この50年間、ほぼ全国すべての地方で大きな地震の被害に見舞われた。北海道、東北、新潟、東日本全体、阪神淡路、熊本、能登、そして昨日の高知愛媛。なぜか、東海道53次の街道筋だけが無傷だ。戦時下の東南海地震は、最初に高知県あたりが大きく揺れて次に愛知三重付近が震源地となったらしい。この過去の経験から、(いつきてもおかしくない)東海地震は、(いつきてもおかしくない)南海トラフ地震と名を変えた。ここ数日~1年、四国の次は東海地方だと思い備えておこう、みなさん。


 こんな時に、不謹慎だと思われるが、仕方がない時系列で話していくと、2011年の東日本大震災を語らないわけにはいかない。2011年3月11日はワタシが1学年の主任を終わろうとしている時だった。実は、この時長男がちょうど受験生で、彼は3月12日の埼玉大学後期試験のために上京していてそこで被害にあうのだが、この件はこれ以上書かない。
 1学年主任として一番先に考えたのは、次の年度7月に高原教室がある、我々は高原教室にはたして行けるのだろうか?という問題だ。報道では、福島県の原発事故で拡散した放射線量が毎日報道されていた。東北から避難して生活している様子も毎日のように報道されていた。富士高校2年生は7月の高原教室という高校生の最重要行事で奥日光をベースに尾瀬近辺の登山とトレッキングに行くことになっている。尾瀬とか奥日光とかは東京電力の管理地が多く(尾瀬の水源は東電の管理下にある)、尾瀬近辺には、福島県からの被災者達が避難生活をしていた。


 富士高校の高原教室の歴史は長く、今では60回を越えているだろう。ワタシが勤務していた頃、50回目の高原教室が行われた。かつては、静岡県下の高校では、かなりの数の高校が、このような行事を修学旅行の代わりとして行っていたと思われる。掛川西高校は昭和50年代には信州白馬に行っていた(女房の証言)。富士東高も白馬方面の登山をしていたらしい。ワタシが勤務していた長泉高校でも創立当時は、猪苗代湖&磐梯山が修学旅行の行き先だった。
 ところが、修学旅行であり、かつ300人規模の大移動となると、このような登山メインの旅行は、「大変、過酷、危険」という評価になり、高校はどんどん撤退し、今では沼津東高校と富士高校だけになっている(と、思う)
富士高校の高原教室は、(今は違うが)尾瀬の山小屋に一泊するということもあって、相当な批判も多かった。ただ、高原教室ほど、事前アンケートと事後アンケートで評価が分かれる行事はなく、事前では生徒&保護者は80%くらいの反対があるものの事後のアンケートでは「肯定的意見」が80%以上占めてしまうのだ。つまり、「行きたくないけど、一生の思い出に残る感動的な行事」なのだ。
 登山だけではない。この高原教室で閉校式と称して、奥日光湯元湖の湖畔でキャンプファイアーをやる。ワタシはが富士高校に赴任してすぐの7月、1年生からの“助っ人”としてこの高原教室の引率を手伝った。このキャンプファイアーの時、宿泊したホテルの従業員だけでなく、奥日光湯元温泉に住む方々が見学にきているので驚いた。数人に聞いてみると、この場所では多くの学校がキャンプファイアーをするけれど、さすが高校生が行うキャンプファイアーは、仕掛けも豪華で出し物も面白く、毎年楽しみにしているらしいのだ。ワタシが助っ人ととして参加した時のキャンプファイアーでは、火之神を演ずる副校長先生が(事前の打ち合わせもなく)突然、ゲリラ部隊(演劇部)に拉致されるという大事件が起きた。これで、慌てふためいた高原教室のチーフ先生は、この(実は演劇部)ゲリラ部隊を、数学の公式質問攻め光線(「なんとかの公式を言ってみろーーーーーー!!!!!」)で打ち破って、やっと、火之神が救われて点火される、という手の込んだオープニング始まる凄いキャンプファイアーだった。毎年、こんな感じらしい。


 時を戻そう。2011年3月11日、あと1ヶ月で新年度が始まる。富士高校では、高原教室に関するヒソヒソ話が始まった。「出来るの?????」「他に移動するの?????」「いっそ、普通の修学旅行に戻しては??????」このヒソヒソ話の主役は、教員達である。特に「これを機会に、普通の修学旅行(京都奈良とか、広島とか)に戻そう」という声が多かった。
さて、ここからの主人公は、すべてワタシ(Tommyセンセ)である。なんと言っても「学年主任」だ。もちろん、管理職からは呼び出された。「どうするつもりなの?」「ハイ、考えます。4月の新年度職員会議には先生方全員が納得する代替案を出します」と答えた。当時の校長先生はノーテンキ(鷹揚な)なY先生だったので、「そう、よろしく頼むよ」としかおっしゃらなった。
 さて、考えよう。7月の高原教室をどうするか?
①奥日光、尾瀬は無理である。例え放射線の問題がクリアできても避難民でごった返すホテル街に出かけていくことは出来ない。
②京都奈良に方向転換は絶対にしたくない。このステキな高原教室をここで終わらせたくない。一度止めたら二度と復活しないだろう。
③日程通りに絶対やる。
 ワタシには、腹案があった。先ほど、沼津東高校が高原教室をやっていると書いた。沼津東高校の行き先は、志賀高原である。志賀高原は、福島原発からも遠い。


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 早速、沼津東高校の旧知の先生(日本史の池谷先生)に電話して、沼東の日程や行程などの情報を手に入れた。池谷先生は、資料をファイルにまとめてわざわざ届けてくれたのだ。幸いなことに、富士高の日程と沼東の日程は重なっていない。


 これなら、富士高も志賀高原でできる。理論武装は
①あくまでも「高原教室」というのが伝統の行事である。
②お手本(沼津東)があるのだから、企画にそれほど困らない。
③水芭蕉も咲いている(本当だ)
④冬の志賀高原は、保護者もよく知っているはずだ。(映画とかで)
⑤ホテルはゴマンとある。
⑥次の年には尾瀬&奥日光に戻したい。(やっぱり、尾瀬の方がいい)
と、かなり説得力のあるものになった。そして、先生方には、⑥を強調することで乗り切ることができるだろうと考えた。


 そして、即座に旅行業者を呼んだ。JTBの担当さんは、ワタシの意見をすべて聞いてくれて、早速、ホテル2館(A隊・B隊)を予約し、山岳ガイドの契約も取りつけてくれた。
ここまでを2週間、誰一人相談することもなく、やりきった。2年生の最後の最後の学年会で、2年部の先生方に話をした。学年部の山田先生(日本史の)は、大学時代にワンダーフォーゲル部に所属していた専門家で、ずっと良き相談相手になってくれた先生である。その山田先生が、「つまり、志賀高原という案は、ライトでマイルドな尾瀬になるのだね」と発言してくれて、この一言が決定打となって会議が終了した。もちろん、年度当初の職員会議では、考えられるすべての資料を配付して他の教員に説明をした。そして最後に、「この高原教室は、一年限り企画で、いうなれば、ライトでマイルドな高原教室となります」と締めくくった。勿論、誰も反対の手をあげる人はいなかった。
 おろらく、この3週間が教員人生で一番アドレナリンが出た時である。もちろん、他にやるべき仕事はあった。そして一番学年主任としてやるべきことをやったと思う時でもあった。この決定は、私以外誰も出来ない(学年主任以外、誰もやりたがらないだろう)。


ただし、この志賀高原での高原教室、「ライトでマイルドな」というキャッチフレーズは、地図上、机上の論争であって、下見に行ったり実際に生徒を引率した時には、ヘビーでシビアでデンジャラスな高原教室であった。高低差はまだしも、短い距離でのアップダウンが多く生徒や女性先生方はそうとう苦労した。では、次回をお楽しみに。






 






























Received — 2024年4月17日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人学年主任時代を語る

著者: tommyjhon
2024年4月17日 07:51
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、教員人生を振り返るの記を再開。


 2010年の春、校内の玉突き人事で学年主任になることを要請された。
ワタシは、勧善懲悪のドラマとかが大好きで、小さい頃からのお気に入りは必殺仕事人である。 




だから、毎日毎日、昼行灯のような生活をしながら、人助けの時には命がけでズバっと斬るような人生を送りたいと思っていた。
管理職の前では、どうしようもなく仕事の出来ないアホ教員、だけど、生徒の味方で絶大な信頼を得ているようなセンセ、
これが理想だ。
だけど、学年主任となると、そうも言っていられない.中間管理職のようなものだし、学校経営に直接関わる運営委員会にも出席するし、生徒の前で演説することもあるし、絶対にミスができない仕事も命じられる。どうも、昼行灯というキャラがなくなるなあ?と心配していた。



 おそらく管理職殿も心配していたのだろう。その初学年主任の部下となる先生方は、8人の面々が全員働き盛りで、教科指導にも優れ、信頼できる方ばかりであった。結果的にその時の担任8人中2人が管理職となり(令和6年現在)、3人が(他の学校を含めて)進路課長となり、2人が(富士高校の)学年主任となった。計算すると一人足りないが、その一人というのが一番敬愛していた物理のM先生で、まさしく担任のプロ中のプロで、当時クラス担任4周目を迎えていた。一度も休まずに担任を4周も続けることなど常人にはできない。ワタシ達は、畏敬の念を込めて「プルシェンコ持田」と呼んでいた。
 若い先生方には、言っておきたい。「自分が学年主任と命じられたのですが、僕で大丈夫ですかねえ」とよく質問されるが、その時は見栄を張るのではく、「その代わり、いい先生を担任にしてください」とおねだりするべきだ。しっかりした人物が学年主任になったり〇〇課長になったりすると、管理職は安心して、ろくでもない教員を配置したり、ミスマッチを作ってしまったりするものだ。教員の校内人事とはこんなもんである。


 初めて学年部の会議があった時、ワタシは即座に「この担任団ならば絶対に上手くいく。ワタシの仕事はこの担任のメンツを3年間、変えさせないことだ」と誓った。その中で、一番信頼を置いていたのは、厳しい教科指導で有名な女性教諭である。この先生の指導プランをすべて採用した。例えばの「学習習慣記録プリント」例えばの集団別集会、などなど。学年主任であるワタシの仕事は彼女を信頼することであって生徒の学習指導は、彼女を信頼すること以外にしていない。


 ある人間がその組織内での地位を上げていく。その時その時、どのような対応が必要なのか? 組織内での人間の生き方を、ワタシは海老沢泰久の著作で教わった。
『F1地上の夢』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター (bookmeter.com)

ホンダF1のチームがチャンピョンを獲得するまでを描いた人間ドラマだ。その中に、このような一節がある。(うろ覚え)
「組織内での地位が上がることとは、YESかNOかの判断のスピードが上がることとなんだ」
とあった。
ワタシは思いだして、とにかく「やる・やらない」を即答するように仕事をした。判断できない場合は、「〇〇まで待って」と必ず返事の期限を決めた。これだけで、組織は上手くいくと思う。中間管理職として必要なのは、“着手時期”の指示と、“完了期限”の把握だけだと思う。あとは優秀な方々がやってくれる。


 回想していくと、この学年主任時代の1年目も困難な仕事(盗難事件が続発したこともあった、不登校も当然あった。)や悲しい出来事(生徒が突然死したこともあった)だらけだった。でも、今までほとんど忘れていた。それは、1年生の3月11日に、これらの困難を吹き飛ばすような大惨事に見舞われたからだ。
福島原発をはじめ東北地方が大惨事に見舞われたのだけれど、実は富士高もある行事が存亡の危機に立たされた。高原教室である。


 では次回をお楽しみに。
 
  
































Received — 2024年4月15日 tommy先生の「世相を斬る」

花見で凄いところに行ってきた

著者: tommyjhon
2024年4月15日 07:15
全国の毒舌ファンの皆様、おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、好評の“還暦老人教員生活を語る”シリーズを中断して、昨日の日曜日に遠征した高遠城跡の花見について記しておきましょう。
富士市から片道3時間、デート(若者~還暦夫婦まで)にはもってこいのドライブでありました。


高遠城とは、
高遠(たかとお)城址公園:伊那市公式ホームページ (inacity.jp)

長野県伊那市の旧高遠町は、静岡県民にとっては馴染みの薄い場所でありますが、中部横断道と中央フリーウェイを使えばだいたい3時間ほどのドライブで到着してしまう近い長野県なんです。
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 中央高速を飛ばして、諏訪インターでおります。そこからはナビにしたがって、杖突峠(つえつきとうげ)といういかにも急坂の峠道をぐんぐん登ります。最高標高点までまで15分くらいで、難しい峠ではありません。あとは、ひたすら整備された道路を真っ直ぐに南下するだけ、山肌の散村に植えられた満開の桜を眺めながらのドライブをしていると、あっという間に高遠の町の中心地に到着してしまいました。
 
 ところが、駐車場まであと500m程度の所から大渋滞。2月の河津桜を思い出させる大渋滞。イライラをおにぎりで紛らわせながら、やっと市営の臨時駐車場に到着。高遠城公園まで500mくらい歩くことになるが、その分、ここは無料。


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真っ直ぐに城まで続く商店街。昔ながらの商家が残るイイ街でした。帰り道、我が奥様は、「都会ではもう売っていないのよねえ」と言いながらこの商店街の衣料品店で割烹着を買っていた。
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高遠城は、小高い山なので、かなりの階段を上り一つの曲輪に到着。一体に植えられているサクラは、「タカトオコヒガンザクラ」という固有種で、老木なのに花勢が落ちないでいる。立派だ。
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すげーーなあ。
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 ワタシも一枚。バシャ!!!!!
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いよいよ、城跡の本丸に到着。桜並木ではなくて、サクラの群生。どの角度から見ても満開。
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本丸跡だから、平坦な場所となる。
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写真では、伝わらないと思うが、ワタシが一番感動したサクラ越しに見える早春の中央アルプス。一度登ったことのある木曽駒ヶ岳や千畳敷カールもよく見えた。
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サクラ越しに高遠の市街地を臨む。
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こじんまりとして落ち着いたいいまち街だなあ。道路はどこも大渋滞。


帰路も同じ道。途中で、そば屋に寄る。
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右のようなサクラが街道中の至る所にある。この蕎麦やで1時間待ち。


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名物の「高遠蕎麦」を注文する。(高遠蕎麦なるものを初めて食べたので、他の店でも同じモノが出されるかどうかは検証していないが)
高遠蕎麦は、そばつゆの代わりに、味噌を出汁で溶き、薬味として、辛み大根、ネギ、ミョウガを入れて食べるスタイルのことを指すらしい。今、ワタシは蕎麦といったらかけそば系の温かいつゆの蕎麦を注文する。その方が、そば屋の実力がでると自分では思っている。ただ、今回は、高遠蕎麦に敬意を払って注文してみた。味噌を出汁で溶いたつけ汁の味がそれほど濃くなくて美味しくいただいた。


 と、高遠を後にして一路富士に戻る。
 中部横断自動車道 富士川第一橋(山梨県南部町ー身延町) | Bridge a day (ameblo.jp)
このブログ記事から拝借した画像
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中央高速から中部横断道を南下して家に帰る途中、
この富士川橋を渡ることになる。ワタシは、この橋が作られる様子をずっと見てきた。人一倍この高度感を体験しているので、どうしてもこの橋が渡れない。
下りも上りも、この橋を避けて途中のICで降りることにしている。


 世界3大怖い橋の一つだ。


では今日はこれでおしまい。これからタケノコ探検に行ってきます。




Received — 2024年4月12日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人の校内人事

著者: tommyjhon
2024年4月12日 07:17
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、新天地での授業は3日目。金曜日だから、今日を終えればお休みが待っている。再任用ハーフの休みって凄いぞ、正規の先生方には大変申し訳ない気がするくらいの楽々週末である。
土曜日⇒お休み、なので前任校の部活応援に行く予定。
日曜日⇒お休み、なのでお花見で遠征にいく予定(長野県伊那の高遠城)。
月曜日⇒お休み、勤務形態によって月曜日が定期で休み。
4月16日火曜日⇒一日勤務。
4月17日水曜日⇒学校全体が遠足。なので再任用ハーフ教員は用無し、なのでお休み。
4月18、19は学校
4月20日はもう次の週末。


さて、好評連来中の「過去を振り返る」シリーズは、校内人事遍歴に。
2000年度に「全国高総文祭静岡大会」、つまり地元開催を仕切ることで長泉高校での仕事に区切りをつけた。


2001年度に富士高校に赴任する。そして、普通の感じで1年担任からスタートする。部活は百人一首部顧問。


2002年度に2年生の担任となる。ところが、部活動は新聞部顧問!!!!!!、その理由が「百人一首の専門家の大学院卒の先生が赴任する」というものだった。その先生とは、嶋先生のことで、2年間の内地留学に行ってらっしゃったのだ。富士高校新聞部は全国で何回も優勝するなどの超名門部活であったのだが、その新聞部を全国的に有名にした、西家先生がこの年に転勤されることになり、新聞部顧問の“座”がぽっかり空いていた。
「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の殺し文句で校長室に拉致される「一幕」の第一回目である。


2003年度に普通に3年担任となる。クラスは1組。2組の担任が八木監督・・という布陣だった。伝説ともいえる八木監督、朝のHRの連絡に「1組の黒板を見ろ」という傑作をのこした方でもある。八木監督は10年後にワタシを救ってくれた大恩人だ。この学年は、学者になっている奴も多いが、表現の世界で活躍している奴も2人ほどいる。
193-10.pdf (richard-strauss.sakura.ne.jp)  あなたの心に芸術の息吹を (klavier-begleiter.com) の井出徳彦君

そして、なんとウィッキにも登場する。
和田真希 - Wikipedia (ワタシのFBの読者なので、「イイネ」くれるかも?)



2004年度普通に次の1年担任となるものの、次年度から全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長というやたら長い名前の役職を引き受けることが決まる。「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の2回目。


2005年度、一度担任を降りる。それは、全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長というやたら長い名前の役職の仕事がどれくらいのものかわからずにいたので、我が侭をいったからだ。「担任休まして!!!!!」というお願いでもあった。


2006年度、なんと理数科の担任を要請される。おいおい理数科って理数科だよ。東大や京大、医学部なんかに沢山進学するクラスだよ。ワタシは公民科の教員であって、3年間の理数科カリキュラムに、公民科の授業なんて2時間しかないんだ。なんで俺がやるの?????
「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の3回目。この時の学年主任が池田高雄先生であって、「数学の面倒を俺が見るから、クラスの面倒だけ見ていればいいよ」という殺し文句で引き受ける。先輩の頼みを断ってはいけない。


2007年度は、これらの仕事を継続する。そしてこの年、全国高等学校小倉百人一首競技かるた選手権大会で11年ぶり12回目の優勝を果たす。実は、富士高校に赴任した当時は、静岡双葉高校というお化けみたいに強い高校に全国大会を阻まれていたのだが、この前の年あたりから上昇気流にのりはじめ、久しぶりの優勝となった。全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長というやたら長い名前の役職だから、監督ではなく、この大会の開会式司会とか、閉会式司会とか、食事会のセッティングとかをしていた。・・・あまり書きたくはないが、この優勝以来、我が富士高校は、東京都の暁星高校にずっと優勝を阻まれてきた。ワタシのパソコンは「ぎょうせい」と変換すると暁星と出てくる。かるた指導を離れて、公民科教員としての「ぎょうせい」も使うことが普通にある。その時も“暁星”と自動変換してくれるので何度もパソコンを壊した(少しデフォルメ)。・・・・


2008年度、理数科の3年担任となる。さて、この理数科担任。入学式の時に「目標は全員で卒業することです」と宣言した。これが現実である。理数科って優秀な人材も集まるが、悩み抱えて登校さえできなくなる子もいる。3年間で一人も退学者がでなかったことですごいホッとしている。この理数科は本当にデキのよい子ども達に囲まれて楽しかった。卒業式の日、「もう僕は担任を持ちたくありません。こんないいクラスは2度とないでしょう。このクラスを最後にしていい思い出だけを残したい」と言ってしまった。
この時は相当なリップサービスのつもりだったが、本当にこれが最後の担任となった。まだ、45歳だよ。


2009年度、この年、本気で我が侭を言って、3年副担任となる。「3年間、理数科担任をして疲れ果てたので、1回は休みにして」と訴えたのだった。
ところがだ、3年副担任で楽をしていると、10月の終わり頃に校長室に呼び出される。ある3年担任の先生がご懐妊し少し体調が気になるので、3月の卒業式まで君がそのクラスの担任をして欲しい。とのことだった。ちょっとまて、11月から3月って3年生の一番重要な時じゃん。
「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の4回目

そこから慌てて「緊急クラス保護者会」なるものを招集し、ワタシが担任業務を引き受けることを宣言する。人生でもっとも焦った4ヶ月だった。


2010年度、この年の人事でに、ワタシの教員人生のすべてに関わってきた嶋先生が富士高校を離れることになった。当時進路課長であった嶋先生が転勤(ある事情による人事だったので我々は予想できなかった)するので、校内の主要人事に大きな穴があくことになった。
お待ちかね、「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の5回目。
1年の学年主任をやれ、との厳命が下る。


こうして、「Tommyセンセの楽しい楽しい学年主任生活」が幕を開けるのだが、これは次回のお楽しみに・・・・・なんとなくNHKの連ドラみたいな展開だ。














Received — 2024年4月11日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人ブログ中断顛末(2)

著者: tommyjhon
2024年4月11日 06:20
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、昨日再任用ハーフ教員としての初授業。めちゃめちゃ緊張した。今日もそんな感じで2時間をこなさなければいけない。ただし、役職がなく単純に授業だけという稼業はかなり楽ちんだ。今、授業以外の雑務で苦しんでいる先生方、はやく再任用ハーフになりなさい!!!!!


 さてっと、好評連載中の「還暦老人日記」の続き。


 30代後半~定年まで、ずっとブログ生活を続けてきたのだが、
還暦老人のブログ中断顛末(その1)そしてお土産。 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

前回の最後の方で紹介したように、
2010年9月~2013年9月まで、ワタシはブログを中断していた。もう10年も経ったことなので、初めてその顛末を記すことにする。


 それはワタシの家族、中でも次男のことである。
我が家の次男は、長男と違い勉強大嫌いなガキとしてすくすく育った。スポーツ好きで運動能力も高く、長男がはじめていたバドミントンでも、ちょこちょこっと練習しただけなのに県大会で入賞してしまうような小器用な子どもだった。ただし、青年として成長していくにつれて父親の遺伝子の影響をうけて基礎的な身体能力(走る、跳ぶ、等の筋肉量)に欠けるていることが露呈し、選手としては苦しむことになるのだが、年少期はそれが目立たず、抜群の球技センスだけが光っていた。
 特に野球センスは抜群に秀でていた。例えば、小学3年生か4年生の頃、少年野球でショートを守っていたある時、誰にも指示されるわけでもなく、試合中に、年下のセカンド(2塁手)に細かく指示を出していた。後で何を指示したのか聞いてみると、次男坊は「少年野球の2塁ベースの前には、足で土をならすようなふりをして、沢山の砂を集めておくんだよ、そうすれば、盗塁された時やスライディングされた時に、その沢山の砂に邪魔されてランナーの足がベースに届いていない時があるんだ。その時にタッチすればアウトになるから、セカンド(2塁手)は、時々、足で砂を集めておくんだよ」と後輩に教えていたらしい。
 この野球センスは親としてもビックリだ。こういう性格の悪さは、完全に父親譲りである。


 少年野球で少し自信のついた親子は、勇気を出して中学時代の彼(次男坊)を、富士川河川敷を本拠地とするリトルシニアのチームに預けることを決意する。リトルシニアとは中学生時代にもかかわらずに硬式野球を行う中体連とは違う独立リーグのことである。


 高校の運動部業界では、「所詮、中体連」という言葉が存在していて、本気に高校の部活動を強くしようとするならば、中学校単位で練習をしている中学の部活などを当てにしてはいけない。小学校から中学校の時代には、「クラブチーム」で活動を続けている選手でなければ使いものにならないのだ。今では、卓球やバレーボールなども、「所詮、中体連」となっているらしい。前任校の伊豆中央高校の男子バレーボール部は、中学生の地元クラブチームといつも練習試合をしている。なかなか勝てないそうだ。その伊豆地方の中学クラブバレーボールチームの有力選手は、浜松にある聖霊なんとかという学校に進学していく。
日本人でも世界的に活躍するようになったサッカーや野球などは、いち早く、この中学クラブで育成するシステムを導入していて、さきほどの「所詮、中体連」という言葉は、前々任校の清水東サッカー部で初めて聞いた言葉である。例えば、「中体連県大会出場、レギュラーFW」などという言葉はすでに「それほど上手くない選手の典型」となっている。


 野球でのリトルシニアは硬式ボールで行うのでそれだけでも上手くなるが、大会を競い合うのが「関東連盟」であるから、相手も神奈川や東京などの強豪チームである。相手がそれだけ強いので、指導者も選手も父兄も異常に熱心である。ほとんどすべての親が「甲子園に出場出来るチームに入る」ことを希望してリトルシニアに入団させている。我が次男坊と同級生には、今パドレスの松井裕樹がおり、リトルシニア時代(横浜緑東)から知られていた。


 このリトルシニア時代、息子は、キャプテンキャチャー4番として試合にでていた。関東大会で少し活躍したこともあり、強豪校から声がかかるようにはなった。彼らリトルシニア(今ではボーイズリーグという連盟も存在している。下のリンク先は、静岡のアマチュア野球界を熱心に発信しているサイト。管理者さんとは知り合いになった。)静岡野球スカウティングレポート (cocolog-shizuoka.com) の選手達は5月~6月の試合が終わると真剣に進学先を探すことになるのだ。


 さて、ワタシとしてはかなり悩むことになる。家族でもたびたび、進路(どこの高校に進学するか?)に関しては考えた。多くの中学生は2月~3月の高校入試で進路が決まるが、中学スポーツで活躍した選手は6月~8月にすでに決まっているのである。そして、とにもかくにも、彼が選手として使えるかどうか?高校野球で通用するかどうかを知りたいと思い、監督との面談で「いろいろな高校からの評価を聞きたい」と話した。
 「ならば、少し声をかけてみよう」と答えてくれて、関東地区の某野球の私立強豪校に声をかけてくれた。ワタシ達家族としては、県内の近隣校ならば毎回応援にいけるし、それほど心配も無い。しかし、親が両方とも高校の教員という立場なので近くの高校に子どもがいるとなるとそれなりに気を遣う。監督さんには、県外の私立でもいいです、とは言っておいてあった。


 中学野球の監督の大きな仕事一つは、高校野球の監督さんとのルートを太くしておくことである。「甲子園に行かせたい」と思う欲深い親達の要望に答えきれなければ中学野球の監督にはなれない。もちろん、相手となる高校野球側も同じことだ。ここには、文科省が司る学校教育や静岡県教育委員会が仕切る高校教育とは、別の力学が存在する(サッカーだって同じ)。我がリトルシニアの監督は、かなりの名監督であって、高校との繋がりも太かった。監督は約束通りのことをしてくれて、リトルシニア3年の夏、ある日には、息子の練習(つまり能力資質)を見に来てくれるとのことだった。 


 しかし、その日、約束してくれた某強豪校の監督は現れなかった。(息子には教えていない)ワタシ達夫婦と監督は不思議だと話し、夫婦は、さらに不安になった。
数日後、原因が判明した。それは、常識では考えられない出来事だった。そして、こういう(様々な面で)世界が、世の中には存在するのだということを、(世間知らずの)ワタシは痛感するのだった。


 その事情とは、次のような状況であった。その某強豪校の監督に、匿名の電話がかかってきたという。その匿名電話の主は、「〇〇君の親は、県下でも有名なモンスターペアレントで、あることないことをネット上に書き込みしている親で、世間から目をつけられている。こんな親を持つ子どもを入学させない方がいい」と言ったという。そして、このような電話が、一つの高校だけではないことも監督さんのリサーチで判明した。
 この事実は、息子が某高校へ入学後、またもや証明されることになる。ワタシの勤務校のとある体育教師の先輩先生が、こっそりと明かしてくれた。「先生(ワタシのこと)、実は某高校の監督から親(ワタシののこと)の様子を教えてくれ、という電話がかかってきたよ」「もちろん、そんなこと(モンスターペアレント)は絶対にないと言っておいたけど」



 そして、リトルシニアを率いる監督さんとじっくり話し込み、今後、どうなるか見当がつかないのでまずは証拠となるブログを辞めよう、という結論となり、息子が高校野球を辞めるまでの3年間はブログを中断するという約束をした。だから、ブログの中断が9月なのである。
この匿名電話の主は、いまだにわからない。ただ、野球業界(特に父兄の間で)で、よく噂されていた2ちゃんねる(古い世代は知っている)風の、誹謗中傷、事実無根の噂話が荒れ狂う業界であることが、本当によくわかった。
 確かにワタシはある意味でモンスターペアレントではあるが、それはペアレントとしてではなく、国民としてである。政治の世界に文句をいうことはするが、アマチュア野球界を悪く言ったことはない。百人一首かるた競技の世界は、よく書き残していたが、(素人である)野球業界の話はブログ上していない。


 この匿名電話の主は、何が目的だったのでしょう? 子どもの進路を阻むことなのでしょうか、それとも、ワタシを黙らせることなのでしょうか?その匿名電話の内容からすると、ワタシの極々身近にいる方だと思われますが、態度や素振りで見破ることはとうとう出来ませんでした。なんともおそろしい世界に知らず知らずに入っていってしまった。


 なので、ワタシのブログが再開されるのは、子どもが高校3年生となり、夏の県大会で負けて甲子園の道がなくなってからなのです。だから、2013年8月。
実は、この「高校球児の親」として過ごした3年間は、高校野球父兄として、他の業界では到底味わうことのない喜怒哀楽を経験したのではありますが、それらはどこにも書くことができませんでした。


 前回、富士高時代の職歴を詳しく話しましたが、この甲子園を目指している息子が高校3年生となる年は、どうしても8月を空けておきたかったのです。その為には、全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長を辞する必要がある、その為には百人一首部顧問を辞する必要がある、その為には富士高を去る必要がある、との結論になるのでした。ちょうどその時は、富士高最後の要職、学年主任としての仕事も大団円を迎える時でもありました。


次は、富士高時代の担任&学年主任としての話になります。
Received — 2024年4月10日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人のブログ中断顛末(その1)そしてお土産。

著者: tommyjhon
2024年4月10日 05:42
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、本日から新天地での初授業。富士高、清水東、伊豆中央と進学中心高校から移ってのちょっと毛色の違う高校での初めての授業なので少し緊張している。とはいっても、最初の授業だから授業という授業をする気にもならず、昨日はかなり時間をかけてパワポのスライドを作った。「若者よ、もっとSNSを使おう」というテーマで自己紹介をする予定だ。


 では、好評連載企画「還暦老人の人生を語る」は、いよいよブログ開設とブログ中断の顛末に関して。
ちなみに、前段のSNSに関してはFacebook日本版のスタートが2008年、Twitterの大流行が2010年(開設は2006年)らしいので、それよりも以前の話になる。HPビルダーでコツコツと日記や学校情報を発信していたワタシは2006年に、もっと簡単で軽く情報発信ができる、「ブログ」への移行をそそのかされた。2006年の8月、青森県でのことである。そそのかしたのは、神奈川県のかるた競技関係者である永吉先生というお方、単純に「外山先生のスタイルならば、ブログの方が効率的だよ」という建設的なアドバイスであって、永吉先生から悪の道に誘われたわけではない。
2005.8.3開設 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

↓が、エキサイトブログ初の記事らしい記事。
青森点描 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)



 なぜ、青森なのか? 当時、ワタシは「全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長」という仕事をしていた。この仕事、6月~8月にかけては殺人的に忙しく、今から考えると、よく体を壊すことなく出来たと我ながら感心する。
全国高等学校総合文化祭開催実績及び予定 | 文化庁 (bunka.go.jp)

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これが、ワタシが関わった、全国高等学校総合文化祭の過去記録。
初めて、“小倉百人一首競技かるた部門”が開催されたのが、第17回大会の埼玉県(平成5年8月4日〜8月8日)、静岡県での開催が平成12年、8月5日〜8月9日。静岡での通称が、「2000高総文」だったので、2000年が平成12年となるのだ。

そして、平成14年(2002年)の神奈川大会を区切りとして、それまで事務局長をしていた阿久津先生という方が事務局長を勇退することになり、それまで阿久津先生に文句ばかり言ってきた静岡県に次の事務局長が任されることになった。
もう数回前の記事でカミングアウトしてのとおり、ワタシはADHD系の人間なので、じっとしていることが大の苦手なので、(事務的な能力がそれほど高くないと自覚しているにもかかわらず)なんとなく引き受けるような雰囲気になってしまった。
それから富士高校を去る平成24年度(2012年)まで、ずっとこの仕事を続けることになる。


 あのね、普通の進学高で理数科(特進コース気味の特別クラス)の担任をし、その後、学年主任をし、その間ずっと(運動部みたいな)百人一首部の顧問をし続けた期間、ずっと全国の事務局長だったのですよ。凄い働きぶりですよね。ここは長い教員人生の中で一番仕事が充実させられた時だった。(ワタシはいつでも好きで、やりたくてなったわけではない)、(愛する)母校富士高校を転勤した理由の一つは、この殺人的忙しさから逃げたいという思いだ。平成25年度の夏は絶対にもっと忙しくなることがわかっていた。(後で種明かし)


 これだけ重要な仕事をやりきると、一般的には出世する。事実、ワタシは(静岡県の中堅有望教員が選ばれて招集される)マネジメント研修なる事業にも呼ばれたことがある。しかし、出世に通ずる道(出世街道)に乗るこはなかった。その理由の一つが、これだ。このSNSにどっぷり浸かり続けたワタシは、普通の人(普通の教員)よりも、ホントに充実した日々を過ごしてきた。特に、政治的な見聞はSNSがなければ実現しなかった。しかし、その分、かなり県教委からのお叱りをもらった。


 読者の中には、この顛末を楽しみにしているかたが多いと思われる。しかし改めて振り返ると、何が原因でお叱りをうけたのかどうしても全部を思い出さない。お叱りを受けた頻度は、2~3年に1回くらいだと思う。なぜ、このように考えるかといえば、HP運営をはじめブログに移行しながら続けた24年間で、ほぼ全部の校長先生から説諭(厳重注意のうえ自粛を諭されること)をうけた記憶があるからだ。だいたい校長は2~3年に一度のペースで入れ替わる。
初めてのお叱りは、ある年の富士宮市長選挙で、露骨にある候補者を応援したことである。この方は高校時代の1年先輩で(当時は)若手の青年実業家(当時38歳)だった。この露骨な応援は、“若くても勇気を出してチャレンジする青年”を紹介したくて記事にしたのだが、当然の如く、対立陣営側から抗議がきた。その時は、HP上だったので、校長先生から、「HP上でも謝罪文を出せ」といわれ、謝罪の文章を書いた記憶がある。しかし、その謝罪文を書いたと同時に、HPの壁紙(この表現は今の世代ではわからないだろう)を反省ザルにしたので、また怒られた。


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(写真は、当時流行った反省ザル。「反省だけならサルでもできる」の語源となったジロー君)
その後も、政治的な件では相当やられた。ブログによく登場していた、長尾たかし(当時、大阪14区民主党候補者)氏に関する文章でも叱られた記憶がある。その時は、いくら衆議院選挙真っ最中でも選挙区が違う(ワタシは静岡5区、長尾氏は大阪)ならば、応援はOKだと勘違いしていたが、法律によると選挙区が離れていても選挙期間中は応援活動を教員がしてはいけないそうだ。このことも、HPを運営していて初めて判った事実である。
 そして、校長先生からのお叱りではなく、直接、静岡県教育委員会に召喚され半日にわたって御説教を受けたこともあった。これが巷で一番有名な敬愛する〇〇先生転勤事件なのだが、この事件は、プライバシーとその人物の尊厳に関わることなので、少し色合いが違う。でも、ここではまだ書けない(まだ、現役で活躍しておられるから)。



 ところがだ、このブログが、2010年9月に、どうしても更新無期限延期にならざるをえない状況になってしまう。
無期限更新延期 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

この無期限延期は、2011年になっても続け、
今年も我慢します : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

2013年もブログ更新せず、
2013・年頭所感 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

とうとう、3年間、ブログ人生を中断することになる。


 このやむを得ない中断は、政治的な活動でもなければ、プライバシーの侵害でもなければ、犯罪に関することでもなかったのだ。(教員は続けているので、犯罪でははいのは当たり前だけれど)
次回をお楽しみに・・・・・・・


そして面白いお土産動画を一つ。
ワタシが敬愛する歌手(声楽家)、倉藤理大さんの「せをはやみ」 かるた関係者必見。
Received — 2024年4月7日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人が超政治的先生になる

著者: tommyjhon
2024年4月7日 04:55
 全国の毒舌ファンの皆さま、おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで前回内容の続き。
ワタシが富士高に赴任したのが2001年。ネット稼業を始めたのもその年。そして、政治の世界に誘われた長尾たかし氏との出会いが2002年。
長尾たかし氏のウィッキを見ながらうろ覚えであったのを検証しながら書いている。
長尾たかし氏が、勤務先の大手生保を辞めて民主党大阪14区の支部長(つまり、大阪14区で立候補するということ)就任を、山梨県大泉村の加藤幸弘氏の別荘で宣言したのが2002年の8月。


 この長尾氏のHPや加藤幸弘氏の書き込みが、超政治的政治経済教員となるきっかけである。
そうして、HPを運営しながら、現実の政治をマスコミなどを介在しないナマの形で垣間見ることになった。


 そう言えば今、高等学校(高校)の学習でおいての大きなテーマが、「主体的学習」である。昨日、新赴任校の清水西高校でも入学式があったが、校長祝辞の中にも一番最初のテーマとして、主体的学習という言葉がでてきた。しかし、主体的に学ぶってことが高校生にどれくらい伝わるか?これにはかなり疑問が残る。ワタシは、主体的というのを副島隆彦先生の著作から学んだ。それをポジティズムという。ポジティズムを調べると、以下のようによくわからない単語が並んでいる。
実証主義(じっしょうしゅぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

これを副島先生は、「自分の目で見て、耳で聞いて、足を運んで学んだこと以外を信用しない」と定義しておられる。このポジティズムな学習を、ワタシは政治家になるという長尾たかし氏の元で体験することができた。


 そうしているうちに、もっと凄いことになる。
長尾たかし氏から突然のお誘いがあった。2006年の夏休みのことである。
長尾氏は当時、一新会入りをしていた。いわゆる小沢グループ(もちろん小沢一郎先生)である。
小沢グループ - Wikipedia

ここに以下のような記載がある。
<貼り付け>
2003年(平成15年)の民由合併によって解散した旧自由党出身の議員を指していた。当初は政党内政党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年(平成16年)6月に当時当選1回〜2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、2005年(平成17年)秋、第44回衆議院議員総選挙の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。2006年(平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。

<貼り付け終わり>


「この一新会の第2回全国研修会が、箱根のとある宿泊研修施設で8月の末に行われるから、外山先生も参加しないか!」との電話がかかってきたのだ。もちろん、大兄加藤幸弘氏も参加するという。
ワタシは行かない手はない、と思った。全国から政治家と政治家の卵さんがさんかする現場に立ち会える!!!!!! こんな美味しい教材は他にない。超政治的教員は、このように現場で教えられるのだ。


 こうして、のこのこと民主党(当時)の大リーダー、小沢一郎率いる勉強会(いわゆる派閥の前段階)に参加した。残念ながらワタシは途中からの参加で、主催の小沢一郎先生は会場にいらっしゃることはなかったが、この第2回一新会全国研修会を、詳しくブログでレポートしてくださる方がいた。
この方は、もうブログを更新していないようだが、2006年のこの記事はかろうじて残っていた。
 ・政治家研修会のレポート4 - 駒ヶ根に想う (hatenablog.com)
連絡もとれないので無断でコピッペする。


<コピッペ>
こうして、各ブロックごとに創出されたキャッチコピー、吟味された公約、
かなり次元は低いが頑張ってお絵かきしたポスターが揃いました。
翌日、これらを持ち寄って選考会が開かれました。
プレゼンテーションの後に全体投票があって、当選したブロックの代表は「総理」になる仕組みです。


ゲームとしては、かなり凝った趣向です。
総理の座を目指して、賢明なプレゼンテーションが行われます_と言いたい所ですが、
そこは政治家の面々ですから、登壇したら自己PRが最優先します。


持ち時間の冒頭は、押し並べてブロックに参加している代議士の紹介です。
中には、差し迫った自分の選挙応援を乞う姿もありました。
これが常識なのだろうとすんなり理解できてしまうほどに、政治家と庶民感覚の違いに慣れてしまいました。


しかし、中に一人だけ異色の代表がいました。
持ち時間の後半を、「余計なことですが」と前置きして、


政治を目指す皆さん、政治を支えようとする皆さん、もっと勉強してください


思わず、私は拍手してしまいました。
私と同行した2人も合わせて、約600人の参加者のうち3人の拍手が際立っていました。


この方は、会場近在の高校の政経担当の先生です。
研修会のありようを見て、思わず苦言を呈したくなってしまったのです。
これを聞いた代議士たちは、かなりご立腹のようでしたが、
個人的なキャラクターが優れていたことが手伝って、なんと優勝してしまったのです。
キャッチと公約に見るべきものはありませんでしたが、ポスターのアイデアは視点が優れていたと思います。


しかし、個々のパーツの成績からすると、上回る作品もあったので、
優勝の勝因はプレゼン能力の高さだったと思います。
話の内容もさることながら、聴衆を生徒に見立てて自分の世界へ引き込んだ時点で勝ちが見えていました。
演説は、内容よりも話術であることを強く印象付けられました。
もちろん、主張の本質も評価されるべきですが、本論の公約で劣っていても演説で十分に逆転できる、
それどころか、ダントツの優勝を勝ち得ることが出来た事は、郵政民営化選挙の小泉さんを彷彿させます。
<コピッペ終わり、太字拡大はワタシ>



ほらね。この記事にある、「政治を目指す皆さん、政治を支えようとする皆さん、もっと勉強してください」
と、壇上で演説したのは、ワタシです。ですから、

この方は、会場近在の高校の政経担当の先生です。

も、ワタシのことです。



 何かウケを狙ってこのような発言をしたわけではありません。元々登壇してプレゼンするつもりなど全く無かったのですが、グループ内で異色の「先生」という立場であり、長尾氏も加藤氏も、そろって推薦してくれたので、少し本音をぶつけて言っただけです。
 当時、民主党は、ようやく野党第一党にふさわしく、政権交代を視野にいれて活動し始めました。その政権をとる準備としての研修会であると認識していたのですが、そこに集まっておられた議員さん(代議士)達、そして支援者・後援者達の考え方が、どうしても幼稚じみているように思えたからです。
 実際に政権をとったあと、対決するのは自民党の政治家ではありません。対決するのは「既得権益に固まって現状を変えようとしない国家官僚」達です。特に、財務官僚を納得させなければ改革はできない。日頃の国内政治を観察していればこれくらいのことはすぐにわかる。でも、そこに集まった民主党の方々、特にスピーチの為に登壇した若手政治家さんたちは、選挙のことばかりを訴えているだけでした。それでは、国家官僚たにち敵わない。


 ワタシは、富士高校の政治経済の先生です(当時)富士高校というのは人口30万くらいの地域を地盤としたトップ校です。そのトップ校の中でも東大(特に文系)合格者をだすのは至難の業です。毎年5人の東大合格者を出し続ければ「超進学高」の称号をもらえます。その超トップ層の超トップランクの頭脳が、国家公務員1種試験(いわゆるキャリア)に合格し、その中の超々トップクラスが財務官僚となるのです。彼らは、頭脳の構造が違うのです。民主党が今後政権をとっても、改革は政権奪取よりも難しいのです。だって、相手は、自民党のぶくぶく金満体質の2世お坊ちゃんではなく、財務官僚達なのですから・・・・・
 このように(学校で教えるという)現場で習ってきたワタシは、この思いを研修会で叫んだのです。それが、
「政治を目指す皆さん、政治を支えようとする皆さん、もっと勉強してください」

という、発言だったのです。


 そして、このブログを偶然に、現職の富士市議会議員の先輩(富士高の)が発見してくれました。
 ニュース! 富士高教員が一新会全国研修会で優勝。 | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)
この鈴木浩司市議会議員のブログの2006年9月版に残っていました。


<貼り付け>
インターネット上の情報をたどって調べていくと
この近在の高校というのは「静岡県立富士高等学校」であることが判明。

居並ぶ政治家、立候補予定者といった悪党どもを見据えて、

「もっと勉強しろ!」とは痛快ではないか。



富士にも隠れた人材はいるものだ。
本人のお許しがあれば、いずれお名前も紹介したい


<貼り付け終わり>


こうして、富士市の活動家に正体がばれることになり、ワタシはこの鈴木幸司が関係していた。豪集会に誘われることになる。
細野豪志 - Wikipedia

豪集会とは正式な政治団体ではなく、衆議院議員細野豪志氏を応援する勝手連(かってれん)のようなものである。(ただし、今の自民党に見られるようなおらが寝集めの団体では絶対無い)
細野氏は、発当選当時、「パラシューター」というニックネームがつけられていた。パラシューターとは落下傘のことで地盤も看板も算盤(2世議員や3世議員のはこの3つがお膳立てされている)おない静岡県東部地区にいわゆる落下傘候補として舞い降り、初当選以来ずっと勝ち続けている。


 この勝手連である豪集会のある日の会合(正確には、会合後の宴会、もちろん割り勘だった、あしからず)に誘われた。
誘ったのは、ワタシの小学校・中学校・高校の同級生である伊藤君である。ワタシをブログに書いてくれた鈴木幸司氏も来るという。そして、その場に言ってみると、ますますびっくり、この会合の席には、小学校・中学校・高校の同級生がぞろぞろいる!!!!!!!
 この同級生達は、ほとんどが自営業者でした。富士市の活性化を目指し、現状の地域社会に憂い、少しでも地元の発展につねげようと、代議士細野豪志氏の下に集まっていたのです。これで気をよくしたワタシは、細野氏の勝手連・豪集会の集まりにずうずうしく参加していくのです。


 ただし、現在は知っての通り、細野豪志氏が自民党に鞍替えして衆議院議員をなされているので、どんどん疎遠になっております。実は、長尾たかし氏も自民党に鞍替えされております。
民主党だから応援していたワタシは、自民党に鞍替えした議員を手のひらを返すように応援することは出来ません。これが、政治経済を教える教員としての限界であり、信念です。


 ワタシが生徒に伝えるべきは、「どの政治家を応援するか」という政治活動(選挙活動)ではなく、政治思想です。アリストテレスやプラトンからばじまる。政治哲学です。この確固たる政治哲学を簡単に手放すことはできない。
彼ら(政治家)にとっては、まさしく当選することが死活問題ですし、地域の要望や支援に答えるためには、所属政党を変えてまでの生き残りが必要だったかもしれません。しかし、ワタシは、先生だったのです。自分が勉強してきた理論を捨てることはできません。「青臭いね」と言われても、小沢一郎先生をずっと信じ続けています。勉強して勉強して行きついた先が「国民の生活が第一」であり、今でも、鳩山政権の無念(対米自立を阻まれたこと)を忘れられません。国民を裏切り、日本経済を狂わせたプラザ合意も、日米構造協議も否定します。対米隷属を繰り返す、自民党の政治姿勢をゆるすわけには行きません。


 こうして、ワタシの(ネットによる)言論活動が続いていくのです。でもね、超政治的教員が政治的なブログ(活動当初は個人HP)を続けるって、相当大変なのですよ。「HPは更新が命」とおっしゃった先輩先生方は、どんどんこのITツールを手放していきました。ブログの件では、何遍も校長室に呼ばれてお叱りをうけましたが、一番の理由は政治的発言でした。(他にもあるけれどね)


 次回は、このブログ中断の事件について話します。 














Received — 2024年4月5日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人ネット社会と出会う

著者: tommyjhon
2024年4月5日 05:48
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、本日は新任高校で、始業式&入学式。でも、いつもと違うのは還暦老人再任用ハーフの職員なので仕事が全くないこと。気楽だなあ。
さてと、連載中の「教員人生振り返りの記」


 2001年に母校でもある富士高校に赴任したワタシは、1年生の担任となり百人一首部を任された。百人一首部の大会成績は後回しにして、当時IT革命として一気に広がったネット社会との出会いを書く。
 百人一首部はマイナー競技ゆえ、卒業した先輩方が母校に教えに来たりすることがよくある。その時は、山梨大学にいたS君と都立科学技術大学に在籍していたM君が、よく練習に来てくれた。彼らは大学生ゆえに、このIT社会の発展に敏感で、先生もHPを作って「富士高百人一首部」を全国的に有名にしろと言ってきた。IT初心者のワタシは、自分がHPを作成するなど夢にも思わなかったが、言われるままにホームページビルダーおいうソフトをわざわざ買ってきて、2人の大学生に手ほどきをうけ、ホントに手取り足取り教えられながら、なんとかHPを立ち上げた。トップページにはワタシのかわいい写真とともにカッコいいロゴはM井先輩(この頃21歳前後)に作っていただいた。


 もう、このHPは閉鎖したつもりだったが、トップページは削除されているものの、「毒舌日記」の部分はかろうじて残っていたので、リンクを張っておく。
www2.tokai.or.jp/toyama_k/dokuzetu/dokuzetu1.htm

当時は、プライバシーに関する規制も少なかったので、こういうページも作成していた。
富士高スポーツ (tokai.or.jp)

 みなさんも、少し覗いてください。たぶん、これらはHP立ち上げ3年目の日記だと思います。

 
この日記(↓)のページの8/30の書き込みに“長尾さんのこと”という文章がある。
www2.tokai.or.jp/toyama_k/dokuzetu/do8.htm

過去の自分の文章を読み返すという作業は、本当は恥ずかしいものなのだが、ワタシのネット人生を振り返るうえでは、欠かせない文章である。(残っていてよかった)
勇気を出して、ここに貼り付ける。


ちなみに、ここに登場する長尾さんとは、こういう方である。
前衆議院議員 長尾たかし | 景気にはずみを、暮らしにゆとりを! (tnagaoj.org)



ウィッキを覗くと、
長尾敬 - Wikipedia



<貼り付けはじめ>
8/30(金) 長尾さんのこと


<民主党>大阪14区で新人の長尾敬氏擁立 次期衆院選
 民主党は29日の常任幹事会で、次期衆院選大阪14区で新人の長尾敬氏(39)の擁立を決めた。これにより、同党の衆院選公認候補は191人になった。(毎日新聞)
[8月30日0時31分更新]
 これは、本日のヤフーからの貼り付けである。僕は公立高校教諭であるから、政治活動はできない。僕に出来るのは、友人である長尾さんを紹介することだけだ。
 いま、友人という言葉を使ったが、まったく不思議な縁である。みなさんは友人を分類したことがあるかね?僕の場合、①かるた関係の先輩後輩②仕事上の仲の良い同僚(過去の職場を含む)③出身大学・高校の仲間、以外は存在しなかった。つまり、わりと友達が少ないってことだ。
しかし、ここにインターネットなるものが出現し、新しい出会いが始まった。だいたい「インターネット&出会い」なる言葉から思い浮かぶのかどうみてもいやらしい場面しかないだろう。99%は危険な香りのするアブナイ話になる。でも、この世の中には、それ以外の「出会い」もあるのだ。告白する。
 思い起こせば、昨年の10月頃(だと思う)。某F高の社会科主任のK先生から声をかけられた。「今度、県教育委員会の指導主事が僕と同期採用の先生を引き連れて、某F高に授業見学に来るのだけれど、先生の授業を見せるってことでいい?」と、相談というより半ば哀願された。「しかたがない」というところで引きうけたが、元来目立つことは嫌いではない。せっかく先生方が見るのだから「あっ」と驚く授業をみせてあげましょうと決意した。
 まず、授業の単元を決めなければならない。このような研究授業の場合、教育委員会にあらかじめ授業案を提出することになっているのだ。僕は自分の勉強の意味も含めて「国際関係・日米貿易摩擦」の分野を選んだ。そして、こそこそ勉強した。この「研究授業」なるものの捉え方は本当に人それぞれである。まずは、普段の授業を見ていただいて批評をうけようというタイプ。先生の一斉講義形式にとらわれず生徒の動きをダイナミックにして活動的な授業にしようとするタイプ。理解のしやすさを追求して研究するタイプ。僕は、どちらかというと「ある事象の捉え方に新解釈をつけるタイプ」である。つまり、見ている皆様(生徒を含む)の固定観念をひっくりかえして印象付けさせようとするタイプだ。
そこで、どうやったら新解釈的授業ができるかをずっと研究し、最終的に「プラザ合意」を軸に日米関係を考えてみようということにした。そこで、ヤフーの検索エンジンで「プラザ合意」やら「日米貿易摩擦」やらをキーワードに検索しまくった。。もちろんデータ等は官公庁のHPで取り寄せた。しかし、官公庁の発する文章や、大学の講義録に書かれていた文などを読んでもどうも理解できない。あのような文章からすぐ真実を理解してしまう人こそ秀才と言うのだろうと変な敬意をはらいながらも何かもやもやした気分であった。そんな時に検索に引っかかったのが長尾氏のHP「グローバルネット」である。やけに濃い文を書く人だなと最初の印象をもったのだが、このことをすべてパクってしまえば絶対面白い授業ができるとピンときた。言葉に力があったのだと思う(最終的にはすべてに力のある人であることが判明する)。是非みなさんも検索エンジンで遊んでみて欲しい。例えば「アフガンの真実」なんて言葉で検索すると1ページ目に僕のサイトがでてくるぞ。
 そして、このグローバルネットの主催者の長尾さんには正直なメールを出した。「実のところ、僕は高校教師です。今回、プラザ合意に関して研究授業をやることになり、長尾さんの文章を大いに参考にさせてもらいます」と。するとご丁寧な返信がありその中で自分も教育実習の研究授業で悲惨なめにあったことなどが書かれてあった。
 とりあへず、研究授業は無事終了した。そして僕はこのグローバルネットを「お気に入りに追加」し毎日見るようになる。しかも自分のHPにリンクまでいれてしまった。現在、MYホームページの超お勧めサイトのページには4件のリンクを貼りつけてある。副島隆彦先生、長尾氏、日垣隆先生、玉木正之先生 の4人であるが、現在のところこの4人を先生と呼ぶ。(副島先生の言葉の中に「私は先生を自分で選ぶ」というのがありそれに従っている)
 その後、何度かメールのやりとりがあり、長尾氏のサイトのコラムでも「T教師」として取り上げていただいた。また、このグローバルネットのメーリングリストにも参加した。 
 このメーリングリストに参加したことが、また一つの転機となるのである。実はこのメーリングリストも僕と同じようにネットで知り合った長尾氏を中心と憂国の志の集まりであった。したがって、職業も多種多彩であり、思想的にも左翼から右翼までいる。遠く広島や愛媛にも仲間が居るらしい(本当に一番遠いのはインドネシアだそうだ)。この憂国の志達は時々集まっては酒を酌み交わしているらしいことも判明した。このような集まりのことをオフ会というのだそうだ。これも初めて知った。そして、このメーリングリスト仲間の誰かの発案で史上初の「言論合宿」をやろうということに相成った。史上初と言ったが、今から140年前には頻繁にあった(何のことだかわかる?)。しかし、あと140年後には本当に史上初になるかもしれない。
 さて、その合宿先がなんと大泉村というではないか!!!。憂国の志の幹事長K氏の関係の別荘で行うというではありませんか。なんだ大泉村ならば昔、何回もデートでいったことがある。(本当は2回、すべて今の奥さん)割りと近いではないか。ならば行って見よう。
 そして、このフルベッキ言論合宿(この意味は調べて)に遅刻して現れた長尾氏は「民主党の大阪14区の公認候補として内定した」という信じられない発表をする。実はこの時に初対面である。
 だいたい、一介のサラリーマンが仕事以外にこんな活動をしていることにびっくりした!!!!(長尾氏はやり手の生命保険のセールスマンだった)。その職を辞めてまで政治活動をすることにもびっくりした!!!!!(公務員こそが、終身雇用制にしがみついている度第一位である)選挙権の行使ではなく被選挙権の行使を生で見た瞬間だ。


 この長尾氏とご存知副島隆彦先生がネット上で対決したことがある。(この合宿の前だ)僕のHPのリンク先の隣同士であり僕は毎朝お2人のHPを見てから学校に行くのを日課にしていた。なんと副島先生のコラムの見だしに「長尾敬なる人物」とあるではないか!!!!。なぜだ、
 ようするに長尾氏の文章のなかに副島先生の盗作部分があったのである。そして、僕はすぐにメールをうった。相当な量のメールが来たらしい。長尾氏は即座に謝罪メールをだし、謝罪文をネット上にアップした。逆に副島先生は長尾氏の筆力を評価したみたいだ。
 長尾氏は立候補が内定したことを副島先生に報告した。副島先生はたいそうお喜びになられて長尾氏を食事に誘われた(なんか昔話の偉人伝みたいな記述になってしまった)。この食事会が8/27のことである。長尾氏は僕が副島先生の本を良く読んでいることに気を使ってくれて、この食事会に誘っていただいたのだ。その後は加藤氏のマンションで寝かせてもらった(加藤氏に関しても2回しかあったことがない。それなのに加藤氏の2箇所の住居に宿泊した事になる。不思議な縁だ)


さて、この話、今後どうなることだろう。長尾氏は大阪14区に引っ越した。インターネットのサイトは選挙用の公式サイトになるらしい。応援しようにも何も出来ない。せいぜいアジの干物でも差し入れするくらいだ(必ず送ります。)
 今後の長尾氏の動きは報告されるかもしれないので、差し障りのない話は皆様にできるだろう。


実に不思議な縁だ(長尾氏の口癖)

<貼り付け終わり>


このようにして、ワタシの“超政治的教員”の人生が始まるのである。
ワタシは政治経済を教えているのだが、教員が、政治的な活動に深入りするのは今でもタブーとされている。なぜだろう?虎穴に入らずんば虎子を得ずともいうではないか。法律的には、選挙活動はダメ(教員の中立性)だが政治活動はOK(言論の自由、表現の自由)なのだ。


ブログアップ後、FBを通じて加藤氏から、この大泉合宿の写真を頂きました。記念に貼り付けます。本当にお世話になりました。
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・・・・若いなあ。






Received — 2024年4月4日 tommy先生の「世相を斬る」

緊急声明(川勝平太知事の辞任をうけて)

著者: tommyjhon
2024年4月4日 06:36
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、現在進行中の(いつ終わるかわからない)連載企画「還暦老人教員人生を語る」を休載して、先日辞任を表明した川勝平太静岡県知事に関する件を書きます。直接の原因が、県庁新職員への訓示だったので、4月1日の話となる。したがって、エイプリルフールに間に合わなかったのだが、もし、4月1日以前にこの訓示が行われていたら、ワタシ、Tommyセンセは、「次期知事選に立候補します!!!!!!」という記事をだしていただろう。


 この頃の川勝知事は、舌禍問題で全国的な悪者になってしまっていた。コシヒカリとか今回の訓示とか・・しかしながら、県知事選挙では勝利し続けたように静岡県民にはひそかに愛されていた知事だったように思われる。
今日は、静岡県民として、川勝平太知事の偉業について記す。
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これがリニア新幹線のルートマップである。
 ルート・工事マップ|リニア中央新幹線|JR東海 (jr-central.co.jp)
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貼り付けたのは、ルートマップのスクショ。
ご存じの通り、リニア新幹線は山梨県にある実験線を延伸して東京⇔名古屋間を結ぶ夢の超特急だそうだ。しかしながら、区間の中で、静岡県に停車する駅はない。静岡県は、南アルプスを通過するだけである。
つまり工事中はまだしも、リニアが開通するしたところで、経済効果はゼロである。
東京都にも神奈川にも山梨にも岐阜にも新駅ができるが、静岡県はトンネルが通過するだけの県。
しかも、静岡県は東海道新幹線が貫いているが、「のぞみ」が一本も止まらない“のぞみが通過するだけ”の県でもある。



 そんな静岡県の良識な県民たちの恨みや妬みを代表して、「恨み」「妬み」「怨嗟の声」を、(静岡県生まれでもないのにかかわらず、)県民を代表して発言し続けたのが川勝平太静岡県知事である。
静岡県民は、剛健進取の気風で日本を世界的な工業国に育て上げた逸材を生み続けたが、一般的には温厚で穏やかな県民だ。特に静岡市民は明治時代に朝敵徳川家の最後の将軍を優しく迎えてあげたくらいに優しく、心温かい。
 
 そういう穏やかな県民性が災いし、国とJR東海の無礼に真っ向から反対することが出来なかった。


「リニア通してやるから、のぞみを静岡と浜松に停車させろ」というのが、普通に考えられる取引材料である。もっと激しく、「リニア通してやるから、富士山静岡空港に近い新幹線新駅を作れ」でもいい。
しかしながら、リニア開業に関して、川勝平太知事の宿敵、金子元JR東海社長は、一度も、静岡県民の意見を聞こうともせず、「国が決めたルート」「国が決めた計画」の一点張りだった。
川勝平太知事も、“のぞみ停車”を取引材料として使うことはぜず、水問題と環境破壊を主な対抗理論として戦ってくれた。川勝平太は伝家の宝刀を残してくれたのである。


 水問題と環境破壊は、リニアの掘削工事とは切り離せない大問題である。もし工事中に南アルプス由来の地下水が静岡県にこなくなったら静岡県民はどうなるのか?この件に関しては、JR東海側は、完全な保障(保証も?)ができないでいる。
「こんなもの、掘ってみなければわからないよ」というのがJR東海の本音だ。穏やかで優秀な静岡県民は、それなりにわかっている。県民全体が、「掘ってみないとわからない」とわかっているところを、川勝平太知事は、真っ向から戦ってくれた。「より正確に、より精緻な、予測を提出しろ!!!!」と言って 金子前JR東海社長と戦った。
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(金子の横柄な物腰を、静岡県民は好きでない)


何度も言うが、川勝平太知事は、穏やかな物腰であまり本音を出さない静岡県民の代わりに、国とJR東海にケンカを売ってくれた英雄である。
もちろん、川勝平太知事とて、静岡県の反対でリニアを止めることはもうはや出来ないことは悟っている。
ウィッキには、こんなことも書いてある。


<貼り付け>
2024年3月、JR東海が川勝による静岡区間の事業不認可のために2027年までの開業を延期すると発表すると、「リニアの開業時期が延期され、自分の責任は果たした」として任期途中での知事辞任を発表した。川勝から直接辞任の経緯の説明を受けた議会議長の中沢公彦は、「(JR東海への)嫌がらせが成就したので私の役目は終わったという感じだった。」と述べた。 
<終了、拡大太字はTommyセンセ>


こうやって、物言わない、だけど不満が大きい静岡県民を代表して、無礼なJR東海に対して、盛大な嫌がらせを続けてくれた現代版義民である。


 川勝平太の失言に関しては、もはや「癖」の部類である。ほとんどが、聞いている人々へのリップサービスのようなもので、差別を感じさせるものではあるものの、到底、心底からの発言とは思えない。
それよりも、「のぞみを停車させろ」と一言も言わずに、この嫌がらせを成就させた川勝平太知事に、もっともっと敬意をはらってもいいと思う。


 この頃、暇で、昼間のニュースをよく見るのだが、中央キー局のアナウンスメントと静岡県のローカル局の報道が、似てきたのは許せない。ローカル局ならば、もっと静岡県民側にたって川勝平太知事の“嫌がらせ”を応援しろよ。


 最後に一言、
静岡県がリニアを許可したとはいえ、リニアが開通できるかどうかはわからないよ。
日本には、国道ならぬ、酷道と言われる道が存在する。一番有名なのが、国道152号線だ。
(実は、3日に少しだけ走破してきたのだが、全日土砂降りで、写真を撮らずじまいだった)
(8) 分断国道152号線 浜松→高遠間の車載動画 タイムラプス倍速 各峠、迂回路林道もあり。 【酷道】 - YouTube





リニア新幹線は、この酷道152号線と直交するようにトンネル工事が行われる。日本一の壊れやすい断層地帯を無事に掘削できるのかは、静岡県の水問題と同様に、「掘ってみなければわからない」のだと思う。


2037年開通とか言っているが、リニア新幹線の営業運転は2050年代になると思う。
若者諸君、今、ワタシがこのように書いたことを忘れないでね。








Received — 2024年4月2日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人富士高に転勤する

著者: tommyjhon
2024年4月2日 05:08
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、ブログランキングを二桁(ブロガーの世界も厳しいのよ)に押し上げる久々の大ヒット!!!!!
謹んでお詫び申し上げ、ブログを中止いたします。 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

たった10分くらいで、安直に作った記事の方が、Gopro撮影から初めて編集・Youtube投稿とほぼ半日を費やした、「離任式動画」(還暦老人、離任式のYoutube動画を投稿する : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp))に比べて3倍のヒットを稼ぐというこの日本は、少し間違っているんじゃなかろうか?



 さてと、「還暦老人の教員史を振り返るシリーズ」も第4章に突入する。題して“富士高時代”
2001年、我が人生のITメモリリアルの年である。


 転勤の顛末から。
2000高総文祭静岡大会を静岡県高校かるた専門部の事務局長としてやり遂げたワタシは、もう長泉高校に仕事はない(部活の顧問はかるたの専門家が引き継いでくれた)と感じたワタシは、転勤を決意する。
というのも、部活の先輩で、長泉高校元顧問で、富士高かるた部の顧問であった、嶋先生がなんとその1年前に筑波大学大学院に派遣されて、富士高校は指導者がいない状態だったのだ。
そして、富士高校に勤務していた女房もその少し前に転勤していた。まあ、タイミングとしてはベストな時期だ。
ワタシは、進路課に配属され1年生の教科「現代社会」を担当することになった。


 当時、富士高校の進路課は何かと有名な部署で、ADACHI(アダチ)という進路課長が、静岡県内のみならず全国的にも“熱血的な?高圧的な?強引な?強力な?”進路指導で、ブヒブヒと鼻を鳴らせながら闊歩していた。そのADACHI先生がちょうど退職し、富士高進路課のメンバーもかなり一新されることになった。ちょうど、その時にワタシが転勤したのである。しかし、本格的進学校の進路指導経験はなく、当時はやり始めていた「PCを使ったデータ分析」も出来ず、それほど進路課で重宝されたわけではなかった。もちろん30代半ばの(富士高の教員としては)若手だったので、1年生の担任にもなった。


 富士高という高校は、今までに経験したことのない優秀な才能の集まるところで、ワタシが1年担任として担当したクラスには、のちに東大に進学する英才が2人もいた。1年担任として、一番の難関は「クラス役員決め」である。初めて出会った40人のクラスで、クラス委員長や応援委員会2名など、いろいろなクラス役員を決めなっければなならい。これは当時どこの学校でも同じことで、ワタシは長泉高校時代に“世界一公平な決め方”を編み出していたので、同じパターンで役員決めをすることにした。
その役員決めシステムは、クラス委員長と応援委員が、「クラスで最もやりたくない仕事」であることが大前提になっている。この2つは誰も絶対にやりたがらない、だから・・・・・(これ以上を紙面で説明することは難しいのでやめる)
しかも、富士高校応援委員会は、(ほぼ)静岡県一の凄い応援団で、他の生徒たちからは、先生よりも厚い尊敬と畏敬と信頼を得ていた。そもそも、富士高の先生方は、集会も集合も校歌応援指導も応援団に任せきりだった。
 ところがだ、ワタシのクラスの役員決めは、あっという間に終わってしまった。A君という生徒が、委員長に立候補し、I君という男が応援委員に立候補してくれたのだ。この2人が3年後に現役で東大に進学するのである。
秋葉 宏樹 (Hiroki Akiba) - マイポータル - researchmap

I君も、帝国重工(の本物)で、偉くなっている。


 したがって、「なんちゃって政治経済」しか教えてこなかったワタシは、この富士高時代に徹底して教材研究をすることになる。毎朝、3時頃に起きて5時ごろまでパソコンに向かう日常は、この頃に作られた。また、富士高の職員室でも本ばかり読んでいる人間となった。
 この「パソコン」と「教材研究」の2つがワタシを大きく変えていくことになるが、その話は次回ね。


























Received — 2024年4月1日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人、離任式のYoutube動画を投稿する

著者: tommyjhon
2024年4月1日 08:24
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。 Tommyセンセです。

 実は、エイプリルフールの投稿を超早朝にアップしたのですが、誰にも相手にされません。


 それはそれで面白くないので、次の投稿を早速してしまいます。 令和6年度が始まり、完全に無視されようとしています。
このままでは、まずい!!!!!!


 ということで、先ほどまで頑張って編集作成した(何せ2年ぶり)。Youtube動画をアップします。
おそらく静岡県史上初の「離任式個人向けYoutube動画」のはずです。


 皆さん、10分間。正座して聞きなさい。(見なさい)

謹んでお詫び申し上げ、ブログを中止いたします。

著者: tommyjhon
2024年4月1日 02:19


 関係者の皆さま、Tommyセンセを名乗る男の親族です。
下記のような不祥事が発覚したことを、本日ご報告し、本人に代わって関係者の皆様に大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
つきましては、本人の強い意志により、このブログを中止いたします。2024.4.1




勤務先高校で着替え中の女性盗撮疑い、教員の60歳男を逮捕
2024/3/31 20:15


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静岡県警伊豆中央署


勤務先の伊豆の国市内の県立高校で着替え中の女性を盗撮したとして、静岡県警伊豆中央署は31日、性的姿態撮影処罰法違反(撮影)の疑いで高校教員(60)=富士市=を逮捕した。
署によると、別の容疑者の事件捜査で容疑者が盗撮した動画が見つかり、発覚した。撮影された女性については特定できていないという。

逮捕容疑は昨年10月29日午後7時5分ごろ、校内で着替え中の女性を動画撮影したとしている。県教育委員会は「事実関係を調査し、厳正な処分を検討する」としている。


https://www.chunichi.co.jp/article/863019

Received — 2024年3月28日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人離任式前夜

著者: tommyjhon
2024年3月28日 04:49
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、今日は離任式。したがって、表題の離任式前夜という表現は本当でなく、実際は「離任式夜明け前」
昨日の帰宅ドライブ中、一所懸命に離任式の演説の練習をした。最初のつかみで滑る場合と、妙にウケる場合が想定されるので、基本的には両方練習した。
大丈夫だ、恐れてはいけない。 Fearless だ。


 ワタシが教員となって社会人生活をスタートした頃(1990年前後)、一瞬にして好きになった黒人グループがいる。どの音楽ジャンルに属するのか知らないが、当時からすべてのCDを集めた。
 ネヴィル・ブラザーズという。
そのリーダー、アーロン・ネヴィルのソロで、この曲をワタシの生涯の友としようと勝手に誓ったのが、“FEARLESS ”である。


歌詞のサビは、
We must stand in the light, willing to fightWhatever may come between us and be fearlessWe must be fearlessCounting on help from aboveTrusting the power of loveWe must be fearless, fearless, fearless

の間に何が起ころうと

僕たちは光の中に立ち戦う準備をしなければならない恐<野暮だけど日本語訳>僕たちは光の中に立ち戦う準備をしなければならない恐れてはいけない僕たちは恐れていてはいけないんだ
天からの救いを期待して
愛の力を信じながら
僕たちは恐れていてはいけないんだ
<終了>


 ワタシは、この歌を結婚式の入場の曲にしようと決めた。(まだ、誰と結婚するかは決まっていなかった)そして、事実、この曲で入場した。
だから、この曲で葬送の儀式もしたい。(ワタシは死ぬうことをを恐れていない Fearless  だ)
今日は、離任式だけれど終わりではない。何か新しい刺激の始まりだ。


 楽しく、元気を出して離任するべきなのだ。
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 昨日から本日にかけて、お別れする先生方や生徒たちに配る缶バッジ。
「あれれ、マグネットではないのですね」
と問いかけてきてくれた先生がいた。でもね、マグネットにすると予算オーバーなんです。お餞別で●●円くらい頂き、その想定餞別金額を考えながら、デザイン料と加工料を算出したのです。理解してください(わかってください)。


 もう一品が、「粗品のタオル」日本のご挨拶文化の象徴である粗品のタオルは、今回も作成した。(富士高でも清水東でも作った)
今回は、粗品中の粗品、お風呂のタオルにした。
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正真正銘、温泉旅館でもらうタオルである。


温泉旅館の名前を、“進路の湯”という。温泉名は“伊豆の中央温泉”
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開いてみると、こんな感じになる。
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 伊豆の中央温泉 進路の湯 情報垂れ流し
住所:伊豆の国市寺家1031(トミイ) TEL 0120-117ー184(イイネ いやよ)



とコマーシャル。
裏面は、
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 こんな症状によくききます。
  思春期多感症 受験過敏症 偏差値恐怖症 模試疲れ 先生の無神経 親の過度依存 塾の洗脳 予備校営業過多
  支配人Tommyセンセ




 どうせ生徒会長か誰かが、「先生方のお別れするのは名残惜しいですが・・・・・」なんて挨拶するだろう。
離任式なんて恐れることはない。何かの始まりだ。ワタシは伊豆中央を去るが、代わりの先生はやってくる。4月からは新しい友達と出会うかもしれない。
コナン(未来少年の方だよ)がジムシーと出会った時のように。
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もしかすると、ラナとの出会いもあるかもしれない。
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婚期を逃している女性や男性も、4月になると、モンスリーとダイスのようになるかもしれない。
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 若者たちよ、宮崎駿のスタートは、『未来少年コナン』だよ。
未来少年コナン公式サイト (future-boy-conan.com)

ウィッキより

未来少年コナン - Wikipedia



 正規教員の最後として派遣された伊豆中央高校で、予定通りの最後を迎えることが出来て本当にありがとうございました。
ワタシは、ネット上で、ずっと不滅です。


 じゃあね。
そして、
 Fearless 


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 この頃、家の中が美しくなっている。
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 新しい仲間のサボテン君と、決して安くないお酒。
れてはいけない
僕たちは恐れていてはいけないんだ
天からの救いを期待して
愛の力を信じながら
僕たちは恐れていてはいけないんだ
Received — 2024年3月27日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人教科指導を振り返る

著者: tommyjhon
2024年3月27日 05:57
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、今日は身辺整理で出勤、明日が離任式。(卒業生の皆さん、缶バッジあげるから来てね)


 さてと、好評連載中の教員人生を振り返るの記、本日が2000年近辺で、長泉高校の終わりとなる。今日は、教科指導の話。
ワタシは、静岡大学人文学部社会学科社会心理コースを卒業した。世間からは、「就職に使えないコース」と言われ、実社会ではほとんど意味のない勉強(細かく言えば正しいと思う)をしていた。かろうじて、教職課程を履修し、「可」ばかりであったが単位はそろえてあったので、高校二級免除を、ギリギリで獲得することができた。
 当時お付き合いしていた女の子(教育学部の美人)から、「トミィ、スパイとか探偵とか、空想的なことばかり言ってないで、ワタシみたいにちゃんと先生になったら結婚してあげる」とそそのかされたことが原因で、少し真面目に教職員採用試験に臨んだ。教職採用試験なんて、4月から7月まで真剣に勉強すれば合格できるのさ。
 そういう不真面目なモチベーションだったので、受験科目である「政治経済」など本気で理解しているわけではなかった。なぜ、合格したのだろう??????
ちなみに、その女の子には、2月5日にフラれる。「結婚してあげる・・・・・」といったのは何だったのか?


 さあ、その「政治経済」ではあるが、2000年代までは完全に“社会科”の亜流であって、教科の序列で言えば家庭科の次で保健の前、くらいの重要度だった。この教科序列というのを先生方はあまり教えない。自分の仕事に直結し、いわゆる“沽券にかかわる”からである。
<意味の注釈>
男の沽券(こけん)にかかわる、などといったりしますが、意味は評判や品位、体面に差し障りがあること、プライドが傷つくこと。 沽券は売り券ともいい、平安中期から土地や家屋、諸権利の売買の際に用いられた売り渡し証文のことです。

<以上、Google検索>


 教科の序列を、中学生段階では、「国語数学英語理科社会」の5教科をフラットに教える、「音楽技術家庭科体育」が実技4教科だ。でも、本気で学問としての重要度、受験科目としての重要度で教科序列を作ると、①数学②英語③理科④国語(古典)⑤社会 である。数学もしくは英語ができければ大学生になれない。日本の若者は、中学生の時に、5教科の重要度はフラットだと教えられる(だって内申点に差がない)が、高校生になると、急に①に数学②に英語・・・・③④がなくて⑤が国語(もしくは理科)となる。なぜだろう?
 その一つの答えが、中学校における教員の分離区分にある。中学教員を文理でわけると、数学と理科(かろうじて技術)だけが理系で、国語、英語、社会、体育、芸術、家庭科、が文系である。したがって、中学校では、理系だった先生が圧倒的に少ない。つまり、「理系が本当の学問なのだ」と教える先生が圧倒的に少ない。これはおかしい。


 その教科の序列を高校での現実を見て格付けするならば、「政治経済」は家庭科よりは下だが「保健」よりは上、くらいの重要なのだ。その理由は 「センター試験」と私大受験にあった。2000年当時、センター試験は5教科5科目が必修で、国語、数学、理科、社会、英語の中から1科目ずつ受験すればよかった。よって、満点は700点(数学1科目の場合)か800点満点だった。文系私大では、国・英・社(歴史)が当たり前で、政治経済(当時の呼び名で現代社会)は必要てなかった。
ワタシもこの流行に勝てず、1990年代、沼商でも長泉高校でも、世界史を主に教えていた。政治経済(科目名は「現代社会」)一般教養科目だったのである。


 受験に関係ない「一般教養科目」だったので、誰からも注目されずに勝手な授業をしていた。もちろん、生徒にとって有意義な授業は目指していた。気になったのは、「英語」である。これは絶対の受験科目で日本人が一番苦手なところだ。でも、高校生は英語の勉強を英語の時間でしかしていない。それは、日本語がとても精緻で中国3000年の歴史のある漢字を上手に取り入れたから、日本語だけですべてが解釈できてしまうからである。聞くところによると、今中国で使われている熟語(漢字の組み合わせ語)の70%は明治時代以来の日本語由来の熟語だそうだ。理系の論文を書ける言語は、英語と日本語だけかもしれない。
だから、日本人は英語が苦手である。
 一般教養科目として、教科「現代社会」で取り組んだのが、英語で政治経済を教えることである。
①日本国憲法は英語でやった。(だって、GHQが作ったのだから、原文は英語でしょ)
②英語のテキストを使った。
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この本は、英語で日本のあらゆる事象を英語圏の人に教えるために作られた、日英対訳の本である。この「日本政治」や「日本経済」の部分をテキストとして使って授業をした。
③時には、英語入試問題から英文を持ってきた。


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これこれ、 この中には、世界情勢をズバリ捉えた秀逸な文章が多い。
④ ALT(学校にいるネイティブの先生)とチームチーチングを組んだ。母国の政治や経済の英語で語ってもらい、ワタシ達(ALTとワタシ)が英語&日本語で語り合う。
というような生徒にとっては大迷惑の授業をどうどうと取り入れた。(誰も怒らなかったよ。)



したがって、
①ワタシのクラスにリントンラスジン君が所属した。(彼は留学生として競技かるた初段をゲットした、)
②「国際理解」という学校独自科目を任されることになった。(教科書も共同執筆したぜ)
③国際コースの担任もやった。
④教科の研究会にことあるごとに呼ばれた。
ということになった。



 しかし、英語で授業をやったからアメリカが好きだったわけではなく、だんだん大人になる(先生も大人になるのだ)につれて、右翼志向から転向し、戦後60年の隷属的な日本の地位を憂うようになり、日本政治や日本経済を深く研究するようになっていく。
右翼=天皇陛下万歳=自民党=アメリカ隷従路線 という歪んだ構図に、統一教会が深く入り込んでいることがやっと世間にさらされて嬉しかったなあ(昨年は)
1985年の日航ジャンボ機墜落事件、1985年のプラザ合意、1991年ころからの日米構造協議、日米包括経済協議、日本の金融危機、
調べれば調べるほど、「政治経済の教員」として、“このままでいいのか”という思いが募ってきた。


 2001年4月、ワタシは長泉高校を離れ、母校、富士高校に赴任することなる。
“このままでいいのか” の思いが大爆発するのが、母校富士高での大きな出会いである。 
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