ノーマルビュー

Received — 2024年5月27日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人教員生活を振り返るの記最終章2

著者: tommyjhon
2024年5月27日 05:34
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、伊豆中央高校の進路課長時代の話。


その前に、公式インスタを張り付け。
#伊豆中央高校 - Instagram | ハッシュタグ(どこかで見覚えのあるイラストだ)
今週末は、6/1(土)伊豆中央の清流際、6月2日(日)富士高の富嶽祭と、文化祭のはしご。自動2輪の駐車スペースを空けといてね。


 さて、伊豆中央高校の進路課長を任されて2年間。一番苦労したのは、7月に開催される「きらめきフォーラム」というキャリア教育イベントである。どこの学校でもあるようで、高校生が仕事体験をしたり、実社会で活躍している先輩方(OBでなくても可)の話を聞くイベント。「きらめきフォーラム」の始まった当初は、近所のイベントホールに全員集合させて、話し上手な社会人の先輩方(議員さんや、商工会の人とか)を数人呼んでの座談会形式だったそうだが、コロナ禍で全員集合が出来ず、ワタシが引き継いだ時には、社会人の方を10人ほど集めて各教室で講話や体験をやってもらう、という形式に変化していた。この形は、イベントホールでの開催よりも、はるかに講師との距離が近く、講師さんの生き方も十人十色でバリエーションが付きそうだ。生徒たちも飽きることはないだろう。
 この10人の人選を進路課長が任される形式になっている。毎年、同じ方々をお招きするわけにはいかない。(謝礼はほぼ交通費だし)最初の年は、半分ほどは前年に引き継いでお願いし、半分ほどを自力で探した。前年度から引き継いでお願いした方の代表は、リモートワークをしている方々である。社会人の中で「ワタシはIT関係の仕事をしている」と自己紹介をする方は多いが、ワタシ達はその実際をほとんど知らない。生徒たちも、「情報学部」への希望がやたらに多い。(ここ数年で偏差値が5ポイント上がった)このIT関係の仕事って毎日何しているの?という素朴な疑問にお答えしてもらう企画である。これは生徒たちのキャリア教育とマッチしている。(自画自賛、ほとんど前任進路課長の功績)
 そして、伊豆半島は、移住希望で全国上位にランクインされる風光明媚な土地で、移住希望者にとっては、「移住候補地の渋谷」あるらしい。そうやって、外部から人気のある伊豆半島で、実際に企業したり、新しい街づくりを目指す人達にも続けてお越しいただいた。
例えば
しずおかの原石 – 荒武優希さん「合同会社so-an」代表社員 – アーツカウンシルしずおか ARTS COUNCIL SHIZUOKA (artscouncil-shizuoka.jp)

例えば
NPOと企業の協働やCSRアドバイス、プランニング - NPOサプライズ 伊豆サテライトオフィス (surprizu2012.jp)

 それでも、なかなか10人は埋まらない。
もう、こうなればやけくそで、SNSを頼りにするしかない。
SNSで探し出したのが、
まゆ|伊豆の歴史系ガイド(@mayu_egawatei)さん / X (twitter.com)

(突然メールして、内定をとりつけた)
また、旧生徒で名乗り出てくれたのが、今や予約が取れないメンタルトレーナーになってしまった。宇佐美円香さん。
宇佐美円香(うさみまどか) lit.link(リットリンク)

など。


これで、1年目を何とか乗り切ったが、進路課長最終年(教員生活最終年)もこの「人集め地獄」は続き、
よりSNS頼み、個人的つながり頼みの綱渡りだった。
「余白」を楽しむ長泉町のコワーキングスペース!学生やアーティストの交流で活気を | 静岡県関係人口情報サイト SHIZUOKA YELL STATION (shizuoka-yellstation.com)

の山田さんは、前進路課長のK先生が見つけてくれた。(たまたま、伊豆中央のOBだった)


会社概要 - ON THE WALL 株式会社オンザウォール

社長の村上哲之介君は、長泉時代の百人一首部繋がり(妹を教えていた)


駅弁ライターの望月さんは、取材も兼ねて東京から来てもらった。(昔、一度会っただけの富士高OBである、ラジオの仕事もしているのね)
駅弁ブログ ライター望月の駅弁いい気分 (ameblo.jp)



と、1年目も2年目もやっとのことで、人材を捜し歩き、何とか「きらめきフォーラム」を繋ぐことが出来た。


 他の先生方を見てみると、案外SNS嫌いな方も多い。まあそうだろう。高校では、「正しいスマホの使い方講座」みたいなとくべつ授業を毎年開催していたり、“昼休みスマホ禁止ルール”や“登校したら電源を切るルール”などが今でもある。ただ、授業中、スマホを使うなどはもってのほかだが、情報収集のツールにこれほど便利なものはない。そして、SNSスタイルでは、「何かの情報を得る代わりに、自分も発信して相互に楽しむべきだ」という暗黙の了解もあるので、先生という堅苦しい職業であってもSNSは繋いでおくべきだと思う。
(SNSを使った男女関係系の不祥事も後をたたないが、これはSNSが悪いのではなく、SNAだと発覚しやすいからだとも言える)
 ワタシは、SNSで随分仕事が楽になっている。


 伊豆中央高校の進路課長を退いて、ホントに“ホッとしている”のは、この仕事がなくなったからだ。(現、進路課長O先生、今年はよろしくお願いいたします)
この7月の「きらめきフォーラム」が終わると、仕事は一気に受験体制へと突き進んでいく。


それは次回。










Received — 2024年5月24日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人、教員人生を振り返る最終章

著者: tommyjhon
2024年5月24日 06:02
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、この「教員生活を振り返るの記」も最終章に突入。
2022年4月、なんと伊豆中央高校の進路課長となってしまった。理由は、転勤したてのワタシをバレーボール部や進路課で拾ってくれて爺(ジジイ)の面倒を見てくれた、K先生が静岡県内の研修所に引き抜かれたことだった。彼はワタシよりも20歳若く、若手人材登用という名目の元で数年間進路課長として苦労されていた(でも頼りになったのだよ)。まあ、コロナと急激な制度改革の中で相当な仕事量だったと思う。薄々気が付いていたことだが、某IC高校は、若手教員と牢名主教員だけがいるような学校で決して教員間の意思疎通が十分とは言えなかった。しかしながら、若手教員のスキルは相当なものでICTの活用に関しても、かなり先取りしていた。
 そんな学校で残り2年間、進路課長をやれ、という。
小説っぽくかけば、当時の管理職は、K先生の転勤がキッカケとはいえ、ワタシの死に場所を作ってくれたのだと思う。戦艦武蔵のように滅びたくはないが、戦艦大和のような最後ならば納得がいく。残り2年間、あなたに十分なポストを用意してあげるから、しっかり任務を全うして往生しなさい。というメッセージを頂いたのだと解釈した。
 だけどね、転勤して2年目で、今度は卒業生を出した経験もないところで、いきなりの要職はキツイ。「制度、仕組み、物品のある場所、フォルダ、公文書の場所」、それらを理解するところから始まった。若い教員から質問されることも多いのだが、「知らない」では済まされない。とりあへず知っているふりをしてその場をしのぎ、そこから一生懸命に調べることもあった。
 ただし、某IC高校は大学への進学率がぼぼ100%の学校である。その点に関しては同じ仕事であるので、前の勤務校や前々の勤務校と最終目標は同じだ。一般に某IC高校は地域3番手の進学校だといわれている。地域一番手は某N高校で、それは自他ともに認めるところである。次点が某M北高校という元女子高である。この某M北高校が気に入らない(関係者の皆さまごめんなさい)。なにせ、三島駅から歩いて3分という恵まれた場所に位置し、ただそれだけの理由で生徒集めが出来る。某IC高校は、この3校では一番南に位置する学校であって、伊豆半島の中で、「南」という位置感覚は、それだけ田舎であることと同義だ。おりしも日本全体が急激な人口減少中で、若者の人口が激減する中、伊豆半島も例外ではなく、例え、「逃げるは恥だが役に立つ」で全国的に有名になった伊豆箱根鉄道があるといえども、そこで生活する人々は増えていない。




そんな場所に位置するのだから、某IC高校に、“出来る連中”が集まってくるわけではない。しかし、某IC高校の卒業生たちは、地道に努力を重ね、地域では「まじめで礼儀正しく、いつも一生懸命努力する誠実な校風」という評判を得てきた。
 きっと、しっかり勉強しろ!!!!! という𠮟咤激励を続ければ、それなりの進路には合格できるだろう。


 ただし、「しっかり勉強させる」だけでは、退職まであと2年という人間として不満足だ。
そうしてたどり着いた結論は。「ゼロシーリング(天井を設けない)」。(当時は使っていない言葉だけども)
 某IC高校では、先生も生徒も、進学に関する志が低かった。それはそうだ、過去の進学実績を見てもそれほどの難関校には行けていない。国公立大学の合格実績は50人(25%)そこそこである。(進路課長になる前年は、その25%を切っていて、あまり出来ない学年だった)。しかし、長い間、進路関係の仕事をしてきて、よくわかった事実は、(露骨にいうけど)「出来ない奴は出来ない」のである。
今まで、某F高や某S水東高で勤務していたけれど、どうみても出来ない奴は出来ない。出来ないけど、高3になって急激に伸びた奴は、高1の時には出来て、それから怠け続けた奴であって、最初から出来ない奴はいつまでたっても出来ない。どこの高校でも、静岡県はきれいに輪切りにされて入学するから、入学時の学力はほぼ同じである。
しかし、受験期になると、どうしても埋まらない差がついている。これって何だろう。
 それは、順位付けと関係がある。とワタシは結論付けている。人間は、生物学的(つまりは本能的に)に、「獲得することよりも失うことを異常に嫌う。」「自分の地位を維持する時は、極めて執念深い」逆に「獲得できない獲物を、獲得することにはそれほど興味がない」というものだ。それは、原始人として何千年も生きている間に形成されたDNAだと思う。


 例えば、岸田首相。
国民の皆さま、岸田文雄なる政治家を注目していましたか?日本の歴代内閣で若いころからいろいろな大臣を経験していたが、最初から首相候補として期待されていることはなかった。菅の退陣によって、むしろ棚から牡丹餅みたいな感じで一気に総理大臣になった。国民、そして自分自身も、総理大臣になる(なるべきだ)と考えていなかっただろう。そして、今のような不人気である。普通ならば、辞めちゃう。でも、彼は総理大臣の地位にとことん執着している。かれだけではない、総理大臣って、どれだけ人気がなくても徹底的に執着するものである。歴代総理を見ても、辞任表明は、周りの人間の支持を失った(つまり、明らかに再選できない)からで、支持率が低ければひくいほど総理大事に執着する。
つまり、「総理になることは目標ではない」が、「総理になると、一日でも長くその地位に執着する」のだ(人間すべて)。


 高校生は、「自分が一番」だと思う奴ほど勉強する。「自分はダメ」と思った時点でやらなくなる。つまりは自己肯定感のみが、人間を伸ばすのである。なので、高校を楽しく過ごすには、高校1年生1学期の時点で、成績上位にはいることが絶対に重要で、そうなったら、「成績上位」の地位を失わないように勝手に努力してくれる。
どこの高校でも成績1番の奴が一番勉強するのである。
 勉強したから成績がいい、のではなく、成績がいいから勉強する、のだ。


 某IC高校に赴任して、パッと理解したのは、「先生方が、出来ない生徒を出来るようにしようとかなりのエネルギーを使っている」ことである。様々な先生像ってのがあって、出来ない奴を手厚く面倒を見ることができる先生は、とってもいい先生である。だけど、それは決して結実しない。特に、学校全体の進路指導って仕事は、学校全体の底上げであって、そのためには、「トップの生徒がどこまで頑張れるか?」「実績を残すのか?」という結果が一番重要だ。
 進路課長2年間の結果で、某IC高校は、旧帝大に合格者を出すことが出来た。(ワタシの仕事は、受けさせたことだけ)あと数年、某IC高校の生徒も先生方も、「IC 高校の成績上位者は、旧帝大を狙える」と思うに違いない。これが「底上げ」というのであって、成績下位者を減らすことではない。


 次回に続きます。
 
 














Received — 2024年5月22日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人、今後の資産ポートフォリオを考える(給料日の次の日なので)

著者: tommyjhon
2024年5月22日 05:41
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、今日は5月22日、昨日が給料日でした。現金受給額は約16万円(住民税抜き)です。これが60歳~65歳の年金を頂けない(しっかり払っているのに、受給年齢が引き上げられた空白の5年間)教員が、再雇用された形で受け取る金額です。
生活費としては、ギリギリでした。遊びに使った額をのぞけば、AUカードで引き落とされる額と通信費、保険料などを差し引くと、それほど残っていない。
なんで、16万円なのか?
 実は、この16万円というのが、65歳から支給される厚生年金の受給額とぴったり一致しています。
【厚生年金】40年間の平均年収が「約526万円」だった会社員は老後に年金をいくら受け取れる?(LIMO) - Yahoo!ニュース

ここには、厚生年金月額(大切なのは、この金額に国民基礎年金が含まれているということ)は約16万3千円とはっきり書かれています。
要するに、もう60歳以上の老人には、月々16万円しかあげないから、何とかそれで生活しろ!!!!!という日本政府からの強いメッセージなのですね。
 ならば、つい最近、いただいた退職金(2000万円をやや超える金額)を何とかうまく利用して、老後を安心して暮らせるようにしたい。と思うのは当然の成り行きで、只今これからの資産のポートフォリオを組むために日夜研究中。大雑把な目標は、月額16万を生活費として考え、今ある資産(ほとんど退職金)を上手に運用して月々のお遊びお小遣いを稼ぐ、というものです。自動車もあと一台は買い替えるでしょうし、家のリフォームも必要ですから・・・・・


 この驀進し続けるインフレの世の中、どんどん資産価値(現金)は目減りしていきます。つい数年前は、老後は信州八ヶ岳の麓に中古別荘でも買って、時々リゾートバイトでもしながらお気楽に暮らそうと思っていた。(今でも、リゾート専門の不動産屋から、ダイレクトメールがやってくる)でも、このインフレによって、リフォーム代も急上昇し、どうやら中古別荘は、「買うだけ無駄」になりそうです。他にいい方法はないかなあ????


 ちなみに、生命保険も必要経費としては重要で、月収が40万円を軽く超えていた時代では、「一晩で飲んでしまう程度のお金」だったので、明細など見向きもしなかったのですが、月額16万円生活となると、案外の大きい出費。実は、退職後にいち早く相談したのは、この生命保険でした。ワタシの生命保険は、しつこいコマーシャルをしていない、名前とはうらはらな堅実生保(S●●Y生命という)で、相談したところ、「お客様の生命保険は、今年の10月で満期を迎え、もうこれ以上は払い込みをいたしません。しかも、掛捨てタイプではないので、掛金を払わなくても、今後、一生、死ぬまで保証されます」というものだった。つまり、もう完璧に、死ぬ際は●00万円が確定されることになった。●00万円あれば、立派なお葬式が挙げられる。ちなみに、今、「小さなお葬式」が大流行していて、儲からなくなった一軒家のレストラン(駐車場が広いことが大前提)が、家族葬チェーン店に衣替えしているのだけれど、あれはあれで考えものである。例えば、今ワタシが死ねば、生前の顔が利くので相当額の香典が集まる。もしかしたら、葬式で儲かるかもよ(ご遺族に向かって言っている)。
 なので、満期を迎える今年の10月以降は、生命保険を払い込む必要はない。(この生保に誘ってくれた加藤様、ありがとうございました。)


 株? 株もやりますよ。(やってます、ではなく、やります)
というのは、この前の管理職面談で、ワタシに求められるものの一つに、「生徒に金融教育をしてほしい」という要望があったのです。信条として、「知らないことは、生徒に教えてあげられない」。「地歴公民」の教員としての矜持は、ポジティズム(実際に行ってみて、手に取ってみて、やってみて、結論をだす)だ。
今まで、精神的余裕も、金銭的余裕も、時間的余裕もなかったので、「株投資」だけはやらなかったのだが、ここまで言われれば、やらざるを得ない。これから夏休みにかけて、少額投資(ミニ株)が充実しているネット証券を探し出し、証券口座を開設し(まずは、●00万から、●には競技かるたで使用する札の数が入ります)、株の売買を「授業中にやる」という実験授業をやってみようと思っている。ワタシには、これ以上の金融教育は思いつかない。もちろん、株式以外の商品も教えるけれど、FX取引と投資信託は絶対に扱わない!!!!!!。(ワタシの関係者を不幸のどん底に陥れたくないので)。
 さて、ここからは公開募集です。ワタシにネット証券の取引の初歩の初歩を教えてくれる人、誰かいませんか?イメージとしては、初めてパソコンを使うようになった老人に手取り足取り教えてあげる出張サービスみたいなものです。例えば、休日にどこかのファミレスでワタシのパソコンをいじりながら、株取引の童貞を捨てさせてくれるような感じです(もちろん、男性で可、プロでもアマチュアでも可、専門家ぶって偉そうな態度をとる奴は不可)。
 火、金以外は案外と暇ですので、東海道線沿線ならばどこへでも伺います。 


これ、本気の提案です。立候補してくださる方は、様々なSNSで気軽に声をかけてください。
Received — 2024年5月21日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人伊豆中に転勤する

著者: tommyjhon
2024年5月21日 05:42
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、一回休載のこの「教員生活を振り返るの記」を再開します。


 2021年の春、清水東高校を離れ伊豆中央高校に転勤となった。
どうしても、転勤したかったワタシは、「転勤させてくれるのなら、どこでもいい。単身赴任も辞さない」と当時の校長先生に伝えていた。65歳定年制が段階的に導入されそうで、残り3年の任期は伸びそうだったが、当時は今ほど腰の具合も悪くなく物価高もそれほどでもないので、校長には、大丈夫です3年間勤めあげたら教員生活にピリオドを打ち、他の仕事でもやります。と答えた。精神的な負担も大きい、この仕事を4年も5年も続ける気力は残っていなかった。


 「単身赴任も辞さない」と伝えたのだがそれはそれで不憫に思ったのか、校長先生は、次の面談で、「外山センセ、通勤圏内を教えて欲しい、どこまでなら通勤が可能か?」と質問してこられた。ワタシは、「そうですね、伊豆中央高校が限界でしょうね」とそれほど深い意味もなく答えた。沼津商業高校(駿東郡清水町)や旧長泉高校(駿東郡長泉町)での勤務経験があったので、駿東郡、三島市、田方郡の土地感覚は理解していた。伊豆中央高校近辺ならば十分通勤できる。


 この発言がきっかけで、伊豆中央高校に決まったようなものだ。
伊豆中央高校は進学校である。ただ、付近に韮山高校や三島北高校も並立しているので、特別な俊英が集まるわけではないが、ほぼ全員が大学進学を目的に入学してくる。また、歴史も案外古くワタシが高校入学した昭和54年に開校した。卒業生は、地元に戻って働く割合が高く、市役所とか教員、警察消防などの公務員として働いているOBOGがうじゃうじゃいる(実感としてわかった)。
ただし、日本全体、伊豆半島、両方の現状の影響をもろにうけて人口減少が極度に進み、転勤したときは5クラス、今は4クラスしか募集していない。また、伝統的に部活動が盛んで、運動部・文化部とも一生懸命に活動している。


 そんな高校に転勤してみて、初めて気づいた。「この学校で僕の居場所を見つけるのは結構大変なことだ」と。トップ進学校ではないので、今までの進路指導のノウハウがそのまま生かせることはない。部活動は盛んだといっても、特殊な部活動しか指導できないワタシが正顧問になることはない。
また、新学習指導要領の完全に体得したわけではないので、ICT教材や「協同的な学び」の実践も中途半端だ。などなど、
このワタシを拾ってくれたのは、転勤当時の進路課長であったK先生である。男子バレー部の副顧問として使ってくれたり、進路課の一員として混ぜてくれたりした。聞けば私より20歳も若いという。つまり当時は38歳。傍から見ても大変そうである。進路課長という職は、半ば強引に「あれをやってくれ!!!!!」と指示することがある。周りが年上の先輩ばかりだとそう簡単に出来ない。


 したがって、転勤1年目は、1年生の副担任で男子バレーボール部の副顧問、進路課、という軽いポジションでのスタートとなった。伊豆中央高校の1年生を担当し、感慨深くもあり危機感も感じたことが、生徒が英国数理社の5教科をあまりにもフラットに考えていたことである。今までの20年間の勤務校では、「予習復習は英数国中心、理社は3年生になってから慌てる」という高校生作法があまりにも一般的だったので、ワタシとしても、1年の担当となった時には受験意識も全く植えつけず、復習させる感覚もなく、テスト作り工学(テクノロジー)も特殊なものだった。富士高校や清水東高校で用いた1年生のテスト作り工学の基本設計は、以下のようにしておいた。
①授業中は、考えさせるテーマを重視する
②授業の復習さえすればテストができるなんていう甘いテストは作らない。
③テストの時間は60分間、みっちり考えさせる。
④テスト時間中、頭脳をフル回転させて、今までの知識をすべて出し尽くして、やっと解答できるようなテストが理想だ。
⑤細かな知識は3年で十分だ。
⑥だって、勉強の中心は英数国だもの。
清水東高校から転勤するとき、実に多くのメッセージをいろんな形(色紙、カード、口頭)で生徒からいただいた。その中で、涙を流して喜びかつ感激したフレーズは次のようなことである。「センセ、お世話になりました。センセの授業やテストは、なんか他の教科で使う脳みそとは違う場所を使っているような気がして、難しくもありましたがとっても楽しかったです・・・」

 
 ところがだ、このような天邪鬼的な思考は、真面目で素直な伊豆中央の生徒には受け入れられないかった。特に1年生は、中学校の影響をもろにうけていて、テスト勉強は英数国理社の5教科をフラットに勉強するべきだと思い込んでいた。「イヤイヤ違うのよ、英語・古典・数学(特に英数)に相当な時間と体力を賭けなければダメよ、地歴公民(ワタシの担当教科)なんて、余力で十分。」などという助言は聞き入れてくれんかった。高校で特別に出来る人間は、「初出の問題にファイトが湧く」のだが、真面目で普通に勉強する人間は、「初出の問題を拒否する」のであった。
 しかし、考えてみれば、授業に関してこれほど悩むということは、他の仕事はあまりないと同じことである。
副顧問・副担任を満喫していたら、なんと、痛風にか罹ってしまった。交通事故もちょっとあったり、腰痛も悪化したり、この痛風そうどうなどがあり、1年目で精神的には楽をしたのだが、身体的には老化現象がどんどん進展していった。


 こんな1年を過ごした春、例の「1年副担任をやらせてもらうと次の年に超大変な仕事が回ってくる」の法則と、「お前がウンと言わないと、次の人事が決められないよ」の命令が、同時に降りかかってきた。当時、家族の近親者がコロナに罹患し、自宅待機であって、久しぶりに出勤した途端、この法則が発動されたのだ。
Received — 2024年5月20日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人雨を恨む

著者: tommyjhon
2024年5月20日 08:40
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

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 ということで、本日の朝飯。ここのホテルは朝飯でも、【マイ舟盛り】が出来る。
再任用ハーフ職員は週4の勤務が可能(やりたければ週3も出来る)なので、月曜日を休日にした。月曜日の朝をリゾートホテル(本当のこのバイキングで経営を立て直した老舗観光ホテル)で迎えるなんて!!!!!! 贅沢な身分だぜ!!!!!
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 本当ならば、このルートをクロスカブ110君と一緒に回るはずだったけど、昨日から今日の雨で断念。これほど雨が恨めしいと思ったことはない。昨年の8月にバイクの免許をとって、初めてのツーリング旅行だったのに・・・・・・・・・・・・(T_T)


 でも、せっかく予約したホテルをキャンセルするのもつまらないので、久しぶりに整備工場から帰還したヤリスクロス君でドライブとなった。
【公式】伊豆下田家族旅行でバイキングを楽しむ温泉宿「下田聚楽ホテル」 (jyuraku.com)

ここのホテルの自慢は「海鮮浜焼きバイキング」なので、
誰にも遠慮せず、大好きな貝類を気持ち悪くなるまで食べた。


 とりあへず
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追加
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追加
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残骸↓
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この後に、一人焼き肉で、もっと気持ち悪く最後は最後はデザート。
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さあ、大谷さんのサヨナラヒットも見たことだし、帰るとしよう。
でもね、今日は伊豆中には寄らないよ。


 5月末の清流祭には行きます。


Received — 2024年5月19日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人コロナと戦う(清水東も転勤します)

著者: tommyjhon
2024年5月19日 06:48
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。

 ということで、本日はプチ一人旅。本当はクロスカブでツーリングとしていきたかったのだけれど、明日が100%雨予報なので、残念ながらの自家用車使用。明日のブログをお楽しみにね(再任用ハーフ教員は月曜日が休みなんです)
 ならば、絶好のツーリング日和であった土曜日は
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 山岳集落みたいな所に迷い込んでしまった。気を取り直して目的地へ。
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・・・到着。信用金庫の営業バイクみたいなのが、愛車。
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定番の蒙古タンメンを
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完食。


・・・・やっぱり山梨が好き。


さて、
清水東高校で進路課長をやり始めた1年目の冬、何か中国の武漢で恐ろし気な新型ウィルスが人殺しをしているという情報が世界中を恐怖に陥れた。
この新型コロナウィルス、なぜ中国の武漢スタートなのか?、一体どこから忍び込んだのか?、どうして人間が罹患したのか? いまだに判然としない。ワタシは、アメリカ軍の新型生物兵器である説
新型コロナウイルスの“起源”特定できず 米情報機関の報告書公開 全機関が「生物兵器ではない」評価|TBS NEWS DIG (youtube.com)

が、真説だろうと疑ってます。(アメリカ情報機関の公式報告が一番疑わしい)


今、振り返ってみると、このセオリーたけは正しかった。
#新型コロナウイルス #弱毒化 #エラーカタストロフの限界 (andoc-clinic.com)

“エラーカタストロフ”というらしい。
<コピッペ>
ウイルスにとって一番理想的な状態は、「感染力は強いけど、致死率は低い」と言えます。新型コロナウイルスは変異しやすいRNAウイルスですので、そういったベストな状態になりやすい(=弱毒化しやすい)と考えられます。

<コピッペ終了>


 さすがに、2019年冬から2020年の夏くらいは、日本中が恐怖のど真ん中にいた。
2019年の大学入試はそれほど影響がなかったものの、3月にコメディアンの志村けんがウィルス感染による肺炎で亡くなったころから、日本中ビビり始め、学校は入学式と始業式を終えた直後からロックダウンに入って行った。
 各地、各学校で多くの代替授業が試みられたものの、それほど効果を上げたという報告はされず、やっぱり学校生活は、学校でこそ成り立つものだと改めて確信した。特に、厳しかったのは、小中学校が同時にロックダウンしたため、子育て中の教員がはとんど学校で勤務できなかったことである。例えZoomという機能があるにせよ、教員が学校にこられないのだから進展はしない。
 
 そしてワタシは、立場上、「大学入試はどうなるのですか」という質問を5分に1回くらいはうけていた。ロックダウン中ずっと学校で勤務はしていたけれど、それはずっと学校で情報収集していたからである。
 予備校からの情報、各大学からの憶測、有名ジャーナリスト達の見込み、などなど・・・・こういう事態になったときは、文部科学省は、絶対に声をあげない。確定するまで絶対に情報を漏らさない。
 
 自分なりに情報を集めて出した予測は、「センター試験を3月に行い、国公立大学の個別試験を4月、合格発表をGW前、私立の入試も3月」というものだった。
なぜならば、学校のロックダウンが4月~6月の3か月だったので、それくらい遅らせなければ間に合わないと思ったからだ。大学は、5月からスタートしても1年生のカリキュラムはこなせるはずである。
 政治家の中には、ここで一気に9月入学を主張した奴(たぶん欧米かぶれ)もいたが、最終的には無視された。
ところが、この目論見は完全に外れ、このコロナパニックの中でも、大学入試は通常通りやるとの(1学期中に)発表があった。
大学側はどうしても4月からのスタートにこだわりたいらしい。これはこれで一つの高い見識だと思う。しかし、日本の学校の中で一番「コロナにビビっていた」のは大学である。遠隔の授業が一番長く続いたのも大学だ。なぜだろう?
 大学入試が通常通りの日程で行われることで、進路課長の仕事はコロナに関しては(ほとんど)なくなった。忙しくなったのは教務的なことで、高校生はロックダウンのおかげで、夏休みがたった1週間になってしまった。(決して正しい選択だとは思っていない)



 ワタシ的な思い出話を一つ、
 その頃、どう見ても非科学的な「自粛警察」なる者たちが跋扈していた。ロックダウン中は、県外への異動か禁止だった。
我が家からは、1時間あれば、お隣の山梨県に行かれる。そして、当時は公園という公園が立ち入り禁止になっていた。山梨県に本栖湖という風光明媚で涼しい場所があるのだが、ロックダウン中に、この本栖湖にドライブに行って写真をとりSNSに上げた。“こういう自然に恵まれた場所でも立ち入り禁止にするのは、もったいない”と意見を添えたのだが、まんまと「自粛警察」に捕まり、「教員たるお前が、ルールを破って、どういうつもりか!!!!!!!」という書き込みとともに、ワタシの愛車の写真(静岡県ナンバー)がバズった。


 その後も、人混みではなく、風のさわやかな湖畔や海岸、森林浴のような場所でも、マスクを外せない方が未だに多くいらっしゃった。コロナに関して、日本人は社会集団としての後遺症から未だに抜け切れていない。


 新型コロナウィルスは、オミクロン株にすり替わったことから完全に弱毒化し、単なるウィルス性の風邪となった。もう、全く気にすることがないのにも関わらず、授業中のマスク装着率が50%くらいのままだ。なぜだろう?
そして、先生方の方が“マスクをしていなければいれない症候群”に関わっていて、今の勤務校ではマスク装着者が70%を超える。「科学的なこと」「真実を探求する人間」の代表者である教員がマスクを手放せないでいるこの世界は、ちょっと変だ(先ほどの、大学が一番ビビっていたという観察と少し関連がありそうだ)。
(一度決めたことを最後までやる、もしくはやらせる、ことを教育の至上の喜びであるとする特殊集団だからしょうがないのかも?)


 コロナの災いで、結果的に在校生やその保護者達の中で、受験に大きな影響もなかったし、犠牲者がでることはなかった。誰も死ななかった。
むしろ、直接影響を受けたのは、清水東高校を2021年の3月に転勤して、伊豆中央高校に行き、進路課長になった2022年からの方が影響とショックが大きかった。
伊豆中央高校での最後の2年間、ワタシは同じように進路課長になって、受験生を指導することになったが、伊豆中央進路課長の2年間で、生徒約400人(2年間の3年生)のうち、クモ膜下出血で受験を諦めた子が一人、進行性の早い癌が悪化して受験を諦めた子が一人、脳の髄膜炎で受験を諦めた人が一人、でてしまった。この3人というのは、40年の教員生活の中でも3人である。
(ちなみに、伊豆中央3年間では3人もの保護者が、癌やクモ膜下出血で亡くなった。)


 このコロナ騒動は、ワタシの気力を削って行った。なんか気持ちばかりが疲れた。
そしてこの時は、最悪の相性問題も絡んで、コロナの終わりが見えかけた2021年に差し掛かる時には、「死んでも清水東から転勤してやるーーーーーっ!!!!!!!」との思いにかられていた。今、思えば軽い神経症のようであった。ある人物の顔を見ると動悸がするような症状もでた。
 ワタシは、清水東に8年在職したが、学年主任3年間、教務主任2年間、進路主任2年間をこなした男である。しかも、普通の時期の教務主任ではなく普通の時期の進路主任でもなかった。自慢ではないが、「功労者」である。今くらい、ワタシのわがままを聞いてくれてもいいだろう。そして、今しかないのも事実であった。
その時、ワタシは57歳となっていて教員生活も残り3年となっていた。静岡県では3年間というのが勤務校の最低年限だから、このチャンスを逃したら、残りはずっと清水東にいなければならない。それは、罹ってしまった神経症が進展することと同じだ。
 「精神的な健康を回復するために転勤を希望した」のだ。


 転勤が確実になってからは、もうウキウキ気分で精神の落ち込みは回復し、転勤記念缶バッジや転勤記念ハンドタオル、図に乗って、転勤記念野球帽なども作成した。
本当に嬉しかったんだ(あくまでも精神衛生上)。転院先が、伊豆半島の真ん中で、自家用車で90分かかるなど、全然問題ではなかった。


 さあ、次回からいよいよ最後の正規教員勤務地、伊豆中央高校のTommyセンセとなります。 


 
 








Received — 2024年5月17日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人の幻企画(@かるた)

著者: tommyjhon
2024年5月17日 06:05
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、本日は本職(?)の競技かるたに関する振り返り。
実は、コロナのパンデミックによって、競技かるた界史上初の試みが幻となった。


 言わずと知れた2020年は、東京で2回目のオリンピックが開催されるはずだった。古代ギリシアで始まったオリンポスの祭典は、この期間だけは戦争を止めようよ作り出されたもので、肉体美を運動美を争うだけでなく、文化的な競技(展示)も多く行われていた。近代五輪(1896年、アテネ)が始まってもこの伝統は引き継がれ、運動種目だけでなく、文化的な祭典もその都市を中心に盛大に行われていた。
 東京都も、それを意識してか、「文京区のシビックセンターを中心に、競技かるたの祭典をオリンピックに合わせてやりませんか?」という企画が、全日本かるた協会に持ち掛けられていた。全日本かるた協会としては断る理由もなく、この「競技かるたの祭典」について、こそっとプロジェクトチームが結成されていた。内容は、①このタイミングでバリアフリー化に突き進む。②国際的な(インターナショナルな)競技に押し上げる。③東京都民の参加企画。④ステージの部でもなんかやる。の4点にまとまった。
なぜかしらないが、ワタシは④のステージ部門を任された(ワタシは東京都民ではないよ)。でも、東京に何度も出かけられるし、オリンピック開催に少しでも協力できればいいと簡単に引き受けてしまった。


 富士高校から転勤し、同時に本格的な指導の道からは離れた。そして「なんちゃって野球部顧問」なんかをやりながら、第三者的な視点で競技かるたを観察することにした。競技かるたは、「畳の上の甲子園」とか「骨折も時にはあるようで格闘技みたい」とか、「一瞬のスピードを争う競技」とか、「集中力と体力も必要」とか、「文化部なのに運動部」とか、文化的活動のカテゴリとはいえ、スポーツ競技と同じように形容されることが多い。
もう、百人一首競技に全く興味のない方々も、我々競技者が、百人一首中の和歌の意味を理解しているわけではないことを知っている。ワタシは競技かるたを始めて45年になるが、「上の句」と聞いて「下の句」は答えられるが、「下の句」を聞いて「上の句」を答えることは出来ない(と、思う)。百人一首競技かるたは、平安朝ののどかな雰囲気とは正反対の、体全体を一瞬にして動かす、極めて運動力学的で頭脳的なスポーツなのである。
 スポーツであるはずなのに、我々競技かるた業界の関係者は、「平安朝」的なものを追い求めてきた。京都で行われる大会にあこがれていたり、百人一首の聖地を近江神宮であるとしたり(これは仕方がないか)、和装で行うことが基本であったり、名人戦の前夜祭では、必ず「古典研究の教授」が講演会をしたり・・・・この気持ち、わからないではないものの、競技かるたルールが確立され競技大会として正式に開催されたのが明治期であることを考えると、いささか偽善的でもある。この歴史から考えれば、日本が近代化するにつれて、今までは神事とか芸事とかの範疇として受け継がれてきた催し物(相撲、柔道、剣道、弓道、など)が近代化の波によって、全国の統一組織の元で統一ルールが決められ、一律のルールのもとにフェアな競技に格上げされていった。という歴史しかなく、別に、今更平安朝の「五七五、七七」に戻る必要のなかろう。


 このような疑念からスタートしていたワタシは、競技かるたを指導していく中で、“古武術”と“メンタルトレーニング”に魅せられていった。競技かるたでは一瞬の手の動きで札を取り合う。手を思い切り早く振り切る動作が速く札を取る鍵になるのだけれど、このスピードは、大谷選手のが時速160キロで腕をふる動作とは似て非なるものである。大谷選手を、大坂なおみに置き換えてもいいし、錦織圭に置き換えてもいい。いずれとも違う。強いてあげれば、競技かるたの一瞬のスピードは、忍者が手裏剣を投げる動作に近い(見たことはないが似ていると思う)。瞬時に抜刀する居合切りとか、空手や合気道のような身体動作に近いだろう。なので、“古武術”なのである。また、
その身体動作の上にに、競技かるた特有の頭脳構造の使い方が、もう一つの鍵を握る。特有の頭脳構造とは、記憶力と集中力の2つだ。なので、“メンタルトレーニング”なのだ。
 
 この東京オリンピックの祭典の一部門として、競技かるたが加わるのならば、“平安朝”を蹴飛ばして、身体動作と頭脳構造に特化したステージを構成することは出来ないかと考えた。
そこで、身体動作と精神構造の専門家とで、「競技かるたという不思議な競技を語ろう!!!!!!」という鼎談(3人で語り合う)を構想した。突飛な考えと思われようが、ワタシの中では、一番実践的なことであると思っていた。あれよあれよという間にこの企画は、プロジェクトチーム内を通過し、具体的な企画をねることになったのだが、ワタシには2人の候補者がすでに出来上がっていた。
一人目は、古武術の達人である、甲野義紀先生だ。(この動画以外も検索してください)
この動きが、日本で一番、“一瞬の動き”に近いと思う。
この企画について、ワタシは勇気をだして、甲野先生にアポイントをとり、会いにも行き、興味を持ってもらい、2020年5月のその日の鼎談を引き受けていただいた。


二人目は、東海大学教授の高妻容一先生である。
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このプロジェクトチームの中に、御一方(おひとかた)東海大学で教えている教授先生がいらっしゃり、このメンタルトレーニングの第一人者高妻容一先生にお願いしてくださるということだった。高妻先生にも、2020年5月のイベント出演の内諾をいただいた。


3人目はかなり苦労したが、清水東高校の学校寄席で大神楽の芸を見せてくれた、鏡味味千代(かがみ みちよ)さんという大神楽師である。
国際基督教大学 Global ICU | 卒業生の声 | 鏡味 味千代

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大神楽を舞台でやるときの集中の仕方とか、技の習得のための練習の仕方などは、競技かるたの世界に通じるものである。そして、また彼女は、名門ICU(職域かるた大会A級優勝の過去がある)を卒業し、いったんOLとなり、結婚もして子育てをしながら大神楽師として活躍していることも興味深かった。


 この3人で、普通では全く考えたことのない「競技かるたという競技」をじっくり観察してもらい、このかるたの身体動作と頭脳構造がどのようにして成り立っているかを考えてもらおう。そして、ステージのMCはTommyセンセが絶対にやる!!!!!!!
これが、鼎談の趣旨であり、2020東京オリンピック文化部門の競技かるた講演会の内容であった。(もちろん、競技かるたの試合は、名人とクィーンにやってもらうことになっていた)
このステージ企画、なんと入場料が一人500円に設定された(設定した)。競技かるたを極めようという方々には、超格安チケットである(と思った)。
そして、これから著作権、肖像権のことを考えてチケットの図柄やポスターをお願いしようと思っていた矢先、東京オリンピックの延期が発表された。


 ワタシは、少しほっとした。(これから仕事がバカ忙しくなるだろうと覚悟していたので)
しかし今考えると、「やってみたかったなあ」。
でもね、もうやらないよ。この時のモチベーションは、オリンピックによってつき起こされたものであるので、今は出ない。ただし、年に一度の名人戦の前夜祭では、この方々をお呼びして、講演会や実技などのお話があってもいいと思う。
ワタシには、年に一度競技かるた最強王者を決めるイベントの前夜祭が、どうして「平安朝」研究の文学者なのか?どうしても理解できない。


次回は、清水東のコロナ時代。に戻ります。コロナのロックダウンは進路部長として迎えました。






Received — 2024年5月16日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人GTEC騒動

著者: tommyjhon
2024年5月16日 07:44
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、清水東高校で教務主任から進路部長に横滑りしている最中に、大きく教育界を揺るがしたのは、英語外部検定の一斉採用の件である。
民間英語と記述式の導入断念 25年共通テストで文科省 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

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 昨年度来の自民党安倍派の裏金事件で、ようやくお気づきになられた方も多いでしょうが、文部科学大臣の椅子は安倍派の独占状態であった。
文部科学省の歴代大臣 (mext.go.jp)

しかも、統一教会臭の豊潤な香りが一面に漂っている。
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ということは、教育で一儲け企んでいる奴らが周辺をがっちり固めていたことになる。
安倍晋三は、教育に関してもろくなをしていない。というよりも、教育関連でどうやって甘い汁を吸おうかと日夜考えていたのだろう。
安倍晋三が死の直前まで批判にさらされていたの問題を、「モリカケサクラ」という。「モリ」も教育活動関連事案であるし、「カケ」の加計学園&岡山理科大&千葉科学大学のことだ。
堂々とさらしてやる。
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安倍派は、統一教会の手法を取り入れ、「教育の分野」(協会で言えば洗脳の分野)を重要視していたのだろう


 安倍派支配の中で、文科省は実に不自然なタイミングで、英語外部検定を大学入試に一括導入すると発表した。不自然なタイミングとは、すでに時期教育課程は発表されており、センター試験も共通テストになることが決まっている時点での、外部検定導入である。官僚主導ならば、このどちらかのタイミングで行われるはずだから、この外部検定完全導入が、政治的な力学であるとわかる。(ワタシは発表時点で気づいていたので、この記述は決して後出しじゃんけんではない。)


 教育行政に政治的力学が加えられるのは、この時に始まったことではない。教育行政の方向性を決めるのは「中教審」(中央教育審議会)という諮問機関だが、この座長に民間人が抜擢された時が危ない。特に慶応大学出身の大物が座長になると、すぐに儲け話になる。国公立大学の授業料が一気に上がったのも、慶応出身の加藤寛が主役だった。加藤寛 (経済学者) - Wikipedia


 ワタシは、仕事の上では、教育コングロマリットのベネッセグループを信頼している。お世話になった方も多い。しかしながら、ベネッセグループのうさん臭さを、ある人事から見抜いた。
ベネッセ情報漏えい問題を振り返る 後に禍根を残した原田社長の記者会見を検証 | 広報会議デジタル版 (sendenkaigi.com)

この原田泳幸は、外資のIT企業や日本マクドナルドなどのCEOを歴任した人物である。こんな奴が社長になる会社とは????・・・・・・・
ちなみに、2024年においてベネッセは上場廃止となっていたのね。


 この英語外部検定の大学入試完全導入に関しては、文科省グループとベネッセグループのタッグによって図られたと思う。この外部検定導入の時期とベネッセの開発商品GTECが大きくクローズアップされた時期がピッタリ重なる。
英語能力外部検定は、老舗の英検、外資系のTOEICやTOEFLなどがあるが、これらの検定は、高校での一括実施を目的に設計されていない。そこで彗星のごとく登場したのがGTECである。
 ワタシ達は、進研模試を半世紀以上続けていたベネッセ社が開発したものという理由だっけで、このGTECを支持してしまったかもしれない。


 ワタシは、評価が大学入試に活用できる完全版GTECを導入するか否かを決めないまま、B社の営業マンの声掛けに応じてモニター実施高校となることを承諾した。そして、モニター高校の責任者として、ベネッセグループの仕事ぶりを一日中観察していた。
そして次の日、校長宛に「観察レポート」をA4版2枚くらいにびっちりまとめて提出した。レポートの主要テーマは、情報セキュリティのずさんさであって、もし、実施高校で何らかのミスが出た場合(つまり生徒の大学入試に影響が出た)、高校側、ベネッセ側、どちらに責任が帰属するのかわからない状況だというものだった。
 清水東高校は校長会の理事校なんだそうで、そのレポートは数日中に静岡県の校長連中に回覧されることになった。そして、静岡県は校長会全体として、外部検定一斉導入に反対する立場に回った。
きっとどこの都道府県でもこのような攻防が見られたと思う。結果的に、大学入試全体がベネッセのGTECを使うことはなくなった。(2024年、やはり老舗の英検が今でも主流となっている。高校時代までに英検2級を取得すると、大学入試は超お得となるよ。理系も文系も)


 ベネッセ社は、GTEC導入と同時並行で、生徒&教師&学校の同時活用ITツールとして、Classi(クラッシィ)なる商品も売り込んでいた。もう学校はICTとかIOTの世界であるべきで、学校に生徒はタブレット一つで登校する時代ですよ!!!!! と強烈な営業がかけられていた。この商品、のちのコロナ&学校ロックダウン実施において、容量不足で大失敗商品であることが露呈した。
このClassi(クラッシィ)なる商品もワタシは受け付けなかった。
「ベネッセは模試と教材だけ」の姿勢を貫き通したのだ。Classi(クラッシィ)を導入しなかったのは、富士高校で今も進路課長をなされている、O村先生が、若かりし頃「すべてのIT商品はGoogleにたどり着く」と予言されていて、学校情報教育もいずれはGoogleで賄うことになるだろうと思っていたからだ。
(これも後出しじゃんけんではない)
今や、県教育委員会お墨付きのGoogleである。なんと、静岡県では、入学時より生徒にGmailアドレスが割り当てられている!!!!!!


この連載の10回くらい前、ベネッセグループ絶賛の記事を書いた。ベネッセ社には読者も多い。ベネッセは頼りになるし、受験指導は「ハイスクールオンライン」がないと成り立たない。
しかし、原田泳幸グループは大嫌いであることで、B社対応の両面作戦を敷いたのだった。


さあ、GTEC問題が片付いたとたん、進路部長のワタシが直面したのがコロナである。(全世界が直面したけどね)
Received — 2024年5月15日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑨

著者: tommyjhon
2024年5月15日 06:04
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、好評連載の振り返るの記。
これからは、2017年4月からの教務主任(部長)時代の話。
清水東高校は、サッカーや頭脳を中心に本当に多くの逸材を世に送り出した高校で、ワタシが在籍していた時にも、溢れ出る強烈な才能と個性の持ち主が多くいたが、いずれも未だに原石レベルである。
 本日は、原石中の原石、(もう少しで)ブレーク予定での芸人さんをご紹介。
なんと、自作のプロフィールがWEBページに残されている。
佐野寛の年収は?彼女はいるの?整形?性格は悪い?気になる経歴 | ブログ (ameblo.jp)

佐野寛という奴で、高校時代は生徒会長を務めていた。 主要なSNSはX(旧Twitter)を使っている。
佐野寛(バターヤング)(@doutokushin46)さん / X (twitter.com)

 今の活動拠点は千葉テレビらしいのですが、早く全国区になってくれないかなあ?・・・・高校時代のお笑いセンスは、「まあまあ」と採点していた。


 さてと、これも突然に指名されて、何の準備もないまま動き始めた、教務主任のお仕事。これはもう学校の根幹を定めるレベルの案件が多く、なかなかブログに書けないこともある。とにかく、主任最初のGW(ゴールデンウィーク)の頃までは、県提出の公的文書を終わらせなければならず、とても苦しい毎日だった。そもそも性格的に細かいことに向いていおらず、このIT社会の到来とともに一昔前の教員という職業からは考えられないほどIOTが進化したにも関わらず、ワタシのPCスキルはほとんど素人レベルである。未だにWardやエクセルなどの超基本的ソフトも十分に使いこなせないでいる。かろうじて、人より優れているのが、このような早朝の時間にクダラネー時事ネタを出鱈目なタイピングで打ち続けていることだけだ。つまり、「技術的には大したことないが、執念深い性格」なのである。


 教務主任の仕事に関しては、執念だけが頼りだった。他に才能がない。
そして、当時の校長から厳命を受けて執念だけで達成したのが、学校の教育課程変更である。
当時、清水東高校のカリキュラム(生徒レベルでいうと時間割)は、基本設計の古さに加えて、SSH(スパーサイエンスハイスクール)対応も行われていて、極めて異質なものだった。
①甲週、乙週という2週間で一つのサイクルとなっていた。(A、Bを甲、乙に訂正しました。ケンスケ先生からのご指摘)
②なんと、60分授業である。
 この基本設計では、現在の理科基礎科目3科目必修(生物基礎・化学基礎・物理基礎)には到底対応できない。また、情報も必修化されたり、地歴公民科の新課程(歴史総合・地理総合・公共の必修化)にも対応できない。しかも、「総合的な探究活動」という訳のわからない授業も加えられた、スーパーマルチ履修(超多科目必修)をこなすことが出来ないだろうと、誰もが思っていた。(誰もが思っていたけれど、誰も手を付けることが出来ないでいた)。


 ワタシは、教務主任や進路課長の仕事をしながら、いつも心の中で呟いていた。「こんなん学校の重要業務は、OBがやれよ・・・・お前等、好きな仕事ばかりやって、みんなから嫌われるような泥臭い業務はやらないんだよな」
ただ、校長先生からの厳命なのでワタシの時代にこの難問をクリアしなければならない。
 そして、各教科の授業時間(1単位60分×週単位数×年間授業週間数)を分刻みで解体し50分授業として換算しながら、日本の高校というのは、実際にはどれくらいの授業数が必要なのか?という原点にまで戻って、カリキュラム(時間割)を作り変えた。もちろん、一単位を50分が文科省の標準授業時間である。


 このカリキュラム研究で、理解できた「普通科高校のカリキュラム規準」とは以下のものである。ただし、これは文科省が指定している標準単位(週の時間数)ては、かけ離れている。文科省レベルでの標準単位数は、受験を無視した机上の空論だ。清水東高校などの進学校には進学校のそれなりの規準が存在しているのである。この「それなりの規準」はうっすらと文科省も認めているような感じだ。というのは、共通テスト(当時はセンター試験)の配点割合を、進学校なりの規準として考えると、かなり現実的だったのである。
 以下、このような思考方法をそれなりの規準として用いた。
①センター試験で200点満点の教科(国語・英語・数学)は科目の違いはある(例えば、国語は現代文と古典、数学はI、ⅡB、など)けれど、1年から3年まで毎日1時間必要だ。つまり、3年間で15単位。
②センター試験で100点満点の科目(化学、物理、生物、日本史、世界史、地理)は、200点科目の1/2の点数なのだから、15単位の1/2の時間配分が必要だ。つまり、1年~3年までで7単位もしくは8単位。(例えば、化学基礎2単位ならば、化学では6単位)
③センター試験で50点の科目は200点科目の1/4だから、3,5単位程度(例えば、化学基礎2単位・化学基礎演習2単位もしくは1単位)
④あとは、文科省の規準でよろしい。(家庭科2単位、保健2単位など)
 そして、これらを基本理念として、増やすとことは増やし減らすとことは減らすようにして構築しなおして、1単位50分授業案を各教科に提示した。


 そうしたところ、各教科からは特別な異論も出ずに、この大改革はすんなりと決まった。だいたいは、カリキュラム変更が行われると各教科での時間数分捕り合戦がはじまって収拾がつかなくなるのであるが、このように全体を作り直す場合には、それなりの理論武装をしておくと、日ごろは意地の張り合いをする教科でも案外と納得してくれるものなのだ。
 また、このカリキュラム作成段階では、新教育課程(公共とか歴史総合とか)に対応できるようにしておいた。


 もう、ワタシがカリキュラムを作ってからすでに6年が経っていて、現在の清水東高校の教育課程がどのようになっているかはわからない。自動車の大幅なマイナーチェンジは通常5年おきに行われる。フルモデルチェンジは10年に一度だ(これは経済学)。教育課程も、5年をめどにマイナーチェンジ、10年でフルモデルチェンジが行われるべきだと思う。(文科省は、この周期を守っているフシがある)そして、ワタシの次の教務主任殿は、今でも教務主任であり(たぶん)、このブログの読者様でもあるので、これ以上迂闊なことは言えない。
 ただし、この教育課程を作り変える作業をしていた時の思考方法(一度全部分解して、どの科目がどれくらい必要なのか?から再構築すること)は、書き残して置きたかった。


 他にも(多くの先生方を敵にまわしたのに)公表しても意味がない制度改革をかなりした。どれも、「一度やろうと決めたことは執念だけでやりきる」というモチベーションだけだった。ところが、またしてもワタシのあずかり知らぬ人事上の出来事で、教務主任の職を2年間でおしまいにすることになる。この時の管理職のセリフは、
「お前が教務主任を続けて新しい進路部長を見つけるか、お前が進路部長をやって新しい教務部長を見つけるか、どちらか一方だ」
というものだ。
 結果的にワタシは進路部長となった。つまりは、新しい教務主任をお願いすることになった。S先生(読者様)、引き受けてくれて本当にありがとうございました。普通に考えれば、S先生の方が数段階上の適任者です。<m(__)m>
Received — 2024年5月14日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑧

著者: tommyjhon
2024年5月14日 05:34
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、大好評“清水東を振り返るの記”の前に、近況報告。
じゃーーーーーん。これが僕の白内障
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 手術前検査を、1時間くらいやった後のドクターによる診察で見せてもらった写真。
「これっ、写真とってもいいですか?」と聞いたところ、ドクター氏は快く承諾してくれた。この角度から眼球の写真が撮れるわけがなく、おそらく合成画像でしょう。
でも、これほどの違いが左右にあるのか!!!!!!!!! もちろん左側画像がワタシの右目。右側がワタシの左目(ややこしいけれど)
ドクター氏も不思議がって、
「これだけ進行に差があるというのは、若いころ、野球のボールが目に当たったか?右目を強く殴られたか?スキーで右目を強打したとかの経験がありますか?」と質問ししてきた。きっと、こういう片目だけの白内障って、過去にそのような事例が多いのだろう。でも、ワタシは全く記憶がない。確かにボールが当たったことの経験は、長いキャッチボール遍歴の中で一度や二度はあるだろう。でも、当時はそれを大事故だと記憶することすらなかった。


 とにかく、6月6日の手術が終われば、常人のような“両方とも老眼”に戻る。・・・・この老人の悲哀を理解してください。手術を受けても“両方が老眼”までしか回復しないのだ。(ちなみに、人工レンズの代金は患者負担で6万円ナリ)。今は、右目だけ0,03の視力しかなく、しかも景色が白濁している。運転していてやたらに眩しいわけだ。


さて、清水東振り返りきの続き。
進路課長(部長)になった高橋ケンイチ先生と学年主任のタッグチームで、様々なシン企画を繰り出した。高橋先生も“ぬるま湯”状況を実感しておられたと思う。
(昨日、先生自らからLINEがあり、実名掲載がバレれていたことがわかった。ずっと疎遠になっていたので、絶対に「読んでいるはずがない」と思っていたが、なんだ!!!!!読者の一人だったのか)
ぬるま湯体質は、ある先生が、「清水東の進路結果って、どれだけ失敗しても理数科から東大合格が一人でもでると、それで満足しちゃうんだよね。先生方みんなが・・・・・・」とぼそっと、言ったことからもわかる。
 ワタシは、東大京大は半ば天才肌の特別なDNAの持ち主ではないと合格できないが、旧帝大や医学部に関しては、ある程度の才能と、充実学習プログラムの提案と実践で合格が可能である、という信念を富士高時代から持っていた。したがって、「教育力&合格力」という指標は、旧帝大クラスの合格者数によって決まるとも考えている。
また、高橋先生は、名門清水東高校サッカー部(もうこのフレーズだけしか残っていない)の部長を長く勤めておられたし、ワタシは依然として“なんちゃって野球部副部長”だったので、やはり、サッカー部や野球部の現役生から名門国立大学の合格者を出したかった。これぞ本物の文武両道という。ちなみに、サッカー部よりも(近年は)全国インターハイによく出ている男子ハンドボール部は、記録から見ると、本物の文武両道を実践していた。旧帝大のような名門国立大学にこだわったのは、名門私立大学には、指定校という制度があったからである。これは「教育力&合格力」にはカウントできない。(読者の皆さん、今の清水東に名門私立の指定校があるかどうかはわかりません)。


 学年主任として、例の度数分布を毎日のように眺めていた。
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 そして、ワタシの学年は、東大程度の頭脳の持ち主が2名確実に存在することがわかった(片方は一浪したけれど、この2名は東大生となった)。ところが、その2名とそん色ない学力の持ち主が20名ほどが存在し、たった1クラスの理数科だけでなく、普通科にも多くいるのだった。彼ら彼女らに志を強く持たせ、モチベーションを保ちつつ3年生の後半を迎えさせれば、かなりの好成績(難関大学合格者数で)が残せるだろうという確信が出てきた。特に、「京大を目指す生徒」が10名程度おり、彼ら彼女らを京大に送り込むことが第一の目標となった。一名~二名の東大合格よりも、10名の京大合格の方が、絶対に学年全体の雰囲気が良くなるのだ。しかも、文系クラスまで交えて!!!!!! 
 高橋ケンイチ先生は、先生独自の人脈を駆使して、京大訪問まで実現してくれた。(清水東では、理数科独自の東大訪問や普通科を含めての名大オープンキャンパスあ、行事としてすでにあったが、京大訪問はまたも新企画である)。そして、Z会の添削も学校単位で採用した。代ゼミからは、英語読解指導で抜群の評判を得ていたある講師も招聘した。(これらすべて高橋先生発案である)
 西川彰一の講師情報・評価・レビュー|代ゼミ|英語|予備校比較.COM (yobiko-hikaku.net)
ワタシは、西川先生が清水東の救世主だったと信じている。
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(1) Xユーザーの代ゼミサテライン予備校さん: 「【本日の「KOTONOHA」vol.62】 本日は英語科の #西川彰一 講師からメッセージが届きました📣 『Failure teaches success. 間違いから学ぶチャンスを手にするために、一杯問題を解こう。』 ≫西川講師の紹介動画はこちら≫https://t.co/k0BegnW1gq #講師の代ゼミ #代ゼミ #代ゼミサテライン予備校 https://t.co/6WdhSRpIX7」 / X (twitter.com)

画像はここから拝借。


 こうやって、高橋先生が進路課長に就任してからは、進路実績が着実に進路実績が向上し、ワタシの学年では京大合格者現役7名という実績を残すことが出来た。あの時に担任として頑張ってくれた7名の先生方には本当に感謝している。旧帝大以上の合格者数が、それまでが20名程度だったものが、数年で30名程度まで増えた。ここまでいけば、先生方の思考も変わってくる。


 さてと、ワタシの人生二回目の学年主任も平成29年(2017年)の春に終了。さてと、これからどんな身の振り方があるのだろう?と考えていた矢先、またもや、例の弾丸発言がワタシの胸元で炸裂した。
「先生がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」
これは、当時の校長の口から放たれたマグナム弾級の衝撃発言であった。
ワタシに、教務課長をやれという。


・・・・・「あたしゃねぇ進路の経験はたくさんあるけれど、教務畑は未経験だっちゅーの」
Received — 2024年5月13日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑦

著者: tommyjhon
2024年5月13日 09:32
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます.Tommyセンセです。

ということで、月曜日の朝。だらだらと振り返り記を続けます。本日は、勤務日ではありません。午後からは、眼科さんへ手術前検診に行く予定。


さて、清水東振り返るの記は、未だに2015年。
 この年、清水東2年目で、学年主任をやることになった。1年の学年主任だから3年間は同じ仕事だ。学年主任は、学年部教員の担任みたいだし、学年の生徒全体の担任みたいだからどの仕事(生徒指導&教務&進路&保健健康など)にも関わることになる。しかしながら、清水東高校では、学年主任にもしっかりと分掌(所轄)の仕事はついていた。ワタシは3年間、学年主任の仕事をやりながら、進路課(清水東では進路指導部が正式名称かも?)の仕事もやることになった。清水東高校の進路指導に緩さや曖昧さを感じていたワタシは、3年間でいろいろ変えていこうと感じ始めていた。
 
 進路指導の緩さを感じていたのはワタシだけではなかった。同じ学年部で一緒にすることになった数学のN先生も同じ思いであり、この学年がスタートする前に、大きなカリキュラムの改革を実現していた。それは、普通科の文系から東大を目指すことができるようにカリキュラムを見直ししたことだ。富士高校でも当たり前の事であったし、県下、他のトップ進学高でも当たり前に手当されていた文系東大志望者は、清水東では無視されていたのだ。旧態依然としていたカリキュラムは、どんどん変化していったセンター試験と個別学力試験の科目変更に対応できていなかった。文系東大志望者は地歴の「日本史」&「世界史」&「地理」の3科目中2科目が必須科目なのだが、以前の清水東ではそれが対応できていなかった。結果的に、ワタシの学年からは文系東大合格者が出なかったし、その後も、現役では文系東大は出現していない。清水東から離れて3年が経つがどうなのだろう?


 進路指導に関しては、ワタシの学年主任1年目スタートと同時に、とある業界では有名な高橋ケンイチ先生が清水東進路課長(部長?)に就任した。おそらく、先生にとっては2度目の進路主任だったと思う。高橋先生は、ワタシを昼間も夜も重用してくれた。先生と学校の話や酒の話であそこまでお付き合いができる人間はなかなかいない。かろうじて、それなりにお付き合いが出来たので、高橋&外山のセットで、いろいろな所に顔だしした。京都の祇園、静岡の呉服町、東京は八重洲。高橋ケンイチ先生は、ワタシとは正反対の性格で豪奢な方だった。


 先生とのお仕事での最高傑作は“三園倶楽部”の立ち上げである。まあ、ワタシは側にいただけなのだけれど、一応設立から消滅までを見届けた。
静岡市清水区 和風ビジネス旅館 三園旅館 | ご宿泊・スポーツ合宿・ご宴会に (misonoryokan.jp)
三園倶楽部とは、ケンイチ先生が音頭をとって集めた(夜だけの)勉強会である。ただし、凄いことに、ベネッセ社、河合塾、駿台、代ゼミという大手受験業者4社の担当を一同を招集し、それに地元の予備校や私塾も加え(Z会も)、その他知人の先生方にも声をかけ、常に20人以上の方々があつまった。
旅館に腰を据えて、一晩じっくり進路指導について語り明かそうという企画であって、その後10年間というもの、この三園倶楽部に集まった方々との繋がりが、他の学校に転勤した際でも大きく役立った。


 高橋先生は、このように受験産業を上手に使うことが上手だった。顔は厳ついが、稀代の営業マンでもある。いやらしくもなんともなく、生徒の進路指導に関して言えば、「変な縄張り意識は止めて、すべてのリソース(資源)を教えている生徒の為に使おう!!!!!!」という信念が先生の行動の源泉だったと思う。その当時、ワタシは清水東には批判的な態度をとっていたこともあった。清水東よりは富士高校の方が遥かに先生方の進路IQは高かった思っていたが、考えてみれば、それも「変な縄張り意識」と似たようなものである。高橋先生との仕事の中で、これからは「偏狭な考えは全部捨てて、すべてを担当する生徒の為に尽くす」ことにしようと心に誓った。


 清水東は、名門校である矜持が邪魔をしていたのか、受験の時流に合わせて変革させていくという意識が薄かった。ワタシは「偏狭で狂信的ともいえる清水東愛」という時もあった。高橋先生は、どんどん新しい仕掛けを導入していった。代ゼミの出張講義、代ゼミの新宿合宿、Z会の添削や東大京大セミナー(パルシェでやったんだよ)、センター試験後略ワンディセミナー・・・・などなど。おそらく、これらの企画を実現することには、大きな抵抗があったかも知れない。でも、学年主任はワタシなので、どんどん生徒の心に火をつけていった。高橋先生が、才能の束にガソリンをまき、ワタシが火をつけたのが、一連の放火魔の正体だった。


 この清水東高校の再興に大きな役割を果たした高橋ケンイチ先生は、もっともっと名門病に悩んでいた某私立高校にヘッドハンティングされて大阪の方に旅立った。すごいなあ、心からそう思う。ワタシみたいな小心者には絶対に出来ない。高橋先生の西部戦線は2019年の春から始まるのである。


 次回も、学年主任時代の話の続きです。お楽しみに。














 


Received — 2024年5月9日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑥

著者: tommyjhon
2024年5月9日 05:49
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、痛風の痛みも沈静化し、何となく普通の歩行ができるようには回復した。整形外科に行って、叱られながら薬をお願いするのは嫌なのでロキソニンは大切に大切に使わなければならない。痛風の原因が“ぜいたく病”であって、高カロリー&高タンパクの食品であることは判っている。飲み過ぎも良くないことは知っている。知っているけどやめらないから痛風になるのも理解はしている。でも、そうやって同じモノを食べ同じ酒を飲み続ける奴の中でも、痛風になるのは希な例だ。全員が全員発症するわけではない。
 しかしながら、お医者さん達はワタシのことをまるで犯罪者のように扱う。「お酒の飲み過ぎが悪い」「あなたの食べる物が悪い」俺は、犯罪者ではなく被害者なのだ。もっと、優しく接してくれてもいいだろうに・・・・つまりは、(全部そうなのだけれど)痛風などで医者の世話になりたくない。やはり、ロキソニンは大切に使おう。


 好評振り返り記は、2014年からの学年主任時代。
学年主任として勤務していると、クラス×7なので、クラスの大きな出来事は7倍の数にのぼる。退学者の数も7倍となり、自分に対するダメージも7倍になる。生徒が不登校になって結果的に退学していく場合、直接のきっかけがほとんどないことが多い。推理ドラマなどを見ていると、必ず事件には原因があり契機があるのが普通なのだが、不登校って原因も契機もほとんどわからないことが多い。
 大きく理解できるのは、「学校に行くこと」という作業は、その子にとっては相当なエネルギーのいる行動なのだが、体内にそのエネルギーがなくなってしまった、と考えるようにしている。少しずつだがエネルギーが充填するのを待つしかないし、他の学校に行けば、また、別の種類のエネルギーを使うことができるかもしれない。経験上、引きこもりの生徒が復活する場合、誰の支援も受けないで自分から動き出すこと、自分から行動することが多かった。例え親であっても引きこもりを治すことは出来ないと思う。(あくまでも私見)。退学者がでると学年主任は相当に凹む。
 
 モンスターペアレントの対処でも、相当な体力と気力を使った。
ある日ある時、あるクラスの親から電話があった。17時過ぎだと思う。ワタシはなんとなくアドレナリンがでていたので、ここが仕事場とばかりその電話を担任から受け継いだ。そして、受話器を置いたのは19時を過ぎていた。内容は、今でも思い出せない。きっかけがなんなのかを思い出すことは出来ないが、受話器を持っていた左手は、右手で一本ずつ受話器から外してあげなければならなかった。その電話中の2時間で硬直していた。内容は思いだせないのだが、なぜ長くなったのかは振り返ることが出来る。決着がつかないからだ。ワタシ達学校側に落ち度はない、親側からする子どもに落ち度はない。普通なら第三の方法で解決すればいいだけだ。しかし、相手は、第三の道を拒んでいる。こんな感じでずっと膠着状態が続き、受話器を持つ左手は完全に硬直してしまった。
 この親との関係は、このような感じで卒業まで続いた。3年間、親の心はほぐれることはなかった。


 少子化の現在、一人一人の大切さは、30年前、50年前よりも比べるべくもなく大きい。命を計量してはいけないが、4人も5人も子どもがいるのと、やっと授かった一人っこでは、親が過保護になるのは当たり前だ。でも、過保護になる分、耐性が失われているような感じがしている。子ども達に生き抜く力が無くなっている(あくまでも私見)。社会的耐性って言葉があるかどうかわからないが、多少のことは自分で解決できるようになって欲しいなあ。
 先生として、何か生徒が訴えてきた場合、「ざまあみろ」とは言ってはいけないものなのか?


 特に、リアクションの小さい(少ない)子ども達は、将来がとても心配である。
教師としての経験上、表情の少ない子どもは、内面に大きな問題を抱えている場合が多い。これは正しいと思う。


 昔、教師同士の間で、「先生、廊下に画鋲が落ちていました」と申し出られて困った、という話で大笑いしたことがある。
廊下に落ちている画鋲なんてそこいらの窓枠に差しておけば問題ないのに、なぜいちいち先生にもってくるんだ。
こういうのを、生きる力だというのだろうが、こんなん学校で身につけることではないよなあ・・・・・・・・・


 ということで、今日は学年主任として辛かった話。
そして、今日の授業は、「世の中には、物質と精神しか存在しない」という高尚なテーマをやります。・・・・どちらもセンセの仕事なんだけど、ただ今、再任用ハーフだから授業ダケ。気楽なもんだ。 






  
Received — 2024年5月8日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑤

著者: tommyjhon
2024年5月8日 07:02
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、還暦老人、清水東高校時代を振り返る記の⑤ ただし、5回目でも1年目のこと。


 2014年の正月、ワタシは3年生副担任としてセンター試験を迎えた。清水東高校はセンター試験会場が静岡大学に振り分けられていた。清水東高校は、静岡県下でもかなり特異な学校で、サッカー部や理数科の関係で、かなり多くの生徒が清水以外から通学している。静岡県東部地区からもやってくるし、(あの内田篤人氏は伊豆半島の付け根、函南町の出身だ。)静岡県の西部地区からもやってくる(その当時、清水東陸上部は棒高跳びに力をいれれいて、その関係で入学してくる生徒もいた。K代先生、元気ですか?) このような実情を知らずに、大学入試センターは、センター試験の会場をあてはめるのである。(我が母大でもある)静岡大学は、静岡駅から遠く、遠距離通学者にとっては極めて不利な場所だ。 
 案の定、センター試験の当日、東海道線が遅延するという事態が起きた!!!!!! 何故か知らないが、東海道線はセンター試験の時に限ってトラブルが起きる(起きていた気がする)。やはり、東高の生徒が一人、試験会場に遅れそうになった。彼は、東海道線を諦め、新幹線に乗り移り、最後はタクシーでぶっ飛ばして静岡大学に合流した。この事件以来、センター試験(今、共通テスト)は、前日ホテル泊も考えろと指示している。
 センター試験(現、共通テスト)は、とっても受験生に優しい(受験生ファースト、受験生第一主義)入試システムである。日本の国公立大学は、センター試験(現共通テスト)と個別試験(未だに2次試験ともいう)の合算であって、しかも、中間値(センター試験の自己採点結果)を計算した後に出願できるのだ。したがって、意地を張らなければかなりの確率で、国公立大学に入学できる。この中間値自己採点&出願指導のシステムは、文科省と受験ビジネスコングロマリット(B社・K塾・S台予備学校など)の上手な談合の上に成り立っている。
 逆の見方をすれば、この受験システムを上手に理解できている先生ほど、やはり進路指導は上手だ。センター試験(現共通テスト)などに精通している先生は、私大受験にも詳しい。例えば、センター試験で30点差のついたC判定値という結果がある。2次試験(個別試験)が100点満点の大学を勧めることは絶対にありえないが、個別試験の合計点数が500点ならば、彼の得意科目にの具合によっては逆転出来る。受験は、“気合い”ではないのだ。


 これらを徹底的に富士高の(合理主義を第一とする)進路指導で鍛えられたワタシにとっては、初めて迎えた清水東高校の入試検討会(センター試験の次の土曜日くらいにどこでも必ずやる)はあまりにもロマンチックで柔らかな感じがした。そして、思わず、頭の奥底にしまってあった受験脳のスィッチが入ってしまった。
この清水東高校の1年間を、“昼行灯”として過ごそうとして、事実、その通りに生活していた。前年までの学年主任&百人一首部顧問&事務局長&野球部父母会のバカ忙しい時代はなくなったのだ。
 そうした昼行灯は、丑三つ時に、必殺仕事人中村主水のようになってしまった。この入試検討会では、遠慮なくバンバン意見を言いまくった。
 ハイ、そこまで。



 3月、ワタシは1年の学年主任になれという内示をもらう。案の定、「君がウンといわないと次の人事が動かないよ」という決まり文句もついて来た。
ああ、これは、1年休んだ後に重要な仕事に見舞われるという「Tommyセンセの職歴法則」に則る力が働いたのだな。
①全国事務局長をやるから、担任休ませてくれと申し出た1年後、理数科の担任となる。
②理数科の担任を3年間やったから、1年間は休ませてと申し出た1年後、学年主任となる。
③転勤1年目で、副担任の昼行灯として働いたら、またも学年主任となる。
(この法則は、伊豆中央高校でもはたらいた。)



ということで、清水東高校2年目は1年生学年主任としてスタートすることとなった。そして、その後、いろいろな意味で一緒にお仕事をさせていただいた高橋ケンイチ先生が進路課長を引き継いだ。2人での●道中の始まりでもあった。




 




Received — 2024年5月6日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る④

著者: tommyjhon
2024年5月6日 06:40
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、GWの後半、楽しい楽しいお出掛けとはいかず、なんと5/3に痛風を発症。3日は息子&孫家族と一緒に魔界の牧場(まかいの牧場)に付き添って行けたものの4日の日本平動物園は見送り、5日も一日中家の中。3年前に偽痛風発症の時にいただいた鎮痛剤(ロキソニン)のお陰で今は日常の生活できるまでに回復した。またもや四つん這いでトイレに向かうという情けない格好をしてしまった(泣)。


 さて、痛風の激痛も治まったので、還暦老人の“教員人生を振り返るの記”を続けることにする。


 2013年(平成25年)の春、ワタシは富士高校から清水東高校に転勤した。(静岡県下では)言わずと知れた名門進学高の両校であるが、いざ転勤してみると学校体制でみると大きな違いがあった。富士高校は文字通り富士山のような山容だと喩えればいいだろう。どっしりとして広大な裾野を持ち、高くそびえるにはこのような形になるのかなと簡単に想像できるような形をしている。生徒の学力分布もその通りで、頂点の数人から裾野が広がるように秀才達が存在している。ところが、清水東は、八ヶ岳や北アルプスのように、大きな山帯のもっと上に、一人一人の個性が天を突くような急峻さでそそり立っている。
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(富士山=広く大きい裾野の上に頂点が存在する=富士高)
 
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(日本海側からの剱岳などなど=個性的な面々がそれぞれ天を窺う様相=清水東)


どちらも英才&秀才(あくまでも静岡県内)が集まるのだが、富士高は集団として強さと大きさがより備わっていて、清水東は個性的な強さの集合体のような印象だった。
 過去の業績を見てもまさしくその通りで、清水東の理数科は静岡県の高校理数科としては一番の伝統を誇っている。なんと、調べた時点(今から6年くらい前)では、理数科の過去通算の最多進学大学は東大だそうだ。(卒業生の進学先で最多なのは東大ってこと、信じられる?????)
また、サッカー界でも同じ事がある。
内田篤人君おめでとう、史上初 清水東高校の快挙 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

これは、清水東高校が、ギネスに申請したら認められるであろう世界記録である。世界的には高校単体でサッカークラブのある国など見当たらないので、この5大会連続OB選出は、絶対的な世界レコードだ。中山雅史と長谷部誠を輩出した藤枝東高校は、2006年のワールドカップドイツ大会を逃している。(ワールドカップロシア大会は、小野伸二&川口能活の清水商業コンビが選出された)
 このような突き抜けた才能をボコボコとでてくる下地みたいなものが清水東高校にはあるのだろう。実際に赴任してみても、そのタレントの集まりに驚いた。


 日本の高校では、文化祭や体育祭に名称をつける。富士高校は富嶽祭(ふがくさい、腐が臭い)であるし、静高は卬高祭(うこうさい、高きを仰ぐ、)である。清水東は、単に“学校祭”であって、その他に言い方はない。これは、県下では他に浜松北高くらいしかないずうずうしさ(おおらかさ)である。他の学校を意識する感覚がないんだ。
この学校祭での出来事はワタシは仰天した。おそらく、清水東高校の関係者ならば全く普通の感覚なのであろう。なんと、この学校祭のテーマ曲(清水東では、賛歌と呼ぶ)が、生徒の有志バンドによる完全オリジナルの楽曲なのだ。しかも、応募数が多い場合には、オーディションをもって「テーマ曲」を決定するという。作詞も作曲もアレンジも完全なオリジナルで、もちろん、そのバンドが学校祭のオープニングを飾るというのは、全国探しても、そうあるものではない。
Youtube動画にも残っているよ。
【公式】2015年度 静岡県立清水東高等学校 学校祭 賛歌 「Story」 - YouTube

・・・このバンドのメインボーカルは東大に現役合格している。


 ただし、学習や進路の方も、どことなくこの個性を大事にはするが、学校の組織として進学させようという体制は完成していない感じがした。(富士高校の進学体制は県下有数の組織力の賜物である)、顕著な例をあげる。


 ワタシが清水東に転勤した2013年は、センター試験の必須科目がやや変化した年であった。2013年のセンター試験においては、公民科目での「倫理・政治経済」が導入され、今までの「現代社会」・「政治経済」・「倫理」に加え、倫理50点分、政治経済50点分のミックス科目である「倫・政」が新設された。しかも、この「倫・政」が東大から旧帝大、千葉大、神戸大、横国大などの難関大の文系では、必須科目となったのである。つまりは、このような文系難関大に行くには、「倫・政」をセンター試験において受験しなければならず、その為には、授業でも倫理と政経を勉強しなければならない。
 前任地、富士高校はこの変更に備えて、文系生徒は「倫理・政経」を4単位で両方学習するようにカリキュラムを変更していた。ワタシが学年主任の時代、東大から旧帝大までの難関大に64名の富士高最多合格者をだしたのだが、この数字には、文系の旧帝大(特に名古屋、東北)で荒稼ぎしたことが大きい要素となっている。ワタシは、「倫理・政治経済」が必修化されることが判って以来、着々と「倫理」の教材研究を進めていて、それほどの負担にならずに、「倫理・政経」の必修科目を教えてこれた。(今では、倫理が一番教えやすい、伊豆中央でも、それなりの倫理政経対応は整っていた)


 ところが、清水東高校では、全くの無関心・無対策のままであった。カリキュラムには、「倫理」という科目が存在しない。生徒達には、「個人的に予備校で勉強しろ」というメッセージがあっただけだった。しかも、ワタシの前任者(つまり、公民の担当)は進路課長の職にもついていた方である。この変更を知らないはずがない。
一担当に託せられる仕事ではないことも確かだ。もっと恐ろしいことに、この「倫理」が開設されていないという大問題を、先生方がそれほど大きく考えていないことにも驚いた。清水東高校は伝統ある理数科の開設校でもあり、やSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の認定校でもあるので、理系の教育には伝統的な強さがあるが、文系の進学などあまり興味がないようにも思えた。(東大の文科や一橋に行った卒業生もいるが、彼らは文転生である)


 なので、公民科として転勤したワタシは、当然たった一人の公民科教師でもあったので、「倫理・政経」問題の解決に対処した。科目「政治経済」は3年生で文系必修科目であったので、「倫理」を課外(正規の授業以外)のゲリラ的な授業として、朝7:10~8:10まで、毎週火曜日に行うことにした。これを続けながら、土曜日の「土曜講座」でも倫理を講義し、夏休みの補習でも「倫理」を講義した。そうして、やっとこさ、旧帝大以上の難関大志望者のセンター試験受験の下地作りが出来上がった。
もちろん、難関大の合否は個別試験で決まるので英数国の方が重要である。それ故、「倫理」などの科目で貴重な学習時間を割いて欲しくない。ワタシの「倫理」「政治経済」の授業・補講の目的は、「それほどの時間を費やすことなしで、高得点をとるか」であって、「哲学」などの深い理解を目指すモノではなかった。


 結果的に、この年の受験において文系難関大で目立った成果は上げられなかったのではあるが、体制作りだけは(ワタシの勤務時間を度外視した仕事ではあったものの)、整った。


 同じような問題は、良くも悪くも清水東高校の学校体制に垣間見られた。よく言えば「個性を大切にする」悪くいえば、「生徒任せ」の進学指導体制は、個性的な人材が少なくなっている現状では、ややおおきなリフォームが必要であることは明白だった。例えばの、60分授業である。一昔前、多くの進学高は65分授業を採用していた。一般的には50分授業であるが、数学や理科などの実験や長い考察が必要な科目では65分という長尺授業の方が都合が良い場合がある。しかし、もはやセンター試験(2014年当時)に見られるように、今やマルチ科目必修の時代になり、65分ではまともなカリキュラムがくめなくなっていった。
 それを、清水東高校では、65分⇒60分というマイナーチェンジで乗り切ろうとしていたのだが、誰かがここで大鉈をいれる必要があった。(これを4年後に担当するとは思ってもみなかったけれど・・・・・)


 そうして、1年目は終わろうとしていた。次回は、3学期のワンシーンから始めます。 


 
  




 




 














 






Received — 2024年5月1日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東編3を延期して近況報告

著者: tommyjhon
2024年5月1日 05:20
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

 ということで、好評連載中の「教員振り返り記」の前に、ちょっとした近況報告。


現在、ワタシの体躯上の弱点は
①腰椎すべり症で、下半身がいつもしびれている。
「腰椎変性すべり症」|日本整形外科学会 症状・病気をしらべる (joa.or.jp)

これに関しては、
フィットットという無料の体験会場にせっせと通っています。目に見えるような改善はないものの、少しずつ楽になったような・・・・・
この高電位治療ですが、ワタシのような病気よりは、糖尿病のような病気により効果があるようです。(特に不眠症に効く!!!!!)
体験会場(フィットット/いやしステーション)|コスモヘルス (cosmohealth.co.jp)



②高血圧、 定期検診がないので、とりあへず2ヶ月は放置。
そして、今一番困っているのが、


③右目だけの視力低下。
ただ今、左目が1,2くらいで老眼。右目だけが0.1以下のド近眼。なんでこうなってしまったのでしょう。
昨日、休みを利用して富士市内で評判の眼科医さんを受診してまいりました。
9時半に予約をいれて、いろいろな検査を経て、病気が判明したのは10時30分頃。病名は“白内障”。
今では日帰り手術で完治するような病気なんですね。ともかく、そのように診断されて、手術日程まで決めてきました。こういう時に、再任用ハーフ教員は助かります。日程を組むのが楽ですな。学校にそれほど迷惑をかけなくて済む。例え日帰り手術とはいっても、デリケートな箇所ゆえに眼内感染を起こすといけないので、術後3日間は安静だそうです。(特に、運転はダメ)
結果的に、清水西高校の文化祭に合わせることにしました。文化祭ウィークの後半は授業がない(と思う)。


 そういえば、伊豆中央高校に片道90分かけて通っていたとき、最大の敵は朝日だった。西から東へ一直線に自動車を運転するのだから、朝日を真っ正面から浴びることになり、特濃の偏光サングラスをかけてもまぶしさに耐えられない時が何回もあった。他の車は平常運転しているのだが、どうやって直射日光を避けているのだろうと不思議に思っていたのだが、ワタシの右目が白内障ならば、当たり前だ。白内障は光に弱い、ワタシは人よりも断然に眩しさを感じていたのだろう。
 同じように、夕方の雨も不安だった。対向車のヘッドライトで、前がほとんど見えない時があったのだが、これもおそらく白内障の症状なのだろう。
 
 白内障の治療方法は、患部に人工のレンズを入れるのだという。人工レンズは、単焦点だと保険治療で賄われ、複数の焦点を持つレンズだと、保健がきかないそうだ。単焦点というのは、老眼か近眼のどちらか一つを選ぶレンズであって、ワタシは、逆の左目が老眼なのでその老眼に合わせることにした。結果的に、手術を経て普通の老人の老眼になるということになる。ちなみに、このレンズは保険適用で6万円。老眼と近眼に対応する高額治療では50万円以上かかるらしい。
 つまり、「ケチって老眼にする」ことになる。


 眼科の受診を逃げてきたわけではない。2年前にも、某眼科医を受診している。その時は、結膜炎だとは診断してもらったが、白内障などとは一言も言われなかった。しかも、「めっかち」という差別用語(?)で済まされた。毎日の生活では左目しか使っていないから日常生活に支障はないとの診断だった。
今回は、富士市で一番評判のいい眼科をネット予約して受診した。(国一バイパスと東名の取り付け道路の交差点から近い、マクドナルドの隣にその眼科医はある。)
そこでの診断は、秒で終わった。「ハイ、これは白内障です。手術すれば視力もある程度回復します、手術日程を決めましょう」とだけいわれた。眼科医でも差があるもんだなあ。


 ということで、本日はこれで終わり、『還暦老人の清水東編③』は次回にします。










Received — 2024年4月30日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東編2

著者: tommyjhon
2024年4月30日 06:42
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、やっと転勤した(日記上)。2013年春のことである。
その時に、一番先に連絡をくれたのは、八木監督である。八木監督はワタシのことを“腐れ縁”と表現する。


 最初の腐れ縁は富士高校で一緒に担任をもったことだ。そして、3年生まで持ち上がった。3年生の時はワタシが1組で八木監督が2組。朝のSHRで、八木監督は「詳しいことは1組に聞け」と指示していた。でも、2組の連中は1組の教室掃除をよく手伝ってくれていた。3年の時の球技大会は、男子がラグビーのクラスマッチである。抽選の結果、我が1組は初戦で八木監督率いる2組とあたることになった。この二つのクラスは朝練からずっと一緒に練習してきた仲間達で、決勝であたることを誓い合っていたのだった。球技大会直前のある日、朝、グラウンドで出てみるとこんな雨にも関わらず練習しているグループがある。もしやと思い駆けつけてみると、スクラムの隣で笛を吹いていたのは八木監督だった。
1組の生徒は、八木監督を尊敬していたのだが、大切な初戦でそのような緩い気持ちがでると勝負にならない。ワタシは、対戦が決まった途端に、八木監督を、生徒の前でも“八木!!!!!”と呼び捨てにした。(このあたりで二人の器量の深さが測定される)


 次の年から、ワタシは「センター試験に出る、カタカナ語&略語辞典」を冬休み前に生徒に配ることにした。自分として初めての「センター試験・公民」を担当してみて、「あっ、これはカタカナ語&略語の知識がモノをいうな」と思い、勇気を出して、10ページくらいのプリントを試作した。そして、その翌年、「センター試験・現代社会」において、ワタシのカタカナ語辞典から、20点ぐらいが出題された(ホントだよ)。特に、「エコマネー」(地域通貨の一種)という教科書には載っていない単語がでたことで、『カタカナ語辞典』の信頼度と口コミが一挙に高まり、「トミーぱみゅぱみゅ」とか「トミッキペディア」とか、「トミノミクス」とか名前に毎年腐心しながらの出版と配布を続けていた。これは、清水東高校の最晩年にWeb化され、永遠に残っている。
ア : トミッキルーペ (livedoor.blog)

(ア)から始まり、(ヲ)で終わるカタカナ語シリーズと(A)~(Z)で始まる略語シリーズがある。
A : トミッキルーペ (livedoor.blog)

お暇な皆さん。是非、連続で読んで下さい。頭が良くなりますよ。
 このシリーズは、かれこれ15年ほど続いたのだけれど、これだけで偉大な先生(これは八木センセではなくてワタシのこと)だということがわかる。
この『カタカナ語辞典』をワタシは出来上がる度に、八木先生に贈っていた。


八木先生は、富士高で生徒課長をしばらくやられた後、母校清水東高校に帰任していた。先生にとっては待望の母校復帰であり、清水東高校野球部としての最高の名監督を迎えたことになる。実は、清水東高校は、ゴールデングラブ賞8回の名手、山下大輔さんの母校であり、選抜甲子園大会と夏の甲子園にそれぞれ2度出場している野球の名門高校である。今や、阪神の最強クローザーとなった岩崎優選手の出身校でもあるのだ。
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(山下大輔さんが、たくさんあるゴールデングラブ賞の一つを母校に寄贈してくた時のニュース)


 そうやって、清水東高校に去ったあとも、冬が来ると電話くれて、「今年も楽しみにしているよ」と催促してくれた。八木先生には、結局、最後の号までお渡しすることになった。先生が、毎回毎回読んでくれたのかどうかは疑問である。性格と老眼ゆえ、きっと『カタカナ語辞典』本体は読んでいない。でも、ワタシには「親父が好きでね・・・・」とか「女房が読むから・・・」とか毎回言ってくれた。
八木監督がいたかこそ続いたともいえる。監督は、そういう人だ。


 八木監督は、その電話口でこう言った。(清水東に転勤する前にかかってきた一本の電話から話が進んでいない)
「おお、外山。よく来てくれたなあ。俺はオマエの母校で11年間尽くしてきたのだから、今度は、オマエが俺の母校で11年間働いてくれよ」と言ってくれた。
なぜ、八木監督は、ワタシの残りの任期が11年であることを知っていたのだろう? そうワタシは49歳になっていた。
そして、加えて、
「頼むよ、清水東を救ってくれ」ともおっしゃった。(この「救ってくれ」の訴えには直ぐに気づくことになる。)


 清水東に転勤するこは(自分にとって)目出度いことである。清水といっても我が家からは非常に近く、その気になれば20分で学校に行かれる。この転勤で一番困ったのは、部活動である。
 ワタシは根っからの文化系人間で、スポーツの指導をしたことがない。スポーツに関してブログでもいろいろ蘊蓄を書いてはいるが、実際にやったことはそれほどない。体育館球技にいたってはルールも知らない。百人一首の世界に入る前は柔道をやっていて黒帯もある。しかし、こんあ危険な武道にいまさら携わる気もない。もちろん、ミュージック系の部活もダメだ。ワタシには音感もリズム感もない。ましてや百人一首部の顧問を20年もやっていたので、普通の運動部や文化部の流儀もわからない。
 清水東で、何の顧問になるのだろう?と本当に心配していた。


 ここで、暗躍してくれたのが、たぶん監督であろう(あくまでも想像の域をでない)。
なんと、ワタシは野球部の顧問になっていた。副々々顧問で、なんと野球部は4人の顧問を抱えることになったのだ。しかも、誰も兼任していない。もちろん、他の2人には野球の指導歴がある。しかもしかも残りの2人はワタシより年下で、バリバリの働き盛りである。はっきりいって学校としては贅沢だ。しかも、転勤の年、ワタシは某S岡高校野球部のことに忙しく、土日は清水東高校どころの騒ぎではない(ごめんなさい)。おそらく、中途半端な転勤ホヤホヤのワタシをごり押しして、野球部顧問に入れたのが監督さんなのだろう。
 八木監督が、ワタシを顧問にしたかったのかどうかは判らない。そして、基本的にワタシは八木監督の指導には批判的でもあった(練習よりも座っている時間が長いとなね)。右も左も判らないワタシに居場所を与えてくれたのだろう。そして、その強引な顧問配置を認めさせたことも凄いと思う。
ワタシは、監督に救われた。


 結果、清水東1年目は、3年部副担任、野球部副々々顧問のお気楽生活となった。
次の波乱をお楽しみに・・・・・












 
Received — 2024年4月29日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東高校時代を語る

著者: tommyjhon
2024年4月29日 09:20
全国の毒舌ファンの皆様おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、息子の事情(その年の夏は熱くなるぞ!!!!!!)と、全国事務局を9年もやって辟易していたことと、ちょうど3年の学年主任の任務が終わったこと、などのタイミングが合って、堂々と転勤希望を書き、堂々と表明した。管理職との面談では転勤に関しての好感触を得ていた。管理職には上の事情をすべて伝えた。この時の校長は裏切るような人ではないし、自分は優先順位No1の功労者であると自負していた。管理職からは、「どうだい、地方の高校で3年くらい勤務してみる気はあるかい?」という不思議なお誘いをうけたこともあった。これは、望んで地方の学校に行った人間は、若手が多いその学校の中間管理職に就きながら3年間を過ごし、その任務が終わった暁には管理職(教頭)に昇格させるよ。という、いかにも公務員ぽい人事なんだろう。ワタシは、第一の理由である息子の事情によって、即座に断った。地方から草薙球場に毎回足を運ぶなんて面倒くさい。


 第2の理由は、自力で解決ししなければならない。要するに全国事務局長の後任探しだ。全国にも声かけて見たけれど誰も引き受け手がいない。(それはそうだろう。面倒くさいのだから)、そんな中、ワタシの富士高校百人一首部時代1代上、浜松北高校の加藤先生が引き受けてくれた。加藤先生も凄い先生で、浜松北高校にかるた部を創設し数年で全国選手権で優勝させてしまった。しかも、静岡県内で行われた、全国国民文化祭やねんりんぴっくなどのイベントも仕切り、県内事務局長もさらさらとやっていた。国語の先生でITにも通暁していて、公認読手の資格も得ているスーパーティーチャーである。ワタシは、加藤先生の一年後輩だから、困ったときはいつも甘えていた。
 その加藤先生が事務局長の仕事を引き受けてくれたので、一番重い肩の荷がおりた。しかし、その加藤先生も実は転勤で、かるた部のない磐田南高校に移るという。加藤先生は、そんなことを一言も口にせずに、ワタシのお願いを引き受けてくれたわけだ。百人一首競技かるた業界で、加藤先生は一番の恩人である。今でも加藤先生には甘えてしまう。(他の先生は、何かと理由をつけて引き受けてくれなかった)


 もう一つ、競技かるた業界には悩みがあった。富士高校百人一首部の後継顧問問題である。ワタシが育ったこの部活、栗栖先生が創部してから12年間は栗栖先生が指導して下さった。栗栖先生が去られた後も、富士高校は日本一の称号を10年間維持していた。しかし、その後は群雄割拠の時代となり、百人一首競技かるたの裾野も広がり、指導者がいないとなかなか強豪校のレベルは維持できなくなっていった。栗栖先生にとっても高校の指導者を育てるのは悲願だったと思う。そんな中で、富士高校百人一首部からは、嶋先生・加藤先生・飯田先生(長泉高校や沼津東高校を指導)、そしてワタシなどが高校の教員として戻ってきた。
 自分が富士高校百人一首部の顧問となってからも、全国優勝もしたいが、部活の顧問を作るのも大きな目標の一つであった。この当時、富士高のOGの一人が、筑波大学を経て静岡県西部地区で国語の教員をしていた。現顧問の稲葉絵美先生である。彼女が、スタンバイをしてる状況であったので、ワタシの転勤と同時か、一年遅れくらいのタイミングで富士高校に戻ってくれるだろうという状況にはなっていた。


 本日の最後の話題。この百人一首業界が全国で急激に人気をつかむようになったのは、漫画『ちはやぶる』が連載されたからである。我々のような昔からの業界人間でさえ、『ちはやぶる』人気にあやかった。
その漫画『ちはやぶる』には、ライバル高校が存在し、それは静岡県の藤崎高校だという。どう考えても、富士高校のことだ。
事実、アニメ化された時に、富士高がモデルであったことがアニメ内で証明されてしまう。
【聖地巡礼】ちはやふる-富士編- : 週末ひとり旅 (livedoor.jp)

↑このブログで検証してみる。
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藤崎高校の最寄り駅の絵、どう考えても、身延線竪堀駅じゃろ!!!!! 電車通学する富士高生が一日2回必ず見る風景である。
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富士高の正門とそっくり。まるで写真。
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正面から見る学校の全景も、まるで写真。


ところがだ、この本格的競技かるた漫画『ちはやぶる』連載当時、富士高校の顧問は、ワタクシ外山先生である。ここまで、富士高校に似せる(寄せる)のならば、当時の顧問はこのような先生でなければならない。
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藤崎高校のかるた部顧問が、こういうキャラクターだったら、漫画『ちはやぶる』は、日本だけでなく世界的な大ヒットになったはずなのだ。しかし、『ちはやぶる』の漫画では、
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こうなっていた。桜沢翠(みどり)先生だという。


ワタシは、百人一首の業界からやんわりと否定されていた。
業界から、「『ちはやぶる』にかるた業界の発展を託す以上、富士高校の顧問は若くて美人でなければ困るのだ」と言われていたのだろう。



そうか、これが引き際なのだ。


なみに、ワタシが転勤して一年後、待望の稲葉絵美先生が転勤されて富士高校顧問となった。ちなみに、彼女はこの様な先生である。
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(画像は、フェイスブックのプロフィールから拝借、本人公認の似顔絵だ)
さらば、富士高。


そして、転勤の内示があったその夜、元富士高校野球部監督で、今は母校清水東の監督をしていた、あの八木道政(あえて敬称略の呼び捨て)から、一本の電話がかかってる。転勤に関して、外部から一番早く電話をくれたのは、やはり八木先生だった。ワタシを野球部顧問として拾ってくれたのである。


 さて、いよいよ清水東高校編に移ります。








 


Received — 2024年4月28日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人テレビドラマのプロデューサーになる。

著者: tommyjhon
2024年4月28日 06:16
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、今回はワタシが富士高校で理数科担任をしていた、2007年~2008年にかけて、高校教員(しかも県立高校の)としてはありえない体験をした話。


とりあへず、台本。
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本物です。この前、終活の一環として書籍類を一括処分しましたが、その時に見つけた、今や宝物。
かるた小町 - Wikipedia

このドラマ、たかだか1話完結のドラマで、当時は「パンテーンドラマスペシャル」と称して、脚本家の発掘を主な目的としていたらしい。パンテーン(P&G社のシャンプーブランドだって)がメインスポンサーなので、髪の美しい若手女優さんが主役に選ばれていて、綾瀬はるかや新垣結衣も主役を務めたことがあるらしい。このドラマの主役は、夏帆さんと南沢奈央さん。
夏帆 | スターダストプロモーション (stardust.co.jp)  



PROFILE | Nao's Room - 南沢奈央OFFICIAL WEBSITE (naosway.net)



 ドラマのあらすじは、源平の戦い(富士川の合戦)から、800年の時を経て、富士のお宮(米の宮神社で実際にロケが行われた)で繰り広げられるかるた合戦に、かるたなんかに全然興味のない、小倉こまち(主役・夏帆)が塩崎ありさ(南沢奈央)と組んで出場して、勝利をを勝ち取るという単純なストーリー。
ただし、このドラマは、全編、富士&富士宮地区でロケが行われ、学校の風景はすべて、富士高で撮影された。


今、中古品のDVDが1000円くらいで発売されているので、欲しい方は↓
Amazon | P&Gパンテーンドラマスペシャル かるた小町 [DVD] -TVドラマ

でも、新垣結衣主演の方が、500円くらい高い!!!!!! 「なんてこった」
Amazon | 新垣結衣主演作品 P&Gパンテーンドラマスペシャル トゥルーラブ [DVD] -TVドラマ



 ことの始まりは、職員室にかかってきた静岡県庁からの一本の電話である。フジテレビの制作室から、ドラマの背景が富士川の合戦であるので、どこかドラマ作りに協力してくれる富士山のよく見える高校を紹介して欲しいとの要望がありましたが、富士高はどうですか?という主旨だった。
フジテレビ側は、富士高がかるた競技の名門であることも知らない様子だったとのこと(悔しい)。しかしながら、静岡県庁でたまたまその電話に応対した方の友人が富士高かるた部の出身(後で中村仁美さんと判明)なので、とりあへず富士高校に電話してみたとのことだった。


 富士高校側としては、この種の電話を誰が対応して良いかわからず、これもとりあへずかるた部の顧問(ワタシ)に繋いだ。こんな面白い話を断るハズがない。
とにかく前向きに考えると電話を切って、管理職連中には、「こういう話を断るわけにいかない」「光栄なことであり、むしろ、地域の進学高としての義務」とかなんとか理屈をつけて説得した。
 管理職の回答は、「生徒の教育活動に支障がない」というのがたった一つの条件で、それ以外は何もなかった。


 しかしながら、高校でドラマを作る限りは、その他にも規制があるらしく、富士高の制服を使ったものの、ネクタイはリボンに変えさせられた。主役達に制服を提供して貰うことになるのだけれど、この時は、かるた部のOG達の制服をちゃっかり借りた。また、放課後の部活動練習風景は、野球部の肖像権(なんと、野球部だけは肖像権が県高野連に所属すしているらしい)の関係で、野球のシーンが映り込まないような工夫が必要だった。
 
 早速、東京からロケハン(ロケ地ハンティング)が着て、富士高のロケ場所(柔道場・職員室・定番の屋上)などをくまなくまわった。富士高以外のロケ地もいろいろ調べてまわっていた。


 実は、このドラマの製作をきっかけに、NPOフィルムコミッション富士が正式に発足したのだ。
FCFUJI - フィルムコミッション富士 (fcfuji.com) 

このドラマ以来、富士フィルムコミッションさんのお仕事をちょっとだけお手伝いしたことがあるのだけれど、今や、全国有数のドラマロケ地として、フィルムコミッション富士は大活躍である。(皆さんもエキストラとして参加して下さいな)
日曜劇場『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』|TBSテレビ

これも全編富士市ロケ。


 富士高校内の撮影の責任者がワタシで、富士高以外のロケは、このフィルムコミッション富士が担当することになった。
富士高校で撮影されたのは、
①富士高野球部の炊き出し部屋(あのトタン屋根のボロい部屋、なぜか、撮影監督のお気に入りとなった)
②校舎の屋上(ドラマを見ていると、よく屋上のシーンが使われるが、理由は、他に誰も来ないという単純な理由からだ)
③職員室(いろんな先生にエキストラとしてでてもらった)
④正面玄関(このロケでは、時計を隠すが大変だった。実際の時刻が映されるとまずい)
⑤体育館の始業式風景。


 さあ、この体育館の始業式風景がヤバイ。とにかく全校生徒並のエキストラを集めなくてはいけない。しかも、高校生限定だ。ワタシ達が選んだのは、進研模試の日。休日なのに全員登校する模試のあとで、ロケをやってしまおうという魂胆だ。しかし、あくまでも希望者だけであるので強制は出来ない。ことあるごとに生徒にお願いして、進研模試の終了後に残ってもらうことにした。ありがとう、当時の現役生のみなさん、お陰様で無事に撮影することができました。
次に大変だったのが、夜、独りぼっちでたたずむ主役の撮影と、かるたの練習風景。
 独りぼっちで夜にトタン小屋にいる風景など簡単と思いきや、道路に隣接しいるがために、本番中に車の音が聞こえると撮り直しになってしまい、なんと深夜2時頃まで撮影が長引いた。体育館柔道場を借りての練習風景は、これも生徒が帰った後におこなったので、深夜になった。


 さあ、最後は、米の宮神社でのかるた合戦のロケである。ところがこの日、ワタシは横浜で大会があり、部活動の引率で富士市を離れなければならなかった。夜の10時頃、ロケ地に慌てて馳ずるとまだ、ロケは終わっておらず、最後の大団円には間に合った。


 てなことで、てんわやんわのロケが終わるのだが、教員としての仕事では味わえないスリリングな日々を経験した。教員って本当にのんびりした職業だと思う。忙しいと言っても相手は(大人とはくらべものにならないくらい)従順な生徒達である。授業が多少遅れても、一年間のどこかでリカバリーすればいいので、そんなに焦ることはない。困ったら定期テストの範囲を少なくすればいいだけの話である。
 ところがだ、ドラマ撮影で、一番の激務はタレントさんのスケジュール管理である。分刻みでスケジュールが組まれて、ワンシーンが撮影されていく。撮影が無駄になればギャラも増える。しかも、天気は素直に従ってくれない。今回は雨にはたたられなかったものの、極寒の1月~2月の撮影だった。女優さん達の防寒着を持って待機するADさんやマネージャーさんも大変だ。 これらの撮影スケジュールは、助監督が担当していた。助監督は2人くらいいて、いつも激論していた。テレビドラマの世界では、誰もが監督に憧れるものであるが、このクソ忙しくて責任の重い助監督時代を経ないと監督の地位には上がれないのだ。
 
 そういえば、かるたの指導としてお台場のフジテレビ本社にも一度出かけた。観光客(見学者)としてではなく、立派な関係者としてあのフジテレビ本社ビルに入っていくのは気持ちがいいものである。ただ、あのお台場本社は交通の便が悪く、タレントさん達からは評判がわるいらしい。一度行ったきりのワタシでさえそう思った。新橋からの道のりが面倒くさい。


 こういう外部との接触って、我々「井の中の蛙」状態の教員にとってはとても大切なことだと思う。
教員と教員、生徒と教員との関係さえこなせば、実際にはこまらないのだけれど、それだけでは人間的に豊かにはなれない。これは若い教員達への還暦老人からの大きなメッセージであるが、教員以外の仕事を垣間見るのは本当に大切だと思うよ。
 彼らTV業界の人達の、「即断、即決、即行動」のスピードは信じられないほど速かった。


今、再任用教員として、生徒に一番要求しているのは、「起立・礼・着席」のスピードである。
教員が授業教室に入る、生徒はチャイムがなるまで先生方を無視している。まるで、先生など存在しないかのように振る舞っている。チャイムがなると係の生徒が号令をかける。そうして、今度はクラスと生徒がやっと立つ。やっと全員立ち上がると、今度は、「気をつけ」(?)の号令をかける。やっとみんながしっかり背筋を伸ばして、やっと、「礼」の号令がかかり、その後も、気をつけの姿勢に戻ったのを確認して、「着席」の声がする。
 おいおい、こんなゆっくりに挨拶する業界など、学校以外にないよ。
どこのテレビドラマでも、上司が部屋に入ってきた途端に、部下は立ち上がり頭を下げるだろう。このスピードが大切なんだ。


 さあ、そろそろ、清水東高校時代の話にうつろう。 






 












Received — 2024年4月25日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人進路指導を語る

著者: tommyjhon
2024年4月25日 06:39
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

 ということで、本日は好評連載の「還暦老人教員時代を語る」シリーズ第●●弾


その前に、本年度より、再任用ハーフ教員となり、1ヶ月。
その現実報告
①給料は16万円くらい。(思ったより高かった)②月曜日休み、水・木が午前中の勤務(メッチャ楽、学校行事やHR活動に関わらなくて済む)③授業の教材作りは家で。④4月はタケノコ掘りとワラビ獲りに忙しかった。⑤退職金がまだ振り込まれていない(未確認かも)⑥家事を一杯している。(洗濯は当たり前、夕食作り)⑦煮物にチャレンジして高評価(タケノコとワラビの煮物、鳥レバーの甘辛煮)⑧砂糖・みりん・醤油は1:1:1であとは応用なんだ。・・・・・・と、ハーフ教員を満喫しているのさ。




 さて、連載企画では、富士高校3年学年主任となったとなっている。
結果を先にいうと、凄い合格実績だったんだ。
進路室だより2022.pdf (pref.shizuoka.jp) 某F高校の『進路室だより』は、ありがたくにも過去20年間の合格実績を掲載してくれていて、ワタシの学年は「平成25年」の数字です。(業界関係者はかなり驚く)

 この要因は、担当する先生方が素晴らしかった事に尽きる。何が素晴らしいって、①面接を毎日のようにやってくれたこと。(生徒の意識や様子がすぐにわかる)②学習時間(と内容)をよく把握してくれたこと。の2つである。
ワタシが理数科担任をしていたとき、よほどのことがなければ、平日の昼休みは「面接時間」だった。生徒の食前、と、食後の2つにわけて、毎日2人ずつと面談(中身は近況のおしゃべりだった時もある)していた。この学年団を牽引していたW先生は、朝の日直の御用聞き(死語?)と必ず毎日15分の面談タイムを設けていた(こういうところを尊敬している)。とにかく、生徒を把握するためには、生徒とよく話をしなければならない。たったこれだけだと思う。


 次の学校に転勤した後、年間行事予定表に「生徒面談」と書かれており、その時期にしか面談をやっていない先生がいて愕然とした。面談なんて毎日、エンドレスにつづいていくものだ。だいたい、どこの学校でも「生徒面談」が4月に行われることになっている。そして、授業が5分短縮となる。この5分短縮という時間割の本当の意味は、「部活動1年生勧誘&練習強化週間」であって、生徒にとって美味しい時期なのである。先生方に、「この時期だけ、生徒面談をしろ」という意味はない。ワタシは、「生徒面談期間」にしか面談をしない担任を信頼していない。


 そして、この好成績をあげる為に、学年主任としてやったことは、毎回のベネッセ模試をよく分析して、生徒の学力動向を完全把握することだった。
ベネッセの担当者さんは、ことあるごとに学校に来てくれる。進学指導に興味のない先生方は、“業者となんだか怪しい関係”とか、“生徒が業者の食い物にされている”と批判しているらしいが、全くお門違いの批判であると思う。ベネッセさんとの共同作業による生徒学力把握は、進路を実現する上で絶対の必要条件なのだ。ベネッセさんの学力把握インデックスにGTZという指標がある。初めて聞いたとき、これはとてつもない計算式を用いた高等情報処理技術であると勘違いしていた。それは、GTZという名前がいかにも高等情報処理っぽく聞こえたからだ。
 だから、GTZという言葉が、G(学習)T(到達)Z(ゾーン)だとわかった時には少しガッカリした。GTZは単純な累積分布でだったのだ。


「平均点ではなくて、累積分布」ということを富士高校の先輩進路課教員からよく言われた。よく、模試成績のデキを「クラス平均」とか「学年平均」とかで比較して「出来た!!!!!」、「出来ない(怒)」と一喜一憂する教員がいる(生徒も多い)。こういう教員もあまり信頼していない。生徒の進学のためには、度数分布こそが重要なのだ。


 度数分布の件は、最晩年の伊豆中央時代に、(先生にならばまだしも、)生徒に向かって、「それは、オーストラリアのおばちゃんだよ」と意味不明な発言をしてしまったことがある。
少し時代は飛ぶが、あらためにその「オーストラリアのおばちゃん」の意味を説明する。(女性蔑視の表現なので、このような差別発言に敏感な人はこれ以上読まないでください)
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オーストラリアのおばちゃんとは、↑の写真みたいな感じの人をいう。なぜオーストラリアかといえば、ワタシが行ったことのある唯一の外国だからである。
18歳以上の肥満率は67パーセント!オーストラリアの現状と国家肥満戦略 | 世界ウーマン | 世界で働く女性のためのポータルサイト (sekaiwoman.com)



度数分布とは、このおばちゃんを輪切りにすることである。


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このブログのために、わざわざ作った画像(↑)
これは、高校3年生の時(特に共通テスト後)に、進学面談でよく使う、志願者度数分布。A判定はだいたい合格する。ところがだ、A判定以外は、志望学部によって、度数分布が全然違う。募集人数の少ない教育学部などは、スリム型の度数分布になり、だたいが、上位判定で決着する(D判定やC判定からの逆転合格が少ない)逆に経済学部や工学部などは、B・C判定の数がパンパンに膨らんでいて、2次試験の結果如何においては、B~Dのゾーンで普通に逆転がある。
 要するに、オーストラリアのおばちゃんとは、この志望度数分布が、どのような形をしているかによって、合格までの道のりが大きく違うことをあらわした言葉なのである。


 そして、ベネッセの模試につけてある、GTZというのは、この度数分布早見表のことであって、この「オーストラリアのおばちゃん指数」に1年次から慣れ親しんでおくべきなのだ。
ただ、これはあまりにも女性蔑視表現なので、一般には、壺の形であらわしている。
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これを、ハクション大魔王型とよぶ。(SATBCは、まさしくベネッセGTZによる大分類)
模試成績でいうと、「上位層は、確実に東大に入れそうな人材がいるが、SからAの層が薄くて、成績下位者も多い状態」のことだ。



土器に喩えるとこうなる。↓
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ほらね、教員組織における模試の活用(フィードバック)って、平均点ではなく、度数分布だということがわかるでしょ。
お陰様で、富士高の学年主任時代に受け持った生徒達は、縄文時代の壺のような形をしていた。
もちろん、Sクラスはそれほど数が多くないが、Aクラスの層が異様に厚かった。
このような度数分布を持つ学年として、どのような進路指導がより生徒の進学を支えていくのかの答は、もう出ている。
A層を応援して、育て上げることなんだろうね。


こうやって、生徒の進学指導をしていくのである。


次回は、いよいよ、富士高時代最後のコーナー、「Tommyセンセ、テレビドラマを製作する」になります。
Received — 2024年4月23日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人の3年学年主任時代

著者: tommyjhon
2024年4月23日 05:49
全国の毒舌ファンの皆様 おはようざいます。Tommyセンセです。

ということで、還暦老人の振り返り記は、いよいよ3年の学年主任@富士高に突入する。
 この高校は、地域トップの進学高であるので、どこの大学にどれくらいの生徒が進学していったかという数をいろいろな形で争うことになる。高校の実力を測る基準というのは存在しない。各高校を比較することにどれくらいの意味があるのか?という反論があることも承知している。ただ、他に「高校の力」を計る基準が存在しないので、比較好きの人間(すべてそうだ)どもは、直ぐに国公立大学進学者数とか、難関大進学者数とか、有名大進学者数とかで比較するのが好きになってしまうのだ。


 保護者達からは、地方の国公立大学に進学して、首都圏の有名私立大学に進学した場合と比較してどれくらいのメリットがあるのか?と単に国公立大学進学者数を争うこのバカ狭い業界に対しての文句を言われる。
 これには多くの反論がありとても列記しきれないのだが、教育に携わるものとしては、断然、国公立大学の方に合格することがいい。国公立大学進学という言葉から国公立大学合格という単語にさりげなく変えたのも少し意味がある。国公立大学に合格するためには、5教科7科目(今は8科目?)のすべてをしっかり勉強しなければならない。理系の学生は国語(特に古典)とかの文系科目が苦手な人が多いのだけれど、建前上、理系であっても国語が出来なければ上位国公立大学に進学できない。
 文系は特にそうで、文系(数学が苦手)な生徒であっても数学が出来なければ上位の大学に合格できない。特に、文系の大学序列は露骨に個別大学試験の科目数となっている。東大文科の試験科目は、国・数・英・地歴2科目の5科目、次に偏差値が高いとされている一橋大学は国・数・英・社会の4科目、次に続く旧帝国大学(旧帝と略す)が国英数(もしくは地歴)の3科目、旧帝に次ぐ有名大学(千葉大など)も3科目、一般国立大学が国英の2科目、国公立の周辺大学では、1科目となっている。もちろん、個別試験の前段階で必ず受験する共通テスト(昔の名前はセンター試験、もう少し前は共通一次)は5教科7科目の全部を受験しなければならない。


 そもそも、大学とは、スペシャリストを養成する場ではなく、ゼネラリストを育成する場なのである。
 ゼネラリストとは?スペシャリストとの違いやメリット・デメリット|20代・第二新卒・既卒向け転職エージェントのマイナビジョブ20's (mynavi-job20s.jp)
 <コピッペ、読み飛ばし可>
ゼネラリストとは、幅広い知識に精通した多角的な視点を持つ人材のことです。
英語の「general(ゼネラル)」が語源で、その意味は「全体的、全般的」と翻訳することができます。また、よりネイティブ的な発音に近い「ジェネラリスト」と呼称されることもあります。

主に人材登用などのビジネスシーンで用いられ、スペシャリストとの対比で俎上に挙げられることが多い用語です。



ゼネラリストってどういう人?3つの特徴
豊富な知識と多角的な視点
ゼネラリストと呼ばれる人材は、特定の分野に知識や経験が偏っているのではなく、幅広いスキルや知識を普遍的に備えている点に大きな特徴があります。
たとえば、過去に多様な職種や部署を経験し、豊富な分野の知識を有している人材は、典型的なゼネラリストと呼ぶことができるでしょう。

多様な知識と経験の裏付けによって、物事を多角的な視点で見ることに長けており、バランス感覚に優れた独自の意見を出すことができます。

客観的な判断力を有する
客観的な判断力を備えている点もゼネラリストに特徴的な能力です。


ゼネラリストは経理や人事、商品企画といったビジネスの幅広い分野の知識・経験に精通している人材です。そのため、特定の部署の意見や理屈に偏らず、客観的かつ公正な視野から意見や発言を出すことができます。
常に全体の利益を追求し、公平な立場で組織を見渡せることから、ゼネラリストは管理職や監督職として特に重宝される存在です。

臨機応変な対応力
組織運営において、不測の事態が生じることは決して珍しいことではありません。


病気や家族の不幸を理由に人材に欠員が出たり、社会情勢の変化によって以前の常識が通用しなくなったりなど、その都度臨機応変な対応力が求められます。
その点、ゼネラリストは知識や技能の幅が広いため、不測の事態に直面したときでも、過去の経験から最適解を導き出すことができます。

このように、さまざまな事態に備えて臨機応変な対応力を有している点もゼネラリストの特徴です。


<コピッペ終了>


 この通り、普通科の学校というのは、ゼネラリストの育成するために存在する高校なので、多くの教科を勉強しなければならない!!!!!、そしてその多くの教科で結果を出さなければならない。というミッションが「普通科高校が誕生した時点」から存在する。なので、大学受験は、ゼネラリストとしての資質を選抜するのであれば、よりマルチな科目で高得点をとれる人材を選抜するシステムを作り上げるべきなのである。
 その点でいえば、受験科目を国・英・社(地歴・公民)に絞って平気で大学を名乗る私立大学の方がダメ大学なのだ。今の所、私立大学で一番優秀なのは慶應大学であるけれど、慶應大学の受験科目は、文系なのに数学が必修であることなど、やはり理念的にも優秀である。現在の日本経済を牽引しているのは慶應経済の連中なんだが、それなりに納得はしている。


・・・・・このテーマって、くどくなるなあ。(反省)


 とにかく、どことなく、進学高って「国公立大学(難関大学)の合格者数」を争う所という評判ばかり目立つのだけれど、もちろん、それだけではない。ただ、それ以外に比較する指標がなく、その指標が実際のところの(国家の)教育理念と合致していることをいいたいのである。


 比較、比較といいますが、どこと比較しているのか。これも、反論は多数あれど、ワタシが一番信頼しているのは、ダイアモンドセレクトである。
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他にこんな特集を組んでくれる雑誌は他にない。ワタシは2012年ころから定期購読している。


 そして、このダイヤモンドセレクトの特集として、全国「大学合格力」が発表されていることに、逆に注目してほしい。大学合格力に注目しているのは、あくまでも“大人達”である。子ども達には、それぞれの道があり、その生きる場所があるので、「大学合格力」によって子どもの人生が決まることはない。
自分の子ども達は、やはりそれぞれの道を選択し、長男と次男は全く違う高校生となった。したがって、高校を「大学合格力」だけで決めることには無理がある。もう一度言います、「大学合格力」のランキングは、あくまでも大人の話なのだ。


 つまり、高校における「大学合格力」とはシステム論とかマネジメント能力とかいう大人の組織の問題であって、組織として、その高校がどのように築かれてきたのかが反映されていると思う(極論だけど)


 学年主任という中間管理職となり、その後は、教務課長も進路課長も長く経験したけれど、これら教員中間管理職の仕事は、「組織力を高め、システムとして機能させる」ことである。まあ、教員クラスの担任みたいな感じだ。


 さて次の話題。組織力としての教員団を率いることとなると、次は「目標設定」となる。
今や、この(正確には何という名前か知らない)マネジメントシステムは、静岡県下の公立高校にも上から目線で押しつけられていて、各学校には、学校経営計画書なる文書があり、この学校経営計画書に基づいて教員団が仕事をすることになっている。そして、「目標」がある。ところが、学校の経営目標って数値化することが出来ない。“いい学校”ってどういう学校なんだい???
数値科目標のために、学校満足度アンケートなんかが連発されて生徒に沢山お願いしているが、これは学校経営を数値化して可視化するだけの問題で、可視化したからその学校は上手くいっているわけでもない。
 ただ、進学実績に関しては、数値目標が極めて設定しやすい。もう結果のすべてが数字だからである。(もちろん弊害もある)


 進学実績(すでに数値化されている)でどのように数値目標とするか?一番の基準は、過去実績(しかも前年度実績)である。えてして進学高で学年主任を引き受ける場合、その直前の学年が、わりと低い数値であると気楽だ。逆に、前年の進学実績(すべて数値)がとってもいい成績だと、冷や汗がでてくるというものである。
ところが、同じ高校に同じ入学定員で毎年入学してくるとはいえども、その全員が過去の学年と同じ状況とは限らない。定員減などの外的要因がなければ大きく狂うことはないが、それでも微妙に違う。
 その微妙な違いをしっかり認識して、進学に関する「目標設定」を上手にやることを手助けしてくれるのが、教育総合商社(教育コングロマリット)のベネッセさんである。次回はベネッセさんとの話になるのだが、昨日の月曜日、ベネッセさんは会議日であったはずだ。月曜日は岡山本社には幹部達があつまり、各支社には末端までの社員達があつまってミーティングを繰り返すことになっているらしい。このブログ、ベネッセさんの社員ミーティングで話題になったこともあると聞いている。同じ教育コングロマリット河合塾でも同じ事があったと耳にしている。
 教育業者さん達は、このブログの重要なお客様(儲けていないけど)なのだ。
気合いをいれて続けます。次回をお楽しみに。
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