ノーマルビュー

Received — 2024年6月3日 tommy先生の「世相を斬る」

連載終了にあたって

著者: tommyjhon
2024年6月3日 08:52
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

 ということで、前回で、「還暦老人・・・・・」を強引に終わりにした。
3月13日に教員生活第1回目をはじめ  還暦老人過去を語る。 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)
かなりの頻度で更新し、前回最終回とした。還暦老人教員生活を振り返るの記最終章⑤ : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)
延々3ヶ月。よくやったと思う。


 この週末は、土曜日に最後の勤務校伊豆中央高校にお邪魔して、日曜日には母校富士高校にお邪魔した。生徒の活気ある姿と、忙しそうに動き回る先生方に出会い、こみ上げてくるものがあった。
ただし、写真は撮らなかった。この2日間は、リア充のご報告ではなく、自分自身への終わりの挨拶である。「お世話になりました」
ただ、普通に教員をやっていただけだけれど、自分自身としては、大きな幸せや小さなそれ、大きな変化と大きないざこざの連続であった。この日記中、インターネット上のトラブルに関してはあまり書かなかったが、数知れないほどのクレームをいただいた。ただし、インターネットは大きな発見を毎日させてくれて、ワタシの教員人生最高最大の恩師である。


 3月にも書いたが、「還暦老人・・・・」のシリーズは山口瞳先生(作家)のパクリである。
山口瞳 - Wikipedia

 
_e0041047_08132711.jpg
 山口瞳先生は、なんと昭和38年(1963年)に『江分利満氏の優雅な生活』( 文藝春秋新社)を世に出して直木賞を受賞された。昭和38年というのはワタシの生まれた年である。ワタシがガキの頃にはもう流行作家だったことになる。その山口瞳先生の作品を高校3年の頃から読み出した。最初に読んだ作品は忘れてしまったが、『江分利満氏の優雅な生活』の題名でも判るとおり、山口先生の小説の主人公は、いつも先生ご自身である。こういう作品群を私小説という。ただ、一般に私小説というジャンルは、主人公が叶わない恋をして最後に絶望にくれる、とか、主人公の過酷な生活をルポ風に書いて社会派を気取るとか、多くは小説としてのメッセージ性が強いものだと考えられていた。
 山口瞳先生の書かれる作品はそうでもなく、本当に毎日の日常生活を描写しただけだった。こんな作風の小説に惚れるのだから、ワタシは相当風変わりである。高校・大学の生活の中で、好きな作家が山口瞳であるという人物には誰一人会うことはなかった。この山口瞳先生の生涯は、昭和38年から、一度も途切れることなく31年間もの間『週刊新潮』に連載されていた“男性自身シリーズ”ですべてわかる。男性自身シリーズをウィッキからスクショ
_e0041047_08272618.png
 ほらほら、連載の後半は“還暦老人・・日記”シリーズになっているでしょ。
実は、随分前から自分でも“還暦老人・・・日記”はやってみたかったのさ。


 ということで、一応、教員生活とこれを記録するブログにピリオドを打ったので、これからは日記系ブログと、今まで教員生活記録としては、残してこなかった“政治経済系”のブログをやはり更新し続けることにする。こうして、朝、パソコンの前に向かえなく時まで続けるのじゃ。


 では、今週の予定。


 6/3(月) 今日から、右目への点眼を開始する。白内障手術に備えて右目をクリーンにするためらしい。学校は、代休日でお休み。生徒も休みだと、いつもの月曜日のように後ろめたさがない。午後には、我が家を建ててくれたダイワハウス工業のリフォーム担当が、定期点検結果とリフォームの見積もりを持ってきてくれるらしい。ライバルの住宅メーカーに勤めている息子の見解は、本当にリフォームが必要なのではなくワタシが定年を迎えたこのタイミングでのご提案なのだという。さすがに、もちはもちやだ.目の付け所が違う。もう少しでリフォームにサインするところだった。
 
 6/4(火) 授業が4時間もある。週2回、全4クラスを担当しているのが「公民」なのだが、これからの2週間、清水西高校の文化祭(ともえ祭、という)の関係で、週1回しかない。ともえ祭が終わると、もう期末テストの声が聞こえる。


 6/57(水) 愛車クロスカブ110。クロスカブ50 / 110 | Honda公式サイト
のちょっとしたカスタマイズを予定。いよいよ、夏休みはツーリングで一泊じゃ!!!!!


 6/6(木) 右目白内障の日帰り手術。人生2度目の手術、しかも、それらはすべて顔面。ワタシはどうも顔面の組織が弱いらしく、学生時代に、顔面神経麻痺を起こして2ヶ月間の間、右半面が動かなくなった(これは電気治療で完治した)また、これも大学生の時だったけど、下唇に腫瘍が出来て、摘出手術を3回やった。2回の手術では全摘できずに直ぐ再発してしまったので、静岡済生会病院でしっかりと2泊3日で手術した。清水東高校時代は、ものもらいで目が見えなくなり学校を休んだこともある。


 6/7(金)~6/10(月) 清水西高校のともえ祭。一般公開が8日であるが、ワタシは自宅療養。医者に、白内障は日帰り手術だがその後3日間は活動禁止だと言われた。だから、授業のないこのこの日程を選んだのさ。




 さあ、これが人生最後の手術となるか?それとも、臓器を切り刻まれる老人生活の本格的スタートとなるか、お楽しみはこれからだ。
続く。


 


Received — 2024年6月1日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人教員生活を振り返るの記最終章⑤

著者: tommyjhon
2024年6月1日 06:41
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、このシリーズの最後を書き上げて、伊豆中央の清流祭に遊びに行きます。
【公式】静岡県立伊豆中央高等学校(@izuchuo_hs_official) • Instagram写真と動画



教員生活をまずは、10行で振り返ろう。
①それほどのも強い意志のないまま、周りの人(特に、当時付き合っていた彼女)に流されて教員になってしまった。
②でもなったからには、高校時代から始めた競技かるたの世界で「高校日本一」の生徒を育てようと決意した。
③かるた部のある長泉高校に赴任するまで、6年間かかった。でも、その間に結婚ができ、子どもにも恵まれて家庭生活の基盤を築くことができた。
④家族を作るのと、かるた部の指導をすることの順番が逆になったいたら、ずっと独身だったかもしれない。(こういう人は実際にいる)
⑤高校かるた日本一は、長泉高校と富士高校で達成した。記録を辿ってみると、富士高校に在籍していた最後の4年間、全国選手権では東京都暁星高校以外に負けていない。憎たらしいなあ。
⑥学年主任とか、進路課長などを任されたとき、やはり競技かるたの世界で培養された「勝負に勝つ」というエネルギーがその分野でわき上がってきた。
⑦実現可能な勝負は倒せそうな対戦相手を決めることが必要だ。
⑧それは、国公立大学の数であったり、旧帝国大学の数であったり、京大の現役合格者数であったり、抱える生徒の度数分布を分析することからはじまる。
⑨本当に偶然だと思うが、伊豆中央高校はワタシにいい死に場所を与えてくれた。進路課長として上手くいけば心地よく教員人生を終えることが出来る。


ということで、伊豆中高校での最初の2年間、
 国公立大学の合格者数は、43人⇒53人と上がった。伊豆中央高校の学校目標では、国公立大学合格者数を25%と謳っている。200人定員ならば50人だ。なので、最後の年、令和5年度卒業生(令和6年入試)の目標は60人じゃ。そして、長らく旧帝大(東北や名古屋など)に合格していないと聞いていた(記録でさかのぼれない)ので、旧帝大にも合格者がでるといいなあ、これも目標にしよう!!!!!


 実はこの学年の3年生は、ワタシが伊豆中央に赴任してきた時の入学生である。その時には1年部副担だったので、生徒達には「ワタシも残り3年の教員生活、君たちも3年間の高校生活、ともに有終の美を飾ろう!!!!!」といっていた。
だから、校長先生から「貴方の世代から、希望すれば定年が延期されるよ」と打診があった時は、即座に断った。この3年生と共に誓い合ったことを裏切ってはならない。


 長い間、進路指導をしてみて、受験で一番重用なのは2月であると気づいていた。1月のセンター試験(共通テスト)や入試検討会くらいまでは、「勉強しなければならない」という雰囲気なり空気なりに支配されているので、どんな奴でもそれなりに勉強をする。実際にどこの学校でも、秋に推薦入学などで合格した生徒でも、センター試験(共通テスト)は受験させるという方針で指導している。
ところが、2月になると、生徒は学校に来たり来なかったり、周りは勉強する奴もいれば、何もしない奴もいる。中にはアルバイトに精を出す人間がいるかも知れない(禁止しているいないは関係ない)。全体で醸し出される「勉強しよう」という空気は一気に消える。
でも、よく考えれば2月の勉強科目は、3~4科目でいいのだし、大学によっては2科目でも十分合格できるのだから、2月の過ごし方によって、合否は相当変わる。受験は、勉強した生徒の学力が伸びていく段階から、勉強をやらない生徒が脱落していく段階になるのが2月なのだ。脱落する者の中には、諦めた生徒以外に、もう進学先が決まった生徒も含まれる。


 ところが、2月の生徒に対する過ごさせ方が、高校によって大違いなのだ。2月22日まで、みっちりと講座を設けている学校もあれば、2月の初旬で家庭学習に入りあとは自由登校という学校もある。2月22日まで講座を開設している学校であってもくる生徒がまばらだったりする。富士高校の3年学年主任の時、生徒はみんな最後まで学校にきて授業を受けていた。清水東高校では自由登校という言葉を学校の行事からなくした。
伊豆中央でも、教務課の時間割担当の先生が協力してくれて、2月22日までの3年生の授業を確保してくれた。授業と言っても中身はその先生任せで、生徒の出欠もならないのだけれど、「毎日1時間目には、化学の先生が教室にくる」「毎日4時間目は数学の宿題を出さなければならない」とか「英作文の添削をしてくれるのは3時間目だ」という生徒側から見た感覚は、2月をリズム良く勉強することに大きく貢献した。
 後は、結果を待つのみである。ここで上手く合格者がでたら、3年部の先生の大きな経験になるし、2月も授業のシステムが結果を残すことが証明される。
ということで、気分良く伊豆中央で進路課長の役を終え、退職ができたのさ。


 受験生って、基本的には「頑張ろう!!!」とか「勉強しよう!!!!」という意気込みを持っている。そういう人間に対して「頑張れ!!!」とか「勉強しろ!!!!」というのは、愚かしいと思う。ワタシ達教員の仕事は、「頑張れ!!!!」とかの声をかけることではない。
ワタシ達教員の仕事は、「自然と頑張ってしまう環境」をつくることであるし、「自然と大学に合格してしまうシステム」を構築することである。
この典型的な例が、進学高の2月の過ごし方であって、「あとは、個人のやる気」ですます学校と、「2月も自動的に登校して添削を受けてしまうシステム」をもつ高校では大違いである。


「自然と目標達成してしまうシステム」を構築した部活動は、強い。「自然とやる気がでてしまうクラス」の担任の声かけは、上手い。「自然と勉強してしまうシステム」が出来上がっている学校は進学に強い。
 教員人生が、副担任と部活顧問⇒担任と部活顧問⇒中間管理職っぽい仕事⇒課長と成り上がってく中、常に考えていたのは「システム(構造)」である。言っておくが構造と役割分担は違う。進路課長や教務課長の仕事を、単に先生方の役割分担と勘違いしている方も時々おられるが、それは浅はかだ。
教員だって、「自然と頑張ってしまうシステム(構造)」とか「自然と上手くいくシステム(構造)」とかがで働くと気持ちよく働けるものなんだ。
 教科指導だっても構造論を貫いた。ワタシは公民なので、「公民は10月かスタートすれば十分だ、英語や国語、数学は、料理に例えれば煮込み料理であって何十時間も手を加えなければ美味しくならないが、公民はチャーハン的な科目であって本番のテスト前に、大火力の鍋でガーっと作った方が美味しいのだ」といつも言っていた。
(実際のところ、公民という教科は積重ね的な勉強が必要ない)


構造を考える(変える)ことによって大きな変化をもたらす。というキャッチフレーズは、近年「行動経済学」で大きく取り上げられた。


この一連のCMは、3年部の若手先生が、学年集会で使ったものである。(わかってるじゃん!!!!!)・・ということでワタシの仕事も終わった。


ワタシは、倫理分野で学習するレヴィストロースやミシェル・フーコーを学んでから、この構造という言葉に目覚めた。
ワタシにレビストロースを紹介してくれたのは、内田樹先生のHPである。
内田樹の研究室 (tatsuru.com)



_e0041047_06350263.jpg

_e0041047_06351674.jpg
 読書するって重要なことで、読書は行動を変えるのよ。
ちなみに、内田樹先生をしたのも、パソコン上であって、ワタシは本当に実生活でであった先輩の先生方にも深く感謝申し上げるが、パソコン上の先生方、活字上の先生方にも感謝申し上げる。ワタシの教員生活を支えてくれたのだ。




では、この「還暦老人、教員生活を振り返るの記」を終わります。カッコよく書くと、・・・・とを祈念して筆を置く。
次回からは、毒舌日記に自動変換。








Received — 2024年5月31日 tommy先生の「世相を斬る」

緊急打電、日本で暴動が起きる恐れ

著者: tommyjhon
2024年5月31日 07:15
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、好評連載中の物語は休載して、今日X(旧Twitter)で目についた記事を紹介。
町山智浩(@TomoMachi)さん / X (twitter.com)

から教わりました。
森友関連文書、財務省が再び不開示 「公共の安全に支障及ぼす恐れ」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)



_e0041047_06571935.jpg



これは、裁判ではなく、総務省の情報公開・個人情報保護審査会が開示請求したのに、財務省側が拒否したという構図。


しかしながら、財務省側の不開示理由がものすごい。
なんと、
「公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼす恐れがある」



 この財務省持っている、森友学園問題の文書(職員が、改ざんを命令され、その苦痛に耐えられず自殺した件)を開示すると、



「公共の安全」が脅かされ、「秩序の維持に支障がある」とうものだ。
この理由を聞いただけで、財務省の文書が、恐ろしい内容のものであると白状したと同じだよ。


 しかしだ、財務省の官僚って日本のトップ頭脳の持ち主だから、語彙も我々よりも相当豊富に違いない。
不開示の理由を表明するに、「公共の安全」とか「秩序の維持」とかの言葉を使うってことは、やっぱり、素直にこの文書を開示すると、クーデターが起きたり、デモが勃発したり、政権が転覆する、おそれがあるのだろう。


・・・・恐ろしや・・・


この「公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼす恐れがある」とまで言われる文書を、見てみたい人は政権交代を求めましょう。政権が交代すれば見られると思うよ。


そして、
国民の一番の関心事である、こちらの裁判。
安倍元首相銃撃事件 3回目の公判前整理手続き 山上徹也被告も出席 | NHK | 安倍晋三元首相 銃撃

これも裁判日程がほとんど決まっていないという。

そりゃそうだ、自民党が政権の座にあり続ける限り裁判は始まらないと思うよ。
これも政権交代すれば始まる。


ジャーナリストとかメディアとかで働く人たちって、「真実を知ろう」という欲求が、その職業を選ばせただと推測される。 自民党や小池百合子の忖度記事ばかり書いてそれで嬉しいのかなあ?????


森友事件や山上徹也の真実のを知りたいと思うわないのかなあ?




Received — 2024年5月30日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人教員生活を振り返るの記最終章4

著者: tommyjhon
2024年5月30日 06:09
全国の毒舌ファンの皆さま おはようござます。Tommyセンセです。

ということで、今週末は伊豆中央高校清流祭(土曜日にお邪魔します、某F高は日曜日)
【公式】静岡県立伊豆中央高等学校(@izuchuo_hs_official) • Instagram写真と動画



この2校の文化祭をこの「振り返り記」の終わりにしよう~。きりがないから~ Teacher is over だ。


 今の某S水西高校に転勤し、深く感嘆したのは、伊豆中央高校生徒の真面目さである。逆に、伊豆中央高校に転勤して一番驚いたのは、なんと1年生の7月に文理選択をほぼ終えてしまうことである。
 高校生にとって、高校1年生の文理選択は、これで一生が決まる一番大切なことである。本当ならば、ずいぶん昔のように、文理選択など3年生でよい。といえばそれまでだが今の受験システムはそれを許してくれない。普通高校の進学用カリキュラムのことを考えると、2年生から文系・理系に分けるのが合理的だ。それでも、文理選択で一生が決まってしまうこともあり、その最終決定は、本来ならば1年生の最後の最後にしたい。
 しかし、日本の官僚制度がそれを許さない。静岡県は1月に文科省に文理選択の数を上申せねばならず、ならば、末端の高校は11月に県の教育委員会に報告しなければならない。学校が11月に報告するのならば、生徒はほぼ10月までに、自分の人生決定をしなければいけないのだ。理系から文系に移るのは比較的可能だが、文系から理系に移るのはほぼ不可能である。一度文系を選択すると、数学Ⅲと数学C、理科(物理・生物・化学)の中の2科目が履修できない。数Ⅲと物理化学の3科目が理系の必修科目で、2年生中にスタートしないと間に合わないのだ。
(ただし、伊豆中央高校でたった一人、ワタシの生涯でたった一人、文系から農学部に現役合格した奴はいた)


 さきほど、文科省に1月までに数を伝えなければならない、と書いた。しかし、なぜ日本の官僚トップが末端の高校生の科目選択の数まで把握する必要があるのだろう?
霞が関と静岡のイチ高校生になんら直接的な利害関係はない。おそらく、これは教科書制度が大きな理由だ。日本の教科書は文科省が検定を実施している。これはこれで「表現の自由」関連の問題として残るが、この官僚的な組織のおかげで、教科書会社はマーケッティングに関係なく次年度の需要供給量を見極めることが出来る。つまり、 在庫ゼロ、利益確定の商売が出来るのだ。(教科書一冊には必ず副読本一冊が付いてくる) 
 要するに、1年生の秋に文理選択を迫るのは、教科書会社と文科省の談合体質でもある。だからといって逆らう訳にもいかず、だいたいが10月に文理選択は決定する。


しかし、それを伊豆中央高校では1年の7月にほぼ決めるのだ。


どういう利点があるかというと、
①まだ、数学の授業でストレスかかかっていないので、理系をあきらめる、という事象が減る
②つまり、「夢や理想」が文理決定の最大要因となる。
その代わり、欠点は
①あまり自分の実力を知らないまま文理選択をするので、ミスマッチの出現が多い。
②能力のない生徒(数学と理科)が理系を選んでしまうと、出来ない人間として過ごすことになる。


おそらく、一般の進学校教員は、欠点のことを重視するだろう。特に文系教員は「自分は数学が苦手だった」というトラウマに病んでいいた過去を持っている。そして、ミスマッチで教員と生徒の両方が苦労した過去を持っている。
 ただ、現実は「理系の方が稼ぎが多い」という現実もそこに存在している。この格差は、30年の不況の中で逆転しさらに拡大した。バブル全盛の1980年代の花形は、文系の出来る奴らであって、理系はかなり地味な存在だった。(ワタシの同級生で、証券会社に就職し、ボーナスでBMWの新車を買った奴がいる)
 ちなみに、1980年年代のBMWは「六本木のカローラ」と呼ばれた。
“六本木のカローラ”と呼ばれたBMWの「E30」。そのワケに納得 (oceans.tokyo.jp)

_e0041047_05424214.jpg
ところがだ、2020年代ははっきり、理高文低である。理系の大学院卒が「人生の勝ち組」になり、文系学部卒は就活で塗炭の苦しみを味わうことになった。我が家は、長男が理系の大学院卒で大手企業の研究職となり、次男が文系の学部卒(実際はやや違う)で大手企業の営業職となっているが、サラリー、福利厚生、ノルマ、などなど相当な違いである。(もちろん理系がお得)


 理系人間が一番あこがれる車。
トヨタ ランドクルーザー“300” | 価格・グレード | トヨタ自動車WEBサイト (toyota.jp)

_e0041047_05523505.jpg
 伊豆中央の理系教員が好む車
特別限定車|Wrangler(ラングラー)|Jeep® (jeep-japan.com)(機能性が全くない)



 ならば、伊豆中央高校のように、さっさと7月に決めて
①まだ、数学の授業でストレスかかかっていないので、理系をあきらめる、という事象が減る
②つまり、「夢や理想」が文理決定の最大要因となる。

 を上手に使って「理系」を選択した方が、人生豊かに生きることが出来るというものだ。


 この選択には、「根っから文系」と「根っから理系」は関係ないけど、どちらかわからない生徒には好都合だ。
結果的に、伊豆中央高校は、全体5クラス中3クラスが理系クラスとなっている。(悪いけど、この偏差値帯でこの選択は無理がある)
現在は、全体で4クラスなのだけれど、今度は文系1.5、理系2.5となった。 数字的に言えば、「勝組を増やす」ことになるのだろう。


 ワタシが清水東高校に在籍していた時、普通科は文系3クラス、理系3クラスで長きにわたって固定されていた。本当は理系希望がもっと多かったのであるが、「数学が出来ない」からという理由で文系になった生徒も多かった。その前の富士高校では、文理混合クラスが成立していたので、清水東高校でも文系2,5、理系3.5の混成クラス編成ができないのだろうかと研究したことがあった。(教務部長としてこそこそやったのよ)
この文系2.5理系3.5案は、このようなクラス編成が2年続くと教員配置が破綻することが証明されて却下となったが、伊豆中央高校では、なんの障害もなく文理混合クラスができる。 これは中~小規模の学校の大きなメリットであろう。


伊豆中央高校が、なぜ人気がないのかわからない。一般には、伊豆チューが掲げる「文武両道」という生き方から中学生がどんどん離れている、と言われる。しかし、「中小規模校からの進学システム」に関しては、相当なポテンシャルを現実に持っている。
例えれば、こんな車に近い。(進路課長のOセンセ、よろしく頼みます)
2008 ABARTH 500|アバルトの歴史を刻んだモデル No.074 | ABARTH SCORPION MAGAZINE

_e0041047_06074134.jpg

・・・・今日は、先生向けのブログになってしまった。












Received — 2024年5月28日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人教員生活を振り返るの記最終章3

著者: tommyjhon
2024年5月28日 04:33
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、伊豆中央清流際まで、あと4日
【公式】静岡県立伊豆中央高等学校(@izuchuo_hs_official) • Instagram写真と動画
_e0041047_04351004.png

さて、死に場所としての伊豆中央高校の進路課長。今日は、何回も訪れる「進路課長講話」の件。


 3年部では当たり前だが、1,2年部からも依頼が来る「進路課長講話」、とうとう最後の方はネタ切れで正直困ってしまった。
それでも、どうにか生徒をひきつけなければならない。


 学年の最初の方では、風船を小道具として使った。
「ここに、一つの風船があります。」
(ただ、一つの風船を手に入れるのはかなりの手間で、ヒャッキンのお店で60ケ入の風船を一袋買ってしまった)
「一度膨らませます。もう60歳の老人ですので、案外気合を入れないと膨らみません」
「せーーーーのっ」
やっとのことで、目一杯まで膨らませる。
「では、この風船の空気を一度抜きます」
「ぷしゃー」
そうしてから、同じ風船をもう一度膨らませる。
「萎んでしまったので、もう一度、膨らませる」
「ブオーーーーーーン」
「今度は簡単に膨らみましたね」


「ハイ、この通りです。ワタシ前々から考えていましたが、風船を膨らませる場合、一番最初が一番大変で、一番エネルギーを使います。」
「でも、その次からは、簡単に同じ量を膨らませることができます。」
「勉強も、同じことだと思います。先生方は、経験があるので後ろで頷いてくれてますけど、一度、思いっきり勉強してしまうと、それ以後は、同じ時間同じ量の勉強が、楽にできるようになります。」
「さあ、これから本格的な勉強をしようとしているみなさん、最初に一番長く多くやってみなさい。少しずつ量を増やそうと思ってもそれは精神的なエネルギーを浪費するだけです。脳は風船と同じです。まずは、脳の容量を大きくしてしまうこと、これからはじめさない。」


こんな感じ。


模試に関しては、
「模試は、自分の学力を測るものではありません。(少しはその意義もありますが) 模試は、初出の問題を5000円で買うことです。5教科なら1科目1000円。まあ、やや安めの問題集です。いつもは、授業の進度応じて、学力の定着を調べるために模試を使いますが、3年生の希望者による模試は、問題を手に入れることが、大事なのです。突然、手にするやや難問。これをどのように攻略していくかの練習です。大学受験用の模試なので、今の自分には荷が重いと後ずさりする君たちは、練りに練った高級問題集を買うチャンスを逃すことになりますよ」


受験勉強って何ですか?という単純な問いには、
「模試の復習をみっちりやることです。模試の復習って、時間がかかります。本気になって取り組むと簡単な教科でも2時間くらいかかります。そうするとルーティーンの勉強以外に1週間で10時間から15時間くらいの勉強量が増えます。これを受験勉強といいます」


基礎基本て何ですか、
「基礎基本とは、最初からやり直すことではありません、難しい問題にぶつかって、それを克服するために、その問題の構造を理解することです。そうして基礎基本が何であるかをわかることです。」
「基礎基本からやり直すのではなく、基礎基本が何なのか?を発見することです」


①具体的な方法論
こういう話もあった。、
 「先生、数学が苦手なんですけど・・・・」
それはね、家で数学の勉強を後回しにするからだよ。一番最初に数学から初めていけば・・・・勉強は、無意識に苦手なことを避ける傾向があるので、計画の中で、取り組む順番をきっちり決めておくことが大切だ。理想的な形は、月曜日「英数国」火曜日「数国英」水曜日「国英数」とローテーションを組むことである。(学力の高い、進学実績の良い高校は、月曜日が数学の単元テスト、火曜日が英語の週テスト、水曜日が国語の「実践トレーニング」(通称、じっとれ)の小テスト、と曜日ごとに重要なテストがあり、この科目ごとのローテーションが構造的に仕組まれていた。(テストばかりで子供が可哀そうだ、とこぼす親がいるが、勉強の強弱を作るトレーニングなんです。)


②ターゲットを絞る 

 生徒の上位10%は、たぶん聞いていない。それは自分なりのモチベーションと自分なりの方法論が確立されている生徒なので、相手にはしていない。生徒の下位10%もたぶん聞いていない。彼らは最初から受験に向いていない生徒なので対象外だ。講話の基礎基本は“ターゲット層を絞り込むことである”(富士高でも清水東でも、成績層別の講話をやったことがある。


③受験の構造を理解させる
 例えば国公立大学の受験。これは、共通テストと個別試験に分かれていて、しかも、「自己採点・業者判定」という中間発表がある、摩訶不思議な構造をしている。このシステムを上手につかうと、国公立の定員が最上位から最下層まで、きっちり組み分けられて全員合格できる構造なのだ。というようなこと。
 例えば、3年生になると授業がつまらないという。これは、授業の目的が、授業と授業の間の家庭学習コントロールに変化してきて、新しいことをやるのが授業ではなくなっているからだよ。


④偏差値にこだわらない
偏差値より度数分布、度数分布より素点、素点よりも順位。偏差値が一番、生徒の実力をわからなくする。
これは、一度教えても定着しないので、進路課長として先生方にお知らせする「共通テスト模試の速報」は、すべて素点と校内順位にした。
だって、合格結果って最終順位であるし、順位は、素点の合計値なんだから。


3年生最後の講話は、必ず「戦友論」


 ワタシは、このブログでもそうだが、「教え子」とか「先生」という言葉をあまり使っていない。生徒達に対して「教えた子」という実感はほとんどないし、「先生」というステレオタイプを演じていたわけでもない。(ブログでの自己紹介は、キャパクラ風の“センセッ”)
 普通科進学校に勤めながら、やっていたことは、「自分も勉強した」し、「生徒も勉強した」だけである。小論文の指導なんて、自分でも小論らしい文章を書いてみないと教えられない。「地歴公民」という教科指導も、相当時間の勉強をした。偉そうに話している偉そうな話は、だいたいが、偉大な先人たちや書籍から勉強したことだ。
今、あまり本を読んでも面白くない。それは、文章を読む感覚が、「文に入り込む(小説を読み入る感じ)」のではなく、「使える」という視点でしかないからだ。
「あっ、これ使えるフレーズ」という視点で本を読むと、小説なんか全然面白くもない。
なので、生徒とワタシ達は、同じ相手(受験とか学問とか)に向かって一緒に戦った(戦っている)仲間なのである。
だから、ワタシが生徒に感じる意識って、「戦友」が一番近い。部活動だと一層「戦友」感覚は大きくなる。


受験って、生徒と教員が一緒になって戦うものなんだ。


最後に(これは生徒に対して絶対言えないことだけど)、生徒に対してマウントをとることだけを生きがいにしている(しているような)先生が一番嫌いだ。
<用語解説>
「マウントを取る」とは、自分の優位性を相手や周囲に示す行為を指します。また、同じ意味で『マウンティング』とも呼ばれます。
例えば、「おまえはそんなこともできないのか」というような相手を見下した発言は、人を精神的に攻撃している状態や、マウンティングと捉えられます。


<用語解説終了>
Received — 2024年5月27日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人教員生活を振り返るの記最終章2

著者: tommyjhon
2024年5月27日 05:34
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、伊豆中央高校の進路課長時代の話。


その前に、公式インスタを張り付け。
#伊豆中央高校 - Instagram | ハッシュタグ(どこかで見覚えのあるイラストだ)
今週末は、6/1(土)伊豆中央の清流際、6月2日(日)富士高の富嶽祭と、文化祭のはしご。自動2輪の駐車スペースを空けといてね。


 さて、伊豆中央高校の進路課長を任されて2年間。一番苦労したのは、7月に開催される「きらめきフォーラム」というキャリア教育イベントである。どこの学校でもあるようで、高校生が仕事体験をしたり、実社会で活躍している先輩方(OBでなくても可)の話を聞くイベント。「きらめきフォーラム」の始まった当初は、近所のイベントホールに全員集合させて、話し上手な社会人の先輩方(議員さんや、商工会の人とか)を数人呼んでの座談会形式だったそうだが、コロナ禍で全員集合が出来ず、ワタシが引き継いだ時には、社会人の方を10人ほど集めて各教室で講話や体験をやってもらう、という形式に変化していた。この形は、イベントホールでの開催よりも、はるかに講師との距離が近く、講師さんの生き方も十人十色でバリエーションが付きそうだ。生徒たちも飽きることはないだろう。
 この10人の人選を進路課長が任される形式になっている。毎年、同じ方々をお招きするわけにはいかない。(謝礼はほぼ交通費だし)最初の年は、半分ほどは前年に引き継いでお願いし、半分ほどを自力で探した。前年度から引き継いでお願いした方の代表は、リモートワークをしている方々である。社会人の中で「ワタシはIT関係の仕事をしている」と自己紹介をする方は多いが、ワタシ達はその実際をほとんど知らない。生徒たちも、「情報学部」への希望がやたらに多い。(ここ数年で偏差値が5ポイント上がった)このIT関係の仕事って毎日何しているの?という素朴な疑問にお答えしてもらう企画である。これは生徒たちのキャリア教育とマッチしている。(自画自賛、ほとんど前任進路課長の功績)
 そして、伊豆半島は、移住希望で全国上位にランクインされる風光明媚な土地で、移住希望者にとっては、「移住候補地の渋谷」あるらしい。そうやって、外部から人気のある伊豆半島で、実際に企業したり、新しい街づくりを目指す人達にも続けてお越しいただいた。
例えば
しずおかの原石 – 荒武優希さん「合同会社so-an」代表社員 – アーツカウンシルしずおか ARTS COUNCIL SHIZUOKA (artscouncil-shizuoka.jp)

例えば
NPOと企業の協働やCSRアドバイス、プランニング - NPOサプライズ 伊豆サテライトオフィス (surprizu2012.jp)

 それでも、なかなか10人は埋まらない。
もう、こうなればやけくそで、SNSを頼りにするしかない。
SNSで探し出したのが、
まゆ|伊豆の歴史系ガイド(@mayu_egawatei)さん / X (twitter.com)

(突然メールして、内定をとりつけた)
また、旧生徒で名乗り出てくれたのが、今や予約が取れないメンタルトレーナーになってしまった。宇佐美円香さん。
宇佐美円香(うさみまどか) lit.link(リットリンク)

など。


これで、1年目を何とか乗り切ったが、進路課長最終年(教員生活最終年)もこの「人集め地獄」は続き、
よりSNS頼み、個人的つながり頼みの綱渡りだった。
「余白」を楽しむ長泉町のコワーキングスペース!学生やアーティストの交流で活気を | 静岡県関係人口情報サイト SHIZUOKA YELL STATION (shizuoka-yellstation.com)

の山田さんは、前進路課長のK先生が見つけてくれた。(たまたま、伊豆中央のOBだった)


会社概要 - ON THE WALL 株式会社オンザウォール

社長の村上哲之介君は、長泉時代の百人一首部繋がり(妹を教えていた)


駅弁ライターの望月さんは、取材も兼ねて東京から来てもらった。(昔、一度会っただけの富士高OBである、ラジオの仕事もしているのね)
駅弁ブログ ライター望月の駅弁いい気分 (ameblo.jp)



と、1年目も2年目もやっとのことで、人材を捜し歩き、何とか「きらめきフォーラム」を繋ぐことが出来た。


 他の先生方を見てみると、案外SNS嫌いな方も多い。まあそうだろう。高校では、「正しいスマホの使い方講座」みたいなとくべつ授業を毎年開催していたり、“昼休みスマホ禁止ルール”や“登校したら電源を切るルール”などが今でもある。ただ、授業中、スマホを使うなどはもってのほかだが、情報収集のツールにこれほど便利なものはない。そして、SNSスタイルでは、「何かの情報を得る代わりに、自分も発信して相互に楽しむべきだ」という暗黙の了解もあるので、先生という堅苦しい職業であってもSNSは繋いでおくべきだと思う。
(SNSを使った男女関係系の不祥事も後をたたないが、これはSNSが悪いのではなく、SNAだと発覚しやすいからだとも言える)
 ワタシは、SNSで随分仕事が楽になっている。


 伊豆中央高校の進路課長を退いて、ホントに“ホッとしている”のは、この仕事がなくなったからだ。(現、進路課長O先生、今年はよろしくお願いいたします)
この7月の「きらめきフォーラム」が終わると、仕事は一気に受験体制へと突き進んでいく。


それは次回。










Received — 2024年5月24日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人、教員人生を振り返る最終章

著者: tommyjhon
2024年5月24日 06:02
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、この「教員生活を振り返るの記」も最終章に突入。
2022年4月、なんと伊豆中央高校の進路課長となってしまった。理由は、転勤したてのワタシをバレーボール部や進路課で拾ってくれて爺(ジジイ)の面倒を見てくれた、K先生が静岡県内の研修所に引き抜かれたことだった。彼はワタシよりも20歳若く、若手人材登用という名目の元で数年間進路課長として苦労されていた(でも頼りになったのだよ)。まあ、コロナと急激な制度改革の中で相当な仕事量だったと思う。薄々気が付いていたことだが、某IC高校は、若手教員と牢名主教員だけがいるような学校で決して教員間の意思疎通が十分とは言えなかった。しかしながら、若手教員のスキルは相当なものでICTの活用に関しても、かなり先取りしていた。
 そんな学校で残り2年間、進路課長をやれ、という。
小説っぽくかけば、当時の管理職は、K先生の転勤がキッカケとはいえ、ワタシの死に場所を作ってくれたのだと思う。戦艦武蔵のように滅びたくはないが、戦艦大和のような最後ならば納得がいく。残り2年間、あなたに十分なポストを用意してあげるから、しっかり任務を全うして往生しなさい。というメッセージを頂いたのだと解釈した。
 だけどね、転勤して2年目で、今度は卒業生を出した経験もないところで、いきなりの要職はキツイ。「制度、仕組み、物品のある場所、フォルダ、公文書の場所」、それらを理解するところから始まった。若い教員から質問されることも多いのだが、「知らない」では済まされない。とりあへず知っているふりをしてその場をしのぎ、そこから一生懸命に調べることもあった。
 ただし、某IC高校は大学への進学率がぼぼ100%の学校である。その点に関しては同じ仕事であるので、前の勤務校や前々の勤務校と最終目標は同じだ。一般に某IC高校は地域3番手の進学校だといわれている。地域一番手は某N高校で、それは自他ともに認めるところである。次点が某M北高校という元女子高である。この某M北高校が気に入らない(関係者の皆さまごめんなさい)。なにせ、三島駅から歩いて3分という恵まれた場所に位置し、ただそれだけの理由で生徒集めが出来る。某IC高校は、この3校では一番南に位置する学校であって、伊豆半島の中で、「南」という位置感覚は、それだけ田舎であることと同義だ。おりしも日本全体が急激な人口減少中で、若者の人口が激減する中、伊豆半島も例外ではなく、例え、「逃げるは恥だが役に立つ」で全国的に有名になった伊豆箱根鉄道があるといえども、そこで生活する人々は増えていない。




そんな場所に位置するのだから、某IC高校に、“出来る連中”が集まってくるわけではない。しかし、某IC高校の卒業生たちは、地道に努力を重ね、地域では「まじめで礼儀正しく、いつも一生懸命努力する誠実な校風」という評判を得てきた。
 きっと、しっかり勉強しろ!!!!! という𠮟咤激励を続ければ、それなりの進路には合格できるだろう。


 ただし、「しっかり勉強させる」だけでは、退職まであと2年という人間として不満足だ。
そうしてたどり着いた結論は。「ゼロシーリング(天井を設けない)」。(当時は使っていない言葉だけども)
 某IC高校では、先生も生徒も、進学に関する志が低かった。それはそうだ、過去の進学実績を見てもそれほどの難関校には行けていない。国公立大学の合格実績は50人(25%)そこそこである。(進路課長になる前年は、その25%を切っていて、あまり出来ない学年だった)。しかし、長い間、進路関係の仕事をしてきて、よくわかった事実は、(露骨にいうけど)「出来ない奴は出来ない」のである。
今まで、某F高や某S水東高で勤務していたけれど、どうみても出来ない奴は出来ない。出来ないけど、高3になって急激に伸びた奴は、高1の時には出来て、それから怠け続けた奴であって、最初から出来ない奴はいつまでたっても出来ない。どこの高校でも、静岡県はきれいに輪切りにされて入学するから、入学時の学力はほぼ同じである。
しかし、受験期になると、どうしても埋まらない差がついている。これって何だろう。
 それは、順位付けと関係がある。とワタシは結論付けている。人間は、生物学的(つまりは本能的に)に、「獲得することよりも失うことを異常に嫌う。」「自分の地位を維持する時は、極めて執念深い」逆に「獲得できない獲物を、獲得することにはそれほど興味がない」というものだ。それは、原始人として何千年も生きている間に形成されたDNAだと思う。


 例えば、岸田首相。
国民の皆さま、岸田文雄なる政治家を注目していましたか?日本の歴代内閣で若いころからいろいろな大臣を経験していたが、最初から首相候補として期待されていることはなかった。菅の退陣によって、むしろ棚から牡丹餅みたいな感じで一気に総理大臣になった。国民、そして自分自身も、総理大臣になる(なるべきだ)と考えていなかっただろう。そして、今のような不人気である。普通ならば、辞めちゃう。でも、彼は総理大臣の地位にとことん執着している。かれだけではない、総理大臣って、どれだけ人気がなくても徹底的に執着するものである。歴代総理を見ても、辞任表明は、周りの人間の支持を失った(つまり、明らかに再選できない)からで、支持率が低ければひくいほど総理大事に執着する。
つまり、「総理になることは目標ではない」が、「総理になると、一日でも長くその地位に執着する」のだ(人間すべて)。


 高校生は、「自分が一番」だと思う奴ほど勉強する。「自分はダメ」と思った時点でやらなくなる。つまりは自己肯定感のみが、人間を伸ばすのである。なので、高校を楽しく過ごすには、高校1年生1学期の時点で、成績上位にはいることが絶対に重要で、そうなったら、「成績上位」の地位を失わないように勝手に努力してくれる。
どこの高校でも成績1番の奴が一番勉強するのである。
 勉強したから成績がいい、のではなく、成績がいいから勉強する、のだ。


 某IC高校に赴任して、パッと理解したのは、「先生方が、出来ない生徒を出来るようにしようとかなりのエネルギーを使っている」ことである。様々な先生像ってのがあって、出来ない奴を手厚く面倒を見ることができる先生は、とってもいい先生である。だけど、それは決して結実しない。特に、学校全体の進路指導って仕事は、学校全体の底上げであって、そのためには、「トップの生徒がどこまで頑張れるか?」「実績を残すのか?」という結果が一番重要だ。
 進路課長2年間の結果で、某IC高校は、旧帝大に合格者を出すことが出来た。(ワタシの仕事は、受けさせたことだけ)あと数年、某IC高校の生徒も先生方も、「IC 高校の成績上位者は、旧帝大を狙える」と思うに違いない。これが「底上げ」というのであって、成績下位者を減らすことではない。


 次回に続きます。
 
 














Received — 2024年5月22日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人、今後の資産ポートフォリオを考える(給料日の次の日なので)

著者: tommyjhon
2024年5月22日 05:41
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、今日は5月22日、昨日が給料日でした。現金受給額は約16万円(住民税抜き)です。これが60歳~65歳の年金を頂けない(しっかり払っているのに、受給年齢が引き上げられた空白の5年間)教員が、再雇用された形で受け取る金額です。
生活費としては、ギリギリでした。遊びに使った額をのぞけば、AUカードで引き落とされる額と通信費、保険料などを差し引くと、それほど残っていない。
なんで、16万円なのか?
 実は、この16万円というのが、65歳から支給される厚生年金の受給額とぴったり一致しています。
【厚生年金】40年間の平均年収が「約526万円」だった会社員は老後に年金をいくら受け取れる?(LIMO) - Yahoo!ニュース

ここには、厚生年金月額(大切なのは、この金額に国民基礎年金が含まれているということ)は約16万3千円とはっきり書かれています。
要するに、もう60歳以上の老人には、月々16万円しかあげないから、何とかそれで生活しろ!!!!!という日本政府からの強いメッセージなのですね。
 ならば、つい最近、いただいた退職金(2000万円をやや超える金額)を何とかうまく利用して、老後を安心して暮らせるようにしたい。と思うのは当然の成り行きで、只今これからの資産のポートフォリオを組むために日夜研究中。大雑把な目標は、月額16万を生活費として考え、今ある資産(ほとんど退職金)を上手に運用して月々のお遊びお小遣いを稼ぐ、というものです。自動車もあと一台は買い替えるでしょうし、家のリフォームも必要ですから・・・・・


 この驀進し続けるインフレの世の中、どんどん資産価値(現金)は目減りしていきます。つい数年前は、老後は信州八ヶ岳の麓に中古別荘でも買って、時々リゾートバイトでもしながらお気楽に暮らそうと思っていた。(今でも、リゾート専門の不動産屋から、ダイレクトメールがやってくる)でも、このインフレによって、リフォーム代も急上昇し、どうやら中古別荘は、「買うだけ無駄」になりそうです。他にいい方法はないかなあ????


 ちなみに、生命保険も必要経費としては重要で、月収が40万円を軽く超えていた時代では、「一晩で飲んでしまう程度のお金」だったので、明細など見向きもしなかったのですが、月額16万円生活となると、案外の大きい出費。実は、退職後にいち早く相談したのは、この生命保険でした。ワタシの生命保険は、しつこいコマーシャルをしていない、名前とはうらはらな堅実生保(S●●Y生命という)で、相談したところ、「お客様の生命保険は、今年の10月で満期を迎え、もうこれ以上は払い込みをいたしません。しかも、掛捨てタイプではないので、掛金を払わなくても、今後、一生、死ぬまで保証されます」というものだった。つまり、もう完璧に、死ぬ際は●00万円が確定されることになった。●00万円あれば、立派なお葬式が挙げられる。ちなみに、今、「小さなお葬式」が大流行していて、儲からなくなった一軒家のレストラン(駐車場が広いことが大前提)が、家族葬チェーン店に衣替えしているのだけれど、あれはあれで考えものである。例えば、今ワタシが死ねば、生前の顔が利くので相当額の香典が集まる。もしかしたら、葬式で儲かるかもよ(ご遺族に向かって言っている)。
 なので、満期を迎える今年の10月以降は、生命保険を払い込む必要はない。(この生保に誘ってくれた加藤様、ありがとうございました。)


 株? 株もやりますよ。(やってます、ではなく、やります)
というのは、この前の管理職面談で、ワタシに求められるものの一つに、「生徒に金融教育をしてほしい」という要望があったのです。信条として、「知らないことは、生徒に教えてあげられない」。「地歴公民」の教員としての矜持は、ポジティズム(実際に行ってみて、手に取ってみて、やってみて、結論をだす)だ。
今まで、精神的余裕も、金銭的余裕も、時間的余裕もなかったので、「株投資」だけはやらなかったのだが、ここまで言われれば、やらざるを得ない。これから夏休みにかけて、少額投資(ミニ株)が充実しているネット証券を探し出し、証券口座を開設し(まずは、●00万から、●には競技かるたで使用する札の数が入ります)、株の売買を「授業中にやる」という実験授業をやってみようと思っている。ワタシには、これ以上の金融教育は思いつかない。もちろん、株式以外の商品も教えるけれど、FX取引と投資信託は絶対に扱わない!!!!!!。(ワタシの関係者を不幸のどん底に陥れたくないので)。
 さて、ここからは公開募集です。ワタシにネット証券の取引の初歩の初歩を教えてくれる人、誰かいませんか?イメージとしては、初めてパソコンを使うようになった老人に手取り足取り教えてあげる出張サービスみたいなものです。例えば、休日にどこかのファミレスでワタシのパソコンをいじりながら、株取引の童貞を捨てさせてくれるような感じです(もちろん、男性で可、プロでもアマチュアでも可、専門家ぶって偉そうな態度をとる奴は不可)。
 火、金以外は案外と暇ですので、東海道線沿線ならばどこへでも伺います。 


これ、本気の提案です。立候補してくださる方は、様々なSNSで気軽に声をかけてください。
Received — 2024年5月21日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人伊豆中に転勤する

著者: tommyjhon
2024年5月21日 05:42
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、一回休載のこの「教員生活を振り返るの記」を再開します。


 2021年の春、清水東高校を離れ伊豆中央高校に転勤となった。
どうしても、転勤したかったワタシは、「転勤させてくれるのなら、どこでもいい。単身赴任も辞さない」と当時の校長先生に伝えていた。65歳定年制が段階的に導入されそうで、残り3年の任期は伸びそうだったが、当時は今ほど腰の具合も悪くなく物価高もそれほどでもないので、校長には、大丈夫です3年間勤めあげたら教員生活にピリオドを打ち、他の仕事でもやります。と答えた。精神的な負担も大きい、この仕事を4年も5年も続ける気力は残っていなかった。


 「単身赴任も辞さない」と伝えたのだがそれはそれで不憫に思ったのか、校長先生は、次の面談で、「外山センセ、通勤圏内を教えて欲しい、どこまでなら通勤が可能か?」と質問してこられた。ワタシは、「そうですね、伊豆中央高校が限界でしょうね」とそれほど深い意味もなく答えた。沼津商業高校(駿東郡清水町)や旧長泉高校(駿東郡長泉町)での勤務経験があったので、駿東郡、三島市、田方郡の土地感覚は理解していた。伊豆中央高校近辺ならば十分通勤できる。


 この発言がきっかけで、伊豆中央高校に決まったようなものだ。
伊豆中央高校は進学校である。ただ、付近に韮山高校や三島北高校も並立しているので、特別な俊英が集まるわけではないが、ほぼ全員が大学進学を目的に入学してくる。また、歴史も案外古くワタシが高校入学した昭和54年に開校した。卒業生は、地元に戻って働く割合が高く、市役所とか教員、警察消防などの公務員として働いているOBOGがうじゃうじゃいる(実感としてわかった)。
ただし、日本全体、伊豆半島、両方の現状の影響をもろにうけて人口減少が極度に進み、転勤したときは5クラス、今は4クラスしか募集していない。また、伝統的に部活動が盛んで、運動部・文化部とも一生懸命に活動している。


 そんな高校に転勤してみて、初めて気づいた。「この学校で僕の居場所を見つけるのは結構大変なことだ」と。トップ進学校ではないので、今までの進路指導のノウハウがそのまま生かせることはない。部活動は盛んだといっても、特殊な部活動しか指導できないワタシが正顧問になることはない。
また、新学習指導要領の完全に体得したわけではないので、ICT教材や「協同的な学び」の実践も中途半端だ。などなど、
このワタシを拾ってくれたのは、転勤当時の進路課長であったK先生である。男子バレー部の副顧問として使ってくれたり、進路課の一員として混ぜてくれたりした。聞けば私より20歳も若いという。つまり当時は38歳。傍から見ても大変そうである。進路課長という職は、半ば強引に「あれをやってくれ!!!!!」と指示することがある。周りが年上の先輩ばかりだとそう簡単に出来ない。


 したがって、転勤1年目は、1年生の副担任で男子バレーボール部の副顧問、進路課、という軽いポジションでのスタートとなった。伊豆中央高校の1年生を担当し、感慨深くもあり危機感も感じたことが、生徒が英国数理社の5教科をあまりにもフラットに考えていたことである。今までの20年間の勤務校では、「予習復習は英数国中心、理社は3年生になってから慌てる」という高校生作法があまりにも一般的だったので、ワタシとしても、1年の担当となった時には受験意識も全く植えつけず、復習させる感覚もなく、テスト作り工学(テクノロジー)も特殊なものだった。富士高校や清水東高校で用いた1年生のテスト作り工学の基本設計は、以下のようにしておいた。
①授業中は、考えさせるテーマを重視する
②授業の復習さえすればテストができるなんていう甘いテストは作らない。
③テストの時間は60分間、みっちり考えさせる。
④テスト時間中、頭脳をフル回転させて、今までの知識をすべて出し尽くして、やっと解答できるようなテストが理想だ。
⑤細かな知識は3年で十分だ。
⑥だって、勉強の中心は英数国だもの。
清水東高校から転勤するとき、実に多くのメッセージをいろんな形(色紙、カード、口頭)で生徒からいただいた。その中で、涙を流して喜びかつ感激したフレーズは次のようなことである。「センセ、お世話になりました。センセの授業やテストは、なんか他の教科で使う脳みそとは違う場所を使っているような気がして、難しくもありましたがとっても楽しかったです・・・」

 
 ところがだ、このような天邪鬼的な思考は、真面目で素直な伊豆中央の生徒には受け入れられないかった。特に1年生は、中学校の影響をもろにうけていて、テスト勉強は英数国理社の5教科をフラットに勉強するべきだと思い込んでいた。「イヤイヤ違うのよ、英語・古典・数学(特に英数)に相当な時間と体力を賭けなければダメよ、地歴公民(ワタシの担当教科)なんて、余力で十分。」などという助言は聞き入れてくれんかった。高校で特別に出来る人間は、「初出の問題にファイトが湧く」のだが、真面目で普通に勉強する人間は、「初出の問題を拒否する」のであった。
 しかし、考えてみれば、授業に関してこれほど悩むということは、他の仕事はあまりないと同じことである。
副顧問・副担任を満喫していたら、なんと、痛風にか罹ってしまった。交通事故もちょっとあったり、腰痛も悪化したり、この痛風そうどうなどがあり、1年目で精神的には楽をしたのだが、身体的には老化現象がどんどん進展していった。


 こんな1年を過ごした春、例の「1年副担任をやらせてもらうと次の年に超大変な仕事が回ってくる」の法則と、「お前がウンと言わないと、次の人事が決められないよ」の命令が、同時に降りかかってきた。当時、家族の近親者がコロナに罹患し、自宅待機であって、久しぶりに出勤した途端、この法則が発動されたのだ。
Received — 2024年5月20日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人雨を恨む

著者: tommyjhon
2024年5月20日 08:40
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

_e0041047_08152101.jpg
 ということで、本日の朝飯。ここのホテルは朝飯でも、【マイ舟盛り】が出来る。
再任用ハーフ職員は週4の勤務が可能(やりたければ週3も出来る)なので、月曜日を休日にした。月曜日の朝をリゾートホテル(本当のこのバイキングで経営を立て直した老舗観光ホテル)で迎えるなんて!!!!!! 贅沢な身分だぜ!!!!!
_e0041047_08255204.png
 本当ならば、このルートをクロスカブ110君と一緒に回るはずだったけど、昨日から今日の雨で断念。これほど雨が恨めしいと思ったことはない。昨年の8月にバイクの免許をとって、初めてのツーリング旅行だったのに・・・・・・・・・・・・(T_T)


 でも、せっかく予約したホテルをキャンセルするのもつまらないので、久しぶりに整備工場から帰還したヤリスクロス君でドライブとなった。
【公式】伊豆下田家族旅行でバイキングを楽しむ温泉宿「下田聚楽ホテル」 (jyuraku.com)

ここのホテルの自慢は「海鮮浜焼きバイキング」なので、
誰にも遠慮せず、大好きな貝類を気持ち悪くなるまで食べた。


 とりあへず
_e0041047_08315003.jpg
追加
_e0041047_08321350.jpg
追加
_e0041047_08323158.jpg
残骸↓
_e0041047_08325288.jpg

この後に、一人焼き肉で、もっと気持ち悪く最後は最後はデザート。
_e0041047_08344459.jpg



さあ、大谷さんのサヨナラヒットも見たことだし、帰るとしよう。
でもね、今日は伊豆中には寄らないよ。


 5月末の清流祭には行きます。


Received — 2024年5月19日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人コロナと戦う(清水東も転勤します)

著者: tommyjhon
2024年5月19日 06:48
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。

 ということで、本日はプチ一人旅。本当はクロスカブでツーリングとしていきたかったのだけれど、明日が100%雨予報なので、残念ながらの自家用車使用。明日のブログをお楽しみにね(再任用ハーフ教員は月曜日が休みなんです)
 ならば、絶好のツーリング日和であった土曜日は
_e0041047_05194814.jpg
 山岳集落みたいな所に迷い込んでしまった。気を取り直して目的地へ。
_e0041047_05212757.jpg
・・・到着。信用金庫の営業バイクみたいなのが、愛車。
_e0041047_05211283.jpg
定番の蒙古タンメンを
_e0041047_05213980.jpg
完食。


・・・・やっぱり山梨が好き。


さて、
清水東高校で進路課長をやり始めた1年目の冬、何か中国の武漢で恐ろし気な新型ウィルスが人殺しをしているという情報が世界中を恐怖に陥れた。
この新型コロナウィルス、なぜ中国の武漢スタートなのか?、一体どこから忍び込んだのか?、どうして人間が罹患したのか? いまだに判然としない。ワタシは、アメリカ軍の新型生物兵器である説
新型コロナウイルスの“起源”特定できず 米情報機関の報告書公開 全機関が「生物兵器ではない」評価|TBS NEWS DIG (youtube.com)

が、真説だろうと疑ってます。(アメリカ情報機関の公式報告が一番疑わしい)


今、振り返ってみると、このセオリーたけは正しかった。
#新型コロナウイルス #弱毒化 #エラーカタストロフの限界 (andoc-clinic.com)

“エラーカタストロフ”というらしい。
<コピッペ>
ウイルスにとって一番理想的な状態は、「感染力は強いけど、致死率は低い」と言えます。新型コロナウイルスは変異しやすいRNAウイルスですので、そういったベストな状態になりやすい(=弱毒化しやすい)と考えられます。

<コピッペ終了>


 さすがに、2019年冬から2020年の夏くらいは、日本中が恐怖のど真ん中にいた。
2019年の大学入試はそれほど影響がなかったものの、3月にコメディアンの志村けんがウィルス感染による肺炎で亡くなったころから、日本中ビビり始め、学校は入学式と始業式を終えた直後からロックダウンに入って行った。
 各地、各学校で多くの代替授業が試みられたものの、それほど効果を上げたという報告はされず、やっぱり学校生活は、学校でこそ成り立つものだと改めて確信した。特に、厳しかったのは、小中学校が同時にロックダウンしたため、子育て中の教員がはとんど学校で勤務できなかったことである。例えZoomという機能があるにせよ、教員が学校にこられないのだから進展はしない。
 
 そしてワタシは、立場上、「大学入試はどうなるのですか」という質問を5分に1回くらいはうけていた。ロックダウン中ずっと学校で勤務はしていたけれど、それはずっと学校で情報収集していたからである。
 予備校からの情報、各大学からの憶測、有名ジャーナリスト達の見込み、などなど・・・・こういう事態になったときは、文部科学省は、絶対に声をあげない。確定するまで絶対に情報を漏らさない。
 
 自分なりに情報を集めて出した予測は、「センター試験を3月に行い、国公立大学の個別試験を4月、合格発表をGW前、私立の入試も3月」というものだった。
なぜならば、学校のロックダウンが4月~6月の3か月だったので、それくらい遅らせなければ間に合わないと思ったからだ。大学は、5月からスタートしても1年生のカリキュラムはこなせるはずである。
 政治家の中には、ここで一気に9月入学を主張した奴(たぶん欧米かぶれ)もいたが、最終的には無視された。
ところが、この目論見は完全に外れ、このコロナパニックの中でも、大学入試は通常通りやるとの(1学期中に)発表があった。
大学側はどうしても4月からのスタートにこだわりたいらしい。これはこれで一つの高い見識だと思う。しかし、日本の学校の中で一番「コロナにビビっていた」のは大学である。遠隔の授業が一番長く続いたのも大学だ。なぜだろう?
 大学入試が通常通りの日程で行われることで、進路課長の仕事はコロナに関しては(ほとんど)なくなった。忙しくなったのは教務的なことで、高校生はロックダウンのおかげで、夏休みがたった1週間になってしまった。(決して正しい選択だとは思っていない)



 ワタシ的な思い出話を一つ、
 その頃、どう見ても非科学的な「自粛警察」なる者たちが跋扈していた。ロックダウン中は、県外への異動か禁止だった。
我が家からは、1時間あれば、お隣の山梨県に行かれる。そして、当時は公園という公園が立ち入り禁止になっていた。山梨県に本栖湖という風光明媚で涼しい場所があるのだが、ロックダウン中に、この本栖湖にドライブに行って写真をとりSNSに上げた。“こういう自然に恵まれた場所でも立ち入り禁止にするのは、もったいない”と意見を添えたのだが、まんまと「自粛警察」に捕まり、「教員たるお前が、ルールを破って、どういうつもりか!!!!!!!」という書き込みとともに、ワタシの愛車の写真(静岡県ナンバー)がバズった。


 その後も、人混みではなく、風のさわやかな湖畔や海岸、森林浴のような場所でも、マスクを外せない方が未だに多くいらっしゃった。コロナに関して、日本人は社会集団としての後遺症から未だに抜け切れていない。


 新型コロナウィルスは、オミクロン株にすり替わったことから完全に弱毒化し、単なるウィルス性の風邪となった。もう、全く気にすることがないのにも関わらず、授業中のマスク装着率が50%くらいのままだ。なぜだろう?
そして、先生方の方が“マスクをしていなければいれない症候群”に関わっていて、今の勤務校ではマスク装着者が70%を超える。「科学的なこと」「真実を探求する人間」の代表者である教員がマスクを手放せないでいるこの世界は、ちょっと変だ(先ほどの、大学が一番ビビっていたという観察と少し関連がありそうだ)。
(一度決めたことを最後までやる、もしくはやらせる、ことを教育の至上の喜びであるとする特殊集団だからしょうがないのかも?)


 コロナの災いで、結果的に在校生やその保護者達の中で、受験に大きな影響もなかったし、犠牲者がでることはなかった。誰も死ななかった。
むしろ、直接影響を受けたのは、清水東高校を2021年の3月に転勤して、伊豆中央高校に行き、進路課長になった2022年からの方が影響とショックが大きかった。
伊豆中央高校での最後の2年間、ワタシは同じように進路課長になって、受験生を指導することになったが、伊豆中央進路課長の2年間で、生徒約400人(2年間の3年生)のうち、クモ膜下出血で受験を諦めた子が一人、進行性の早い癌が悪化して受験を諦めた子が一人、脳の髄膜炎で受験を諦めた人が一人、でてしまった。この3人というのは、40年の教員生活の中でも3人である。
(ちなみに、伊豆中央3年間では3人もの保護者が、癌やクモ膜下出血で亡くなった。)


 このコロナ騒動は、ワタシの気力を削って行った。なんか気持ちばかりが疲れた。
そしてこの時は、最悪の相性問題も絡んで、コロナの終わりが見えかけた2021年に差し掛かる時には、「死んでも清水東から転勤してやるーーーーーっ!!!!!!!」との思いにかられていた。今、思えば軽い神経症のようであった。ある人物の顔を見ると動悸がするような症状もでた。
 ワタシは、清水東に8年在職したが、学年主任3年間、教務主任2年間、進路主任2年間をこなした男である。しかも、普通の時期の教務主任ではなく普通の時期の進路主任でもなかった。自慢ではないが、「功労者」である。今くらい、ワタシのわがままを聞いてくれてもいいだろう。そして、今しかないのも事実であった。
その時、ワタシは57歳となっていて教員生活も残り3年となっていた。静岡県では3年間というのが勤務校の最低年限だから、このチャンスを逃したら、残りはずっと清水東にいなければならない。それは、罹ってしまった神経症が進展することと同じだ。
 「精神的な健康を回復するために転勤を希望した」のだ。


 転勤が確実になってからは、もうウキウキ気分で精神の落ち込みは回復し、転勤記念缶バッジや転勤記念ハンドタオル、図に乗って、転勤記念野球帽なども作成した。
本当に嬉しかったんだ(あくまでも精神衛生上)。転院先が、伊豆半島の真ん中で、自家用車で90分かかるなど、全然問題ではなかった。


 さあ、次回からいよいよ最後の正規教員勤務地、伊豆中央高校のTommyセンセとなります。 


 
 








Received — 2024年5月17日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人の幻企画(@かるた)

著者: tommyjhon
2024年5月17日 06:05
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、本日は本職(?)の競技かるたに関する振り返り。
実は、コロナのパンデミックによって、競技かるた界史上初の試みが幻となった。


 言わずと知れた2020年は、東京で2回目のオリンピックが開催されるはずだった。古代ギリシアで始まったオリンポスの祭典は、この期間だけは戦争を止めようよ作り出されたもので、肉体美を運動美を争うだけでなく、文化的な競技(展示)も多く行われていた。近代五輪(1896年、アテネ)が始まってもこの伝統は引き継がれ、運動種目だけでなく、文化的な祭典もその都市を中心に盛大に行われていた。
 東京都も、それを意識してか、「文京区のシビックセンターを中心に、競技かるたの祭典をオリンピックに合わせてやりませんか?」という企画が、全日本かるた協会に持ち掛けられていた。全日本かるた協会としては断る理由もなく、この「競技かるたの祭典」について、こそっとプロジェクトチームが結成されていた。内容は、①このタイミングでバリアフリー化に突き進む。②国際的な(インターナショナルな)競技に押し上げる。③東京都民の参加企画。④ステージの部でもなんかやる。の4点にまとまった。
なぜかしらないが、ワタシは④のステージ部門を任された(ワタシは東京都民ではないよ)。でも、東京に何度も出かけられるし、オリンピック開催に少しでも協力できればいいと簡単に引き受けてしまった。


 富士高校から転勤し、同時に本格的な指導の道からは離れた。そして「なんちゃって野球部顧問」なんかをやりながら、第三者的な視点で競技かるたを観察することにした。競技かるたは、「畳の上の甲子園」とか「骨折も時にはあるようで格闘技みたい」とか、「一瞬のスピードを争う競技」とか、「集中力と体力も必要」とか、「文化部なのに運動部」とか、文化的活動のカテゴリとはいえ、スポーツ競技と同じように形容されることが多い。
もう、百人一首競技に全く興味のない方々も、我々競技者が、百人一首中の和歌の意味を理解しているわけではないことを知っている。ワタシは競技かるたを始めて45年になるが、「上の句」と聞いて「下の句」は答えられるが、「下の句」を聞いて「上の句」を答えることは出来ない(と、思う)。百人一首競技かるたは、平安朝ののどかな雰囲気とは正反対の、体全体を一瞬にして動かす、極めて運動力学的で頭脳的なスポーツなのである。
 スポーツであるはずなのに、我々競技かるた業界の関係者は、「平安朝」的なものを追い求めてきた。京都で行われる大会にあこがれていたり、百人一首の聖地を近江神宮であるとしたり(これは仕方がないか)、和装で行うことが基本であったり、名人戦の前夜祭では、必ず「古典研究の教授」が講演会をしたり・・・・この気持ち、わからないではないものの、競技かるたルールが確立され競技大会として正式に開催されたのが明治期であることを考えると、いささか偽善的でもある。この歴史から考えれば、日本が近代化するにつれて、今までは神事とか芸事とかの範疇として受け継がれてきた催し物(相撲、柔道、剣道、弓道、など)が近代化の波によって、全国の統一組織の元で統一ルールが決められ、一律のルールのもとにフェアな競技に格上げされていった。という歴史しかなく、別に、今更平安朝の「五七五、七七」に戻る必要のなかろう。


 このような疑念からスタートしていたワタシは、競技かるたを指導していく中で、“古武術”と“メンタルトレーニング”に魅せられていった。競技かるたでは一瞬の手の動きで札を取り合う。手を思い切り早く振り切る動作が速く札を取る鍵になるのだけれど、このスピードは、大谷選手のが時速160キロで腕をふる動作とは似て非なるものである。大谷選手を、大坂なおみに置き換えてもいいし、錦織圭に置き換えてもいい。いずれとも違う。強いてあげれば、競技かるたの一瞬のスピードは、忍者が手裏剣を投げる動作に近い(見たことはないが似ていると思う)。瞬時に抜刀する居合切りとか、空手や合気道のような身体動作に近いだろう。なので、“古武術”なのである。また、
その身体動作の上にに、競技かるた特有の頭脳構造の使い方が、もう一つの鍵を握る。特有の頭脳構造とは、記憶力と集中力の2つだ。なので、“メンタルトレーニング”なのだ。
 
 この東京オリンピックの祭典の一部門として、競技かるたが加わるのならば、“平安朝”を蹴飛ばして、身体動作と頭脳構造に特化したステージを構成することは出来ないかと考えた。
そこで、身体動作と精神構造の専門家とで、「競技かるたという不思議な競技を語ろう!!!!!!」という鼎談(3人で語り合う)を構想した。突飛な考えと思われようが、ワタシの中では、一番実践的なことであると思っていた。あれよあれよという間にこの企画は、プロジェクトチーム内を通過し、具体的な企画をねることになったのだが、ワタシには2人の候補者がすでに出来上がっていた。
一人目は、古武術の達人である、甲野義紀先生だ。(この動画以外も検索してください)
この動きが、日本で一番、“一瞬の動き”に近いと思う。
この企画について、ワタシは勇気をだして、甲野先生にアポイントをとり、会いにも行き、興味を持ってもらい、2020年5月のその日の鼎談を引き受けていただいた。


二人目は、東海大学教授の高妻容一先生である。
_e0041047_05434759.png
_e0041047_05440259.jpg
このプロジェクトチームの中に、御一方(おひとかた)東海大学で教えている教授先生がいらっしゃり、このメンタルトレーニングの第一人者高妻容一先生にお願いしてくださるということだった。高妻先生にも、2020年5月のイベント出演の内諾をいただいた。


3人目はかなり苦労したが、清水東高校の学校寄席で大神楽の芸を見せてくれた、鏡味味千代(かがみ みちよ)さんという大神楽師である。
国際基督教大学 Global ICU | 卒業生の声 | 鏡味 味千代

_e0041047_05494559.jpg
大神楽を舞台でやるときの集中の仕方とか、技の習得のための練習の仕方などは、競技かるたの世界に通じるものである。そして、また彼女は、名門ICU(職域かるた大会A級優勝の過去がある)を卒業し、いったんOLとなり、結婚もして子育てをしながら大神楽師として活躍していることも興味深かった。


 この3人で、普通では全く考えたことのない「競技かるたという競技」をじっくり観察してもらい、このかるたの身体動作と頭脳構造がどのようにして成り立っているかを考えてもらおう。そして、ステージのMCはTommyセンセが絶対にやる!!!!!!!
これが、鼎談の趣旨であり、2020東京オリンピック文化部門の競技かるた講演会の内容であった。(もちろん、競技かるたの試合は、名人とクィーンにやってもらうことになっていた)
このステージ企画、なんと入場料が一人500円に設定された(設定した)。競技かるたを極めようという方々には、超格安チケットである(と思った)。
そして、これから著作権、肖像権のことを考えてチケットの図柄やポスターをお願いしようと思っていた矢先、東京オリンピックの延期が発表された。


 ワタシは、少しほっとした。(これから仕事がバカ忙しくなるだろうと覚悟していたので)
しかし今考えると、「やってみたかったなあ」。
でもね、もうやらないよ。この時のモチベーションは、オリンピックによってつき起こされたものであるので、今は出ない。ただし、年に一度の名人戦の前夜祭では、この方々をお呼びして、講演会や実技などのお話があってもいいと思う。
ワタシには、年に一度競技かるた最強王者を決めるイベントの前夜祭が、どうして「平安朝」研究の文学者なのか?どうしても理解できない。


次回は、清水東のコロナ時代。に戻ります。コロナのロックダウンは進路部長として迎えました。






Received — 2024年5月16日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人GTEC騒動

著者: tommyjhon
2024年5月16日 07:44
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、清水東高校で教務主任から進路部長に横滑りしている最中に、大きく教育界を揺るがしたのは、英語外部検定の一斉採用の件である。
民間英語と記述式の導入断念 25年共通テストで文科省 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

_e0041047_05480506.png

 昨年度来の自民党安倍派の裏金事件で、ようやくお気づきになられた方も多いでしょうが、文部科学大臣の椅子は安倍派の独占状態であった。
文部科学省の歴代大臣 (mext.go.jp)

しかも、統一教会臭の豊潤な香りが一面に漂っている。
_e0041047_05542854.jpg
ということは、教育で一儲け企んでいる奴らが周辺をがっちり固めていたことになる。
安倍晋三は、教育に関してもろくなをしていない。というよりも、教育関連でどうやって甘い汁を吸おうかと日夜考えていたのだろう。
安倍晋三が死の直前まで批判にさらされていたの問題を、「モリカケサクラ」という。「モリ」も教育活動関連事案であるし、「カケ」の加計学園&岡山理科大&千葉科学大学のことだ。
堂々とさらしてやる。
_e0041047_06004458.png
安倍派は、統一教会の手法を取り入れ、「教育の分野」(協会で言えば洗脳の分野)を重要視していたのだろう


 安倍派支配の中で、文科省は実に不自然なタイミングで、英語外部検定を大学入試に一括導入すると発表した。不自然なタイミングとは、すでに時期教育課程は発表されており、センター試験も共通テストになることが決まっている時点での、外部検定導入である。官僚主導ならば、このどちらかのタイミングで行われるはずだから、この外部検定完全導入が、政治的な力学であるとわかる。(ワタシは発表時点で気づいていたので、この記述は決して後出しじゃんけんではない。)


 教育行政に政治的力学が加えられるのは、この時に始まったことではない。教育行政の方向性を決めるのは「中教審」(中央教育審議会)という諮問機関だが、この座長に民間人が抜擢された時が危ない。特に慶応大学出身の大物が座長になると、すぐに儲け話になる。国公立大学の授業料が一気に上がったのも、慶応出身の加藤寛が主役だった。加藤寛 (経済学者) - Wikipedia


 ワタシは、仕事の上では、教育コングロマリットのベネッセグループを信頼している。お世話になった方も多い。しかしながら、ベネッセグループのうさん臭さを、ある人事から見抜いた。
ベネッセ情報漏えい問題を振り返る 後に禍根を残した原田社長の記者会見を検証 | 広報会議デジタル版 (sendenkaigi.com)

この原田泳幸は、外資のIT企業や日本マクドナルドなどのCEOを歴任した人物である。こんな奴が社長になる会社とは????・・・・・・・
ちなみに、2024年においてベネッセは上場廃止となっていたのね。


 この英語外部検定の大学入試完全導入に関しては、文科省グループとベネッセグループのタッグによって図られたと思う。この外部検定導入の時期とベネッセの開発商品GTECが大きくクローズアップされた時期がピッタリ重なる。
英語能力外部検定は、老舗の英検、外資系のTOEICやTOEFLなどがあるが、これらの検定は、高校での一括実施を目的に設計されていない。そこで彗星のごとく登場したのがGTECである。
 ワタシ達は、進研模試を半世紀以上続けていたベネッセ社が開発したものという理由だっけで、このGTECを支持してしまったかもしれない。


 ワタシは、評価が大学入試に活用できる完全版GTECを導入するか否かを決めないまま、B社の営業マンの声掛けに応じてモニター実施高校となることを承諾した。そして、モニター高校の責任者として、ベネッセグループの仕事ぶりを一日中観察していた。
そして次の日、校長宛に「観察レポート」をA4版2枚くらいにびっちりまとめて提出した。レポートの主要テーマは、情報セキュリティのずさんさであって、もし、実施高校で何らかのミスが出た場合(つまり生徒の大学入試に影響が出た)、高校側、ベネッセ側、どちらに責任が帰属するのかわからない状況だというものだった。
 清水東高校は校長会の理事校なんだそうで、そのレポートは数日中に静岡県の校長連中に回覧されることになった。そして、静岡県は校長会全体として、外部検定一斉導入に反対する立場に回った。
きっとどこの都道府県でもこのような攻防が見られたと思う。結果的に、大学入試全体がベネッセのGTECを使うことはなくなった。(2024年、やはり老舗の英検が今でも主流となっている。高校時代までに英検2級を取得すると、大学入試は超お得となるよ。理系も文系も)


 ベネッセ社は、GTEC導入と同時並行で、生徒&教師&学校の同時活用ITツールとして、Classi(クラッシィ)なる商品も売り込んでいた。もう学校はICTとかIOTの世界であるべきで、学校に生徒はタブレット一つで登校する時代ですよ!!!!! と強烈な営業がかけられていた。この商品、のちのコロナ&学校ロックダウン実施において、容量不足で大失敗商品であることが露呈した。
このClassi(クラッシィ)なる商品もワタシは受け付けなかった。
「ベネッセは模試と教材だけ」の姿勢を貫き通したのだ。Classi(クラッシィ)を導入しなかったのは、富士高校で今も進路課長をなされている、O村先生が、若かりし頃「すべてのIT商品はGoogleにたどり着く」と予言されていて、学校情報教育もいずれはGoogleで賄うことになるだろうと思っていたからだ。
(これも後出しじゃんけんではない)
今や、県教育委員会お墨付きのGoogleである。なんと、静岡県では、入学時より生徒にGmailアドレスが割り当てられている!!!!!!


この連載の10回くらい前、ベネッセグループ絶賛の記事を書いた。ベネッセ社には読者も多い。ベネッセは頼りになるし、受験指導は「ハイスクールオンライン」がないと成り立たない。
しかし、原田泳幸グループは大嫌いであることで、B社対応の両面作戦を敷いたのだった。


さあ、GTEC問題が片付いたとたん、進路部長のワタシが直面したのがコロナである。(全世界が直面したけどね)
Received — 2024年5月15日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑨

著者: tommyjhon
2024年5月15日 06:04
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、好評連載の振り返るの記。
これからは、2017年4月からの教務主任(部長)時代の話。
清水東高校は、サッカーや頭脳を中心に本当に多くの逸材を世に送り出した高校で、ワタシが在籍していた時にも、溢れ出る強烈な才能と個性の持ち主が多くいたが、いずれも未だに原石レベルである。
 本日は、原石中の原石、(もう少しで)ブレーク予定での芸人さんをご紹介。
なんと、自作のプロフィールがWEBページに残されている。
佐野寛の年収は?彼女はいるの?整形?性格は悪い?気になる経歴 | ブログ (ameblo.jp)

佐野寛という奴で、高校時代は生徒会長を務めていた。 主要なSNSはX(旧Twitter)を使っている。
佐野寛(バターヤング)(@doutokushin46)さん / X (twitter.com)

 今の活動拠点は千葉テレビらしいのですが、早く全国区になってくれないかなあ?・・・・高校時代のお笑いセンスは、「まあまあ」と採点していた。


 さてと、これも突然に指名されて、何の準備もないまま動き始めた、教務主任のお仕事。これはもう学校の根幹を定めるレベルの案件が多く、なかなかブログに書けないこともある。とにかく、主任最初のGW(ゴールデンウィーク)の頃までは、県提出の公的文書を終わらせなければならず、とても苦しい毎日だった。そもそも性格的に細かいことに向いていおらず、このIT社会の到来とともに一昔前の教員という職業からは考えられないほどIOTが進化したにも関わらず、ワタシのPCスキルはほとんど素人レベルである。未だにWardやエクセルなどの超基本的ソフトも十分に使いこなせないでいる。かろうじて、人より優れているのが、このような早朝の時間にクダラネー時事ネタを出鱈目なタイピングで打ち続けていることだけだ。つまり、「技術的には大したことないが、執念深い性格」なのである。


 教務主任の仕事に関しては、執念だけが頼りだった。他に才能がない。
そして、当時の校長から厳命を受けて執念だけで達成したのが、学校の教育課程変更である。
当時、清水東高校のカリキュラム(生徒レベルでいうと時間割)は、基本設計の古さに加えて、SSH(スパーサイエンスハイスクール)対応も行われていて、極めて異質なものだった。
①甲週、乙週という2週間で一つのサイクルとなっていた。(A、Bを甲、乙に訂正しました。ケンスケ先生からのご指摘)
②なんと、60分授業である。
 この基本設計では、現在の理科基礎科目3科目必修(生物基礎・化学基礎・物理基礎)には到底対応できない。また、情報も必修化されたり、地歴公民科の新課程(歴史総合・地理総合・公共の必修化)にも対応できない。しかも、「総合的な探究活動」という訳のわからない授業も加えられた、スーパーマルチ履修(超多科目必修)をこなすことが出来ないだろうと、誰もが思っていた。(誰もが思っていたけれど、誰も手を付けることが出来ないでいた)。


 ワタシは、教務主任や進路課長の仕事をしながら、いつも心の中で呟いていた。「こんなん学校の重要業務は、OBがやれよ・・・・お前等、好きな仕事ばかりやって、みんなから嫌われるような泥臭い業務はやらないんだよな」
ただ、校長先生からの厳命なのでワタシの時代にこの難問をクリアしなければならない。
 そして、各教科の授業時間(1単位60分×週単位数×年間授業週間数)を分刻みで解体し50分授業として換算しながら、日本の高校というのは、実際にはどれくらいの授業数が必要なのか?という原点にまで戻って、カリキュラム(時間割)を作り変えた。もちろん、一単位を50分が文科省の標準授業時間である。


 このカリキュラム研究で、理解できた「普通科高校のカリキュラム規準」とは以下のものである。ただし、これは文科省が指定している標準単位(週の時間数)ては、かけ離れている。文科省レベルでの標準単位数は、受験を無視した机上の空論だ。清水東高校などの進学校には進学校のそれなりの規準が存在しているのである。この「それなりの規準」はうっすらと文科省も認めているような感じだ。というのは、共通テスト(当時はセンター試験)の配点割合を、進学校なりの規準として考えると、かなり現実的だったのである。
 以下、このような思考方法をそれなりの規準として用いた。
①センター試験で200点満点の教科(国語・英語・数学)は科目の違いはある(例えば、国語は現代文と古典、数学はI、ⅡB、など)けれど、1年から3年まで毎日1時間必要だ。つまり、3年間で15単位。
②センター試験で100点満点の科目(化学、物理、生物、日本史、世界史、地理)は、200点科目の1/2の点数なのだから、15単位の1/2の時間配分が必要だ。つまり、1年~3年までで7単位もしくは8単位。(例えば、化学基礎2単位ならば、化学では6単位)
③センター試験で50点の科目は200点科目の1/4だから、3,5単位程度(例えば、化学基礎2単位・化学基礎演習2単位もしくは1単位)
④あとは、文科省の規準でよろしい。(家庭科2単位、保健2単位など)
 そして、これらを基本理念として、増やすとことは増やし減らすとことは減らすようにして構築しなおして、1単位50分授業案を各教科に提示した。


 そうしたところ、各教科からは特別な異論も出ずに、この大改革はすんなりと決まった。だいたいは、カリキュラム変更が行われると各教科での時間数分捕り合戦がはじまって収拾がつかなくなるのであるが、このように全体を作り直す場合には、それなりの理論武装をしておくと、日ごろは意地の張り合いをする教科でも案外と納得してくれるものなのだ。
 また、このカリキュラム作成段階では、新教育課程(公共とか歴史総合とか)に対応できるようにしておいた。


 もう、ワタシがカリキュラムを作ってからすでに6年が経っていて、現在の清水東高校の教育課程がどのようになっているかはわからない。自動車の大幅なマイナーチェンジは通常5年おきに行われる。フルモデルチェンジは10年に一度だ(これは経済学)。教育課程も、5年をめどにマイナーチェンジ、10年でフルモデルチェンジが行われるべきだと思う。(文科省は、この周期を守っているフシがある)そして、ワタシの次の教務主任殿は、今でも教務主任であり(たぶん)、このブログの読者様でもあるので、これ以上迂闊なことは言えない。
 ただし、この教育課程を作り変える作業をしていた時の思考方法(一度全部分解して、どの科目がどれくらい必要なのか?から再構築すること)は、書き残して置きたかった。


 他にも(多くの先生方を敵にまわしたのに)公表しても意味がない制度改革をかなりした。どれも、「一度やろうと決めたことは執念だけでやりきる」というモチベーションだけだった。ところが、またしてもワタシのあずかり知らぬ人事上の出来事で、教務主任の職を2年間でおしまいにすることになる。この時の管理職のセリフは、
「お前が教務主任を続けて新しい進路部長を見つけるか、お前が進路部長をやって新しい教務部長を見つけるか、どちらか一方だ」
というものだ。
 結果的にワタシは進路部長となった。つまりは、新しい教務主任をお願いすることになった。S先生(読者様)、引き受けてくれて本当にありがとうございました。普通に考えれば、S先生の方が数段階上の適任者です。<m(__)m>
Received — 2024年5月14日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑧

著者: tommyjhon
2024年5月14日 05:34
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、大好評“清水東を振り返るの記”の前に、近況報告。
じゃーーーーーん。これが僕の白内障
_e0041047_04075645.jpg
 手術前検査を、1時間くらいやった後のドクターによる診察で見せてもらった写真。
「これっ、写真とってもいいですか?」と聞いたところ、ドクター氏は快く承諾してくれた。この角度から眼球の写真が撮れるわけがなく、おそらく合成画像でしょう。
でも、これほどの違いが左右にあるのか!!!!!!!!! もちろん左側画像がワタシの右目。右側がワタシの左目(ややこしいけれど)
ドクター氏も不思議がって、
「これだけ進行に差があるというのは、若いころ、野球のボールが目に当たったか?右目を強く殴られたか?スキーで右目を強打したとかの経験がありますか?」と質問ししてきた。きっと、こういう片目だけの白内障って、過去にそのような事例が多いのだろう。でも、ワタシは全く記憶がない。確かにボールが当たったことの経験は、長いキャッチボール遍歴の中で一度や二度はあるだろう。でも、当時はそれを大事故だと記憶することすらなかった。


 とにかく、6月6日の手術が終われば、常人のような“両方とも老眼”に戻る。・・・・この老人の悲哀を理解してください。手術を受けても“両方が老眼”までしか回復しないのだ。(ちなみに、人工レンズの代金は患者負担で6万円ナリ)。今は、右目だけ0,03の視力しかなく、しかも景色が白濁している。運転していてやたらに眩しいわけだ。


さて、清水東振り返りきの続き。
進路課長(部長)になった高橋ケンイチ先生と学年主任のタッグチームで、様々なシン企画を繰り出した。高橋先生も“ぬるま湯”状況を実感しておられたと思う。
(昨日、先生自らからLINEがあり、実名掲載がバレれていたことがわかった。ずっと疎遠になっていたので、絶対に「読んでいるはずがない」と思っていたが、なんだ!!!!!読者の一人だったのか)
ぬるま湯体質は、ある先生が、「清水東の進路結果って、どれだけ失敗しても理数科から東大合格が一人でもでると、それで満足しちゃうんだよね。先生方みんなが・・・・・・」とぼそっと、言ったことからもわかる。
 ワタシは、東大京大は半ば天才肌の特別なDNAの持ち主ではないと合格できないが、旧帝大や医学部に関しては、ある程度の才能と、充実学習プログラムの提案と実践で合格が可能である、という信念を富士高時代から持っていた。したがって、「教育力&合格力」という指標は、旧帝大クラスの合格者数によって決まるとも考えている。
また、高橋先生は、名門清水東高校サッカー部(もうこのフレーズだけしか残っていない)の部長を長く勤めておられたし、ワタシは依然として“なんちゃって野球部副部長”だったので、やはり、サッカー部や野球部の現役生から名門国立大学の合格者を出したかった。これぞ本物の文武両道という。ちなみに、サッカー部よりも(近年は)全国インターハイによく出ている男子ハンドボール部は、記録から見ると、本物の文武両道を実践していた。旧帝大のような名門国立大学にこだわったのは、名門私立大学には、指定校という制度があったからである。これは「教育力&合格力」にはカウントできない。(読者の皆さん、今の清水東に名門私立の指定校があるかどうかはわかりません)。


 学年主任として、例の度数分布を毎日のように眺めていた。
_e0041047_04474255.jpg
 そして、ワタシの学年は、東大程度の頭脳の持ち主が2名確実に存在することがわかった(片方は一浪したけれど、この2名は東大生となった)。ところが、その2名とそん色ない学力の持ち主が20名ほどが存在し、たった1クラスの理数科だけでなく、普通科にも多くいるのだった。彼ら彼女らに志を強く持たせ、モチベーションを保ちつつ3年生の後半を迎えさせれば、かなりの好成績(難関大学合格者数で)が残せるだろうという確信が出てきた。特に、「京大を目指す生徒」が10名程度おり、彼ら彼女らを京大に送り込むことが第一の目標となった。一名~二名の東大合格よりも、10名の京大合格の方が、絶対に学年全体の雰囲気が良くなるのだ。しかも、文系クラスまで交えて!!!!!! 
 高橋ケンイチ先生は、先生独自の人脈を駆使して、京大訪問まで実現してくれた。(清水東では、理数科独自の東大訪問や普通科を含めての名大オープンキャンパスあ、行事としてすでにあったが、京大訪問はまたも新企画である)。そして、Z会の添削も学校単位で採用した。代ゼミからは、英語読解指導で抜群の評判を得ていたある講師も招聘した。(これらすべて高橋先生発案である)
 西川彰一の講師情報・評価・レビュー|代ゼミ|英語|予備校比較.COM (yobiko-hikaku.net)
ワタシは、西川先生が清水東の救世主だったと信じている。
_e0041047_05055774.jpg
(1) Xユーザーの代ゼミサテライン予備校さん: 「【本日の「KOTONOHA」vol.62】 本日は英語科の #西川彰一 講師からメッセージが届きました📣 『Failure teaches success. 間違いから学ぶチャンスを手にするために、一杯問題を解こう。』 ≫西川講師の紹介動画はこちら≫https://t.co/k0BegnW1gq #講師の代ゼミ #代ゼミ #代ゼミサテライン予備校 https://t.co/6WdhSRpIX7」 / X (twitter.com)

画像はここから拝借。


 こうやって、高橋先生が進路課長に就任してからは、進路実績が着実に進路実績が向上し、ワタシの学年では京大合格者現役7名という実績を残すことが出来た。あの時に担任として頑張ってくれた7名の先生方には本当に感謝している。旧帝大以上の合格者数が、それまでが20名程度だったものが、数年で30名程度まで増えた。ここまでいけば、先生方の思考も変わってくる。


 さてと、ワタシの人生二回目の学年主任も平成29年(2017年)の春に終了。さてと、これからどんな身の振り方があるのだろう?と考えていた矢先、またもや、例の弾丸発言がワタシの胸元で炸裂した。
「先生がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」
これは、当時の校長の口から放たれたマグナム弾級の衝撃発言であった。
ワタシに、教務課長をやれという。


・・・・・「あたしゃねぇ進路の経験はたくさんあるけれど、教務畑は未経験だっちゅーの」
Received — 2024年5月13日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑦

著者: tommyjhon
2024年5月13日 09:32
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます.Tommyセンセです。

ということで、月曜日の朝。だらだらと振り返り記を続けます。本日は、勤務日ではありません。午後からは、眼科さんへ手術前検診に行く予定。


さて、清水東振り返るの記は、未だに2015年。
 この年、清水東2年目で、学年主任をやることになった。1年の学年主任だから3年間は同じ仕事だ。学年主任は、学年部教員の担任みたいだし、学年の生徒全体の担任みたいだからどの仕事(生徒指導&教務&進路&保健健康など)にも関わることになる。しかしながら、清水東高校では、学年主任にもしっかりと分掌(所轄)の仕事はついていた。ワタシは3年間、学年主任の仕事をやりながら、進路課(清水東では進路指導部が正式名称かも?)の仕事もやることになった。清水東高校の進路指導に緩さや曖昧さを感じていたワタシは、3年間でいろいろ変えていこうと感じ始めていた。
 
 進路指導の緩さを感じていたのはワタシだけではなかった。同じ学年部で一緒にすることになった数学のN先生も同じ思いであり、この学年がスタートする前に、大きなカリキュラムの改革を実現していた。それは、普通科の文系から東大を目指すことができるようにカリキュラムを見直ししたことだ。富士高校でも当たり前の事であったし、県下、他のトップ進学高でも当たり前に手当されていた文系東大志望者は、清水東では無視されていたのだ。旧態依然としていたカリキュラムは、どんどん変化していったセンター試験と個別学力試験の科目変更に対応できていなかった。文系東大志望者は地歴の「日本史」&「世界史」&「地理」の3科目中2科目が必須科目なのだが、以前の清水東ではそれが対応できていなかった。結果的に、ワタシの学年からは文系東大合格者が出なかったし、その後も、現役では文系東大は出現していない。清水東から離れて3年が経つがどうなのだろう?


 進路指導に関しては、ワタシの学年主任1年目スタートと同時に、とある業界では有名な高橋ケンイチ先生が清水東進路課長(部長?)に就任した。おそらく、先生にとっては2度目の進路主任だったと思う。高橋先生は、ワタシを昼間も夜も重用してくれた。先生と学校の話や酒の話であそこまでお付き合いができる人間はなかなかいない。かろうじて、それなりにお付き合いが出来たので、高橋&外山のセットで、いろいろな所に顔だしした。京都の祇園、静岡の呉服町、東京は八重洲。高橋ケンイチ先生は、ワタシとは正反対の性格で豪奢な方だった。


 先生とのお仕事での最高傑作は“三園倶楽部”の立ち上げである。まあ、ワタシは側にいただけなのだけれど、一応設立から消滅までを見届けた。
静岡市清水区 和風ビジネス旅館 三園旅館 | ご宿泊・スポーツ合宿・ご宴会に (misonoryokan.jp)
三園倶楽部とは、ケンイチ先生が音頭をとって集めた(夜だけの)勉強会である。ただし、凄いことに、ベネッセ社、河合塾、駿台、代ゼミという大手受験業者4社の担当を一同を招集し、それに地元の予備校や私塾も加え(Z会も)、その他知人の先生方にも声をかけ、常に20人以上の方々があつまった。
旅館に腰を据えて、一晩じっくり進路指導について語り明かそうという企画であって、その後10年間というもの、この三園倶楽部に集まった方々との繋がりが、他の学校に転勤した際でも大きく役立った。


 高橋先生は、このように受験産業を上手に使うことが上手だった。顔は厳ついが、稀代の営業マンでもある。いやらしくもなんともなく、生徒の進路指導に関して言えば、「変な縄張り意識は止めて、すべてのリソース(資源)を教えている生徒の為に使おう!!!!!!」という信念が先生の行動の源泉だったと思う。その当時、ワタシは清水東には批判的な態度をとっていたこともあった。清水東よりは富士高校の方が遥かに先生方の進路IQは高かった思っていたが、考えてみれば、それも「変な縄張り意識」と似たようなものである。高橋先生との仕事の中で、これからは「偏狭な考えは全部捨てて、すべてを担当する生徒の為に尽くす」ことにしようと心に誓った。


 清水東は、名門校である矜持が邪魔をしていたのか、受験の時流に合わせて変革させていくという意識が薄かった。ワタシは「偏狭で狂信的ともいえる清水東愛」という時もあった。高橋先生は、どんどん新しい仕掛けを導入していった。代ゼミの出張講義、代ゼミの新宿合宿、Z会の添削や東大京大セミナー(パルシェでやったんだよ)、センター試験後略ワンディセミナー・・・・などなど。おそらく、これらの企画を実現することには、大きな抵抗があったかも知れない。でも、学年主任はワタシなので、どんどん生徒の心に火をつけていった。高橋先生が、才能の束にガソリンをまき、ワタシが火をつけたのが、一連の放火魔の正体だった。


 この清水東高校の再興に大きな役割を果たした高橋ケンイチ先生は、もっともっと名門病に悩んでいた某私立高校にヘッドハンティングされて大阪の方に旅立った。すごいなあ、心からそう思う。ワタシみたいな小心者には絶対に出来ない。高橋先生の西部戦線は2019年の春から始まるのである。


 次回も、学年主任時代の話の続きです。お楽しみに。














 


Received — 2024年5月9日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑥

著者: tommyjhon
2024年5月9日 05:49
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、痛風の痛みも沈静化し、何となく普通の歩行ができるようには回復した。整形外科に行って、叱られながら薬をお願いするのは嫌なのでロキソニンは大切に大切に使わなければならない。痛風の原因が“ぜいたく病”であって、高カロリー&高タンパクの食品であることは判っている。飲み過ぎも良くないことは知っている。知っているけどやめらないから痛風になるのも理解はしている。でも、そうやって同じモノを食べ同じ酒を飲み続ける奴の中でも、痛風になるのは希な例だ。全員が全員発症するわけではない。
 しかしながら、お医者さん達はワタシのことをまるで犯罪者のように扱う。「お酒の飲み過ぎが悪い」「あなたの食べる物が悪い」俺は、犯罪者ではなく被害者なのだ。もっと、優しく接してくれてもいいだろうに・・・・つまりは、(全部そうなのだけれど)痛風などで医者の世話になりたくない。やはり、ロキソニンは大切に使おう。


 好評振り返り記は、2014年からの学年主任時代。
学年主任として勤務していると、クラス×7なので、クラスの大きな出来事は7倍の数にのぼる。退学者の数も7倍となり、自分に対するダメージも7倍になる。生徒が不登校になって結果的に退学していく場合、直接のきっかけがほとんどないことが多い。推理ドラマなどを見ていると、必ず事件には原因があり契機があるのが普通なのだが、不登校って原因も契機もほとんどわからないことが多い。
 大きく理解できるのは、「学校に行くこと」という作業は、その子にとっては相当なエネルギーのいる行動なのだが、体内にそのエネルギーがなくなってしまった、と考えるようにしている。少しずつだがエネルギーが充填するのを待つしかないし、他の学校に行けば、また、別の種類のエネルギーを使うことができるかもしれない。経験上、引きこもりの生徒が復活する場合、誰の支援も受けないで自分から動き出すこと、自分から行動することが多かった。例え親であっても引きこもりを治すことは出来ないと思う。(あくまでも私見)。退学者がでると学年主任は相当に凹む。
 
 モンスターペアレントの対処でも、相当な体力と気力を使った。
ある日ある時、あるクラスの親から電話があった。17時過ぎだと思う。ワタシはなんとなくアドレナリンがでていたので、ここが仕事場とばかりその電話を担任から受け継いだ。そして、受話器を置いたのは19時を過ぎていた。内容は、今でも思い出せない。きっかけがなんなのかを思い出すことは出来ないが、受話器を持っていた左手は、右手で一本ずつ受話器から外してあげなければならなかった。その電話中の2時間で硬直していた。内容は思いだせないのだが、なぜ長くなったのかは振り返ることが出来る。決着がつかないからだ。ワタシ達学校側に落ち度はない、親側からする子どもに落ち度はない。普通なら第三の方法で解決すればいいだけだ。しかし、相手は、第三の道を拒んでいる。こんな感じでずっと膠着状態が続き、受話器を持つ左手は完全に硬直してしまった。
 この親との関係は、このような感じで卒業まで続いた。3年間、親の心はほぐれることはなかった。


 少子化の現在、一人一人の大切さは、30年前、50年前よりも比べるべくもなく大きい。命を計量してはいけないが、4人も5人も子どもがいるのと、やっと授かった一人っこでは、親が過保護になるのは当たり前だ。でも、過保護になる分、耐性が失われているような感じがしている。子ども達に生き抜く力が無くなっている(あくまでも私見)。社会的耐性って言葉があるかどうかわからないが、多少のことは自分で解決できるようになって欲しいなあ。
 先生として、何か生徒が訴えてきた場合、「ざまあみろ」とは言ってはいけないものなのか?


 特に、リアクションの小さい(少ない)子ども達は、将来がとても心配である。
教師としての経験上、表情の少ない子どもは、内面に大きな問題を抱えている場合が多い。これは正しいと思う。


 昔、教師同士の間で、「先生、廊下に画鋲が落ちていました」と申し出られて困った、という話で大笑いしたことがある。
廊下に落ちている画鋲なんてそこいらの窓枠に差しておけば問題ないのに、なぜいちいち先生にもってくるんだ。
こういうのを、生きる力だというのだろうが、こんなん学校で身につけることではないよなあ・・・・・・・・・


 ということで、今日は学年主任として辛かった話。
そして、今日の授業は、「世の中には、物質と精神しか存在しない」という高尚なテーマをやります。・・・・どちらもセンセの仕事なんだけど、ただ今、再任用ハーフだから授業ダケ。気楽なもんだ。 






  
Received — 2024年5月8日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る⑤

著者: tommyjhon
2024年5月8日 07:02
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、還暦老人、清水東高校時代を振り返る記の⑤ ただし、5回目でも1年目のこと。


 2014年の正月、ワタシは3年生副担任としてセンター試験を迎えた。清水東高校はセンター試験会場が静岡大学に振り分けられていた。清水東高校は、静岡県下でもかなり特異な学校で、サッカー部や理数科の関係で、かなり多くの生徒が清水以外から通学している。静岡県東部地区からもやってくるし、(あの内田篤人氏は伊豆半島の付け根、函南町の出身だ。)静岡県の西部地区からもやってくる(その当時、清水東陸上部は棒高跳びに力をいれれいて、その関係で入学してくる生徒もいた。K代先生、元気ですか?) このような実情を知らずに、大学入試センターは、センター試験の会場をあてはめるのである。(我が母大でもある)静岡大学は、静岡駅から遠く、遠距離通学者にとっては極めて不利な場所だ。 
 案の定、センター試験の当日、東海道線が遅延するという事態が起きた!!!!!! 何故か知らないが、東海道線はセンター試験の時に限ってトラブルが起きる(起きていた気がする)。やはり、東高の生徒が一人、試験会場に遅れそうになった。彼は、東海道線を諦め、新幹線に乗り移り、最後はタクシーでぶっ飛ばして静岡大学に合流した。この事件以来、センター試験(今、共通テスト)は、前日ホテル泊も考えろと指示している。
 センター試験(現、共通テスト)は、とっても受験生に優しい(受験生ファースト、受験生第一主義)入試システムである。日本の国公立大学は、センター試験(現共通テスト)と個別試験(未だに2次試験ともいう)の合算であって、しかも、中間値(センター試験の自己採点結果)を計算した後に出願できるのだ。したがって、意地を張らなければかなりの確率で、国公立大学に入学できる。この中間値自己採点&出願指導のシステムは、文科省と受験ビジネスコングロマリット(B社・K塾・S台予備学校など)の上手な談合の上に成り立っている。
 逆の見方をすれば、この受験システムを上手に理解できている先生ほど、やはり進路指導は上手だ。センター試験(現共通テスト)などに精通している先生は、私大受験にも詳しい。例えば、センター試験で30点差のついたC判定値という結果がある。2次試験(個別試験)が100点満点の大学を勧めることは絶対にありえないが、個別試験の合計点数が500点ならば、彼の得意科目にの具合によっては逆転出来る。受験は、“気合い”ではないのだ。


 これらを徹底的に富士高の(合理主義を第一とする)進路指導で鍛えられたワタシにとっては、初めて迎えた清水東高校の入試検討会(センター試験の次の土曜日くらいにどこでも必ずやる)はあまりにもロマンチックで柔らかな感じがした。そして、思わず、頭の奥底にしまってあった受験脳のスィッチが入ってしまった。
この清水東高校の1年間を、“昼行灯”として過ごそうとして、事実、その通りに生活していた。前年までの学年主任&百人一首部顧問&事務局長&野球部父母会のバカ忙しい時代はなくなったのだ。
 そうした昼行灯は、丑三つ時に、必殺仕事人中村主水のようになってしまった。この入試検討会では、遠慮なくバンバン意見を言いまくった。
 ハイ、そこまで。



 3月、ワタシは1年の学年主任になれという内示をもらう。案の定、「君がウンといわないと次の人事が動かないよ」という決まり文句もついて来た。
ああ、これは、1年休んだ後に重要な仕事に見舞われるという「Tommyセンセの職歴法則」に則る力が働いたのだな。
①全国事務局長をやるから、担任休ませてくれと申し出た1年後、理数科の担任となる。
②理数科の担任を3年間やったから、1年間は休ませてと申し出た1年後、学年主任となる。
③転勤1年目で、副担任の昼行灯として働いたら、またも学年主任となる。
(この法則は、伊豆中央高校でもはたらいた。)



ということで、清水東高校2年目は1年生学年主任としてスタートすることとなった。そして、その後、いろいろな意味で一緒にお仕事をさせていただいた高橋ケンイチ先生が進路課長を引き継いだ。2人での●道中の始まりでもあった。




 




Received — 2024年5月6日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東を振り返る④

著者: tommyjhon
2024年5月6日 06:40
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、GWの後半、楽しい楽しいお出掛けとはいかず、なんと5/3に痛風を発症。3日は息子&孫家族と一緒に魔界の牧場(まかいの牧場)に付き添って行けたものの4日の日本平動物園は見送り、5日も一日中家の中。3年前に偽痛風発症の時にいただいた鎮痛剤(ロキソニン)のお陰で今は日常の生活できるまでに回復した。またもや四つん這いでトイレに向かうという情けない格好をしてしまった(泣)。


 さて、痛風の激痛も治まったので、還暦老人の“教員人生を振り返るの記”を続けることにする。


 2013年(平成25年)の春、ワタシは富士高校から清水東高校に転勤した。(静岡県下では)言わずと知れた名門進学高の両校であるが、いざ転勤してみると学校体制でみると大きな違いがあった。富士高校は文字通り富士山のような山容だと喩えればいいだろう。どっしりとして広大な裾野を持ち、高くそびえるにはこのような形になるのかなと簡単に想像できるような形をしている。生徒の学力分布もその通りで、頂点の数人から裾野が広がるように秀才達が存在している。ところが、清水東は、八ヶ岳や北アルプスのように、大きな山帯のもっと上に、一人一人の個性が天を突くような急峻さでそそり立っている。
_e0041047_05083528.jpg
(富士山=広く大きい裾野の上に頂点が存在する=富士高)
 
_e0041047_05103961.jpg
(日本海側からの剱岳などなど=個性的な面々がそれぞれ天を窺う様相=清水東)


どちらも英才&秀才(あくまでも静岡県内)が集まるのだが、富士高は集団として強さと大きさがより備わっていて、清水東は個性的な強さの集合体のような印象だった。
 過去の業績を見てもまさしくその通りで、清水東の理数科は静岡県の高校理数科としては一番の伝統を誇っている。なんと、調べた時点(今から6年くらい前)では、理数科の過去通算の最多進学大学は東大だそうだ。(卒業生の進学先で最多なのは東大ってこと、信じられる?????)
また、サッカー界でも同じ事がある。
内田篤人君おめでとう、史上初 清水東高校の快挙 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)

これは、清水東高校が、ギネスに申請したら認められるであろう世界記録である。世界的には高校単体でサッカークラブのある国など見当たらないので、この5大会連続OB選出は、絶対的な世界レコードだ。中山雅史と長谷部誠を輩出した藤枝東高校は、2006年のワールドカップドイツ大会を逃している。(ワールドカップロシア大会は、小野伸二&川口能活の清水商業コンビが選出された)
 このような突き抜けた才能をボコボコとでてくる下地みたいなものが清水東高校にはあるのだろう。実際に赴任してみても、そのタレントの集まりに驚いた。


 日本の高校では、文化祭や体育祭に名称をつける。富士高校は富嶽祭(ふがくさい、腐が臭い)であるし、静高は卬高祭(うこうさい、高きを仰ぐ、)である。清水東は、単に“学校祭”であって、その他に言い方はない。これは、県下では他に浜松北高くらいしかないずうずうしさ(おおらかさ)である。他の学校を意識する感覚がないんだ。
この学校祭での出来事はワタシは仰天した。おそらく、清水東高校の関係者ならば全く普通の感覚なのであろう。なんと、この学校祭のテーマ曲(清水東では、賛歌と呼ぶ)が、生徒の有志バンドによる完全オリジナルの楽曲なのだ。しかも、応募数が多い場合には、オーディションをもって「テーマ曲」を決定するという。作詞も作曲もアレンジも完全なオリジナルで、もちろん、そのバンドが学校祭のオープニングを飾るというのは、全国探しても、そうあるものではない。
Youtube動画にも残っているよ。
【公式】2015年度 静岡県立清水東高等学校 学校祭 賛歌 「Story」 - YouTube

・・・このバンドのメインボーカルは東大に現役合格している。


 ただし、学習や進路の方も、どことなくこの個性を大事にはするが、学校の組織として進学させようという体制は完成していない感じがした。(富士高校の進学体制は県下有数の組織力の賜物である)、顕著な例をあげる。


 ワタシが清水東に転勤した2013年は、センター試験の必須科目がやや変化した年であった。2013年のセンター試験においては、公民科目での「倫理・政治経済」が導入され、今までの「現代社会」・「政治経済」・「倫理」に加え、倫理50点分、政治経済50点分のミックス科目である「倫・政」が新設された。しかも、この「倫・政」が東大から旧帝大、千葉大、神戸大、横国大などの難関大の文系では、必須科目となったのである。つまりは、このような文系難関大に行くには、「倫・政」をセンター試験において受験しなければならず、その為には、授業でも倫理と政経を勉強しなければならない。
 前任地、富士高校はこの変更に備えて、文系生徒は「倫理・政経」を4単位で両方学習するようにカリキュラムを変更していた。ワタシが学年主任の時代、東大から旧帝大までの難関大に64名の富士高最多合格者をだしたのだが、この数字には、文系の旧帝大(特に名古屋、東北)で荒稼ぎしたことが大きい要素となっている。ワタシは、「倫理・政治経済」が必修化されることが判って以来、着々と「倫理」の教材研究を進めていて、それほどの負担にならずに、「倫理・政経」の必修科目を教えてこれた。(今では、倫理が一番教えやすい、伊豆中央でも、それなりの倫理政経対応は整っていた)


 ところが、清水東高校では、全くの無関心・無対策のままであった。カリキュラムには、「倫理」という科目が存在しない。生徒達には、「個人的に予備校で勉強しろ」というメッセージがあっただけだった。しかも、ワタシの前任者(つまり、公民の担当)は進路課長の職にもついていた方である。この変更を知らないはずがない。
一担当に託せられる仕事ではないことも確かだ。もっと恐ろしいことに、この「倫理」が開設されていないという大問題を、先生方がそれほど大きく考えていないことにも驚いた。清水東高校は伝統ある理数科の開設校でもあり、やSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の認定校でもあるので、理系の教育には伝統的な強さがあるが、文系の進学などあまり興味がないようにも思えた。(東大の文科や一橋に行った卒業生もいるが、彼らは文転生である)


 なので、公民科として転勤したワタシは、当然たった一人の公民科教師でもあったので、「倫理・政経」問題の解決に対処した。科目「政治経済」は3年生で文系必修科目であったので、「倫理」を課外(正規の授業以外)のゲリラ的な授業として、朝7:10~8:10まで、毎週火曜日に行うことにした。これを続けながら、土曜日の「土曜講座」でも倫理を講義し、夏休みの補習でも「倫理」を講義した。そうして、やっとこさ、旧帝大以上の難関大志望者のセンター試験受験の下地作りが出来上がった。
もちろん、難関大の合否は個別試験で決まるので英数国の方が重要である。それ故、「倫理」などの科目で貴重な学習時間を割いて欲しくない。ワタシの「倫理」「政治経済」の授業・補講の目的は、「それほどの時間を費やすことなしで、高得点をとるか」であって、「哲学」などの深い理解を目指すモノではなかった。


 結果的に、この年の受験において文系難関大で目立った成果は上げられなかったのではあるが、体制作りだけは(ワタシの勤務時間を度外視した仕事ではあったものの)、整った。


 同じような問題は、良くも悪くも清水東高校の学校体制に垣間見られた。よく言えば「個性を大切にする」悪くいえば、「生徒任せ」の進学指導体制は、個性的な人材が少なくなっている現状では、ややおおきなリフォームが必要であることは明白だった。例えばの、60分授業である。一昔前、多くの進学高は65分授業を採用していた。一般的には50分授業であるが、数学や理科などの実験や長い考察が必要な科目では65分という長尺授業の方が都合が良い場合がある。しかし、もはやセンター試験(2014年当時)に見られるように、今やマルチ科目必修の時代になり、65分ではまともなカリキュラムがくめなくなっていった。
 それを、清水東高校では、65分⇒60分というマイナーチェンジで乗り切ろうとしていたのだが、誰かがここで大鉈をいれる必要があった。(これを4年後に担当するとは思ってもみなかったけれど・・・・・)


 そうして、1年目は終わろうとしていた。次回は、3学期のワンシーンから始めます。 


 
  




 




 














 






Received — 2024年5月1日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人清水東編3を延期して近況報告

著者: tommyjhon
2024年5月1日 05:20
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

 ということで、好評連載中の「教員振り返り記」の前に、ちょっとした近況報告。


現在、ワタシの体躯上の弱点は
①腰椎すべり症で、下半身がいつもしびれている。
「腰椎変性すべり症」|日本整形外科学会 症状・病気をしらべる (joa.or.jp)

これに関しては、
フィットットという無料の体験会場にせっせと通っています。目に見えるような改善はないものの、少しずつ楽になったような・・・・・
この高電位治療ですが、ワタシのような病気よりは、糖尿病のような病気により効果があるようです。(特に不眠症に効く!!!!!)
体験会場(フィットット/いやしステーション)|コスモヘルス (cosmohealth.co.jp)



②高血圧、 定期検診がないので、とりあへず2ヶ月は放置。
そして、今一番困っているのが、


③右目だけの視力低下。
ただ今、左目が1,2くらいで老眼。右目だけが0.1以下のド近眼。なんでこうなってしまったのでしょう。
昨日、休みを利用して富士市内で評判の眼科医さんを受診してまいりました。
9時半に予約をいれて、いろいろな検査を経て、病気が判明したのは10時30分頃。病名は“白内障”。
今では日帰り手術で完治するような病気なんですね。ともかく、そのように診断されて、手術日程まで決めてきました。こういう時に、再任用ハーフ教員は助かります。日程を組むのが楽ですな。学校にそれほど迷惑をかけなくて済む。例え日帰り手術とはいっても、デリケートな箇所ゆえに眼内感染を起こすといけないので、術後3日間は安静だそうです。(特に、運転はダメ)
結果的に、清水西高校の文化祭に合わせることにしました。文化祭ウィークの後半は授業がない(と思う)。


 そういえば、伊豆中央高校に片道90分かけて通っていたとき、最大の敵は朝日だった。西から東へ一直線に自動車を運転するのだから、朝日を真っ正面から浴びることになり、特濃の偏光サングラスをかけてもまぶしさに耐えられない時が何回もあった。他の車は平常運転しているのだが、どうやって直射日光を避けているのだろうと不思議に思っていたのだが、ワタシの右目が白内障ならば、当たり前だ。白内障は光に弱い、ワタシは人よりも断然に眩しさを感じていたのだろう。
 同じように、夕方の雨も不安だった。対向車のヘッドライトで、前がほとんど見えない時があったのだが、これもおそらく白内障の症状なのだろう。
 
 白内障の治療方法は、患部に人工のレンズを入れるのだという。人工レンズは、単焦点だと保険治療で賄われ、複数の焦点を持つレンズだと、保健がきかないそうだ。単焦点というのは、老眼か近眼のどちらか一つを選ぶレンズであって、ワタシは、逆の左目が老眼なのでその老眼に合わせることにした。結果的に、手術を経て普通の老人の老眼になるということになる。ちなみに、このレンズは保険適用で6万円。老眼と近眼に対応する高額治療では50万円以上かかるらしい。
 つまり、「ケチって老眼にする」ことになる。


 眼科の受診を逃げてきたわけではない。2年前にも、某眼科医を受診している。その時は、結膜炎だとは診断してもらったが、白内障などとは一言も言われなかった。しかも、「めっかち」という差別用語(?)で済まされた。毎日の生活では左目しか使っていないから日常生活に支障はないとの診断だった。
今回は、富士市で一番評判のいい眼科をネット予約して受診した。(国一バイパスと東名の取り付け道路の交差点から近い、マクドナルドの隣にその眼科医はある。)
そこでの診断は、秒で終わった。「ハイ、これは白内障です。手術すれば視力もある程度回復します、手術日程を決めましょう」とだけいわれた。眼科医でも差があるもんだなあ。


 ということで、本日はこれで終わり、『還暦老人の清水東編③』は次回にします。










❌