全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。
ということで、本日はプチ一人旅。本当はクロスカブでツーリングとしていきたかったのだけれど、明日が100%雨予報なので、残念ながらの自家用車使用。明日のブログをお楽しみにね(再任用ハーフ教員は月曜日が休みなんです)
ならば、絶好のツーリング日和であった土曜日は

山岳集落みたいな所に迷い込んでしまった。気を取り直して目的地へ。

・・・到着。信用金庫の営業バイクみたいなのが、愛車。

定番の蒙古タンメンを

完食。
・・・・やっぱり山梨が好き。
さて、
清水東高校で進路課長をやり始めた1年目の冬、何か中国の武漢で恐ろし気な新型ウィルスが人殺しをしているという情報が世界中を恐怖に陥れた。
この新型コロナウィルス、なぜ中国の武漢スタートなのか?、一体どこから忍び込んだのか?、どうして人間が罹患したのか? いまだに判然としない。ワタシは、アメリカ軍の新型生物兵器である説
新型コロナウイルスの“起源”特定できず 米情報機関の報告書公開 全機関が「生物兵器ではない」評価|TBS NEWS DIG (youtube.com)
が、真説だろうと疑ってます。(アメリカ情報機関の公式報告が一番疑わしい)
今、振り返ってみると、このセオリーたけは正しかった。
#新型コロナウイルス #弱毒化 #エラーカタストロフの限界 (andoc-clinic.com)
“エラーカタストロフ”というらしい。
<コピッペ>
ウイルスにとって一番理想的な状態は、「感染力は強いけど、致死率は低い」と言えます。新型コロナウイルスは変異しやすいRNAウイルスですので、そういったベストな状態になりやすい(=弱毒化しやすい)と考えられます。
<コピッペ終了>
さすがに、2019年冬から2020年の夏くらいは、日本中が恐怖のど真ん中にいた。
2019年の大学入試はそれほど影響がなかったものの、3月にコメディアンの志村けんがウィルス感染による肺炎で亡くなったころから、日本中ビビり始め、学校は入学式と始業式を終えた直後からロックダウンに入って行った。
各地、各学校で多くの代替授業が試みられたものの、それほど効果を上げたという報告はされず、やっぱり学校生活は、学校でこそ成り立つものだと改めて確信した。特に、厳しかったのは、小中学校が同時にロックダウンしたため、子育て中の教員がはとんど学校で勤務できなかったことである。例えZoomという機能があるにせよ、教員が学校にこられないのだから進展はしない。
そしてワタシは、立場上、「大学入試はどうなるのですか」という質問を5分に1回くらいはうけていた。ロックダウン中ずっと学校で勤務はしていたけれど、それはずっと学校で情報収集していたからである。
予備校からの情報、各大学からの憶測、有名ジャーナリスト達の見込み、などなど・・・・こういう事態になったときは、文部科学省は、絶対に声をあげない。確定するまで絶対に情報を漏らさない。
自分なりに情報を集めて出した予測は、「センター試験を3月に行い、国公立大学の個別試験を4月、合格発表をGW前、私立の入試も3月」というものだった。
なぜならば、学校のロックダウンが4月~6月の3か月だったので、それくらい遅らせなければ間に合わないと思ったからだ。大学は、5月からスタートしても1年生のカリキュラムはこなせるはずである。
政治家の中には、ここで一気に9月入学を主張した奴(たぶん欧米かぶれ)もいたが、最終的には無視された。
ところが、この目論見は完全に外れ、このコロナパニックの中でも、大学入試は通常通りやるとの(1学期中に)発表があった。
大学側はどうしても4月からのスタートにこだわりたいらしい。これはこれで一つの高い見識だと思う。しかし、日本の学校の中で一番「コロナにビビっていた」のは大学である。遠隔の授業が一番長く続いたのも大学だ。なぜだろう?
大学入試が通常通りの日程で行われることで、進路課長の仕事はコロナに関しては(ほとんど)なくなった。忙しくなったのは教務的なことで、高校生はロックダウンのおかげで、夏休みがたった1週間になってしまった。(決して正しい選択だとは思っていない)
ワタシ的な思い出話を一つ、
その頃、どう見ても非科学的な「自粛警察」なる者たちが跋扈していた。ロックダウン中は、県外への異動か禁止だった。
我が家からは、1時間あれば、お隣の山梨県に行かれる。そして、当時は公園という公園が立ち入り禁止になっていた。山梨県に本栖湖という風光明媚で涼しい場所があるのだが、ロックダウン中に、この本栖湖にドライブに行って写真をとりSNSに上げた。“こういう自然に恵まれた場所でも立ち入り禁止にするのは、もったいない”と意見を添えたのだが、まんまと「自粛警察」に捕まり、「教員たるお前が、ルールを破って、どういうつもりか!!!!!!!」という書き込みとともに、ワタシの愛車の写真(静岡県ナンバー)がバズった。
その後も、人混みではなく、風のさわやかな湖畔や海岸、森林浴のような場所でも、マスクを外せない方が未だに多くいらっしゃった。コロナに関して、日本人は社会集団としての後遺症から未だに抜け切れていない。
新型コロナウィルスは、オミクロン株にすり替わったことから完全に弱毒化し、単なるウィルス性の風邪となった。もう、全く気にすることがないのにも関わらず、授業中のマスク装着率が50%くらいのままだ。なぜだろう?
そして、先生方の方が“マスクをしていなければいれない症候群”に関わっていて、今の勤務校ではマスク装着者が70%を超える。「科学的なこと」「真実を探求する人間」の代表者である教員がマスクを手放せないでいるこの世界は、ちょっと変だ(先ほどの、大学が一番ビビっていたという観察と少し関連がありそうだ)。
(一度決めたことを最後までやる、もしくはやらせる、ことを教育の至上の喜びであるとする特殊集団だからしょうがないのかも?)
コロナの災いで、結果的に在校生やその保護者達の中で、受験に大きな影響もなかったし、犠牲者がでることはなかった。誰も死ななかった。
むしろ、直接影響を受けたのは、清水東高校を2021年の3月に転勤して、伊豆中央高校に行き、進路課長になった2022年からの方が影響とショックが大きかった。
伊豆中央高校での最後の2年間、ワタシは同じように進路課長になって、受験生を指導することになったが、伊豆中央進路課長の2年間で、生徒約400人(2年間の3年生)のうち、クモ膜下出血で受験を諦めた子が一人、進行性の早い癌が悪化して受験を諦めた子が一人、脳の髄膜炎で受験を諦めた人が一人、でてしまった。この3人というのは、40年の教員生活の中でも3人である。
(ちなみに、伊豆中央3年間では3人もの保護者が、癌やクモ膜下出血で亡くなった。)
このコロナ騒動は、ワタシの気力を削って行った。なんか気持ちばかりが疲れた。
そしてこの時は、最悪の相性問題も絡んで、コロナの終わりが見えかけた2021年に差し掛かる時には、「死んでも清水東から転勤してやるーーーーーっ!!!!!!!」との思いにかられていた。今、思えば軽い神経症のようであった。ある人物の顔を見ると動悸がするような症状もでた。
ワタシは、清水東に8年在職したが、学年主任3年間、教務主任2年間、進路主任2年間をこなした男である。しかも、普通の時期の教務主任ではなく普通の時期の進路主任でもなかった。自慢ではないが、「功労者」である。今くらい、ワタシのわがままを聞いてくれてもいいだろう。そして、今しかないのも事実であった。
その時、ワタシは57歳となっていて教員生活も残り3年となっていた。静岡県では3年間というのが勤務校の最低年限だから、このチャンスを逃したら、残りはずっと清水東にいなければならない。それは、罹ってしまった神経症が進展することと同じだ。
「精神的な健康を回復するために転勤を希望した」のだ。
転勤が確実になってからは、もうウキウキ気分で精神の落ち込みは回復し、転勤記念缶バッジや転勤記念ハンドタオル、図に乗って、転勤記念野球帽なども作成した。
本当に嬉しかったんだ(あくまでも精神衛生上)。転院先が、伊豆半島の真ん中で、自家用車で90分かかるなど、全然問題ではなかった。
さあ、次回からいよいよ最後の正規教員勤務地、伊豆中央高校のTommyセンセとなります。