全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、本日から期末テスト。今日は学校で印刷します。
まっ、これで4月~6月一杯のワンタームが終わり、授業が一区切りつく。大人には全然理解できない、高校の教科「地歴公民」の必修科目「公共」はどんなことを教えているかを大公開。
そもそも、週に2回しか授業がなく、その時間の中で「考える」とか「問題を解決する」とかいう課題をこなさなければないので、ぼぼ100%、教科書はすべて終わらない。おそらく日本全国、どこの学校でも週2回の授業で教科書全部は絶対にやらない。教科書のある部分を「つまみ食い」して教えているだけだろう。
「つまみ食い」って、下手に漢字変換すると、「妻味喰い」ってちょっとエロいのだが・・・・学生には教えないよーーーーん。
ワタシのつまみ食いは、4月から5月までが、ずっと「青年期の課題」、アイデンティティの確立とかを勉強させた(させていたつもり)。6月はずっと、「魂(たましい)」定年を過ぎ、還暦も同時に過ぎたところで、やっとワタシは「人間の魂」に関して授業をすることが出来るレベルになった。
7月からは、一転して“経済の動き”に転換し(整合性はないけど、つまみ食いだから仕方がないのだよ)、1月からは“政治参加”をやるつもりなので、ここで、1学期の「魂」に関する総括。
日本人って、魂というと、そこに霊的なイメージを抱きがちだ。“霊魂”は一般に使っている。
したがって、まずは生徒と一緒に死後の世界を考えてみた。そうすると、実際は、誰も死後の世界を想像できず(当たり前か)、キリスト教で教えている「天国」ととか、仏教で教える「極楽浄土」とかも思考のうちに存在しないことが判った。
授業(教科書や資料集)では、イエスの生涯やブッダの教えなどは一応教えることになっているので、一応教える。イエスもブッダも生前はいい人であった。とんでもなく優しくどこまでもいい人であっただけだ。この時点ででは宗教になっていない。キリスト教が宗教っぽくなったのはその後の500年くらい先の話であって、イエス本人とは関係ない。キリスト教を宗教にさせたのは、“教会”という組織である。(世界史をしっかり勉強すると、教会勢力のあざとさがよくわかる。でも、日本人は素直だから教会という言葉だけで、感心してしまうのだ)
仏教もブッダとは関係ない。ブッダには自分の教えを宗教に昇格させる意志は何も持たなくて死んでいった。(悩みも野望もない状態になったから悟りなのよ)今や仏教界で我々を救ってくれるのは、“阿弥陀仏”とか“妙法蓮華経”である。そして、これらを(ブッダの教えとは無関係に)コーディネートしてくれるのが寺院(お寺さん)であって、(インチキな)戒名を売りつけることで、俗人を形式的に出家させる。戒名をもらい出家すればあとは自然と極楽浄土にいくという教えをする。
では、本当に(90%以上がお寺で葬式をあげるにも関わらず)、死後は極楽浄土に行くのか? 生徒は誰も信じていない。おそらく日本人は誰も自覚していない。
日本人のほぼすべての人が、死後は霊が「あの世」に行くと信じている。(普通の)日本人には、天国も極楽も地獄もない。あるのは、「あの世」である。(このあたりの勉強は、平田篤胤先生を学ぶしかないのだが、日本史や倫理でも取り上げない)
しかも、「あの世」に行くのは「霊」である。平田篤胤先生は、「あの世」のことを「幽冥(ゆうめい)」とした。だから、「幽霊」なのだ。日本人は天国や地獄、極楽浄土を信じていないが、「幽霊」は信じている。
では、「霊魂」の「魂」とは何なの?「人間の魂」とどういうことなの?もうこれで「霊」がなくなったので、「魂」しかない。そして、「魂」を「入魂」とか「魂こめて」とか日常生活で普通に使う。
「魂」を宗教的(霊的)にではなく、人間が持っているモノとして使っていたのは、ギリシア人達である。みなさんが、名前だけはよく知っているソクラテスとかプラトンとかアリストテレスとかの哲学者達だ。
・・・・・・このあたりが日本人は理解できないのよね・・・・・
ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は「魂」を頭脳とか心とか精神とか思考とかマインドとかスピリッツとかと同じ言葉で使っていた。つまりは同じ言葉である。
授業では、ソクラテスのお言葉として、「魂の浄化」とか「魂の配慮」とかの単語を偉そうに教えるが、要するに「自分の頭でよく考えろ!!!!」ってことだ。
ギリシア人哲学者は、人間は「魂」と「肉体」で構成されると考えた。・・・今から思うとあたりまでだが・・・・そして、「魂」と「肉体」のどちらかがなくなると死が訪れるのであって、普通は「魂」が先に失われる(脳が死ぬ、考えることが出来なくなる、精神がなくなる。)
ギリシア人の哲学者の一人にエピクロスって人がいるけど、彼はこう言った。
「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」
エピクロス - Wikipedia
ここではっきりわかる。人間は「魂(頭脳、思考、精神、心)」と「肉体」だけで出来ていて、「魂」(思考力)がなくなれば死となるのだ。つまり、死についての霊的なものは何もない。
だから、ソクラテスは「魂の浄化」(よく考えろ)なのである。
そして、「よく考えろ!!!!」って言われたときの反論は、「よく考えれば本当に解るのですか?」である。
ここで、プラトンが登場する。プラトンは断言した。「よく考えれば、解る」と。
人間は自分でよく考えて正しいと判断する。この「よく考えて正しいと判断すること」を理性というのだよ。
なぜ、プラトンはそう断言できるのか?
実は、人間は肉体を手に入れるまで「イデア」という真(すべてが絶対に正しい)の世界でくらしていた。だから、「イデア」を想起すれば必ず「真」に行きつくはず(エロースによって)で、善(良き行い)も真(科学的に正しいこと)も美(完璧な美しさ)も手に入るはずだ。
と説いたのである。
・・・・・その後、プラトン主義というのは神憑る・・・・・やっぱりね・・・・・
しかし、プラトンの弟子であるアリストテレスは、
「よく考えれば本当に解るのですか?」という問に、「普通は無理だよ」と答えた。
人間の魂をよりよくする(頭脳をよくする、精神をよくする、思考力を高める、心を豊かにする)と、「徳(アレテー、つまりは卓越性、優位性のこと)」を身につけることができるのだが、それは失敗を繰り返して、経験地値として身につけるのだよ
と教えた。
アリストテレス|あらゆる学問の基礎を築いた哲学者 – Hitopedia
この図のように、経験則として身についていく。

ほらね。
これで、人間という存在の理解は終わりです。
人間は、「魂」と「肉体」だけで出来ていて、霊的なものは存在せず、宗教もインチキで、「魂」がなくなった時点で人間は存在しない。
「魂」とは、頭脳・思考・判断・心・精神と同じことで、要するに「よく考えて、しっかり判断しろ!!!!!!」と同じである。
「一球入魂」(高校野球でよく使われるけど)とは、「一球一球、違う場面で、想定される肉体の運動をすべて考えて、その運動の中で最適な動きを肉体に命令しろ」という意味であり。
三浦知良が、「ボールに魂を込めました」というのは、「頭脳で最善のことを考えて、それを肉体を使ってしっかり実践し、試合で使うことが出来ました」という意味である。
よく、アホな指導者が、「集中!!!!」って言うが、生徒は「よく考えて、できる限りの場面を想定して、しっかりと頭脳で考えた動きを肉体に伝えろ!!!!!」と意味だと解っているのかなあ?
「一球入魂」と、してボールに魂を入れることは出来ないよ。ボールは物体だからね。「入魂」とはよく考えて最適な動きを肉体に伝えることなんだ。
ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、これ以外に、何を教えろというのかねえ。