共通テスト一日目終了 とやまかずゆき のブログ
2025年1月19日 09:42
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、新課程を学ぶ生徒が高3になったことで、いよいよ共通テストも新課程仕様になった。大きな目玉は、「情報」が必須化したことだが、ワタシが教えてきた地歴&公民も、新教科「歴史総合」・「公共」と加わって、今年は、旧課程の問題とも合わせて異様な科目数になっていいる。
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まずは、「歴史総合・日本史探究」の感想。
①歴史総合ってぼぼ世界史なので、これからは「歴史総合」の授業がやたと広範囲を扱わなければならず、高校入りたての1年生ではかなり大変になりそうだ。しかも、週2単位の構成なので、歴史総合・世界史探究を選択した方が有利だ。
②日本史探究では、天皇&将軍&総理大臣に関する記述がほとんどなくなった(豊臣秀吉のみ)。それはそうだ、「日本史探究」は、歴史の英雄譚(えいゆうたん、英雄を主人公とする物語)ではない。高校生諸君、英雄話(人物史)だと思って、安易に日本史を選択すると、ガッカリするよ。(そもそも20年くらい前から、年代を問う問題は消滅してる)。これからの日本史の勉強は、「社会経済史」と「社会文化史」が主流となるよ。
次は、「公共」
これは、旧課程「現代社会」に変わるもの。「現代社会」の授業内容は、ほぼ政治経済の内容で、授業もそんなところ。では、なぜに「公共」となったかを、ズバリ言い当てれば、文部科学省内の教育課程担当者の中に、ハンナ・アーレントの信奉者がいたのだろうと思っている。
ハンナ・アーレントことそは、「公共」の概念を大きく世界に知らしめた哲学者であるからだ。
アーレントの思想をもとに現代日本の労働、全体主義を考える / Thinking Labor and Totalitarianism in Current Japan through Arendt | 関西大学ニューズレター『Reed』|関西大学
<コピッペ 、読まなくていいです>
アーレントは人間の営みを労働・仕事・活動の三つに分けています。「労働」は生命を維持するための営み。「仕事」は耐久性のある物を製作し、それを通じて人間世界を創造する営み。「活動」は他者との共同行為、特に言葉を用いたコミュニケーションです。近代以前には、この三つのうち「活動」こそが人間にとって重要な営みであり、「労働」には重きが置かれていませんでした。しかし近代に入ると、むしろ「労働」こそが社会的に重要な営みとなり、「活動」の地位は低下します。現代社会でも、われわれはどのような職業に就くか、どんな会社に勤めるのか、どれだけ収入があるのか、といった事柄にばかり関心を持っている。反対に「活動」は公共的な対話という意義を失って、単なる私的なおしゃべりになっていく。アーレントはこうした「活動」と「労働」の逆転現象を批判的に捉えていました。彼女にとって、「活動」は複数性や公共性に対応し、「労働」は単一性や私的なものに対応します。ゆえに「活動」の衰退は複数性や公共性の衰退に繋がり、最終的には全体主義の出現と結びつく。全体主義に対抗するためにも、人々が公共的な問題について話し合い、複数的な意見を交換する公共空間を創り出すことが重要だとアーレントは考えたのです。
<終わり>
つまり、「公共空間」で必要なものは、労働でも仕事でもない、と言っている。それこそ、他者とのコミュニケーション行為の空間だと定義している。
協同とか対話との新課程の理念とマッチしているので、科目の名前も「公共」となっただろう。
ワタシは、密かに(外すと恥ずかしいから)新課程「公共」の最初の問題は、ハンナアーレントだろうと考えていたが、見事にその通りになった。
そして、「公共」という新科目の新しさは、ハンナアーレントの学習をして終了となる。
これからは、いつもの、「政治経済」と「ちょっぴり倫理」の学習に終始することになる。
そもそも、(マーク式の)共通テストにおいて、対話とかコミュニケーション行為の優劣が数字上に表れるわけがなく、知識や理解力(考察力)だけの出題になるに決まっている。
これが、コミュニケーション能力が一番重用となる実社会と、これが測ることが出来ない「大学入試共通テスト」の大きな溝となる(他の教科でも同じだ)。
ところが、この共通テストはあくまでも「大学入試共通テスト」であって、次に続く「大学入試個別テスト」が待っている。コミュニケーション能力の高い子供は、ここで救われていく。・・・・・うまく出来ているものだ。
こうやって、ワタシも「書いてブログとして発信して、世の中からの批評をうける」というコミュニケーション行為を20年間以上続けてきた。
知らない間に、このブログも100万ヒットを越えていた。
本当は、英語でも国語でも地歴公民でも(文系教科はほぼ全て、もしかすると数理も)、生徒の能力値を高める指導法は、「文章の添削」である。・・・・ワタシが38年間、高校の教員をしてきて、自分も生徒も両方の能力値が上がった、と実感していたのは、大学入試直前の「小論文添削指導」の授業であり、個別の1対1の指導だった。
ただし、今の高校教育(1クラス40人)で、個別添削指導なんてやったら時間がいくらあっても足りない。
ワタシの主張する「教育改革」の一つの柱が、「(小中高の)学校に先生以外の人材を多く導入し、教員の仕事をより実効性のあるものだけに集中させる」ことだ。