ノーマルビュー

Received — 2021年2月10日 tommy先生の「世相を斬る」

死刑廃止論

著者: tommyjhon
2021年2月10日 05:27
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。


 ということで、たまには、高校の先生らしいブログ。ただ今、小論文指導の真っ最中。いつもは添削添削でメチャ忙しい日々を送るのだが、今年はコロナ禍、(本校の)受験生は県外の試験を受験すると、受験日から一週間は登校自粛になるため、指導する人数もやや減少気味。今年は、首都圏私大の志願者が大幅に減少したように思える。
https://resemom.jp/article/2021/02/05/60331.html
我が校でもコロナの感染拡大に対して、せっかく私大出願したが受験を取りやめる生徒も多く、この傾向はどこの地方でも同じだと思うので、首都圏へ実際に受験に行く生徒は、もっと減少するだろう。まあ、出願することで、私立大学はがっぽりと受験料を荒稼ぎできるのだから、生徒が受験に行かなくてもそれほど問題はない。・・・・私立大学って、しこたま儲けているのだな。
https://toyokeizai.net/articles/-/184087?page=3


 話を小論文指導に戻す。毎日毎日、様々な「小論文的」な課題にむきあっているので、ワタシ自身も相当偉くなった(頭がよくなった)。「AI」やら「貧困問題」やら「地方活性化」やら「イノベーション」やら・・・・・課題文を何も与えられなくても、これらのテーマなら1000字程度はすぐにでも書ける。小論文には、現代社会の世相を反映する問題が一番出題されるが、やや“古典的”な課題も散見する。例えば、学校教育の話題とか経済原論系の考察とかがそれにあたる。その中でも、法学部の小論文のド定番が「死刑廃止論」である。
あまりにもド定番すぎて、安直にネットで調べることも可能だ。先日も、このテーマで生徒を個人指導したが、小論文の論点整理に関しては十分なものだった。(パラグラフライティングの技法をちょっと教えただけで終わった)
ネット上では、このサイトが一番まとまっているように思う。

リンク上の見出し写真は、静岡県旧清水市でおきた、通称袴田事件の袴田巌さんだ。ちなみに、我が静岡県はこの袴田事件と島田事件という“日本中に名を轟かせた”有名事件が2つも存在するが、これは偶然の出来事ではない。



ちなみに、日本のえん罪事件において、本当の黒幕はコイツだ。



高校生のみなさん、古畑種基っていう名前は忘れてはいけません。


死刑廃止論の是非に関しての話に戻す。
先ほど紹介したリンク先から、論点整理の表を安直にスクショする。
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もう一個
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と、ここまでまとめると、だいたい2000字くらいの立派な小論文になる。完全な模本解答だ。
ところがだ、
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このように、“国際的潮流”という観点を持ち出すと、やや話が複雑になってくる。
国際的潮流では、死刑を存続している国は完全な少数派になる。もうヨーロッパ社会ではほぼすべての国が死刑廃止となっており、その中で、死刑を存続させている日本は相当分の悪い立場となっている。
だからこそ、日本も死刑を廃止するべきだ、とお気楽に主張してよいものなのか?


 ここで、小論文上(おそらく学術的論文すべて)、最大のタブーが存在しているのだ。コピッペした表には、「文化的・宗教的な背景」と書かれていることであるが、こども心にも、単純で明快なことであるのに、なぜかしら、絶対に議論されないことだ。
●ヨーロッパ諸国の宗教はキリスト教である、キリスト教では、死者は神に召されて天国へ行くことになっている。また、「罪深き者であっても信仰によって神の元に行くことが出来る」と教えられる。しかも、生まれた時から。
●日本人は、これといって教義を持つ宗教を信仰していないので、日本人特有の宗教感覚は、土着の信仰そのものである。つまり、「死後の世界には天国と地獄があって、どちらに向かうかは、霊界の主である“閻魔大王”によって決められる」のである。


 したがって、日本では、殺人を犯した凶悪犯罪者のような人物は、「死んでも、その罪を償うことはできず、死後の世界でも地獄の中で苦しむ」と考えられ、ヨーロッパ諸国では、「その人物が生前にどんな凶悪な犯罪を犯したとしても、悔い改めて信仰を深めれば、神の元に召されていく」と普通に考えているのだ。
もし、制度としての死刑があるのならば、それは、ヨーロッパ諸国においては、「神に召される手段」と解釈され、日本では「地獄に落ちる手段」と解釈される。


 ワタシは、どんな哲学的論拠よりも、この解釈が一番まっとうなものだと思っている。ヨーロッパ諸国がさっさと死刑を廃止したのも、日本では死刑存続論が根強い(生きる権利は絶対的な人権とどれだけ教え込んでも)のも、すべてこの土着的な死後の世界観が理由だと思う。


 そして、ここからが大問題なのだが、もし、「死刑廃止に関して」の小論文が出題され、その受験生が、「ヨーロッパと日本の宗教観の違い」を論点の一番して書いたならば、その生徒は合格になるのか?それとも不合格になるのか?
これが判定できない。


 ワタシは、「正義とは、判断のことで、法とは世俗的な判断の基準である。これは、あくまでも世俗的なものであり、宗教上の判断や科学的判断を下すものではない」と教えているので、
この定義に従えば、文系小論文として・・・・宗教上の判断基準を述べてしまったので×となる。
しかし、この死刑廃止論の極端さ(キリスト教圏では全面的に廃止、日本では多くの国民が存続支持)を、宗教上の事実を使わずに述べることは、不可能に思う。


 ここ数年、小論文を教えている生徒に、「勇気を出して、死刑廃止論の論文に、宗教的判断のことを書いて見てくれ、m(_ _)m、もし、お前が合格すれば、論文に宗教を入れてもいいことの証明になるし、もし、不合格なら、それはやはりタブーであることの証明になるから・・・・・」と懇願しているが、未だ実現されていない(当たり前か?)。
もし、見識者の方が、読者に存在しているのならば、この件に関してご教授願いたい。


 ちなみに、もう一つ、受験生に実験してもらいたいものがある。
それは、“面接試験”において、試験官が「将来なりたいものは?」と聞かれたときに、「内緒です、誰であってもそれだけは言えません」と答えたら、これは、0点なのか、それとも合格なのか?
 ワタシは、後者の答えに凄い将来性を感じるのだけれど・・・・・・・・


求む、返信!
 
































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