ノーマルビュー

Received — 2021年3月3日 tommy先生の「世相を斬る」

思い出の卒業式

著者: tommyjhon
2021年3月3日 06:15
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。


ということで、本日から静岡県の高校入試が始まるのでタイミングが悪い気がするが、教員生活35年の中で、一番感動して忘れられない卒業式のことを書いておく。
主役は、倉藤理大センセである。
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本物のプロ歌手である。ユーチューブでは、



 この倉藤センセとは、前任校・某F高時代に知り合った。
最初は、胡散臭いデカい単なる時間講師として、F高に来ていただけだった。ただ、何もない平らな机の上に、自分の携帯電話だけをおいて音楽室の授業に向かう姿が妙に気になっていた。
何となく教員仲間と相談して、「寂しそうな倉藤センセを宴会に誘おう」という流れになり、勇気を出して誘った。
 それからは、大展開が始まり、我々教員仲間でも生徒の間でも、倉藤人気がうなぎ登りに登って、「某F高に倉藤アリ」の存在にまであっという間に駆け上がった。ワタシが某F高を後にして8年がたつけれど、必ず何かの宴会で会っている。ワタシは、倉藤センセが好きである。
そして、酒を飲みながらの楽しい話の中で、必ず、「倉藤センセの第一発見者は誰だ?」との話になって盛り上がる。


 では、思い出の卒業式の話。
この倉藤センセとのお付き合いの中で、ワタシはこのようなイヤミをつぶやいたことがある。
「ねえっ、先生は音楽の教師でしょ、芸術の授業は、音楽・書道・美術と3つあって、美術と書道の生徒作品は廊下に展示してくれたりして僕たちが目にすることができるけど、音楽選択者の高校時代の作品ってないよね???????」
 
 こんな会話をした年、倉藤先生は、1年生音楽の授業を「合唱イベント」としてリサイタル化してくれた。その歌声は週に2回だけの授業で創られたものとは思えない完成度で、興味本位にのぞき見したワタシ達教員の度肝を抜いた。


 次の年には、12月祭(ちっちゃな文化部イベント)で、1年生音楽選択者全員による発表会が行われた。
進学校の「芸術」というちっぽけな授業が、学校の主役にまで上り詰めた瞬間である。


 そんな時代に、ワタシは学年主任だった。(とっても苦労したが)教員生活で一番楽しい3年間だった。今、振り返ると8人の担任の先生のうち1名が管理職となり、3名が進路指導主事となり、2名が学年主任として活躍しているのだから、先生に恵まれていただけなのに、今でも自分が一番頑張った3年間と勘違いしている。ちなみに、この学年が1年生の3月に東日本大震災が起き、その対応も大きな仕事だった。(この話はいずれ)


 学年主任として、2013年3月1日某F高校第●●回卒業式を迎えた。
高校の卒業式としては何の特徴もない普通の卒業式が行われた。担任の先生による呼名があり、卒業証書の授与があり、祝辞があり、送辞があり、答辞があった。校歌を斉唱して式が終わる。
本当に普通の卒業式である。ここまでは。


 “卒業生退場”と司会者の声があがる。
同時に会場には“蛍の光”が流れる。これも定番の光景だ。しかし、この時から普通ではない卒業式が始まった。それまでとはまったく違った荘厳な響きとともに宇宙空間がすべて凝縮されたような気分になった。ワタシだけでなく先生方全員がそう証言している。
この「蛍の光」の演奏は某F高の吹奏楽部が担当し、合唱を1年生音楽専攻の全員(約100名)が担当してくれたのだ。総指揮はもちろん、倉藤理大センセである。
倉藤センセは、卒業生のために、吹奏楽部と音楽選択者による壮大な“贈りもの”を用意してくれていた。
卒業生320人は、どんどん感情が高ぶってきたのだろう。退場するスピードがどんどん遅くなってきた。卒業生全員が、「ずっとこの場にいたい」と思い始めたのだろう。全然、退場してくれないのである、みんなが。
その全然退場してくれない長い時間、倉藤センセはずっと指揮棒を振り続けてくれた。生徒達はずっと歌い続けてくれた。ワタシはずっと泣いていた。3年生の担任の先生方もずっと泣いていた(と思う)。大多数の生徒の目は赤く腫れていた。


 倉藤センセは偉大だ。音楽の力も偉大なんだ。
文部科学省では何も語られない、教育委員会でも何も話題にならないが、このような卒業式が実際にあった。

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