ノーマルビュー

Received — 2021年3月29日 tommy先生の「世相を斬る」

離任の挨拶

著者: tommyjhon
2021年3月29日 06:18
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。


ということで、まずはお別れの歌。ワタシの一番好きなアーティスト、ハイファイセットの曲です。




今日は、正真正銘、清水東高校最後の勤務で、離任式の日です。


 数日前に、「ずっと離任式の挨拶を考えている・・・・」という記事を書いたところ、数人の先生から、「期待してますよ」とか「楽しみにしてますよ」と声をかけられて逆に緊張してしまい、離任式の挨拶文が全然まとまらない。自分でハードルを上げなければよかったと後悔している。
 まあ、このブログに書きながら整理してみよう。・・・・離任式に参列予定の方々は、これ以上読まないでね。
<Tommyセンセ 離任の挨拶>
 みなさん、お久しぶりです。Tommyセンセです。
この度の人事異動で、伊豆中央高校に転勤となりました。清水東高校では8年間勤務しました。そのうち6年間は3年部に在籍していたので、8年間のうち修学旅行に行った回数はなんと1回、たった1回です。教員には“修学旅行度数”という指標がありまして、通常は1/3であるはずなのに、ワタシの場合は、1/8。これは差別です。修学旅行は、君たちの一番の楽しみと同時に教員の楽しみでもあるわけです。それなのに、この偏った修学旅行指数は到底許されるものではありません。断固講義します。文句を言いたいです。伊豆中央高校では1年部に所属が決まり、これで、修学旅行指数が1/9に低下することが決まりました。この差別的な扱いを許しません。・・・・・・・・この話題は止めます。
****やり直し******
 みなさん、お久しぶりです。Tommyセンセです。
清水東高校には8年間お世話になりました。みなさんが在籍していたこの2年は、「進路部長」という要職をやらせてもらいました。みなさんの進路指導をまとめる立場です。したがって、今日は、やはり、「進路指導」のことを話します。


 諸君、大学受験を嫌いにならないで下さい。大学受験に立ち向かって下さい、大学受験と戦ってください。
なぜならば、大学受験は、人生の縮図です。人生そのものなんです。受験によって人生が決まるなどと言っているわけではありません。受験は人生だと言っているのです。


これから先、君たちは、仕事を持ち、家庭を持ち、社会の一員として生きていきます。でも、その社会では、人間が余っています。今の地球は人口爆発によって、人間という在庫がどんどん増加して困っている状態なのです。要するに「他に代わりはいっぱいいる」状況で生きています。
受験も同じことです。大学側からしてみれば、何もあなたが必要なわけではないのです。あなたの他にも代わりは一杯います。誰でもいいのです。誰でもでいい中で、君たちが生き残っていくこと。これが人生の縮図たる所以(ゆえん)なのです。


私自身、今まで一生懸命仕事をしてきました。生徒に教えること以外にも仕事が多くあって、それらにはしっかり取り組んで来ました。その原動力は、自分には見えないもう一人の他者の存在です。
毎日、「お前の代わりは沢山いるんだよ」「代わりは誰でもいんだよ」と天の方から声がしています。
毎回、「もし、僕でなかったら、どうやってこの分野を教えていただろうか?」「もし、僕でなかったらもっと生徒は点数を取れたかもしれない」「もし、授業担当が僕でなかったら、もっと生徒は頭がよくなっていたかもしれない」・・・・こんな自問自答を繰り返しているのです。
ワタシがあなた方の先生ではなくて、他の人がやっていたのならどうなっているのだろうか?


・・・ワタシは清水東高校生徒が嫌いになるときがあります。それは、期末テストなどで答案を返す授業の時です。ワタシはよく採点ミスをします。そして生徒がその採点ミスを見つけて点数を直しにきます。「先生、2点上がります」とか、そして謝ります「すみません」、とその時、なんと、清水東高校の生徒は、ワタシが点数を直した行為に対して、「ありがとうございました」とお礼をいうのです。もうその仕打ちは止めて下さい。嫌みの30倍です。「ああ、やっぱりワタシは教員として失格だ、答案の点数も正しく数えられないバカ者だ」と凄い反省している時に、「ありがとうございました」と言われるのです。まるで、傷口に塩を塗る行為なのです。
こんな時は、「先生、しっかりして下さい」と言ってもらいたい。
「あんたなんか先生やっている資格あるの? 他に代わりはいっぱいいるのよ」と素直に言って下さい。ここで、変に「ありがとうございます」などというと、絶対に先生が勘違いをします。
自分は生徒にとってかけがえのないオンリーワンの存在なのだと。冗談でなはい、生徒は「もし、あなた以外の先生ならば、もっとよく出来たかもしれない」のです。


 自分ではない、他の人物が々仕事をやっていたらどうなるか? ワタシ達は、隣の人と競争しているのではなく、自分の代わりにいるはずであろう人物と競争しているのです。
仕事も受験も同じです。人の人生全部同じです。人と違うことをやるならば、人と同じことは出来なければいけないのです。
仕事で花を咲かせようとするならば、他の人ができることが普通にできて自分なりのオリジナリティがなければいけないのです。自分だけのオンリーワン、といくらSMAPがささやいても、
他人と同じことは同じように出来なければダメななのです。


 受験は、頭脳だけが試されるシステムではありますが、「他の人が出来る問題は全部出来て、自分だけが他の問題をやや出来た場合に合格する」という構造が、人生と同じなのです。
みんながやっていることを、おろそかにしてはいけません。(つまりは、宿題)。その上部構造として自分の勉強が存在しているのです。在校生諸君、受験が大切だから、授業中の宿題は無視などと考えている人がいたら、必ず失敗します。受験の構造に反しているからです。


 ワタシは教員人生をあと3年残しています。
同じことを追求し続けていきます。「あなた以外の先生ならば、もっとよく出来たかもしれない」といい仮定と戦い続けます。
このブログも発信しし続けます。
・・・・・「あなたは、教員としてふさわしい人物であったのか?」を自問自答しながら、もう一度、ゼロからのスタートです。




PS 追伸 
昨年、「世界史A」という授業で、スティーブ・ジョブ氏のスタンフォード大学での演説(歴史に残る名演説)やトランプ大統領の就任演説を扱ったことで、どうも、文体が(それらのお手本に)流されている。あと3年という教員人生の終わりに近づいているこの時期になっても、「世界史A」は上手くいかない。嫌いだ。

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