W杯出場絶望的。サッカー敗戦に思う。
2021年10月8日 05:37
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、先ほど、サッカーW杯カタール大会アジア最終予選が行われ、0-1で日本は負けた。
世界的スポーツ配信企業DAZNに負けて、今回の最終予選のアウエー戦は地上波で見ることが出来ない。W杯出場決定試合も見られないのか(アウエー戦で決まる場合)!!!!!と息巻いていたお方もいらっしゃった。
結果的には、W杯出場が絶望的になった柴崎のバックパスを多くのサッカーファンは見ることにならず、その場でTVをぶち壊すこともなかった。よかったね。
ワタシは老人なので、Wカップに出場出来なかった時代をよく知っている。木村和司のフリーキックだけしか得点できないまま韓国にやられた時も、ドーハでラスト1分間を守り切れなかったラモス率いる日本代表も知っている。その後、どうにかこうにかW杯に出場し続け、決勝トーナメントに残ったりもした。そして地元では、たまにエスパルスの試合も観戦に行くくらいのサッカーファンになった。
ただし、日本にプロサッカーを根付かせ、ここまでサッカー人口を増やした原因は、決してWカップに出場し続けたからではない。そこには欧州なみの都市型スポーツ団体を根付かせ、その組織の中で人材育成とファン開拓を行ったサッカー関係者のロードマップの作り方が素晴らしいかったのである。Jリーグの発足は、ワールドカップの連続出場をもたらしたが、それは結果であってW杯出場が目的ではないはずだ。
野球とオリンピックの関係も同じ、野球人気はオリンピックがもたらしたものではない。プロ野球は2004年の出来事がなければ、今頃どんどん衰退していっただろう。この年、プロ野球チームをもって累積赤字を大量に抱えていたあるチームがプロ野球連盟から2球団を消滅させる方向で動かしていた。あの時、2チーム(一つが近鉄、もうひとつは未だに解らない)が消滅し、1リーグ制10球団になっていたら、今のようなプロ野球界には絶対にならなかった。この大騒動で、仙台にプロチームが出来、パリーグは、札幌・仙台・千葉・所沢・大阪(神戸)・福岡と上手に日本を縦断するチーム構成になった。したがって、現状、プロ野球チームは札幌から福岡まで(広島・名古屋・横浜を入れて)ほぼ均等にプロ野球球団が形成されている。
毎日毎日TVをつければ巨人戦をやっていた時代と、地上波でプロ野球中継がほぼなくなった今と、どちらが「プロ野球」が浸透したかを考えれば、あの時代が懐かしいと思う世代は、ほぼ消滅しつつある。むしろ、“常勝”と自称(自嘲?)しているジャイアンツは、老人ホーム化して醜態を見せてまくっている。プロ野球は、世界的な大イベントによって発展したわけではない。
今日は、玉木正之氏のコラムに触発されて、いつか書いておこうと思っていたことが、ちょうどW杯予選敗退をきかっけにまとまったものだ。
日本のスポーツ界は五輪依存症/スポーツを「文化」として考え直そう! (tamakimasayuki.com)
ここでは、「五輪依存症」という言葉が使われている。
日本のスポーツ界の実情は、W杯や五輪がなければ、インフラも整備できず、選手強化もできず、ファン開拓もできないままである。これは、日本のスポーツ界が、まずは「体育」という名の訓練(高校では、今でも、体育の先生が巣くう部屋を、体育教官室という?)からはじまり、人々がスポーツをして余暇を楽しみ、そおためのスポーツ環境を各自治体が提供するという、欧米では全く普通のことが出来なかった結果である。
日本のお役所は、W杯などの大イベントがなければ、決してスポーツ施設(環境)を市民に提供しようとは思わなかった。各都市の環境整備のためには、国体が必要だったし、インターハイが必要だった。そして、選手育成はずっと「各種学校」と「企業」におんぶしていた。このシステムをいち早く打破し、地域育成型選手養成システムを作り上げた清水市や藤枝市がサッカー王国として君臨し、Jリーグが発足するやいなや、その手法が全国に行き渡ってしまい、王国という称号を手放さざるをえなかった静岡県のサッカーを考えてくれたまえ。
今年、コロナ狂乱の中で東京五輪が開催された。一般国民が、あれほど反対したのにも関わらずにだ。もしも、この五輪がNZ開催だったら、オーストラリア開催だったら、ヨーロッパ開催だったら、たぶん中止になっていただろう。
日本だけが出来た“21世紀の狂気”なのだ。それは、明治維新(スポーツが軍事訓練として輸入された)からの宿痾でもある。世界的なイベントがなければ日本は発展しない・・・・世界的なイベントを起爆剤にする・・・・・・全国大会をきっかけに(国体)・・・・・
スポーツが根付いての大イベントなのか、大イベントによってスポーツを根付かせるのか? この違いは大きい。
この大イベント根性とは正反対の、スケボーやサーフィンで日本の若者達がメダルを取りまくったのは、超一流ボクサーの見事なカウンターパンチのようですがすがしかった。
スポーツとは何か?玉木正之先生は、「人間の魂の解放である」と定義する。自分がやってもいいし、卓越した技術を応援してもいい。スポーツをそのように定義しないと、ハンティング(もう動物愛護で不可能だ)や、Eスポーツ、ダーツなどをスポーツと呼ぶことは出来ないし、スポーツカーという存在を認めることもできない。
老若男女、いつでも「自分の魂が解放される瞬間」を手に入れることが出来る環境ことが必要なのである。
ワタシは、運動音痴で体力もなく、高校時代の1500m(持久走)は7分30秒で程度のおおよそスポーツとはかけ離れた存在だが、身近にサッカーの観戦に行けて(一番楽しかったのは、富士高&清水東の野球チームと清水東サッカーチームであった。そろそろ伊豆中央高校男子バレーチームかな)、冬のシーズンに(これだけは人並みになった)スキーを楽しむことのできる環境が大好きである。スキー板にのると「魂が解放される」と自覚する。
さてと、本日のサッカーW杯カタール大会アジア最終予選の敗戦は、(東京五輪でブレークした田中碧とスコットランドで輝きを放ち続けている古橋を使わなかった)森保監督の手腕のなさ(チャレンジ精神の欠如)が原因である。日本のサッカー野郎たちが悪いわけでもなんでもない。ここ20年間、W杯に出続けていた日本サッカー界が、ちょっとイベント依存症(森保ジャパンの場合は五輪依存症も加わった)になりかけていたこの時期に、W杯を逃してしまうことは、何か象徴的である。
これからの数年間、「世界的大イベントよりも、Jリーグの理念の方が優先」という信念を貫き通せるか? 「企業よりも地方」・「電通よりも地域」・「金満チームよりも育成」という方針を貫き通すことが出来るか?
その成否が、日本の行く末を占う。 ちなみに、中国のプロサッカーを牽引してきたのは、あの「恒大」であって、今や中国のプロサッカーは見る影もない。
ちょっと、「推薦入試のテーマ」を意識した文章になってしまった。