Happy birthday to me
2021年10月15日 04:16
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
本日は、ワタシの58回目の誕生日です。鳴りやまない拍手や素敵な笑顔はいりません。「物」で気持ちを表してください。
ということで、これで58歳になりました。教員生活も残り2年です。
政治が混乱していてよくわからないのですが、なんとなくワタシの世代から公務員の定年が延長されるようで、60歳で絶対に定年ではなさそうですが、現時点の心境としてはこれ以上教員をするつもりは全くありません。
周りの人は忖度して露骨に言いませんが、自分自身が教師としての人格も資質も素養もあまりなかったことは気づいています。もしもリタイア後の生活が完全に保障されていることか完全に解れば、もっと早期退職でも構いません。でもちょっとだけ不安なので、あと1年はしがみついているつもりです。
数日前、我が家のどら息子からこのような質問を受けました。
「病気なんか無視して5年生きるか、体に気をつけながら15年生きるか、どっちを選ぶ?」
もちろん、「気ままな5年」と断言しました。
10年くらい前から、本気で“倫理(哲学と宗教学)”を勉強しはじめました。
ギリシア時代の大哲学者エピクロスの名言です。
死は我々にとって何ものでもない。 なぜなら我々が存在する時には、死はまだ訪れていないのであり、死が訪れたときには我々は存在しないのだから。
「死への恐怖」はあらゆる宗教を“奴隷道徳”と断定したニ-チェの事も生徒に教えました。
キリスト教(特にカトリック)や日本仏教のいい加減さと“ビジネス性”も知りましたし、教えもしました。
もちろん、仏陀が諭された「涅槃寂静の境地」いたる術(すべ)も勉強しましたし、教えました。
ブッダの教えでは、あらゆる苦しみの根源は“執着”でありますので、これからの人生は、だんだんと執着を捨て去ろうと思っています。
これも、10年くらい前の話ですが、ある人から
「怒って叱って矯正できる子供は、怒らなくても叱らなくても自分で矯正するよ」と教えられ、その教えを守り続けています。(もしかしたら教員として風上にも置けない不適格かもしれまんが)以来、一度も生徒を叱っていません。
先ほど、倫理を教え始めたといいましたが、一番影響を受けた考え方は「構造主義」ですし、経済分野では「行動経済学」に惹かれています。
その影響が大きいと思いますが、ここ10年間は、学校のシステムや教育のシステムについて一番考えるようになりました。
理想は「自動的に勉強をしてしまうシステムの開発」です。つまりは、“それほど頑張らなくて自動的に頭がよくなってしまう学校構造をつくりあげること”でした。
結果的に“理想型”をつくることは出来ませんでしたが、学年主任や教務課長、進路課長はそのような仕事だろうと思っています。
したがって、58歳となり、これからワタシがすべきことは、
・・・・・もし、先生という身分がなくなったら、自分自身にどれくらいの価値があるのか? という問をしっかり実証実験することです。
でも、なかなか踏ん切りがつかないでいます。まだ、少しだけ執着もあります。県立IC高校の皆さん、もう少しだけ我慢して下さい。