ノーマルビュー

Received — 2022年12月14日 tommy先生の「世相を斬る」

井上尚弥スゲーッ、そしてスポーツ・ウォッシング

著者: tommyjhon
2022年12月14日 05:45
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで生放送では見られなかった(家に帰った途端にKOシーンだった)けれど、朝、YouTubeでしっかり検証した。
(455) 井上尚弥vsポール・バトラー TKO | IBF/WBC/WBO/WBA ボクシング フルファイト | 2022年12月13日 - YouTube

Pバトラーのミッションは、怪我をせずダメージをもらわないままイギリスに帰国することだけだったようで、どれだけ井上がノーガードで挑発してもほとんど打ってこない。井上のカウンターパンチの餌食になるだけなので、基本的には11ラウンドの間、ずっとガードを固めて立っていた。


 今、サッカーW杯ではアルゼンチンVSクロアチア戦の最中で、2-0。もうアルゼンチンに決まった感じだ。


さて、このようにスポーツエンターテインメントに湧いている時間に、
(スポーツジャーナリストの大御所)玉木正之氏の、スポーツジャーナリスト的な(ジャーナリストならばこうあるべきという)知性的な記事を載せる。
情緒的(一般的なメディア)との比較をしてみましょう。


イスラム圏初のW杯/人権・差別問題解決の契機に! (tamakimasayuki.com)



ここからは、完全コピー。
<コピッペ>
この原稿は北國新聞2022年11月25日付夕刊の月イチ連載『玉木正之のスポーツを考える・第82回』に書いたモノです。カタールでのイスラム圏初のサッカー・ワールドカップの開催ということで、様々な「問題」(人権問題・差別問題…等々)が噴出。それに対して「スポーツ・ウォッシング」(スポーツ・イベントの興奮によって、様々な問題を「洗い流そう=忘れさせよう」とする為政者の動き)と思える発言等もあり、日本代表の活躍に注目するだけではダメ!というジャーナリストとしては当然の気持ちを込めて"蔵出し"します。みんなで考え直してみたいですね。


イスラム圏初のW杯/人権・差別問題解決の契機に!
 サッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会が開幕した。

 日本代表チームの初戦ドイツに対する見事な大逆転勝利は、本当に素晴らしかった。が、忘れてならないのは、史上初の中東地域、イスラム圏での開催ということで、人権問題や性的マイノリティに対する差別問題が持ちあがっていることだ。

 国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどは、カタール政府が移民労働者に対する賃金未払いや過酷な労働を問題視。

 サッカー場の建設などで数千人に及ぶ多くの外国人労働者が死亡したとして、FIFA(国際サッカー連盟)に賞金総額と同じ4億4千万ドル(約610億円)の補償金を用意するよう求めたという。

 また、イングランドやドイツのサッカー協会も、FIFAに対してカタールの移民労働者に対する待遇改善と権利回復を要求する行動を起こすよう求め、各国でカタール政府に抗議するデモも頻発した。

 さらにカタールでは同性愛が犯罪として法律で禁止され、女性の権利も大幅に制限されていることから、オーストラリアやデンマークなどの選手団から抗議の声もあがった。

 そんななかでFIFAのインファンティーノ会長は、西欧の過去3千年に及ぶ「差別の歴史」や「異民族への弾圧の歴史」などを持ち出し、西欧諸国のカタール批判こそ「偽善」であると逆批判。

 確かにこの問題は長い歴史と異なる宗教文化に関わるだけに、一朝一夕には解決できないだろう。が、確かに言えることが一つだけあるように思う。

 それは、誰にも迷惑をかけない意思表明や非暴力的な声をあげることは、誰にも止める権利など存在しない、ということだ。

 開会式の翌日に行われたイングランド対イランの試合では、イングランドの選手たちが試合前にニーダウン(片膝を地面について、あらゆる差別に抗議する意志を現す行為)を行った。

 これはかつてIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が「政治的行為」として五輪会場内で行うことを禁止した。が、昨年の東京五輪女子サッカーで日本の選手を含む多くの選手たちが行い、「人権擁護を主張する行為」として認められるようになった。

 またイランの選手たちは、国歌演奏時に全員が口を真一文字に閉じ、歌うのを拒否。これはヘジャブ(女性が髪の毛を覆うスカーフ)の被り方が悪いとして女性が警察官(国家権力)に殺されたとされる事件に対する抗議だったとされている。

 これらは明らかに人権に関する自然な人間感情の発露であり、政治的主張でなくイベント(W杯)を阻害するものでもない。



 こういう行為が認められていけば様々な人権問題も性的マイノリティに関する考え方も、将来的にはすべての国家や宗教で、すなわち世界中で、共通の認識に到達するのではないだろうか?
 そのキッカケを創ることができるものこそ、ワールドカップでありオリンピックであり、「スポーツの力」るであるはずで、だからクーベルタン男爵は、世界平和を築く手段としてポーツ大会を選んだのだろう。

 なのに日本サッカー協会の田島幸三会長が「今はサッカーに専念するとき」と、アスリートたちの人権発言や非暴力の抗議を批判したのは残念だった。それらは何もW杯を邪魔するものではないのに……。


<コピッペ終了>


今、1年生の「公共」で“右翼的なもの”と“左翼的なもの”を考えさせているは、格好の教材となりそうだ。
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