ノーマルビュー

Received — 2023年6月7日 tommy先生の「世相を斬る」

邪馬台国はどこ?吉野ヶ里遺跡?

著者: tommyjhon
2023年6月7日 05:39
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、吉野ヶ里遺跡の通称なぞのエリアで石棺が見つかり、開封されたらしいですね。
佐賀県・吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」に大きな墓…邪馬台国と同時期、集落の有力者か:地域ニュース : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)



 こういう記事がでると、日本中が「邪馬台国」とか「卑弥呼の墓」として飛び付きますが、もう、卑弥呼の墓も、邪馬台国の場所も推定されています。
古代日本については、
Amazon.co.jp: 歴史とはなにか (文春新書) eBook : 岡田 英弘: 本

から始まり、
物理学者が解き明かす邪馬台国の謎 卑弥呼の本名は玉姫であり、邪馬台国は太宰府にあった | 下條 竜夫 |本 | 通販 | Amazon

までの、一連の(あまり日本史学会で取り上げられない)研究で、理解できます。


 そもそも、邪馬台国とかの600年代以前の国々は、明らかに「渡来人」とか「帰化人」とかで教わる、中国大陸伝来の人々の作った国です。
西暦200年頃、中国は三国志の時代となりました。この戦乱を逃れて、流れてきたボートピープルの集団が弥生人達となります。弥生人の遺跡として有名な場所(吉野ヶ里遺跡とか)は、すべてが海岸沿いか河口周辺にいちしているのは、その証拠です。


 弥生人達は、昔から土着していた日本人(縄文人)と遺伝形質が違いますから、弥生人系の日本人(新モンゴロイドという)と縄文系の日本人(古モンゴロイド)は、見た目でハッキリわかります。これは、おそらく平安貴族(混血していない、純な新モンゴロイド)と東人(あずまびと・縄文系)くらいまでは、明確に区別されていたでしょう。
弥生系の顔は、
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(法隆寺の救世観音像、聖徳太子の像と考えられる)
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広隆寺半跏思惟像


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平安時代の絵巻物に書かれた引目鈎鼻の人々


のような身体的特徴を持っていました。


逆に、1万年前から日本列島に住み続けていた縄文人は、こんな顔立ちだったでしょう。
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これは、トカラ列島の奇祭に登場する悪霊。要するに、ドングリ眼、大きな口、分厚い唇。
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男鹿半島のなまはげ。(ドングリ眼・大きな口・団子っ鼻)


だから、今の日本人は、完全にこの古モンゴロイド(縄文系)と新モンゴロイド(弥生系)の混血です。


邪馬台国を作ったのも、大和の地飛鳥地方に王朝を作ったのも、奈良の都を作ったのも、弥生系の人達です。
平安貴族の人口は、1000人だと考えられています。
数でいえば圧倒的な少数派であった、弥生系の人々が、周囲の縄文系の日本人を支配しながら支配体制を作ったのが古代の日本です。


邪馬台国とか、卑弥呼とか、日本を支配していましたが、中国語を話していたのですね。
もちろん、弥生系の人達はバイリンガルで大陸系の言葉も、古代日本の言葉も使えました。


600年頃、日本にいた中国人達(要するに今の華僑)は本国から独立して、天皇制を確立しました。
同じ頃、文字(漢字)と日本古来の言語(やまとことば)を混在させて、日本語作ったのでしょうね(万葉集などなど)。


つまりは、東南アジアのタイとかマレーシアとかと同じ、華僑達が世界史の中で、一番早く作り上げた国が、日本だったということになります。




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