ノーマルビュー

Received — 2024年2月7日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人マラソン大会遍歴を語る

著者: tommyjhon
2024年2月7日 05:35
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、本日は教員人生最後のマラソン大会(のお手伝い)。人生最後のマラソンは高校2年の時に済ませてしまったので、走るわけではない。ちょっとだけ生徒を応援するだけね。


では、Tommyセンセのマラソン大会遍歴を大公開。
①現役高校生時代
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富士市、鈴川海岸。ただ海岸線をひたすら走るだけの地獄コース。往路は海岸線(つまり砂浜)を走り、復路は堤防の上を走るだけ。高校2年生の時の順位は575番くらいだった(600人中)


②沼津商業時代(26歳から29歳)たった3年しか在籍しなかったけれど、思い出深い沼津商業高校。今や教え子の倅を教えている。
今度は駿河湾の海岸線でも、沼津港寄りのコースである。(最後尾を伴走した)
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③長泉高校時代(29歳~36歳)
今やなき、静岡県立長泉高校。マラソン大会の挨拶で、「長泉高校のマラソンコースは、学校出発、学校ゴールで途中に信号機が一つもない、静岡県唯一のマラソンコースです」と自慢げに話されたが、そんな山の中に作るから廃校になるのじゃ。
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今や、高速道路の要衝として日本に貢献している。本当に交通の便が悪かった!!!!!! この時には、マウンテンバイクで観察地点まで上がっていったけれど、それだけで疲れた。


④富士高時代(37歳~48歳)
第一期は、富士川の河川敷緑地。
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芝生広場で準備体操して、芝生広場で最後の生徒を迎え、最後(つまりビリ)の生徒は50人くらいの伴走を引き連れてゴールするという青春ドラマそのものの光景が何年も見られた。最後は校歌を歌って終わるというのも富士高らしい。解散後、反対側の河川敷でソフトボールをやっていたクラスもあったなあ(理数科の奴ら)。
ワタシは家が近いので、現地までキックボードで行ったことがあるけれど、真面目な教員に相当叱られた。(なんで叱られたのか今でも意味がわからない)


この楽しい富士川河川敷コースは、2011年3月11日の地震で一変する。
第2期
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富士球場&陸上競技場のグルグルコース。
ここは富士富士宮地区の定番コースで、毎年毎年、この時期の日程取りをめぐって抽選会が行われるらしい。このコース、AEDが至る所に準備されている(当たり前)ので安心してマラソンができるそうだ。(見ている側からすると見通しのきかない周回コースはあまり面白くない。


⑤清水東高時代(49歳~57歳)
草薙総合運動公園グルグルコース
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これはこれで、観察側も走る側もラクチンなコースなんだけれど、8の字を作るように設定しながらキロ数を稼ぐ形になっている。コースを考える先生が大変だ。これも開催日は抽選。


⑥現在(58歳、59歳、60歳)
狩野川周回、近所のおじいちゃんおばあちゃんが年に1回のこのイベントを楽しみにしているコース。
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もしこの大会が4月に開催されていたのなら、桜で作られたトンネルをランナー達が抜けていくというとてもフォトジェニックな大会であったはず。今は単なる見通しのよい(風通しのよい)堤防をグルリと1周するコース。
いつも、体育の先生が、橋(3つの橋を渡る)を起点にコース説明をするのだけれど、還暦老人は未だに橋の名前が覚えられない。
正確には、
松原橋
あやめ橋
千歳橋
だそうだ。いかにも南国風温泉街によくある名前だ。


我が高のマラソン大会には、「飛び級賞」というのがあって、先生方が好きな数字をエントリーして、その生徒に賞品が手渡されるというもの。例えば、野球部の監督が89番を表彰するみたいなこと。ワタシは100番にエントリーしたから、100番の生徒には「Tommy先生オリジナル缶バッジ」がもらえるよ。


完全防寒使用で行ってきまーーーーっす。








 
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