還暦老人教科指導を振り返る
2024年3月27日 05:57
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、今日は身辺整理で出勤、明日が離任式。(卒業生の皆さん、缶バッジあげるから来てね)
さてと、好評連載中の教員人生を振り返るの記、本日が2000年近辺で、長泉高校の終わりとなる。今日は、教科指導の話。
ワタシは、静岡大学人文学部社会学科社会心理コースを卒業した。世間からは、「就職に使えないコース」と言われ、実社会ではほとんど意味のない勉強(細かく言えば正しいと思う)をしていた。かろうじて、教職課程を履修し、「可」ばかりであったが単位はそろえてあったので、高校二級免除を、ギリギリで獲得することができた。
当時お付き合いしていた女の子(教育学部の美人)から、「トミィ、スパイとか探偵とか、空想的なことばかり言ってないで、ワタシみたいにちゃんと先生になったら結婚してあげる」とそそのかされたことが原因で、少し真面目に教職員採用試験に臨んだ。教職採用試験なんて、4月から7月まで真剣に勉強すれば合格できるのさ。
そういう不真面目なモチベーションだったので、受験科目である「政治経済」など本気で理解しているわけではなかった。なぜ、合格したのだろう??????
ちなみに、その女の子には、2月5日にフラれる。「結婚してあげる・・・・・」といったのは何だったのか?
さあ、その「政治経済」ではあるが、2000年代までは完全に“社会科”の亜流であって、教科の序列で言えば家庭科の次で保健の前、くらいの重要度だった。この教科序列というのを先生方はあまり教えない。自分の仕事に直結し、いわゆる“沽券にかかわる”からである。
<意味の注釈>
男の沽券(こけん)にかかわる、などといったりしますが、意味は評判や品位、体面に差し障りがあること、プライドが傷つくこと。 沽券は売り券ともいい、平安中期から土地や家屋、諸権利の売買の際に用いられた売り渡し証文のことです。
<以上、Google検索>
教科の序列を、中学生段階では、「国語数学英語理科社会」の5教科をフラットに教える、「音楽技術家庭科体育」が実技4教科だ。でも、本気で学問としての重要度、受験科目としての重要度で教科序列を作ると、①数学②英語③理科④国語(古典)⑤社会 である。数学もしくは英語ができければ大学生になれない。日本の若者は、中学生の時に、5教科の重要度はフラットだと教えられる(だって内申点に差がない)が、高校生になると、急に①に数学②に英語・・・・③④がなくて⑤が国語(もしくは理科)となる。なぜだろう?
その一つの答えが、中学校における教員の分離区分にある。中学教員を文理でわけると、数学と理科(かろうじて技術)だけが理系で、国語、英語、社会、体育、芸術、家庭科、が文系である。したがって、中学校では、理系だった先生が圧倒的に少ない。つまり、「理系が本当の学問なのだ」と教える先生が圧倒的に少ない。これはおかしい。
その教科の序列を高校での現実を見て格付けするならば、「政治経済」は家庭科よりは下だが「保健」よりは上、くらいの重要なのだ。その理由は 「センター試験」と私大受験にあった。2000年当時、センター試験は5教科5科目が必修で、国語、数学、理科、社会、英語の中から1科目ずつ受験すればよかった。よって、満点は700点(数学1科目の場合)か800点満点だった。文系私大では、国・英・社(歴史)が当たり前で、政治経済(当時の呼び名で現代社会)は必要てなかった。
ワタシもこの流行に勝てず、1990年代、沼商でも長泉高校でも、世界史を主に教えていた。政治経済(科目名は「現代社会」)一般教養科目だったのである。
受験に関係ない「一般教養科目」だったので、誰からも注目されずに勝手な授業をしていた。もちろん、生徒にとって有意義な授業は目指していた。気になったのは、「英語」である。これは絶対の受験科目で日本人が一番苦手なところだ。でも、高校生は英語の勉強を英語の時間でしかしていない。それは、日本語がとても精緻で中国3000年の歴史のある漢字を上手に取り入れたから、日本語だけですべてが解釈できてしまうからである。聞くところによると、今中国で使われている熟語(漢字の組み合わせ語)の70%は明治時代以来の日本語由来の熟語だそうだ。理系の論文を書ける言語は、英語と日本語だけかもしれない。
だから、日本人は英語が苦手である。
一般教養科目として、教科「現代社会」で取り組んだのが、英語で政治経済を教えることである。
①日本国憲法は英語でやった。(だって、GHQが作ったのだから、原文は英語でしょ)
②英語のテキストを使った。
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③時には、英語入試問題から英文を持ってきた。
④ ALT(学校にいるネイティブの先生)とチームチーチングを組んだ。母国の政治や経済の英語で語ってもらい、ワタシ達(ALTとワタシ)が英語&日本語で語り合う。
というような生徒にとっては大迷惑の授業をどうどうと取り入れた。(誰も怒らなかったよ。)
したがって、
①ワタシのクラスにリントンラスジン君が所属した。(彼は留学生として競技かるた初段をゲットした、)
②「国際理解」という学校独自科目を任されることになった。(教科書も共同執筆したぜ)
③国際コースの担任もやった。
④教科の研究会にことあるごとに呼ばれた。
ということになった。
しかし、英語で授業をやったからアメリカが好きだったわけではなく、だんだん大人になる(先生も大人になるのだ)につれて、右翼志向から転向し、戦後60年の隷属的な日本の地位を憂うようになり、日本政治や日本経済を深く研究するようになっていく。
右翼=天皇陛下万歳=自民党=アメリカ隷従路線 という歪んだ構図に、統一教会が深く入り込んでいることがやっと世間にさらされて嬉しかったなあ(昨年は)
1985年の日航ジャンボ機墜落事件、1985年のプラザ合意、1991年ころからの日米構造協議、日米包括経済協議、日本の金融危機、
調べれば調べるほど、「政治経済の教員」として、“このままでいいのか”という思いが募ってきた。
2001年4月、ワタシは長泉高校を離れ、母校、富士高校に赴任することなる。
“このままでいいのか” の思いが大爆発するのが、母校富士高での大きな出会いである。