還暦老人ブログ中断顛末(2)
2024年4月11日 06:20
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、昨日再任用ハーフ教員としての初授業。めちゃめちゃ緊張した。今日もそんな感じで2時間をこなさなければいけない。ただし、役職がなく単純に授業だけという稼業はかなり楽ちんだ。今、授業以外の雑務で苦しんでいる先生方、はやく再任用ハーフになりなさい!!!!!
さてっと、好評連載中の「還暦老人日記」の続き。
30代後半~定年まで、ずっとブログ生活を続けてきたのだが、
還暦老人のブログ中断顛末(その1)そしてお土産。 : tommy先生の「世相を斬る」 (exblog.jp)
前回の最後の方で紹介したように、
2010年9月~2013年9月まで、ワタシはブログを中断していた。もう10年も経ったことなので、初めてその顛末を記すことにする。
それはワタシの家族、中でも次男のことである。
我が家の次男は、長男と違い勉強大嫌いなガキとしてすくすく育った。スポーツ好きで運動能力も高く、長男がはじめていたバドミントンでも、ちょこちょこっと練習しただけなのに県大会で入賞してしまうような小器用な子どもだった。ただし、青年として成長していくにつれて父親の遺伝子の影響をうけて基礎的な身体能力(走る、跳ぶ、等の筋肉量)に欠けるていることが露呈し、選手としては苦しむことになるのだが、年少期はそれが目立たず、抜群の球技センスだけが光っていた。
特に野球センスは抜群に秀でていた。例えば、小学3年生か4年生の頃、少年野球でショートを守っていたある時、誰にも指示されるわけでもなく、試合中に、年下のセカンド(2塁手)に細かく指示を出していた。後で何を指示したのか聞いてみると、次男坊は「少年野球の2塁ベースの前には、足で土をならすようなふりをして、沢山の砂を集めておくんだよ、そうすれば、盗塁された時やスライディングされた時に、その沢山の砂に邪魔されてランナーの足がベースに届いていない時があるんだ。その時にタッチすればアウトになるから、セカンド(2塁手)は、時々、足で砂を集めておくんだよ」と後輩に教えていたらしい。
この野球センスは親としてもビックリだ。こういう性格の悪さは、完全に父親譲りである。
少年野球で少し自信のついた親子は、勇気を出して中学時代の彼(次男坊)を、富士川河川敷を本拠地とするリトルシニアのチームに預けることを決意する。リトルシニアとは中学生時代にもかかわらずに硬式野球を行う中体連とは違う独立リーグのことである。
高校の運動部業界では、「所詮、中体連」という言葉が存在していて、本気に高校の部活動を強くしようとするならば、中学校単位で練習をしている中学の部活などを当てにしてはいけない。小学校から中学校の時代には、「クラブチーム」で活動を続けている選手でなければ使いものにならないのだ。今では、卓球やバレーボールなども、「所詮、中体連」となっているらしい。前任校の伊豆中央高校の男子バレーボール部は、中学生の地元クラブチームといつも練習試合をしている。なかなか勝てないそうだ。その伊豆地方の中学クラブバレーボールチームの有力選手は、浜松にある聖霊なんとかという学校に進学していく。
日本人でも世界的に活躍するようになったサッカーや野球などは、いち早く、この中学クラブで育成するシステムを導入していて、さきほどの「所詮、中体連」という言葉は、前々任校の清水東サッカー部で初めて聞いた言葉である。例えば、「中体連県大会出場、レギュラーFW」などという言葉はすでに「それほど上手くない選手の典型」となっている。
野球でのリトルシニアは硬式ボールで行うのでそれだけでも上手くなるが、大会を競い合うのが「関東連盟」であるから、相手も神奈川や東京などの強豪チームである。相手がそれだけ強いので、指導者も選手も父兄も異常に熱心である。ほとんどすべての親が「甲子園に出場出来るチームに入る」ことを希望してリトルシニアに入団させている。我が次男坊と同級生には、今パドレスの松井裕樹がおり、リトルシニア時代(横浜緑東)から知られていた。
このリトルシニア時代、息子は、キャプテンキャチャー4番として試合にでていた。関東大会で少し活躍したこともあり、強豪校から声がかかるようにはなった。彼らリトルシニア(今ではボーイズリーグという連盟も存在している。下のリンク先は、静岡のアマチュア野球界を熱心に発信しているサイト。管理者さんとは知り合いになった。)静岡野球スカウティングレポート (cocolog-shizuoka.com) の選手達は5月~6月の試合が終わると真剣に進学先を探すことになるのだ。
さて、ワタシとしてはかなり悩むことになる。家族でもたびたび、進路(どこの高校に進学するか?)に関しては考えた。多くの中学生は2月~3月の高校入試で進路が決まるが、中学スポーツで活躍した選手は6月~8月にすでに決まっているのである。そして、とにもかくにも、彼が選手として使えるかどうか?高校野球で通用するかどうかを知りたいと思い、監督との面談で「いろいろな高校からの評価を聞きたい」と話した。
「ならば、少し声をかけてみよう」と答えてくれて、関東地区の某野球の私立強豪校に声をかけてくれた。ワタシ達家族としては、県内の近隣校ならば毎回応援にいけるし、それほど心配も無い。しかし、親が両方とも高校の教員という立場なので近くの高校に子どもがいるとなるとそれなりに気を遣う。監督さんには、県外の私立でもいいです、とは言っておいてあった。
中学野球の監督の大きな仕事一つは、高校野球の監督さんとのルートを太くしておくことである。「甲子園に行かせたい」と思う欲深い親達の要望に答えきれなければ中学野球の監督にはなれない。もちろん、相手となる高校野球側も同じことだ。ここには、文科省が司る学校教育や静岡県教育委員会が仕切る高校教育とは、別の力学が存在する(サッカーだって同じ)。我がリトルシニアの監督は、かなりの名監督であって、高校との繋がりも太かった。監督は約束通りのことをしてくれて、リトルシニア3年の夏、ある日には、息子の練習(つまり能力資質)を見に来てくれるとのことだった。
しかし、その日、約束してくれた某強豪校の監督は現れなかった。(息子には教えていない)ワタシ達夫婦と監督は不思議だと話し、夫婦は、さらに不安になった。
数日後、原因が判明した。それは、常識では考えられない出来事だった。そして、こういう(様々な面で)世界が、世の中には存在するのだということを、(世間知らずの)ワタシは痛感するのだった。
その事情とは、次のような状況であった。その某強豪校の監督に、匿名の電話がかかってきたという。その匿名電話の主は、「〇〇君の親は、県下でも有名なモンスターペアレントで、あることないことをネット上に書き込みしている親で、世間から目をつけられている。こんな親を持つ子どもを入学させない方がいい」と言ったという。そして、このような電話が、一つの高校だけではないことも監督さんのリサーチで判明した。
この事実は、息子が某高校へ入学後、またもや証明されることになる。ワタシの勤務校のとある体育教師の先輩先生が、こっそりと明かしてくれた。「先生(ワタシのこと)、実は某高校の監督から親(ワタシののこと)の様子を教えてくれ、という電話がかかってきたよ」「もちろん、そんなこと(モンスターペアレント)は絶対にないと言っておいたけど」
そして、リトルシニアを率いる監督さんとじっくり話し込み、今後、どうなるか見当がつかないのでまずは証拠となるブログを辞めよう、という結論となり、息子が高校野球を辞めるまでの3年間はブログを中断するという約束をした。だから、ブログの中断が9月なのである。
この匿名電話の主は、いまだにわからない。ただ、野球業界(特に父兄の間で)で、よく噂されていた2ちゃんねる(古い世代は知っている)風の、誹謗中傷、事実無根の噂話が荒れ狂う業界であることが、本当によくわかった。
確かにワタシはある意味でモンスターペアレントではあるが、それはペアレントとしてではなく、国民としてである。政治の世界に文句をいうことはするが、アマチュア野球界を悪く言ったことはない。百人一首かるた競技の世界は、よく書き残していたが、(素人である)野球業界の話はブログ上していない。
この匿名電話の主は、何が目的だったのでしょう? 子どもの進路を阻むことなのでしょうか、それとも、ワタシを黙らせることなのでしょうか?その匿名電話の内容からすると、ワタシの極々身近にいる方だと思われますが、態度や素振りで見破ることはとうとう出来ませんでした。なんともおそろしい世界に知らず知らずに入っていってしまった。
なので、ワタシのブログが再開されるのは、子どもが高校3年生となり、夏の県大会で負けて甲子園の道がなくなってからなのです。だから、2013年8月。
実は、この「高校球児の親」として過ごした3年間は、高校野球父兄として、他の業界では到底味わうことのない喜怒哀楽を経験したのではありますが、それらはどこにも書くことができませんでした。
前回、富士高時代の職歴を詳しく話しましたが、この甲子園を目指している息子が高校3年生となる年は、どうしても8月を空けておきたかったのです。その為には、全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長を辞する必要がある、その為には百人一首部顧問を辞する必要がある、その為には富士高を去る必要がある、との結論になるのでした。ちょうどその時は、富士高最後の要職、学年主任としての仕事も大団円を迎える時でもありました。
次は、富士高時代の担任&学年主任としての話になります。