還暦老人の校内人事
2024年4月12日 07:17
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、新天地での授業は3日目。金曜日だから、今日を終えればお休みが待っている。再任用ハーフの休みって凄いぞ、正規の先生方には大変申し訳ない気がするくらいの楽々週末である。
土曜日⇒お休み、なので前任校の部活応援に行く予定。
日曜日⇒お休み、なのでお花見で遠征にいく予定(長野県伊那の高遠城)。
月曜日⇒お休み、勤務形態によって月曜日が定期で休み。
4月16日火曜日⇒一日勤務。
4月17日水曜日⇒学校全体が遠足。なので再任用ハーフ教員は用無し、なのでお休み。
4月18、19は学校
4月20日はもう次の週末。
さて、好評連来中の「過去を振り返る」シリーズは、校内人事遍歴に。
2000年度に「全国高総文祭静岡大会」、つまり地元開催を仕切ることで長泉高校での仕事に区切りをつけた。
2001年度に富士高校に赴任する。そして、普通の感じで1年担任からスタートする。部活は百人一首部顧問。
2002年度に2年生の担任となる。ところが、部活動は新聞部顧問!!!!!!、その理由が「百人一首の専門家の大学院卒の先生が赴任する」というものだった。その先生とは、嶋先生のことで、2年間の内地留学に行ってらっしゃったのだ。富士高校新聞部は全国で何回も優勝するなどの超名門部活であったのだが、その新聞部を全国的に有名にした、西家先生がこの年に転勤されることになり、新聞部顧問の“座”がぽっかり空いていた。
「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の殺し文句で校長室に拉致される「一幕」の第一回目である。
2003年度に普通に3年担任となる。クラスは1組。2組の担任が八木監督・・という布陣だった。伝説ともいえる八木監督、朝のHRの連絡に「1組の黒板を見ろ」という傑作をのこした方でもある。八木監督は10年後にワタシを救ってくれた大恩人だ。この学年は、学者になっている奴も多いが、表現の世界で活躍している奴も2人ほどいる。
193-10.pdf (richard-strauss.sakura.ne.jp) あなたの心に芸術の息吹を (klavier-begleiter.com) の井出徳彦君
そして、なんとウィッキにも登場する。
和田真希 - Wikipedia (ワタシのFBの読者なので、「イイネ」くれるかも?)
2004年度普通に次の1年担任となるものの、次年度から全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長というやたら長い名前の役職を引き受けることが決まる。「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の2回目。
2005年度、一度担任を降りる。それは、全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長というやたら長い名前の役職の仕事がどれくらいのものかわからずにいたので、我が侭をいったからだ。「担任休まして!!!!!」というお願いでもあった。
2006年度、なんと理数科の担任を要請される。おいおい理数科って理数科だよ。東大や京大、医学部なんかに沢山進学するクラスだよ。ワタシは公民科の教員であって、3年間の理数科カリキュラムに、公民科の授業なんて2時間しかないんだ。なんで俺がやるの?????
「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の3回目。この時の学年主任が池田高雄先生であって、「数学の面倒を俺が見るから、クラスの面倒だけ見ていればいいよ」という殺し文句で引き受ける。先輩の頼みを断ってはいけない。
2007年度は、これらの仕事を継続する。そしてこの年、全国高等学校小倉百人一首競技かるた選手権大会で11年ぶり12回目の優勝を果たす。実は、富士高校に赴任した当時は、静岡双葉高校というお化けみたいに強い高校に全国大会を阻まれていたのだが、この前の年あたりから上昇気流にのりはじめ、久しぶりの優勝となった。全国高等学校文化連盟小倉百人一首専門部事務局長というやたら長い名前の役職だから、監督ではなく、この大会の開会式司会とか、閉会式司会とか、食事会のセッティングとかをしていた。・・・あまり書きたくはないが、この優勝以来、我が富士高校は、東京都の暁星高校にずっと優勝を阻まれてきた。ワタシのパソコンは「ぎょうせい」と変換すると暁星と出てくる。かるた指導を離れて、公民科教員としての「ぎょうせい」も使うことが普通にある。その時も“暁星”と自動変換してくれるので何度もパソコンを壊した(少しデフォルメ)。・・・・
2008年度、理数科の3年担任となる。さて、この理数科担任。入学式の時に「目標は全員で卒業することです」と宣言した。これが現実である。理数科って優秀な人材も集まるが、悩み抱えて登校さえできなくなる子もいる。3年間で一人も退学者がでなかったことですごいホッとしている。この理数科は本当にデキのよい子ども達に囲まれて楽しかった。卒業式の日、「もう僕は担任を持ちたくありません。こんないいクラスは2度とないでしょう。このクラスを最後にしていい思い出だけを残したい」と言ってしまった。
この時は相当なリップサービスのつもりだったが、本当にこれが最後の担任となった。まだ、45歳だよ。
2009年度、この年、本気で我が侭を言って、3年副担任となる。「3年間、理数科担任をして疲れ果てたので、1回は休みにして」と訴えたのだった。
ところがだ、3年副担任で楽をしていると、10月の終わり頃に校長室に呼び出される。ある3年担任の先生がご懐妊し少し体調が気になるので、3月の卒業式まで君がそのクラスの担任をして欲しい。とのことだった。ちょっとまて、11月から3月って3年生の一番重要な時じゃん。
「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の4回目
そこから慌てて「緊急クラス保護者会」なるものを招集し、ワタシが担任業務を引き受けることを宣言する。人生でもっとも焦った4ヶ月だった。
2010年度、この年の人事でに、ワタシの教員人生のすべてに関わってきた嶋先生が富士高校を離れることになった。当時進路課長であった嶋先生が転勤(ある事情による人事だったので我々は予想できなかった)するので、校内の主要人事に大きな穴があくことになった。
お待ちかね、「君がウンと言わないと、次の人事が進まないよ・・・・」の5回目。
1年の学年主任をやれ、との厳命が下る。
こうして、「Tommyセンセの楽しい楽しい学年主任生活」が幕を開けるのだが、これは次回のお楽しみに・・・・・なんとなくNHKの連ドラみたいな展開だ。