還暦老人学年主任時代を語る
2024年4月17日 07:51
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、教員人生を振り返るの記を再開。
2010年の春、校内の玉突き人事で学年主任になることを要請された。
ワタシは、勧善懲悪のドラマとかが大好きで、小さい頃からのお気に入りは必殺仕事人である。
だから、毎日毎日、昼行灯のような生活をしながら、人助けの時には命がけでズバっと斬るような人生を送りたいと思っていた。
管理職の前では、どうしようもなく仕事の出来ないアホ教員、だけど、生徒の味方で絶大な信頼を得ているようなセンセ、
これが理想だ。
だけど、学年主任となると、そうも言っていられない.中間管理職のようなものだし、学校経営に直接関わる運営委員会にも出席するし、生徒の前で演説することもあるし、絶対にミスができない仕事も命じられる。どうも、昼行灯というキャラがなくなるなあ?と心配していた。
おそらく管理職殿も心配していたのだろう。その初学年主任の部下となる先生方は、8人の面々が全員働き盛りで、教科指導にも優れ、信頼できる方ばかりであった。結果的にその時の担任8人中2人が管理職となり(令和6年現在)、3人が(他の学校を含めて)進路課長となり、2人が(富士高校の)学年主任となった。計算すると一人足りないが、その一人というのが一番敬愛していた物理のM先生で、まさしく担任のプロ中のプロで、当時クラス担任4周目を迎えていた。一度も休まずに担任を4周も続けることなど常人にはできない。ワタシ達は、畏敬の念を込めて「プルシェンコ持田」と呼んでいた。
若い先生方には、言っておきたい。「自分が学年主任と命じられたのですが、僕で大丈夫ですかねえ」とよく質問されるが、その時は見栄を張るのではく、「その代わり、いい先生を担任にしてください」とおねだりするべきだ。しっかりした人物が学年主任になったり〇〇課長になったりすると、管理職は安心して、ろくでもない教員を配置したり、ミスマッチを作ってしまったりするものだ。教員の校内人事とはこんなもんである。
初めて学年部の会議があった時、ワタシは即座に「この担任団ならば絶対に上手くいく。ワタシの仕事はこの担任のメンツを3年間、変えさせないことだ」と誓った。その中で、一番信頼を置いていたのは、厳しい教科指導で有名な女性教諭である。この先生の指導プランをすべて採用した。例えばの「学習習慣記録プリント」例えばの集団別集会、などなど。学年主任であるワタシの仕事は彼女を信頼することであって生徒の学習指導は、彼女を信頼すること以外にしていない。
ある人間がその組織内での地位を上げていく。その時その時、どのような対応が必要なのか? 組織内での人間の生き方を、ワタシは海老沢泰久の著作で教わった。
『F1地上の夢』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター (bookmeter.com)
ホンダF1のチームがチャンピョンを獲得するまでを描いた人間ドラマだ。その中に、このような一節がある。(うろ覚え)
「組織内での地位が上がることとは、YESかNOかの判断のスピードが上がることとなんだ」
とあった。
ワタシは思いだして、とにかく「やる・やらない」を即答するように仕事をした。判断できない場合は、「〇〇まで待って」と必ず返事の期限を決めた。これだけで、組織は上手くいくと思う。中間管理職として必要なのは、“着手時期”の指示と、“完了期限”の把握だけだと思う。あとは優秀な方々がやってくれる。
回想していくと、この学年主任時代の1年目も困難な仕事(盗難事件が続発したこともあった、不登校も当然あった。)や悲しい出来事(生徒が突然死したこともあった)だらけだった。でも、今までほとんど忘れていた。それは、1年生の3月11日に、これらの困難を吹き飛ばすような大惨事に見舞われたからだ。
福島原発をはじめ東北地方が大惨事に見舞われたのだけれど、実は富士高もある行事が存亡の危機に立たされた。高原教室である。
では次回をお楽しみに。