還暦老人学年主任2年目を語る、それは2011年のことです。
2024年4月18日 05:22
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
つい数時間前(まだ4月17日だった)に今度は四国で震度6弱の地震が起きた。大きな被害はない模様だ。震度6弱ではたいした被害がでないのだろう。能登半島では震度7だった。PCの前に座ってじっくり情報を集めているとX(旧Twitter)で東海地方というワードがトレンド入りしている。もう東海地震が起きるといわれ続けて半世紀になろうとしている。思い出せば、東海地方静岡県が直接の大きな被害にあったのは、ちょうど50年前の伊豆半島沖地震が直近だ。
伊豆半島沖地震 - Wikipedia
この50年間、ほぼ全国すべての地方で大きな地震の被害に見舞われた。北海道、東北、新潟、東日本全体、阪神淡路、熊本、能登、そして昨日の高知愛媛。なぜか、東海道53次の街道筋だけが無傷だ。戦時下の東南海地震は、最初に高知県あたりが大きく揺れて次に愛知三重付近が震源地となったらしい。この過去の経験から、(いつきてもおかしくない)東海地震は、(いつきてもおかしくない)南海トラフ地震と名を変えた。ここ数日~1年、四国の次は東海地方だと思い備えておこう、みなさん。
こんな時に、不謹慎だと思われるが、仕方がない時系列で話していくと、2011年の東日本大震災を語らないわけにはいかない。2011年3月11日はワタシが1学年の主任を終わろうとしている時だった。実は、この時長男がちょうど受験生で、彼は3月12日の埼玉大学後期試験のために上京していてそこで被害にあうのだが、この件はこれ以上書かない。
1学年主任として一番先に考えたのは、次の年度7月に高原教室がある、我々は高原教室にはたして行けるのだろうか?という問題だ。報道では、福島県の原発事故で拡散した放射線量が毎日報道されていた。東北から避難して生活している様子も毎日のように報道されていた。富士高校2年生は7月の高原教室という高校生の最重要行事で奥日光をベースに尾瀬近辺の登山とトレッキングに行くことになっている。尾瀬とか奥日光とかは東京電力の管理地が多く(尾瀬の水源は東電の管理下にある)、尾瀬近辺には、福島県からの被災者達が避難生活をしていた。
富士高校の高原教室の歴史は長く、今では60回を越えているだろう。ワタシが勤務していた頃、50回目の高原教室が行われた。かつては、静岡県下の高校では、かなりの数の高校が、このような行事を修学旅行の代わりとして行っていたと思われる。掛川西高校は昭和50年代には信州白馬に行っていた(女房の証言)。富士東高も白馬方面の登山をしていたらしい。ワタシが勤務していた長泉高校でも創立当時は、猪苗代湖&磐梯山が修学旅行の行き先だった。
ところが、修学旅行であり、かつ300人規模の大移動となると、このような登山メインの旅行は、「大変、過酷、危険」という評価になり、高校はどんどん撤退し、今では沼津東高校と富士高校だけになっている(と、思う)
富士高校の高原教室は、(今は違うが)尾瀬の山小屋に一泊するということもあって、相当な批判も多かった。ただ、高原教室ほど、事前アンケートと事後アンケートで評価が分かれる行事はなく、事前では生徒&保護者は80%くらいの反対があるものの事後のアンケートでは「肯定的意見」が80%以上占めてしまうのだ。つまり、「行きたくないけど、一生の思い出に残る感動的な行事」なのだ。
登山だけではない。この高原教室で閉校式と称して、奥日光湯元湖の湖畔でキャンプファイアーをやる。ワタシはが富士高校に赴任してすぐの7月、1年生からの“助っ人”としてこの高原教室の引率を手伝った。このキャンプファイアーの時、宿泊したホテルの従業員だけでなく、奥日光湯元温泉に住む方々が見学にきているので驚いた。数人に聞いてみると、この場所では多くの学校がキャンプファイアーをするけれど、さすが高校生が行うキャンプファイアーは、仕掛けも豪華で出し物も面白く、毎年楽しみにしているらしいのだ。ワタシが助っ人ととして参加した時のキャンプファイアーでは、火之神を演ずる副校長先生が(事前の打ち合わせもなく)突然、ゲリラ部隊(演劇部)に拉致されるという大事件が起きた。これで、慌てふためいた高原教室のチーフ先生は、この(実は演劇部)ゲリラ部隊を、数学の公式質問攻め光線(「なんとかの公式を言ってみろーーーーーー!!!!!」)で打ち破って、やっと、火之神が救われて点火される、という手の込んだオープニング始まる凄いキャンプファイアーだった。毎年、こんな感じらしい。
時を戻そう。2011年3月11日、あと1ヶ月で新年度が始まる。富士高校では、高原教室に関するヒソヒソ話が始まった。「出来るの?????」「他に移動するの?????」「いっそ、普通の修学旅行に戻しては??????」このヒソヒソ話の主役は、教員達である。特に「これを機会に、普通の修学旅行(京都奈良とか、広島とか)に戻そう」という声が多かった。
さて、ここからの主人公は、すべてワタシ(Tommyセンセ)である。なんと言っても「学年主任」だ。もちろん、管理職からは呼び出された。「どうするつもりなの?」「ハイ、考えます。4月の新年度職員会議には先生方全員が納得する代替案を出します」と答えた。当時の校長先生はノーテンキ(鷹揚な)なY先生だったので、「そう、よろしく頼むよ」としかおっしゃらなった。
さて、考えよう。7月の高原教室をどうするか?
①奥日光、尾瀬は無理である。例え放射線の問題がクリアできても避難民でごった返すホテル街に出かけていくことは出来ない。
②京都奈良に方向転換は絶対にしたくない。このステキな高原教室をここで終わらせたくない。一度止めたら二度と復活しないだろう。
③日程通りに絶対やる。
ワタシには、腹案があった。先ほど、沼津東高校が高原教室をやっていると書いた。沼津東高校の行き先は、志賀高原である。志賀高原は、福島原発からも遠い。
これなら、富士高も志賀高原でできる。理論武装は
①あくまでも「高原教室」というのが伝統の行事である。
②お手本(沼津東)があるのだから、企画にそれほど困らない。
③水芭蕉も咲いている(本当だ)
④冬の志賀高原は、保護者もよく知っているはずだ。(映画とかで)
⑤ホテルはゴマンとある。
⑥次の年には尾瀬&奥日光に戻したい。(やっぱり、尾瀬の方がいい)
と、かなり説得力のあるものになった。そして、先生方には、⑥を強調することで乗り切ることができるだろうと考えた。
そして、即座に旅行業者を呼んだ。JTBの担当さんは、ワタシの意見をすべて聞いてくれて、早速、ホテル2館(A隊・B隊)を予約し、山岳ガイドの契約も取りつけてくれた。
ここまでを2週間、誰一人相談することもなく、やりきった。2年生の最後の最後の学年会で、2年部の先生方に話をした。学年部の山田先生(日本史の)は、大学時代にワンダーフォーゲル部に所属していた専門家で、ずっと良き相談相手になってくれた先生である。その山田先生が、「つまり、志賀高原という案は、ライトでマイルドな尾瀬になるのだね」と発言してくれて、この一言が決定打となって会議が終了した。もちろん、年度当初の職員会議では、考えられるすべての資料を配付して他の教員に説明をした。そして最後に、「この高原教室は、一年限り企画で、いうなれば、ライトでマイルドな高原教室となります」と締めくくった。勿論、誰も反対の手をあげる人はいなかった。
おろらく、この3週間が教員人生で一番アドレナリンが出た時である。もちろん、他にやるべき仕事はあった。そして一番学年主任としてやるべきことをやったと思う時でもあった。この決定は、私以外誰も出来ない(学年主任以外、誰もやりたがらないだろう)。
ただし、この志賀高原での高原教室、「ライトでマイルドな」というキャッチフレーズは、地図上、机上の論争であって、下見に行ったり実際に生徒を引率した時には、ヘビーでシビアでデンジャラスな高原教室であった。高低差はまだしも、短い距離でのアップダウンが多く生徒や女性先生方はそうとう苦労した。では、次回をお楽しみに。