ノーマルビュー

Received — 2024年4月19日 tommy先生の「世相を斬る」

還暦老人志賀高原の高原教室を語る

著者: tommyjhon
2024年4月19日 06:10
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、前回までの話で、2011年度の富士高高原教室は、志賀高原で行われることになった(学年主任的に言うと、行うことにした)。
1年限りの志賀高原であるし、観光協会・ホテルなどすべての方々が好意的で、「何でもやって下さい」というスタンスだったので、やりたいことをやった。中には、この無鉄砲すぎる行動をこころよくは思っていない教員もいたとは思うが、お目付役の教頭先生がすべてを大目に見てくれたので、有り難かった。
 
①まずは、もう出会いないかも知れない奇跡。
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 写真は、志賀高原から山一つ越えた、草津白根山付近の地図である。
ハイキングマップ | 万座温泉観光協会 (manzaonsen.gr.jp)

高原教室では、A隊、B隊とも共通コースとして、草津本白根山を目的地としてトレッキングに出向いた。この本白根山は、(高山植物の女王)コマクサの群生地として知られ、高原教室中の7月第3週はまさに、満開状態で、一面のコマクサ畑を見ることができた。
 
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溢れるほどの「コマクサ」の山 草津本白根山: 山と花の物語 (cocolog-nifty.com) (このサイトから拝借)

そして、このコマクサの大群生地は、もう二度と見られないかも知れない。
万座温泉・白根エリア | 嬬恋村役場 (vill.tsumagoi.gunma.jp)

2018年の噴火以来立ち入り禁止となっている。


②もしかすると、みなさんも見ることが出来るかも知れない絶景
 
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石の湯のゲンジボタルが乱舞してます! – 志賀高原 SDGs STUDYTOUR (shigakogen.jp)(ここから写真を拝借)


 7月の志賀高原には、ゲンジボタルが大量発生する場所がある。高原教室中に、この蛍の乱舞を見に行こうという話になった。当然ながら、旅行日程表にはなく思いつきである。ワタシ達は、待機しているバスの運転手さんに頭を下げ、もし、蛍がランデブーし始めたら生徒全員で見学に行くから運転して欲しいとお願いした。
しかし、現地の人の話によると、毎日蛍が飛び交うわけではなく、大量に蛍が飛ぶ日もあれば、全然飛ばない日もあるという。そこでワタシは、毎日偵察隊を派遣することにした。(蛍の住処とホテルの間は車で20分ほどかかる)こういう企画が大好きだったのが持田(あえて実名)先生で、こころよく偵察隊を引き受けてくれた。
滞在3日目かな?
先生からホテルに連絡が入り、「蛍が飛んでいる。しかも凄い数だ」と教えてくれた。ワタシ達は、ホテルの全館放送で疲れて寝ている生徒もたたき起こし、バス8台連ねて、蛍の集団行動を見に行った。若い人は知らないと思うけれど、蛍は動きが遅くて簡単に捕まえられる。だから、蛍を手のひらで光らせることもできるのだ。
生徒が300という大集団だったのに、蛍君達は我々に答えてその100倍くらいの数で舞ってくれた。


③もはや、絶対に出来ない、閉校式。
 ご存じの通り、志賀高原は1998年の長野オリンピック開催地である。長野オリンピックは、スケート競技が長野市内で行われスキーアルペン競技は白馬と志賀高原で行われた。例のスキージャンプの金メダルは白馬で行われたものである。スキーのアルペン競技は白馬村の八方尾根が日本で一番ふさわしいと思うのだが、基本的にアルペンスキーの大部分は、志賀高原で行われた。
 もう誰も覚えていないだろうが、スキーリゾートと言えばプリンスホテルである。
堤義明 - Wikipedia
1998年というのは、西武グループの全盛期で、日本のリゾート業界を牛耳っていたのが西武グループ(プリンスホテル)の堤義明である。そのプリンスホテルのスキーにおける本拠地が志賀高原である為、志賀高原にはオリンピック関連の様々な豪華設備投資が行われた。その残骸(遺産、インフラ)がこれで、
志賀高原総合会館98施設のご案内 - 志賀高原 SHIGA KOGEN National Park Official Site
ちょっと山の上の高原には不釣り合いな大きなホールである。
 
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 この大ホールを含めて会館すべてを24時間、しかも(志賀高原のホテル宿泊者だから)無料で貸してくれるという。前回のページで書いたが、富士高高原教室の最大イベント「閉校式」は、従来からキャンプファイアーとして行っていたので、天気には勝てず、泣く泣く断念してホテルの宴会場で御茶を濁すことも多かった。それを、このホールを使ってやることになった。そして、この施設の駐車場にはキャンプファイアーの施設もあり、そこを使ってもいいという。
 おいおい、閉校式は、完全な歌謡ショー、富士高2年生の大コンサートになるぞ。
ということで、各クラスのクラス演劇や有志達の出し物など、プログラムが満載となった。MCを努めてくれた2人のうち、一人が川島君である(かるた関係者諸君、今でも東京で活躍しているあの川島君だよ)、この舞台の最後は、それまでの高原教室の写真を大量に使ったスライドショーで生徒のピアノ伴奏とともにフィナーレを飾った。これが夜中の11時頃。
 計画では、閉校式は夜7時から9時ということになっていた。でも、プログラムを見るととてもその時間で終わらない。
「まっ、いいか。俺が謝ればいいことだ」と腹をくくって、閉校式はおしておしての時間延長を繰り返しながら進んでいった。舞台のプログラムが終わったのは11時を過ぎていたのであるが、ここから、キャンプファイアーが計画されていた。もちろん、キャンプファイアーもやった。
だって、キャンプファイアーにつきもののフォークダンスもしっかり練習してきたのさ。


 ということで、キャンプファイアーが無事終了し、生徒達がホテルに戻ったときには、25時を過ぎていた。夜中の1時まで騒ぎ続けたのだが、志賀高原なので誰からも苦情がこなかった。お目付役の教頭先生(加藤先生といい、富士高の先輩でおある)は、このことをその後、一度も公言しなかった。感謝感激m(_ _)m。
ワタシも、今初めて書いた。


 この頃の高校生は、大人しくて覇気がないといわれている。2011年富士高2年生は絶好調で、4泊5日の高原教室をエンジョイしまくった。たった10年違うだけで、なんでこんなに大人しくなってしまったのだろう。コロナとマスクは、若者の勇気と活気をすべて奪っていった。


 さて、この高原教室のフォークダンス。 学校での練習から、すべてを仕切ったのが久保田成美さんという生徒である。昔と違ってフォークダンスなどをやったことのない高校生達の練習で、彼女はバッサバッサと仕切り始め、最後の方では、彼女の一声で300人全員が一斉に動き踊り出すようになった。彼女は、ミュージカル俳優希望の生徒で、進路も某音楽大学のミュージカルコースに進んでいった。(富士高って勉強ばかりではないのよね)
このブログを書くために、しばらくぶりにこの名前で検索したら、今でもミュージカル(オペラ)の舞台で活躍しているらしい。
久保田成美(@kubota_narumi)さん / X (twitter.com) 

 学年主任冥利に尽きる!!!!!!!


この久保田成美さんの活躍ぶりを見て、ワタシは、絶対、彼女に卒業式の答辞やってもらおうと心に決めた(恥ずかしいから誰にも言わなかったけど)。
高原教室が終わると、富士高生活も折り返し点を過ぎ、いよいよ受験が頭によぎる時期に入っていく。
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