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東京オリンピック開催時の1964年、都立日比谷高校が東大合格者193名で断トツの1位を獲得し、その他の有名な都立高校も東大合格者多数。しかし学校群制制度の導入により、都立高校は衰退を遂げた。エース級教師も含め多くの優秀な教員が私立校に移り、公立進学校の質が低下した結果、優秀な生徒も減少し、負のスパイラルが形成された。
その後、石原慎太郎都知事が「都立高校の復活」を掲げ、高校別入試問題導入により回復の兆しが見られた。しかし、掛川西高や清水東高等は既に没落の一途であるという。
公立進学校の衰退は優秀な教師と生徒の減少を招き、民間企業への移行が増える一方で、給与面での不利や教育内容からの逸脱により新たな問題が生じている。この現象は「教師の負のスパイラル」を引き起こしており、公立小中学校の教員不足とも関連している。
結論として、優秀な教師と生徒との相互成長が重要な課題であり、それを阻む要因を取り除くことが必要であるという。
東京オリンピック開催の1964年、都立日比谷高校が東大合格者193名で断トツの1位、2位は都立西高の156名、3位は都立都立戸山高校の101名だった。
さらに10位以内に都立高校が6校も入っていた。
ちなみに開成高校は42名の12位、静高は21名の24位だった。
これに対して、都立高校が東大入学者を独占しているという批判が起きて、学校群制という都立高つぶしの制度が導入された。
居住地域によって受験できる都立高校を指定する制度だ。
これによって都立高校は一気に衰退し、日比谷高は10年後の1974年には、東大合格者がとうとう10分の1以下の16名にまで減少した。
他の名門都立高校も同じく没落の一途をたどった。
当時の日比谷、西、戸山などにはエース級の高校教師が揃っていて、東大受験対策を独自に行い日比谷の森一郎先生は東大設立以後の英語入試過去問題は全て暗記していると豪語するほどだった。
後に「試験にでる英単語」という画期的な単語集を出版し超ベストセラ-となった。
戸山高校の佐藤忠先生は受験数学の神様と言われ、やはり後に旺文社から受験数学の参考書を多数出版して、数学標準問題新講は定番参考書となった。
だが、都立高校の没落と同時に、生徒の質も急速に低下していったため、エース級の教師も教える意欲が削がれていくこととなる。
その結果、次々と都立高校を去っていき、日比谷の森一郎先生は関西学院大学教授に、戸山の佐藤忠先生は受験産業に転身していった。
その他の有能な都立高校教師も、台頭してきた私立一貫校にスカウトされていき、そこで自らの東大受験ノウハウを伝授していった。
優秀な高校教師は授業こそが生きがいであり、日々優秀な生徒と接して「お互いに高め合うこと」が使命だと感じている。
公立進学校は一旦落ち目になっていくと、復活は難しい。
都立高校もその後長い冬の時代を迎え、石原慎太郎都知事が「都立高校の復活」を掲げて、高校別入試問題導入によって復活のスタ-トを切った。
掛川西高、清水東高はすでに没落の道をたどっている。
公立進学校が衰退すると優れた高校教師の活躍の場が狭められ、ますます人材が集まらなくなる。
民間企業では理系の院卒初任給は、とうとう40万円台に乗った。
理系大学院まで出て、3流の底辺公立高校からキャリアをスタ-トさせる静岡県の制度では、若くて優秀な人材は集まらない。
給料が半分以下な上に、授業よりも生活指導に忙殺されるのはまっぴらごめんだと当然考える。
公立進学校の衰退は「教師の負のスパイラル」をもたらす。
公立小中学校で起きている教員不足は、高校でも目前だ。