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過渡的パウリ遮蔽効果による広帯域・超高速光スイッチング

著者: contributor
2026年2月27日 15:29

過渡的パウリ遮蔽効果による広帯域・超高速光スイッチング
~電子温度制御により新たな光変調機構を発見~

発表のポイント

    • 縮退半導体※1 窒化インジウム(InN)薄膜を対象に、多色プローブ光を用いたポンプ–プローブ時間分解透過率測定※3を行い、可視光から近赤外領域にわたる広帯域の超高速光スイッチングを実証しました。
    • この実証において、高強度光励起によって生じる「過渡的パウリ遮蔽※2」が現れ、InN材料が瞬時に光学的透明状態へと変化することを明らかにしました。
    • 従来は大量の光励起キャリア※4注入が必要と考えられていた過渡的パウリ遮蔽が、本研究により、電子温度上昇に伴う電子分布の再構成のみで発現することが明らかになりました。
    • これらの成果は、次世代の超高速光変調器、光シャッターの高度化に加え、光計算・光通信向けフォトニックデバイスの実現につながることが期待されます。

近年、非常に強く、しかもきわめて短い時間で光を出すレーザー技術が大きく進展しています。このレーザー技術を固体材料と融合することで、従来にはない機能を有する材料やデバイスの創出が期待されています。例えば、強いレーザー光を照射すると、通常は光を通さない物質が一時的に透明になることがあります。レーザー光を超高速でON/OFF制御すれば、物質の透明・不透明を超高速でスイッチングすることが可能となり、光スイッチや光信号制御などへの応用が期待されます。
早稲田大学理工学術院の賈軍軍(じゃ じゅんじゅん)教授の研究グループは昨年、フェムト秒レーザー照射によってマルチバレー半導体中の光励起電子分布を制御する新しい光変調機構を発見し、可視光から赤外線に至る広帯域で光スイッチングが可能であることを実証しました「Physical Review Applied, 23, 024060 (2025)」。本研究では、この概念をさらに発展させ、縮退半導体InNにおいて、フェムト秒レーザーにより電子の「温度」を瞬時に制御することで、広帯域な光スイッチングが可能になることを明らかにしました。
本成果は、超高速かつ広帯域な光制御を実現する新たな原理を示すものであり、次世代の超高速光変調器や光シャッターの高度化に貢献するとともに、低遅延・高効率が求められる光計算・光通信向けフォトニックデバイスへの応用が期待されています。
本研究成果は2026年1月20日に「Physical Review B」に公開されました。

これまでの研究で分かっていたこと

半導体材料では、バンドギャプ以上の高強度レーザーを用いると、多数の電子が価電子帯から伝導帯に高密度に励起されることが知られています。これらの電子は電子-フォノン散乱によって速やかに伝導帯下部へ緩和し、伝導帯底における電子占有が増加します。この電子占有の増大、すなわちパウリ遮蔽(Pauli Blocking)効果により、バンド間吸収が一時的に抑制され、物質が透過的になる現象が観測されてきました。従来、この過渡的パウリ遮蔽効果は主として高強度光励起による伝導帯に大量電子の注入に起因すると理解されてきました「Physical Review Applied, 23, 024060 (2025)」。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究では、代表的な半導体材料であるInNを用いて、パルスレーザーの高密度光励起によって電子温度を制御することで、近赤外から可視光領域にわたる多色光の透過・不透過を超高速で切り替えられるかを検証しました。
InNにおいて、フェムト秒レーザー照射により伝導帯中の電子温度が瞬時に上昇し、それに伴って電子分布が熱的に広がることを明らかにしました。この電子分布の変化により、従来、光を吸収していた遷移が一時的に抑制されます。その結果、「電子温度の急激な上昇」のみを過渡的パウリ遮蔽効果の駆動原理として、物質の透明・不透明を超高速かつ広帯域に制御できることになります。さらに、InNにおける光スイッチングは可視光から近赤外域にわたる複数のスペクトル的スイッチング中心を有することが明らかとなりました。この成果は、単一材料において多色光を同時に制御可能であることを示し、電子温度制御に基づく新たな広帯域光変調原理を確立するものです。

研究の波及効果や社会的影響

本研究では、明らかになった過渡的パウリ遮蔽に基づく超高速・広帯域光スイッチング機構は、従来の電子デバイスの速度限界を超える新たな情報処理技術の基盤となります。特に、フェムト秒〜ピコ秒時間スケールで動作する全光型スイッチングは、将来の高速・低遅延情報通信に大きな波及効果をもたらします。とくに、可視光から近赤外にわたる広帯域動作は、波長分割多重(WDM)光通信や多波長を同時に扱うフォトニック回路への応用に適しており、データセンターや高性能計算(HPC)における通信の高速化・省電力化に貢献することが期待されます。
また、本研究は、既存の産業利用実績を有する材料を用いて新機能を引き出した点でも意義が大きく、基礎物理の深化と社会実装を橋渡しする研究として、今後のフォトニックデバイス産業や関連技術分野への長期的な社会的影響が期待されます。

課題、今後の展望

本研究で確立した電子温度駆動型の過渡的パウリ遮蔽効果は、材料固有の電子構造に基づいて光スイッチング波長域を設計できる指針を与えるものであり、今後はワイドバンドギャップ半導体材料への展開が期待されます。さらに、サブピコ秒時間スケールで動作する全光型非線形応答は、光ニューラルネットワークに応用の展開に期待され、ひいてはフォトニック AI への展開としての応用が期待されます。

研究者のコメント

本研究は、現代の情報技術における根本的課題「いかにして、より高速かつ低エネルギーで信号を切り替えるか」に応えるものです。レーザー光によって材料の透明性を瞬時に制御できることを示した本成果は、超高速・広帯域・高効率な次世代フォトニックデバイスへの新たな道を切り拓くものです。

用語解説

※1 縮退半導体
不純物ドーピングや欠陥などによってキャリア(電子または正孔)の濃度が非常に高くなり、フェルミ準位が伝導帯(n型)または価電子帯(p型)の内部にまで入り込んだ半導体のことを指す。

※2 過渡的パウリ遮蔽
半導体にフェムト秒などの超短パルスレーザーを照射した際に、電子の占有状態が一時的に変化し、光吸収が抑制される現象であります。この効果は、電子が同一の量子状態を同時に占有できないというパウリの排他原理に基づいています。

※3 ポンプ–プローブ時間分解透過率測定
超短パルスレーザーを用いて物質中の超高速現象を観測する実験手法であります。まず、強いレーザーパルス(ポンプ光)を試料に照射して電子状態を励起し、その後、時間遅延を制御した弱いレーザーパルス(プローブ光)を照射することで、励起後の光学特性の変化を時間分解して測定します。

※4 光励起キャリア
バンドギャップ以上の光子エネルギーをもつ光を半導体や絶縁体に照射すると、価電子帯から伝導帯への電子遷移が生じ、電子と正孔の対が生成される。これらの電子-正孔対を光励起キャリアと呼ぶ。

論文情報

雑誌名:Physical Review B
論文名:Transient Pauli blocking in an InN film as a mechanism for broadband ultrafast optical switching
執筆者名(所属機関名):Junjun Jiaa※、Minseok Kimb、Yuzo Shigesatob、Ryotaro Nakazawac、Keisuke Fukutanic、Satoshi Kerac、Toshiki Makimotoa、Takashi Yagid

a:早稲田大学
b:青山学院大学
c:分子科学研究所
d:産業技術総合研究所
掲載日時:2026年1月20日
掲載URL:https://doi.org/10.1103/1cww-zn61
DOI:https://doi.org/10.1103/1cww-zn61
*:責任著者

研究助成

研究費名:科学研究費 基盤研究(B)
課題番号:25K01862
研究課題名:光誘起イプシロンニアゼロ物性の解明による物質設計
研究代表者名(所属機関名):賈 軍軍(早稲田大学)

二次元材料MXeneの電池反応を“その場”で可視化

著者: contributor
2026年2月27日 15:28

二次元材料MXeneの電池反応を“その場”で可視化

概要

一般財団法人ファインセラミックスセンター(JFCC)の野村優貴博士、山本和生博士、平山司博士と早稲田大学の藤田真輝氏(研究当時:博士前期課程2年)、川合航右研究院講師(現在:東北大学)、大久保將史教授らの研究グループは共同で、全固体リチウム電池※1材料として注目される二次元材料MXene(マキシン)※2について、充放電動作中に生じる電池反応を電子顕微鏡を用いてその場観察※3することに成功しました。
MXeneは、原子数層の厚さの“シート状”の材料で、高い電気伝導性とイオンの出入りしやすさから、次世代電池への応用が期待されています。しかし、実際に電池として動作している際に、MXeneの中でリチウムイオンがどのように動き、どのような電気化学反応が起こっているのかは、これまで詳しく分かっていませんでした。本研究では、早稲田大学が開発したMXeneに、JFCCが開発したその場走査透過電子顕微鏡法(STEM)※4と電子エネルギー損失分光法(EELS)※5を組み合わせることで、全固体電池の充放電中に、MXene内部で起こるリチウムの出入りや電気化学反応をナノメートルスケールでその場観察することに成功しました。
その結果、MXene内では、①層間にリチウムイオンが出入りする反応、②表面で酸化リチウムが生成・分解する反応、③固体電解質※6が分解する反応、という3つの異なる反応が同時に進行していることが明らかになりました。さらに、MXeneのナノシート表面に存在する酸素などの末端基※7の違いによって、リチウムイオンの動きや反応の進み方が大きく変化することも示されました。本成果は、MXeneを用いた高容量・高耐久な全固体電池の設計指針を与えるものであり、次世代二次電池開発に向けた重要な知見となります。
本成果は2026年1月19日にWiley社発行の国際学術誌「Small」に掲載されました。

現状と課題

電気自動車や再生可能エネルギーの普及にともない、二次電池には「高容量」「長寿命」「高安全」の実現が求められています。特に、電解液を使わない全固体リチウム電池は、安全性の高い次世代電池として注目されています。MXeneは、金属炭化物や窒化物からなる二次元材料で、薄いナノシートが多層に積層した構造です。この独特な構造により、イオンが出入りしやすく、高い蓄電性能が期待されています。しかし、電池として動作している最中に、MXeneの内部でどのような反応が生じているかは、これまで直接観察することが困難でした。

研究手法

一般財団法人ファインセラミックスセンター(JFCC)の野村優貴博士、山本和生博士、平山司博士と早稲田大学の藤田真輝氏(研究当時:博士前期課程2年)、川合航右研究院講師(現在:東北大学)、大久保將史教授らの研究グループは、MXene(Ti3C2Tx)を電極に用いた全固体リチウム電池を電子顕微鏡内で充放電しながらその場観察する独自の研究手法を開発しました。走査透過電子顕微鏡法(Scanning Transmission Electron Microscopy:STEM)と電子エネルギー損失分光法(Electron Energy-Loss Spectroscopy:EELS)を用いることで、リチウムの移動や酸素、チタンの電子状態の変化を同時に解析しました。これにより、「電池が実際に動いている状態」での反応を、動画として追跡することに成功しました。

研究成果

研究により、MXene電極で起こる反応の全体像が明らかになりました。主な発見は以下の通りです。

1. MXeneのナノシート層間にリチウムイオンが出入りする様子を直接観察(図1)

MXeneでは、充放電にともなって、ナノシートのすき間にリチウムイオンが可逆的に挿入・脱離する様子が観察されました。この反応にともない、材料中のチタンの電子状態が可逆的に変化することが確認され、MXene層間へのリチウムイオンの挿入・脱離が電池反応に寄与していることが分かりました。

2. 表面で起こる酸化物生成が不可逆容量※8の要因

MXene表面では、リチウムと酸素が反応して酸化リチウムが生成・分解する様子も観察されました。この反応は完全に可逆的ではなく、電池の不可逆容量の要因であることが示されました。

3. 固体電解質が電極表面で分解する様子を直接観察

MXene電極だけでなく、界面近傍の固体電解質も充放電中に還元分解していることが明らかになりました。この分解反応により、MXeneと固体電解質の境界部分にリチウム過剰な反応生成物が形成され、電池の不可逆容量の要因となっていることが分かりました。

4. ナノシート表面の末端基が電池性能を左右

MXeneのナノシート表面に存在する酸素などの末端基の種類によって、リチウムの動きや反応の進み方が変化することが明らかになりました。特に、酸素終端を多く持つMXeneでは、リチウムを貯蔵しやすくなる一方で、酸化リチウムの生成が進みやすいという利点と課題の両方が存在することが示されました。

図1 充放電中のリチウムイオン分布のその場観察。(a)環状暗視野走査透過電子顕微鏡(ADF-STEM)像。(b)充放電中のリチウムイオン分布の変化。図中の白矢印は、固体電解質の還元分解によって形成されたリチウム過剰層。黄矢印は、MXene表面に形成された酸化リチウム層。

今後の展開

本研究で得られた「MXene内部と表面で同時に起こる複数の反応」の理解は、MXeneを用いた電池材料設計において重要な指針となります。今後は、構造と表面官能基を制御することで、容量と耐久性を両立したMXene電極の開発が期待されます。

論文情報

本成果は2026年1月19日にWiley社発行の国際学術誌「Small」に掲載されました。
タイトル:Real-Time Imaging of Intercalation–Conversion Li Storage in MXenes for Solid-State Batteries
著者:Yuki Nomura1,* Kosuke Kawai2, Masaki Fujita2, Kazuo Yamamoto1, Tsukasa Hirayama1, Masashi Okubo2,*
著者所属:1 Japan Fine Ceramics Center, 2 Waseda University, * 責任著者
掲載誌:Small
DOI:10.1002/smll.202513159

研究助成

本研究の一部は、日本学術振興会「科研費」(23H00241, 24H02204, 24K17757, 25K00078)、NEDO「次世代全固体蓄電池材料の評価・基盤技術開発(SOLiD-Next)」(JPNP23005)、文部科学省「データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト」(JPMXP1121467561)、(公財)風戸研究奨励会、(公財)岩谷直治記念財団の研究助成の支援を受けて実施されたものです。一部の実験データ取得には、ファインセラミックスセンターが実施した安全保障技術研究推進制度「AI的画像解析によるオペランド電子顕微鏡計測技術に関する研究」(PJ004596)によって導入された設備を使用しました。

用語解説

※1 全固体リチウム電池
液体の電解質ではなく、無機固体の電解質を用いるリチウム電池。電池全体が固体の材料で構成される。

※2 MXene(マキシン)
金属炭化物や窒化物からなる二次元材料。原子数層の薄さのナノシートが積層した構造であり、高い電気伝導性を示す。

※3 その場観察
測定対象が実動環境下でその機能を発現する過程をその場で観察する手法。

※4 走査透過電子顕微鏡法
細く絞った電子線で試料を走査し、散乱された電子を検出器で捉えることで、高い空間分解能で材料の構造を可視化する手法。

※5 電子エネルギー損失分光法
試料と相互作用してエネルギーを損失した電子を計測し、材料の組成・電子状態を解析する手法。透過電子顕微鏡を用いた分析手法の一つ。

※6 固体電解質
液体の代わりに固体中でイオンを伝導させる無機材料。

※7 末端基
MXeneのナノシートの表面に結合した酸素やフッ素、塩素などの官能基。

※8 不可逆容量
電池の初回充電などで一度失われ、その後の充放電では回復しない容量。電極や電解質の分解、副反応によってリチウムが消費されることで生じ、電池の実質的な容量低下の原因となる。

高性能高耐久性燃料電池を可能とする電解質膜を開発

著者: contributor
2026年2月12日 09:28

高性能高耐久性燃料電池を可能とする電解質膜を開発
~フッ素を全く含まない高分子複合膜でPFAS規制にも対応~

発表のポイント

  • スルホン酸基、フェニレン基、脂肪族基の組み合わせと組成を最適化したフッ素を全く含まない高分子電解質の開発に成功した。
  • 高分子電解質と多孔性ポリエチレン基材を組み合わせて作製した複合電解質膜は、80~120℃の温度範囲で3~0.7S/cmという高プロトン導電率を達成した。
  • 開発した複合電解質膜を用いた燃料電池は、120℃、30%相対湿度の条件において、市販のフッ素系電解質膜を凌駕する性能(>150mW/cm2)と耐久性(>100,000サイクル)を達成した。
  • 電気自動車(特に、トラックなどのヘビーデューティービークル)や家庭用の燃料電池用電解質膜としての応用が期待できる。

山梨大学クリーンエネルギー研究センター/水素・燃料電池ナノ材料研究センター・早稲田大学理工学術院の宮武 健治(みやたけ けんじ)教授、信州大学社会実装研究クラスター 繊維科学研究所の金 翼水(きむ いくす)卓越教授、山梨大学クリーンエネルギー研究センターのLiu Fanghua(りゅう ふぁんふぁ)研究助教(元早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構次席研究員)の研究グループは、水素と酸素を用いて発電する固体高分子形燃料電池(PEFC)※1の性能と耐久性を大幅に向上させる新たなプロトン導電性電解質膜※2の開発に成功しました。この電解質膜は、親水部構造としてスルホン酸基を持つフェニレン基、疎水部構造としてベンゼン環が5つ連結したキンケフェニレン基と脂肪族基の3成分からなる高分子電解質と、補強材として多孔性のポリエチレン基材を組み合わせた複合膜で、高いプロトン導電率、大きな伸び率、優れたガスバリア性を併せ持ち、高温(120℃)での高性能な燃料電池発電と、過酷な加速劣化試験で100,000サイクル以上の耐久性を達成しました。
高分子電解質およびポリエチレン(PE)いずれにもフッ素が全く含まれないことから、人体や環境に対する悪影響が懸念されているPFAS※3にも該当することが無く、次世代の固体高分子形燃料電池用の電解質膜として大変有望な新材料です。低炭素社会の早期実現にも大きく貢献しうる技術として、早期実用化が期待されます。
本研究成果は、2026年2月3日にドイツ化学会が発行する学術雑誌『Advanced Materials』のオンライン版で公開されました。

図1:本研究で開発したプロトン導電性高分子電解質(SP-PAC12-QP)の合成方法、およびそれと多孔性ポリエチレンを組み合わせた複合膜の写真。茶色透明で均一な薄膜構造が、高プロトン導電率と化学的・機械的安定性の両立を可能にする。

これまでの研究で分かっていたこと

プロトン導電性高分子を電解質膜として用いるPEFCは、常温から80℃程度の温度で発電することができるので使いやすく、電気自動車や家庭用の電源として商品化されています。これまでのPEFCはフッ素原子と炭素原子を主成分とするフッ素系高分子電解質と、延伸したポリテトラフルオロエチレン(ePTFE)からなる多孔材基材を組み合わせた複合膜が用いられていますが、合成方法が限られており高価であること、ガスバリア性(気体の通しにくさ)が不十分であること、フッ素原子を多く含むことからPFASの一種として人体や環境への長期的な影響が懸念されること、が課題とされています。
これまでにフッ素原子を含まない高分子電解質膜が数多く開発されてきましたが、フッ素系高分子電解質膜に比べてプロトン導電率や化学的安定性が劣っており、PEFC用に適した材料は見つかっておりませんでした。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

プロトン導電性を発現するための構造(スルホン酸基を持つフェニレン基)、化学的安定性を発現するための構造(5つのベンゼン環が連結したキンケフェニレン基)、機械的安定性を発現するための脂肪族基に着目し、これら3つの成分を組み合わせた高分子電解質を設計しました。各成分の組成比と脂肪族基の長さを変えた一連の高分子電解質を合成し、それらが電解質物性に及ぼす効果を明らかにしました。これにより得られた最適構造をもつ高分子電解質を多孔性のポリエチレン基材と複合させることにより、従来までの非フッ素系高分子電解質膜や市販のフッ素系高分子電解質膜と比べても優れた性能を達成することができました。

今回、新しく開発した手法

三成分からなる高分子電解質の物性は、その組成に加えて脂肪族基の長さによっても大きく変化することを見出しました。今回検討したなかでは、炭素数が12のドデシル基が疎水部の中で67mol%含まれる時(スルホフェニレン基:ドデシル基:キンケフェニレン基=15.5:2:1)に高分子量体(重量平均分子量が141,500)として得られ、エタノールなどの低級アルコールにも可溶でした。この高分子電解質を膜厚が7μm、空隙率が44%のPE基材と組み合わせたところ、高分子電解質が均一に含浸した複合膜(SP-PAC12-QP-PE7)を得ることができました。この複合膜は80~120℃の温度範囲において優れたプロトン導電特性を示し、フッ素系電解質膜と同等の性能でありました。また、80℃、60%RH条件下における破断伸びは300%を超えており、薄膜でありながら伸縮性にも富んでいます。複合電解質膜の両面に電極触媒層を塗布して燃料電池特性を測定したところ、フッ素系電解質複合膜に比べて水素透過率は1/4程度でありガスバリア性に優れていました。また、プロトン導電率と同じ温度範囲で優れた発電特性が得られること、開回路条件(電流を流さない条件)で乾燥と湿潤を繰り返す加速劣化試験では100,000サイクルを超えることを実証しました。この耐久性はフッ素系電解質複合膜の1.3倍であり、フッ素を全く含まない材料では異例の安定性を確認出来ました。

図2:(a) SP-PAC-QP複合膜の気体透過率(フッ素系複合電解質膜との比較)と(b)加速劣化耐久試験。

研究の波及効果や社会的影響

市販されているGore SelectやNafionなどのフッ素系高分子電解質は優れた耐久性を持ちますが、その優れた物性はフッ素原子が共有結合で炭素原子に結合した高分子構造に由来します。フッ素原子を含まない高分子電解質は構造の自由度が高く合成方法も多様であるため、非常に多くの材料が提案されていますが、フッ素系高分子電解質にはかなわないと考えられてきました。
本研究で開発したプロトン導電性高分子電解質である構造と組成を最適化したSP-PAC12-QP-4.5 に、PE多孔基材を複合させた電解質膜は、従来の非フッ素系高分子電解質膜が抱えていた欠点を克服し、しかもガスバリア性などの利点も併せ持っています。実用的な運転条件や、今後、商用自動車などのヘビーデューティービークル(タクシー、トラック、バスなど)への応用を想定した高温運転や過酷な劣化試験条件での運転でも優れた発電特性と耐久性を示し、新材料の可能性を実証することができました。
今回の成果は基礎研究であるため小さなセル(電極面積が4.41cm2)でありますが、今後、より大きなセルでの性能確認に加えて、複数のセルを積層したスタックでの検証を関連企業との共同研究で実施する予定であり、実用化に向けた検討を加速して進めます。

今後の課題

本研究で開発したSP-PAC12-QP-4.5の合成には、重合促進剤として0価のニッケル錯体(ビスシクロオクタジエニルニッケル)を用いています。この錯体は重合反応に対する活性が高く、高分子量体の高分子電解質を合成するのに適しているのですが、量産化されておらず試薬ベースでも高価です(1gあたり数千円程度)。この錯体を用いずに重合を促進することによって、低コスト化を進める検討を行っています。これら課題に加えて、量合成や連続製膜などへもチャレンジしていきます。

研究者のコメント

フッ素を含まないプロトン導電性高分子電解質膜のブレークスルー技術として、学術的な意義はもちろん、実用的な観点からも大きな成果であると考えております。3種類の構造を含む三元共重合体は様々な組み合わせが可能であるため、今回とは異なる成分を用いることにより、より多機能な高分子電解質が創出できる可能性があります。PEFCに限らず水素製造のための水電解セルや二次電池、センサーなど、様々な固体電気化学デバイスへの展開に繋げていきたいと思います。

用語解説

※1 固体高分子形燃料電池(PEFC

PEFCはPolymer Electrolyte Fuel Cellの略称であり、負極と正極で高分子電解質膜を挟み、負極に水素、正極に酸素を供給して電気を発生させる電池。1つのセルでセル電圧(開回路電圧)は1.0V程度であり、実用的には積層(スタック)させて高電圧を得る。

※2 プロトン導電性高分子電解質膜
酸性基を含む高分子から構成され、水素イオン(プロトン)が選択的に透過する薄膜。燃料電池や電解セル、センサーなどの電気化学デバイス用の固体電解質として用いられている。PEFC用の電解質膜は、負極で発生したプロトンを正極に運ぶ役割を担っており、プロトン導電率、ガスバリア性、機械強度、耐久性などの物性が必要とされる。

※3 PFAS

Per- and polyfluoroalkyl substancesの略称であり、アルキル基に複数のフッ素原子が結合した有機フッ素化合物の総称である。人体や環境への長期的な影響が懸念されるため、製造、使用、販売への規制が世界中で検討されている。

論文情報

雑誌名:Advanced Materials
論文名:Universal Fluorine-free Proton Exchange Polymers for High-performance and Durable Fuel Cells Operable under Severe Conditions
執筆者名:Fanghua Liu1、Kenji Miyatake (宮武 健治)1,2、Ick Soo Kim3、Ahmed Mohamed Ahmed Mahmoud1、Vikrant Yadav1、Fang Xian1
1:山梨大学クリーンエネルギー研究センター/水素・燃料電池ナノ材料研究センター
2:早稲田大学理工学術院
3:信州大学社会実装研究クラスター 繊維科学研究所
掲載日時:2026年2月3日
掲載URL:https://doi.org/10.1002/adma.202520137
DOI:10.1002/adma.202520137

研究助成

研究費名:文部科学省 科学研究費補助金
研究課題番号:23H02058
研究課題名:全固体空気二次電池の創製:原理実証と有機負極活物質の検討
研究分担者名(所属機関名):宮武 健治(山梨大学)

研究費名:文部科学省 データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト
研究課題番号:JPMXP1122712807
研究課題名:再生可能エネルギー最大導入に向けた電気化学材料研究拠点(DX-GEM)
研究分担者名(所属機関名):宮武 健治(山梨大学)

医理工連携交流の成果の社会実装にむけて(第5回日本医科大学・早稲田大学合同シンポジウム開催報告)

著者: contributor
2026年2月4日 09:05

2026年1月24日(土)、第5回「日本医科大学・早稲田大学合同シンポジウム~両校の実質的連携を目指した研究交流~」を日本医科大学済生学舎1号館講堂において開催しました。

日本医科大学と早稲田大学との連携は、2009年に締結した包括協定から始まり、実質的な研究連携への合意(2020年)を経て、本学附属校・系属校との高大接続連携に関する協定(2020年)へと発展してきました。2021年度からは、日本医科大学で選抜された3年生を、本学の理工研究室に迎え入れて交流を図る研究配属も実施しており、今年度は3研究室で7名を8週間受け入れました。

シンポジウム冒頭の開会挨拶で、日本医科大学学長の弦間昭彦氏は、本学との連携が、学生・研究者間で着実に進展していることを述べられました。また、日本医科大学には本学の附属校・系属校出身の学生も多数在籍しており、より若い世代の連携基盤が拡大してきているとの実感も得られている中で、今後は、大学院レベルでの関係を深化していきたいとの意欲が表明されました。続く、本学総長の田中愛治の挨拶では、2018年に総長に就任して以来の両校連携の歩みを振り返った上で、さらなる今後の展開についての期待が述べられました。その中で、本学の大学院生が日本医科大学で学ぶ機会の提供の提案、医療経済学や病院経営学といった分野での協力の可能性などについて触れ、医理工連携を通して世界人類に貢献する人材を育成する必要性について語りました。

左:日本医科大学学長の弦間昭彦氏、右:本学総長の田中愛治

開会挨拶に続く第一部の研究紹介では、日本医科大学2名、本学2名の研究者が研究紹介を行いました。両校の共同研究の成果や、今後本格的に進める予定の共同研究、シーズ成果などについての発表がなされた後、会場の参加者も含めた活発な質疑応答が展開されました。

  • 関根 鉄朗(日本医科大学臨床放射線医学 准教授)
    「Real world dataにおける脳容量解析-日常診療で用いられるCTおよび2D-MRI画像からの簡便な定量解析手法の開発-」
  • 大河内 博(早稲田大学理工学術院 教授)
    「マイクロプラスチック大気汚染の実態:健康と気候への新たなリスク」
  • 村井 保夫(日本医科大学脳神経外科学分野 大学院教授)
    「本邦における生体内マイクロプラスチック研究の現状と意義」
  • 芹田 和則(早稲田大学理工学術院 准教授)
    「テラヘルツ点光源を用いた医用イメージング技術とその応用展開」

研究紹介の様子(左から、関根准教授、大河内教授、村井大学院教授、芹田准教授)

第二部では、日本医科大学の学生が早稲田大学における研究配属の成果発表を行い、優秀研究賞1件が選ばれました。

成果発表・質疑応答の様子

左から、本学総長の田中愛治、優秀研究賞を受賞した日本医科大学生、日本医科大学学長の弦間昭彦氏

閉会挨拶では、まず本学副総長の須賀晃一から、今後一層開発が進むであろうVRやAIを用いた医療現場、あるいは医療教育の場において、日本医科大学と早稲田大学とが連携した真価が発揮できるのではないかとの期待が述べられました。また、研究配属の成果発表を行った日本医科大学の学生に向けて、自身の専門以外の研究に広く触れることは将来の成長の糧になるため、今回の経験を忘れずにさらに研鑽を積んでほしいとのエールを送りました。続く、日本医科大学大学院医学研究科長の清家正博氏からは、両校の連携研究の実績が出始めているという実感と、今後は成果の社会実装に向けてより一層の連携を進めていきたいとの意欲が語られました。

左:本学副総長の須賀晃一、右:日本医科大学大学院医学研究科長の清家正博氏

今後も、日本医科大学と本学は、研究と教育との両輪で連携を推進し、社会に貢献してまいります。

国内初となる一般水力発電の調整力強化に向けた技術開発に関するNEDO公募事業の採択および技術開発着手について

著者: contributor
2026年2月2日 10:26

国内初となる一般水力発電の調整力強化に向けた技術開発に関する
NEDO公募事業の採択および技術開発着手について
~再生可能エネルギーの拡大に伴う火力発電などにおける燃料費・CO₂排出量の大幅な低減を目指す~

一般財団法人電力中央研究所(本社:東京都千代田区、理事長:平岩芳朗)、東芝エネルギーシステムズ株式会社(本社:神奈川県川崎市、代表取締役社長:島田太郎)、学校法人早稲田大学(東京都新宿区、理事長:田中愛治)、国立大学法人信州大学(長野県松本市、学長:中村宗一郎)は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(以下、「NEDO」)が公募した、国内初となる一般水力発電の調整力強化に向けた「電源の統合コスト低減に向けた電力システムの柔軟性確保・最適化のための技術開発事業(日本版コネクト&マネージ2.0)※1/研究開発項目3-2 水力発電の柔軟性向上のための技術開発」(以下、「本事業」)に応募し、採択されたため、このほど技術開発に着手しました。本事業は2028年度末まで行います。

太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギー(以下、「再エネ」)の導入拡大に伴い、電力の需給バランスを維持するための「調整力」として重要な役割を担ってきた火力発電の割合は、相対的に低くなっています。こうした状況において、火力発電と同じく同期発電機※2である水力発電にはよりいっそうの期待が寄せられています。電力の需要と供給のバランスを維持するために、火力発電の出力や環境価値の高い再エネの出力を増減させるなどの調整力が必要となりますが、一般水力発電※3が新たに調整力を発揮することにより、燃料費や再エネの出力制御量、CO2排出量といった社会コストの大幅な低減が見込まれます。

電力中央研究所では、2024年6月から2025年5月にかけて、NEDOの「電源の統合コスト低減に向けた電力システムの柔軟性確保・最適化のための技術開発事業(日本版コネクト&マネージ2.0)/研究開発項目3 バイオマス発電・水力発電・地熱発電の柔軟性向上のための技術検討」を受託し、水力発電の柔軟性向上に関する調査を実施しました。この調査の結果、一般水力発電で新たな調整力を強化するには、溢水(いっすい)※4と発電に用いられない無効放流量の増加に伴う発電量減少に起因する収益減と、振動などの水車各部への負担増加による劣化の問題を、技術開発により解決する必要があることを明らかにしました。

本事業では、これまでの調査結果を踏まえて、水力発電の柔軟性を向上させるための課題を整理し、中小型水車の標準設計に向けた設計・解析支援技術や、大型水車の極低負荷運転時の水車評価手法と最適運用・制御システムの開発などの下記事項に取り組みます。

※ 早稲田大学の研究代表者は理工学術院・宮川和芳教授です。

各機関の役割

開発の概要

(1)水車の導入および運用に関わる解決すべき課題の整理
中小型水車は、電力系統に接続される水車の台数と発電出力を柔軟に調節し、調整力の強化に寄与することが求められます。そのため、従来に比べて起動停止や出力調整の頻度が増加し、過渡応答※6による機器損傷や溢水リスクの上昇などが懸念されます。一方、大規模の水力発電所に適用される大型水車では、電力システムの柔軟性向上への対応のため、極低負荷を含む幅広い条件での運転が求められるようになります。設計流量から離れた低負荷領域などの非設計流量で運転する場合、キャビテーション※7や旋回流※8などの不安定現象が発生する場合があり、このような条件で頻繁に運転することでランナ※9の壊食や流体振動などによる損傷リスクを増加させます。
これらの現象は様々な物理現象が相互に関与しているため、キャビテーションや旋回流のメカニズムや特性を詳細に調査し、体系化します。そして無負荷から最大出力までの全範囲において、安全な運転が確保できない範囲や条件を新たな知見を用いて精緻に見極め、これらを最小化するとともに回避する運用を行うことで水力発電の柔軟性向上に貢献します。

図1 解決すべき課題

 

(2)中小型水車の標準設計に向けた設計・解析支援技術の開発
水車は落差や流量などの地点特性に応じた発電所固有の設計が必要となります。
また、中小型水車の設計においては、1次元解析による基本設計から3次元解析まで用いられますが、技術的・費用的なハードルが高く、これらの課題が新規導入に向けたチェインのボトルネックとなっています。
また今後は柔軟性の高い水車が求められることから、技術的なハードルはさらに高くなります。
そこで本事業では、中小型の水車開発の技術支援として、水車設計の標準化、設計開発に必要なツールの開発、模型試験プラットフォームの構築を行います。
水車設計の標準化では、フランシス・軸流・クロスフロー水車を対象とし、水車形状について、発電の柔軟性を高められるよう、無負荷から最大出力までの幅広い運転範囲において高効率で、かつキャビテーションや不安定現象への対策を講じた上で、水車比速度※10を基準に最適設計します。
設計開発ツールは、本事業を通して開発した、設計・解析のための技術およびソフトウェアを整備します。
模型試験プラットフォームは、標準設計水車の性能を実証するための試験設備として開発し、将来にわたり我が国の水車開発の基盤設備となるよう整備します。
これらの標準設計された水車形状や性能データ、設計開発解析ツールなどの成果物は国内の水車メーカーや発電事業者向けに公開します。これにより水車設計の難易度やコストを大幅に低減させ、中小型水車のチェイン改善に貢献します。

図2 中小型水力発電大量導入のためのチェイン

 

(3)大型水車の極低負荷運転の拡大に向けた評価手法と最適運用・制御システムの開発
大型水車において、水車の稼働状況が不安定になり、機器の損耗も激しくなることから、従来ある一定以下の極低負荷での運転は行っていませんでした。本開発では、より柔軟性を高めるため、大型水車で一般的なフランシス水車を対象とし、極低負荷での運転時の事象を分析する高度な流体解析シミュレーションや模型試験を行います。さらに、実際の水力発電所における水車の運転状態を計測し、キャビテーションや旋回流などの不安定現象を明らかにします。これらの結果と(1)で体系化する評価指標を用いて、安全で安定的に運転できる出力領域を判断する簡易評価手法を開発します。この上で、この評価手法を活用し、キャビテーションや旋回流により不安定となる出力領域を縮小する水車を開発します。
また、今後太陽光発電や風力発電などの増加により高速・高頻度な出力調整が求められ、機器の損耗が進行することが想定されます。そのため、デジタル技術を活用し、水流が不安定となる出力領域での運転状態を把握・監視した上で、損耗が激しくなる領域を特定します。その上で、蓄電池の充放電による補助的な出力調整と組み合わせ、特に摩耗が激しくなる領域での運転を回避することで極低負荷領域での運転を可能とする運用・制御技術(SPPS)を開発します。さらに、この運用・制御システムを用いた水力発電所における実証試験を行い、柔軟性向上に関わる検証を行います。

図3 大型水車の極低負荷運転の拡大に向けた最適運用・制御システム

 

(4)中小型水車と大型水車に共通する課題の解決
中小型水車は主に起動停止による台数制御での柔軟性向上を目指しますが、水系全体の運用や電力系統の中での発電所の立地を考えると、起動停止による台数制御だけでは出力調整が困難になる場合も想定されるため、大型水車と同様に、極低負荷運転を可能とする対応が必要である場合も考えられます。
一方、大型水車においても、電力系統からの要求で高頻度の起動停止や高速な負荷調整などの柔軟な出力制御を行うためには、水路や管路などの特性を考慮して過渡応答に対応しなければならない場合もあります。
このように、中小型水車・大型水車それぞれで実施する取り組みが,他方にも効果を及ぼすことが考えられるため、受託機関は協力して中小型、大型水車双方に有効な技術体系を構築し、解決に取り組みます。

図4 課題解決策の分類

 

※1「2025年度「電源の統合コスト低減に向けた電力システムの柔軟性確保・最適化のための技術開発事業(日本版コネクト&マネージ2.0)/研究開発項目3-2 水力発電の柔軟性向上のための技術開発」に係る公募について」
https://www.nedo.go.jp/koubo/FF2_100440.html

※2 火力発電機などの発電機は、電気を発生させるために回転子を回転させて発電する。この回転速度が電力系統の周波数と同期している発電機のこと。こうした発電機は、自らの回転子を一定回転に維持しようとする力を持ち、電気的な瞬時の変化に耐えることができ、電力系統の周波数や電圧安定性の維持などの役割を担っている。

※3 水力発電は、河川の流れやダムを利用して水のエネルギーを水車により機械エネルギーに変換し、さらに発電機により電気エネルギーに変化する発電システムである。その水のエネルギーを得る方式は、運用上、「流れ込み式」、「調整池式・貯水池式」、「揚水式」に分けられる。このうち揚水式を除くものを一般水力発電と言う。

※4 水力発電所で発電に使いきれなかった水が水槽や調整池から流出する状態。放水口や下流河川の水位上昇をもたらす。

※5 フランシス水車:水の圧力と速度をランナ(羽根車)に作用させる構造の水車。広い範囲(10~300メートル程度)の落差で使用できる。
軸流水車:水が羽根車の中を常に回転軸に平行に流れるようにできている水車。落差が小さく流量が多い地点に適している。
クロスフロー水車:フランシス水車と同じで、水の圧力と速度を利用する。クロスフローとは水がランナを交差し流れることを意味している。

※6 入力が変化した際に、出力が新しい定常状態に落ち着くまでの一時的な動きや変動のこと。

※7 水圧が低下した部分では低温でも水が沸騰し発生する水蒸気の微小な気泡。圧力が増加してキャビテーションが消滅する際には局所的・非常に短い時間に高温高圧となり、金属表面を削る現象はキャビテーション壊食と呼ばれる。

※8 水車を通過した水がランナ下流の吸出し管内を回転しながら流れる状態。圧力脈動や振動・騒音、エネルギー損失の増加をもたらす。

※9 水車の中で水圧と速度を利用して回転する羽根車。

※10 単位有効落差で単位出力を発生させるために必要な1分間当たりの回転速度。

分子の「長さ」で光の性質を自在に制御

著者: contributor
2026年1月30日 12:30

分子の「長さ」で光の性質を自在に制御
~世界最長クラスのキラル発光ヘリセン分子の系統的合成に成功~

発表のポイント

  • キラルならせん状分⼦である「ヘリセン」を、分⼦の⻑さを揃えて系統的に合成する新⼿法を確⽴しました。
  • 窒素原⼦を含むヘリセン(7〜15環)を2⼯程で合成し、それらの有機溶媒への良好な溶解性と⾼い熱安定性を明らかにしました。特に15環体は、これまでに光学分割されたヘリセンとして世界最⻑クラスに相当します。
  • 分⼦が⼀定の⻑さを超えると、円偏光発光の増大の仕方が大きく変わる「臨界⻑」と呼ばれる転換点が存在することを発⾒しました。
  • 次世代の円偏光発光(CPL)材料設計における新たな指針となり、⾼度な光情報処理技術を⽀える円偏光発光材料への展開が期待されます。

近年、キラルな光である円偏光(Circularly Polarized Light:CPL)は、⾼輝度液晶ディスプレイの光源や、次世代の光情報通信、量⼦・スピンエレクトロニクスなどへの応⽤が期待されており、円偏光発光材料として機能する有機分⼦の開発が強く求められています。なかでも、芳⾹環がらせん状に連結したヘリセン分⼦※1は、円偏光発光材料として注⽬されてきました。
しかし、ヘリセンの従来の合成法では市販試薬から多⼯程を必要とする場合が多く、合成の煩雑さや低収率が、⾼次ヘリセン研究の⼤きな障壁となっていました。また、ヘリセンは⽐較的⼤きな円偏光発光異⽅性因⼦※2(glum値)を⽰す⼀⽅で、蛍光量⼦収率(ΦF)※3が低いことが多く、発光材料としての実⽤化を妨げる要因でした。
阿南⼯業⾼等専⾨学校の⼤⾕卓(おおたにたかし)准教授、上⽥康平(うえだこうへい)准教授、早稲⽥⼤学理⼯学術院の呉 ⾬宸(ごうしん)助⼿柴⽥⾼範(しばたたかのり)教授らの研究グループは、容易に⼊⼿可能な原料から2⼯程で分⼦の⻑さが異なる⼀連のらせん状低分⼦有機化合物であるヘリセンを系統的に合成する⼿法を開発しました(図1(a))。本研究では、7環から15環までのヘリセン分⼦の合成に成功し、分⼦の⻑さに応じて円偏光発光特性が⼤きく変化することを明らかにしました(図2)。すなわち、分子の長さが11環付近までは吸収・発光スペクトルが顕著に赤色移動し、円偏光発光の偏り(glum値)も急激に増大します。一方で、それ以上分子が長くなると、これらの変化の仕方が大きく変わることが分かりました。このことから、分子の長さに応じた光学特性の変化に「臨界長」と呼ばれる転換点が存在することを見いだしました。これは、分⼦が⼗分に⻑くなることで、分⼦内部の電⼦状態が三次元的に再編成されることを⽰しています。本成果は、分⼦の⻑さを設計変数として円偏光発光特性を制御できるという、新しい分⼦設計指針を提⽰するものです。

図1.(a) テトラアザ[11]ヘリセンを例とした本研究で開発した2段階合成法と(b)ヘリセンの鏡像異性体の構造

 

図2.テトラアザ[7]〜[15]ヘリセンの分子構造と、分子の長さに応じた蛍光波長、蛍光量子収率(ΦF)および円偏光発光の異方性因子(glum値)

 

将来的には、⾼輝度液晶ディスプレイ⽤偏光光源、三次元ディスプレイ、光情報通信、セキュリティ材料など、⾼度な光情報処理技術を⽀える機能性有機材料への展開が期待されます。
本成果は、Wiley-VCH 社が発⾏する国際的化学学術誌Angewandte Chemie International Editionに掲載され、特に重要性と独創性の⾼い論⽂として“Hot Paper”に選出されました。

これまでの研究で分かっていたこと

キラルな光である円偏光(Circularly Polarized Light:CPL)は、⾼輝度液晶ディスプレイの光源や、次世代の光情報通信、量⼦・スピン光学技術などへの応⽤が期待されており、円偏光発光材料の開発が強く求められています。なかでも、芳⾹環がらせん状に連結したヘリセン分⼦は、不⻫※4中⼼を持たずに強いキラル光学応答を⽰すことから(図1(b))、円偏光発光材料として注⽬されてきました。

しかし、ヘリセンは環数が増えるにつれて合成が急激に困難になることが知られており、特に10環式以上の⾼次ヘリセンでは、合成⼯程数の増加、低収率、溶解性の低下などが⼤きな課題でした。そのため、これまで報告されてきた⾼次ヘリセンの多くは、個別に設計された合成法によるものであり、分⼦の⻑さだけを系統的に変えた⽐較研究はほとんど⾏われていませんでした。

また、ヘリセンは⽐較的⼤きな円偏光発光異⽅性因⼦(g値)を⽰す⼀⽅で、蛍光量⼦収率が低いことが多く、発光材料としての性能には限界があるという課題もありました。特に⾼次ヘリセンでは、分⼦サイズが大きくなるとともに⾮放射失活の増⼤し、発光効率が低下する傾向が指摘されていました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究グループは、10環式以上の⾼次ヘリセンを効率よく合成でき、かつ分⼦⻑と光学特性の関係を体系的に検証できる合成基盤の確⽴を⽬指しました。そのために、含窒素芳⾹環を組み込んだ新しいヘリセン⾻格に着⽬し、簡潔で拡張性の⾼い合成戦略の開発に取り組みました。

本研究では、容易に⼊⼿可能な原料を基盤として、共通の前駆体からわずか2⼯程でヘリセン⾻格を構築する合成戦略を採⽤しました。この⼿法により、7環から15環まで、分⼦の⻑さのみが異なる⼀連のテトラアザヘリセンを系統的に合成しました。得られた化合物について、紫外可視吸収、蛍光、円⼆⾊性(CD)、円偏光発光(CPL)測定を⾏うとともに、理論計算(TD-DFT)による解析を組み合わせ、分⼦⻑と光学・キラル光学特性の相関を詳細に検討しました。さらに、1H-NMRスペクトル解析により、分⼦内部の構造変化についても検証しました。

その結果、7環から15環までのテトラアザヘリセンが、有機溶媒に対する良好な溶解性と⾼い熱安定性を有していることが明らかになりました。特に15環体は、これまでに光学分割されたヘリセンとして世界最⻑クラスに相当します。

光学特性の解析から、分⼦の⻑さが11環付近を境に、吸収・発光スペクトルはほぼ変化がなくなる⼀⽅で、円偏光発光特性が急激に増大する「臨界⻑」が存在することを⾒いだしました。最⻑の15環体では、⾼い蛍光量⼦収率と⼤きな円偏光発光異⽅性因⼦が同時に実現され、円偏光発光性能(CPL brightness)は既存のヘリセン系化合物を⼤きく上回る値を達成しました。

さらに理論計算の結果から、この特性向上は、分子が十分に長くなるにつれて、電子遷移に関与する遷移双極子モーメント(μe)と磁気遷移双極子モーメント(μm)の相対的な配向関係が次第に整い、円偏光発光に有利な条件へと最適化されていくことに起因することが分かりました(図3)。

図3.理論計算により得られた分子長に伴う遷移双極子モーメントの配向変化 分子が長くなるにつれて、電気遷移双極子モーメント(μₑ)と磁気遷移双極子モーメント(μₘ)の相対配向が整い、円偏光発光に有利な条件が形成されることを示している。

 

研究の波及効果や社会的影響

本研究は、分子の「長さ」という非常に単純な要素が、光に対する挙動を大きく左右することを明確に示しました。これにより、これまで経験や試行錯誤に頼ることの多かった光機能性分子の設計が、確度の高い予見性をもって進められる研究へと変わる可能性を示しています。

さらに、本研究で用いた合成戦略は、容易に入手可能な原料を基盤としている点に特徴があります。このことは、特殊な試薬や複雑な前処理を必要とせずに同様の分子群を構築できることを意味しており、研究の再現性や拡張性を高めるとともに、他の研究分野への展開も容易にします。その結果、本成果は有機合成という基礎研究にとどまらず、幅広い研究者が利用可能な基盤技術としての波及効果を持つと考えられます。

このような知見と合成基盤は、光の性質を精密に制御する必要のあるディスプレイや光通信などの分野において、材料開発の効率化や高性能化につながる成果と位置づけられます。また、「構造を少し変えるだけで性質が大きく変わる」という考え方は、化学分野にとどまらず、ものづくり全般に共通する設計思想としても意義を持ちます。したがって本研究が示したアプローチは、将来的に新しい光技術や情報処理技術を支える材料開発の考え方に影響を与える可能性があり、基礎研究が社会へとつながることが期待されます。

課題、今後の展望

本研究で確⽴した合成⼿法は、さらに環数の多い⾼次ヘリセンや、他のヘテロ原⼦を含むらせん状分⼦にも適⽤可能です。今後、分⼦設計の⾃由度をさらに拡張することで、円偏光発光特性に優れた新規有機材料の創製が期待されます。将来的には、⾼輝度液晶ディスプレイ⽤偏光光源、三次元ディスプレイ、光情報通信、セキュリティ材料など、⾼度な光情報処理技術を⽀える機能性有機材料への応⽤が⾒込まれます。

研究者のコメント

本研究チームでは、10環を超える高次ヘリセンが合成上の大きな壁となってきたことを踏まえ、まずは確実に合成できる基盤を築くことから研究をスタートしました。今回、その合成基盤を確立したことで、分子の長さと光学特性の関係を体系的に調べることが可能となり、新たな知見を得ることができました。本成果は、今後の分子設計や材料開発につながる第一歩であり、広い視野を持って研究を発展させていきたいと考えています。

用語解説

※1 ヘリセン分子
複数の芳香環(ベンゼン環など)が、らせん状に連結した構造をもつ有機分子の総称。分子自体がねじれた形をしているため、鏡像関係にある2種類(右巻き・左巻き)が存在し、不斉(キラリティ)を示す。キラル光学特性、特に円偏光発光材料として注目されている。

※2 円偏光発光異方性因子(g値)
分子が発する光のうち、右回りと左回りの円偏光成分の偏りの大きさを表す指標。値が大きいほど、円偏光としての「偏り」が大きいことを意味する。円偏光発光材料の性能を評価する際に広く用いられる数値である。

※3 蛍光量子収率
分子が光を吸収した後、どれだけ効率よく光として放出するかを示す指標。吸収された光の数に対する、放出された蛍光の割合で表され、値が1に近いほど「よく光る」ことを意味する。

※4 不斉
物体や分子が鏡に映した像と重ね合わせることができない性質のこと。右手と左手の関係が代表例であり、この性質を持つものを「キラル」と呼ぶ。不斉な分子は、光や生体分子との相互作用において特有の性質を示す。

キーワード

ヘリセン分子、円偏光発光(CPL)、キラル分子、分子設計、光機能性材料

論文情報

雑誌名:Angewandte Chemie International Edition
論文名:Tetraaza[7]–[15]helicenes Synthesized by Two-Step Strategy: Length-Controlled Chiral π-Systems Exhibiting Amplified Circularly Polarized Luminescence
執筆者名:Takashi Otani1,Yuchen Wu2, Kohei Ueda1, Yuki Ikeda1, Yuna Tada1, Natsuna Kinoshita1, and Takanori Shibata2*
1:阿南⼯業⾼等専⾨学校
2:早稲田大学理工学術院
掲載日時:2026年1月9日
掲載URL:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41509001/
DOI:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41509001/
*:責任著者

研究助成

研究費名:科学研究費 基盤研究(C) 課題番号:22K05087
研究課題名:強い円偏光を発する⾼次ヘリセンの短⼯程合成法の開発
研究代表者名(所属機関名):⼤⾕ 卓(阿南⼯業⾼等専⾨学校)

研究費名:早稲田大学特定課題研究
研究課題名::”Synthesis of High-order Polyazahelicenes via Hypervalent Iodine Reagents-Intermediated Consecutive N–H/C–H Coupling”
研究代表者名(所属機関名):呉 ⾬宸(早稲田大学)

YbN 合金化により AlN 薄膜の熱伝導を大幅抑制

著者: contributor
2026年1月28日 14:21

🤖 AI Summary

**概要(日本語)**

- **研究目的・成果**
早稲田大学の研究チームは、アルミニウム窒化物(AlN)薄膜にイッテルビウム窒化物(YbN)を合金化することで、結晶構造を保ったまま熱伝導率を劇的に低減し、ガラスに匹敵するレベル(≈ 1 W/(m·K) 以下)を実現した。

- **主な発見**
- Yb と Al のイオン半径・質量の不整合(ionic mismatch)が、5 THz 以下の低周波フォノン伝搬に「異常」な振る舞いを引き起こし、従来の点欠陥散乱モデルを超える格子再構成を生むことを明らかにした。
- Yb 濃度が増すほど低周波フォノンの速度が逆に増大し、熱拡散率がほぼ一定に保たれるという新しい熱輸送機構が確認された。
- 実測では、単結晶 AlN の熱伝導率 320 W/(m·K) が、YbN 合金化により 0.98 W/(m·K) 以下にまで低下。これは同系統の (Sc,Al)N 合金(最低でも 3 W/(m·K))を大きく上回る低値である。

- **使用した手法**
機械学習ポテンシャルを用いた平衡分子動力学シミュレーションと、準調和グリーン–久保(Green–Kubo)法による熱輸送モード分解を組み合わせ、従来の半経験的モデルでは説明できなかったフォノンダイナミクスを解明。

- **社会的・産業的インパクト**
- 結晶性を保ちつつガラス並みの超低熱伝導を実現できるため、長期安定性が求められる断熱材料(電子デバイス、化学反応炉など)への応用が期待できる。
- 成膜はマグネトロンスパッタリング等の既存プロセスでスケーラブルに行えるため、エネルギー効率向上を目指す産業システムの基盤技術となり得る。

- **今後の課題**
Yb のコスト・資源問題、既存デバイスプロセスとの整合性など実用化に向けた検証が必要。さらに、本手法を他の窒化物系やセラミックス材料へ拡張し、人工的な「フォノングラス」材料群の創出を目指す。

- **論文情報**
- 雑誌:*Acta Materialia*(2026年1月1日公開)
- タイトル:*Tailoring thermal transport in (Sc,Yb)AlN thin films to the glassy limit*
- 研究費:科学研究費 基盤研究(B)課題 25K01296(高次モード ScAlN エピブラッグ反射器を用いたマイクロセンサ)

この研究は、結晶材料におけるフォノンエンジニアリングの新たな化学設計指針を示すとともに、超低熱伝導結晶薄膜の実用化への道を開く重要な成果です。

YbN 合金化により AlN 薄膜の熱伝導を大幅抑制
~熱伝導率をガラス極限まで低減~

発表のポイント

  • AlN薄膜をYbN と合金化することにより、結晶構造を保持したまま熱伝導率を劇的に低減し、ガラスに近い熱伝導率を実現しました。
  • YbとAlのイオン半径およびイオン質量の不整合という化学的要因により、AlN 合金の熱伝導をガラス極限近傍まで低減できることを解明しました。これは、結晶材料におけるフォノンエンジニアリングの新たな化学設計指針を提示します。
  • 以上より、ガラス並みの低熱伝導率を持ちながら結晶構造を維持できるAlN膜は、構造変化が起こりにくい断熱材料として、長期安定性が求められる産業用途への応用が期待されます。

熱的な絶縁材料は、温度を安定に保つために重要な役割を果たし、産業設備や電子デバイスなど幅広い分野で利用されています。従来、結晶周期性を持たないガラス材料は、低い熱伝導率を示す断熱材料として知られていますが、長期使用や高温環境では構造安定性に課題がありました。一方、結晶材料は一般的に構造的に安定であるが、ガラス並みに熱を通しにくくすることは困難でした。結晶構造がありながら、超低熱伝導特性を同時に実現できれば、熱遮断結晶層として熱輸送を選択的に制御する新たな材料プラットフォームを提供できます。
早稲田大学理工学術院の賈軍軍(じゃ じゅんじゅん)教授、早稲田大学理工学術院の柳谷隆彦(やなぎたに たかひこ)教授らの研究グループは、広く産業利用されている材料であるアルミニウム窒化物(AlN)をイッテルビウム窒化物 (YbN) と合金化することにより、AlNの結晶構造を保持したまま、その熱伝導率をガラス状態に迫るレベルまで劇的に低減できることを新たに見出しました。このような超低熱伝導特性は、長期にわたり安定した温度環境が求められる多くの産業用途において極めて有用であり、電子デバイスや化学反応炉における断熱材料などへの応用が期待されます。
本研究成果は2026年1月1日に「Acta Materialia」に公開されました。

これまでの研究で分かっていたこと

AlN をベースとする三元系窒化物合金は、高周波(RF)デバイス、パワーエレクトロニクス、ならびに耐摩耗性保護ハードコーティングといった先端技術分野において中核的な材料であり、その性能および信頼性は熱伝導率の大きさやその制御のあり方に強く依存しています。一般に高出力デバイスでは、稼働時の温度上昇を抑制するため、高い熱伝導率を有する散熱材料が求められます。一方で、温度を保持するなど特定の機能を活用する応用においては、熱輸送を抑制する断熱材が必要となります。
しかし、AlN 系合金におけるフォノン輸送機構に関する基礎的理解はいまだ十分とは言えません。これまでの多くの理論研究は半経験的モデルを持っており、高度に不規則化した窒化物合金中における複雑なフォノンダイナミクスを十分に捉えることができていませんでした。その結果、材料設計における予測精度が制限され、物性の協調最適化を伴う効果的な熱マネジメントを実現できていませんでした。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究では、機械学習ポテンシャルを用いた平衡分子動力学シミュレーションと、熱輸送モード分解を行うための準調和グリーン–久保(Green–Kubo)法を組み合わせた最先端の理論手法を用い、従来の古典的モデルでは説明できなかった物理機構を解明しました。
その結果、AlN に YbN を合金化した (Yb,Al)N 薄膜では、従来とは異なる“異常な”熱輸送の仕組みが働いていることがわかりました。具体的には、5 THz 以下の低周波数領域において、熱を運ぶ原子振動の伝わり方が通常の合金材料とは異なる挙動を示します。一般に、合金化を行うと、熱の伝わりは弱くなると考えられていますが、(Yb,Al)N では Yb 濃度が増加するほど、熱を運ぶ振動の速さが逆に高まるという、従来の常識に反する振る舞いが観測されました。この反常な振る舞いにより、5 THz 以下の低周波数領域では熱拡散率がほぼ一定に保たれ、古典的な点欠陥散乱モデルを超える、より複雑な格子再構成が存在することが示唆されます。
また、実験の結果、YbN との合金化により、AlN 結晶の熱伝導率は単結晶 AlN の 320 W/(m·K) から 0.98 W/(m·K) 以下へと大幅に低減することが明らかになりました。この値は、結晶性 AlN 系材料として過去最低レベルであり、ガラス材料に近い断熱性能を結晶構造のまま実現した点が大きな特徴です。一方、広く実用化されている (Sc,Al)N 合金では、最も低い場合でも熱伝導率は 3.03 W/(m·K) にとどまります。この大きな差について、YbとAlイオン半径の大きな不整合(ionic mismatch)が熱を遮る性能を最大化する重要な設計要因であると示唆しました。これらの知見は、イオンサイズや質量など化学的な不規則性を有する窒化物合金における熱輸送に対して、新たなパラダイムを確立するものであります。

研究の波及効果や社会的影響

本研究では、AlNに低コストなYbNを合金化することで、結晶構造を維持したまま、ガラスのような超低熱伝導率を実現することに成功しました。この成果は、セラミックス合金材料中の化学的不規則性を精密に設計することで、結晶性セラミックス合金において、従来は困難であった超低熱伝導特性を達成できる可能性を示しています。この新たな化学設計手法は、次世代圧電デバイスにおける高度な熱マネジメントのための重要な材料設計指針を与えることが期待されます。さらに、これらの結晶性窒化物セラミックス合金薄膜は、マグネトロンスパッタリングなどの既存成膜手法により、容易かつスケーラブルに作製可能です。そのため、この新たな化学設計手法および関連製造プロセスは、高エネルギー効率を実現する産業システムの基盤技術として、電子デバイスやエネルギーシステム分野において、広範で深い社会的波及効果をもたらすことが期待されます。

課題、今後の展望

本研究では、広く産業利用されている材料であるアルミニウム窒化物(AlN)を YbN と合金化することで、AlNの結晶構造を保持したまま、その熱伝導率をガラス状態に迫るレベルまで劇的に低減できることが成功しました。一方、本研究は主に基礎的な物性解明に焦点を当てたものであり、実用化に向けてはいくつかの課題が残されています。例えば、Ybを含む材料系におけるコストや資源制約、ならびに既存デバイスプロセスとの整合性について、今後さらに検討が必要です。今後、今回得られた知見を基に、AlN に限らず他の窒化物材料や関連セラミックス材料への展開も視野に入れつつ、合金組成やプロセス条件の最適化を進めることで、人工的なフォノンガラス材料群の創出及び断熱結晶材料設計・開発に関する新たな指針を確立し、将来的な社会実装への展開を目指します。

研究者のコメント

熱を通しにくい材料は、エネルギーの無駄を減らすためにとても重要です。今回、材料の結晶構造を保ったまま、ガラスのように熱を通しにくい材料を実現できました。身近な電子機器から将来の省エネルギー技術まで、幅広い分野で役立つ材料につながると考えています。

用語解説

※1 窒化物合金
窒素を共通アニオンとし、複数の金属元素が同一結晶格子の陽イオンサイトを占有する固溶体材料であり、結晶構造を維持したまま多様な物性制御を可能とする材料群である。

※2 フォノンエンジニアリング
物質の結晶構造、化学的不規則性、欠陥、界面設計などを通じてフォノンの分散、散乱、輸送機構を制御し、所望の熱物性を実現する手法である。

論文情報

雑誌名:Acta Materialia
論文名:Tailoring thermal transport in (Sc,Yb)AlN thin films to the glassy limit
執筆者名(所属機関名):Ziyan Qiana、Guangwu Zhanga、Zhanyu Laib、Ayaka Hanaib、Yixin Xua、Guang Wanga、Yang Lua、Jiaqi Gua、Yanguang Zhoua、Takahiko Yanagitanib、Junjun Jiab,c
a:香港科技大学
b:早稲田大学 理工学術院 先進理工学研究科
c:早稲田大学 理工学術院 国際理工センター
掲載日時:2026年1月1日
掲載URL:https://doi.org/10.1016/j.actamat.2025.121767
DOI:https://doi.org/10.1016/j.actamat.2025.121767

研究助成

研究費名:科学研究費 基盤研究(B)
課題番号:25K01296
研究課題名:高次モードScAlNエピブラッグ反射器を用いたマイクロセンサ
研究代表者名(所属機関名):柳谷 隆彦(早稲田大学)

体温で自動的に展開する血管ステントを開発

著者: contributor
2026年1月22日 14:43

体温で自動的に展開する血管ステントを開発

発表のポイント

  • 本ステントは、冷却した状態では細く折り畳まれた形状を維持し、体内の所定位置まで安全に搬送できます。目的部位に到達した後、体温(約37℃)によりあらかじめ記憶させた拡張形状へ変形するため、外部からの加熱操作は不要です。
  • 4Dプリント技術により、患者ごとの血管形状に合わせた設計が可能です。複雑な血管にもなじみやすく、ずれや過度な圧迫を抑えることが期待されます。
  • 動物実験により、体内環境下での安全性およびステントとしての機能発現を確認しました。これにより、血管内治療への医療応用に向けた非臨床段階をクリアしています。
  • 本技術は、ステント留置手技の簡略化を可能にし、治療時間の短縮や手技に伴うリスク低減を通じて、低侵襲な血管治療に貢献します。その結果、医師および患者双方の負担軽減が期待され、次世代の血管治療や個別化医療への展開が見込まれます。

血管が狭くなる病気の治療では、体内で広がる「血管ステント※1」が使われていますが、従来は高温での加熱や複雑な操作が必要で、患者や医師の負担が課題でした。

早稲田大学理工学術院梅津 信二郎(うめず しんじろう)教授、東京大学医学部附属病院の廣瀬 佳代(ひろせ かよ)医師らの研究グループは体温と同じ37℃で自動的に広がる血管ステントを新たに開発しました。4Dプリント※2技術を用いることで、体内に入ると自然に元の形に戻り、外部から加熱する装置を必要としません。血管の形に合わせた設計も可能で、低侵襲で安全性の高い治療につながります。動物実験でも体内での機能と安全性を確認しており、次世代の個別化医療への応用が期待されます。

本研究成果は、2026年1月15日(木)に『Advanced Functional Materials』に掲載されました。

これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)

血管が狭くなる病気の治療では、世界中で血管ステントが広く使われてきました。金属製や高分子製のステントは、血管を内側から広げ、血流を回復させる役割を果たします。従来のステントは、バルーンで広げたり、高温で形を戻したりする必要があり、患者への負担が課題でした。また、高温を使う方法では、周囲の組織を傷つけるおそれがあり、医師の操作も複雑になります。

近年、形を記憶する材料や3D・4Dプリント技術が登場し、体内で形が変わる医療機器の研究が進んできました。しかし、体温と同じ温度で安全に作動し、実際に体内で使えることを示した例は限られていました。

今回の新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、そのために新しく開発した手法

血管が狭くなる病気の治療では、血管内にステントを入れて血流を回復させますが、従来はバルーンで広げたり、高温で形を戻したりする操作が必要でした。このため、患者や医師にとって身体的・技術的な負担が課題となっていました。

本研究では、体温と同じ37℃で自動的に広がる血管ステントの実現を目指しました。研究グループは、体内環境そのものを利用して作動する仕組みに着目し、4Dプリント技術を用いて、時間とともに形が変化する血管ステントを開発しました。

図1:血管ステントの作動イメージの概要図

図1(e)に、本研究で開発した血管ステントの作動イメージを示します。カテーテル内では細く折りたたまれた状態で血管内に挿入され、体内に到達すると、体温(37℃)によって自然に元の形に戻り、血管を内側から支えます。この仕組みにより、外部から加熱する装置を用いる必要がなくなります。

本研究の重要な点は、作動温度が体温付近になるよう精密に調整した材料設計です。材料の組成を工夫することで、高温を使わず、安全な温度条件下で確実に形が回復することを可能にしました。図1(f)は、37℃の環境下で、時間の経過とともにステントが元の形に戻っていく様子を示したものです。短時間で確実に展開することが分かります。

さらに、4Dプリント技術を用いることで、血管の太さや形状に応じた設計が可能となりました。複雑な血管にもなじみやすく、過度な圧迫や位置ずれを抑えることが期待されます。実験では、体温条件下での確実な自動展開を確認しました。また、動物を用いた試験においても、体内で安定して機能し、安全性に問題がないことを示しました。

これらの結果から、本研究で開発した血管ステントは、低侵襲で安全性の高い新しい血管治療につながる可能性を示しています。

研究の波及効果や社会的影響

本研究で開発した体温作動※3型の血管ステントは、治療手技の簡略化につながる可能性があります。外部から加熱する装置を必要としないため、医師の操作負担を軽減し、治療時間の短縮や医療現場の安全性向上に寄与すると考えられます。

患者にとっては、低侵襲医療※4の考え方に沿った治療が期待されます。過度な拡張操作を避けられることで、術後の痛みや合併症のリスクを抑えることにつながる可能性があります。

また、4Dプリント技術を用いることで、血管の太さや形状に合わせた設計が可能となり、個別化医療の実現に向けた基盤技術となります。これは、高齢化が進む社会において、多様な患者に対応できる医療技術として重要な意味を持ちます。

学術的には、体温という穏やかな条件で作動する材料設計と4Dプリント技術の組み合わせは、血管ステントにとどまらず、他の医療用デバイスへの応用も期待されます。体内環境を利用して機能する医療機器の研究を進めるうえで、新たな方向性を示す成果といえます。

課題、今後の展望

本研究では、体温で自動的に広がる血管ステントの基盤技術を示しましたが、臨床応用に向けてはさらなる検討が必要です。現段階では、動物を用いた試験による安全性評価にとどまっており、長期間体内に留置した場合の挙動や、実際の血管環境における影響については、今後詳細な検証が求められます。

また、血管の部位や病状によって求められるステントの特性は異なるため、さまざまな条件に対応できる設計の最適化が課題となります。耐久性や分解の進み方などについても、用途に応じた調整が必要です。

今後は、より実際の治療環境に近い条件での評価を進めるとともに、医療現場のニーズを取り入れた改良を重ねていく予定です。これにより、安全性と有効性の両立を目指します。

将来的には、本研究で確立した体温作動型の設計思想と4Dプリント技術が、血管ステントに限らず、他の医療用デバイスにも応用されることが期待されます。体内環境を活用して機能する医療機器の開発が進むことで、より患者に優しい治療の選択肢が広がる可能性があります。

研究者のコメント

血管治療を、より安全で患者さんに優しいものにしたいという思いから研究を進めてきました。体温だけで自然に広がるステントは、治療の負担を減らし、医療現場の選択肢を広げる可能性があります。今後も実用化を見据え、現場に役立つ医療技術の開発を進めていきたいと考えています。

用語解説

※1 血管ステント:
血管が狭くなった部分に入れ、内側から広げて血流を保つための医療用器具。心臓や脳などの血管治療で広く使われている。

※2 4Dプリント:
3Dプリントに「時間による形の変化」という要素を加えた技術。環境の変化に応じて、作製した物体が自ら形を変えることができる。

※3 体温作動(37℃):
人の体温と同じ温度条件で作動すること。本研究では、外部から加熱することなく、体内環境だけでステントが広がる仕組みを指す。

※4 低侵襲医療:
手術や治療による体への負担をできるだけ小さくする医療の考え方。痛みや回復期間の軽減が期待される。

論文情報

雑誌名:Advanced Functional Materials
論文名:Adaptive 4D-Printed Vascular Stents with Low-Temperature-Activated and Intelligent Deployment
執筆者名(所属機関名):Yannan Li(早稲田大学)、Yifan Pan(早稲田大学)、Chikahiro Imashiro(東京大学)、Chaolun Xu(早稲田大学)、Jianxian He(早稲田大学)、Jingao Xu(早稲田大学)、Kewei Song(早稲田大学)、Ze Zhang(早稲田大学)、Chen Gao(東南大学)、Junbo Jiang(華南理工大学・広州第一人民医院)、Runhuai Yang(安徽医科大学)、Kayo Hirose(東京大学医学部附属病院)*、Shinjiro Umezu(早稲田大学)* *責任著者
掲載日時:2026年1月15日(木)
DOI:https://doi.org/10.1002/adfm.202521468
掲載URL:https://advanced.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adfm.202521468

研究助成

研究費名:科学研究費助成事業 挑戦的研究(萌芽)(JP24K21600)
研究課題名:リアルタイム汗測定を行うための生物模倣したマイクロ流路の開発
研究代表者名(所属機関名):梅津 信二郎(早稲田大学)

研究費名:科学研究費助成事業 基盤研究(B)(JP23K26069)
研究課題名:汗生理学構築のためのリアルタイムモニタリングシステム
研究代表者名(所属機関名):廣瀬 佳代(東京大学)

研究費名:科学研究費助成事業 基盤研究(B)(JP23K26077)
研究課題名:成熟化した人工心筋細胞組織を対象としたスマート薬効評価システム
研究代表者名(所属機関名):梅津 信二郎(早稲田大学)

初期宇宙で最速級に成長する超巨大ブラックホールを発見

著者: contributor
2026年1月22日 10:10

初期宇宙で最速級に成長する超巨大ブラックホールを発見

約 120 億年前の初期宇宙で、想像を超える速さで成長する超巨大ブラックホール(クエーサー)が見つかりました。早稲田大学や東北大学の研究者を中心とする研究チームは、すばる望遠鏡による観測から、非常に多くのガスを飲み込みながら成長しているにもかかわらず、X線でも電波でも明るく輝く特異なクエーサーを発見しました。これまで同時には起こらないと考えられてきた現象が重なって確認されたことで、超巨大ブラックホールの成長のしくみに新たな視点をもたらす成果です。

図1:超巨大ブラックホールの想像図。中心のブラックホールにガスが降着し、降着円盤やジェットを形成しています。(クレジット:NASA/JPL-Caltech )

 

多くの銀河の中心には、太陽の数百万倍から数百億倍もの質量を持つ超巨大ブラックホールが存在します。ブラックホールは周囲の物質を引き寄せて成長し、その過程で強い光を放ちます(図1)。ブラックホールの周りには、ガスが円盤状に回り込む構造(降着円盤)や、より内側の高温ガス領域、さらに一部の物質が高速で噴き出す「ジェット」が形成されます。そのため、可視光や紫外線、X線、電波など、さまざまな種類の光で観測されます。特に明るいものは「クエーサー」と呼ばれますが、こうした天体がどのように成長し、その母銀河の成長とどのように関連しているのかは、いまだ大きな謎です。

この謎を解く重要な手がかりの1つが「超エディントン降着」と呼ばれる状態です。ブラックホールが物質を取り込む速さ(質量降着率)には理論的な上限がありますが、いくつかの天体ではこの上限を超えた「超エディントン降着」が観測されています。これは、ブラックホールが短時間で急激に大きくなる可能性を示すもので、初期宇宙にすでに巨大なブラックホールが存在していた理由を説明する有力な手段とされています。

早稲田大学の 先進理工学研究科 修士課程の小渕紗希子(所属研究室:理工学術院 教授 井上昭雄研究室)、東北大学の市川幸平准教授を中心とする研究チームは、すばる望遠鏡の多天体近赤外撮像分光装置 MOIRCS(モアックス)を用いた分光観測により、初期宇宙にあるクエーサー周辺のガスの運動を調べ、超巨大ブラックホールの質量を高い精度で測定しました。その結果、「超エディントン降着」段階にあるクエーサーを約 120 億年前の宇宙で発見しました。X線での明るさから見積もると、このクエーサーの質量降着率は理論的な上限値の約 13 倍になります。この換算が正しければ、これまでに観測された同程度の質量を持つ超巨大ブラックホールの中では最も急速に成長している天体が発見されたことになります(図2)。

図2:今回発見された天体(eFEDS J084222.9+001000;赤い星)と過去の観測天体(紫や緑の印)のブラックホール質量(横軸)とクエーサーの光度(ブラックホールの成長率;縦軸)。実線はブラックホールの成長率(質量降着率)の理論的な限界(エディントン限界)を表し、点線はその限界値の 10 倍でガスが降着した場合を表しています。すばる望遠鏡の観測でブラックホールの質量が求められたことによって、本天体がエディントン限界を超えた「超エディントン降着」を示すことが明らかになりました。(クレジット:国立天文台)

特筆すべきは、このクエーサーがX線でも電波でも明るく輝いていることです。これまで、「超エディントン降着」の段階では、高温ガス領域が効率的に冷やされためX線が弱くなり、電波で観測されるジェットも目立たなくなると考えられていました。しかし本研究によって、超エディントン降着にありながら、X線と電波の双方で明るいクエーサーが初めて発見されました。従来は想定されていなかった特異なメカニズムが、このクエーサーに隠されている可能性があります。

研究チームは、極めて明るいX線が観測された理由として、超巨大ブラックホールの成長の勢いが変化している可能性を提唱しています。星やガスの塊との衝突などによって一時的に大量のガスが流入すると、ブラックホールは急激に成長して「超エディントン降着」に入り、その後、元の状態へ戻っていきます。その過程で超エディントン降着と明るいX線放射が同時に現れる可能性が考えられます。今回の天体でも同様の現象が起きているならば、初期宇宙で超巨大ブラックホールの成長が変動を伴いながら進行する過程を初めて捉えたことになります。

また、電波の明るさは、このクエーサーが、母銀河での星生成を抑制しうるほどの極めて激しいジェットを放出していることを示しています。「超エディントン降着」とジェット放射の関係は未解明ですが、今回の発見は、初期宇宙において母銀河と中心の超巨大ブラックホールがどのように影響し合いながら成長するのかを理解する上で、重要な手がかりになるでしょう。

論文の主著者の小渕さんは、「今回の発見は、これまで困難とされていた初期宇宙における超巨大ブラックホールの形成過程を解明することに繋がるかもしれません。今後、このクエーサーにおけるX線や電波の放射機構を探るとともに、まだ見つかっていない類似天体が存在しているのかどうかについても明らかにしていきたいです」と展望を語っています。

本研究成果は、米国の天体物理学専門誌『アストロフィジカル・ジャーナル』に 2026年1月21日付で掲載されました(Obuchi et al. “Discovery of an X-ray Luminous Radio-Loud Quasar at z = 3.4: A Possible Transitional Super-Eddington Phase“)。

すばる望遠鏡は自然科学研究機構国立天文台が運用する大型光学赤外線望遠鏡で、文部科学省・大規模学術フロンティア促進事業の支援を受けています。すばる望遠鏡が設置されているマウナケアは、貴重な自然環境であるとともにハワイの文化・歴史において大切な場所であり、私たちはマウナケアから宇宙を探究する機会を得られていることに深く感謝します。

研究助成

本研究成果は、科学研究費補助金(課題番号:25K01043、23K13154、22H00157)、JST 創発的研究支援事業(JPMJFR2466)、稲盛財団研究助成によるサポートを受けています。

論文情報

雑誌名:THE ASTROPHYSICAL JOURNAL
論文名:Discovery of an X-Ray Luminous Radio-loud Quasar at z = 3.4: A Possible Transitional Super-Eddington Phase
掲載日時:2026年1月21日
DOI:https://doi.org/10.3847/1538-4357/ae1d6d

AIで創薬を効率化する技術を開発

著者: contributor
2026年1月20日 14:54

AIでRNAアプタマー創薬を効率化する技術「RaptScore」を開発
~任意のRNAアプタマーの結合活性を評価する技術で創薬を加速~

発表のポイント

  •  RNAアプタマー※1の結合活性(作用ターゲットへのくっつきやすさ)を、コンピューター上で大規模言語モデル(LLM)※2により高精度に評価する技術「RaptScore(ラプトスコア)」を開発しました。
  • 実験データに含まれない未知の配列や、長さの異なる配列の評価が困難であった従来手法の課題をLLMの活用により克服し、配列を短くしたRNAアプタマーの探索・設計も可能になりました。
  • 本手法により、RNAアプタマー医薬品の開発コスト削減や期間短縮、品質向上が期待されます。

次世代の医薬品として期待されるRNAアプタマーは、タンパク質などの標的に結合する能力を持ちますが、膨大な候補の中から有望なアプタマーを探し出し、さらに医薬品として製造コストも考慮した最適なRNAアプタマーの長さに短く加工する作業は、多大な労力とコストを要する実験に依存していました。
早稲田大学大学院先進理工学研究科博士後期課程の木村(山﨑)晃(きむら やまざき あきら)、浜田道昭(はまだ みちあき)教授および株式会社リボミック(所在:東京都港区、代表取締役社長:中村義一)らの研究グループは、文章生成などに使われる大規模言語モデル(LLM)の技術を応用し、少数の実験データから任意のRNAアプタマーの結合活性を評価できる技術RaptScoreを開発しました。
これにより、従来法では困難だった配列の短縮化や未知の候補配列の評価が容易になり、創薬研究の効率化が期待されます。
本研究成果は、国際学術誌「Nucleic Acids Research」に2026年1月14日に公開されました。
論文名:RaptScore: a large language model-based algorithm for versatile aptamer evaluation

これまでの研究で分かっていたこと

RNAアプタマーは、タンパク質などに結合する核酸分子で、医薬品やバイオセンサーとしての応用が進んでいます。通常、アプタマーは「SELEX法」※3と呼ばれる実験で、配列プールから標的物質に結合するものを選抜して取得します。しかし、SELEX法の実験を行っても、本当に医薬品として有望な配列を見つけ出すことには困難が伴います。
具体的には、実験データ中に何回出現したかの頻度などを指標として評価していましたが、これには「実験データに含まれていない新規配列は評価できない」「配列の長さを変えると評価できなくなる」という課題がありました。特に、医薬品化にあたっては製造コストを下げるために配列を短くする「短鎖化」※4が重要ですが、短くした配列が良いかどうかは、再度実験をして確かめる他なく、開発にあたってのボトルネックとなっていました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法

本研究グループは、実験データに含まれていない配列や、長さが異なる配列も評価できる指標であるRaptScoreを開発しました。DNAの塩基配列を学習できる大規模言語モデルDNABERTをベースに、アプタマー選抜実験(SELEX法)のデータで調整したAIモデルを活用し、対象のアプタマー配列が「どれくらい自然か(結合能を示す可能性が高い配列パターン)」をスコア化する技術です。
本研究の主な成果は以下の通りです。

  • 高精度な活性予測を実現
    実験による結合活性測定(SPR法)の結果と、AIが算出したRaptScoreを比較したところ、高い相関が見られました。これにより、少数の実験データを元に任意の配列の結合力を推定できることが示されました。
  • 「短鎖化」への応用実証
    実験的な検証を介さずとも、RaptScoreが高い値を示すように配列を削ることで、結合活性を維持、あるいは向上させながら、配列長を短くできることを実証しました。元の配列から長さを最大3割ほど削りつつも結合力を維持することに成功しました。
  • 生成AIとの連携による効率化
    同研究チームが開発したRNAアプタマー生成AI「RaptGen」と組み合わせることで、AIが生成した候補配列の中から、実際に実験すべき有望な候補を高確率で選抜できることを確認しました。

研究の波及効果や社会的影響

本成果は、RNAアプタマー創薬に複数の側面から寄与しうるAI技術です。 第一に、製造コストの削減です。化学合成で製造される核酸医薬品は、配列が短くなるほど製造コストが下がり、品質管理も容易になります。RaptScoreを用いれば、コンピューター上で効率的な短鎖化が可能になります。 第二に、開発スピードの向上です。実験をする前にAIで有望な候補を絞り込めるため、実験回数を減らし、効率的に強力なアプタマーを発見できます。 これらにより、がんやウイルス感染症などに対する新しい治療薬や診断薬が、より早く、より安価に社会に届くことが期待されます。

課題、今後の展望

現在のRaptScoreの課題の一つは塩基配列の並びのみを学習しており、RNAが形作る3次元の立体構造の情報は直接的には考慮していないことです。今後は、立体構造の情報も統合することで、予測精度をさらに高めることを目指します。

研究者のコメント

本研究は、熟練研究者が培ってきたアプタマーに関する経験や洞察を補完し、アプタマーの目利きやデザインをデータとAIにより効率化・高度化することを目指すものです。これまで開発してきた生成AI・RaptGenなどとあわせて、次世代の新薬として期待されるアプタマー創薬をさらに加速させる技術となることを期待しています。

用語解説

※1 RNAアプタマー
ターゲット分子(タンパク質など)に強く結合する能力を持つ、短いRNA分子。抗体医薬品に代わる次世代の中分子医薬品として注目されています。

※2 大規模言語モデル(LLM)
大量のテキストデータを学習し、文章の生成や評価を行うAIモデル。本研究では、DNA/RNAの塩基配列(A, G, C, T/U)を言語と見立てて学習させたモデル(DNABERT)を応用しました。

※3 SELEX(セレックス)法
Systematic Evolution of Ligands by Exponential enrichmentの略。膨大な種類のRNAライブラリから、標的物質に結合するものだけを選び出し、増幅させる工程を繰り返すことで、結合力の強いアプタマーを取得する実験手法。

※4 短鎖化
アプタマー医薬品の実用化において、活性に不要な部分を削ぎ落とし、配列を短くする工程。製造コスト削減や副作用低減のために重要ですが、多くの実験的な試行錯誤が必要です。

キーワード

RNAアプタマー、創薬、大規模言語モデル、LLM、AI、RaptScore

論文情報

雑誌名:Nucleic Acids Research
論文名:RaptScore: a large language model-based algorithm for versatile aptamer evaluation執筆者名(所属機関名):木村(山﨑)晃 (早稲田大学), 安達健朗, 中村重孝, 中村義一 (株式会社リボミック), 浜田道昭*(早稲田大学)
*:責任著者
掲載日時:2026年1月14日
掲載URL:https://academic.oup.com/nar/article/54/2/gkaf1480/8425320?guestAccessKey=7b0bb9bc-05b7-44a1-bc03-b25c04e9280c&utm_source=authortollfreelink&utm_campaign=nar&utm_medium=email
DOI:https://doi.org/10.1093/nar/gkaf1480

研究助成

研究費名:JST戦略的創造研究推進事業 CREST「イノベーション創発に資する人工知能基盤技術の創出と統合化」
研究課題名:人工知能技術を用いた革新的アプタマー創薬システムの開発
研究代表者名(所属機関名):浜田道昭(早稲田大学)

研究費名:JST 戦略的創造研究推進事業CREST「イノベーション創発に資する人工知能基盤技術の創出と統合化」(栄藤稔総括)
研究課題名:AIアプタマー創薬プロジェクト
研究代表者名(所属機関名):浜田 道昭(早稲田大学)

研究費名: 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)(25H01310)
研究課題名:生物の免疫反応を手がかりとした撹乱RNAの網羅的探索と特徴付け
研究代表者名(所属機関名):川崎 純菜(千葉大学)

研究費名:科学研究費助成事業 基盤研究(S)(25H00427)
研究課題名:新規翻訳誘導技術を用いた環状RNAの分子設計と応用
研究代表者名(所属機関名):阿部 洋(名古屋大学)

研究費名:科学研究費助成事業 挑戦的研究(開拓)(24K21326)
研究課題名:RNAリインカネーション
研究代表者名(所属機関名):浜田 道昭(早稲田大学)

研究費名: 科学研究費助成事業 基盤研究(A)(23H00509)
研究課題名:RNAを中心とした分子ネットワークに基づく生物学的相分離の俯瞰的・体系的理解
研究代表者名(所属機関名):浜田 道昭(早稲田大学)

研究費名: 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(学術研究支援基盤形成)(22H04925)
研究課題名:先進ゲノム研究解析推進プラットフォーム
研究代表者名(所属機関名):黒川 顕 国立遺伝学研究所)

研究費名: NEDO 量子・古典ハイブリッド技術のサイバー・フィジカル開発事業
研究課題名: 量子・A I次世代創薬
研究代表者名(所属機関名):浜田 道昭(早稲田大学)

光で操る「ナノ温度スイッチ」を実現

著者: contributor
2026年1月20日 14:17

光で操る「ナノ温度スイッチ」を実現
~光の右回り・左回りで熱分布を書き換える~

研究成果のポイント

  • 一般的に、金属の微細構造に光を照射すると、その表面は均等に熱くなる(等温)
  • 本研究では、「窒化チタン」のナノ構造に、右回りまたは左回りの円偏光を照射すると、ナノ構造表面に「全く異なる温度パターン」が現れることを実証した
  • ナノメートル領域の熱を、「光の色」や「偏光」で操る新しい手法として、化学反応の局所的な制御や、微小な液体の流れ・物質輸送を操る新しい技術へと応用することが期待される

ナノメートルサイズの金属構造が光によって加熱される現象は、化学反応の局所制御や医療応用、エネルギー変換など、幅広い分野で注目されています。これまで、金属のナノ構造は、光を当てると表面全体が等温になると考えられてきました。
しかし今回、兵庫県立大学大学院工学研究科の瀬戸浦健仁准教授、東北大学多元物質科学研究所の押切友也准教授、関西学院大学理学部の田村守専任講師、早稲田大学先進理工学研究科の森田賢さん(博士後期課程)および同大学理工学術院の井村考平教授、北海学園大学工学部の藤原英樹教授、国立研究開発法人物質・材料研究機構の石井智チームリーダー、北海道大学大学院総合化学院の藤井優祐さん(博士前期課程)および同大学電子科学研究所の松尾保孝教授、そして大阪公立大学大学院理学研究科/LAC-SYS研究所の飯田琢也教授/所長のグループが実施した共同研究では、「窒化チタン」という材料でナノ構造を作ることで、光の「右回り・左回り」という偏光回転の違いだけで、ナノ構造表面に全く異なる温度パターンが現れることを明らかにしました。
このような温度パターンの切り替えは、ナノスケールでの加熱位置や加熱強度を光だけで制御できることを意味します。これは、化学反応の局所的な制御や、微小な液体の流れ・物質輸送を操る新しい技術につながると期待されます。
本研究成果は、アメリカ化学会の学術誌「Nano Letters」に2025年12月22日付で掲載されました。

研究の背景

金属をナノメートルサイズの微粒子にして光を照射すると、ナノ粒子が光を強く吸収して発熱する「プラズモン加熱」という現象が起こります。多くの金属の中でも、金のナノ粒子は、光から熱への高いエネルギー変換効率を示すことが知られています。図1に、プラスチックボトルに入った金ナノ粒子のコロイド水溶液を示します。金の色は、本来は文字通り「黄金色」ですが、ナノ粒子になると、電子が集団でいっせいに振動する「局在プラズモン」が強く光を吸収するため、図のように鮮やかな赤色を呈します(この溶液中には、数百億個のナノ粒子が分散しています)。これまで金ナノ粒子のプラズモン加熱は、がん細胞の光温熱治療や熱化学反応の局所パターニング、そして局所的な液体の流れ制御への応用が進められてきました。
プラズモン加熱の研究において、ひとつの常識となっていたのが、「光で加熱されているナノ粒子の表面は、完全に等温になる」というものでした。そもそも金は、多くの金属の中でも特に熱の伝導性が良いので、非常に小さなナノ粒子の表面では「温度差が生じるはずがない」とされてきました。

図1. 金ナノ粒子のコロイド水溶液

 

研究成果の内容

本研究グループでは、「ナノ粒子の表面の狙った箇所だけを、光によって選択的に加熱する」ことができれば、新たなブレイクスルーになると考えてきました。

図2. 著者らが作製した窒化チタンの薄膜

 

これを実現する鍵として見出したのが、「窒化チタン」という材料です。この材料は、図2に示すように、金と良く似た黄金色の金属光沢を示すため、ナノ粒子にすればプラズモン加熱に利用可能です。そして最も重要な点は、この窒化チタンの熱の伝導性が、金の1/10以下であることです。熱の伝導性が低い材料でできたナノ構造に光を照射すると、「局在プラズモン」という電子の波の振動パターンが、ナノ構造の表面温度分布にくっきりと転写されるはずであると予測しました。
このアイデアを実証するために、図3の左側に示すように、窒化チタンを材料とする全長 800 nmのS字ナノ構造を、数値シミュレーションによって設計しました(人間の髪の毛の直径が80 μmなので、S字ナノ構造の全長はその1/100です)。このS字ナノ構造にレーザー照射する際に、光の波長や強度は固定したままで、円偏光の回転方向だけを「右回り・左回り」で変えると、図3中央のカラーマップで示されているように、ナノ構造の表面に、「全く異なる温度パターン」が現れることが、シミュレーションで示唆されました。
このシミュレーションを検証するために、半導体の微細加工に用いられる電子線リソグラフィなどの技術によってS字ナノ構造を実際に作製し、レーザー照射による実証実験を行いました。実験では、熱反応によって生成物が形成する「酸化亜鉛の水熱合成」を、このS字ナノ構造へのレーザー照射によって誘起したところ、図3の右側の電子顕微鏡画像に示す通り、シミュレーションと一致する結果が得られました。つまり、窒化チタンという材料を用いることで、光によって「ナノ構造の狙った場所だけを加熱する」ことが可能であることが実証されました。

図3. 窒化チタンのS字ナノ構造への円偏光照射によるナノ構造表面の 温度パターンのスイッチング

 

今後の期待

これまでのプラズモン加熱の常識を打ち破って、「光の色や偏光を変えるだけ」で、ナノメートルという微小領域の温度パターンを自在に造形できることが示されました。この成果は、化学反応の局所的な制御や、微小な液体の流れ・物質輸送を操る新しい技術につながると期待されます。

論文情報

タイトル:Chiral Plasmonic Surface Temperature Switching by Several Tens of Kelvins in Titanium Nitride Nanostructures
著者:Kenji Setoura, Tomoya Oshikiri, Mamoru Tamura, Ken Morita, Hideki Fujiwara, Satoshi Ishii, Yusuke Fujii, Yasutaka Matsuo, Takuya Iida, and Kohei Imura
掲載誌:Nano Letters
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.nanolett.5c05212 (2025年12月22日公開)

謝辞

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費(JP23K04561, JP25H01633, JP22H05131, JP23H01916, JP25K22238, JP25H00828, JP24K08282, JP25H01627, JP23K26518, JP24K21723, JP25H00421, JP23H01927, JP25H01637)、マテリアル先端リサーチインフラ事業(JPMXP1224HK0169)および国立研究開発法人科学技術振興機構(JST, JPMJFR2139, JPMJMI21G1)の支援を受けて実施しました。

海底熱水噴出孔における「深海発電現象」を解明

著者: contributor
2026年1月16日 11:48

海底熱水噴出孔における「深海発電現象」を解明
―チムニーの発達が熱から電気への変換を促進―

発表のポイント

  • 深海の熱水噴出孔に形成される硫化物チムニー(注1が、熱を電気に変える自然の発電装置として働くことを発見しました。
  • チムニーは形成初期には電気を通しませんが、成長すると電気を通すようになり、チムニー内外の温度差によって、電子が海水側へ自然に移動します。
  • チムニー発達に伴う構成鉱物の割合や温度構造の変化によって、深海底に電気エネルギーが供給される仕組みが自発的に生まれます。

概要

深海底の熱水噴出孔では300˚Cを超える熱水が冷たい海水に噴き出し、硫化鉱物や硫酸塩鉱物からなる「チムニー」と呼ばれる柱状の構造が作られています(図1)。これまで、熱水と海水の化学的な違いによって電気が生まれる可能性は指摘されてきましたが、熱水の温度の役割はわかっていませんでした。

東北大学大学院環境科学研究科の岡本敦教授、早稲田大学理工学術院の野崎達生教授らの研究グループは、伊豆・小笠原海域の深海底から採取したチムニー試料について、内部の構造や電気的な性質を詳しく調べました(図2)。その結果、チムニー形成初期には電気を通しませんが、チムニーが成長して成熟するにつれて、鉄や銅、鉛などを含む電気を通しやすい硫化鉱物が、熱水の通り道に沿って膜のように作られることがわかりました。さらに、これらの硫化鉱物は熱を電気に変える性質を持ち、チムニー壁内外の温度差によって、電子が熱水側から海水側へ流れることがわかりました。このことは、チムニーが成長していくある段階で、深海底で自然に発電する仕組みが作られることを示しています(図3)。今後、深海底の生物を支えるエネルギー供給の理解や、噴き出す熱水の熱を利用した発電技術の研究につながると期待されます。

本成果は2026年1月8日、米国地質学会が発行する学術誌Geologyに掲載されました。

研究の背景

日本近海を含む世界の深海底には、300℃を超える熱水が噴き出す場所が数多く存在しています。これらの熱水噴出孔では、電子を放しやすい高温で還元的な熱水が、電子を受け取りやすい冷たく酸化的な海水と接することで、硫化鉱物や硫酸塩鉱物の微粒子が沈殿し、チムニーと呼ばれる煙突状の構造が形成されます。近年、熱水と海水の化学的な性質(酸化還元状態)(注2の違いによって、チムニー壁を通じて熱水から海水に電子が移動する、つまり自然に発電が起こる可能性が指摘されています。

一方、チムニーを構成する硫化鉱物は半導体(注3)であり、半導体の特徴として、熱を電気に変える熱電変換(注4)性能を持っています。これまで熱電材料にはビスマスやテルルなどの希少元素が使われてきましたが、近年は銅を含む天然硫化物が、環境に優しい持続可能な材料として注目されています。深海底のチムニーには、主に銅、鉄、鉛、亜鉛などで構成されるさまざまな硫化鉱物が含まれています。しかし、成長段階や生成環境によってその種類や構造・組織が変化するため、この熱電変換が深海の発電現象にどのように関わるのかは、これまで詳しく調べられていませんでした。

今回の取り組み

本研究では、伊豆・小笠原海域の水深約700-1300メートルにある熱水噴出孔(明神礁カルデラ、明神海丘)から、硫化鉱物や硫酸塩鉱物でできたチムニー試料を採取し、鉱物の構造や電気特性を詳しく調べました(図1A)。海底では、チムニーから活発に熱水が噴き出しており、表面にはカニやゴカイなどが生息しています。今回の測定では、熱水の温度は最大で238℃に達していました(図1B)。一方、熱水活動を終えたデッドチムニーは黒っぽい表面で生物は見られず、内部にはオレンジ色を呈する部分が確認できました。断面を観察すると、チムニーはさまざまな硫化鉱物や硫酸塩鉱物でできていることが分かりました。形成初期の若いチムニーは、バリウム硫酸塩鉱物(重晶石、BaSO4)の平板状結晶が主体で、多くの空隙を持ち、微小な亜鉛の硫化鉱物(閃亜鉛鉱、ZnS)が点在していました(図1C)。形成中期のチムニーは、主に閃亜鉛鉱で構成され、空隙が少なく緻密な構造になります(図1D)。より成熟したチムニーでは、基質部分は閃亜鉛鉱が主体ですが、直径数ミリ~センチメートル規模の熱水流路(空隙)の周りには、銅・鉄・鉛からなる硫化鉱物(黄銅鉱CuFeS2や方鉛鉱PbS)の薄くて緻密な層が形成されていました(図1E, F)。この構造から、チムニーは成長の段階に応じて、まず重晶石などの硫酸塩鉱物が析出し、次に亜鉛の硫化鉱物が沈殿し、さらに内部温度が高くなると銅・鉄・鉛の硫化物が生成していることが示唆されます。

チムニーは、細かな鉱物粒子が混ざった複雑な構造を持っているため、まず、チムニーを構成する代表的な硫化鉱物の鉱物標本について、電気伝導度とゼーベック係数(温度差による熱起電力を示す値)(注5を測定しました(図2A)。その結果、閃亜鉛鉱は電気をほとんど通さないのに対し、黄鉄鉱、黄銅鉱、方鉛鉱は電気伝導度が高く、電子をキャリアとするn型半導体であることが分かりました。同様にチムニー試料を測定すると、重晶石や閃亜鉛鉱が主体の若いチムニーは電気を通さず、成熟したチムニーの熱水流路周りに生成した黄銅鉱や方鉛鉱の層では、電気伝導度が高く、n型半導体であることが確認されました(図2B)。ゼーベック係数はおよそ-40 µV/Kから-600 µV/Kの値を示し、この領域では、熱電変換の性能を示すパワーファクター(注6が5桁以上も高いことが分かりました。

これまでのチムニーの構造と電気特性を合わせて考えると、チムニーは、銅・鉄・鉛などからなる硫化鉱物のネットワークが形成される、特定の成長時期に発電する可能性があることが示唆されます(図3A)。チムニー形成の初期段階では、硫酸塩鉱物が析出した後、閃亜鉛鉱を中心とする構造に変化します。この段階では、チムニー壁は電気を通さないため、熱起電力はほとんど発生しません。しかし、チムニーが成長して熱水と海水が隔てられると、内部温度が上昇し、黄銅鉱や方鉛鉱などが熱水流路周囲に形成されます。これらの層は薄くても、3次元的に熱水流路の表面を膜のように覆うため、大きな温度勾配が生じ、電子を熱水側から海水側に運ぶことができます。例えば、200~300℃の温度差がある場合、熱起電力は10~210 mVに達し、熱水と海水の酸化還元による電位差(約500 mV)に匹敵する大きさです。このような電位差は、チムニー内部で熱水が電子を放出する反応(例:硫化水素が硫黄に変化)や、外側で海水が電子を受け取る反応(例:酸素が水になる反応)を通じて、電気を生み出すと考えられます。つまり、熱起電力が加わることで、チムニーの内と外における熱水と海水の中でそれぞれに起こる化学的な反応を妨げていたエネルギーの壁を越え、電子をやり取りする反応を促進する役割を果たしているのです(図3B)。さらに、チムニーを構成する硫化鉱物の種類は地質環境によって変わるため、沖縄トラフや東太平洋中央海嶺のようにより深く高温の熱水が噴き出す場所では、より大きな発電が起こっている可能性があります。

今後の展開

本研究では、海底熱水噴出孔で形成されるチムニーが、構成鉱物の変化と温度上昇に伴って、成長の特定の時期に自発的に発電することを明らかにしました。チムニーの内側と外側では、電子のやり取りによって、さまざまな有機・無機の化学反応が進むと考えられます。今後は、深海での発電現象がどのような化学反応を引き起こし、深海底の生態系にどのようにエネルギーを供給しているのかを明らかにする研究が期待されます。さらに、今回の成果は、深海底の熱エネルギーを電気に変換する技術開発につながる可能性もあり、深海資源の利用や新しいエネルギー技術の研究に役立つことが期待されます。

図1. 伊豆・小笠原海域の熱水噴出孔のチムニーの産状と鉱物組織。(A)水深1332mの海底で観察される活発に熱水を噴出しているチムニー。(B)海底で熱水の温度計測をしている様子。熱水噴出孔の周辺にカニが生息している。(C)若いチムニーの電子顕微鏡写真。重晶石に富み空隙が多い。(D)閃亜鉛鉱が主体の緻密なチムニー。(E, F)成熟したチムニー試料の断面の写真(E)とその電子顕微鏡写真(F)。熱水流路周りに黄銅鉱に富む層ができている。電子顕微鏡写真の黒色部分は熱水流路(空隙)を示す。

図2. 硫化鉱物とチムニーの電気特性。(A)代表的な硫化鉱物のゼーベック係数。黄鉄鉱、黄銅鉱、方鉛鉱は全て、ゼーベック係数が負の値を持つため、電子をキャリアとするn型半導体であることがわかる。(B)ゼーベック係数の絶対値と電気伝導度の対数プロット。カラー等高線は熱電性能を示すパワーファクターを示している。チムニー形成初期の構成物質(重晶石や閃亜鉛鉱)は電気伝導度が低く、パワーファクターが小さい。チムニーが成熟して、熱水流路周辺に黄銅鉱や方鉛鉱の層ができると電気伝導度が増加し、熱電変換性能が発現することがわかる。

図3. 本研究で示された深海底のチムニーの発達過程と熱起電力による発電現象の仕組み。(A)ステージ I : チムニーの初期過程において硫酸塩鉱物からなる析出物ができる。Sステージ II:チムニー壁が形成され、まず、亜鉛の硫化鉱物が富む。ステージ III:さらに温度が上昇すると、導電性の高い黄鉄鉱や方鉛鉱からなる層が熱水流路周りに形成され、熱起電力による電子の流れが発生する。ステージIV:熱水活動が止まると温度勾配がなくなり熱起電力はゼロに戻る。(B)ステージIIIにおける熱水と海水の電位差と、温度勾配に駆動される発電現象の概略図。還元的な熱水から酸化的な熱水へチムニー壁を介して、熱水側から海水側への電子の流れが発生する。海水側では例えば、酸素が電子を受け取って水に変化する反応が起こると考えられるが、温度差によって発生した熱起電力によって、この反応が進むためには高いエネルギーの障壁を越えて反応を促進させると考えられる。

謝辞

本研究は、東京大学大気海洋研究所の共同研究プログラムの支援により実施されました(R/V Shinsei Maru, JURCAOSS22-16, and JURCAOSS23-06)。日本学術振興会科学研究費助成事業、「挑戦的研究(萌芽)(JP22K18723、JP24K21559)」、「学術変革領域研究(A)(JP22H5109)」の支援により実施されました。

本論文は「東北大学2025年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業」の支援を受け、Open Accessとなっています。

用語解説

注1.
チムニー:海底の熱水活動によって供給された金属元素が、海底面上で硫化鉱物、酸化鉱物、珪酸塩鉱物、硫酸塩鉱物などとして沈殿し、熱水噴出孔の周囲に形成される煙突状の鉱体。

注2.
酸化還元:酸化が電子を手放すこと、還元が電子を受け取ることを示し、それが必ず同時に起こるために酸化還元と呼ばれる。

注3.
半導体:電気をよく通す金属とほとんど通さない絶縁体の中間の性質を持つ材料。電子が主に電気を運ぶ半導体をn型半導体と呼ぶ。

注4.
熱電変換:温度差を直接電気エネルギーに変換したり、その逆に電気から温度差を生み出す技術。

注5.
ゼーベック係数:試料の両端に温度差を与えたときにどれだけ熱起電力(電圧)が生じるかを表す値。この値が大きいほど、少しの温度差でも電圧を生みやすい材料と言える。n型半導体はゼーベック係数がマイナスの値を持つ。

注6.
パワーファクター:温度差を与えたときに、どれだけ大きな電圧が生じ、さらに電気が流れやすいかを示す指標。

論文情報

タイトル:Self-organized thermoelectric conversion systems on the deep seafloor
著者:Atsushi Okamoto*, Misaki Takahashi, Yoshinori Sato, Ryoichi Yamada, Kentaro Toda, Tomonori Ihara, Tatsuo Nozaki
*責任著者:東北大学大学院環境科学研究科 教授 岡本 敦
掲載誌:Geology
DOI:10.1130/G53463.1
URL:https://doi.org/10.1130/G53463.1

眼圧を高感度に無線計測するスマートコンタクトレンズを開発

著者: contributor
2026年1月14日 10:52

眼圧を高感度に無線計測するスマートコンタクトレンズを開発
~緑内障評価に有効であることを実証~

発表のポイント

  • ソフトなコンタクトレンズに歪センサアンテナを搭載することに成功しました。
  • パリティ・時間(PT)対称性共振結合回路と無線式歪センサを統合した新回路によって、従来方式の約183倍の感度(36.333Ω/mmHg)を達成しました。
  • 市販の眼圧計と高い線形相関を確認するとともに(豚眼:=0.93、ウサギ:=0.97)、高い透明性(可視光透過80%以上)と生体安全性を実証しました。
  • 本成果は、健常者(10~21 mmHg)が装着することで、緑内障患者の早期発見に向けたスマートレンズとしての開発につながります。

早稲田大学大学院情報生産システム研究科三宅 丈雄(みやけ たけお)教授アズハリ・サマン次席研究員らの研究グループと山口大学大学院医学系研究科眼科学講座の木村 和博(きむら かずひろ)教授、芦森 温茂(あしもり あつしげ)助教らの研究グループは、導電性高分子(PEDOT:PSS)と接着性高分子(PVA)からなる多層構造抵抗センサと、PT対称性の原理を利用した無線検出器を組み合わせることで、眼圧※1変化に応じた抵抗変化を高いQ値※2で読み取ることに成功しました。

その成果は、6~36 mmHgの眼圧範囲において36.333 Ω/mmHgの感度(従来方式0.198 Ω/mmHgの約183倍)を達成しました。さらに、豚眼を用いたin vitro※3実験およびウサギを用いたin vivo※4実験により、商用眼圧計との間でR²※5=0.93~0.97の高い線形相関が得られ、本センサレンズが長期かつ非侵襲で眼圧をモニタリングできるプラットフォームとして有望であることを示しました。また、透明性(可視光透過80%以上)および安全性(家兎試験およびヒト角膜上皮細胞の生存率90%以上)を確認しました。

本成果は、国内失明原因の第1位である緑内障の早期診断・治療効果モニタリング・在宅管理に貢献する、新しいスマートコンタクトレンズ技術として期待されます。

以上は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)、科研費基盤A、キヤノン財団による助成の成果であり、2026年1月13日(火)に国際学術誌「NPJ Flexible Electronics」に公開されました。

図1:“眼圧を無線で測る”スマートコンタクトレンズ

研究の背景

コンタクトレンズは、屈折異常を矯正して視力を補強するウェアラブルな高度医療機器としての利用が一般的ですが、近年、これらのレンズと電子デバイスを組み合わせることで「視る」から「診る」を実現可能なスマートコンタクトレンズの開発が盛んです。とりわけ、国内失明原因の第1位である緑内障を検出する医療機器の開発は、疾患予防や遠隔在宅診療を実現する点で「健康寿命の延伸」や「医療費削減」への期待が高まっています。さらに、緑内障の患者数*1は、400万人以上(40歳以上の5%、70歳以上の10%)に達しており、その開発は急務と言えます。

図2:コンタクトレンズの機能拡張とその市場規模

眼球内圧力(以下、眼圧と呼ぶ)が上昇することで視神経を傷害し、失明を引き起こす緑内障は、日中よりも夜間に進行することが知られており、病気の進行具合を把握する上で24時間眼圧を計測することが求められています。病院では、ゴールドマン眼圧計などの大型装置を利用して測定できますが、夜間の測定には不向きです。そこで、コンタクトレンズに電子素子を搭載することで24時間計測を実現させるスマートコンタクトレンズの開発が進んでいます。

開発が進む眼圧計測レンズは、レンズ素材が硬くドライなハードコンタクトレンズを使用しているため、装用感が悪く、また、高価であるという欠点がありました。一方、ウェットなソフトコンタクトレンズ上に従来型アンテナ素子を搭載すると、レンズの乾燥により電子部品が基板から剥がれてしまうなどの課題がありました。そこで、本研究グループは、電気メッキを利用したアンテナの微細加工技術によって、無線アンテナの伸縮性を実現し、さらに、アンテナ自身が歪を感知できる最適な構造(形状や厚みなど)を明らかにしました。伸縮性を有する歪センサアンテナは、市販のソフトコンタクトレンズ上に搭載することができます。レンズが乾燥してもセンサ素子が基板から剥がれることはありません。また、アンテナとセンサが一体化したことで、センサの価格を抑えることができました。自宅で計測できるセルフケア商品としての普及が期待されます。

図3:ソフトなコンタクトレンズを用いた眼圧計測を実現

研究の成果

研究グループでは、これまでレンズとメガネ間における無線通信技術(PT対称性共振結合回路※6)の開発に取り組み、涙中糖度を計測する超高感度なバイオセンシングレンズの開発に成功してきました。この実現のためアンテナの形状や材料選定(Mg, Zn, Au, Cu, 合金, カーボンナノチューブ, MXene※7など)に加え、レンズに搭載可能な共振器および検出器などの回路設計、データ解析のためのソフトウェア開発に取り組んできました。

本研究では、コンタクトレンズ側の受動共振回路に対し、読み出し側(受信機)の回路にPT対称性の概念を導入した新しい原理の共振結合回路を用いました。まず従来型の検出器では、70 MHz付近でモードスプリット※8に起因する2つのピークが観測され、帯域幅は約3.5 MHzと広いことに加え、6~36 mmHgの眼圧変化に対して70 MHzにおける抵抗変化はわずか5.94 Ωにとどまっていました。これに対して、負性抵抗素子を組み込んだPT共振結合回路では、損失を能動的に補償することにより、共振ピークの帯域幅は約0.206 MHz、Q値は339.15へと大きく向上し、従来アンテナのQ=15.71と比べて格段に高い共振特性が得られました。豚眼に本スマートコンタクトレンズを装着し、PT検出器で読み出した場合、6~36 mmHgの眼圧変化に伴い検出される実数インピーダンスZ′は−4.5 kΩから−5.59 kΩへと大きく変化し、その絶対値の変化量は従来アンテナの数百倍に達しました。感度で比較すると、従来検出器での0.198 Ω/mmHgに対してPT検出器では36.333 Ω/mmHgを達成しており、約183倍の高感度化に成功しています。さらに、このシステムでは共振周波数がほぼ一定に保たれるため、単一周波数でZ値(リアルタイム成分にインピーダンス)のみを監視すればよく、周波数スキャンが不要である特徴を有しています。ここでは、商用眼圧計(トノメータ)で測定した眼圧値と本研究で開発したセンサレンズから得られた抵抗値の相関を調査したところ、決定係数R²=0.93という高い線形相関が得られ、本システムが豚眼において眼圧を定量的に再現できることが示されました。

さらに、生体眼における連続測定の実現可能性を検証するため、ウサギを用いたin vivo実験を行いました。麻酔下のウサギの眼圧をトノメータで測定したのち、人工涙液を滴下してスマートコンタクトレンズを装用し、PT検出器を搭載させたゴーグルを装着して無線測定を開始しました。その後、前房内にヒアルロン酸ナトリウムを注入することで眼圧を意図的に上昇させ、注入前、注入直後、さらに2日後に再度測定を行い、各時点でトノメータ値とコンタクトレンズ由来の抵抗値の両方を取得しました。各測定は1回あたり10分間実施し、その間の抵抗値変化をベクトルネットワークアナライザで5秒ごとに記録しました。得られたデータをMATLABで解析した結果、ウサギにおけるトノメータ眼圧値とコンタクトレンズ抵抗値の間には決定係数R²=0.97という非常に高い線形相関が認められ、生体眼においても本システムが眼圧変動を精度良くトレースできることが明らかになりました。安全性評価としては、レンズ装着後の流血評価に加え、サーモグラフィを用いた温度分布を測定したところ、いずれの実験における有意な差は見られませんでした。また、ヒト角膜上皮細胞を用いた生体適合性試験においては、24時間および48時間後においても、90%以上の細胞生存率を示すことを確認しました。

研究の波及効果や社会的影響

本研究で開発した高感度スマートコンタクトレンズは、眼圧を連続的かつ非侵襲でモニタリングできる世界でも数少ない技術であり、緑内障の早期発見と進行管理に大きな社会的重要性を有します。従来の眼圧計測では困難であった夜間や在宅での連続計測が可能となることで、病気の進行を左右する眼圧変動を正確に把握でき、患者のQOL向上および失明リスクの低減が期待されます。また、本技術はソフトコンタクトレンズを基盤とするため装用性が高く、セルフケア型医療デバイスとして幅広い年齢層に普及する可能性があります。

さらに、PT対称性を用いた無線高感度計測という本研究の新しい原理は、眼科領域に留まらず、心血管・皮膚・呼吸といった他の生体計測デバイスにも応用でき、次世代ウェアラブル医療機器開発の基盤技術となることが見込まれます。高齢化が進む社会において、医療費削減や遠隔医療の推進にも寄与し、医療DXの実現に向けた重要な一歩となります。また、柔らかい電子デバイス、スマートレンズ産業、バイオセンシング用半導体など周辺産業への展開が期待され、医療・工学・材料分野に跨る新しい市場創出と技術革新の加速につながると考えられます。

今後の展望

今後は事業化に向け、本計測レンズを用いて医学部眼科の先生と共同で臨床試験に取り組みます。そのため、レンズデバイスの試作、レンズ製造、無線検出器を開発して頂ける企業との連携を進めていく予定です。

用語解説

*1:多治見スタディの結果を参照。
https://www.ryokunaisho.jp/general/ekigaku/tajimi.php

※1 眼圧(Intraocular Pressure: IOP):
眼球内部の圧力。正常範囲(おおよそ10~21 mmHg)から大きく外れると視神経障害のリスクが高まり、緑内障の発症・進行と関連する。

※2 共振結合系のQ値:
共振回路における共振のピークの鋭さを表す値「Q」(Quality factor)が大きいほど、共振回路の損失が少ない回路を実現できたと言える。

※3 in vitro:
生体から取り出した細胞や組織などを用いた人工的な環境で実験・測定することを意味する。

※4 in vivo:
生きた生体で実験・測定を行うことを意味する。

※5 線形相関R²:
データのばらつきを回帰直線がどれだけ説明できているかを示す指標で、値が1に近いほど、データの点がほとんど一直線上に並んでおり、強い相関があると判断できる。

※6 PT対称性共振結合回路(Gain-Loss結合回路):
増幅器による“ゲイン”と抵抗などによる“ロス”を対称的に配置して結合させることで、エネルギーの流れが釣り合う特殊な共振状態(PT対称状態)を実現し、高感度な周波数応答や異常な結合特性を得る回路のことである。

※7 MXene(マキシン, M=遷移金属、X=C, N):
二次元構造の遷移金属炭化物・窒化物・炭窒化物の総称。高い導電性や電磁波遮蔽性能を有するため、エネルギー貯蔵、センサ、電子デバイスなど多方面で期待されている。

※8 モードスプリット:
もともと1つの共振周波数をもつ縮退モードが、共振器間の結合や外乱によって複数の固有モードへ分離し、それぞれ異なる共振周波数を示す現象のことである。

論文情報

雑誌名:NPJ Flexible Electronics
論文名:Ultra-Sensitive Real-Time Monitoring of Intraocular Pressure with an Integrated Smart Contact Lens Using Parity-Time Symmetry Wireless Technology
執筆者名:Te Xiao, Hanzhe Zhang, Taiki Takamatsu, Saman Azhari, Atsushige Ashimori,Kazuhiro Kimura, and Takeo Miyake *責任著者
掲載日時:2026年1月13日(火)
DOI: https://doi.org/10.1038/s41528-025-00507-3
掲載URL: https://www.nature.com/articles/s41528-025-00507-3

研究助成

・国立研究開発法人日本医療研究開発機構医療機器等研究成果展開事業(開発実践タイプ)、JP23hma322020
・科学研究費補助金基盤研究A
・キヤノン財団研究助成

マテリアルリザバー性能が向上する電子-イオン混合伝導

著者: contributor
2025年12月19日 09:23

マテリアルリザバー性能が向上する電子-イオン混合伝導
~イオンを積極的に活用したニューロモルフィック分子ネットワークの実証~

発表のポイント

  • 自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT)の化学的な脱ドープにより、電子(ホール)とイオン(プロトン)が同時に伝導キャリアとして働く“本質的な混合伝導状態”を誘起することに成功しました。
  • 電子とイオンが協奏した混合伝導状態を利用することで、マテリアルリザバー素子の性能が向上することを明らかにし、本コンセプトが高性能なマテリアルリザバー素子開発において重要な因子であることを実証しました。
  • 本研究は、イオン(プロトン)伝導を積極的に活用したニューロモルフィック分子ネットワークの設計指針を提示するとともに、次世代の省エネルギーAIデバイスの実現に大きく貢献することが期待されます。

立教大学理学部の永野修作教授、石﨑裕也助教、山形大学理学部の松井淳教授、大阪大学大学院理学研究科の松本卓也教授、三坂朝基助教、九州工業大学大学院生命体工学研究科の田中啓文教授、早稲田大学理工学術院の長谷川剛教授らと東ソー株式会社、山梨大学、香川大学の研究グループは、導電性高分子「自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT、東ソー株式会社よりサンプル提供)(図1a)」※1に着目し、その電気伝導状態を多価アミン(図1b)による化学的な脱ドープ※2によって精密に制御することで、ホール※3とプロトン(水素イオンH+)が同時に伝導キャリアとして働く“本質的なホール–プロトン混合伝導状態”を創出することに成功しました(図1c)。


図1.(a)自己ドープ型ポリチオフェン(S-PEDOT)と(b)脱ドープ分子である多価アミンの化学構造、(c)本系におけるホール-プロトン混合伝導状態を示すイメージ図。(d)混合伝導状態を示す条件にてマテリアルリザバー素子の性能(波形生成タスクの精度)が向上することを示す図。

本研究で見いだされた本質的な混合伝導状態を示すニューロモルフィック分子ネットワーク※4は、近年、神経模倣型のデバイスとして注目されるマテリアルリザバー素子※5に必要な、非線形応答・短期記憶・高次元性といった特性を兼ね備えており、このような混合伝導状態を活用することで、マテリアルリザバーの素子性能を評価するベンチマークタスクの一つである波形生成タスク※6の精度が向上することを初めて実証しました(図1d)。ホールとプロトンが協奏的に働く本伝導メカニズムは、生体に近い省エネルギー動作を可能にする新たなAIデバイス設計指針として期待されます。
なお、本研究成果はWiley社刊行の国際学術誌Advanced Scienceに掲載されます。

研究の背景と発表内容

近年、人工知能(AI)技術の発展に伴い、ChatGPTに代表される生成AIや気象予測など、さまざまなサービスが急速に発展しています。一方、現在のAI技術はソフトウェアベースの演算処理に依存しており、莫大な計算コストや消費エネルギーの増加が深刻な課題となっています。このような背景の中、脳の神経回路で行われる情報処理システムを模倣し、低消費電力かつ高速な学習・演算が期待されるリザバーコンピューティング7が近年注目を集めています。特に、リザバー部位を物理的ハードウェアで実装し、材料そのものに演算を行わせるマテリアルリザバーは、素子構造が比較的単純であることや、低消費エネルギーでの高速な学習・演算が期待されることから近年高い関心を集めています。
これまでに、金属ナノ粒子や有機半導体材料など、主にエレクトロニクスベースの様々な材料系においてマテリアルリザバー素子が報告されており、脳内の神経ネットワーク構造を模倣したネットワーク状の情報伝達経路や非線形の電気特性、短期記憶特性、高次元性といった特性がマテリアルリザバー素子において重要であることが示唆されてきました。プロトンなどのイオン種は生体内ではあらゆる情報担体として重要な役割を担っていますが、電子に比べ質量が大きく、移動度(イオンや電子の動きやすさ)が桁違いに小さいため、情報担体として人工的に利用されることはほとんどなく、イオン–電子混合伝導性の高分子材料であっても主要な伝導キャリアは電子が担っているのが現状です(図2a)。そのため、イオンあるいは電子とイオン両方を協奏的に活用するデバイスの例は極めて限られていました。
S-PEDOTは、その優れた電気伝導特性が報告されています。この高分子材料はリオトロピック液晶性8を示し、ホール伝導部位である高分子主鎖とプロトン伝導部位である高分子側鎖が相分離してラメラ構造9を形成するといった特徴を示します(図1c)。本研究では、S-PEDOT薄膜が形成するホール伝導チャネルに対して多価アミンを用いた化学的脱ドープ処理を行い、ホール伝導度を制御することでプロトン伝導度とのバランスを取り、本質的な混合伝導状態の発現を試みました。
その結果、脱ドープしたS-PEDOT膜は、調温・調湿下における電流-電圧測定と交流インピーダンス測定(微少な交流電圧をかけた際の応答で、内部の状態を解析する手法)から、相対湿度(RH)に応じてホール伝導とプロトン伝導の電気伝導への寄与が可逆的に切り替わることが明らかとなりました。また、RH= 60~80%の条件下において、ホールとプロトンの両キャリアの伝導度が同程度となり、本質的な混合伝導状態となっていることが実証されました(図2b)。加湿に伴うプロトン伝導度の増大は、従来の混合伝導性高分子材料にはないS-PEDOT特有の秩序化したナノ構造(ラメラ構造)に由来するものと考えられます。さらに、調製したS-PEDOT薄膜はリザバー演算に求められる特性(非線形性・短期記憶特性・高次元性)を示すとともに、波形生成タスクやNARMAタスクと呼ばれるリザバー演算におけるベンチマークタスクの検討を行った結果、混合伝導状態が確認されたRH = 60–80%の湿度条件下において、リザバー演算性能が最大となることが明らかとなりました(図1d)。以上より、これらの特性が、ホールとプロトンが協奏的に伝導する混合伝導状態に由来するものであると結論づけました。
本研究は、複数キャリアを活用することで分子ネットワーク型ニューロモルフィックデバイスの性能を向上させる新たなコンセプトを示すものです。将来的には、リチウムイオンなど他のイオン種を導入することで、より複雑で多様な非線形動作を実現する可能性があります。これらのイオン種の活用は、生体に近い情報伝達システムと類似しており、次世代の省エネルギーAI素子の開発につながることが期待されます。

今後の展望

本研究で明らかとなったホールとプロトンが協奏的に働く混合伝導状態は、多様で複雑な非線形応答を、極めて薄い有機薄膜で実装できることを示しています。混合伝導を活用することで、生体神経系に類似した電気化学的応答を材料レベルで再現できる可能性が高まり、より省エネルギーかつ柔軟性の高いニューロモルフィックデバイスの開発が進むと期待されます。

図2.(a)従来の混合伝導性高分子における電子(ホール)とイオン(プロトン)の電気伝導度を比較した図。イオン伝導度は電子伝導度と比較して圧倒的に低いため、主要な伝導キャリアは電子となっている。(b)本研究のアプローチで実証したホール-プロトン混合伝導状態。脱ドープによりホール伝導度を低下させ、加湿によってプロトン伝導度を増大させることで、両キャリア伝導のバランスを取り、本質的な混合伝導状態を達成した。

謝辞

本研究を進めるにあたり、北陸先端科学技術大学院大学 長尾 祐樹 教授には電気計測やイオンの伝導機構において有益なディスカッションを頂きました。また、X線散乱測定においては、信州大学 是津 信行 教授、八名 拓実 博士にご協力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CREST(課題番号:JPMJCR21B5)の支援を受けたものです。また、JSPS 研究拠点形成事業(課題番号:JPJSCCA20220006)、JSPS 科研費(若手研究)(課題番号:JP22K14731、JP25K18082)、天野工業技術研究所2025年度研究助成金の支援を受けて行われました。

用語解説

※1 自己ドープ型ポリチオフェン
一般的な導電性高分子では、電気伝導性を発現させるためにキャリアを供給する添加剤(ドーパント)が必要となる。一方、自己ドープ型ポリチオフェンは、ポリチオフェン骨格にスルホン酸基などのドーパント基をあらかじめ有しているため、外部ドーパントを用いることなく高い電気導電性を示す。

※2 脱ドープ
ここでは、酸化された電気伝導性共役主鎖をもつ高分子に対して、アルキルアミンなどの塩基を添加することで、高分子主鎖を化学的に還元し電気伝導性を低下させるプロセス。

※3 ホール
酸化によって共役主鎖から電子が抜き取られた結果生じる正電荷。この正電荷が高分子主鎖上を移動することで、見かけ上、この正電荷(ホール)が伝導キャリアとして振る舞う。

※4 ニューロモルフィック分子ネットワーク
脳内で見られるニューロンのネットワーク構造やその情報処理システムを人工的なネットワーク構造の分子素子で模倣したもの 。

※5 マテリアルリザバー
リザバーコンピューティング7において、リザバー部を様々な材料系に置き換えたもので、材料そのものに演算を行わせるデバイス。

※6 波形生成タスク
マテリアルリザバー5に入力した信号に対して、材料内部で非線形変換された複数の出力信号を利用し、任意の目標波形(三角波・矩形波・ノコギリ波など)を再構成できるかを評価するタスク。

※7 リザバーコンピューティング
入力層、リザバー層、出力層から構成されており、リザバー部と出力部の間の結合重みだけを学習させるため、計算コストが小さく高速な学習・演算が可能であり、特に、画像パターン認識や音声認識など時系列データを取り扱うのに適している。

※8 リオトロピック液晶性
物質が媒体の濃度変化によって液晶性を示す性質。石鹸などの界面活性剤でよくみられる。

※9 ラメラ構造
界面活性分子などが形成する周期的な積層構造。ここでは、S-PEDOTの電子伝導性主鎖とプロトン伝導性側鎖が相分離することで、規則的に積層した構造をさす(図1c)。

論文情報

掲載誌:Advanced Science
論文タイトル:Utilizing cooperative proton–electron mixed conduction induced via chemical dedoping of self-doped poly(3,4-ethylenedioxythiophene) nanofilms for in-material physical reservoirs
著者:Yuya Ishizaki-Betchaku,* Motoaki Onishi, Tomoki Misaka, Mitsuo Hara, Hirokazu Yano, Hidenori Okuzaki, Jun Matsui, Tsuyoshi Hasegawa, Takuya Matsumoto, Hirofumi Tanaka, and Shusaku Nagano*
掲載日:2025年12月16日
DOI:10.1002/advs.202520270

JST「次世代エッジ AI半導体研究開発事業」に新規採択

著者: contributor
2025年12月16日 14:38

環境循環型3D半導体製造革新と拠点形成を通じた、エッジAI社会を支える超高性能チップ実現へ

学校法人早稲田大学情報生産システム研究科は、国立大学法人横浜国立大学を研究代表者とする研究チームに参画し、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が公募する「次世代エッジ AI半導体研究開発事業」における「テーマ② 3D 集積技術の研究開発課題に採択されました。
※本事業の早稲田大学代表研究者は理工学術院・情報生産システム研究科の馬渡和真教授です。

採択課題情報

・事業名称:環境循環型3D 半導体製造革新と拠点形成を通じた、エッジAI 社会を支える超高性能チップ実現へ
・研究代表機関:横浜国立大学総合学術高等研究院
・研究分担機関:株)レゾナック、東京科学大学、早稲田大学、慶應義塾大学

事業概要

本事業は、クラウド側の消費電力増大という世界的な課題を解決し、エッジ側で高度な情報処理を可能とする革新的なAI 半導体の実現を目指す国家プロジェクトです。本採択課題は、将来のエッジAI 社会に不可欠な小型・高集積化と、地球環境に配慮したサーキュラーエコノミー型製造革新の両立を目標とし、特に以
下の4 つの技術課題に注力し、急速に拡大するエッジAI 市場における日本の競争優位を確立することを目指します。

  1. 環境循環型製造技術の確立:資源効率を高め、廃棄物を最小限に抑える「サーキュラーエコノミー型製造プロセス」の導入を加速し、半導体製造におけるグリーントランスフォーメーション(GX)を牽引します。
  2. チップレットに必須となる高度テスト技術の確立:複雑な3 次元積層(3D 集積)構造の品質と信頼性を確立するため、多層にわたる欠陥を高精度かつ効率的に検出・評価する「高度テスト技術」に取組み、次世代3D 半導体の量産プロセス技術を創造します。
  3. 革新的な冷却技術の開発:高集積化による発熱増大に対応するため、エネルギー効率が高く、極めて効率的な「水冷・マイクロ流路型冷却技術」の研究に取組み、AI 半導体性能向上の可能性に挑戦します。
  4. オープンイノベーション拠点整備:研究成果の社会実装を加速するため、株式会社レゾナック、東京科学大学、早稲田大学、慶應義塾大学をはじめとした関係機関と緊密に連携し、産学官連携の「オープンイノベーション拠点」を整備します。これにより、半導体産業の国際競争力の更なる強化と、実践的な教育を通じた次世代のグローバル人材育成を推進します。

2025年度 JST ASPIREに採択

著者: contributor
2025年12月16日 11:30

国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が募集した先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)で実施する「TOPのためのASPIRE」において、このたび、本学理工学術院の青木隆朗教授の提案が採択されました。

本件は、協力相手国・地域の研究資金配分機関や研究機関などのプログラムで支援を受けている、または支援を受ける予定の研究者と、AI・情報、バイオ、エネルギー、マテリアル、量子、半導体、通信の7分野で国際共同研究を実施する日本側研究者からの提案を募集したものです。「TOPのためのASPIRE」では、7分野で計54件の応募から、青木教授の提案を含む17課題が採択されました。

採択課題

量子分野

  • 応募タイプ
    TOPのためのASPIRE
  • 課題名
    ナノフォトニクスと原子物理学の融合による統合的光量子技術の創成
  • 日本側研究代表者
    理工学術院 教授 青木 隆朗 ※研究紹介映像はこちら
  • 海外参画研究者所属機関
    フランス:トゥールーズ大学(CNRS)、ソルボンヌ大学
    ドイツ:ベルリン・フンボルト大学、ボン大学
    スペイン:カタルーニャ光科学研究所(ICFO)
    米国:パデュー大学、マサチューセッツ工科大学

 

先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)とは

我が国の科学技術力の維持・向上を図るため、政策上重要な科学技術分野において、国際共同研究を通じて我が国と科学技術先進国・地域のトップ研究者同士を結び付け、我が国の研究コミュニティにおいて国際頭脳循環を加速することを目指します。

本事業により、我が国と科学技術先進国・地域との間で、最先端の研究開発につながるネットワークを構築しつつ、次世代のトップ研究者を育成し、その流れを能動的に作り出すための仕組みを構築します。

(ASPIREウェブサイトより)

アルツハイマー病において成体神経新生が減少するメカニズムに新たな知見

著者: contributor
2025年12月12日 10:50

アルツハイマー病において成体神経新生が減少するメカニズムに新たな知見
~モデルマウスを用いた研究で明らかにになった、BMPシグナルの上昇と性差の関連~

発表のポイント

  • 記憶に関連する脳の海馬領域では、新たな神経細胞が生成される成体神経新生※2は加齢とともに減少し、アルツハイマー病患者ではより顕著に低下すること、また、成体神経新生を BMPシグナル※3関連遺伝子が抑制することが知られています。アルツハイマー病モデルマウスの実験において、雄マウスよりも雌マウスの方が、BMPシグナル関連遺伝子の発現が上昇し、記憶形成に有用な成体神経新生が抑制されることが明らかになりました。
  • マウス実験において、BMPシグナルを阻害する薬剤を投与したところ、成体神経新生が改善されることが明らかになりました。また、培養細胞の解析により、女性ホルモンがBMPシグナル関連遺伝子の発現を高めることを確認しました。
  • 以上より、女性ホルモンが関連してBMPシグナルが上昇し、記憶と関連の深い成体神経新生の低下がおきていることが示唆され、性差によりアルツハイマー病の有病率が高い背景の一端を解明しました。

認知機能が低下し、社会生活に支障をきたす認知症は、脳の加齢が大きな原因で、人口の高齢化とともに、その患者数の増加が大きな社会問題となっています。中でもアルツハイマー病が原因として一番多く、アルツハイマー病の病態については不明な点が多いものの、罹患率は女性で多いことが知られており、女性ホルモンとの関連が示唆されています。
脳で新しく神経細胞が作られる成体神経新生において、海馬における成体神経新生は記憶と関連しており、その制御メカニズムの研究が行なわれてきました。加齢とともに、記憶が低下することや、制御の仕組みとしてBMPシグナルが関与していることが知られています。
早稲田大学 理工学術院 大島登志男(おおしまとしお)教授らの研究グループでは、アルツハイマー病モデルマウスAPPNL-G-Fマウスにおける性差に着目した研究を行ない、女性ホルモンが関連して、BMPシグナルの上昇が起こり、記憶に関係する成体神経新生が抑制されていることを明らかにました。
本研究成果は2025年12月12日に「Biology of Sex Differences」に公開されました。

これまでの研究で分かっていたこと

加齢とともに海馬におけるBMPシグナルの上昇が起き、成体神経新生の低下との関連が示唆されており、さらに、アルツハイマー病患者脳ではBMPシグナルの上昇と成体神経新生の低下が関連することは分っていました。しかし、BMPシグナルと成体神経新生の関係について、性差に着目した研究はこれまで行われておりませんでした。疫学的にアルツハイマー病は女性で罹患率が高いことは分っていますが、その原因として女性ホルモンの関与が示唆されているものの、明らかになっていません。性差に着目することで、アルツハイマー病の病態解明につながる可能性があります。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法

本研究では、共著者の一人である西道元理研チームリ―ダーらが開発したアルツハイマー病モデルマウス※1のAPPNL-G-Fマウスを用いて研究を行いました。APPNL-G-Fマウスは、ヒト化したAPP(アミロイド前駆体タンパク質)遺伝子にSwedish変異,Iberian変異,Arctic変異(遺伝性アルツハイマー病の遺伝子変異)をノックイン法により導入した遺伝子組換えマウスで、2~3カ月でアルツハイマー病に特徴的なアミロイド病理が出現します。本研究で解析を行なった6カ月齢では顕著なアミロイド病理が見られました。実験により以下の結果が得られました。
1.海馬において、BMP4,5,6遺伝子の発現が野生型に比べ♀優位にAPPNL-G-Fマウスで上昇していた。
2. 海馬歯状回における神経幹細胞増殖を細胞増殖のマーカーのPCNAを用いて調べた。その結果、野生型に比べ♀優位にAPPNL-G-Fマウスで低下していた。
3. Aペプチドを野生型マウスの脳室内へ注入すると、BMP遺伝子発現の上昇と海馬歯状回の神経新生の低下が認められた。
4. BMP阻害剤により♀APPNL-G-Fマウスで低下していた神経新生が回復した。
5. 培養細胞Neuro2aの培養液にエストロジェンを添加することで、Neuro2a細胞のBMP遺伝子発現が上昇した。
以上の結果から、♀優位なBMP遺伝子発現の上昇がAPPNL-G-Fマウスの海馬で認められ、♀で優位な成体神経新生の海馬歯状回での低下があり、BMP阻害剤で回復したことから、BMPシグナルの上昇が成体神経新生を抑制している可能性が示唆され、女性ホルモンのエストロジェンがBMP遺伝子の発現上昇に関連することが、培養細胞の実験から示唆されました。

図1 主なBMP遺伝子発現のTg-female(APPNL-G-F♀)での上昇

 

6月齢の海馬におけるBMP4-6の遺伝子発現を定量PCR法で調べたところ、WT(野生型)に比べ、Tg(APPNL-G-F)で遺伝子発現が上昇しており、その傾向は♀で顕著だった。

図2 BMP阻害剤(LDN)を用いてBNPシグナル阻害を行なった結果

 

3週間BMP阻害剤を与えた1週間後に(A)、成体神経新生を調べた(B)。増殖細胞のマーカーのPCNA陽性細胞数がBMP阻害剤投与によりTg(APPNL-G-F)でWT(野生型)に比べ、同程度に回復することが分かった(C)。

研究の波及効果や社会的影響

まだ不明な点が多いアルツハイマー病の病態を、性差という観点から行なった研究成果です。

課題、今後の展望

本研究でBMP阻害剤が成体神経新生を改善することを示しましたが、マウスの学習・記憶などに対しての具体的効果を検討することが必要となります。また、アルツハイマー病はアミロイドベータに対する抗体医薬が臨床で使用され始めているが、病気の進行を緩めるところで止めるところには至っておらず、更なる病態解明が必要です。今回、研究に用いたAPPNL-G-Fマウスは、早期にアミロイド病理が再現出来るモデルマウスであり、APPNL-G-Fマウスで得られた知見はアルツハイマー病患者脳でも起きている可能性が高いことから、同マウスを活用した今後の更なる研究が期待されます。

研究者のコメント

本研究チームでは、ヒト疾患の病態解明や治療法の開発を目指しています。今回、人口の高齢化に伴い、大きな社会問題になっている認知症の病態解明に関する研究で新たな知見を得ることが出来ましたが、これは今後の研究に向けた一歩目であり、今後さらに研究を発展させていきたいと考えています。

用語解説

※1 アルツハイマー病モデルマウス
家族性アルツハイマー病家系の遺伝子変異をもつAPPを過剰発現させ、アミロイド病理を再現したモデルマウスが開発されてきたが、過剰発現がもたらす副次的な効果があった。その問題を解決したのがAPPNL-G-Fマウスである。

※2 成体神経新生
成体脳で新しく神経細胞が神経幹細胞から作られる現象で、神経幹細胞の増殖と分化の2つのプロセスがあり、それぞれに関わる分子やシグナル系の研究が行なわれている。海馬歯状回における成体神経新生が妨げられると、学習や記憶が妨げられる。

※3 BMPシグナル
骨形成タンパク質(Bone Morphogenetic Protein)が細胞の受容体に結合して、細胞内でシグナルを伝達する経路です。このシグナル伝達は、発生初期の細胞の分化や、骨、血管、顔面、神経などの形成、維持に重要な役割を果たす。

キーワード

アルツハイマー病、アルツハイマー病モデルマウス APPNL-G-F、成体神経新生、BMPシグナル、性差、定量PCR、エストロジェン

論文情報

雑誌名:Biology of Sex Differences
論文名:Sex-related upregulation of bone morphogenetic protein signaling inhibits adult neurogenesis in APP NL-G-F Alzheimer’s disease model mice
執筆者名(所属機関名):Xingyu Su(早稲田大学), Rina Takayanagi(早稲田大学), Hiroki Maeda(早稲田大学), Toshio Ohshima(早稲田大学)*、Takaomi C Saido(理化学研究所)
掲載日時:2025年12月12日
掲載URL:https://doi.org/10.1186/s13293-025-00799-0
DOI: https://doi.org/10.1186/s13293-025-00799-0
*:責任著者

研究助成

研究費名:科学研究費 基盤研究(C) 課題番号:22K06464
研究課題名:CRMP2リン酸化の神経回路形成および神経再生への役割解明とその応用
研究代表者名(所属機関名):大島 登志男(早稲田大学)

研究費名:早稲田大学特定課題研究
研究課題名:2024年度 アルツハイマー病モデルマウスにおける遺伝子発現変動の解析
2025年度 性差と腸内細菌に着目したモデルマウスを用いたアルツハイマー病研究
研究代表者名(所属機関名):大島 登志男(早稲田大学)

A Quick Visit to the Institute of Global Production & Logistics

著者: contributor
2025年11月18日 16:30

‘Learning Ecosystem’ to Drive Change in the Supply Chain Developed at Waseda

 

Digitalization, globalization and sustainability — and more recently pandemic-driven shifts in economic security, society is undergoing rapid change. Companies’ supply chains are facing an unprecedented era of transformation. Amid this, what can academia do to help restore vitality to Japanese manufacturing and brighten the prospects of the world economy through industry-academia collaboration? Here we introduce a research institute tackling these difficult issues through such collaboration.

Contributing to the “great transformation” of supply chains via academic approaches

──When you say ‘Global Production & Logistics’, what kind of research are you talking about?

OHMORI, Shunichi (Research Director/Faculty of Science and Engineering)

The short answer is supply-chain management for firms, especially in manufacturing: from procuring raw materials, transporting to production sites, managing inventory in warehouses, and delivering to stores — the whole chain. We also include service-operations management combining sales and consumption.

The environment surrounding manufacturing is especially harsh in Japan now, with layers of complex challenges coinciding — for instance, advances in the so-called Fourth Industrial Revolution, the acceleration of sustainability and social business as symbolized by the SDGs, and rising protectionism following globalization. The pandemic laid bare risks of supply-chain disruption, and with geopolitical risk came a forced reassessment of supply networks.

Especially acute in Japan is the issue of labor shortage. In logistics especially, the so-called “2024 problem” triggered concern over declining transport capability as stricter regulations limited overtime for truck drivers. Not only drivers, but white-collar staff in inventory management and demand forecasting are ageing and leaving the workplace, and the reliance on experienced “intuition” and judgement of veteran workers is catching up with the system.

Amid this backdrop, our mission is to analyze those challenges and examine solutions using knowledge from industrial engineering in order to build the next-generation global production and logistics systems that benefit business and society.

──There seems to be a strong expectation from industry for what academia can bring.

I believe so. Japanese manufacturing once had global leadership, but in recent years the changing environment I mentioned has steadily eroded international competitiveness. In our research we’ve engaged in joint studies and dialogues with top management and supply-chain practitioners at representative Japanese manufacturers. In that process, I’ve felt, more than ever, the rising expectations for academic approaches on how to enact transformation and concrete methods.

What I, personally, have felt from working with many companies is: Japanese firms at the site level have extremely high capabilities and the capacity to improve. Their daily operations are already near optimal, and their accumulated knowledge and efforts are globally enviable.

On the other hand, in our field we have a concept called the “Theory of Constraints”. It states a system’s overall performance is determined by its bottleneck. Like a chain is as strong as its weakest link, an organization or a supply chain is often held back by one constraint.

To achieve dramatic reform, you must change the constraint itself. But that affects other departments or other companies, and may even bring temporary chaos or negative impact, so it is by no means easy.

In that context, I believe the source of future competitiveness for companies is to clearly define the “ideal form” and long-term vision of the company, and advance reform with a whole-system optimization perspective — thereby overcoming that wall.

Our institute’s contribution lies in deeply understanding companies’ visions, organizing decisions into scenarios, building mathematical models and algorithms, and then doing simulations. This allows us to quantitatively show “if this decision is taken, what sort of result will emerge”, and we consider this assistance in strategic decision-making for companies with future foresight to be crucial.

Bridging the gap between “theory and reality” through joint research with industry

──What specifically do you do in the management-engineering approach?

For example, in joint research with a nationwide restaurant-chain company, we undertook a project to optimize delivery scheduling to stores. Because multiple stores exist in one region, improving logistics efficiency was the challenge. Previously each store hoped for its own delivery time — one wanted morning, another night — so even neighboring stores might receive two separate deliveries (morning and night) in the same area, which is inefficient. If we relax this constraint of delivering at the time each store demands, and align delivery times, then delivery routes can be consolidated, and fewer trucks can serve them.

Now imagine hundreds of stores in one region. Which stores should have their delivery logistics coordinated to yield the greatest efficiency? We built an algorithm and derived the optimum mathematically from among the vast combinations. By not being swayed by each store’s individual situation but enabling headquarters to take an aerial view and coordinate across them, logistics efficiency improved significantly.

However, a theoretically obtained optimum solution doesn’t necessarily fit the reality of problem-solving. There is always a gap between theory and reality, and it’s important to work with companies to close that gap. For example, if you give maximum consideration to each store’s circumstances, how will transport cost, manpower and time be affected? On the flip side, if you prioritize efficiency, how much burden does that place on the stores? Through such simulations we present several options, and let the company make a judgement.

And not only for delivery: supply chains involve many stages, so by viewing them end to end, if you optimize what used to function separately — different departments and companies — even a small improvement can significantly raise efficiency.

──So it’s research while confronting actual challenges in reality. 

While we often undertake joint research with companies, we first focus on formulating a ‘research question’ from a societal and academic standpoint. We answer that question using scientific methods, and our mission is to connect our findings to problem-solving in society and to creating new value.

Even in joint research we proceed only after the company understands that we’re targeting topics with large societal impact, not just an individual firm’s issue.

Because it is a ‘significant question’, it must be an unresolved problem. An obvious challenge easily solved with existing solutions or methods does not become a research theme. Therefore, in every joint research we’re always facing new challenges, iterating trials and errors, at times experiencing failure together and building up knowledge.

The field of supply-chain is very broad: from operations at the site, through management strategy, to the economy as a whole. It demands multi-layered perspectives. Because the methods and expertise required differ significantly at each layer, we have researchers from a variety of fields participating in the institute.

Also, many practitioners from industry join as research members, bringing awareness of real-world issues and business realities to the discussions. With students also joining these talks among specialists from different disciplines and industries, they don’t just learn theory — they directly experience the complexity of real-world operations and the weight of decision-making, which becomes a great growth opportunity for them.

 

Creating a community where university, industry and students learn from each other

──You have been director of this institute for about three and a half years now. What policy have you taken in your research advancement?” 

Including collaboration with companies and overseas researchers, I’ve kept expanding the network. The institute was originally founded in 2002 by my mentor, Professor Kazuho Yoshimoto, a Professor Emeritus of the School of Science and Engineering, with the theme of strengthening the link between production and logistics for productivity improvement. Over 20 years later the environment surrounding corporate management has changed greatly. I believe we should keep daringly taking on new things and systematizing them.

──What new activities have you begun?

We’ve branched out in many areas, but I’ve placed particular emphasis on building communities of practitioners in production and logistics. We’ve held research meetings for manager-class practitioners, meetings for procurement-executives and for logistics-executives — bringing together top runners active in supply-chain management and introducing the latest academic knowledge to them and getting feedback.

We also emphasize overseas collaboration. We work with experts from industry and academia in the USA, Germany, China, Thailand and other countries, learning at various angles about the transformations taking place on the front line of supply chains.

In the U.S. we’ve learned from many advanced cases of supply-chain management. In the “Supply Chain Top 25” published annually by the research firm Gartner, we talk directly with CEOs of companies that are regulars in the list or in the “Masters” category. We gain the opportunity to learn how they drive supply-chain reform and respond to change.

In Germany we’ve visited cutting-edge factory automation and observed industry policy aimed at structural transformation of manufacturing through digital technology — the so-called “Industry 4.0”. Particularly, systems for data linkage between factories and companies and governance design were very suggestive for thinking about future Japanese manufacturing.

In China we visited Shenzhen, sometimes called the “hardware Silicon Valley”, and through entrepreneurs, manufacturing sites, venture capital and accelerators we learned how ideas take shape and grow into business. Through these on-site visits we aim to understand the manufacturing ecosystem that supports innovation and apply that to the future industrial competitiveness of Japan.

Through this practical knowledge, we don’t just learn theory, but we can also understand management decision-making and organizational transformation approaches that are globally applicable. I feel that knowing best practices around the world is extremely important for Japanese companies confronting challenges, in order to relativize those challenges and explore the next direction of reform.

──You said students also participate in your research activities. Are there results on that front too?

Yes. Facing real challenges that companies face, presenting solutions to people at the front line of operations and receiving feedback — for students it is definitely a large gain. We go on study tours to factories, companies and academic institutes domestically and overseas, and prominent practitioners in this field occasionally drop by unannounced, so I believe the stimulation is significant.

Including that, creating a ‘learning ecosystem’ in the field of supply-chain and service-operations management is my goal. For the university: discovery of new research opportunities and growth of students; for industry: acquisition of the latest theory and securing talent; for students: meaningful learning opportunities and paths to career. If a structure that fulfils each of these needs can be made, that would be ideal.

As a result, I hope Japanese manufacturing will regain strength and once again take the lead in solving global issues.

従来困難だった磁性体の結晶対称性由来の磁区を識別する手法を開発

著者: contributor
2025年11月14日 16:29

従来困難だった磁性体の
結晶対称性由来の磁区を識別する手法を開発

─ 超低消費電力・高速動作素子を実現するスピントロ二クス材料の開発に拍車 ─

発表のポイント

  • 高輝度放射光が生み出す円偏光を用いた共鳴非弾性X線散乱(RIXS)(注1)により、磁区(注2)を識別する新しい磁性体研究手法を開発しました。
  • 第三の磁性体と呼ばれる交替磁性体(注3)テルル化マンガン(MnTe)において、磁区の空間分布を定量的に評価できることを示しました。
  • 本手法は、従来の手法では識別できなかったスピントロニクス(注4)材料の結晶対称性に由来する磁区観測に広く適用されると期待されます。

交替磁性体は全体としての磁化がゼロでありながら、スピンの分極した電子バンドを持つため、スピントロニクス材料として注目されています。交替磁性体の代表例であるMnTeにおいては従来技術では識別が難しい結晶構造の対称性に由来する磁区の存在が詳細な電子状態解明の障害となっていました。

東北大学学際科学フロンティア研究所の鈴木博人助教らの研究グループは、早稲田大学先進理工学部の武上大介博士研究員、大阪公立大学大学院工学研究科の播木敦准教授らとの共同研究により、円偏光を用いた共鳴非弾性X線散乱(RIXS)による新たな磁区識別法を開発しました。本研究では、右・左回り円偏光の散乱強度の差である円二色性(RIXS-CD)(注5)を高精度で検出することで、従来の手法では識別できなかった結晶対称性由来の磁区を区別することに成功しました。今回開発した手法は、スピントロニクス材料の物性解明に寄与することが期待されます。

この研究成果は、米国物理学会が発行する学術誌Physical Review Lettersに2025年11月6日付で掲載されました。また注目論文として、同学会のPhysics Magazine誌で紹介されました。

【詳細な説明】

研究の背景

鉄(Fe)やマンガン(Mn)などを含む磁性体は、イオンがもつ微小な磁石の単位(スピン)が特定のパターンに従って巨視的に整列した状態を持ちます。磁性体の機能は、その整列のパターンと、磁区の配置によって大きく左右されます。磁区は、整列のパターンが一様に持続する領域であり、異なる磁区は情報記録媒体として利用することができます。従来、放射光を用いた磁区構造の識別には、X線磁気円二色性(XMCD)が広く用いられてきました。これらの手法は、主にスピンの向きが揃った強磁性体の磁区を区別することに有効です。

しかし近年、交替磁性体と呼ばれる新たな磁性体が注目を集めています(図1)。交替磁性体は、全体の磁化がゼロでありながら、強磁性体が示すような時間反転対称性を破る特徴的な磁気秩序を示します。具体的には、結晶格子内で入れ子になっている2つの副格子(注6)のスピンが空間回転を伴う対称操作で互いに結び付けられており、その結果として上向き・下向きのスピンを持つ電子の振る舞いに違いが現れます。こうした材料の磁区構造を識別することは、機能発現の根本理解や制御に不可欠ですが、これまでの実験手法では結晶対称性に関連した磁区を区別することができませんでした。

図1. 三種類の共線磁性体の概念図。強磁性体(左)はスピンの向きが揃った状態、反強磁性体(中央)はスピンの向きが相殺する状態。反強磁性体の2つの副格子は空間反転(P)や並進(t)で結びつく。第三の磁性体と呼ばれる交替磁性体(右)もスピンが相殺した状態だが、副格子を結びつけるには空間回転を伴う操作(図の場合は90度回転C4と並進t)を行う必要がある。

今回の取り組み

本研究では、交替磁性体の代表例であるMnTe単結晶を対象に、軟X線領域(MnのL₃吸収端、約640 eV(電子ボルト))における共鳴非弾性X線散乱(RIXS)実験を実施しました。RIXSは、X線が物質中の格子やスピンの集団振動にエネルギーを与えて散乱される過程を観測することで、振動モードのエネルギーと運動量の関係を明らかにできる手法です。今回は特に、右回り・左回り円偏光のX線を用いてRIXSスペクトルを測定し(図2)、それらの散乱強度の差である円二色性(RIXS-CD)を測定しました。

本手法の革新性は、マグノン(注7)励起におけるRIXS-CDが、磁気秩序が引き起こす鏡映対称性の破れに敏感であるという点にあります。図2に示す通り、今回の測定では、X線の入射・散乱角度を精密に制御しながら、試料の方位角(入射面を試料面内で回転させた角度)を変化させてRIXS-CDの角度依存性を調べました。その結果、入射角度に応じてRIXS-CDの強度が変化し、最大強度となる方向が存在することが明らかとなりました(図3)。これは、特定の交替磁区が優勢に存在していることを示唆するものです。

この観測結果を、第一原理電子状態計算(注8)と物質中の電子のふるまいを原子レベルで精密に再現する動的平均場理論(DMFT)に基づく理論シミュレーションと比較したところ、実験と理論が定量的に一致し、測定領域では結晶の回転対称性で結ばれる3つの領域のうち1つが約半分(47%)を占めていることが判明しました。さらに、他の2つの領域もそれぞれ22%、31 %存在することが推定されました。つまり、RIXS-CDの方位角依存性から、磁区の「構成比」を定量的に抽出することに成功しました。

また、今回観測されたRIXS-CDは、時間反転対称性の破れそのものではなく、磁気秩序による「鏡映対称性の破れ」に由来するものであることも理論的に明らかにしました。これは、広く用いられているXMCDが時間反転対称性の破れを検出しているのとは異なります。これはRIXS過程の非エルミート性(粒子の存在確率が保存しない性質)に起因する性質であり、RIXS独自の新しい対称性検出手段であると位置付けられます。

図2. 交替磁性体MnTeに対する円偏光を用いた共鳴非弾性X線散乱の概念図。左・右回り円偏光を持つX線をMnTe単結晶の面直方向から入射し、散乱されたX線の強度の差である円二色性を計測する。様々な面内角度で散乱X線強度を観測することで、MnTeの磁区を識別する。

図3. 異なる面内角度で取得された共鳴非弾性X線散乱スペクトル(上段)。円二色性を現す差分スペクトルの正の部分が赤、負の部分が青で示されている。下段は理論計算による実験データの再現。円二色性の面内角度依存性から、測定点における3つの磁区の分布割合(47%、22%、31%)が算出できる。

今後の展開

RIXS-CDは、強磁性体の磁化の検出に限らず、様々な対称性の破れを高感度に検出できる手法です。今後は、交替磁性体だけでなく、トポロジカル磁性体や、様々な量子物質に適用が期待されます。また、円偏光が持つ角運動量を活用することで、マグノンのカイラリティ(左回り、右回りの非対称性)を明らかにすることもできます。これはカイラリティを持つマグノンの特性を詳細に捉えることが可能となるため、マグノニクス材料の性質の解明にも貢献します。

本研究のRIXS-CD実験は、東北大学で合成されたMnTe純良単結晶を用い、英国の放射光施設Diamond Light SourceのI21ビームラインにて実施されました。同様の分光手法は、東北大学青葉山キャンパスにて2024年より稼働を開始した3GeV高輝度放射光施設NanoTerasu(ナノテラス)においても、より高いエネルギー分解能で既に実現可能となっています。本研究をリードした鈴木助教は、「今回確立した測定手法をNanoTerasuの2D-RIXS分光器を用いてより高精度で行うことで、マグノンなどの集団励起の空間分布を効率的に可視化できます。RIXSは磁気デバイス試料の動作時にも適用可能です。今後は同様の測定手法を応用することにより、スピントロニクスの研究に貢献することが期待されます」と、今後の展望を語っています。

【謝辞】

本研究は、JSPS 科学研究費助成事業(JP22K13994, JP21K13884, JP23K03324, JP23H03817)、Quantum Materials for Applications in Sustainable Technologies Grant No. CZ.02.01.01/00/22_008/0004572、Deutsche Forschungsgemeinschaft under the Walter Benjamin Programme, Projektnummer 521584902の支援を受けて行われました。数値計算の一部は東京大学物性研究所スーパーコンピュータ共有利用(課題番号:2024-Bb-0005)を用いて行われました。共鳴非弾性X線散乱実験はDiamond Light Source利用課題(MM35709)により実施されました。また、本論文は『東北大学2025年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業』の支援を受け、Open Accessとなっています。

【用語説明】

注1.共鳴非弾性X線散乱(RIXS):試料に含まれる化学元素の吸収端に合わせた軟X線を照射し、散乱されて出てくる光のエネルギーを調べる分光法のこと。RIXS はResonant Inelastic X-ray Scatteringの略称。

注2.磁区:物質の中で、イオンがもつ微小な磁石の単位(スピン)が一定のパターンで揃っている領域。

注3.交替磁性体:近年同定された新しいタイプの磁性体のこと。磁石の起源となる強磁性体(全体として磁化を持つ)や反強磁性体(磁化が相殺されゼロになる)とも異なる「第三の磁性体」として注目されている。交替磁性体では、磁化の総和がゼロであるにもかかわらず、強磁性体のような時間反転対称性の破れ(時間の流れの向きを逆向きにしたときに状態が変化する性質)に伴う応答が得られる。その結果、電子のバンド構造のスピン分裂や異常ホール効果が現れるなど、従来の反磁性体にはない性質を持つ。代表的な例としてMnTeの他にルチル型化合物であるフッ化マンガン(II)(MnF2)などが知られている。

注4.スピントロニクス:「スピン」と「エレクトロニクス」を組み合わせた言葉で、電子の持つ電荷とスピンの性質を利用して情報処理や記録を行う技術のこと。電子の電荷のみを利用する従来のエレクトロニクスと比べ消費電力が小さく、高速で動作する電子機器を実現できると期待されている。

注5.円二色性(Circular Dichroism: CD):右・左回り円偏光による吸収や散乱強度の差から、対称性の破れを検出する手法。X線吸収スペクトルの円二色性(X-ray magnetic circular dichroism: XMCD)は磁性体研究に広く用いられているが、今回はRIXSの円二色性を観測した。

注6.副格子:結晶中では、それぞれの原子は並進操作(平行移動)で他の原子と結びついている。この繰り返しの最小単位を単位格子と言うが、ある種の結晶では単位格子の中に複数の同一原子を含む。これを副格子と呼ぶ。

注7.マグノン:磁性体において、スピンの歳差運動(回転運動)が波のように伝わるスピン波を、量子力学的に記述した準粒子。

注8.第一原理電子状態計算(第一原理計算):計算対象となる物質系を構成する元素と結晶構造のみを入力パラメータとし、系の電子状態を計算する手法。

【論文情報】

タイトル:Circular Dichroism in Resonant Inelastic X-ray Scattering: Probing Altermagnetic Domains in MnTe
著者:D. Takegami, T. Aoyama, T. Okauchi, T. Yamaguchi, S. Tippireddy, S. Agrestini, M. Garcia-Fernandez, T. Mizokawa, K. Ohgushi, Ke-Jin Zhou, J. Chaloupka, *J. Kunes, *A. Hariki, and *H. Suzuki
*責任著者:Masaryk University Professor  Jan Kunes
*責任著者:大阪公立大学 准教授 播木敦
*責任著者:東北大学学際科学フロンティア研究所 助教 鈴木博人
掲載誌:Physical Review Letters
DOI:10.1103/512v-n5f9
URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/512v-n5f9

(参考)Physics Magazine誌での紹介記事
タイトル:Mapping Altermagnetic Domains
URL:https://physics.aps.org/articles/v18/s145

プロジェクト研究所ちょっとお邪魔します! グローバル生産・物流コラボレート研究所

著者: contributor
2025年11月12日 13:23

サプライチェーンに変革を起こす 早稲田発「学びのエコシステム」

 

デジタル化、グローバル化、サステナビリティ。さらにはパンデミックに経済安全保障。激動する社会の波を受け、企業のサプライチェーンはかつてない変革期を迎えています。その中で日本の製造業に活力を取り戻し、世界経済を明るく照らすためにアカデミアにできることは何か。産学連携で難題に取り組む研究所を紹介します。 

サプライチェーンの「大変革」に学術的アプローチで貢献する 

──「グローバル生産・物流コラボレート」といいますと、どのような研究が対象となるのでしょうか。 

大森峻一(所長/理工学術院教授)

ひと言でいえば、製造業を中心とする企業におけるサプライチェーン・マネジメント。原材料などの調達に始まり、製造現場への輸送、生産、倉庫での管理、そして販売店への配送といった一連の流れ、すなわちサプライチェーンに関する業務をいかに効率化するかについて研究しています。加えて、販売と消費を合わせたサービスオペレーション・マネジメントも研究対象に入ります。 

製造業を取り巻く最近の情勢は非常に厳しく、さまざまな問題が複雑に絡み合う中で企業は「大変革期」を迎えています。例えば、第4次産業革命などといわれるデジタル化の進展、SDGsに象徴されるサステナビリティへの対応やソーシャルビジネスの加速、グローバリゼーションの果てに巻き起こった保護主義の高まりなど、サプライチェーンに影響を及ぼす課題は山積です。コロナ禍によってサプライチェーンの分断リスクが顕在化し、地政学的リスクに伴い供給網の見直しを余儀なくされる、といったことも起きています。 

日本では特に働き手不足の問題も大きいですね。物流業界では「2024年問題」といって騒がれたように、働き方改革関連法の施行でトラック運転手の時間外労働時間に上限規制が設けられたことで、輸送力の低下が危惧されました。ドライバーだけでなく、在庫管理や需要予測に従事するホワイトカラーの人たちも高齢化などで職場から離れ、ベテランの経験と勘に頼ってきたツケが回ってきています。 

そうした中で、ビジネスと社会に役立つ次世代のグローバル生産・物流システムの構築を目指し、経営工学的な知見を生かして問題の分析と解決策の検討を行うことが私たちの使命です。

──アカデミアが持つ学術的な知見に対して、産業界からの要請や期待が大きいということですね 

そのように思います。日本の製造業はかつて世界を牽引する力を備えていましたが、近年では先ほど挙げたような環境変化により、国際競争力を保つことが次第に難しくなってきました。私たちは研究活動の一環で、日本を代表するようなメーカーの経営陣やサプライチェーンの実務担当者との共同研究や議論を重ねてきましたが、変革の方向性や具体的な方法について、学術的アプローチへの期待値がこれまで以上に膨らんでいることを実感しています。 

私自身、これまで多くの企業の方々とご一緒する中で感じるのは、日本企業には現場レベルで極めて高い能力と改善力が備わっているということです。実際、日々のオペレーションはすでに最適に近い水準で行われており、そこで働く人々の知見と努力は世界的に見ても誇るべきものです。 

一方で、私たちの分野には「制約理論(Theory of Constraints)」という考え方があります。システム全体のパフォーマンスは、“ボトルネック”となる制約条件によって決まるというものです。例えば、鎖の強さが最も弱い輪の強度で決まるように、組織やサプライチェーンも、どこか1カ所の制約条件が全体の可能性を抑えてしまうことがあります。 

飛躍的な改革を実現するためには、この制約条件そのものを変える必要があります。しかし、それは他部門や他社との関係にも影響を及ぼし、ときには一時的な混乱や負の影響を伴うこともあるため、決して容易ではありません。 

そのような中で、企業としての「ありたい姿」や長期的なビジョンを明確に定め、全体最適の視点から改革を進め、この壁を乗り越えていくことこそが、これからの企業の競争力の源泉になると考えています。 

私たちの研究所の貢献としては、そうした企業のビジョンを深く理解し、その実現に向けた意思決定をシナリオとして整理し、数理モデルやアルゴリズムを構築したうえでシミュレーションを行うことにあります。これにより、「もしこのような意思決定を行った場合、どのような結果が生じるか」を定量的に示し、企業が将来を見据えた戦略的な意思決定を行う際の支援を行うことが重要だと考えています。 

企業との共同研究で「理論と現実」のギャップを超える

──経営工学的アプローチというのは、具体的にどのようなことを行うのですか 

例えば、全国チェーンを展開する外食企業との共同研究で取り組んだ、店舗への配送スケジュールの全体最適化プロジェクトがあります。一定のエリアに複数の店舗が存在しているため、いかに物流の効率性を上げるかが課題でした。従来は、店舗ごとに希望する配送時間がまちまちで、ある店は朝の搬入を希望し、別の店では夜間を指定するというような状況でした。これでは、隣り合った店舗であっても朝と夜で同じ地域に2回行く必要があり、効率的ではありません。ここで、店舗の望むタイミングで届けるという「制約条件」を緩和して、配送時間をそろえれば、配送ルートもまとめられ、より少ない台数のトラックで回れます。  

では、一定エリアに数百の店舗があるとして、どの店舗同士の配送を調整すれば最も効率が上がるのか。膨大な組み合わせの中から最適解が得られるよう、アルゴリズムをつくって数理的に導き出します。個々の店舗の事情に振り回されず、本社が全体を俯瞰して調整を図ることで、ロジスティクスの効率が大きく改善するわけです。 

ただ、理論的に得られた最適解が、必ずしも現実の課題解決に使えるとは限りません。理論と現実の間には常にズレがあり、そのギャップを踏まえてどうするかを企業と協働しながら詰めていく作業が重要です。例えば、店舗の事情を最大限に考慮した場合、物流にかかるコストや人員、時間はどうなるか。逆に最も効率性を重視した場合、店舗にどれだけの負担を強いることになるか。そうしたシミュレーションでいくつかの選択肢を示し、企業に判断してもらうのも一つの方法でしょう。 

配送に限らず、サプライチェーンにはさまざまな段階がありますから、その全体を通して見て、従来は別々に機能していた部門と部門を結びつけて最適化すれば、ちょっとの改善で格段に効率を高めることも不可能ではありません。 

──現実に起きている課題を直視しながら研究を進めるわけですね 

私たちは企業の皆様と共同で研究を行うことも多くありますが、あくまで「研究」として、社会的な観点からも学術的な観点からも「重要な問い(Research Question)」を設定することを最も重視しています。 

その問いに対して科学的な手法で答えや解決策を導き出し、その成果を社会における問題解決や新たな価値創出につなげることが、私たちの使命です。共同研究を進める際にも、個々の企業様の課題解決にとどまらず、社
会全体へのインパクトが大きいテーマに取り組むことをご理解いただいたうえで、一緒に研究を進めています。

また、「重要な問い」であるためには、それが未解決問題でなければなりません。既存のソリューションや手法で容易に解決できるような自明な課題は研究テーマとはなりません。したがって、共同研究では常に新しいチャレンジに向き合い、試行錯誤を重ね、ときには一緒に失敗も経験させていただきながら、知見を積み上げていくことを大切にしています。 

サプライチェーンという領域は非常に広く、現場の運用から経営戦略、さらには経済全体の動向まで、多層的な視点が求められます。各レイヤーで必要となる方法論や専門知識も大きく異なるため、研究所には多様な分野の研究者に参画いただいています。 

また、実業界からも多くの実務家の研究員に参加していただき、現場の課題意識やビジネスのリアリティを踏まえながら、研究の社会的価値を高めるための議論を日々重ねています。こうした異分野・異業種の専門家との議論に、学生たちも加わることで、理論だけでなく実務の複雑さや意思決定の重みを直接体験し、大きな成長の機会へとつながっています。

大学と企業と学生が学び合うコミュニティの創出を

──大森先生がこの研究所の所長になられて約3年半。どのような方針で研究を進めてこられましたか。 

企業との連携や海外の研究者との協働も含めて、ネットワークを広げることを念頭に活動してきました。もともとこの研究所が発足したのは2002年、私の恩師である吉本一穂先生(理工学術院名誉教授)が立ち上げ、その名のとおり生産と物流の結びつきを強めながら生産性の向上や物流の効率化を追究することをテーマとしていました。それから20年以上を経て、企業経営を取り巻く環境は大きく変わっています。新しいことにどんどん挑戦し、仕組み化していきたいと考えています。 

──新しく始められたこととして、どのような活動がありますか 

いろいろと手を広げてきましたが、生産・物流に関する実務家の方々とのコミュニティづくりには特に力を入れています。マネージャークラスの研究会、調達系役員の研究会、物流系役員の研究会というように、サプライチェーン・マネジメントの第一線で活躍する各界のトップランナーにお集まりいただき、学術研究にもとづく最新の知見を紹介してフィードバックをいただくといった活動です。 

海外との連携にも力を入れています。アメリカ、ドイツ、中国、タイなど、各国の産業界や学術界の有識者と協働し、サプライチェーンの最前線で起きている変革を多角的に学んでいます。 

アメリカでは、サプライチェーン・マネジメントの先進的な事例を多く学んでいます。調査会社のガートナー(Gartner)が毎年発表する「サプライチェーン・トップ25」では、世界を代表する企業が殿堂入り(Masters Category)として評価されています。私たちは、そうしたガートナーランキングの常連企業や殿堂入り企業の経営者の方々から直接お話を伺い、どのようにサプライチェーン改革を進め、変化に対応しているのかを学ぶ機会を得ています。 

ドイツでは、最先端のファクトリーオートメーションを視察し、デジタル技術によって製造業の構造転換を図る産業政策──いわゆる「インダストリー4.0」の現場に触れてきました。特に、工場や企業間でのデータ連携の仕組みやガバナンス設計は、今後の日本のものづくりを考えるうえで非常に示唆に富むものでした。 

また、中国では「ハードウェアのシリコンバレー」とも呼ばれる深圳を訪れ、起業家、製造現場、ベンチャーキャピタル、アクセラレーターなどを通じて、アイデアがどのように形となり、ビジネスとして成長していくのかを学んでいます。こうした現地視察を通して、イノベーションを支えるモノづくりのエコシステムを理解し、今後の日本の産業競争力に生かすことを目指しています。 

こうした実践知に触れることで、単に理論を学ぶだけでなく、グローバルに通用する経営の意思決定や組織変革のアプローチを理解することができます。世界各地でのベストプラクティスを知ることは、日本企業が直面する課題を相対化し、次の変革の方向性を探るうえで非常に重要だと感じています。 

──研究活動には学生も参加されるとのことですが、こちらも成果が上がっていますか 

そうですね。企業が抱える現実の課題と向き合い、実務の最前線にいる方々に解決策をプレゼンし、フィードバックをもらう。学生にとって得るものが大きいことは間違いありません。研究所主催のスタディツアーで国内外の工場や企業、学術機関などへ視察にも行きますし、この分野で名の知れた錚々たる企業人がふらっと訪ねてこられたりもしますので、刺激は大きいのではないでしょうか。 

そうしたことも含めて、サプライチェーンとサービスオペレーションのマネジメント分野における「学びのエコシステム」を創ることが、私の目標です。大学には新たな研究機会の発見と学生の成長を、企業には最新理論の獲得と人材確保を、そして学生には意義ある学びの機会とキャリアへの道を。それぞれのニーズを満たせる仕組みができたらいいですね。

その結果、日本の製造業が再び強さを取り戻し、世界の課題解決に先導的役割を果たせるようになれればと願っています。 

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