リアル先生としての対談
2020年8月24日 05:36
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、
子供達が休校中にZoomで授業を提供し続けた試みである“おうち先生”の最終回として行われた、“おうち先生”vs“リアル先生”対談。
第一夜と第二夜は、Youtube動画で公開されている。この第三夜として登場したのが、ワタシ。
主宰の小泉君が忙しいらしく、まだ動画公開は先らしいが、お待ちしてます。
主宰の方に本当にお礼をいいます。ありがとうございました、m(_ _)m。
本題は、オンライン授業に対しての反対意見ということであったが、中身は、“ワタシの教育論”とか、“ワタシの高等学校論”みたいなものになってしまった。
長い間、この高校教育界に身を置いて仕事をしているが、「教育論」みたいな話をすることはめったにない。しかも、シラフでやることなどほとんどなかった。アルコールが入って説教じじいに変身すると始めてしまうこともあるけれど、学校現場で話をする機会など、校長先生以外の先生は全くない。したがって、こういう場を提供してくれて、・・・・しかも、まともに聞いてくれて大変ありがたかった。教員稼業って、「まともに話を聞いているくれす対象」が目の前にいると、ついつい、要求されていない話題でも話したくなってしまうのね。
学生諸君(小学校&中学校&高校生限定)、始業式で校長先生の話が長いのは、校長が悪いのではなく、あなた達が真面目に話を聞く態度で臨んでいるからです。露骨につならなそうな態度をとると早く終わります。
ワタシの尊敬する作家(もうずいぶん前にお亡くなりになった)の山口瞳先生は、氏の有名な連載エッセイ『男性自身』のどこかで、・・・・・人間は誰でも、自分の一生を語ると一冊の素晴らしい小説ができあがる。これ以上の素敵な小説はない。したがって、作家の仕事とは、本人では語ることの出来ないディテール(細かな描写)を加えることである・・・・・と書いておられた。
したがって、格好つけて“教育とは何か”と語り初めても、それはただ単純に、自分の一生のどこかでたまたま考えたことを素直に話していただけである。57歳ともなると、どこかで自分の一生を語り続けてみたい、という欲求が存在している。
実は、ワタシは、幸か不幸かずっと長い間(ほぼ教員人生すべて)、学校で唯一無二の存在であった。別に格好をつけて空威張りしているわけではない。高校で教員をやり、しかも、教科「公民」を専門としている立場というのはだいたいが一人しかいないのである。これが、日本史の先生であったり、国語の先生であったりしたら、全く違う生き方をしていただろうし、全く違う考えをもっていただろう。しかも、「公民」という科目は、生徒や親世代にとって一番身近にある教材を使ううもかかわらず、正解のない分野でもある。・・・・・正直言えば、「経済学」という学問は半分嘘つきである。
なので、多くの先生方と思考の組み立て方が違ってるのかも知れない。しかも、ここ数年、センター試験で「倫理・政治経済」が必修扱いされたお陰で、「倫理」とか「哲学」とかを随分勉強した。したがって、頭の中が、構造主義とか、実存主義とか、「神は存在するのか」とか、社会学とか、社会心理学とか、宗教学とかで頭が一杯になっていて、その目線で、「学校の存在」とか、「授業とは何か」とか、漠然とした問いを自答してしまうような、現代用語でいうと・・・・・・めんどくさい奴・・・に成り上がってしまっている。
だから、自分の仕事内容を、「先生は先生だよ」「テストはテストだよ」と言い切るわけにもいかない。
あれやこれやで、土曜の夜に、(たとえひつまぶし、暇つぶしだったとしても)お付き合いしてくださった方々にあらために感謝する次第であります。
主宰の小泉君にいたっては、この機会に乗じて、ワタシのブログをほとんどすべて読み直してくらたらしい(ワタシは一度もやったことがない)。そんな酔挙を実行したのは、後にも先にも、小泉君と、3年くらい前の“県教育委員会の審問官”だけです。ほんとうにありがとうございました。
続き(何の?)はブログで回答するので、読者の皆様(視聴者の皆様)、遠慮せずにコメントください。