ノーマルビュー

転勤します。

著者:tommyjhon
2021年3月20日 05:59
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。


ということで、3/20(土) 庵原球場にいます。

さてと、
昨日の新聞発表で、いよいよ転勤になっていることが公表されました。

拡大したスクショ
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8年間在籍した清水東高校を離れ、伊豆長岡温泉の隣に位置する伊豆中央高校に転勤となりました。
これで、ワタシの教員キャリアは、
下田南定時制(3年)→沼津商業(3年)→長泉高校(8年、29歳から37歳)→富士高校(12年、37歳から49歳)→清水東高校(8年、50歳から57歳)→伊豆中央(残り3年)
となります。これでお判りかと思いますが、伊豆中央高校は決して辺境の地ではなく、昔勤務した思い出の三島田方地区の高校です。
伊豆中央高校は、源頼朝が流罪になった地にはありますが、決して「やらかしての島流し」ではありません。望んだ地への積極的転身です。


静岡県の高校転勤システム複雑怪奇で、公表されている部分と裏の部分がありますので、ここでは詳しく説明できませんが、ワタシは現在57歳で、正規教員としては残り3年となり、転勤するには最後の年齢です。(残り2年とあると転勤出来ません)
また、ちょっぴりと清水東の功労者であると自負しているので、いわば、「フリーエージェント」を行使できる立場でもあったのです。そして、この機会を活かし積極的に転勤を選びました。
もちろん、希望が100%叶うわけではありませんので、行き先は、ほんのつい最近までは知りませんでした。


転勤希望を宣言するにあたっては、消極的な理由と積極的な理由があります。もっと正確に言葉を使えば、ネガティヴな理由とポジティブな理由です。
まずは、ネガティブな理由から記します。


 ワタシは、母校富士高を49歳の時に潮時をと感じて離れ、教員経験上初めて富士川を超えて静岡県中部地区の進学校である、名門清水東高校に赴任しました。1年目は、仕事も少ないでくの坊を積極的に演じていたのでこのままお気楽生活を送ろうと考えていたのですが、1年後に学年主任を命じられ、何も分からないままその学年を率いることになりました。学年主任は前任校で経験していたのである程度の見込みはたったものの、同じ静岡県の進学校といえども、学校というのは、制度や生徒、伝統、職員などなどの要素で雰囲気はガラリと変わります。何とかして人並みの主任を全うしましたが相当なエネルギーを費やした感じがしました。
 学年主任を終えてホットしていると、今度は、教務主任を命じられてしまいました。教務主任という職は、管理職を除いた中間管理職の中においては、学校を統括するとても重要で繊細な作業は必要なポジションです。少なくても「細かな仕事」に関しては到底向いていない。しかも、当時の清水東高校は学校システムにかなりの問題を抱えていたので、その解決にかなりの頭脳を使いました。しかも、世界はどんどんIT化が進み、そのあたりのスキルの全くないワタシは、多くの人に迷惑をかけていたと思います。
 そんな2年間を過ごしていると、今度は進路指導主任(我が校では、進路部長といいます)をやらざるをえない状況が生まれてしまいました。実のところ、最後の学年主任の年からずっと3年部に所属していたため、毎年の進路指導にはそれなりに携わっていたので、その理由から白羽の矢がたったと思われます。
 そしてこの2年間、進路室の片付けからはじまり、多くの時間と労力を清水東の進路指導のために費やしてきました。1年目は、進路部長1年目だからとは思いますが、周囲のサポートが手厚くそれほど苦しくはなかったのですが、このコロナ禍に大揺れした令和2年度は、様々な対応に追われ、その中で、どんどん孤立感が深まり、精神的にどんどん追い込まれて行きました。先生方が悪いのではなく、自分から精神的な落ち込みの泥沼にはまっていったような感じがしました。
 過去に受け持った生徒の中で、「クラスの友達の言葉が、全部、悪口に聞こえる」と漏らし、登校障害に陥ってしまった生徒がいました(無事卒業しています)。時折、その感情を少なからず味わったように思えます。
別に対峙している生徒に原因があるわけでもなく、自分の精神的な疲労が重なっただけだとは思いますが、特に秋頃から2月にかけては、精神的な不健康が続きました。
これが、転勤希望のネガティブな理由です。


 みなさんもうお気づきだと思いますが、「もう疲れた」という言葉で集約させてください。
何に疲れたのか? 一番の理由はオーバフローです。今まで清水東高校で行ってきた仕事は、すべてワタシの小さな頭脳に収まりきれるものではなく、どれもこれも、身の丈以上の重要さでした。だんだん、自分の中で処理しきれない多くの困難に対処しなければなりませんでした。ただし、この困難さは、他の誰かならば普通に処理できる程度のものです。ワタシだから苦しんだのだと思います。


 不思議です、この困難が、もし、「県教委由来」の仕事ならば、むしろ逆にパワーがみなぎりどんなに大変でも力ずくで立ち向かったりできるに、教員の立ち去った進路室のドアの音だけで手や足が震えはじめるのです。


 もちろん、精神的な苦痛を沈めることが出来るプロセスは勉強しています。メンタルトレーニングの世界では、“クリアリングプロセス”といいます。本能的に、そして、後発的な学習によって培われたクリアリングプロセスによってなんとか基本的な精神状態は保つことができました。
その大きな手段が、SNSやブログなのだろうと思います。毎日、朝の4:00から6:00まで、パソコンの画面を見ながら、時折キーボードを打っている時だけは平常心でいられました。
今年、“定年したら長野の別荘に住む”などと騒いでいたのですが、よくよく考えれば、別荘を買いそこに住みたいのではなく、ネットサイトで、別荘の見取り図と周辺データを見ながらあれこれ妄想している時間が好きなだけかもしれません。
なので、現状は普通に元気です。


もちろん、これから意気揚々と我が清水東高校野球部の春季大会1回戦にでかけます。清水東高校になって、運動音痴のワタシが、たった一握り者しかできない、スタジアムのベンチに座ってチームを応援できるなんて、そうすべて清水東高校のお陰です。
さあ、頑張るぞ!(やるのは生徒なのに・・・・・) 








































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