ノーマルビュー

還暦老人長泉高校かるた部を語る

著者:tommyjhon
2024年3月21日 05:39
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommyセンセです。

ということで、今回は長泉高校かるた部のお話。
今はなき、静岡県立長泉高校(静岡県立長泉高等学校 - Wikipedia)は、ワタシが赴任した時に、すでに高校かるた日本一の栄光に2回も輝いていた。
ネット上で詳細な記録がないので、ウィッキからのスクショ
_e0041047_04393707.png
全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会 - Wikipedia

(実は、この大会の30年記念誌はワタシが作成していて、探せばどこかにあるのだけど、見つからない)


ワタシが赴任した最初の年は、1993年(平成5年)で、写真のように大井川高校が優勝し、我が長泉高校(玉沢、大島の代)は決勝で負けた。(全国大会のだよ)
そして、ここまで長泉高校を強くした嶋先生はこの年を最後に長泉高校を去り、(嶋先生の、そしてワタシの)母校、富士高校に転任していった。「ここからは、お前に任せたよ。ワタシは弱体化した母校富士高のかるた部に行くからね」というていで去って行った。
「まあ、不安がないこともないが、やるしかない」と長泉高校かるた部を率いることになった。スクショでもお分かりのとおり、この当時は、「静岡県が高校かるた王国」であって、静岡県で優勝していれば全国大会で勝つことが出来た。ライバルは、富士高、大井川高校で、この大井川高校を率いていたのが、名伯楽竹中先生だ。ワタシのライバルと言っていいが、年齢的には4歳上の方で、名門藤枝東高校から筑波大学を経て静岡県の教員になられた方である。百人一首かるた競技とは筑波大学時代にであったらしい。(体系的にもライバル関係にあった)、この後、静岡双葉高校や浜松北高校が台頭してくるが、それはもう少し先のことである。


 そして、ワタシが単独で率いた初年度も全国大会の決勝まで進出した。(田村・牛田・岩代などが中心選手)でも、またもや決勝で負けた。
次の年(山田瑞枝、村上あやねなどが中心選手)も、全国大会に行ったが、準決勝で大井川に負けた。
つまり、ワタシは勝てなかったのだ。
 そして次の年(1996年)は静岡県予選で負けた。予選を突破したのは嶋先生が新たに顧問となった富士高校で、その富士高校は全国大会でも圧勝した。
この世代は、ワタシが1年生から担任をした世代なのだが、かるた部員がほとんどおらず、朝日孝典君とリントンラスジン君だけが頼りになるという苦しい世代だった。
この頃、「シルバーコレクター」(銀メダル集め)と自嘲気味に言っていたが、人生で一番もがき苦しんだ時である。
 
 競技かるたは、伝統的なスポーツではない。競技かるたとしての正式なルールが確立されたから100年くらいしか経っておらず、その後も、全国各地に愛好者団体が出来るものの、全国的な認知はそれほどでもなかった。それを、ここまで有名にした一翼を、「全国高等学校かるた選手権大会」が担っていると思う。また、全国高等学校文化連盟に加入したことも大きな飛躍を遂げた要因の一つだ。この文化連盟に加盟したことで、インターハイのように全国各地で開催される“全国高等学校総合文化祭”(文化部のインターハイ)で必ず小倉百人一首かるた競技が開催されることになった。


 つまり、この全国大会の開催なければここまでの隆盛なかったことになるが、たかだかマイナー競技の一顧問であったワタシは、この2つの全国大会の主催者となっていく。今かるた部の指導を離れ、(部活指導者としては)ぐうたらな仕事しかしていないが、30代から40代にかけて、この小さな組織を様々なしがらみの中で事務局長として運営してきたことが、学校の中間管理職としての仕事に生きているのだと思う。


 長泉高校の時代には、静岡県高校かるた連盟(のちの静岡県高等学校文化連盟専門部)の事務局長になっていて、組織運営の難しさも学んでいった。
また、競技かるたの選手としてそれほど強くなかったので、どのように練習をすれば強くなるのか?も真剣に研究した。


誰も気が付いていないだろうが、このブログの書き方は、海老沢泰久という作家に似ている(似させている?)
 海老沢泰久 - Wikipedia

また、長泉高校時代、一気に日本のメジャースポーツとなったのがサッカーで、そのサッカーノンフィクションの第一人者は金子達仁だった。
金子達仁 - Wikipedia



 競技かるたといえど、競技に勝つという仕事はいかなるスポーツを超えて不変である。
紹介した2人の作品でワタシは勝つという方法を学んだ。広岡達郎とか、中島悟とか、川口能活とかの思考と思想は、どの競技でも普遍的にただしいのだ。


 長泉高校で苦杯をなめ続けていた時に、かるた部に新入生として入ってきたのが、一藤木さんを中心とする気が強い女学生達である。そして、この次の世代で富田君が入部してくる。この2つの最強世代(だって2連覇したのだよ)を育てたのが、全国大会にも行けなかった朝日先輩である。
一藤木さんの世代は、富士高校も強く(暁星高校や島根県益田高校も強かった)、全国大会には行ったものの優勝は難しいだろうと周囲からは見られていた。最大の心配は、外山という監督であって彼は日本一になったことがない。


 ところが、この長泉高校かるた部は、全国選手権の準々決勝で富士高校を破り、準決勝で暁星高校を破り、決勝で益田高校も破り、あっという間に優勝してしまった。
そして次の年も富田君や水野君を中心にまたもや優勝してしまった(準優勝は富士高校)。
あれほど、勝つことに飢えていたワタシと長泉高校かるた部は、なぜか、もう一度優勝旗を奪回していたのであった。
単純な理由は生徒に恵まれたことであって、この時は2世代にわたって超高校級の選手がそろったのだ。


 この絶頂期、だんだん競技かるた以外のことも忙しくなっていく。
次回は、長泉高校時代の部活以外の話です。(離任式までに連載が終わるかどうか心配になってきた)














❌