ノーマルビュー

還暦老人清水東高校時代を語る

著者:tommyjhon
2024年4月29日 09:20
全国の毒舌ファンの皆様おはようございます。Tommyセンセです。

 ということで、息子の事情(その年の夏は熱くなるぞ!!!!!!)と、全国事務局を9年もやって辟易していたことと、ちょうど3年の学年主任の任務が終わったこと、などのタイミングが合って、堂々と転勤希望を書き、堂々と表明した。管理職との面談では転勤に関しての好感触を得ていた。管理職には上の事情をすべて伝えた。この時の校長は裏切るような人ではないし、自分は優先順位No1の功労者であると自負していた。管理職からは、「どうだい、地方の高校で3年くらい勤務してみる気はあるかい?」という不思議なお誘いをうけたこともあった。これは、望んで地方の学校に行った人間は、若手が多いその学校の中間管理職に就きながら3年間を過ごし、その任務が終わった暁には管理職(教頭)に昇格させるよ。という、いかにも公務員ぽい人事なんだろう。ワタシは、第一の理由である息子の事情によって、即座に断った。地方から草薙球場に毎回足を運ぶなんて面倒くさい。


 第2の理由は、自力で解決ししなければならない。要するに全国事務局長の後任探しだ。全国にも声かけて見たけれど誰も引き受け手がいない。(それはそうだろう。面倒くさいのだから)、そんな中、ワタシの富士高校百人一首部時代1代上、浜松北高校の加藤先生が引き受けてくれた。加藤先生も凄い先生で、浜松北高校にかるた部を創設し数年で全国選手権で優勝させてしまった。しかも、静岡県内で行われた、全国国民文化祭やねんりんぴっくなどのイベントも仕切り、県内事務局長もさらさらとやっていた。国語の先生でITにも通暁していて、公認読手の資格も得ているスーパーティーチャーである。ワタシは、加藤先生の一年後輩だから、困ったときはいつも甘えていた。
 その加藤先生が事務局長の仕事を引き受けてくれたので、一番重い肩の荷がおりた。しかし、その加藤先生も実は転勤で、かるた部のない磐田南高校に移るという。加藤先生は、そんなことを一言も口にせずに、ワタシのお願いを引き受けてくれたわけだ。百人一首競技かるた業界で、加藤先生は一番の恩人である。今でも加藤先生には甘えてしまう。(他の先生は、何かと理由をつけて引き受けてくれなかった)


 もう一つ、競技かるた業界には悩みがあった。富士高校百人一首部の後継顧問問題である。ワタシが育ったこの部活、栗栖先生が創部してから12年間は栗栖先生が指導して下さった。栗栖先生が去られた後も、富士高校は日本一の称号を10年間維持していた。しかし、その後は群雄割拠の時代となり、百人一首競技かるたの裾野も広がり、指導者がいないとなかなか強豪校のレベルは維持できなくなっていった。栗栖先生にとっても高校の指導者を育てるのは悲願だったと思う。そんな中で、富士高校百人一首部からは、嶋先生・加藤先生・飯田先生(長泉高校や沼津東高校を指導)、そしてワタシなどが高校の教員として戻ってきた。
 自分が富士高校百人一首部の顧問となってからも、全国優勝もしたいが、部活の顧問を作るのも大きな目標の一つであった。この当時、富士高のOGの一人が、筑波大学を経て静岡県西部地区で国語の教員をしていた。現顧問の稲葉絵美先生である。彼女が、スタンバイをしてる状況であったので、ワタシの転勤と同時か、一年遅れくらいのタイミングで富士高校に戻ってくれるだろうという状況にはなっていた。


 本日の最後の話題。この百人一首業界が全国で急激に人気をつかむようになったのは、漫画『ちはやぶる』が連載されたからである。我々のような昔からの業界人間でさえ、『ちはやぶる』人気にあやかった。
その漫画『ちはやぶる』には、ライバル高校が存在し、それは静岡県の藤崎高校だという。どう考えても、富士高校のことだ。
事実、アニメ化された時に、富士高がモデルであったことがアニメ内で証明されてしまう。
【聖地巡礼】ちはやふる-富士編- : 週末ひとり旅 (livedoor.jp)

↑このブログで検証してみる。
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藤崎高校の最寄り駅の絵、どう考えても、身延線竪堀駅じゃろ!!!!! 電車通学する富士高生が一日2回必ず見る風景である。
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富士高の正門とそっくり。まるで写真。
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正面から見る学校の全景も、まるで写真。


ところがだ、この本格的競技かるた漫画『ちはやぶる』連載当時、富士高校の顧問は、ワタクシ外山先生である。ここまで、富士高校に似せる(寄せる)のならば、当時の顧問はこのような先生でなければならない。
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藤崎高校のかるた部顧問が、こういうキャラクターだったら、漫画『ちはやぶる』は、日本だけでなく世界的な大ヒットになったはずなのだ。しかし、『ちはやぶる』の漫画では、
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こうなっていた。桜沢翠(みどり)先生だという。


ワタシは、百人一首の業界からやんわりと否定されていた。
業界から、「『ちはやぶる』にかるた業界の発展を託す以上、富士高校の顧問は若くて美人でなければ困るのだ」と言われていたのだろう。



そうか、これが引き際なのだ。


なみに、ワタシが転勤して一年後、待望の稲葉絵美先生が転勤されて富士高校顧問となった。ちなみに、彼女はこの様な先生である。
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(画像は、フェイスブックのプロフィールから拝借、本人公認の似顔絵だ)
さらば、富士高。


そして、転勤の内示があったその夜、元富士高校野球部監督で、今は母校清水東の監督をしていた、あの八木道政(あえて敬称略の呼び捨て)から、一本の電話がかかってる。転勤に関して、外部から一番早く電話をくれたのは、やはり八木先生だった。ワタシを野球部顧問として拾ってくれたのである。


 さて、いよいよ清水東高校編に移ります。








 


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