新しい大学
🤖 AI Summary
新設された武雄アジア大学とコインノベーション大学について、著者は以下の点を指摘しています:
1. 両校とも定員割れや少人数で入学式が行われており、地方都市の衰退が明らかです。
2. 対話型学習を重視している一方で、これら大学は私立でありFランとして認識されている。
3. 大学全入時代となった現在、有名大都市の大学に進学しやすい環境があるため、地方の大学に進む学生数は限定的であると指摘。
さらに著者は:
1. 課題解決型学習の有効性に疑問を持ち、実質的には学問を重視する姿勢が重要であると主張。
2. 教員養成課程も「学問」ではなく、将来的には廃止される見込みだと述べている。
3. 将来の日本のため、基礎的な技術力を育てる単科大学の設置を提案。
これらを通じて、著者は地方都市における教育政策の在り方について考え直す必要性を強調しています。
1. 両校とも定員割れや少人数で入学式が行われており、地方都市の衰退が明らかです。
2. 対話型学習を重視している一方で、これら大学は私立でありFランとして認識されている。
3. 大学全入時代となった現在、有名大都市の大学に進学しやすい環境があるため、地方の大学に進む学生数は限定的であると指摘。
さらに著者は:
1. 課題解決型学習の有効性に疑問を持ち、実質的には学問を重視する姿勢が重要であると主張。
2. 教員養成課程も「学問」ではなく、将来的には廃止される見込みだと述べている。
3. 将来の日本のため、基礎的な技術力を育てる単科大学の設置を提案。
これらを通じて、著者は地方都市における教育政策の在り方について考え直す必要性を強調しています。
ということで、静岡県では一部のコアな高校教員しか注目していないだろうが、この4月に2つの地方私立大学が開校した。
一つが、
武雄アジア大学公式サイト (たけお、と読む)
で、
もう一つは
【公式】 Co-Innovation University (ColU、コーアイユー)
だそうだ。
武雄アジア大学は、強烈な定員割れで大きなニュースになった。
武雄市の武雄アジア大学 初めての入学式 定員140人に対し1期生は37人(FBS福岡放送) - Yahoo!ニュース
どちらも、対話型の学びを重視し、地域の活性を創り出す人材育成を目指している。元、普通科高校教員として気になるのは、公立大学か私立大学かの分類で、両方とも私立大学だそうだ。公立大学となると、普通科高校の合格実績に繋がるのでかなり注目する。
例えば、旭川市立大学・旭川市立大学短期大学部
は、数年前に公立大学になったので、静岡県のローカル高校教員でも、かなり調べ上げた。
今回の2つはどちらも私立大学であるので、全国からほとんど注目されず、もう開学当初からFラン(ボーダーフリー、つまり誰でも入れる)の大学と決まったようなものだ。
両大学が位置する、佐賀県も岐阜県(しかも飛騨地方)も、衰退が著しく、相当に地方都市としては疲弊しているのだろう。何が何でも若者を引き留めたい、とか、どうにかして若者に来て欲しい、とかの熱意だけは感じられる。
でもでもでも、今は完全に大学全入時代で、希望すればかなり有名な大都市圏の大学に入学できる。おそらく、60代以上の爺さん婆さん(特に大学入試を乗り越えてきた人々)は、今の大学の“楽さ加減”にビックリするだろう。本当に簡単になった。
なので、今の高校生は、「大学に入りたい」と宣言すればとりあへずどこかの大学には収まる。
しかも、今回開学する2つとも同じ特徴を持っていて、授業は「対話型・問題解決型」なのだそうだ。既存の大学も、どんどんこの傾向を強めていて、HPの大学案内も楽しそうだ。大学概要|神奈川大学
一例は、静岡県東部地区の高校生の間に、気味が悪いほど人気のある神奈川大学。
何故かというと、横浜のみなとみらいにキャンパスがあって高校生に人気がある。しかし、「みなとみらい」って大学生が平日に毎日過ごしてどこが面白いのかがワタシには判らない。本気で神奈川大学を目指すというのならば、絶対に「白楽」のキャンパスだよ。
課題解決型学習というのは、単純にいえば、難しいことはAIに任せて、コミュ力で世の中を生きていこうとする人材を育てるだけのように聞こえる。まさしく、その通りであって、それだけで、世の中を創造したり、地域を創造しするこことはできない。そこには、学問の探究によって培われた、技術力が絶対に必要で、これらが伴わないと、結果的に地方に人材は育たない。
大学は、やはり、学問を究めるところである。
学問とは、科学である。 英語ならば、サイエンスという同じ言葉で現される。数学・物理学・化学・生物学・(応用化学である)農学・工学、そして人間社会特有の経営学(会計学)などなどを極める行い(例えば、論文など)をしなければ大学といえない。法学や文学などの定義は妙に時間がかかるので、今はやらない。教員養成課程に関しても今はやらない。(ワタシは数十年前から、教員養成課程は学問ではないので、やがて廃れると予言していたが、今その通りになった)
ちまたには、○○コミュニケーション学科などがあるが、ここの卒業生が、どういう論文を書くのか不思議でならない。
今後、本気に難しい所はAIにやらせるという生活が一般化する。
そんな時に、「対話(コミュニケーション)によって課題解決をする」ことを学んだことが、どういう意味になるのかワタシには判らない。
日本は、200年前に、西洋の技術と仕組みを学んで、あっという間に近代国家の仲間入りをした。
その時の原動力となったのは、地方の藩校や私塾などで学んだ若者達であった。そこで主に使われた教材は、儒学である。
今の日本を動かしている若い技術者達(超一流の企業で儲かるものを作りだしている奴ら)も、大学では、基本中の基本的な実験を繰り返してきて、それを会社に応用していっただけである。
衰退する地方にとって、大学を新設する(または誘致する)ことを全否定するわけではないが、大学を作るなら、そこで、たった一人でもいいから“学問を究める人材”を輩出できるような目的を持たないと、大学としては失敗に終わると思う。
もしワタシがある自治体の長であって、「この市に大学を作ろう!」というフリーハンドをもらえるならば、定員50人くらいの物理学の単科大学を作る。そして、基礎中の基礎を徹底的に鍛え上げて、全国の大学院に送り込む・・・・そして、その人材が活躍したら、自動的にお金が入ってくるような仕組みにするけどなあ。
その方が、将来の日本のためになるような気がする。














