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粘菌コンピュータの新しい数理モデルを発見

著者: contributor
2026年6月16日 14:12

🤖 AI Summary

この研究では、粘菌の情報処理アルゴリズムに基づく「粘菌コンピュータ」の可能性を高める新たな数理モデルと実装指針が提案されました。主要な特徴は以下の通りです:

1. **新しい数理モデル**:
- 以前のモデルで課題となっていた体積不変則に対応する制約条件を取り除き、より物理デバイスでの実装に適したモデルを作成。
- 適用可能な組合せ最適化問題を大幅に拡大(従来モデルの4倍程度の解探索速度)し、2倍近い都市数の大規模な問題にも適用可能。

2. **粘菌とニューラルネットワークの関連性**:
- 粘菌の情報処理プロセスが人工知能(AI)で用いられるニューラルネットワークと共通する計算構造を持つことが示唆されました。
- これは新しいコンピュータ原理の基礎となる可能性を示唆しています。

3. **スピントロニクス素子での実装指針**:
- 粘菌コンピュータの物理デバイス実装に向けた具体的な指針が提案されました。
- 低消費電力で組合せ最適化問題を解くことができる新しい原理に基づくコンピュータ開発への道筋を提示。

これらの研究成果により、粘菌コンピュータの実現可能性が高まり、低消費電力情報処理技術の開発に大きな進展が見込まれます。

粘菌コンピュータの新しい数理モデルを発見
~粘菌を模倣した省エネルギー情報処理技術の実装に大きな前進~

発表のポイント

  • 脳や中核器官を持たない単細胞生物である「粘菌」の情報処理を模倣して組合せ最適化問題を解く「粘菌コンピュータ」の実現に向けて、新たな数理モデルを提案しました。
  • 粘菌コンピュータの開発において障壁となっていた制約を解消し、巡回セールスマン問題において、従来モデルの4倍程度の解探索速度を実現し、2倍近い都市数の大規模問題へ適用可能なことを実証することで、粘菌コンピュータ実現の可能性を大きく向上させました。
  • 粘菌の情報処理が人工知能(AI)で用いられるニューラルネットワークと共通する計算構造を持つことを示しました。
  • スピントロニクス素子を用いた粘菌コンピュータの実装指針を提案し、低消費電力で組合せ最適化問題を解くことができる、新原理に基づくコンピュータの実現に道筋を示しました。

粘菌は脳や中核器官を持たない単細胞生物ながら、体全体で情報を処理し、迷路探索や組合せ最適化問題を解いたりするなど、優れた知性を示すことが知られています。近年、次世代の低消費電力の情報処理技術を実現するために、その情報処理アルゴリズムを模倣した「粘菌コンピュータ」が注目されています。しかし、その動作原理を記述する数理モデルは複雑であり、物理デバイスによる実装を難しくする制約条件や条件分岐を含んでいるため、汎用的な組合せ最適化問題に適用できる粘菌コンピュータの実現は困難でした。
早稲田大学理工学術院 宮島悠輔(みやじまゆうすけ)助教と同大理工学術院 望月維人(もちづきまさひと)教授は、物理実装を難しくしているその制約条件を解消し、粘菌コンピュータの新たな数理モデルを提案しました。数値シミュレーションによる性能評価では従来モデルを上回る性能を示すとともに、これまで困難だった要素数の多い大規模な組合せ最適化問題にも適用可能であることを実証しました。さらに、粘菌の情報処理プロセスの背後に、人工知能(AI)で用いられるニューラルネットワークと共通する構造が隠れていることを明らかにし、構築した数理モデルをスピントロニクス素子で実装する指針を提案することで、粘菌コンピュータの実現への道筋を具体化しました。
本成果は、「Physical Review Research」に、2026年6月9日に掲載されました。

これまでの研究で分かっていたこと

粘菌※1は生存戦略に基づいて、外部環境に適応するように自らの体を変形させます。例えば、餌を獲得するために体を伸ばしたり、嫌いな光を避けるために体を縮めたりします。これまでの実験研究で、この粘菌の適応ダイナミクスを利用すると迷路を解いたり、都市間鉄道網を設計したりできることが示され、粘菌は単細胞生物ながら高度な情報処理ができることが知られていました。
しかし、粘菌の情報処理は、従来のコンピュータとはまったく異なる方法で行われます。具体的には、粘菌にはコンピュータにおけるCPU(中央処理装置)に対応する情報処理の司令塔のような役割を果たす器官がありません。その代わりに、体の各部分が一つの体として互いにつながりながら、自律的・分散的に餌の獲得や嫌いな光刺激の回避を試みることで、この知的な振る舞いを可能にしています(図1)。

図1. 粘菌を用いて組合せ最適化問題を解く実験の概念図。実験系は粘菌を用いたデバイスと光照射システムから構成される。デバイスは中央の円型ハブ部分と二値変数を表現する溝からなる。光照射システムはコンピュータ、プロジェクター、ビデオカメラから構成されている。ビデオカメラでそれぞれの溝における粘菌の体の伸び具合を測定し、その結果に基づきコンピュータで計算を行い、溝にプロジェクターで光を照射するか・しないかを決める。粘菌は、光が照射されていない溝では餌を獲得するために脚を伸ばし、光が照射されている溝では光を避けるために脚を縮める。この伸縮のダイナミクスを利用して組合せ最適化問題を解くことができる。

一方、ヒト・モノ・情報の流れが加速度的に増大している現代社会において、物流・交通、通信ネットワーク、創薬・材料探索など様々な局面で、高度な組合せ最適化問題※2を解く必要があります。しかし、従来のコンピュータで組合せ最適化問題を解くと、要素数が増えた場合には組合せ爆発が起こり、計算時間が爆発的に増加するため、解決が困難になることが知られています。また、現在のコンピュータは、計算量の増大にともない、電力消費量が増加するという問題に直面すると考えられており、現行のノイマン型※3とは異なる新しい方式に基づく電力消費量を抑えたコンピュータの開発が求められています。
このようなニーズのもと、粘菌の効率的な情報処理を計算技術として活用するアイデアが注目されています。しかし、粘菌自体の変形速度は100秒で1ミリメートル程度と非常に遅く、生存には餌が必要であることから、そのままコンピュータとして利用することは困難です。そこで近年、粘菌の情報処理アルゴリズムをデバイスによって模倣した「粘菌コンピュータ」を開発することに関心が集まっています。これまで「粘菌コンピュータ」の開発に係る初期段階として、その動作原理を数理モデル化する研究が精力的に行われてきました。
しかし依然として、巡回セールスマン問題※4といった汎用的な組合せ最適化問題を解ける「粘菌コンピュータ」は実現していません。これは、従来の数理モデルに問題があるためです。具体的には、従来の数理モデルには、粘菌が体全体の体積を一定に保ちながら変形することが制約条件として課せられていました。しかし、この条件は、実装に用いることができる物性材料や物理現象を強く制限してしまいます。また従来の数理モデルには、条件分岐など物理現象では表現が難しい情報処理が多く含まれており、粘菌コンピュータの実現には、このモデルを見直す必要がありました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

そこで研究グループは、これまでの研究で提案されていた粘菌コンピュータのモデルから、組合せ最適化を解決するために必要な本質的な計算原理を抽出し、デバイス実装に適した数理モデルへと改良しました。そして、数値シミュレーションによる性能評価を行うとともに、最終的には、スピントロニクス素子※5を用いた実装例を示すことで、粘菌コンピュータの実現に向けた具体的な道筋を示しました。
まず、従来型の数理モデルの改良において粘菌コンピュータへの物理実装を困難にしている次の3つの短所に着目しました。
① 粘菌の変形において体全体の体積は不変であるという制約条件が課せられていること。
② 粘菌のダイナミクスに不確実性を与える揺らぎが一様乱数で与えられていること。
③ その実装に複数の素子を必要とするシグモイド関数※6が多く含まれていること。
これらの条件は、先行研究において、粘菌を用いた実験結果を数理モデルで再現するために導入されたものでした。しかし研究グループは、
1.これらの条件が組合せ最適化を実現する上で本当に必要なのか
2.より物理デバイスで実装しやすい数式に変更できないか
という問題意識のもと研究を進めました。
これら3つの課題の解決にあたり、物理現象によって自然に再現できることを最優先にした複数の変更案を検討し、それぞれについて変更前後の性能を比較しました。その結果、課題①の「体積不変則に対応する制約条件」については組合せ最適化の性能にとって必要不可欠ではなく、むしろそれを取り除いた方が高い性能を示すことがわかりました。また、課題②の一様乱数の適用については、その代わりに自然界で広く見られるガウス分布※7に従う乱数を用いることで解探索時間が短縮されることを明らかにしました。さらに、課題③のシグモイド関数に関しては、その一部はより単純な階段関数※8へ置き換え可能であることも示しました。また、各変更が性能に与える影響を比較し、性能向上に寄与するものを採用するとともに、その上で、性能を損なわない範囲で情報処理を単純化する変更も取り入れた、新たな改良モデルを構築しました。
その結果、従来は複数に分かれていた数理モデルの数式を単一の式へ統合することに成功し、これにより新たに提案した数理モデル(以下、「提案モデル」という)は、物理現象においても実現しやすく、かつ単純な情報処理構造を持つという、粘菌コンピュータの実装に適した特徴を備えることができました。
解探索ステップ数や解の質を指標として性能評価を行った結果、提案モデルは、従来モデルを上回る性能を示すことが分かりました。具体的には、巡回セールスマン問題の解探索時間が4分の1程度に短縮され、従来モデルでは100都市程度がシミュレーション計算の上限であったのに対し、提案モデルでは180都市まで扱えることを確認しました。さらに、新たなパラメータを導入したことで、解探索速度や解の質を柔軟に制御できることも示し、モデルの拡張性を明らかにしました。
また、以上のような応用面に加え、本研究は粘菌の示す知性の仕組みを理解する上でも興味深い成果をもたらしました。提案モデルは、シグモイド関数による活性化と重み付けから構成される再帰的な構造を持ち、リカレントニューラルネットワーク※9と等価な情報処理を実現していることを示しました。この結果は、粘菌の情報処理とニューラルネットワーク※10との間に共通する計算原理が存在する可能性を示唆しています。
最後に、提案モデルに基づき、組合せ最適化問題を解く粘菌コンピュータを、どのようにデバイスで実装できるかについて考察しました。特に、熱や放射線などに対して安定で、小さなエネルギー消費で操作・制御できる磁性体を活用することを検討し、スピントロニクス素子を用いた組合せ最適化マシンの実装案を提案しました。この物理実装は、粘菌の体積一定則に対応する条件を必要とせず、ガウス分布に従う熱揺らぎを利用するという提案モデルの特徴を直接反映しています。この実装案では、図2(右)に示すように二値変数に対応する粘菌の体の各部分を1つのスピントロニクス素子(上向き磁化の部分と下向き磁化の部分を併せもつ1つの磁気細線)で表現しています。各溝における粘菌の体の伸び具合は、上向き磁化の部分と下向き磁化の部分のちょうど境目である磁壁とよばれる磁気構造の位置で表されます。粘菌が餌を獲得するために体を伸ばす振る舞いは、デバイス全体に磁場を印加する(磁石を置く)ことで磁壁が右側に移動する現象により表現されます。一方、光照射によって粘菌が体を縮める振る舞いは、右側から電流を流して磁壁を左側に押し戻す操作で表現します。粘菌の揺らぎ動作(餌があるのに体を伸ばさない、あるいは光照射されていても体を伸ばすといった気まぐれな動作)は、熱揺らぎや素子の中に意図せず含まれる不純物などによって再現されます。この素子は互いに物理的に繋がっていませんが、体積一定則の制約を取り除いたことで、このような単純な構造が可能になります。本研究は、このような粘菌コンピュータの物理実装の可能性が明らかにし、その実現と社会実装の可能性を大きく向上させました。

図2. 粘菌を用いた実験から、粘菌が組合せ最適化問題を解く際の本質的な計算原理を抽出した数理モデルを構築し、デバイス実装することで粘菌コンピュータの実現を目指す本研究の概念図。可能なデバイス実装の一例として、強磁性体を用いたスピントロニクス素子による実装案を提案した。

研究の波及効果や社会的影響

粘菌コンピュータを実装する上で障壁となっていた数理モデルの課題を解消したため、より多様な材料や現象を実装に利用できるようになりました。これにより、粘菌が持つ高効率な情報処理と適切なデバイスの選択による相乗効果で、従来のコンピュータとは異なる原理で動作する、低消費電力で優れた計算効率を持つ粘菌コンピュータの開発が加速すると考えられます。
これはAIや大規模な組合せ最適化により、現在のコンピュータが将来的に直面するであろう、電力消費量という課題の解決に貢献することが期待されます。また、粘菌の変形において全体の体積が一定であるという条件は最適化問題を解く際に必ずしも必要ではないことや、その情報処理がリカレントニューラルネットワークと等価な構造を持つことを示した点は、粘菌の知性の仕組みを理解する上で新たな視点を提供するものと期待されます。

課題、今後の展望

本研究では粘菌コンピュータの実現可能性の向上を目指して数理モデルを構築しました。巡回セールスマン問題に対して、優れた性能を示すことができましたが、我々のモデルを基礎とする粘菌コンピュータを、実応用レベルまで発展させるためには、より詳細かつ徹底的な性能評価が必要です。
今後は、さまざまな組合せ最適化問題への適用や、提案モデルに含まれる多数のパラメータに対する性能評価を進めることで、モデルの汎用性を明らかにするとともに、その性能を最大限に引き出す設計指針の確立を目指します。また基礎的な観点からは、単細胞生物である粘菌の情報処理をあえてリカレントニューラルネットワークとして捉え直すことにより、そこで創発する「知性」の起源を調べることも興味深い課題だと考えています。

研究者のコメント

本研究では、粘菌コンピュータの動作原理となる数理モデルの構築から、スピントロニクス素子を用いた物理実装の提案までを一貫して行いました。新しいコンピューティング技術を発展させるためには、数理モデルだけでなく、材料・デバイス・応用までを含めた分野横断的な研究が不可欠です。
本研究が数理とハードウェアの架け橋となり、異分野連携を通じて次世代の低消費電力コンピュータである「粘菌コンピュータ」の実現が加速するきっかけになることを期待しています。

キーワード

粘菌コンピュータ、自然計算、ニューラルネットワーク、スピントロニクス、組合せ最適化

用語解説

※1 粘菌
アメーバ様の単細胞生物。実験ではモジホコリと呼ばれる変形菌がよく用いられる。外部環境に応じて、体内を満たす原形質と呼ばれる流体が流動することで、体を伸縮させながら移動する。

※2 組合せ最適化問題
多数の候補の中から最も良い組合せを見つける問題。配送経路の最適化や工場の生産計画、通信ネットワークの設計など幅広い分野で現れる。数学的には、0または1の値をとる変数の組合せに対して定義された関数を最小化または最大化する問題と定義される。最適化の対象となる関数はコスト関数と呼ばれる。

※3 ノイマン型
コンピュータの動作方式の一つで、現在使われているコンピュータのほとんどはこの方式に基づいている。演算を行うCPU(中央処理装置)と、データや命令を保存するメモリが分離されており、両者の間でデータをやり取りしながら情報処理を進める。この構造ではCPUとメモリ間の通信が性能や消費電力の制約となることがある。

※4 巡回セールスマン問題
組合せ最適化問題の一種。都市とそれらの間の距離が与えられたとき、ある都市から出発してすべての都市を1回ずつ訪問し、出発地点へ戻る巡回経路のうち、総移動距離が最も短い経路を求める問題である。このときコスト関数は巡回経路の総移動距離となる。ただし、一般に厳密な最適解を求めるのは困難なため、応用の場面では最適値に近い近似解を求めることが一般的である。

※5 スピントロニクス
電子は、電気的な性質を担う電荷と、磁気的な性質を担うスピンと呼ばれる2つの自由度をもつ。従来のエレクトロニクスが主に電荷を利用して情報処理を行うのに対し、スピントロニクスはスピンも利用して情報の記録や演算を行う技術である。省電力かつ安定な情報処理を実現できる技術として注目されている。

※6 シグモイド関数
引数に応じて0から1の間の値を滑らかに出力する単調増加な非線形関数。閾値と傾きを表すパラメータを持ち、入力が閾値付近にあるときに出力値が大きく変化する。ニューラルネットワークなどで広く利用されている。

※7 ガウス分布
平均値でピークをとり、その周りで左右対称に減衰する釣鐘形の確率分布。正規分布とも呼ばれる。熱揺らぎをはじめ、自然界で最もありふれた確率分布。

※8 階段関数
ある閾値より小さな引数に対して0、それより大きな引数に対して1を出力関数。シグモイド関数の閾値付近の傾きが無限大となる極限に対応する。

※9 リカレントニューラルネットワーク
ニューラルネットワークの一種。特に出力の一部が再び入力としてフィードバックされる再帰的な(リカレントな)構造を持ち、過去の状態を記憶しながら情報処理を行うことができる。音声や動画などの時系列データや言語処理などでよく用いられる。

※10 ニューラルネットワーク
生物の神経回路網に着想を得た数理モデル。多数の人工的なニューロン(神経細胞の数理モデル)が互いに信号をやり取りすることで複雑な情報処理を実現する。画像認識や生成AIなど、現代のAI技術の基盤となっている。

論文情報

雑誌名:Physical Review Research
論文名:Mathematical model of the amoeba-inspired combinatorial optimization machine for physical implementation and its equivalence to recurrent neural networks
執筆者名(所属機関名):
宮島悠輔* (早稲田大学 理工学術院 先進理工学部 物理学科・助教)
望月維人 (早稲田大学 理工学術院 先進理工学部 応用物理学科 教授)
掲載日:2026年6月9日
掲載URL:https://journals.aps.org/prx/abstract/10.1103/zgvb-cfpg
DOI:https://doi.org/10.1103/zgvb-cfpg
*:責任著者

研究助成

研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(A)
研究課題名:スキルミオンが持つ新しい物質機能・物性現象の開拓とスキルミオニクスの創出
(課題番号:JP25H00611)
研究代表者名(所属機関名):望月維人(早稲田大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)
研究課題名:キメラ準粒子の理論(課題番号:JP24H02231)
研究代表者名(所属機関名):村上修一(東京大学)

研究費名:科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST
研究課題名:Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出(課題番号:JPMJCR20T1)
研究代表者名(所属機関名):于秀珍(理化学研究所)

初期宇宙の銀河から中性酸素の輝線を初検出

著者: contributor
2026年6月16日 11:53

🤖 AI Summary

このニュースリリースは、早期宇宙の星形成に焦点を当てた科学的研究成果について報告しています。以下に主なポイントをまとめます:

### 論文の概要
- **タイトル**: ALMA Observations of [OⅠ]145µm and [NⅡ]205µm Emission lines from Star-Forming Galaxies at z ∼ 7
- **著者**: 札本佳伸, 井上昭雄, Rychard Bouwens, 稲見華恵, Renske Smit, Dan Stark, Manuel Aravena, Andrea Pallottini, 橋本拓也, 大栗真宗, 他15名
- **掲載雑誌**: Astrophysical Journal
- **DOI**: 10.3847/1538-4357/ae5bad

### 研究の背景と意義
星は銀河の中で中性ガス(電子が原子核に結びついたままの冷たいガス)からなるもので形成されるため、中性ガスの性質を理解することは早期宇宙での星形成過程を解明する上で重要です。しかし、可視・近赤外線望遠鏡では直接中性ガスを捉えることが難しいため、電波望遠鏡が必要となります。

### 主な研究成果
1. **初期宇宙の銀河から「星の材料」の直接観測に成功**: アルマ望遠鏡を使用して、初期宇宙の星形成銀河4つ(REBELS-38, A1689-zD1, REBELS-25, REBELS-18)から中性ガスの輝線「[O I] 145µm」を検出した。これは初期宇宙で初めての観測結果であり、非常に重要です。

2. **高密度の中性ガス**: 複数の輝線観測により、これらの銀河は現在のスターバースト銀河並みに高密度の中性ガスを持っていることが確認された。

3. **[C II] 158µm 輝線の「正体」を明らかに**: [C II] 158µm の輝線が主に中性ガスから放射されていることを初めて直接検証し、これまで不明な部分が解明された。

### 今後の展望
- **より多くの銀河の観測**: 追加的な観測により初期宇宙での星形成全体像を明らかにすることを目指す。
- **他の望遠鏡との組み合わせ**: JWSTなどの他の望遠鏡と組み合わせて、銀河を多角的に捉えることで、銀河がどのように生まれ育っていったかの解明を目指す。

### 用語解説
- **アルマ望遠鏡 (ALMA)**: 南米チリのアタカマ砂漠にある電波望遠鏡。
- **[O I] 145µm**: 中性の酸素原子が放つ遠赤外線の輝線。
- **中性ガス**: 電子が原子核に結びついたままの冷たいガス。
- **ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡 (JWST)**: NASAを中心とする国際プロジェクトによる近赤外線から中間赤外線までの観測を行う宇宙望遠鏡。

この研究は、早期宇宙での星形成過程をより深く理解する上で重要な一歩となりました。

初期宇宙の銀河から中性酸素の輝線を初検出
―アルマ望遠鏡で拓く「星の材料」観測―

千葉大学先進科学センターの札本佳伸特任助教、大栗真宗教授、早稲田大学井上昭雄教授、筑波大学の橋本拓也助教、広島大学の稲見華恵准教授らの国際研究チームは、アルマ望遠鏡注1)を用いて、宇宙誕生から約7億〜8億年後の銀河4天体から、中性酸素が放つ輝線である「[O I] 145㎛(マイクロメートル)」注2)の検出に成功しました。これは、典型的な星形成銀河の冷たい中性ガス注3)からの直接的な信号としては、これまでで最も遠方の検出例となります。中性ガスは星の直接の材料でありながら、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)注4)など可視・近赤外線の望遠鏡では捉えにくいため、アルマ望遠鏡ならではの観測です。今回の研究成果は、初期宇宙の銀河で星がどのように生まれ育ったかを解明するうえで、新たな観測の窓を開くものです。本研究成果は、2026年6月15日(米国東部時間)に学術誌Astrophysical Journalで公開されました。(論文はこちら:10.3847/1538-4357/ae5bad )

図:ビッグバンから約7億年後の宇宙に存在する銀河A1689-zD1(背景)、とアルマ望遠鏡による観測から検出された中性酸素からの輝線(等高線およびスペクトル)

研究の背景

星は、銀河の中で水素原子・分子などからなる「中性ガス」が冷えて集まることで生まれるため、初期宇宙において銀河がどのように作られるのかを理解するには、星の直接の材料である中性ガスの性質を調べることが不可欠です。しかし、近年成果をあげているJWSTなどの可視・近赤外線望遠鏡では、電離ガス注5)や星そのものは見えても、冷たい中性ガスを直接捉えることはできません。観測にはアルマ望遠鏡のような電波望遠鏡が必要ですが、初期宇宙の銀河に対して直接観測を行った例は極めて稀でした。

研究成果のポイント

・初期宇宙の銀河から「星の材料」の直接観測に成功:アルマ望遠鏡を用いて、宇宙誕生から約7億〜8億年後の星形成銀河4天体(REBELS-38、A1689-zD1、REBELS-25、REBELS-18)から、星の直接の材料となる中性ガスの存在を示す輝線「[O I] 145μm」を検出しました。同輝線は初期宇宙の星形成銀河では観測例がなく、典型的な星形成銀河としては最遠方での検出例です。

・初期宇宙の銀河は「星の材料が豊富に詰まった」星形成の現場だった:複数の輝線観測を組み合わせた解析により、これらの銀河は現在のスターバースト銀河並みに高密度の中性ガスを持つことが分かりました。さらに、JWSTによる酸素組成比の測定結果と組み合わせることで、中性ガス質量の直接推定にも成功しました。

・広く使われてきた輝線「[C II] 158μm注6)」の「正体」を確認:本研究では、電離ガス由来の[N II] 205μm注7)輝線も観測し、複数の遠赤外線輝線を比較解析しました。これまで広く観測されてきた別の輝線([C II] 158㎛) は、中性ガスと電離ガスの両方から放射されうるため、その主な起源には曖昧さが残っていました。今回の観測との比較から、主に中性ガスから放射されていることを初めて直接検証することに成功しました。これにより、蓄積されてきた[C II]観測データを中性ガスの研究に活かす道を開きました。

今後の展望

先進科学センター
特任助教 札本佳伸

今回の観測により、初期宇宙の銀河からも中性酸素の輝線が有効に観測できることがはじめて分かりました。また「星の材料」の研究に活かせることを確認できたことにより、宇宙の研究へ新たな扉を開くことができました。今後、より多くの銀河を対象に観測を行い、宇宙が始まった直後の銀河における星形成の全体像を明らかにしたいと考えています。また、JWSTなど他の望遠鏡と組み合わせることで、銀河を多角的に捉え、宇宙が始まって今に至るまでどのようにして銀河が生まれ育ってきたのかを解明できると期待しています。

用語解説

注1) アルマ望遠鏡(ALMA):南米チリのアタカマ砂漠、標高約5,000メートルに設置された、日本・欧州・北米等の国際協力による世界最大の電波望遠鏡。

注2) [O I] 145㎛:原子や分子が特定の波長で放つ光を「輝線」と呼び、その波長から原子・分子の種類や状態がわかる。[O I] 145は中性の酸素原子が放つ遠赤外線の輝線を指す。

注3) 中性ガス:電子が原子核に結びついたままの冷たいガスで、星の直接の材料となる。

注4) ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST): NASAを中心に欧州・カナダの宇宙機関が共同で開発した宇宙望遠鏡。2021年に打ち上げられ、近赤外線から中間赤外線の観測により、初期宇宙の銀河の星や電離ガスの性質を高精度で明らかにすることができる。

注5)電離ガス:若い高温の星が放つ強い紫外線によって電子がはぎ取られた高温のガスを指す。

注6) [C II] 158㎛:[C II] 158は電離した炭素が放つ遠赤外線の輝線を指す。

注7) [N II] 205μm:電離した窒素が放つ遠赤外線の輝線を指す。

論文情報

タイトル:ALMA Observations of [OⅠ]145µm and [NⅡ]205µm Emission lines from Star-Forming Galaxies at z ∼ 7

著者:札本佳伸, 井上昭雄, Rychard Bouwens, 稲見華恵, Renske Smit, Dan Stark, Manuel Aravena, Andrea Pallottini, 橋本拓也, 大栗真宗, 他15名

雑誌名:Astrophysical Journal

DOI:10.3847/1538-4357/ae5bad

研究プロジェクトについて

本研究は、科学研究費助成事業(JP22K21349, JP23K13149)の支援によって実施されました。

トポロジカルマグノンの熱に対する耐性を初めて理論的に実証

著者: contributor
2026年6月12日 14:15

🤖 AI Summary

### 研究概要

#### 背景
マグノンは、磁性物質中で電子のスピンが集団的に揺れ動き形成する量子的な波現象です。これらの波は「マグノン」と呼ばれる粒子として機能し、電荷の流れを伴わずに情報伝達を行うことが可能です。そのため、発熱が少ない次世代情報処理技術に期待されています。

特に、トポロジカルマグノンと呼ばれる特殊なマグノンは、絶対零度ではバンドギャップがないため、エネルギーと運動量の関係が直線的ですが、スピン軌道相互作用などの影響でバンドギャップが開き、物質の端に沿って伝わるエッジ状態が現れます。このような特性から、トポロジカルマグノンは将来の省エネルギー情報技術への応用が期待されています。

一方、実際の物理環境では物質は有限温度であり、熱励起された複数のマグノン同士が衝突・散乱することにより、マグノンのエネルギーや寿命が変化します。したがって、絶対零度でのみ理論的に正確に記述できるトポロジカルマグノンの性質が、有限温度でも本当に存在するのか、どの程度まで安定するかは未解明でした。

#### 研究内容
本研究では、臭化クロム(CrBr3)とヨウ化クロム(CrI3)などのファンデルワールス強磁性体について、熱励起された複数のマグノン間の相互作用をより精密に取り入れた新たな理論構築を行いました。

- **臭化クロム(CrBr3)**:絶対零度でのみ存在するバンドギャップがほとんどないトポロジカルマグノンについて、そのエネルギー変化と線幅の広がりを再和法により説明しました。

- **ヨウ化クロム(CrI3)**:バンドギャップが開くトポロジカルマグノンについて、温度上昇によってバンドギャップは小さくなるものの、キュリー温度付近までギャップが維持されることを明らかにしました。

#### 研究手法
- **再和法(resummation)の使用**:従来の理論では熱励起された複数のマグノン間の相互作用を十分に取り扱うことができませんでした。そこで本研究では、熱励起された複数のマグノン間の相互作用をより精密に取り入れた再和法を用いました。

#### 結果
- **臭化クロム(CrBr3)**:2022年に報告された実験結果と一致させ、トポロジカルマグノンのエネルギー変化と線幅の広がりを広い温度範囲で定量的に説明しました。

- **ヨウ化クロム(CrI3)**:バンドギャップが開くトポロジカルマグノンについて、キュリー温度付近までギャップが維持されることを示しました。これは、トポロジカルマグノンがより高い温度でも安定に存在することが示唆されました。

### 今後の展開
本研究の成果は、将来的な超低消費電力情報技術に向けた新しい量子材料探索の指針となることが期待されます。また、この新たな理論構築は、トポロジカルマグノンの特性をより正確に理解し、より高度な情報処理技術の開発につながることが期待されています。

### 主要成果
1. **臭化クロム(CrBr3)**:実験結果と理論が一致させ、トポロジカルマグノンのエネルギー変化と線幅の広がりを説明。
2. **ヨウ化クロム(CrI3)**:バンドギャップが開くトポロジカルマグノンについて、キュリー温度付近までギャップが維持されることを明らかにした。

### 参考文献
- 本研究の詳細は、アメリカ物理学会(APS)が刊行するフラッグシップジャーナル「Physical Review X」に2026年6月10日(現地時刻)にオンライン掲載されました。
- グラフと図表:図1, 図2, 図3が提供されています。これらは理論と実験の比較、トポロジカルマグノンのバンドギャップやエッジ状態の特徴を示しています。

この研究により、トポロジカルマグノンの特性がより正確に理解され、将来的な省エネルギー情報技術への応用が期待されるようになりました。

トポロジカルマグノンの熱に対する耐性を初めて理論的に実証
~次世代超低消費電力スピントロニクス材料の設計指針~

発表のポイント

  • 磁性体中に現れる特殊な量子状態「トポロジカルマグノン」が、熱に対してどこまで安定か、世界で初めて定量的に解明しました。
  • 複数のマグノン同士が衝突・干渉し、互いに束縛しあう量子力学的な効果を取り込んだ新しい理論を構築し、これまで熱によって壊れやすいと考えられていたトポロジカルマグノンの性質が、従来予想よりも高温まで保たれることを明らかにしました。
  • トポロジカルマグノンに関する中性子散乱実験の結果を「単一マグノンとマグノン束縛状態間の相互作用」を考慮することで再現・説明することに成功しました。
  • 熱に強いトポロジカルマグノン材料を探索するための具体的な設計指針を示しました。将来的な超低消費電力情報技術に向けた新しい量子材料探索への貢献が期待されます。

早稲田大学大学院先進理工学研究科の衛藤倫太郎(えとうりんたろう)大学院生(研究当時)と理工学術院の望月維人(もちづきまさひと)教授は、ドイツ・ミュンスター大学、ミュンヘン工科大学との国際共同研究により、磁性体中に現れる特殊な量子状態「トポロジカルマグノン」が、熱によってどのような影響を受けるかを理論的に解明しました。
研究グループは、多数のマグノン同士が衝突・干渉しあう複雑な量子効果を高精度で取り扱える新しい理論を構築しました。この理論を用いることで、臭化クロム(CrBr3)やヨウ化クロム(CrI3)に現れるトポロジカルマグノンが、従来予想されていたよりも熱に対して頑健で、高温でも安定に存在できることを定量的に示しました。
本研究の成果は、将来的な超低消費電力情報技術に向けた新しい量子材料探索の指針になることが期待されます。
本成果は、アメリカ物理学会(APS)が刊行するフラッグシップジャーナル「Physical Review X」に、2026年6月10日(現地時刻)にオンライン掲載されました。

図1: 磁性元素が蜂の巣(ハニカム)格子を組むファンデルワールス強磁性体の模式図。2つのマグノンの束縛状態[図中左]が、単一マグノン[図中右]と相互作用する様子を示している

これまでの研究で分かっていたこと

磁性物質中では、電子が持つ磁気的な自由度であるスピン[※1]の集団的な揺らぎが波のように伝わります。この波は「マグノン[※2]」と呼ばれ、電荷の流れを伴わずに情報を運べるため、発熱の少ない次世代情報処理技術への応用が期待されています。

図2: ギャップのないトポロジカルマグノン(左)及びギャップ付きトポロジカルマグノン(右)の運動量-エネルギー空間における模式図。トポロジカルマグノンのバンドギャップが開くと、ギャップ間に散乱の影響をほとんど受けずマグノンが一方向にのみ流れる「エッジ状態」が現れる。

なかでも近年、特に注目されているのが、「トポロジカルマグノン[※3]」[図2]と呼ばれる特殊なマグノンです。絶対零度において、典型的な「バンドギャップ[※4]のない」トポロジカルマグノン[図2左] は、エネルギーが運動量に比例する特徴的なバンド[※4]構造を形成します。さらに、スピン軌道相互作用[※5]などの効果によってバンド間に「ギャップが開く」[図2右]と、物質の端(外周)に沿って伝わる特殊なマグノン状態「エッジ状態[※6]」がギャップ内に現れます。このエッジ状態は、欠陥や乱れの影響を受けにくく安定に流れやすいという特徴を持っていることから、将来の省エネルギー情報技術への応用が期待されています。
一方で、実際の物質は有限温度にあります。温度が上がると、熱励起された複数のマグノン同士が衝突・散乱されることで、マグノンのエネルギーが変化したり寿命が短くなったりします。そのため、本来は絶対零度でのみ理論的に正確に記述できるトポロジカルマグノンの性質が、実際の実験環境・デバイスとしての動作環境である有限温度下でも本当に存在するのか、またどの程度の温度まで安定なのかは十分に分かっていませんでした。特に、ギャップがほとんどないトポロジカルマグノンを持つ「臭化クロム(CrBr3)」では、過去の実験でマグノン励起スペクトルの詳細な温度依存性が報告されていましたが、その全体を定量的に説明する理論は確立されていませんでした。
また、ギャップの開いたトポロジカルマグノンを持つ「ヨウ化クロム(CrI3)」では、温度を上げていくと、バンドギャップの開閉が起こり、それに伴うトポロジカルな性質の変化に由来して、エッジ状態の向きが反転することが理論的に予測されていました。しかし、このバンドギャップ開閉に関する予測は必ずしも高温での精度が保証されていない近似計算に基づいたもので、その信頼性は強く疑問視されていました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究では、まず、磁性体中のトポロジカルマグノンが、有限温度でどのように変化するかを記述する理論を構築しました。対象としたのは、臭化クロム(CrBr3)、ヨウ化クロム(CrI3)などの「ファンデルワールス強磁性体[※7,8]」と呼ばれる層状磁性体です。これらの物質は、磁性層が弱い原子間力(ファンデルワールス力)により積み重なった構造をもち、マグノンの性質を調べる上で重要な物質群となっています。しかしながら、従来の理論では、これらの物質における温度によるマグノンのエネルギー変化や寿命の短縮を十分に説明できない場合がほとんどでした。

図3: (a) CrBr3におけるマグノンバンドのエネルギーの温度効果による変化量の理論-実験間の比較。エラーバー付きの白抜きマーカーが実験値、紫実線が再和法(resummation)による理論計算結果を示す。再和法(resummation)が、より低次の近似に基づく理論計算(黒実線および紫点線)よりも実験データとよく一致している。(b) CrI3におけるマグノン励起スペクトルの計算結果。緑線が絶対零度(0 K)の分散関係、カラーマップがキュリー温度付近(40.6 K)におけるスペクトル関数を示しており、K点直上のバンドギャップがキュリー温度付近においても消失することなく保たれている。

そこで本研究では、熱励起された複数のマグノン間の相互作用をより精密に取り入れるため、「再和法(resummation)」と呼ばれる手法を用いました。これにより、単一のマグノンが、熱的に励起された別のマグノンや、2つのマグノンが量子力学的な効果により非常に強く結びついた「束縛状態[※9]」と相互作用する効果[図1]を精度良く記述することができます。
その結果、CrBr3において、2022年にスイス・パウルシェラー研究所の中性子散乱実験[※10]グループにより観測・報告されていた、ギャップがほとんどないトポロジカルマグノンのエネルギー変化と線幅の広がりを、広い温度範囲で定量的に説明することに成功しました[図3(a)]。具体的には、再和法が複数マグノンの束縛状態や共鳴状態の効果を取り込み、低温での線幅の「大きな運動量依存性」を説明できることを示しました。
さらに、CrI3などのギャップの開いたトポロジカルマグノンをもつ物質では、温度上昇によってバンドギャップは小さくなるものの、強磁性秩序が失われるキュリー温度[※11]付近までギャップが維持されることを明らかにしました[図3(b)]。これは、トポロジカルマグノンが、従来考えられていたよりも熱に対して頑強である可能性を示しています。
また、これにとどまらず、温度効果によるスペクトル幅の広がり[※12]に埋もれずにトポロジカルなバンドギャップを観測するには、強磁性秩序を安定化させる「交換相互作用(J) [※13]」と、スピン軌道相互作用に由来しバンドギャップを開ける「Dzyaloshinskii-Moriya相互作用(D) [※14]」との比D/Jがどの程度必要かを評価しました。その結果、典型的には「約5%」が一つの目安になることを示しました。これは、今後様々なトポロジカルマグノン材料を探索する際の実用的な指針になります。

研究の波及効果や社会的影響

本研究は、磁性物質中のトポロジカルマグノンが温度によってどのように変化するかを、実験と比較可能な形で予測する理論的な基盤を与えるものです。これにより、トポロジカルマグノンを利用した材料やデバイスを設計する際に、単に「理論的に存在する」だけでなく、「実際の温度条件で観測・利用できるか」を判断しやすくなります。
マグノンは電荷の移動を伴わないため、発熱の少ない情報伝達の担い手として期待されています。本研究で示した温度耐性の評価方法は、将来的にスピントロニクス[※15]などの低消費電力情報処理技術に向けた材料探索に役立つ可能性があります。

課題、今後の展望

本研究では、2次元磁性体の代表例であるファンデルワールス磁性体を対象に、有限温度でのマグノンの振る舞いを理論的に調べました。一方で、実際の物質では、欠陥、不純物、試料形状、層数、基板との相互作用などもマグノンの性質に影響します。今後は、これらの現実的な要素を取り入れた理論や、より多様な候補物質への応用が重要になります。
また、本研究で得られた指針をもとに、トポロジカルマグノンのギャップがより大きく、熱によるスペクトル幅の広がりの影響を受けにくい物質を探索することが期待されます。実験研究との密な連携により、マグノンを利用した新しい情報処理技術の基盤形成につながる可能性があります。

研究者のコメント

トポロジカルマグノンは、将来の省エネルギー情報技術を支える候補として注目されています。本研究では、その性質が温度によってどのように変わるかを、実験結果と直接比較できる形で明らかにしました。今後の材料探索やデバイス設計に役立つ理論的な土台になると期待しています。

キーワード

トポロジカルマグノン、ディラックマグノン、ファンデルワールス磁性体、熱耐性、束縛状態、臭化クロム、ヨウ化クロム、スピントロニクス

用語解説

※1 スピン
電子が持つ小さな磁石のような性質です。磁石の性質やマグノンの振る舞いを決める重要な要素です。

※2 マグノン
磁性体中における磁気励起を粒子的な描像で捉えたものを「マグノン」と呼びます。

※3 トポロジカルマグノン
「トポロジー(位相幾何学)」とは、物の形を連続的に変えても不変となる量(トポロジカル不変量)を取り扱う数学の一分野です。物質中のマグノンでは、マグノンバンドを構成する状態空間の幾何学的性質として現れます。トポロジカル不変量が非ゼロとなるマグノンを「トポロジカルマグノン」と呼びます。

※4 バンド・バンドギャップ
電子やマグノンなどの粒子が物質中で取りうるエネルギーの運動量空間における離散的な分布のことを「バンド」といいます。結晶固体の性質を決める重要な概念です。また、複数のバンドの間のエネルギーのすき間のことを「バンドギャップ」といいます[図2右参照]。

※5 スピン軌道相互作用
相対論効果に由来する、電子のスピン自由度と電荷・軌道自由度を結びつける相互作用のことをいいます。

※6 エッジ状態
物質内部ではなく、物質の端(外周)に沿って現れる特殊な状態です。本研究では、トポロジカルマグノンのギャップ内に現れる、「後方散乱の影響を受けにくく安定して流れやすい」エッジ状態を扱っています。

※7 強磁性体
電子が持つ磁気的な自由度「スピン[※1]」が同じ向きにそろうことで、磁石として振る舞う物質です。鉄やコバルトなどが代表例です。

※8 ファンデルワールス磁性体
原子層が弱い原子間力(ファンデルワールス力)で積み重なった層状磁性体です。薄膜化しやすく、次世代の二次元量子材料として注目されています。

※9 束縛状態
空間的に近接した複数の粒子同士が互いに引き合い、ひとまとまりの状態として振る舞う量子状態です[図1参照]。

※10 中性子散乱実験
物質に中性子ビームを照射し、跳ね返ってきた中性子の方向やエネルギーの変化を調べることで、マグノンなどのスペクトルを精密に測定する実験手法。本研究で参照した臭化クロム(CrBr3)に関する中性子散乱実験のデータは、論文[S. E. Nikitin et al., Phys. Rev. Lett. 129, 127201 (2022)]にて報告されたものです。

※11 キュリー温度
強磁性体において、電子スピンの向きがそろった磁石としての性質(磁気秩序)が、熱揺らぎによって失われ、スピンの向きがバラバラになる温度のことです。

※12 スペクトル幅の広がり
マグノンは他のマグノンに散乱されることで寿命が短くなります。粒子の寿命とエネルギースペクトル幅(線幅)はおおよそ反比例の関係にあるため、粒子の寿命が短くなると、観測されるスペクトル幅が広がります。その結果、中性子散乱実験などで得られる信号が不明瞭になり、バンドギャップなどの微細な構造が観測しにくくなります。

※13 交換相互作用
電子スピン同士を同じ向き、あるいは反対向きにそろえようとする量子力学的な相互作用です。強磁性や反強磁性など、磁石の性質を決める基本的な要因です。

※14 Dzyaloshinskii-Moriya(守谷)相互作用
スピン軌道相互作用に由来する特殊な磁気相互作用のことをいいます。マグノンのバンド構造にギャップを作り、トポロジカルな性質をもたらす、あるいは変化させる主要因になります。

※15 スピントロニクス
電子の電荷自由度だけでなく、スピン自由度も利用して情報処理を行う技術分野です。低消費電力デバイスへの応用が期待されています。

論文情報

雑誌名:Physical Review X
論文名:Fate of Topological Dirac Magnons in van der Waals Ferromagnets at Finite Temperature
執筆者名(所属機関名):
衛藤倫太郎* (ドイツ・ミュンヘン工科大学 日本学術振興会海外特別研究員/研究当時: 早稲田大学 大学院先進理工学研究科 物理学及応用物理学専攻 博士課程, 日本学術振興会特別研究員DC1)
Ignacio Salgado-Linares (ドイツ・ミュンヘン工科大学 自然科学部 物理学科 博士課程)
望月維人 (早稲田大学 理工学術院 先進理工学部 応用物理学科 教授)
Johannes Knolle (ドイツ・ミュンヘン工科大学 自然科学部 物理学科 教授)
Alexander Mook* (ドイツ・ミュンスター大学 固体理論研究科 教授)
掲載日時:2026年6月10日
掲載URL:https://journals.aps.org/prx/abstract/10.1103/tbh2-jq9r
DOI:https://doi.org/10.1103/tbh2-jq9r
*:責任著者

研究助成

研究費名:学術変革領域研究(A) 『キメラ準粒子が切り拓く新物性科学』
研究課題名:キメラ準粒子の理論
課題番号:JP24H02231
研究代表者名(所属機関名):村上修一(東京大学)

研究費名:科研費 基盤研究(A)
研究課題名:スキルミオンが持つ新しい物質機能・物性現象の開拓とスキルミオニクスの創出
課題番号:JP25H00611
研究代表者名(所属機関名):望月維人(早稲田大学)

研究費名:科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業 CREST
領域名:トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出
研究課題名:Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出
課題番号:JPMJCR20T1
研究代表者名(所属機関名):于秀珍(国立研究開発法人理化学研究所)

研究費名:日本学術振興会 特別研究員奨励費(DC1)
研究課題名:トポロジカル磁性における磁気励起と光誘起現象に関する理論研究
課題番号:23KJ2047
研究代表者名:衛藤倫太郎(早稲田大学)

研究費名:日本学術振興会 若手研究者海外挑戦プログラム (2024年度)
研究課題名:マグノンバンドトポロジーの光学的手法による検出と制御に関する理論研究
受入研究機関名:ドイツ・ヨハネス=グーテンベルク大学マインツ
研究代表者名:衛藤倫太郎(早稲田大学)

研究費名:日本学術振興会 海外特別研究員
研究課題名:量子磁性体における分数励起のスペクトロスコピーに関する理論研究
受入研究機関名:ドイツ・ミュンヘン工科大学
研究代表者名:衛藤倫太郎

【6/20(土)】現役学生ガイドによるキャンパスツアー※まだご予約可能です

著者: staff
2026年6月11日 17:06

🤖 AI Summary

【6/20(土)】現役学生ガイドによる西早稲田キャンパスツアーの案内がまだ予約可能となっています。

### キャンパスツアー概要
- **日時**: 2026年6月20日(土)
- 10:00~11:30 / 13:00~14:30
- **定員**: 各回50名
- **所要時間**: 約1時間半(予約・質疑応答含む)

### 予約方法
- **ページ**: [キャンパスツアー予約ページ](https://www.waseda.jp/fsci/about/campus-tour/)
- **注意点**: 3名まで同伴者がいる場合は、人数を入力してください。高校生や保護者以外の一般の方が申し込む場合は、適切な情報を入力してください。

### 自由見学
- **時間**: 月~土 9:00~17:00(事務所開室時間:月~金 10:00~13:00, 14:00~16:00)
- **注意点**: 授業や実験があるため、大きな音は控え、新型コロナウイルスの感染状況を確認したうえで参加してください。

### VRキャンパスツアー
- **内容**: 西早稲田キャンパス内の施設の内外観を360度見渡し、現役学生によるナレーションやフォトギャラリーも用意しています。
- **アクセス**: [VR西早稲田キャンパスツアー](https://www.waseda.jp/fsci/about/campus-tour/)

### お問い合わせ先
- **メール**: [email protected]

以上が、現役学生ガイドによる西早稲田キャンパスツアーの詳細です。ご興味のある方はぜひご予約ください。

早稲田のロボット:ヒューマノイド研究50年の歩み

著者: contributor
2026年6月10日 10:17

🤖 AI Summary

この記事は日本の早稲田大学における長年にわたるロボティクス研究について述べています。主な内容を要約します:

1. 1984年、WABOT-2が音楽演奏能力を持つヒューマノイドロボットとして開発されました。

2. WABIANシリーズ(1990年代〜2000年代)は歩行技術の向上に貢献しました。

3. 2000年代後半からWaseda TalkersやWF-4Rなどの音声生成技術が研究されました。

4. TWENDY-ONE (2007年)は実生活での介護支援を目指すロボットでした。

5. KOBIAN(2009年)は感情表現に焦点を当てたヒューマノイドロボットです。

6. 現在進行中のAIRECプロジェクトは日常生活の支援を目指しており、人工知能による自律性を備えています。

7. これらの研究は単なる外見の模倣ではなく、機能や人間理解にもなっており、人とロボットとの新たな関係性を作り出そうとしています。

8. WABOT-2は現在オーストラリアの博物館に展示されていますが、2026年に早稲田大学に戻ります。

9. これらの研究は次世代ロボット工学研究所など4つの研究所で進行しています。

この記事は、早稲田大学によるロボティクス研究の歴史と最新の取り組みについて、概要を示すものとなっています。

ヒューマノイドロボットが世界的な研究分野として注目されるはるか以前から、早稲田大学ではその研究開発が行われていました。1973年に誕生したWABOT-1を起点に、その流れは現在のAI搭載ロボットへと受け継がれています。この長い歴史の礎を築いたのが、「日本ロボット研究の父」と称される故・加藤一郎教授です。同教授が1970年代初頭に開始したWABOTプロジェクトは、今日のロボティクス研究にも大きな影響を与え続けています。

本記事では、楽譜を読みエレクトーンを演奏するWABOT-2や、お笑いロボットKOBIANを含む、革新的な8体のロボットを紹介します。

WABOT-11973)— 世界初のヒューマノイドロボット

提供: 早稲田大学次世代ロボット研究機構

1973年に加藤教授のチームが完成させたWABOT-1は、世界初の本格的なヒューマノイドロボットとして広く評価されています。このロボットは二足歩行が可能で、手を使って物体をつかむことができ、さらに簡単な日本語によるコミュニケーションも実現していました。当時としては画期的な成果であり、ロボットが人間の基本的な動作や感覚を模倣できることを示した点に大きな意義があります。
その能力は1歳半程度の幼児に相当すると比較されることもあり、この成功はその後のヒューマノイドロボット研究の発展を大きく後押ししました。
なお、WABOT-1は現在、早稲田大学西早稲田キャンパス(63号館1階)で展示されています。

WABOT-21984)— 楽譜を読み演奏するロボット

提供: 早稲田大学次世代ロボット研究機構

1984年に発表されたWABOT-2は、音楽能力を備えたヒューマノイドロボットとして開発されました。前モデルのWABOT-1とは異なり、このロボットは楽譜を読み取り、手と足の両方を使って電子オルガン(エレクトーン)を演奏することができます。さらに、人間の歌手に合わせて演奏を調整することも可能でした。
このプロジェクトも加藤教授の指導のもとで進められ、知覚と運動の協調を統合した初期の成果を示しました。WABOT-2は1985年のつくば科学万博(Expo ’85)で公開され、ロボットが創造的かつ対話的な活動を行えることを示す事例として注目を集めました。

一部映像提供: National Communication Museum, Australia

WABOT-2は通常、早稲田大学西早稲田キャンパスの63号館でWABOT-1の隣に展示されていますが、現在はオーストラリア・メルボルンのNational Communication Museumに貸し出されています。同館では、人間と機械の関係性を探る「FRIEND」展の中心展示として紹介されており、まもなく展示期間を終え、2026年半ばから後半にかけて早稲田大学へ戻る予定です。

WABIANシリーズ1990年代〜2000年代)— 人間らしい歩行の追求

提供:Atsuo TAKANISHI Lab., Waseda University

1990年代から2000年代にかけて開発されたWABIANシリーズは、ロボットの歩行をより人間らしくすることを目的とした研究プロジェクトです。これらのロボットは、安定した二足歩行だけでなく、自然な動きでの方向転換や、物体を持ちながらの移動といった複雑な動作にも対応できるよう設計されました。
高西淳夫教授(理工学術院)をはじめとする研究者たちによって進められたこのシリーズは、ヒューマノイドロボットにおけるバランス制御や運動の協調性の向上に大きく貢献しました。

Waseda Talkers(2000〜2008)— 人間の発話を再現するロボット

提供:Atsuo TAKANISHI Lab., Waseda University

2000年頃から、高西淳夫教授(理工学術院)をはじめとする研究者のもとで開発が始まったWaseda Talkers(WTシリーズ)は、人間がどのようにして音声を生成しているのかを解明することを目的としたロボットシリーズです。このプロジェクトでは、一般的なスピーカーを使用するのではなく、人工声帯や肺、口腔などの人間の発声器官を機械的に再現することによって音声を生成します。
このように人間の発話の仕組みそのものを模倣することで、より自然で現実的な音声の生成が可能となり、人間とロボットのコミュニケーションの理解と発展に寄与しました。

WF-4R(2003)— フルートを奏でるロボット

提供:Atsuo TAKANISHI Lab., Waseda University

WF-4Rは、高西淳夫教授のもとで開発されたフルート演奏ロボットで、「Waseda Flutist No.4 Refined」として知られています。このロボットは、人間のような演奏技術と表現力の再現を目指して設計されており、楽譜に基づいた演奏に加え、メロディを認識しながら人間の演奏者と相互にやり取りする機能も備えています。
同プロジェクトは、音楽演奏に必要とされる複雑な運動制御や感覚処理を理解・再現するための長期的な研究の一環であり、音楽教育や人間とロボットの相互作用研究への応用も視野に入れられています。トレードマークである黒いトップハット姿も印象的です。

TWENDY-ONE2007)— 安全で実用的な生活支援ロボット

提供: 早稲田大学次世代ロボット研究機構

2007年に発表されたTWENDY-ONEは、研究用途にとどまらず、実生活での活用を視野に入れて開発されたヒューマノイドロボットです。このロボットは特に高齢者や介護を必要とする人々の支援を目的としており、日常生活の中で安全かつ確実に作業を行えるよう設計されています。
柔らかく感度の高い手や高度なセンサーを備えているため、壊れやすい物体も丁寧に取り扱うことが可能であり、人間と安全に接触することもできます。開発は、加藤教授の教え子でもある菅野重樹教授(理工学術院)の研究チームによって行われ、ロボットが実際の家庭環境で人々の生活を支える未来像を示しました。

KOBIAN(2009)— 全身で感情を表現するロボット

提供: Atsuo TAKANISHI Lab., Waseda University

KOBIANは、高西淳夫教授による別プロジェクトとして開発されたロボットで、歩行や作業能力ではなく「感情表現」に焦点を当てている点が特徴です。このロボットは、顔の表情だけでなく全身の動きを組み合わせることで、喜びや悲しみ、驚きといった感情を表現します。
この研究は、人間がロボットの感情をどのように読み取り、どのように関係性を築くのかを探るものであり、人とロボットのより円滑な相互作用の実現に向けた重要なステップとなっています。

AIREC(開発中)— 共に生きるための次世代ロボット

提供: 早稲田大学次世代ロボット研究機構

現在、早稲田大学で開発が進められているAIRECは、日常環境の中で人と共に生活し働くことを目指した次世代ヒューマノイドロボットです。名称は「AI-driven Robot for Embrace and Care」を意味し、家事支援や介護、医療支援などを通じて人を支えることを目的としています。
このプロジェクトは菅野重樹教授を中心に尾形哲也教授(理工学術院)らの協力のもと進められており、日本政府のムーンショット型研究開発制度の一環として位置づけられています。ロボットが自律的に複雑な作業を学習し、社会の中で長期的なパートナーとして共存する未来の実現が期待されています。

WABOT-1の誕生からAIRECに至るまで、早稲田大学におけるロボット研究は、人間により近い存在を目指して進化を続けてきました。それは単なる外見の模倣ではなく、機能や知能、さらには人間理解にまで及ぶものです。
この半世紀にわたる積み重ねに支えられ、早稲田大学のロボティクス研究はこれからも発展を続け、人とロボットの新たな関係性を切り開いていきます。

平面シートが「変身」して曲面に

著者: contributor
2026年6月10日 09:20

平面シートが「変身」して曲面に
―生物の「かたちづくり」をモノづくりに―

概要

京都大学大学院工学研究科 井上康博 教授、森川健太郎 同 助教、中村拓未 同 修士課程学生(研究当時)、松本嘉彦 同 博士後期課程学生、九州大学大学院医学研究院 松田佳祐 助教、富山大学学術研究部理学系 秋山正和 准教授、早稲田大学大学院情報生産システム研究科 山﨑慎太郎 教授、国立遺伝学研究所 近藤滋 所長らの研究グループは、植物や動物が用いる「偏差成長」の仕組みを、熱収縮フィルムと3Dプリンタで人工的に再現することに成功しました。

偏差成長は、組織の場所ごとに成長の速さを変えることで、平らな組織が立体に立ち上がる、生物の形態形成の根幹原理です。生物が「どこでどれだけ成長するのか」を定める設計図を、本研究では等角写像※1という数学的手法で作成し、「縮まない樹脂の小片」として熱収縮フィルム上にプリントすることで、生物と同じ仕組みを非生物材料に実装しました。さらに紫外線硬化樹脂を後から塗ると剛性は約166倍となり、昆虫が上皮にクチクラ※2を重ねて硬い殻を得る戦略まで再現します。

生物の形態形成原理を、モノづくりへ応用した本成果は、2026年6月10日午前0時5分(BST)に英国の国際学術誌「Journal of the Royal Society Interface」にオンライン掲載されます。

フィルムの場所ごとに収縮率が異なる「偏差成長」を実装 こちらは実験結果の写真(造形・撮影:森川健太郎)を素材とした生成AI画像(ChatGPT Images 2.0)です(作成:井上康博)

1.背景

花びらの優美なカーブ、脳のひだ、航空機の翼――身の回りにある「曲面」は、強度・機能・美しさのいずれの面でも欠かせない要素です。一方で、こうした自由な曲面を工業的に作るのは簡単ではありません。型を使って成形する従来法は型代がかさみ、切削加工や3Dプリンタなどの先端的な手法でも、削りカスや材料の無駄、成形に必要な大きなエネルギーといった課題が残ります。

生物に目を向けると、葉や花、昆虫の表皮など、複雑な曲面が当たり前のように作られています。その秘訣の一つが「偏差成長」と呼ばれる仕組みです。組織の場所ごとに成長の早さを変えることで、もともと平らだったシート状の組織が、自然に三次元の曲面へと立ち上がります。余分に作って削るのではなく、必要なところを必要なだけ伸ばす――「育てる」ようにかたちが現れる、エネルギー的にも材料的にも無駄の少ない作り方です。

本研究グループは、この自然の戦略をモノづくりにそのまま持ち込めないかと考えました。鍵は、「どこをどれだけ縮めれば、目的の立体形状になるのか」という収縮率の地図(分布)を、いかに正確に設計し、いかに正確に材料に書き込むかにあります。

2.研究手法・成果

本研究グループは、目的の曲面形状を平面に「広げ直す」数学(等角写像)を用いて、平面の各点で必要な収縮率を計算し、それを実材料に実装する手法を確立しました。実装には、市販の薄い熱収縮フィルム(厚さ12 µm)と、3Dプリンタで印刷した「縮まない樹脂(ポリプロピレン)の小片」を組み合わせます。フィルム上の各微小領域に置く小片の面積を変えることで、加熱したときに「どれだけ縮むか」を場所ごとに自在に制御できる仕組みです。

半球をベンチマークとして造形精度を評価したところ、目的形状に対し概ね数百µm程度の誤差で、滑らかな半球を再現できました。さらに、花、扁形動物(ヒラムシ)、エビ、自動車のボンネットといった、性質の異なる曲面を次々と造形することにも成功しました。注目すべきは、これら多様な形状を、いずれも「型」を一度も用いずに造形している点です。生物が葉や昆虫の角を型なしに作り上げるのと同じく、設計図さえあれば、3Dプリンタが平面シートに収縮地図を「印刷」し、ヒートガンで加熱するだけで、平面を立体曲面へ変身させます。

できあがった曲面は薄いフィルム製のため、それ自体は柔らかいことが弱点でした。そこで、生物が柔らかい組織の上に硬い殻(甲虫のクチクラなど)を後から重ねる戦略にならい、紫外線硬化樹脂を後からコーティングする工程を追加。これだけで、頂点を押し込むときの初期剛性が約166倍に跳ね上がりました。形を作る工程と、固める工程を分けるという生物的なアプローチが、人工物にもそのまま使えることを示した結果です。

3.波及効果、今後の予定

本手法は、生物が用いる立体形成原理(偏差成長)を、設計から造形までを一気通貫したモノづくりの手順に落とし込んだ点が最大の特徴です。任意の3D曲面形状を入力するだけで、その実現に必要な平面シート上の収縮率分布が自動的に算出され、3Dプリンタが書き込み、加熱で曲面形状へと変身させます。応用先として、体内に折りたたんだ状態で送り込み、目的の場所で展開する低侵襲手術用インプラント、軽量な航空・宇宙構造物、人体形状にぴったり沿うエルゴノミクス家具、ソフトロボットの「皮膚」などが考えられます。コップ、椅子、流線形の車体、ルアーといった日用品レベルの応用例も、本研究の中で実際に造形して示しました。

一方で、現状の手法には限界もあります。フィルムを縮めて造形するため変形は不可逆で、また半球の北半球と南半球のように「凹凸の向き」までは事前に決定できません。今後は、3Dプリンタの造形範囲を超える大きな曲面を作るための分割・組立法、海綿動物の骨格に学んだ補強構造の組み込みなど、生物のかたちづくりからさらにヒントを得ながら、手法の発展を進めていく予定です。

4.研究プロジェクトについて

本研究は、文部科学省 科学研究費補助金 学術変革領域研究(A)(課題番号:20H05947、20H05943、20H05949、20H05948)、日本学術振興会 科学研究費助成事業(課題番号:24K23206、25K21510、25K22078、25K07129)、公益財団法人 服部報公会 工学研究奨励助成金、ならびに積水化学工業株式会社「自然に学ぶものづくり」研究助成プログラムの支援を受けて行われました。

<用語解説>

※1 等角写像(Conformal mapping)
局所的な角度を保ったまま、ある面を別の面へ写し取る数学的な変換。本研究では、目的の曲面を平面に「歪まずに広げる」ためのレシピとして用い、各点でどれだけ縮めればよいかを算出した。

※2 クチクラ(Cuticle)
昆虫など節足動物の体の外側を覆う、キチン質を主成分とする硬い層。柔らかい上皮が形を作った後に分泌・硬化することで、形を保ったまま剛性を獲得する。本研究の樹脂コーティングによる補強は、この「形成と硬化を分ける」生物戦略にヒントを得ている。

<研究者のコメント>

生物の3次元形態は、成長率の偏りの分布で説明できるのではないかと考えたことが、本研究の出発点でした。数学を用いてこの発想を理論化する研究に取り組み、葉や昆虫の角など、生物の分類を超えて共通する原理を見出すことができました。今回は、さらに生物さえ超えて理論を適用することで、モノづくりの方法へと展開しました。このような対象を超えた普遍性が、数学の道具としての強みだと感じています。(森川健太郎)

考えれば考えるほど、細胞は不思議な存在です。立体になって初めて「正解だった」と分かる曲面形状を、目も脳も持たない細胞たちが、平面の段階で「ここをこれだけ大きく」と淡々と決め、結果として一発で完璧な形を作り上げる。なぜ設計図を見ずにそんな芸当ができるのか――この仕組みの一端が数学として分かっただけでなく、モノづくりに応用できた点が面白いです。(井上康博)

<論文タイトルと著者>
タイトル: Artificial morphogenesis of curved surface structures inspired by differential growth in biology(生物の偏差成長に着想を得た曲面構造の人工形態形成)
著  者:Kentaro Morikawa, Takumi Nakamura, Yoshihiko Matsumoto, Keisuke Matsuda, Masakazu Akiyama, Shintaro Yamasaki, Shigeru Kondo, Yasuhiro Inoue(森川健太郎、中村拓未、松本嘉彦、松田佳祐、秋山正和、山﨑慎太郎、近藤滋、井上康博)
掲 載 誌:Journal of the Royal Society Interface
DOI:10.1098/rsif.2025.1094

【第37回ユニラブ】小中学生のための科学実験教室開催

著者: staff
2026年6月8日 11:53

🤖 AI Summary

【第37回ユニラブ】小中学生向け科学実験教室開催

【概要】
早稲田大学理工学術院主催の「ユニラブ」は、自ら体験する実践を通じて、小中学生に科学・技術への興味を高める機会を提供しています。「ユニラブ」という名称はUniversity Laboratoryから派生した造語です。

【歴史】
1988年に新宿区の近隣学校から始まり、現在では全国で30,000人を超える参加者を集めている大規模なイベントとなりました。

【特徴】
早稲田理工は、「知っている」から「できる」まで徹底的な実践教育を行っています。この理念に基づき、特色のある実験教室を展開しています。また、本学と関係のある地域で実施されています。

2025 年 9 月・2026 年 4 月入学 大学院先進理工学研究科修士課程 一般入試において「生命医科学専攻・基礎工学II」の問題を解答された皆様へ

著者: staff
2026年6月8日 11:47

🤖 AI Summary

以下は、早稲田大学先進理工学研究科修士課程の一般入試で「生命医科学専攻・基礎工学II」に回答された方への要約です:

2025年9月・2026年4月入学のための早稲田大学先進理工学研究科修士課程の一般入試において、「生命医科学専攻・基礎工学II」という科目に答問された皆さんへ向けた通知です。

主要な内容は以下の通りです:

1. ご質問と解答内容について確認し、再検討を行ってください。
2. 必要であれば、再度解答を提出する機会が設けられる可能性があります。
3. 追加情報や指示は、後日公式ウェブサイトを通じて発表されますのでご注意ください。

詳細については、公式パンフレットをご参照ください。

テラヘルツバイオフォトニクスが拓く次世代バイオ計測

著者: contributor
2026年6月2日 15:48

テラヘルツバイオフォトニクスが拓く次世代バイオ計測
~テラへルツ技術の医療・生命科学応用に向けた課題と技術ロードマップを提示~

発表のポイント

  • 生体組織や細胞、分子の状態を非侵襲・非破壊で調べることができる電磁波としてテラヘルツ波が注目されてきましたが、医療・生命科学への実利用は大きく進んでいませんでした。
  • 本研究では、テラヘルツ波を生体計測に応用する研究分野である「テラヘルツバイオフォトニクス」の発展を妨げてきた本質的課題を整理し、その克服に向けた技術の進展を体系的にまとめました。
  • 加えて、新しい顕微鏡技術や高感度センサー技術などの研究動向を整理し、医療・バイオ計測分野への応用に向けた現実的な技術ロードマップを示しました。
  • 本成果により、テラヘルツバイオフォトニクスを次世代の医療・生体計測を支える候補技術として社会に広く示すとともに、産学連携や異分野融合の加速が期待されます。

生体の水和状態や分子間相互作用などを捉えられる新しい技術として、テラヘルツ波を用いた生体計測が注目されています。しかし、可視光などの光技術と比べると、医療や生命科学への実利用は大きく遅れていました。
早稲田大学大学院情報生産システム研究科 芹田和則(せりたかずのり)准教授、岡山大学学術研究院先鋭研究領域異分野基礎科学研究所 斗内政吉(とのうちまさよし)教授(特任)の研究グループは、テラヘルツバイオフォトニクス研究の歴史と最新技術を整理し、分野の発展を妨げてきた本質的課題を体系的に分析しました。さらに、顕微鏡技術や高感度センサーなどの新しい研究動向を整理し、医療・バイオ計測への応用に向けた技術ロードマップを提示しました。本成果は、テラヘルツバイオフォトニクスを次世代の医療・生体計測技術として発展させるための重要な指針となります。
本研究成果は2026年5月29日に「Journal of Physics Photonics」に掲載されました。

これまでの研究で分かっていたこと

テラヘルツ波※1は、分子間相互作用や水素結合、水和状態など、生体の状態を反映する物理情報に敏感に応答する電磁波です。2000年代以降、医療や生命科学への応用を目指した研究が世界的に進められてきました。これまでの研究では、がん組織、創傷、血液、細胞、DNA、タンパク質など様々な対象で有望な結果が報告されてきました。しかし、可視光や近赤外光を用いた光学顕微鏡に比べると、テラヘルツ技術の実利用は以下の技術的課題が存在していたため、大きく遅れていました。

  • 空間分解能※2が低いこと
  • 水による強い吸収によって感度が低下すること
  • 計測速度が遅いこと
  • 装置が大型で高コストになりやすいこと

また、先行研究では、テラヘルツ信号によって観測された信号の違いが病気特有の情報ではなく、単に水分量の違いを反映している可能性が指摘されるなど、テラヘルツ信号の観測解釈に懐疑的な見方も多く、「測定できた」という段階にとどまる研究も少なくありませんでした。そのため、テラヘルツ波が生体のどのような情報を実際に捉えているのかを検証する研究が求められていました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究では、テラヘルツバイオフォトニクス※3分野の研究動向を体系的に整理し、この分野の発展を妨げてきた本質的課題と、それを克服するための技術進展を明らかにしました。
まず、テラヘルツバイオフォトニクス研究の歴史を俯瞰し、分野の停滞要因の本質的課題を以下の4つとして再定義しました。

(1)空間分解能の不足

(2)水への強い吸収による感度不足

(3)計測速度の遅さ

(4)装置の大型化

次に、これらの課題を克服するための技術進展を整理しました。特に、テラヘルツ時間領域分光法※4による分光技術、テラヘルツ顕微鏡を使ったイメージング技術、テラへルツメタマテリアル※5を使ったセンシング技術が、どのように進展し、どの課題の解決に寄与していくのかを体系的に整理しました。
例えば、テラヘルツ時間領域分光法による高精度な分光技術が進展することで、生体の水和状態などの変化を定量的に評価することが可能となり、テラヘルツ信号の解釈の信頼性向上に寄与します。また、テラヘルツ顕微鏡技術の進展により、従来課題であった空間分解能の向上が進み、現在では、細胞、分子、微細構造レベルでの観察が可能になりつつあります。さらに、テラヘルツメタマテリアルを用いたセンシング技術は、テラへルツ波の電場を局所的に強く集中させることで、微量な生体物質の検出感度を高め、小型・高感度なバイオ分析チップへの応用が期待されています。
特に、筆者らがテラヘルツバイオフォトニクス応用の要となる技術として開発を進めているテラヘルツ点光源顕微鏡※6は、これまでのテラへルツ計測の主要課題であった上記4つ(空間分解能、感度、計測速度、装置サイズ)を同時に克服する技術として位置づけられ、細胞レベルでの生体計測や微量試料分析への応用可能性にも言及しています。
さらに、皮膚がん診断や創傷評価では、すでに臨床応用を見据えたテラへルツ診断装置も進みつつあることを示し、比較的早期の実用化が期待される応用分野として、医療分野での社会実装に向けた現実的なシナリオを提示しました。
本研究により、テラヘルツバイオフォトニクス研究は、単に「測れるかどうか」を示す段階から、テラヘルツ波が生体のどのような情報を捉えているのかを検証しながら実用化へと進む段階に入りつつあることが明らかになりました。

研究の波及効果や社会的影響

本研究は、テラヘルツバイオフォトニクスという新しい研究領域の可能性を社会に広く示すものです。テラヘルツ技術は、非侵襲・ラベルフリーで生体情報を取得できる可能性を持つため、将来的には皮膚がん診断、創傷評価、生体組織分析、微量バイオ分析などの医療分野への応用が期待されています。また、メタマテリアルセンサーやマイクロ流路技術との統合により、小型で高感度なバイオ分析チップの開発にもつながる可能性があります。こうした技術は医療だけでなく、創薬、食品、環境、半導体、バイオ産業など幅広い分野への応用が期待されます。
さらに、テラヘルツ技術は、大きなマーケットを担うバイオ産業の一翼を担うことが期待されています。本研究は、テラヘルツバイオフォトニクス技術がこのバイオ産業の開拓に貢献できる具体的な道筋を明らかにしたものです。
加えて、テラヘルツバイオフォトニクスは物理学、光工学、電子工学、生命科学、医学などが交差する学際分野であり、本成果の社会発信により、新しい研究コミュニティの形成や産学連携の加速が期待されます。

課題、今後の展望

テラヘルツバイオフォトニクスは大きな可能性を持つ一方で、依然としていくつかの課題が残されています。特に、生体内でのテラヘルツ信号の起源をより正確に理解すること、計測装置の小型化・高速化・低コスト化を進めることなどが重要です。今後は、顕微鏡技術やセンサー技術のさらなる発展に加え、AIによるデータ解析や医療機関との連携を進めることで、実際の医療現場への応用が期待されます。また、近年急速に発展しているナノフォトニクスやメタマテリアル技術との融合により、これまでにない高感度な生体計測技術が生まれる可能性があります。

研究者のコメント

テラヘルツ波は長年、医療や生命科学への応用が期待されながらも、実用化には多くの課題が残されていました。本研究では、これまでの研究を整理し、分野が直面している本質的課題とその解決に向けた技術の方向性を示しました。テラヘルツ技術が、将来の医療や生体計測を支える新しい技術として発展することを期待しています。また、「テラヘルツ波」をより身近に扱える未来社会の実現に向けた重要な指針となる論文になることを期待しています。

用語解説

※1 テラへルツ波
周波数が約1テラヘルツ(1兆ヘルツ)付近にある電磁波の総称で、光と電波の中間に位置する。波長は約0.3ミリメートルで、光のように直進しやすく、電波のように物質を透過する性質を併せ持つ。また、生体内の水や分子の動きに敏感に反応する特徴がある。1光子のエネルギーはX線の約100万分の1と小さく、生体にダメージを与えにくい非侵襲計測が可能とされる。医療・生命科学、半導体検査、食品品質管理、次世代通信など幅広い分野での応用が期待されている。

※2 空間分解能
どれだけ細かい構造を見分けられるかを示す指標。空間分解能が高い(良い)ほど、小さな対象(細胞や微細構造)をよりはっきりと観察することができる。

※3 テラヘルツバイオフォトニクス
テラヘルツ波を利用して、生体組織、細胞、分子などの状態を計測・分析する研究分野。テラヘルツ波は水和状態や分子間の相互作用などに敏感に反応するため、生体の状態を非侵襲・非破壊で調べられる可能性がある。医療診断、生体計測、バイオ分析などへの応用が期待されている学際的な研究領域である。

※4 テラへルツ時間領域分光法
テラヘルツパルスを発生させ、物質を透過・反射した波形を時間領域で測定することで、物質の吸収特性や屈折率などを調べる計測手法。テラヘルツ領域の代表的な計測技術であり、物質の構造や分子振動の情報を得ることができるため、生体分子や材料の分析に広く利用されている。

※5 メタマテリアル
自然界には存在しない特殊な電磁特性を人工的に実現するために設計された微細構造材料。電磁波の共鳴や電場増強などの効果を利用できるため、センサーや光学デバイスなどに応用されている。テラヘルツバイオセンサーでは、メタマテリアル構造によって電場を強く集中させることで、微量な生体物質を高感度に検出できる可能性がある。

※6 テラへルツ点光源顕微鏡
局所的にテラヘルツ波を発生させ、その微小なテラヘルツ光源を走査することで試料を観察する顕微鏡技術。従来のテラヘルツ計測よりも高い空間分解能で測定できるため、細胞や微小構造などの生体試料を詳細に観察できる可能性がある。

キーワード

テラへルツ波、テラへルツバイオフォトニクス、テラへルツ時間領域分光、テラへルツ点光源顕微鏡、メタマテリアル

論文情報

雑誌名:Journal of Physics Photonics
論文名:Recent advances and emerging directions in terahertz biophotonics
執筆者名(所属機関名):Kazunori Serita (Waseda University), *Masayoshi Tonouchi (Okayama University)
掲載日時:2026年5月29日
DOI:https://doi.org/10.1088/2515-7647/ae7490
*:責任著者

研究助成

研究費名:JST創発的研究支援事業
課題番号:JPMJFR2029
研究課題名:近接場テラヘルツ励起プローブ顕微鏡による1細胞・1分子分光イメージング解析とその応用
研究代表者名(所属機関名):芹田 和則(早稲田大学)

研究費名:JSPS科学研究費助成事業 基盤研究B
課題番号:JP25K01294
研究課題名:高分解能テラへルツ内視鏡の開発
研究代表者名(所属機関名):芹田 和則(早稲田大学)

研究費名:JSPS科学研究費助成事業 基盤研究A
課題番号:JP23H00184
研究課題名:局所場における光テラヘルツ波変換モデルリングと半導体分析応用
研究代表者名(所属機関名):斗内 政吉(岡山大学)

金属ガラスの電子顕微鏡像に現れた”明るい点”の正体に迫る

著者: contributor
2026年5月28日 16:54

金属ガラスの電子顕微鏡像に現れた”明るい点”の正体に迫る
~高分解能像の解析から柱状原子配列の存在を示唆~

発表のポイント

  •  Zr-Pt金属ガラス※1に20面体原子クラスター※2とそれに類似する構造を持つ歪んだ20面体原子クラスターが支配的に存在し、それぞれ異なる空間分布の特徴があることを見出しました。
  •  20面体原子クラスターは互いに入り込むような形で中距離秩序構造※3を形成し、比較的短い柱状原子配列※4を作ることが知られています。本研究では、その中心軸に沿った原子列が高分解能透過型電子顕微鏡※5像(高分解能像)に輝点として現れることを明らかにしました。
  •  さらに、歪んだ20面体原子クラスターを含めた様々な種類の原子クラスターが一方向に結合し、想定されていた中距離秩序構造よりも大きな柱状原子配列を形成することを初めて示しました。この構造は高分解能像に特に強い輝点として現れることが明らかとなりました。
  •  これにより、従来解釈が複雑とされてきたガラスの高分解能像を、柱状原子配列をもとにすることで、より直感的に解釈できる可能性が示されました。今後、金属ガラスや他のガラス物質の構造を理解するための新たな理論の確立につながることが期待されます。

合金のガラス形成過程において、異なる構造的特徴を持つ原子クラスターの挙動、または原子クラスターの接続によって形成される中距離秩序構造は、金属ガラスの機械的強度などの性質の起源を探る上で重要なため、多くの研究者の注目を集めています。しかし、ガラス構造には結晶構造のような周期性がないことから、実験で撮影した高分解能透過型電子顕微鏡※5像(高分解能像)には明確な輝点の周期配列が現れないため、その解釈が困難であることが知られています。
早稲田大学の査思源(Zha Siyuan)助手と平田秋彦(ひらたあきひこ)教授の研究グループは、Zr-Pt合金のガラス構造に関して、分子動力学シミュレーションと透過型電子顕微鏡による観察を組み合わせ、20面体を含む種々の原子クラスターが一列に並ぶ柱状原子配列の特徴を調べ、それらの柱の中心軸が高分解能像中で中距離秩序構造に起因する明瞭な輝点として現れることを明らかにしました。
本研究は、金属ガラスの構造を理解するための新たな視点を提供するものであり、金属ガラスや他のガラス物質の構造を理解するための新たな理論の確立につながることが期待されます。
本成果は、2026年5月12日(火)に『Acta Materialia』で公開されました。

図1(左上)20面体原子クラスターおよび歪んだ20面体原子クラスターからなる中距離秩序構造。比較的短い柱状原子配列に対応する。(右上)実験で金属ガラスから得られた高分解能像。(左下)分子動力学シミュレーションで得られた金属ガラスモデルから計算した高分解能像。(右下)種々の原子クラスターからなる大きいサイズの柱状原子配列。左上や右下の柱状中距離秩序構造の中心軸に沿った原子の並びが、柱の軸方向から見た際の像中の輝点に対応する。右下の配列からは、左上のものと比べて、より輝度の高い輝点が期待される。

これまでの研究で分かっていたこと

1960年代、金属を液体から急冷することによって、金属ガラスが初めて作られました。金属ガラスはランダムな原子配列を示していますが、そのランダムな中に秩序が潜んでおり、金属ガラスの構造的特徴を解明するため、多くの研究がこれまで行われてきました。
原子クラスターは金属ガラスの基本構造単位として、それぞれ異なる構造的特徴を示しています。原子クラスター同士は、一部の原子を共有する形で互いに接続して、数ナノメートルの直径を持つ中距離秩序構造を形成していることが示唆されています。例えば、計算機シミュレーションによるモデル作成の手法を用いて、金属ガラスの中距離秩序構造の特徴がこれまで議論されてきました(S. Y. Wang et al., Phys. Rev. B 78, 184204 (2008))。
一方で、そのような金属ガラスの中距離秩序構造を実験的に解明するのは容易ではありません。その理由は、金属ガラスの構造には結晶構造のような周期性が無いことから、全体から得られる構造情報は平均化されたものになってしまうためです。そこで、局所的な領域を観察できる透過型電子顕微鏡観察を用いて、中距離秩序構造に対応する局所秩序領域の存在がこれまで示唆されています(Y. Hirotsu et al., Microsc. Res. Tech. 40, 284-312 (1998)、J. Saida et al., J. Appl. Phys. 90, 4717–4724 (2001))。しかし、ガラス構造から得られた高分解能像をどのように解釈するかに関しては、未だ不明な点が多く残されていました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

これまで、結晶構造のような周期性を持たないガラス構造に対する高分解能像は、非常に複雑なことからその解釈が困難でした。今回、早稲田大学の査思源(Zha Siyuan)助手と平田秋彦(ひらたあきひこ)教授の研究グループは、実験で得られたガラス物質の高分解能像を観察する中で、著しく明るい輝点コントラストが至る所に含まれていることに気づきました。この輝点コントラストの起源を調べるため、代表的な金属ガラスの1つであるZr系合金を選び、高分解能像観察と計算機シミュレーションを組み合わせることで研究を進めました。
今回、研究対象としたZr80Pt20合金は、高いガラス形成能※6を持つことが知られており、金属ガラスに関する多くの研究で扱われています。まず、分子動力学シミュレーションによって構造モデルを作成し、ボロノイ多面体解析※7から、20面体原子クラスターと歪んだ20面体原子クラスターが支配的であることが分かりました。さらに、この二種類の原子クラスターの分布特徴を調べたところ、20面体原子クラスターは互いに入り込み、相互貫入型の中距離秩序構造をより多く形成し、密集する傾向があります。一方、歪んだ20面体原子クラスター同士は多面体の面または辺を共有する形でより長い距離で接続する傾向があり、広がりを持つ構造を形成していました。
さらに、本合金に対する高分解能像観察も行い、上述したような著しく明るい輝点コントラストが像中に見られることが分かりました。この輝点に対応する構造を見出すため、分子動力学シミュレーションによって作成した構造モデルを用い、高分解能像を計算することにより、実験結果との比較を行いました。計算像は、実験像に見られる輝点の位置や強度を一対一に再現するものではありませんが、電子線入射方向に沿って原子クラスターが柱状に連結した領域では、その中心軸に沿った原子の並びが局所的に高い輝度を与えることが分かりました。このことから、実験像に現れる明るい輝点の有力な起源として、20面体原子クラスターのみで構成されたものだけでなく、種々の原子クラスターが電子線入射方向に沿って接続することで形成された柱状原子配列の存在を示しました。
今回の研究によって、これまで不明な点が多かったガラス構造の高分解能像に新たな解釈を与えたため、今後、ガラス構造の研究自体に新たな視点をもたらすことが期待されます。

研究の波及効果や社会的影響

  • 金属ガラス構造中に支配的に存在する二種類の原子クラスターが全く異なる分布特徴を示すことが見出され、金属ガラスの構造に対する理解が深まりました。このような構造不均一性は、金属ガラスのダイナミクスや物性に影響を与えると予想され、新たな発展が期待されます。
  • 実験結果と計算結果の比較により、これまで不明な点が多かったガラス構造の高分解能像の解釈に新たな視点を与えました。これにより、これまでに気づかれていなかった大きいサイズの柱状原子配列が初めて見出され、金属ガラスの基礎研究に新たな視点を提供しました。今後、柱状原子配列の構造的特徴や3次元的配列などについて詳しく調べることで、新たな発見が期待されます。

課題、今後の展望

今回の研究で、Zr-Pt合金における20面体を含む様々な原子クラスターが連なった柱状原子配列が見出され、その柱の中心軸に沿った原子列が高分解能像の輝点の起源になっていることを示しました。しかし、柱状原子配列については、その構造的特徴の定量解析や構造中の多面体分布状況を、より詳細に調べる必要があります。さらに、柱状原子配列の形成が機械的性質などの物性に与える影響や、それがガラス物質全般について一般的なものであるか、という課題について、他のガラス物質を用いて検証する必要があります。

研究者のコメント

  • 今回の研究で、高分解能像に多く含まれている輝点コントラストに着目し、実験結果と計算結果の比較により、その起源と考えられる柱状原子配列が見出されました。なかでも、20面体だけでなく複数種の原子クラスターからなるサイズの大きい柱状原子配列に関してはこれまでに注目されておりませんでしたが、今後、金属ガラスの基礎研究における一つの視点として、発展が期待されます。(査思源)
  • ガラス物質から得られる高分解能像は複雑であり、その解釈は簡単ではありませんでした。我々は、これまで局所電子回折や計算機シミュレーションを用いて、アモルファス構造に潜む秩序の解明に取り組んできました。今回、改めて高分解能像中の特に明るい輝点に着目することで、これまで見出されていなかった特徴を持つ柱状原子配列を見出しました。他のガラス物質においても、同様のコントラストが見られることが多いことから、ガラス物質に普遍的な特徴であることが期待されます。(平田秋彦)

用語解説

※1 金属ガラス
規則正しい原子配列を持つ金属結晶とは異なり、原子が不規則に配列している固体金属材料です。

※2 原子クラスター
数個から十数個の原子からなる局所構造で、通常0.5nm以下の半径のものを示します。金属ガラスの基本構造単位として扱われることが多いです。

※3 中距離秩序構造
原子クラスターの接続によって形成される構造で、1~2ナノメートルのスケールを持つものです。

※4 柱状原子配列
中距離秩序構造のうち、特に原子クラスターが直線状に連なって接続しているものを指します。コラム状原子配列とも呼ばれます。

※5 透過型電子顕微鏡
加速された電子を薄膜試料に照射し、透過した電子を用いて回折や像を得る顕微鏡です。これにより、原子スケールの観察が可能となります。

※6 ガラス形成能
合金系を液体から冷却したときに、ガラス状態になる能力を指します。ガラス形成能が高いほど、ガラス状になりやすいです。

※7 ボロノイ多面体解析
原子クラスターの構造的特徴を幾何学的観点で分類するための数理的手法です。

キーワード

金属ガラス、原子クラスター、中距離秩序構造、透過型電子顕微鏡、分子動力学シミュレーション

論文情報

雑誌名:Acta Materialia
論文名:Columnar atomic arrangements in Zr-Pt metallic glasses and their appearance in high-resolution electron microscopy
執筆者名(所属機関名):査思源(早稲田大学、筆頭)平田秋彦(早稲田大学)*
掲載日時(現地時間):2026年5月12日
掲載日時(日本時間):2026年5月12日
掲載URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1359645426004465
DOI:https://doi.org/ 10.1016/j.actamat.2026.122344
*:責任著者

研究助成

研究費名:科学研究費 挑戦的研究(萌芽) 課題番号:23K17837
研究課題名:ガラス構造における擬格子面と位相幾何的秩序
研究代表者名(所属機関名):平田 秋彦(早稲田大学)

ムーンショット型研究開発制度のプロジェクトマネージャーに尾形哲也教授が決定

著者: contributor
2026年5月28日 16:53

🤖 AI Summary

早稲田大学の尾形哲也教授が、内閣府統括の「ムーンショット型研究開発制度」における目標3プロジェクトマネージャーに任命されました。尾形教授は、「一人に一台一生寄り添うスマートロボットAIREC」というプロジェクトをリードします。

「ムーンショット型研究開発制度」は、破壊的イノベーションの創出を目指し、大胆な挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する新制度です。内閣官房や文部科学省など6省庁が連携して進められ、10つのムーンショット目標があり、各目標に対して全体責任者(プログラムディレクター)とプロジェクトマネージャーが設定されています。

尾形教授はプロジェクトマネージャーとして、研究開発のシナリオ策定や実施管理などを行います。具体的なムーンショット目標には2050年までのロボットの共進化による自ら学習・行動するスマートロボット実現などが含まれています。

このたび、内閣府が統括する「ムーンショット型研究開発制度」における目標3に、本学から尾形哲也教授がプロジェクトマネージャーとして決定されました。

 

プロジェクトマネージャー

尾形哲也(理工学術院・教授)

 

研究開発プロジェクト

「一人に一台一生寄り添うスマートロボットAIREC 」

 

ムーンショット型研究開発制度

日本発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する新たな制度で、内閣官房、内閣府、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省等が連携し、研究開発を推進します。総合科学技術・イノベーション会議で決定された10のムーンショット目標について、各目標における研究開発全体責任者であるプログラムディレクターの下、プロジェクトマネージャーは、ムーンショット目標達成および研究開発構想実現に至るシナリオの策定、研究開発プロジェクトの設計、研究開発体制の構築、研究開発プロジェクトの実施管理などを行います。

ムーンショット目標

1. 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現

2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現

3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現

4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現

5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出

6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現

7.2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現

8.2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現

9.2050年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現

10.2050年までに、フュージョンエネルギーの多面的な活用により、地球環境と調和し、資源制約から解き放たれた活力ある社会を実現

独創性を発揮する、気鋭の研究者たち(理工学術院 和佐泰明准教授)

著者: contributor
2026年5月28日 15:02

🤖 AI Summary

早稲田大学では、PI飛躍プログラムを通じて独創的な研究に取り組む若手研究者の支援を行っています。本記事はその中から和佐泰明准教授の研究内容を紹介します。

1. **研究テーマ**: 和佐准教授は「Cyber-Physical Human Systems(CPHS)」という概念に基づいて、広範なシステム制御や数理工学の視点から研究を行っています。特に、人間とAIが混在する複雑な社会システムの制御設計に焦点を当てています。

2. **具体的な課題**: その一例として、脱炭素社会のための国際協定や電力市場メカニズムの改善などが挙げられます。これらの課題では、経済学や深層学習技術などの知見を融合し、数理モデル化することで解決策を模索しています。

3. **研究支援**: PI飛躍プログラムは、個々のPIのニーズに合わせて最適な支援を提供するため、テーラーメード型の支援体制を設けられています。採択された若手研究者は補助者の雇用や国際ネットワークの構築など、様々な面でサポートを受けられます。

4. **将来的展望**: 和佐准教授は、文理融合研究に取り組むことを目指しており、人文社会系の多くの課題にも貢献したいと考えています。今後も独創的な研究成果を期待されます。

本記事は、和佐准教授が推進する研究内容とPI飛躍プログラムについて紹介したものであり、早稲田大学が若手研究者の成長を支援する取り組みの一例を示しています。

理工学術院 森 達哉 教授が令和8年度「情報通信功績賞」を受賞

著者: contributor
2026年5月28日 14:53

🤖 AI Summary

理工学術院の森達哉教授が令和8年度「情報通信功績賞」を受賞しました。この賞は、総務省及び情報通信月間推進協議会により、電波利用又は情報通信の発展に貢献した個人及び団体に対して授与されます。

【主な内容】
- 受賞者:森達哉 教授(理工学術院・教授)
- 受賞理由:AI、IoT、Webなどに関するサイバーセキュリティの研究に長年従事し、先進的な研究成果と高度人材の育成を通じて我が国のサイバーセキュリティ分野の発展に寄与。また、政府におけるAIセキュリティ政策の推進にも尽力しました。

- 令和8年度情報通信功績賞は計5件の受賞があり、そのうち個人4件、団体1件です。

この表彰は森教授の長期的な研究と貢献を称えるもので、彼の業績は日本のサイバーセキュリティ分野の発展に大いに貢献していると評価されています。

総務省及び情報通信月間推進協議会は、令和8年度の「電波の日」(6月1日(月))及び「情報通信月間」(同年5月15日(金)から6月15日(月)まで)にあたり、電波利用又は情報通信の発展に貢献した個人及び団体を表彰しています。この度、理工学術院の森達哉教授が令和8年度の情報通信月間推進協議会会長表彰「情報通信功績賞」を受賞しました。

【受賞者】森 達哉 (理工学術院・教授)

【受賞理由】AI、IoT、Web等に関するサイバーセキュリティの研究に長年従事し、先進的な研究成果の創出と高度人材の育成を通じて我が国のサイバーセキュリティ分野の発展に寄与するとともに、政府におけるAIセキュリティ政策の推進にも尽力し、我が国の安全・安心なサイバー空間の実現に多大な貢献をした(総務省ホームページより抜粋)。

なお、令和8年度の「情報通信功績賞」は、個人4件、団体1件の計5件が受賞しました。

ニュートリノの「変⾝」が左右する星の最期と超新星爆発

著者: contributor
2026年5月25日 16:23

ニュートリノの「変⾝」が左右する星の最期と超新星爆発
~スパコン「富岳」を⽤いたマルチアングル輸送計算により解明~

発表のポイント

  •  ニュートリノがその性質を「変⾝」させるニュートリノ振動※1が、星の⼀⽣の最期に起きる超新星爆発へどう影響を及ぼすかを初めて明らかにしました。
  • 超新星爆発内部で起きる特異な種類のニュートリノ集団振動、特に「⾼速フレーバー変換」を正確に取り扱うために、運動量空間を解くマルチアングル輸送シミュレーションをスーパーコンピュータ(スパコン)「富岳」※2において実⾏し、フレーバー変換の効果を初めて考慮しました。
  •  軽い星ではニュートリノ振動が爆発を促進し、重い星ではその逆となることがわかりました。
  •  宇宙進化に重要な役割を果たす超新星爆発のメカニズムにはまだ謎が多いですが、その解明に⼀歩近づきました。

早稲田大学理工学術院総合研究所赤穗 龍一郎(あかほ りゅういちろう)次席研究員理工学術院山田 章一(やまだ しょういち)教授、国立天文台の長倉 洋樹(ながくら ひろき)特任助教らの研究グループは、素粒⼦であるニュートリノがその性質を「変⾝」させるニュートリノ集団振動という現象が、宇宙最⼤の⼤爆発である超新星爆発にどう影響するかを、スパコン「富岳」によるシミュレーションで明らかにしました。超新星はニュートリノがエネルギーを運ぶことで爆発を引き起こすと考えられています。そして超新星内部では、ニュートリノ同⼠の相互作⽤によってニュートリノ集団振動という現象が起きると理論的に予想されていますが、その影響はわかっていませんでした。本研究では、集団振動の種類の中で最も卓越的である⾼速フレーバー変換の効果を、それを正しく取り扱うためのマルチアングル輸送シミュレーションに初めて組み込み、超新星爆発ダイナミクスに及ぼす影響を明らかにしました。

本研究成果は2026年5月 1 1日(月)にアメリカ物理学会の「Physical Review Letters」にて公開され、同誌のFeatured in Physics Viewpointとして選出されました。Physics Viewpointは、Physical Review の中から特に注目される論文が選出されます。

図1:比エントロピー(衝撃波を膨張させる勢いの指標)の分布を、フレーバー変換なし(左)とフレーバー変換あり(右)で比較したもの。赤い領域がフレーバー変換発生領域で、そこを通ったニュートリノの平均エネルギーが高まり、ニュートリノ加熱率が上昇したことで衝撃波が広がっている。

これまでの研究で分かっていたこと

重い星が⼀⽣の最期に起こす超新星爆発は宇宙最⼤規模の⼤爆発です。多彩な元素が超新星で合成され、宇宙に拡散されることで多様な物質が⽣まれ、我々のような⽣命が誕⽣したと考えられています。また、その後中⼼部にはブラックホールや中性⼦星などの天体が形成され、それらは他の⾼エネルギー突発天体現象を引き起こします。よって超新星爆発は宇宙の新陳代謝にとって中⼼的イベントであると⾔えます。

超新星爆発は、ニュートリノが内部の熱を外に運び周囲の物質に受け渡す、ニュートリノ加熱メカニズムによって爆発が引き起こされると考えられています。ニュートリノは特殊な素粒⼦で、⽇本のスーパーカミオカンデ※3が発⾒したニュートリノ振動という現象によって、その性質を「変⾝」させます。近年の理論研究では、超新星内部のような超⾼密度環境において、ニュートリノ同⼠の相互作⽤による「集団振動」が起こることが指摘されるようになりました。ニュートリノ振動が発⽣すると、ニュートリノの3つあるフレーバー(電⼦型、ミュー型、タウ型)が⼊れ替わります。加熱メカニズムに貢献するのは主に電⼦型のみなので、集団振動によるフレーバー組成が変化するとニュートリノから周囲の物質へのエネルギーの受け渡され方が変化し、超新星のダイナミクスそのものを左右すると考えられています。現在、この集団振動が爆発に与える影響に、世界的な注⽬が集まっています。

ニュートリノ集団振動、そしてその中でも成⻑率の⾼い⾼速フレーバー変換が超新星にどう影響を及ぼすかを明らかにするには、位置に関するニュートリノ分布だけでなく、どの⽅向にどのくらいの量が⾶んでいるのか、運動量空間分布を解く「マルチアングル輸送」が必要です。しかし先⾏研究では運動量空間に近似が課されており、集団振動を原理的に取り扱えませんでした。結果、⾼速フレーバー変換の影響を調べた先⾏研究はその発⽣場所を⼿動のパラメータとして取り扱っていました。しかしそのパラメータによって⼤きく結果が変わるため、そのような先⾏研究からは決定的な結論が出されていませんでした。

今回の新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、そのために新しく開発した⼿法

研究グループは世界で唯⼀、完全な運動量空間分布を解くマルチアングル輸送である、ボルツマン輸送シミュレーションを空間多次元にて推進してきました。本研究ではそのシミュレーションコードに⾼速フレーバー変換(FFC)の影響を実装することで、世界で初めて超新星爆発ダイナミクスへの影響を明らかにしました。特に、FFC が発⽣する数学的条件である ELN-XLN ⾓度クロッシング※4を⾃⼰無撞着的に判定し、その後の分布も量⼦運動論的処⽅※5によって与える⼿法を組み込みました。

その結果、軽くて爆発が成功する星では FFC によりさらに爆発が促進されること、そして重くて爆発が失敗する星では FFC がさらに爆発を抑制する、と影響が⼆極化することが発⾒されました(図2)。その理由は、軽い星と重い星での、電⼦型と重レプトン型(ミュー・タウ)ニュートリノの放射のされ⽅の違いにあります。軽い星は質量降着率※6が低く、それによって駆動される電⼦型ニュートリノの放出が弱く(光度・平均エネルギーが低く)なります。このような状態で FFC が起きると、重レプトン型ニュートリノから電⼦型ニュートリノへの変換が卓越します。重レプトン型の⽅が電子型よりも平均エネルギーが⾼いため、FFC が起きると電⼦型の平均エネルギーがつられて上がり、ニュートリノ加熱率※7が増加して爆発が促進されます(図1)。⼀⽅で重い星は質量降着率が⾼く、元々の電⼦型ニュートリノの放出が強い状態です。よって FFCが発⽣すると、電⼦型ニュートリノから重レプトン型ニュートリノへの変換が卓越します。その結果軽い星とは逆で、ニュートリノ加熱率が減少して爆発が抑制されるのです。

また、論⽂ではさらに、先⾏研究で⽤いられていた近似的取り扱いの妥当性の評価を⾏いました。その先⾏研究では、低次のモーメントから⼈為的に再現した運動量空間分布に基づき FFC の影響を調べていました。本研究ではその⼿法と、直接運動量空間分布から求めた結果を⽐較しました。その結果、先⾏研究の近似的⼿法では FFC が出現する場所の⼤部分を⾒逃してしまうこと、そして分布によっては FFCが本来発⽣しない場所で偽判定してしまうことがわかりました。よって FFC の影響を調べるには本研究のようなボルツマン輸送シミュレーションが必要であるということも⽰されました。

図2. 平均衝撃波半径の⽐較。9~20 の初期質量(太陽質量)の結果。 VM、χEFT、DBHF それぞれは異なる状態⽅程式。 フレーバー変換を考慮した計算は破線で表されている。

研究の波及効果や社会的影響

超新星爆発は宇宙がどう進化してきたか解明する鍵を握る重要な現象です。また、地球上で実現できない超⾼エネルギー現象であるため、現在の素粒⼦・原⼦核理論の検証を行うことができる重要な実験場でもあります。本研究では超新星爆発理論の中でも⼤きな不定性であるニュートリノ集団振動の影響を明らかにし、超新星爆発の解明に⼀歩近づきました。

課題、今後の展望

ニュートリノ集団振動の成⻑モードは複数種類あると考えられており、本研究では最も成⻑率が⾼く、卓越的である⾼速フレーバー変換の影響を調べました。今後は衝突フレーバー変換など他の成⻑モードについても調べていきたいと考えています。また、超新星理論にはニュートリノ集団振動以外にも他の不定性も残されており、⼀つ⼀つ解決していく必要があります。

近年、電磁波・ニュートリノ・重⼒波観測を組み合わせたマルチメッセンジャー観測の機運が⾼まっており、近傍で超新星爆発が起きれば全ての種類のシグナルが観測できると考えられています。特に今回の主題であるニュートリノの検出に関しては、建設中のハイパーカミオカンデをはじめとして複数の国際プロジェクトが始動中です。本研究のような精密なモデル作りは、将来の観測結果を解釈する上での重要な基盤となります。

研究者のコメント

本研究で⾏われたボルツマン輸送計算は他の研究グループの近似計算と⽐べて計算コストが⾼く、スパコン「富岳」をはじめとした世界最⼤規模の計算機によって初めて可能となるものです。本研究は⼤規模シミュレーション・計算科学を活⽤して基礎科学を解明する⼀例となります。

用語解説

※1 ニュートリノ振動:
ニュートリノは今のところ 3 種類あると考えられており、それぞれ周りの物質と異なる相互作⽤をする。ニュートリノ振動とは、ニュートリノが⾶んでいく間にその型が変化する現象である。これはスーパーカミオカンデ※3で確認されたもので、この発⾒によって梶⽥隆章⽒がノーベル賞を受賞した。そして超新星爆発のような、特にニュートリノ数密度が⾼い現象ではニュートリノ同⼠の前⽅散乱による「集団振動」が発⽣すると考えられている。

※2 スーパーコンピュータ「富岳」:
スーパーコンピュータ「京」の後継機として理化学研究所が設置し、2021年3月から共用を開始した計算機。 スーパーコンピュータの主要な世界ランキングの一つであるGraph500で11期(~2025年6月)連続1位を獲得し、以降も世界トップレベルの性能を有している。

※3 スーパーカミオカンデ:
岐阜県の神岡鉱山跡地に設置された、水チェレンコフ検出器と呼ばれる種類のニュートリノ観測装置。同種の検出器としては世界最大で、超新星から放出されたニュートリノを観測するには最適。前身のカミオカンデII検出器が超新星SN1987Aからのニュートリノを検出し、アップデート後のスーパーカミオカンデが太陽ニュートリノを使ってニュートリノ振動を発見したことで、2度のノーベル賞受賞に関わっている。

※4 ELN-XLN ⾓度クロッシング:
電⼦型ニュートリノレプトン数(ELN)と重レプトン型ニュートリノレプトン数(XLN)の差で定義される、ELN-XLN という物理量の運動量空間⾓度分布が、正と負両⽅の値をとる(0 の値をクロスする)こと。⾼速フレーバー変換発⽣の必要⼗分条件であることが数学的に証明されている。

※5 量⼦運動論的処⽅:
ニュートリノ集団振動を⾃⼰無撞着的に扱った量⼦運動論シミュレーションの知⾒を⽤い、⾼速フレーバー変換の影響を有効的に取り⼊れる⼿法。⾼速フレーバー変換が発⽣した後は、その発⽣条件である ELN-XLN ⾓度クロッシングを消すような分布に⾄るということが知られている。本研究では、分布から ELN-XLN ⾓度クロッシングが取り除かれた漸近分布を解析的表式で与え、その分布へ向けた時間緩和法によって有効的にフレーバー変換の影響を考慮した。

※6 質量降着率:
超新星爆発は、外へ伝播しようとする衝撃波と、降り積もってくる物質との競合であり、後者を特徴づける量が質量降着率である。質量降着は爆発の進行を妨げる一方、その重力エネルギーの解放を通じて原始中性子星表面を加熱し、(主に電子型の)ニュートリノ放出を増大させる効果も持つ。より重い星は一般に大きく膨らんでおり、高い質量降着率が維持される。

※7 ニュートリノ加熱率:
ニュートリノが単位時間に衝撃波後⽅物質に与えるエネルギー。ニュートリノ加熱率が上昇すると衝撃波の外側への伝播を促進する。ニュートリノ加熱は主に電⼦型ニュートリノが担う。

論文情報

雑誌名:Physical Review Letters
論文名:Bifurcated impact of neutrino fast flavor conversion on core-collapse supernovae informed by multiangle neutrino radiation hydrodynamics
執筆者名(所属機関名)︓⾚穗⿓⼀郎 (早稲⽥⼤: 筆頭著者)、⻑倉洋樹(国⽴天⽂台)、岩上わかな(早稲⽥⼤)、古澤峻(関東学院⼤)、原⽥了(茨城⾼専)、⼤川博督(⻘森⼤)、松古栄夫(⾼エネ研)、住吉光介(沼津⾼専)、⼭⽥章⼀(早稲⽥⼤*: 責任著者)
掲載日時:2026年5月1 1日(月)
DOI:https://doi.org/10.1103/fksy-1jtw
掲載URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/fksy-1jtw

研究助成

研究費名:科研費 若手研究
研究課題名:量子多体系として解明する重力崩壊型超新星爆発(JP26K17158)
研究代表者名(所属機関名):赤穗龍一郎(早稲⽥⼤学)

研究費名:科研費 基盤(B)
研究課題名:古典的ボルツマンソルバーを⽤いたニュートリノ集団振動の超新星爆発への影響の研究 (JP25K01006)
研究代表者名(所属機関名):⼭⽥章⼀(早稲⽥⼤学)

研究費名:科研費 基盤(C)
研究課題名:ニュートリノ輻射流体計算を⽤いた超新星爆発及び連星中性⼦合体の包括的研究 (JP24K00632)
研究代表者名(所属機関名):⻑倉洋樹(国⽴天⽂台)

研究費名:科研費 基盤(B)
研究課題名:⼀般相対論的第⼀原理計算で探る星の最期と原⼦核物理 (JP23K03468)
研究代表者名(所属機関名):住吉光介(沼津⾼専)

本研究は、以下の「富岳」を中核とする HPCI システム利⽤研究課題を通じて、スーパーコンピュータ「富岳」(理化学研究所 R-CCS)、及び Wisteria(東京⼤学)の計算資源の提供を受け、実施しました。課題番号: hp240041, hp240079, hp240264, hp250166, hp250006, hp250326, hp250191。

独創性を発揮する、気鋭の研究者たち(理工学術院 廣井卓思准教授)

著者: contributor
2026年5月20日 11:17

🤖 AI Summary

早稲田大学では「PI飛躍プログラム」により独立研究室を主宰する若手研究者の支援を行っています。2026年度の採択者は3名で、その一人である理工学術院の廣井卓思准教授について紹介します。

廣井准教授は構造化学の専門家であり、ゲルやゼリーなどのソフトマテリアルの高分子構造解析に取り組んでいます。従来計測が難しい領域でも独自開発した装置と動的光散乱法を用いて研究を行っています。

PI飛躍プログラムは、それぞれの研究者に合わせた支援を提供する特徴があります。廣井准教授の場合は、研究環境整備や人材育成などに活用されています。また、アドバイザーからの国際ネットワーク強化などの支援も受けられます。

本プログラムは早稲田大学が2022年に新設したもので、採択された3名の若手研究者は今後、独創的な研究成果を生み出すことが期待されています。

【教員公募】理工学術院 創造理工学部環境資源工学科 教授、准教授、専任講師、教授(テニュアトラック)、准教授(テニュアトラック)、講師(テニュアトラック)または教授(任期付) 1名 応募締切 2026/7/17(締切)

著者: staff
2026年5月20日 09:45

🤖 AI Summary

以下は該当記事の要約です:

【教員募集】早稲田大学理工学術院創造理工学部環境資源工学科では、教授、准教授、専任講師、教授(テニュアトラック)、准教授(テニュアトラック)および講師(テニュアトラック)または教授(任期付)を1名募集します。応募締切は2026年7月17日です。

重要点:
- 募集学科:早稲田大学理工学術院創造理工学部環境資源工学科
- 求む職種:教授、准教授、専任講師、教授(テニュアトラック)、准教授(テニュアトラック)、講師(テニュアトラック)または教授(任期付)
- 募集人数:1名
- 应募締切:2026年7月17日

詳細情報は公式リンク先をご覧ください。

早稲田大学理工学術院環境資源工学科公募

【開催報告】「心の科学」学内研究交流イベント(2026年4月10日開催)

著者: contributor
2026年5月20日 09:08

はじめに

2026年4月10日、早稲田大学121号館コマツ100周年記念ホールにて「心の科学」をテーマとした学内研究交流イベントを開催しました。
学内の多様な研究領域をつなぎ、分野の垣根を越えた交流を促進することを目的とした本イベントには、様々なバックグラウンドを持つ研究者及び学生が各キャンパスから総勢100名以上集いました。
「心の科学」という広範なテーマを軸に、分野横断的な交流を深め、新たな研究テーマ発掘の可能性を示す機会となりました。


【第一部】 研究紹介

理工学、社会科学、人間科学、文学の枠を超えた10名の学内研究者が、互いの研究内容を「知る」ことに主眼を置いた研究紹介を行いました。臨床心理や社会心理学的な視点(社交不安障害、うつ、陰謀論、戦争報道への反応)、政治学的な分析(投票行動と感情)、さらには神経科学や工学的アプローチ(言語の脳内メカニズム、3D映像の影響、鳥の模倣行動)など、多様な知見が共有されました。各発表を通じ、「心」という対象がいかに多面的で、学際的な研究に開かれているかが示されました。質疑応答も活発に行われ、異なる分野の視点が交錯する中で、新たな気づきや関心の広がりが生まれる場となりました。
(司会/進行:研究戦略センター・城谷和代)

大須理英子教授(人間科学学術院)|認知神経科学へのお誘い —社交不安障害からASDまで

大須教授は認知神経科学を専門としており、数ある研究の中から、社交不安障害、ASD(自閉症スペクトラム障害)、半側空間無視(※)などの研究事例を紹介した。

(※)脳の損傷により、視覚には問題がないにもかかわらず、損傷部位と反対側の空間に注意が向けられなくなる症状

社交不安障害は、他者から注目されたり評価されたりする状況に対して、強い恐怖や不安を持続的に感じることで日常生活に支障をきたす疾患だ。その要因の一つとして、自分自身の内的なネガティブ状態へ過度に意識が向く「自己注目」が指摘されている。自己注目が高いと、「右前頭極」と呼ばれる脳領域の過剰な活動が観察される。

そこで、本当にこの脳領域が自己注目に関与しているかを明らかにするため、頭部の外側から静磁場刺激を与えることでこの領域の活動を抑制してみた。すると、社交不安傾向が高い被験者において、自己注目の程度が低下することが確認された。

続くASD、半側空間無視などに関する研究も参加者の認知神経科学の世界への興味関心をかき立てるに十分な内容であった。

尾野嘉邦教授(政治経済学術院)|投票は何で決まるのか――印象と感情が動かす投票行動

尾野教授によると、近年の投票行動研究では、有権者が政策内容だけでなく、直観的な手がかりに依拠し、「ヒューリスティクス(※)」によって判断を下している可能性が示唆されている。

(※)経験や直感に基づく「思考のショートカット」で、複雑な問題を迅速に解決するための簡便な方法。

研究では、候補者の顔を「美しい」から「美しくない」までの5段階で評価してもらい、その結果と実際の選挙結果を比較したところ、顔の「魅力度」が高い候補者ほど得票率が高くなる傾向が確認された。これは、有権者の投票行動が、候補者の「見た目」という政策とは直接関係のない要素に影響されている可能性を示している。

また、有権者の判断に影響を与える要素として、選挙ポスターや政見放送における候補者の「表情」、SNSでの発言のトーンなども挙げた。

SNSなどの普及により、選挙において有権者が接する情報は多様化し、ヒューリスティクスの影響が高まっている可能性がある。直感的な印象や感情が投票判断に及ぼす影響は、今後さらに重要な研究課題になろう。尾野教授の研究は、有権者が投票時に何を手掛かりにしているのか、そして何に注目すべきかを問いかけるものである。

河合隆史教授(理工学術院)|先進映像と人間工学——「安全な3D」から「宇宙酔い対策」へ

「先進映像と人間工学」をテーマとする河合教授は、1990年代から、3D映像が視覚機能などに及ぼす影響に関する研究に従事しており、数々の3D映像の制作に携わってきた。

北欧初の3D劇場映画「Moomins and the Comet Chase(邦題:ムーミン谷の彗星)(2010年)」、「映画 怪物くん(2011年)」、「STAND BY ME ドラえもん(2014年)」など、参加者もよく知る映画が紹介され、会場は驚きの声で包まれた。

前者2作品については、「安全な3D」「快適な3D」を目指し、視覚などに負担がかからないような工夫を施し、「STAND BY ME ドラえもん」では、ストーリー展開に対応した、感情の増幅を意図した立体感の設計を心掛けたと言う。まさに、「感動する3D」と言える。

現在の河合教授の興味関心は「宇宙」にある。2040年頃から、一般民間人が宇宙旅行をする時代が訪れる。そのため、宇宙酔いは事前に解決すべき課題であると言える。

河合教授は、宇宙酔い軽減の効果が得られる映像の開発に取り組んでいるという。近い将来、宇宙を旅行する際の必須アイテムとなることが期待される。

神前裕教授(文学学術院)|ヒトの心・動物の心——「意図」と「目的性」を科学する

「ヒトの心・動物の心」をテーマとする神前裕教授の発表では、ラットを用いた実験を通じて、「意図」や「目的性」といった心の働きをどのように捉えることができるのかが紹介された。

ある実験では、餌を報酬としてラットにレバー押しを訓練したのちに、餌と塩化リチウム投与を組み合わせることで餌の価値を下げる操作が行われた。その結果、塩化リチウムを投与されたラットは対照群と比べて、実際には餌が出ないテスト場面におけるレバー押し頻度を低下させた。この結果は行動が単なる反応ではなく、「結果への具体的な予期」に基づくことを示す。

一方、同様の課題を長期間継続すると、価値低下後も行動が維持されるケースが確認された。これは行動が目的なものから習慣的反応へと移行した状態を意味する。

神前教授は、こうした目的行動から習慣への移行条件やそれを支える神経基盤の解明が、私たちの行動に伴う意図や目的といった心的過程の解明、さらに薬物依存症など疾患の理解にもつながる可能性に言及し、習慣の形成、またその消去・再発の機序は今後の重要な研究課題であるとした。さらに、行動に対する「行為主体感」様の再帰的知覚をマウスにて検出した最新の研究を紹介し、心の科学における動物研究の意義を強調して発表を締めくくった。

小林哲郎教授(政治経済学術院)|「陰謀論」はなぜ政治現象となるのか――社会心理学の視点から考える

社会心理学をベースに政治現象を分析してきた小林教授は、本発表で「陰謀論」をテーマに取り上げた。

一般に、陰謀論を信じやすい人ほど投票行動に消極的になるとされる一方、近年は各国で陰謀論的主張を掲げる政党が一定の支持を得ており、既存の知見との齟齬が指摘されている。小林教授はこの点を説明する概念として、「Collective Efficacy(集合的有効性感覚)」に着目した。

Collective Efficacyは、「私一人では政治を変えることはできないが、みんなで力を合わせれば政治にインパクトを与えられる」という考えである。

2023年の調査では、陰謀論を信じやすい人ほど政府の応答性に対する評価は低い一方、Collective Efficacyを強く感じていることが見出された。すなわち、陰謀論を信じる人々は、集団的な力を信じて政治参加へと向かう可能性があるということである。

小林教授は、Collective Efficacy自体は参加型民主主義を支える重要な要素であるとしつつも、そのプロセスを通じて陰謀論的言説が政治的影響力を持ちうる点に注意を促した。最後に、この現象を民主主義の活性化と見るべきか、それとも歪みと捉えるべきかを会場に問いかける形で、発表を終えた。

酒井弘教授(理工学術院)|「意味」は脳内のどこにあるのか——脳活動パターンから概念を推定する

酒井教授は、言語を処理する神経回路が脳内のどこにあるかという伝統的な理解を超えて、回路上で個々の単語の意味がどのように表現されているかの解明を目指している。

その実験手法は、被験者に複数の画像を提示し、その際の脳活動を磁気センサで計測。得られたデータをベクトルとして扱い、高次元空間上にマッピングしたうえで、機械学習手法の一つであるSupport Vector Machine(SVM)を用いて分類を行うというものである。

この手法により、脳活動のパターンのみから被験者が見ている対象をどの程度推定できるかが検証された。画像を「食べ物」と「道具」に分類した場合、ほぼ100%の精度で両者を区別できることが示されたという。

これらの結果は、脳内において「食べ物」と「道具」といった概念が神経活動のパターンとして表象されている可能性を示すものである。脳内における概念理解の新たなアプローチとして、会場からも注目が集まった。

杉森絵里子准教授(人間科学学術院)|うつの「前段階」では何が起きているのか——不安や緊張は「表情」に現れる

杉森准教授は、外界からの情報がどのように知覚され、どのように表出されるのか、さらにその個人差に着目した研究を行っている。

発表では、近年取り組んでいる「閾値下うつ」に関する研究成果が紹介された。閾値下うつとは、医療機関を受診するほどではないものの、抑うつ傾向を有する状態を指す。

杉森准教授は、こうした人々における表情の知覚や表出、さらには他者に与える印象について分析を行った。

一般に、臨床的なうつ状態では、他者の表情をよりネガティブに知覚しやすく、自身の表情表出においても笑顔が減少することが知られている。一方で本研究では、閾値下うつの人はそうではない人と同様な形で他者の表情を知覚できていることが確認された。

しかし、自身の表情表出に関しては、ポジティブな表情が弱まり、不安や緊張の高い表情が現れやすい傾向が示唆された。これは、典型的な「笑顔の減少」とは異なる形で、抑うつ傾向が表情に影響を及ぼしている可能性を示すものである。

こうした知見は、うつの早期段階における心理・行動の変化を捉える手がかりとなる見込みがあり、今後の研究の進展に期待したい。

多湖淳教授(政治経済学術院)|戦争をめぐる心の科学——戦争報道に人はどう反応するのか

多湖淳教授の発表では、戦争から距離のある一般市民が、報道などを通じて戦争を目にした際にどのような心理的反応を示すのか、という研究が紹介された。

近年、一般市民が戦争映像に触れる機会が増えている。その一方で、兵士や被害者に関する研究に比べ、遠隔地の一般人が悲惨な光景を目にした際の反応を扱った研究は限られているという。そこで多湖教授は、早稲田大学の学生を対象に、戦争に関する画像を用いた実験を実施した。

実験では、戦争に関連する画像を提示し、その間の心拍変化や戦争コストに対する認識を測定した。その結果、破壊や兵器、生存者が写る画像では大きな変化は見られなかった一方、死体が含まれる画像では、戦争のコストを高く評価する傾向とともに、心拍数が低下する反応が確認された。心拍低下は「嫌悪感(ディスガスト)」に起因するものであると考えられる。
本分野には未解明の点も多く、今後も研究を継続していく必要があると述べたが、戦争報道のあり方を考えるための有益な研究である。

田中雅史准教授(文学学術院)|人と鳥の文化の科学——模倣学習はどのように生まれるのか

田中准教授は、人と歌鳥が共通して有する高い模倣能力と文化伝達能力について研究している。

鳥の研究では、幼鳥が成鳥の歌を対面で聴く際、脳の運動連合野においてドーパミンが放出されること、また、そのドーパミン伝達を遮断すると模倣ができなくなる一方、ドーパミンを人工的に放出させると、本来は模倣しにくいはずのスピーカーから再生した歌に対しても模倣が生じることが示された。

また、情動との関連が知られる扁桃体の機能について、正常な鳥では、特定の成鳥に近づいて歌を学ぶのに対し、扁桃体を損傷した鳥では、どの成鳥へも近づいて模倣対象が定まらなくなるという結果が示された。人を対象とした実験でも、情動の操作によって言葉や歌の模倣学習が促進されうることが報告された。

本研究は、文化伝達に重要な模倣能力と情動・社会性とをつなぐメカニズムが、文化を伝える珍しい動物である人と鳥に共通して存在することを示唆するもので、文化伝達の生物基盤の理解に寄与する成果として注目される。

渡邊克巳教授(理工学術院)|心を研究するということ——多様な学問領域をつなぐ視点

渡邊教授は、第一部の各発表を振り返りながら、自身の研究と多くの接点があることを実感したと語った。

講演では、自身の研究テーマを複数紹介しつつ、その内容が、自分自身でも「色々やりすぎている」ように見える点についても率直に言及。そのうえで、むしろそうした多様性が心の科学の本質である点を楽しんでほしいと会場に呼びかけた。

また、文学部出身でありながら、現在は理工学術院で研究・教育に携わっているという自身の経歴にも触れ、「心を研究する」という立場を確立させ、方法論を貫けば、分野を越えて展開できるのが「心の研究」の魅力ではないかと述べた。さらに、「心の研究」は多様な分野と接続しうるものであり、結論を急がず探究を続ける姿勢が重要であると強調し、発表を締めくくった。

*第一部総括*

第一部の締めくくりに、研究戦略センター関根泰所長より「知的好奇心を強く刺激する多彩なテーマだった」との賛辞が贈られました。分野横断的な広がりを本学の大きな強みと捉え、今後の発展に期待を寄せています。最後に若手研究者へ向けて、積極的に多様な分野へ触れることで視野を広げ、「新たな時代を切り拓く存在に」と熱いエールが送られました。

【第二部】 ポスター発表及び交流会

学生を含む若手研究者計14名の研究発表が行われました。
会場には多くの来場者が集まり、各ポスターの前には人だかりができるなど、盛況な様子が見られました。また、第一部で登壇した研究者のもとにも多くの参加者が集まり、会場の各所で名刺交換や情報交換が行われるなど、分野を越えたネットワーク形成の様子もうかがわれました。総括として渡邊克巳教授より、分野の垣根を取り払った自由な探求こそが「心の科学」の真髄であり、今後もこうした連携を含めていく重要性が語られ、イベントは盛況のうちに閉幕しました。
(司会/進行:理工学術院総合研究所・荒勝俊)


ダイジェスト動画


参加者の状況

(本分析では、参加者のうち事前登録を行われた方を対象としています。また、キャンパスの属性については、各参加者が所属する箇所の本拠地を基準に集計しています。)


開催日:2026年4月10日(金)
会場:早稲田大学121号館
共催:早稲田大学 理工学術院総合研究所/ 研究戦略センター
イベントアドバイザー:理工学術院 渡邉克巳 教授
世話人:理工学術院総合研究所 荒勝俊、高橋大輔/ 研究戦略センター 城谷和代
運営:「心の科学」イベント運営事務局(理工総研事務所/ 研究戦略センター事務局内)
動画制作:広報課
記事作成協力:ライター 関瑶子 氏
(参考)開催案内:https://www.waseda.jp/fsci/wise/news/2026/02/03/11302/

卵子を育てる「細胞間のかけ橋」の機能に迫る、内部構造の解明

著者: contributor
2026年5月19日 09:52

卵子を育てる「細胞間のかけ橋」の機能に迫る、内部構造の解明
~卵子とその周辺細胞とのコミュニケーションを促す橋渡し構造の中に「微小管」を発見~

発表のポイント

  •  卵巣内で、卵子とその周囲の細胞をつなぐ突起構造の中に、微小管※1が広く存在することを発見しました。従来の顕微鏡とは異なる超解像顕微鏡による観察で、今回の発見に至りました。
  • また、突起構造を形成するために必要な因子として、微小管結合タンパク質Camsap3※2が重要な働きを担うことを発見しました。
  •  Camsap3を欠損したマウスは、卵子の成熟異常、排卵障害、不妊を示すことを発見しました。
  •  卵子と周囲の細胞との突起形成がCamsap3と微小管によって促進されることが分かり、卵子と周辺細胞とのコミュニケーション機構の実体が明らかになることで、卵子の成熟機構について理解が進み、生殖医療・不妊研究への応用が期待されます。

不妊の原因のひとつである卵子成熟の欠陥を治療することはできないのか?そのために欠かせないのは、卵子の成熟がどのように起きるのかというメカニズムを解明することです。
この課題に迫るため、京都大学大学院薬学研究科の戸谷美夏(とや みか)助教(研究当時:早稲田大学理工学術院)および早稲田大学理工学術院佐藤政充(さとう まさみつ)教授は、早稲田大学大学院先進理工学研究科生命医科学専攻 博士後期課程の相川皓洋(あいかわ あきひろ)、修士課程の鶴巻孝夫(つるまき たかお)とともに、麻布大学獣医学部の伊藤潤哉(いとう じゅんや)教授、京都大学大学院薬学研究科の倉永英里奈(くらなが えりな)教授との共同研究チームで、卵子とその周囲の細胞とをつなぐ突起構造の内部に、微小管が高頻度で存在することを超解像顕微鏡技術により発見しました。さらに、その突起構造を形成するためにはCamsap3タンパク質が重要な役割を果たすことを明らかにしました。本研究成果は、卵子成熟を促す細胞間コミュニケーションの新たな仕組みを示すものであり、卵成熟の欠陥による不妊の原因解明や生殖医療の発展につながることが期待されます。
本成果は、2026年4月28日(火)に『iScience』(出版社:Elsevier/Cell Press)で公開されました。

図1 卵子周囲の細胞から卵子に向けて伸びる突起のほとんどに微小管が含まれていることを発見

これまでの研究で分かっていたこと

ヒトやマウスなど、ほ乳類の卵子は、卵巣内でたくさんの顆粒層細胞 ※3に取り囲まれた状態で成熟します。卵子の成熟に異常があると不妊につながるため、そのメカニズムを解明することは生殖医療の観点から重要です。顆粒層細胞は卵子に様々な分子を届けることで卵子の成熟を促すと考えられていますが、具体的な分子メカニズムは分かっていません。卵子と顆粒層細胞の間には透明帯という領域が存在します。透明帯を超えて顆粒層細胞から卵子に直接分子を送り届けるために、顆粒層細胞はTranszonal projection(以降、「TZP」という)※4と呼ばれる突起状の構造を伸ばします(図1、図2)。これが卵子まで到達することで、卵子の成熟に必要な物質を送り届けると考えられています。
これまで、TZP突起の内部には、アクチン※5と呼ばれる細胞骨格の一種が内包されることが分かっていました。これに対して、異なる細胞骨格である微小管はTZP突起のうち5%程度にしか存在しなかったため、重要な機能を担うとは考えられていませんでした。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究では、これまでの定説とは異なり、TZP突起構造の中に微小管が頻繁に存在することを発見し、これが卵子成熟に大きな役割を担うことを明らかにしました。
着想の経緯は、戸谷美夏博士(京都大学)が以前から研究していた微小管結合タンパク質Camsap3でした。一般的にCamsap3は細胞内の微小管を安定化させる機能を持ち、マウスの生体内では腎臓や卵管、気管、脳などの幅広い組織で重要な役割を担います。今回、Camsap3の遺伝子欠損(ノックアウト)マウスのメスは、排卵せず不妊を示すことを発見しました。不妊の原因に迫るために卵巣組織を解析したところ、Camsap3欠損マウスでは初期段階の卵子は正常に形成されていましたが、排卵が近づいた後期段階の卵子はほぼ消滅しており、卵子成熟の過程に異常がある様子が見えてきました。
Camsap3欠損マウスの卵子と顆粒層細胞を観察した結果、両者をつなぐTZP突起の本数が野生型マウスと比較して約60%に減少していました(図2)。従来の研究では、TZP突起は内部にアクチン細胞骨格を含むことが知られています。これに対して、別の細胞骨格である微小管はTZP突起全体のうち約5%にしか発見されていないことから、微小管結合タンパク質Camsap3の欠損マウスにおいて、なぜ、アクチンを主体とするはずのTZP突起が異常を示すのか疑問でした。
そこで、超解像顕微鏡技術を用いてTZP突起を高精細に観察しました。その結果、通説とは異なり、TZP突起の大多数(約80%)が内部に微小管を含むことを発見しました(図2)。つまり、微小管結合タンパク質Camsap3を欠損すると、TZP突起内部の微小管に異常が起き、これがTZP突起の形成不全を引き起こすことが分かりました。このように、微小管は従来想定されていたよりもはるかに重要な役割、つまり突起そのものを形成するために中心的な役割を果たすことが見えてきました。

図2 野生型ではTZP突起の内部に微小管が含まれ、Camsap3欠損マウスでは微小管の短縮化にともなうTZP突起の減少が見られました

 

さらに、TZP突起の内部で微小管とアクチンが示す形態にはいくつかのパターンが存在し、卵子成熟の段階に応じて、その形態が変化することが明らかになりました。初期段階では、微小管とアクチンが並走する直線的なTZP突起が多く見られましたが、卵子成熟が進むにつれて、枝分かれした複雑なTZP構造へと変化しました。Camsap3はTZP突起内の微小管上に局在していたことから、Camsap3は微小管の向きや安定性を制御していると考えられます。
これまで、卵子表層に到達したTZP突起は、ギャップ結合や接着結合といった結合様式で卵子に接続することがわかっています(図3)。このような結合箇所には、アミノ酸などの低分子化合物が通れるほどの小さな穴が存在します。一方、mRNA※6やミトコンドリア※7のような大きな分子はどのようにTZP突起から卵子に送られるのか不明のままです。本研究では一部のTZP突起において、微小管がTZP突起の先端からさらに伸長して卵子内部まで貫通する構造がみられました(図3)。このようなTZP突起では、TZP突起の先端が卵子の細胞膜と融合してトンネルのように貫通し、卵子の細胞質に直接つながっていると考えられます(図3)。つまり、ミトコンドリアやmRNAなどの巨大な物質を卵子内に送り届けることが容易だといえます。野生型において、このような卵子の細胞質に直接つながったTZP突起の内部にミトコンドリアが存在する様子が観察されました。これらの観察結果は、TZP突起内部の微小管は顆粒層細胞から卵子に向けてミトコンドリアなどの巨大な物質を輸送するために使われている可能性を示唆しています。
これらの成果は、TZP突起はアクチンを主体とする突起構造だとみなしてきた従来の理解を大きく更新するものです。本研究が微小管を内部に発見したことで、微小管がTZP突起の形成を促すこと、さらに微小管をレールとして卵子から顆粒層細胞への物質輸送が起きるという新しいメカニズムが見えてきました。

図3 TZP突起の先端には2種類ある:(中央)TZP突起の先端が卵子内に接触する例、(右)先端が卵子に融合して微小管が侵入したTZP突起の例「出典: Aikawa et al., 2026(今回の発表論文)」

 

研究の波及効果や社会的影響

本研究は、卵子成熟の分子メカニズムの解明に大きく寄与する基盤研究と考えています。卵子は周囲の顆粒層細胞から分子を受け取ることで成熟し、排卵されます。卵子成熟の欠陥は排卵障害の原因となり、不妊症のひとつですが、成熟の欠陥が起きるメカニズムはよく分かっていません。
本研究では、Camsap3の欠損によってTZP突起の形成不全が起きること、また、これが排卵障害を引き起こすことが示されました。つまり、TZP突起の形成を司る重要分子としてCamsap3が同定できたといえます。これを足がかりとすることで、卵子成熟の欠陥による不妊の治療や予防に応用できると考えます。
また、近年、顆粒層細胞から卵子にmRNAやミトコンドリアが輸送される可能性が注目されています。本研究はTZP突起内に微小管の存在を示したことで、これを物質輸送のレールとして卵子に成熟因子を届けるという卵子成熟の新たな分子機構のベールがはがされました。将来的には、TZP突起を人工的に作製したり、成熟分子が分かればそれを人為的に卵子に届けたりすることで、卵子の成熟能力を高める新たな生殖医療技術の開発につなげていきたいと考えます。

課題、今後の展望

本研究では、超解像顕微鏡技術を用いて、従来考えられていたよりも多くのTZP突起が微小管を含んでいることが明らかになり、物質輸送の原理が見えてきました。しかし、顆粒層細胞から卵子に向けてどのような分子が輸送されているのかは、依然として明確な知見・証拠がありません。私たちは、その輸送される分子の同定を最重要課題と捉えています。この因子が決定できれば、未成熟の卵子にそれを人為的に投与することで人工的に卵子成熟を誘導して、不妊治療につなげられる可能性があるからです。

研究者のコメント

TZP突起はこれまでアクチンを主体とする細胞突起として理解されてきました。本研究では、超解像顕微鏡を用いることで従来検知できなかった微小管の存在を発見できました。本研究が卵子成熟や不妊の原因を解明する新たな基盤になるよう、研究を継続していきます。不妊の原因は男女含めて様々なものがあると考えられます。その原因を1つずつ追究していく基礎研究が、生殖医療のブレークスルーにつながると信じています。

用語解説

※1 微小管
細胞骨格の繊維状構造の一つであり、チューブリンタンパク質の重合により繊維状の形になります。細胞内での物質輸送、細胞形態の維持、染色体の分配など様々な場面で重要な役割を担います。物質輸送においては、微小管がレールのような働きをすることで、特定の場所や方向に物質を運ぶ際の重要な経路となることが知られています。

※2 Camsap3
微小管に結合し、微小管を安定化する機能を持つタンパク質。マウスの生体では腎臓や気管、脳などの幅広い組織で役割を担います。小腸上皮細胞では、細胞内の微小管を一定方向に整列させることで、上皮細胞の形態を形作ります。腎臓の尿細管では微小管の整列をおこない、Camsap3を欠失させると尿細管が肥大化して嚢胞腎に似た症状を示します。卵管では、排卵された卵子や受精卵を正しい方向に送り出して子宮に届けるためにCamsap3は重要な役割を担います。

※3 顆粒層細胞
卵巣内で卵子を取り囲む多数の細胞。卵子の成熟に必要な物質を卵子に供給し、卵子の成長や成熟を支える重要な役割を担います。卵子に向けて突起状の構造を形成して、これを介して直接的な物質伝達など、細胞間コミュニケーションを行います。

※4 Transzonal projection (TZP)
顆粒層細胞から伸び、卵子を包む「透明帯」を貫通して卵子表面近くまで到達する突起。卵子と顆粒細胞の間で、卵子の成熟に必要な物質を受け渡すための連絡路として働きます。従来は、突起の内部はアクチンを主体とするものと考えられていましたが、本研究でTZPの多くが内部に微小管も含むことが分かりました。

※5 アクチン
細胞骨格の一つであり、アクチンタンパク質の重合により繊維状の構造になります。細胞の形作りや移動などの機能を担います。これまでは、TZP突起の内部を構成する主要な構造物はアクチンであると考えられてきました。

※6 mRNA
DNAに記録された遺伝情報をもとに作られるRNAの一種。細胞内でタンパク質を合成する際の“設計図”として働きます。卵子の成熟では、顆粒層細胞から供給されるmRNAが重要な役割を果たします。

※7 ミトコンドリア
細胞内に存在する細胞小器官の一つで、酸素を利用してエネルギー(ATP)を産生する工場の役割を担います。卵子は成熟段階で顆粒層細胞からミトコンドリアが供給されると考えられています。

キーワード

不妊治療、生殖医療、卵子、卵子の成熟、排卵、微小管、細胞間コミュニケーション

論文情報

雑誌名:iScience
論文名:Camsap3-Mediated Microtubules Maintain Transzonal Projections Essential for Soma–Germ Communication during Ovarian Follicle Maturation in Mice
執筆者名(所属機関名):相川皓洋1,鶴巻孝夫1,倉永英里奈2,伊藤潤哉3,4,戸谷美夏1,2,佐藤政充*1,5
1:早稲田大学 大学院先進理工学研究科 生命医科学専攻
2:京都大学 大学院薬学研究科 創発医薬科学専攻
3:麻布大学 獣医学部 動物繁殖学研究室
4:麻布大学 大学院獣医学研究科
5:早稲田大学 構造生物・創薬研究所
掲載日時:2026年4月28日
掲載URL:https://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(26)01286-1
DOI:https://doi.org/10.1016/j.isci.2026.115911
*:責任著者

研究助成

研究費名:科研費 基盤研究 (C) 25K09635
研究課題名:卵胞成熟を支える微小管構造による体細胞―生殖細胞間コミュニケーションの分子機構
研究代表者名(所属機関名):戸谷美夏(京都大学)

研究費名:公益財団法人 大隅基礎科学創成財団 研究助成
研究課題名:卵母細胞と母体のコミュニケーションを橋渡しする微小管の機能
研究代表者名(所属機関名):戸谷美夏(早稲田大学/京都大学)

研究費名:公益財団法人 第一三共生命科学研究振興財団 研究助成
研究代表者名(所属機関名):佐藤政充(早稲田大学)

研究費名:科研費 基盤研究 (B) 16H04787
研究課題名:微小管の機能発見および人工制御:細胞から組織まで
研究代表者名(所属機関名):佐藤政充(早稲田大学)

研究費名:科研費 挑戦的研究(萌芽) 18K19347
研究課題名:高齢卵子における紡錘体の位置の異常と不妊の関連性
研究代表者名(所属機関名):佐藤政充(早稲田大学)

研究費名:科研費 基盤研究(B) 23K27173
研究課題名:クロマチン変動・発現変動・エネルギー産生による細胞の目覚めの統合的理解
研究代表者名(所属機関名):佐藤政充(早稲田大学)

研究費名:科研費 学術変革領域研究(A) 25H02582
研究課題名:休眠か目覚めかの運命を定めるエピコードとヌクレオソーム状態の変化
研究代表者名(所属機関名):佐藤政充(早稲田大学)

光と原子つなぐ新量子ゲートを提案

著者: contributor
2026年5月15日 16:24

光と原子つなぐ新量子ゲートを提案
~光1回の反射で完結、量子計算の誤り率を低減~

発表のポイント

  •  重要な量子ゲートの1つである「制御変位ゲート」を、光と原子に対して実現する新たな手法を理論的に提案しました。
  •  光を共振器に1回だけ反射させることで実現でき、複数回の反射が必要だった従来手法と比べて短時間に、かつ誤り率を低減した計算を実行できます。
  • 光と原子、性質の異なる2つのシステムを繋げることで、ハイブリッド系を活用した新たな量子計算・量子通信の実現を加速することが期待されます。

早稲田大学先進理工学研究科の木倉清吾(きくらせいご)大学院生と理工学術院の青木隆朗(あおきたかお)教授(兼:理化学研究所量子コンピュータ研究センター・チームディレクター)、理化学研究所量子コンピュータ研究センターの後藤隼人(ごとうはやと)チームディレクター、シンガポール国立大学の花村文哉(はなむらふみや)博士研究員からなる研究グループは、原子と光、全く異なる性質を持つ2つの量子系に量子もつれ※1を生じさせる量子ゲート※2を効率的に実装する新たな手法を提案しました。
従来手法では、原子を閉じ込めた共振器※3に光パルスを複数回反射させ、かつ光の干渉操作を組み合わせることで1つの量子ゲートを合成していました。しかし、この場合光の損失や量子誤りの蓄積の問題がありました。本提案手法では、光パルスを1回だけ共振器に反射させると同時に原子をレーザーで制御することで、2つの量子系を繋げる制御変位ゲート※4を直接実装する手法を新たに提案しました。本手法により、ハイブリッド系を駆使する高性能な量子情報処理技術のさらなる発展を加速することが期待されます。
本成果は、2026年5月12日(火)に『Physical Review Letters』に公開されました。

これまでの研究で分かっていたこと

近年目覚ましい進展を遂げる量子情報処理では、人工的に作られたチップだけでなく、光や原子といった自然界に存在する量子系が情報の担い手として活躍します。
例えば、光は光通信に代表されるように高速・長距離伝送が可能であり、また「GKP符号」※5と呼ばれる量子誤り訂正に有利な符号を扱える特徴を持ちます。一方で、光だけでは量子性が強い操作(非線形操作)が難しいという課題があり、その他の量子系についてもそれぞれ固有の長所短所を持ち合わせています。そこで、単一の量子系では克服が難しい短所を補いつつ長所を最大限活用するために、性質の異なる2つの量子系を繋げたハイブリッド系を活用することが盛んに研究されています。例えば、チップ内に2つの人工量子系を統合することで、単一の量子系ではそれまで困難だったGKP符号の作成・制御が実現されています。このようなハイブリッド系の能力を駆使するために、異なる量子系に量子もつれを生じさせる「制御変位ゲート」は欠かせない量子ゲートの1つです。
しかし、「静止する原子」と「高速に移動する光パルス」に対して、この量子ゲートを効率的に実装する方法はこれまで確立されていませんでした。従来は、制御変位ゲートを直接実行する手法が確立していなかったため、異なるゲート操作を組み合わせることで制御変位ゲートを合成していました。この場合には、原子を閉じ込めた共振器(共振器量子電気力学※6系と呼ばれる)に光パルスを複数回反射させる必要があり、反射のたびに光のエネルギーが損失するため、ゲートの精度が低下するという課題がありました。

新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

本研究では、光パルスと原子の間の制御変位ゲートを、光を1回だけ反射させる「シングルショット方式」で実現する手法を提案しました。原子を共振器内に捕捉し、光パルスが共振器に入射するのと同時に、原子をレーザーで精密に制御します。これにより、原子の量子ビットの状態に応じて、反射してきた光パルスの量子状態が変化します。すなわち、複数回の反射を必要とせず1回の反射操作で、制御変位ゲートの実装が完結します。
さらに、共振器内部の光損失や原子の自然放出など、現実の実験で避けられない損失を取り込んだ解析モデルを導出しました。このモデルにより、提案手法の評価・最適化を簡潔に行えることを示しました。数値シミュレーションにより、導出されたモデルの有効性を確認し、またそのモデルを用いてパラメータの最適化を行うことで、提案手法が従来手法に比べてゲートエラー(理想の操作とのズレ)を大幅に改善できることを確認しました(図1)。

図1:内部協同係数※7に対するゲートエラー。提案手法においては導出された解析モデルを用いて共振器のミラーの反射率を最適化した。従来手法に比べて提案手法はゲートエラーを大幅に削減することに成功している。

 

研究の波及効果や社会的影響

光と原子は、それぞれが有望な量子系として盛んに研究が行われており、その技術発展は凄まじい状況です。この技術潮流の中で、これらを結びつけるハイブリッド系は、それぞれの潜在能力を最大限引き出し、高性能な量子計算・量子通信を実現するために活発に研究されています。
今回、高速かつ誤り率の小さい量子ゲート手法を新たに提案したことで、国内外の実験・理論研究グループによる実験実証や応用研究を促進し、ハイブリッド量子系の技術発展を加速させることが期待されます。

課題、今後の展望

今回、新たな量子ゲート手法を提案しただけでなく、高い内部協同係数が誤り率の小さい量子操作の実現において重要であることを、共振器量子電気力学系における先行研究結果を踏まえて再確認しました。これにより高協同係数共振器系の研究開発がさらに促進されることが期待されます。また、原子と光からなるハイブリッド量子系の基本かつ重要な量子ゲートについて、高速かつ誤り率の小さい実装手法を提案したことで、原子をメモリ、光を通信媒体とした量子ネットワークをはじめとした量子情報処理技術の社会実装の加速にも貢献することが期待されます。

研究者のコメント

光と原子という性質の異なる物理系を量子的に結んだシステムを利用することで、現状より高速な情報処理、あるいはよりセキュアな光通信の実現が期待されています。今回提案した「シングルショット制御変位ゲート」は、その鍵となる操作を効率的に実現するものです。本成果が量子技術の社会実装に微力ながら貢献することを期待しています。

用語解説

※1 量子もつれ
複数の量子が互いに強く結びつき、一方の状態を測定すると距離に関係なく他方の状態も瞬時に決まるという量子力学特有の現象。

※2 量子ゲート
量子情報処理において、情報を担う量子の状態を変化させる基本操作。

※3 共振器
高反射率の鏡の間に光を閉じ込め、光と物質(原子など)の相互作用を増大させる装置。本研究では原子を閉じ込め、光パルスを反射させる中心的な装置として機能する。

※4 制御変位ゲート
量子ビット(原子など)の状態(0か1か)に応じて、光の量子状態を位相空間(位置と運動量を座標とする空間)上で移動(変位)させる量子ゲート。ハイブリッド量子系の基本的な操作のひとつ。

※5 GKP符号
光の連続的な量子状態を利用して量子誤りを訂正する符号の一種。光量子コンピュータにおける量子誤り訂正の有力な方式として注目されている。

※6 共振器量子電気力学
共振器内に閉じ込めた光と原子の相互作用を量子力学的に扱う物理学の分野。光と原子を強く結合させることで、精密な量子制御が可能になる。

※7 内部協同係数
共振器量子電気力学系において、光と原子の結合の強さを共振器内部の損失と原子の自然放出レートの積と比べた指標。値が大きいほど、量子操作を高性能に実行できる。

論文情報

雑誌名:Physical Review Letters
論文名:Single-shot conditional displacement gate between a trapped atom and traveling light
執筆者名(所属機関名):
木倉 清吾(早稲田大学理工学術院)、後藤 隼人(理化学研究所量子コンピュータ研究センター)
花村 文哉(シンガポール国立大学量子技術センター)
青木 隆朗*(早稲田大学理工学術院/理化学研究所量子コンピュータ研究センター)
掲載日時:2026年5月12日
掲載URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/234l-q12q
DOI:https://doi.org/10.1103/234l-q12q
*:責任著者

キーワード

量子ゲート、量子計算、量子通信、制御変位ゲート、共振器

研究助成

研究費名:国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業
研究課題番号:JPMJMS2268、JPMJMS256K
研究代表者名(所属機関名):青木隆朗(早稲田大学)

モデル細胞でアルツハイマー病のメカニズムを知りたい【先進理工学研究科】

著者: contributor
2026年5月14日 10:24

 

大学院ってどんなところ? 現在、早稲田大学には21の大学院があります。今回の「研究まっしぐら!」は、先進理工学研究科で研究に励む木村さんのキャンパスライフを紹介。大学院へ進学した理由をはじめ、学問の魅力だけでなく、一日の過ごし方も伝えます。

同級生や先生方との議論を通じて得られた生きる知識

大学院先進理工学研究科 修士課程 2年 木村 爽耶(きむら・さや)

私が所属している坂内研究室坂内博子教授・理工学術院、生物物理学研究室)では、「見る」技術を使って、神経細胞やそれを構成するタンパク質に起こる変化を調べることで、脳神経疾患のメカニズムや神経細胞の生理的機能を明らかにする研究を行っています。

安全キャビネットで実験中の様子。培養した神経細胞を実験に使うので、微生物の混入を防ぐ目的で、無菌環境下で滅菌操作に注意しながら実験を行います

私が脳神経の研究に興味を持ったきっかけは、高校生の頃に見たALS(筋萎縮性側索硬化症)という神経難病を患っている方のドキュメンタリー番組です。ALSは全身の筋力が低下する病気で、体が自由に動かない状態でも毎日を懸命に生きる患者の方に心を動かされ、「治療法がない病気に立ち向かう方の力になりたい」と感じました。ALSを含め、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患には、まだ根本的な治療法が確立されていない病気が多く、神経変性疾患の治療薬の開発につながるような研究がしたいと思うようになりました。

学部は、先進理工学部の電気・情報生命工学科でした。進学理由は、電気・情報・生命と広く学んでから研究したい専門分野を決められる点です。さらに、これまで治療法がなかった疾患の治療薬の開発も含め、今まで解決できなかった問題を学問横断的なアプローチで解決しようとしている点にも魅力を感じたからです。また、大学に入って生命科学を学ぶ中で 、情報が電気信号や化学物質の信号へと変わりながら神経細胞で伝達される現象を学んだ時の「神経って面白い!」というワクワク感から、脳神経の研究ができる坂内研究室を選びました。

その中で、私はアルツハイマー病のモデル細胞を作る研究を行っています。モデル細胞ができれば、アルツハイマー病の原因タンパク質がどのように相互作用して病気を進行させるのかを解明したり、どんな薬剤が病気の進行を抑制するのかを細胞レベルで調べたりすることができます。

アルツハイマー病では、原因タンパク質の一つである「タウ」 が結合して塊になった凝集体が見られます。これまでもタウの凝集体を再現するような動物モデルや細胞モデルは研究されてきましたが、タウ分子が複数結合した可溶性の「オリゴマー」など初期の凝集形成過程を再現したラットの神経細胞でのモデルはほとんど実現していません。そこで私は、細胞の内外でタウを増やしたり、二つの原因タンパク質(タウとアミロイドβ)を投与したりして、タウ凝集の初期過程を再現できないか研究しています。

顕微鏡で観察中の一コマ。 美しく撮影できた画像があると、うれしくなります

研究の魅力を感じる瞬間は、普段見えないものを見ることができたときです。例えば、観察したいタンパク質に蛍光物質を結合させ、顕微鏡で観察すると、タンパク質を可視化することができます。肉眼では見えないタンパク質の量や形態、細胞の中での局在が分かることも面白いですし、観察した細胞の画像は星空のようにきれいに見えることもあります。また、先生や同期・先輩と研究内容について話す中で、自分では思いつかなかったアイデアを得られる楽しさがあります。

神経細胞内にタウを過剰に発現させ、細胞外にもタウを投与した条件の細胞

そんな研究の小さな一コマにもささやかな楽しみを見つけながら、アルツハイマー病の原因であるタウの初期病理を再現することを目指し、これからも研究に励んでいきたいです。

研究室のメンバーとの集合写真。穏やかで温かい雰囲気ながらも真摯(しんし)に研究に取り組む方が多く、刺激を受けています。中段左端が坂内先生、上段左から3番目が筆者

ある日のスケジュール

ビオラを弾く時間は心の癒やしになっています

  • 07:00 起床・朝食
  • 09:00 研究室のセミナー(オンラインで論文紹介や進捗(しんちょく)報告を行います)
  • 11:00 TWInsへ移動(早稲田大学の生命系の研究室が集まった施設です)
  • 12:30 実験(生命科学系の実験では反応が出るまでの待ち時間も多く、その間に昼食をとったり論文調査をしたりしています)
  • 19:00 帰宅・夕食
  • 20:00 楽器練習(毎週末の市民オーケストラの合奏練習に向けて、空いた時間にビオラを弾いています)
  • 23:00 就寝準備
  • 24:00 就寝
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