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ノーマルビュー

Received — 2026年8月25日 ⏭ tommy先生の「世相を斬る」

倉藤理大のこと

著者: tommyjhon
2026年8月25日 03:47
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、23日(日曜日)は、静岡市内で声楽家倉藤理大先生のリサイタルを楽屋とか舞台裏とか受付とかで終日お手伝い。
無職のワタシを見かねて一日だけの仕事を倉藤先生がくれた次第だ。


声楽家倉藤理大は富士市吉原の生まれで清水南高校の芸術科を出、東京芸術大学で声楽を修めた、プロ中のプロである。
そんな声楽家倉藤とは、富士高校の職員室で初めて出会った。それからは倉藤先生である。
倉藤理大 - Google 検索 なんと、グーグルのAI検索で詳しく紹介されている!!!!!!


 最初の印象は単純に“優しくてイイ奴”くらいだったが、それから約20年、今では精力的に各地で音楽会やリサイタルを主催しながら創作活動を続けている異才となりつつある。今の彼のテーマは、日本の古典文学と西洋風バリトン歌唱の融合であって、落語や能などをモチーフに自ら作詞を手掛けて音楽会で発表し続けている。
新作落語歌曲「富久」 倉藤理大作詞 中山博之作曲 2025年8月静岡公演


 これはワタシの妄想だが、クラッシク音楽の世界というのは相当な権威主義の世界であって、その権威主義と対峙しするのは相当な覚悟がいるはずだ。よく音楽家のプロフィールに、○○に師事と書かれている。どうやらそのように書かないといけない掟があるようだ。これを権威主義という。声楽家倉藤理大はたぶんそれが好きではないのだろう。もっとハッキリ言うと嫌いな感じがする。(本人に裏付けをとっていないので勝手な妄想だけど)


 そんな倉藤先生なので、ワタシは大好きだ。ワタシは偉そうなことを言って生徒を煙に巻くだけのセンセも、よく研究していない部活動の監督も、何も勉強していない人気取りだけの政治家も、大嫌いである。
倉藤先生は、西洋音楽(クラッシック音楽)という権威だらけに見える業界をもっともっと庶民的で且つ日本的なものに繋げようとしている意図がリサイタルのテーマに見える(アンコールの時の所作でもわかる)。そう、簡単に言えば、挑戦し続けているのだ。


 倉藤先生のこのような人間性は、出会った頃のエピソードからもうかがえる。倉藤先生が富士高で音楽の授業を始めた当初に、ワタシは彼に向かって、こう挑発した。
「芸術選択の授業で、書道や美術の作品展があるけれど、音楽選択者の成果発表ってないよね」
すると、彼は僅か半年くらいで、“1年生音楽選択者合唱発表会”を開催してくれた(最初は授業の枠内)。そこから数年間、その発表会はどんどん大規模になっていき、富士高の文化的な存在感をおおきく高めていった。当時、倉藤先生の音楽選択者は相当恵まれて幸せだったと思う。


 今は、数学探究の授業の中で数学と音楽を融合させた授業をやったり(ギリシア時代はもともと同じだったからね)、運動部の活動の中に音楽を取り入れたりしている。高校の先生としても様々な挑戦をしているのだ。


 この文章も倉藤先生は読んでくれているはずなので、またも挑発してやろう。今、彼がリサイタルで追求しているのは“能”なんだけど、次は怪談にトライして欲しいなあ。素人なりにマッチするとおもうのだけれど・・・・・・・


  
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