矢沢永吉 「MARIA」
2020年8月25日 16:37
矢沢永吉の数多くの名曲の内で、これも好きな曲の一つだ。
MARIAとはもちろん彼の妻の名前だ(本名)。日米のクオ-タ-なので、マリアではなくMARIAが正式のスペルかもしれない。マスコミには一切顔を見せない謎の女性という事になっている。
MARIAには、妻本人と矢沢永吉の母親が重なって歌われている。ダブルイメ-ジなのだ。
永ちゃんファンならだれでも知っていることだが、彼の母親は彼が3歳の時に、被爆者である父親と彼を残して家出をした。矢沢にとって母親の記憶は曖昧である。
MARIA 褪せた写真に
微笑むお前がいるよ
まぶしく激しい時代よ
その笑顔が走らせたのさ
あの日の俺を
という歌詞は多くのファンには、詐欺事件に巻き込まれて35億円の借金を背負った時
さすがに落ち込んでいた矢沢永吉を励まし、「あなたはもっと上に行ける男だ」と「微笑みながら」再びロックシンガ-として光の道を走らせた妻MARIAのことを書いている、と理解されている。
だが、「褪せた写真のなかで微笑むお前」とは矢沢永吉の記憶の中にある「優しい母親」のイメ-ジをも表している。
ロックシンガ-として、がむしゃらに「成り上がって」いけば、いつか母親が名乗り出てくれるかもしれないと考えていたに違いない。
運命の絆をほどいて
人は愛に気づくよ
これも意味が掴みづらい歌詞だ。
妻マリアは矢沢に「過去のことは全て許してあげなさい。」と言った。
被爆のせいでろくに働かなかった父親。その父親と自分を見捨てて出て行った母親。
親戚中をたらいまわしにされて、極貧の中で育った過去。
貧乏人の自分をあざ笑った故郷「広島」の同級生。
「過去のつらい記憶、父や母との心のなかの葛藤、自分ではどうにもならなかった運命」それらを全て許してあげなさい。と妻MARIAは微笑みながら優しく語りかける。
MARIA 褪せた写真を
見つめるお前がいるよ
悲しみはすべて 俺にあずけて
今はあずけて
この歌詞の中では、矢沢のつらい過去を、優しく微笑みながら見つめる妻マリアのまなざしと
息子を捨ててきた過去を見つめる母のまなざしが重なっている。
悲しみはすべて 俺にあずけて という言葉に「あなたの悲しみは全て私が受け止めてあげる」というMARIAの思いと、「自分を捨てて出ていかなければならなった母の悲しみ」を今の俺はしっかりと受けとめているという矢沢の思いが重なっている。矢沢の歌は人称代名詞に複数の人間を重ねる。
「もう一人の俺」でも「お前に会いたい」という「お前」は自分自身のことである。
この曲を聴いていつも思う。
果たして矢沢永吉は母親と再会できたのだろうか。