今回の事件で、改めて医師の重要任務の一つが浮かび上がった。
「心肺停止」という判断が下った段階で、既に死亡がほぼ確定であることは、医療関係者ならだれでも知っている。
マスコミ関係者も当然みな知っている。
にも拘わらず、ドクタ―ヘリで救急搬送し、ERで蘇生治療を施すのは、一種のパフォ―マンスだ。
この茶番劇の理由の一つは、「死亡の認定」が医師が立ち会い所定の手続きに則って、死を確認する事が義務づけられているからである。
心肺停止=死という認識は、脳死に関係する。
脳細胞は酸素不足に極端に弱く、酸素の供給が無いと5分程で壊死する。
今回、救急搬送した医師は現場で「かなり深刻な状態」であると判断し、ERに搬送しても「蘇生不能」だろうことは認識していた。
心肺停止してから酸素吸入を始めるまでに、何分かかったかは不明だが、タイムリミットの5分は遥かに超えていたはずだ。
一般人ならとっくに死亡時刻を告知していただろう。
VIPゆえに、全力で蘇生措置をしているふりをせざるを得なかった。
それでも最後は夫人が看取るなかで、親族の同意のもと「死亡判定」を下している。
死んだかどうかは、本人が決められないのである。
法的にそれを決めるのは、医師ただ一人となる。
大災害が起こったとき、助かる負傷者と助からない負傷者を見極める選別作業も医師にゆだねられる。
まだ生きていて意識のある人に助からないという宣告をするのは、非情な作業だ。
めったにないケースだが、医学科の入試でそのような立場に立った時「あなたはどう考えどう行動するか」を聞かれるかもしれない。