長きに渡って静高現役生のバイブルであった「大学進学資料冊子」は合格体験記を寄せ集めたただの紙くずになった。
この冊子が登場したのは、伝説の名校長諏訪拓三先生(静中OB、東京高等師範卒、県教育長をへて県副知事)が着任した1961年からであった。諏訪校長は「進学倍増論」を打ち出し、まず東大合格者を倍増させると宣言した。
靜高OB達は「諏訪先生、また大ボラ吹いて。」と半信半疑だったが着任時に入学した生徒が卒業した64年には本当に前年の11人から倍の21人の東大合格者を出した。
諏訪校長が最初に着手したのが、進学資料冊子と完全リンクした学力テスト実施であった。
進学資料冊子には高1高2高3の学力テスト学年順位と全得点(後に偏差値)が理系文系別に網羅されていた。
全員のデータが丸裸にされて晒されていたので、かなり痛い冊子でもあったが、現役生にとってはこれしか頼るもののないバイブルであった。
当時は校内で受けられる全国模試は旺文社模試だけで、高1高2は年1回だけ、高3は年3回であった。
後は駿台模試を、東京のお茶の水まで新幹線で通って受けるしかなかった。
現在では様変わりして、全ての予備校模試は地元静岡市で受けられるうえに、マーク模試はネット受験が普通だ。
あらゆるデ-タが手に入る上に、校内学力テストと違ってプロの作った良質の模試問題と詳しい解説が手に入る。
受験対策としての校内学力テストの存在意義は消滅した。
同時に「個人情報保護」の観点から、進学資料冊子の個別データも消滅した。
個人データの無い進学冊子はただの紙くずとなった。
実はこの進学冊子は生徒にはまた別の意味があった。
部活などで交流のあった「憧れの先輩」と同じ大学学部を目指して、学力テストで肩を並べる得点を取りたいと、皆が頑張ったのだ。
冊子デ-タのは個人名は記載されていないが、ほぼ名前が特定できたのである。
だから冊子1ペ-ジ目のトップグル-プに自分の記録を残そうと、高3生も頑張った。
入試対策としての学力テストが無意味になったのと反対に、校内定期テストの中間テストと期末テストの重要性は高まっている。
国立大学では急速に総合型推薦入試の定員枠が拡大している。
東北大は入学者全員を総合型で選抜すると発表した。
総合型では校内推薦、自己推薦ともに評価点が重要になる。
評価点は中間期末テストで決まるのである。