選挙は残酷だ。
TVの前で敗戦の弁を述べなければならない。
「全て私の不徳の致すところであり、力が及ばなかった。」
本人も周囲も決してそうだとは思っていなくとも、こう述べるのが敗者の潔い態度だと広く思われている。
敗れた大村氏も勝った鈴木氏も経歴はまったく異なるが、知事としての資質は甲乙つけがたい。
大村氏はこれで政治の道から撤退するのではなく、次の衆議院議員選挙に出るべきだ。
鈴木新知事も、衆議院議員を二期務めた後、浜松市の市長となった。
一度、国政の目から地元静岡県を観てから、再び県知事を目指せばよい。
大村氏が次の衆議院選挙に出るとすれば、当然、静岡第1区だ。
ここには上川陽子外務大臣がいるが、上川氏は総理大臣の器ではない。
今回の「うむ発言」の撤回ではっきりと判った。
知事選の応援演説で発言の言葉尻をとらえられ、オタオタしてすぐに発言を撤回した。
政治家には激情が必要だ。
ほとばしる激情が、国民を魅了し引きずりこむ。
「うむ発言」を批判されたのなら「なぜわからないのか、ばかもの。女性があれだけの苦しみに耐えながら、それでも子供を産むのは、この世で最も素晴らしいことをしようとするからだ。子供を産み育てることは、女性にだけ与えられた特権だ。その特権を存分に享受しよう。それが可能な世の中にしよう。政治の力で実現しよう。だから私を総理大臣にしてください。」と堂々と反論すればよい。
大村氏の演説には「激情家の片鱗」が見え隠れする。
川勝前知事は「激情の塊」だった。
前回知事選挙で県内全域で圧勝したのは、激情から選挙を劇場化したからだ。
大村氏は滑舌が悪い。
演説が聞き取りにくいところがある。
鈴木氏は大学時代から政治家を目指して慶応大で合唱サークルに入っていた。
発声練習をしていたのだ。
田中角栄元総理大臣は、吃音、つまりどもりだった。
それを克服しようとして浪曲を練習したという。
あのだみ声でまくしたてる演説は一度聞くと忘れらない。
政治家の最大の武器は言葉であり、演説で選挙民を魅了する。
大村氏よ、捲土重来を期して次の選挙に挑戦しよう。