原泰久の「キングダム」では、元盗賊の親分だった桓騎と下僕出身の李信が大将軍に上り詰めていく。
この身分を問わない下克上が、辺境の国であった秦を軍事大国に押し上げ、中華統一を成し遂げる原動力となった。
この下克上を後押ししたのが商鞅による政治改革「商鞅の変法」である。
この政治改革の目玉は、身分を問わず「戦(いくさ)で手柄を立てたものは、一気に高い地位に上り詰め、高い位=爵位を与えられて田畑と宅地、隷属民、衣服が受けられる」ことである。
しかも国王の親族であっても、いくさで手柄をあげられなければ、王族としての戸籍をはく奪されるほどの徹底したものであった。
この結果、野盗のボスの桓騎や、戸籍さえも持たぬ李信が、六大将軍の一人にまで大出世していった。
同じことが、戦後の日本でも起こっている。
全国の公立高校では、裕福とは言えない家庭の子供でも学力さえあれば、国立大学、特に東大京大などの旧帝大系の国立大学に進学できた。
なにしろ「年間の授業料」が数千円(一か月ではなく1年間)というほとんどただ同然の金額で、大学に進学できたのである。
正確な数字を挙げると1950年で年授業料3600円、1962年が9000円である。
現在の貨幣価値に換算しても、国立大の年間授業料は6万円から8万円程度であった。
現在の国立大授業料は一律で88万円なので、10分の1の安さである。
無償の奨学金が国や自治体からも出され、県単位の学生寮も多かった。
国立大学の定員は圧倒的に工学部が多く、東大では理科一類が定員千人と理系文系合わせた全6類の総定員の3分の1を占めていた。
他の国立大学の定員比もほぼこれに準じていて、工学部の定員がその多くを占めていた。
地方の公立校では「男子なら東大理Ⅰ」が合言葉となっていて、静高でも学年1位の生徒は必ず東大理Ⅰに現役合格するのが常だった。
1950年代から70年代の高度経済成長は、国立大を出たこれら若手の優秀なエンジニア達が、牽引していったのである。