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英作文力の向上は日本語作文の向上法に学べ!!

母国語だから「日本語の文章」がうまく書けるという保証はない。
附属小では、ちゃんとした日本語の文章が、書けるようにする指導を一切しないので、日本語が書けない附中生が出てくる。
文章を日ごろから書く習慣が無いと、附中でノルマとされている「追求の記録」を書けない、書かない、出さないという悪循環に陥る。
作文力の大枠は、ほぼ小学6年までで決まる。
文章が書けない生徒がよく口にする言い訳が「書くべき事柄が思いつかない」というものだ。
そこで秘訣を教える。
その昔「生活綴り方教室」という運動があった。
東北地方の農村に「むちゃくせいきょう」という小学校教師がいた。
農村での日常生活をテーマに、子供たちが体験し感じたことを好きなように書かせていった。
当時の農村はまだ「貧困のまっただ中」にあり、ほとんどの子供達は貧しい家庭の中で、懸命には働く親兄弟たちとの生活を素直に書いた。
周りがみんな貧乏だったから、隠さずに貧乏をありのままに書いたが、それなりに辛いことや悲しいことも多かった。
彼は、それらの作文に一つ一つコメントをつけて、学校授業で取り上げた。
ほとんどコメントは作文の良い点を褒めたが、改善のアドヴァイスも忘れなかった。
生徒の作文は文集となり、やがて本となって出版されていった。
「生活綴り方教室」は全国の小学校に急速に拡大し、子供たちの作文力向上に大いに貢献した。
作文力を向上させるためには、まず書いた作文を、常時発表する場が必要だ。
さらにはその作文を評価し、必ず感想を述べてくれる指導者が不可欠だ。
日常生活について英語で文章を書いて常に発表する場を作ることだ。
それには、ブログと言う形式が簡単で優れている。
英文だから世界中からアクセスが来る。
コメント欄には様々なコメントが来るが、辛口のコメントにめげてはいけない。
アクセス数が増えれば、励みになる。
コメントを読むと、こんな英語表現があるのかと参考になり、さっそく真似ができる。
そうして回数を重ねるうちに「自分の文体」というものが出来てくる。
「自分独自の英文文体」が確立されると、テーマが日常生活だけではなく、ネット上に現れるあらゆる事柄を取り上げてコメントできる。
Uチュ-バ-が映像と音声でやっている事を、英文を武器に世界に向けて発信するのだ。
情報は自ら発信する者の所に、最も多く集まって来る。
自分独自のネットワークを世界中に張りめぐらして、情報のやり取りをする。
自分の得意とする分野に絞ると、あっという間にその道の専門家になれる。
今、情報の交換は「英会話」という音声ではなく、英文という文字でなされるのが普通だ。
今後、全ての専門職は英文で直接情報を仕入れるようになる。
そのとき、自分自身に英文でどれほどの情報発信力があるかが、あなたの将来を決める。



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静岡県高校入試から消えた「和文英訳問題」2

2021年から、静岡県の高校入試問題から「和文英訳問題」が消えた。
代わりに、文中の流れに沿った英文を書けという問題に変わった。
戦後、数十年続いた「日本文を英文に直す英作文」が、とうとう消滅したのである。
これは従来の「日本語原稿を書く人間とそれを英文に翻訳する人間」の分業が否定され、初めから自分の言いたいことを英文で書く能力が、個々の発言者に要求されることを意味する。
考えてみれば当たり前のことだが、高校入試で「和文英訳問題」が出題され続けたのは、大学入試で長く「和文英訳問題」が出題されていためだ。
これは大学内で自分の論文を英語で書けないので、英語翻訳専門家に丸投げする教授連中が、まだまだ多い時代が続いていた名残だ。
だが、さすがにそれでは卑しくも国立大学の教授は務まらないので、初めから英文で論文を書ける素養のある学生を入学させようという事になってきた。
大学入試問題が変わったので、高校入試問題も変わらざるを得なかったわけだ。
だが「日本語と同じように英文を書ける能力」の訓練法やノウハウは、依然として中学の英語教師は持っていない。
実は簡単な方法で「本格的な英作文能力」高めることができる。
ただし、PCとインターネットの利用が不可欠である。
PCの家庭普及率はむしろ低下気味なことが阻害要因となっている。




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