リーディングビュー

高校全学年 「限界突破勉強法」と「ヒトの壁」

「限界突破勉強法」という非常にタメになる受験勉強法の指南書がある。
「東大理Ⅲ、京大医学部、国公立難関医学科に合格する受験生は、ある共通する経験を持っている。それは、深く心に残るような、ジ―ンとくるような問題にたくさんであっている」という事です。
と書いてあるが、漠然としていて解りにくい。
さらに「この究極の1問を深く心に刻み込んだ時、数学の感覚、英語の感覚、理科の感覚は急上昇し、ダントツの域に達します。」ともある。
「深い本質的な理解」という意味だが、まだ解りづらい。
養老孟司の著書「ヒトの壁」の中に、理解する事について論じている部分で「AIの理解と人間の理解は違う」と言っている。
「理解したと思う」のは理性ではない。信念、信条、納得、あるいは感情、感覚などの類である。そういうヒラメキが降りてきた瞬間のことを「アハ体験」というが、この体験は人間だけが出来るもので、AIにはできない。とも言っている。
するとジーンとくる問題に出会った経験とは「アハ体験」のことかと思い当たる。
ポイントは「納得したという感覚、感情」である。
脳内で理性や理論をつかさどる領域と、感情や感覚を受け持つ領域が、シンクロし共鳴している状態である。
この「アハ体験」をするためには「良問に挑戦する」ことだ。
「良問に挑戦して脳みそが汗をかき、必死に考える」ことだ。
出来るだけ多くの良問に時間無制限で挑戦し、1日15時間、20日間は継続することだ。
では挑戦すべき良問とはどこにある。
数学ではまず、「数学教育界のカリスマ」にして「共通テスト数学問題」の作成チームリーダ―のあの人物の著書参考書だ。
さらに彼はそれを出す大学は東大、京大で「質において一般の入試問題の水準を圧倒してる」と書いている。
東大京大の数学や物理化学の問題はとてもじゃないが手が出ないというのでは、話にならない。
それではいつまでたっても「限界は突破できない」し「ジーンとくる体験、アハ体験」はできない。
時間のある夏休みこそ、既習範囲の東大京大の数学物理化学英語に時間無制限で挑戦してみよう!!







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奈良の鹿物語

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。

ということで、今日は統一教会以外のお話し。


 このブログに時折登場して頂く方に、K藤Y弘氏という先輩がいらっしゃる。
Yukihiro Kato | Facebook(FBのアカウントを持っている人にな特権でリンク先をご紹介)

出会ったのは、だいたい20年前。ワタシの業界とは全く違う世界で悠々な人生(壮絶な時もあっただろうが、決して語らない)を送ってきた方だ。
なのに、我々教員の為に、時々強烈な一言を教えて下さる不思議な方である。


 我がセンセ業界は一種の閉鎖社会で、「先生のお友達は先生しかいない」のである。なので価値観がほぼ似通ってくるので、世間からは「センセ」という特殊業界とみられてしまう。それはそうだろう、月~金まで先生をやって、土日も部活動を指導して試合に引率して・・・・他の業界の方と知り合う方が難しい。
2,3年前に、職員の朝の打ち合わせ(この儀式によってセンセの毎日は始まる)で、ある若手教員がこのような報告をした
「ええっ ワタクシ事ですが、この度結婚をいたしました。(大拍手) お相手の方は、一般女性です」
結婚相手を「一般女性」と形容するのは、芸能界と先生業界くらいしかないだろう。(おっと、競技かるたの業界もあった)
それくらい狭い世界なのだ。


 ところが、ワタシが
「あっ、この話、生徒に伝えよう。自分も見習おう」と思う言葉や考え方は、案外と、センセ業界以外の方から拝借することの方が多い。
考えてみれば、フェイスブックやTwitterなどのSNSは、たいしてお付き合いもしていない方々から、“貴重なお言葉”だけを頂くことのできる、魔法のようなツールである。
 
 先生業界でSNS系の話をすると、(女子高生と連絡をとって変な関係になるとか)(危険な罠にはめられるとか)(不用意に人を傷つけてしまうとか)のネガティヴな話題ばかりになってしまう。SNS系は、教員にとっては(貴重な体験・言葉を只で頂くことのできる)、とっても貴重なツールであることも大きな一面となる。
時々SNSD&ブログで大きく叱られているワタシであっても、SNS系のツールを絶対に止めようとしない。だって、有り余るほどの有意義なコンテンツを頂いているのだから。


 と、前書きが長くなってしまったけれど、K藤Y弘氏から、勝手に拝借した部分を、こぴっぺ。


<ここから>
やっぱし35歳くらいの頃、部下へのフィードバックが天才的に上手な上司がいた。
叱られても不思議に屈辱感がないんで、〇〇〇〇の僕だから批判不感症なのだと思い込んでいたが、
ある日ある時、その秘密に気づく機会があった。
それは、
・人を褒めるときは人を主語に
・注意をするときはモノを主語に
するということだった。
賞賛するときは、
『○○さんだからこそ、こんなに頑張って資料を作ってくれるんだね〜』
と全面的に名前を出す一方、
注意する時は、
『この資料には日付がないので入れてくれると嬉しい』
と、資料を対象にする。
部下に仕事を頼む時も
『○○さん”なら”きっとできちゃうんじゃないかと期待しているよ』
『〇〇さん”しか”これを成功させられる人いないからねぇ』
と持ち上げる。
後でこれを『奈良の鹿』話法ということを教わったw

<終わり>


昨日、部活動の生徒に、(練習中や試合の時のコミュニケーション技法として)カンコピで使わせてもらった。
・・・・教員人生の最終盤になって、大きな技法に気がついてしまう。














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