東京オリパラに関する天皇の発言が注目を集めている。
この機会だから「現代における天皇の意味」について考えてみよう。
日本国憲法では「天皇には一切の政治的権能がない」と規定されている。
そこから「天皇は政治的な発言はしてはならない」とされている。
これは「天皇の政治利用」を排除するという観点からの規制だ。
ところが天皇はその膨大な数の公務から頻繁に「政治的に利用されている」存在なのである。
天皇が出席する公務には「政治的に肯定された儀式」である神道関連の儀式が多い。
政教分離の観点からは、宗教の1つである神道儀式に参加するのは、天皇が1つの宗教の代表者であることを国民の前に明示していることになり、明らかにルール違反だ。
だが、この本質的な問題に、政府自民党は「余りに畏れ多くて」一言も語ろうとはしていない。
むしろ自民党内の国家神道を優遇する勢力が「政治的に利用」している。
「天皇の象徴性」についても、厳密な議論がされたことがない。
「象徴としての天皇」であっても「人格なき象徴」では決してない。
人格のない体温も感じられない天皇など、国民は象徴とは見なさないだろう。
一般国民の象徴であるからこそ「喜怒哀楽」も「愛情も悲しみ」も国民と共有する存在であるのだ。
その姿を、私たち国民は先の天皇、今の上皇にはっきりと見た。
阪神大震災の際、避難場所に集まった被災者を見舞った天皇が、膝をつかれて被災者を気づかい労う言葉をかけた時、国民は「今こそ天皇は国民全員の悲しみと慈愛の象徴となった」と実感した。
今、天皇の「オリンピックがコロナ感染を拡げる場となることを心配している」という発言は、国民全体の心理を深く理解し代弁しているのだ。
ワシントンポスト紙は「天皇が東京オリンピックに不信任投票(No confidence vote)を突き付けた」と報道している。
確かに今のままのルーズな感染対策では「開会式に出席して開会宣言をすることが躊躇(ためら)われる」という意思表示だと見てもよい。
たった9人のウガンダ選手団から2人のコロナ陽性者が出たのに、2人の内1人は空港検疫を素通りさせている。
さらに成田空港で「濃厚接触者の特定もせず」に、遠路大阪まで移動させている。
しかも陽性者は「恐怖のインド型」だった。政府のやることは、おっかなくて見ていられない。
総選挙が近いので、天皇の発言は「政府自民党の「総選挙キャンペ-ン」に政治利用されないぞ」という意思表示だとも受けとれる。
その点は野党は追及してもよいだろう。
「発言する天皇」の近くには、元外務省のエリ-ト官僚だった皇后が、常に寄り添っている。
彼女は史上最も聡明な皇后として、天皇に常に補佐助言をする立場だ。
国内国外の視線をよく分析し、天皇が正しい判断と勇気ある言動をするよう手助けしている。
今回の発言で一層、国民の天皇への信頼が高まった。
政府自民党は「天皇の背後には国民の絶大な支持」があることをユメユメ忘れてはいけない。