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高3重要 9月からは共通テスト対策全科目を増やします

河合の共通テスト対策模試を受けてみて感触がわかったので、9月から英語国語地理のマ-ク式教材を増やします。
予備校サイドも実は手探りで模試問題を作っているので、センタ-試験のように本番問題に瓜二つとはいかない。おそらく最初の共通テストは、模試問題とはかなりずれた問題になる可能性がある。
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昔の附属中生の母親は厳しかった 合掌

昔の附属中生の母親は厳しかった、というよりはおっかなかった。
人が見ている前でもわが子をビシビシ叱った。
はるか昔、「静高の美少年」が母親に連れられて、新星に入塾の申し込みに来た。
勉強の現状を聞きたいので世間話をしようと、彼としばらく話していると、その母親がいきなり彼の袖を引っ張って「さっさと入塾のお願いをしなさい」と叱りつけた。
内心、「この代の附属生の親はみんな怖いな。」と思ったものだ。
そのおかげで、その期と前後の期の附属生ならびに静高生の大学入試の実績は、静高史上最高であった。
彼も現役で東工大こと東京工業大に進学し、今はエリ-トサラリ-マンとしてIT部門の管理職の仕事に日々忙しい。
「附属中静高時代の美少年の今の姿」は、新星のドアに子供の写真と一緒に貼ってある。
彼の息子も今では新星生で、塾長に日々叱られながら、勉強にまい進している。
今の親は、超甘で少しは自分達の親を見習ってもらいたいものだと思う。
孟母にしてこの息子あり。ご冥福を祈って。合掌

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中2重要 中3範囲月例テスト 英語の家庭学習を増やそう

今日の中3範囲月例テストの英語は、数学に比べるとまだまだ見劣りする。
中3範囲数学は90点以上が今回も多数いるもようだが、英語はいないようだ。
9月以降は、英語の比重を増やすが自宅学習時間ももっと増やさないといけない。
ユメブンのターゲットセンテンスの反復と、文法ドリルを頻繁にやろう。
実は大学入試、特に国立難関大や国公立医学科に現役で受かる生徒は「英語が超得意」で最大の得点源にしている。理科と英語だけでほぼ合格最低点をクリア-して医学科に合格している生徒も多い。
そんなわけで、新星では中学で準1級の受験を薦めている。
先輩の何人かは準1級を持っている。1級に挑戦する先輩もいる。

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中2重要 中3範囲月例テスト 数学の「動点の確率」で差

中3範囲の月例テストは、大問6の「動点の確率」で差がついた。
これは高校数学の確率問題でも重要問題の部類に入る。
高校数学では「反復試行の確率公式」を使うが、中学ではそれは使わないが、新課程の「思考力問題」に分類されている。
今回は正解者もいるが、帰宅後に解答解説を熟読しておこう。
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中1重要 夏季講習「光の作図と記述問題」 

昨日の夏季講習「光の作図と記述問題」は全員が、よくできていた。
屈折の部分は昨日の「あの問題」以外は校内テストレベルでは出題されないので、家庭でさらに復習しておこう。「プリズムの屈折」は大事な作図だが、授業で何度板書しても書けない生徒がいるのには、あきれる。屈折の原理を応用するだけだ。手順を追って書いていけば必ずかける。
テスト範囲に「分光と色」があるので押さえておこう。
「レンズ」はすべてのパタ-ンを書けるように何度も練習だ。
「全反射」と「実像の定義」も重要事項だ。
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中1重要 夏季講習歴史論述問題 「聖徳太子は実在したか」

昨日の夏季講習「歴史論述問題」で、「聖徳太子は実在の人物か」という塾長の話を、理解できましたか。
日本国の正式の歴史書「日本書紀」に彼の活躍の記述があるので、実在の人物として教科書も記述している。
それにも関わらず、その存在については疑問視する研究者が多い。聖徳太子が架空の人物だとすると、だれが、なぜ日本書紀に「架空の聖徳太子」を登場させたのか?
明治時代まで「皇太子の身分でありながら、天皇以上の実権を握って大事業を次々と行った人物」は2人しかいない。
一人は「聖徳太子」、そしてもう一人は「中大兄皇子」だ。
「中大兄皇子」は「大化の改新」後、すぐには天皇に即位しなかったが皇太子の身分ながら「白村江の戦い」に2万7千名もの日本兵を派遣するなど、強大な権限を行使した。
その前にも、「大化の改新」を実行し、公地公民をはじめとして中央集権国家の建設にまい進する。
さらに大宝律令養老律令を制定し「法治国家」としての体制を確立していく。
その間、「ただの皇太子」という身分のままだった。
そして、「大化の改新」後、なんと23年もたって、やっと「天智天皇」の名で天皇に即位する。
この異常に長い空白の理由は「不倫スキャンダル」であった。それもかなりきわどいスキャンダルだ。
日本書紀の作成は複数の記述者の手によるが、そのチームのリーダ-は「藤原不比等」である。
かれは養老律令の作成者でもあり「中大兄皇子と不比等の父である中臣鎌足」の側近として辣腕を振るう。
「ただの皇太子」でありながら、天皇以上の強大な権力を行使する「中大兄皇子」の正当性をどこかで証明する必要があった。
そこで「聖徳太子」という架空の人物を創造し(でっちあげ)日本書紀に登場させた。
聖徳太子が建てたとされる「法隆寺」も「中大兄皇子」が全面的な支援をして「聖徳太子」をまつってある。法隆寺の実質的な建立者も「中大兄皇子」ではなかったのか。
つまり明治維新まで「ただの皇太子」として天皇以上の活躍をした人物は「中大兄皇子」ただ一人だったという事になる。
なお、聖徳太子が「推古天皇の摂政」だったというのはどうでもいい事で、当時は「摂政」という地位も役職もなかった。藤原氏が務めた摂関家も、あくまで天皇の代理人であった。
この「摂政」が天皇の代理人ではなく「天皇そのもの」として登場するのが、大正時代になってからである。その話はまたいつか。


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